配送運賃の高騰

4月より新年度がスタートしました。
同時にスタートするのが各方面の値上げ

値上げに踏み切るには様々な要因があるとは思いますが、
近年は物流コストの値上がりが大きくかかわっていると思われます。
弊社も昨年秋に値上げの連絡を受けました。
現状として「配送料の値上げ」は避けては通れない状況だし、
世の中の動きも全体に受け入れないといけないといった雰囲気にも感じました。
受け入れず結果として運んで貰えなくなるのは困りますからね。

宅配便が始まったのは1971年だそうです。
今から47年前。
印象的だったのはスキーパックやゴルフパックなど。
画期的なアイデアだと思いました。
サービスの差別化、あったらいいな、それらを具体化しビジネスとして成立させる。
痒い所に手が届くようなサービスだと思います。
産直や遠くの商品が買えるようになったのも、
時間帯指定やクール便などの普及など、物流業の発展からですよね。
現在はネット通販の普及から無くてはならない業種です。
私もネットショッピングをしますので、
特に重たい物は玄関まで届けてもらえるので本当に助かっています。

その時に心掛けているのは必ず受け取れる時間帯の指定です。
再配達で二度手間を掛けるのは申し訳ないと思うので。
けれどこの時間帯指定ができないとか、
指定すると送料が有料になるショップがあります。
以前、日時指定ができないショップで買った時に再配達ロスにならないよう、
輸送状況をネットで確認し、配達前に変更の連絡を入れました。
ところが運送会社によっては輸送店を通過していないので、
変更ができないと断られた事がありました。
これって酷くないですか?
ドライバーの再配達軽減を考えていませんよね?
社内システムの矛盾を感じます。

この再配達の多さが現場を苦しめている一つのようですが、
最速のタイミングで受け取る場合追加料金に対する意識アンケートを実施したところ、
「追加料金が掛かるなら最速なタイミングで受け取らなくても良い」と答えた人が、
約6割いたそうです。
荷物は急がないけど受け取れる時間が限られているからこそ時間帯指定をして、
受け取りたいと思っている方は大勢いるんですよね。

私は逆に明日どうしても欲しいからと翌日便を指定したならば、
追加料金を払えば良いとも思います。
日時指定の入力をショップ側は手間やコストが掛かるからやらない。
購入側も指定したら有料になるなら受け取れなくても再配達してもらえば良いと考える。
運送会社側も現場の社員の頑張りだけに頼る。

確かにネットで買い物をする際の基準として、送料が無料であれば懐は助かります。
でも働きに対して従業員へ反映されなければ、
受けたいサービスも停止しています。

現場の辛抱や我慢に頼るだけでは人手不足は解消しません。
仕事はあるのに人手不足で廃業してしまう。
働きが正当な評価をされていない。給料に反映されない。疲弊してしまいますよね。
お客様満足度は大事ですが、
その前に従業員が満足していなければ、
質の良いサービスを発信できないと私は思います。


勘違いしないでほしいのは、経営努力は当然大切です。
ですが、あまりにも安価な要求を受け入れた先に待っているものが、
明るい未来ではないような気がします。
安さを追求し質を落とす。
不正であれば信用も落ちる。
最悪、命も落とす。
実際問題です。

仕事が適正な価格で取引できれば、まわりまわって収入に反映されますよね。    
理想論かもしれませんが、
世の中全体の給料が上がれば、値上げも歓迎されると思います。
どの業種でも労働に対しての適正な価格は必要です。

昔、銀行で手数料なんて掛からなかった時代もありましたが、
今や払うのが普通です。
値上げも増税も、騒ぐのは最初だけで時が経てば受け入れています。
物流コストも認識を変えるきっかけが必要なのではないでしょうか。

さてさて、私の認識ではスマイル0円は永久に不滅だと思っていますが、
いずれ、いやもう既に有料でしょうか。
認識を変えなければいけないでしょうかね。

[fu~ma]

ザラキに匹敵する呪文

“もがる”というと、『殯』を思い浮かべますよね、普通の方は。
現代では皇室や、北の偉い方ぐらいでしか見かけなくなりましたが、
ご存じのとおり、葬儀の前に遺体を長期安置する儀礼のことです。
現代の通夜は、この『殯』の儀式の名残だと言われていますね。

と、『殯』の説明をしてみましたが、
私が言っている“もがる”は、その話ではありません。
古語というか、最近では、あまり使われなくなりましたが、
強情を張る、逆らうというような意味の、“もがる”。

私は、自他を問わず、ある場面に出くわしたとき、
この“もがる”という単語を連想します。
そのある場面とは、「そうは言ってもさぁ」と、理想を否定する場面。

理想というと大仰に聞こえるかもしれませんが、
「サッカー選手になりたい」とか「お花屋さんになりたい」のような、
子供のころ、自分の将来に関して夢見ていたことから、
「もっとモテたい」や「もっと痩せたい」のような下世話なものまで、
自分が思い描いていることはすべて、ある種の理想であると言えます。

私の手元にある、昭和46年刊行の『マーフィー100の成功法則』という本には、
§1から、よいことを思えばよいことが起こる。
悪いことを考えれば悪いことが起こる。
と書かれています。
つまり、思ったことはその通りになるということです。

だとすれば、「サッカー選手になりたい」も「お花屋さんになりたい」も、
「もっとモテたい」も「もっと痩せたい」も、
思っていれば、それは叶えられるということです。
もちろん、ただボンヤリと思っているだけではダメで、
「どうしても叶えたい!」と強く念じ、そのためにどうすればいいかを考え、
たとえばリフティングの練習をするとか、花卉の専門学校に通うとか、
理想を叶えるための行動を起こすことが要求されるでしょう。
それは、多少の努力感を伴うことだと思いますが、
少なくとも、何も考えずに漫然としているよりは、実現に近づくはず。

よいことを思えばよいことが起こるということなら、
よいことを思っていたほうが自分のためでしょう。
要は、思っていれば、それは叶えられる、
じゃぁ、よいことを思っておけ
ということです。

これに対して、「そうは言ってもさぁ」という、
理想を否定する言葉はどうでしょうか。
「そうは言ってもさぁ」という言葉は、通常、
「現実は厳しいよね」という、否定的意味合いの文章の接頭辞として、
わりと軽く使われている感じがするのですが、
結局のところ、理想を妄想にすぎぬと切って捨てているわけです。
思っていれば、それは叶えられるという原則に従うならば、
理想を切って捨てるという願いが、
力強く叶えられることでしょう。


「そうは言ってもさぁ」という言葉で理想を打ち砕いているということは、
言い換えれば、自分の将来を粉砕しているわけで、
結果的に人生が台無しになるという意味で、
「そうは言ってもさぁ」という言葉は、
ザラキなどに匹敵する、それはそれは恐ろしい呪文です。
本人はお茶を濁しているだけの軽い感じの言葉だったとしても、
実は、強い破壊力で理想を打ち砕く働きをする、恐ろしい呪文なのです。

私は、言葉とはとても大切なものだと思っています。
ジョセフ・マーフィーの著作の和訳では、観念的に感じるかもしれませんが、
実際、「思っていれば叶えられる」というのは真実であろうと思います。
それは、“言葉には言魂が宿る”のような情緒っぽい話ではなく、
かつて「正語」という記事で語ったことがあるように、
言葉として自分や周囲の耳に聞かせることによって、
刷り込みというか、暗示のようなことにかかりやすくなると思うからです。
簡単に言えば、ロクでもないことばかり言っているヤツの周りには、
ロクでもないヤツらばかりが集まってくるという話です。

子供のころの叱られたトラウマとか、若いころの苦い失敗経験とか、
理想を否定したくなるような、「そうは言ってもさぁ」なんて、
誰にでも、それこそ掃いて捨てるほどあるでしょう。
しかし、そんな意味のない経験を思い出したところで、
理想が傷つくだけで、人生に少しのメリットもありません。
したがって、賢い人は過去には囚われないものです。
要は、理想を否定したくなるようなトラウマや経験は、
人生を暗くする分、思い出すだけ損というもの。

明るい未来をひっくり返さないために、
自分が思い出す記憶はコントロールして、
使う言葉にも気をつけたいものです。


[SE;KICHI]]

忘れられない卒業式

3月に長男が小学校を卒業しました。
雨が降って前日までのあたたかい気候とはうって変わって肌寒い卒業式当日、
私の息子は小学校生活最後の行事に参加できませんでした。

卒業式を金曜日に控えたその週の日曜日の夜、
珍しく夜の8時に寝ると言って二階へ上がっていった長男。
その二日後には卒業式の予行もあり、証書授与の個人撮影もあるので、
当日着用するネクタイの結び方もレクチャーし終わったところでした。
いつもは誰よりも遅くまで起きていたがる長男なので、
めずらしく野球で相当疲れたんだろうと思っていたのですが、
翌朝、咳き込みがひどく、さらに頭が痛いと言い出しました。
熱を測ると38℃越え。

「今日はお休みだね」と言ったものの、
普段あまり熱を出さない彼がここまでの高熱を出すなんて、
まさかまさかインフルエンザじゃあないよね?と、
半ば祈るような思いで平静を装っていたのに、医者の診断結果がインフルエンザB型。
クラスでも流行っていたそうです。
つい一か月前にA型に罹ったばかりなのに、まさかとは思ってはいたけど、
まるでドラマのようだなと思ってしまいました。
ウソか真か、B型は熱がそんなに高くなくて症状も軽いと噂で聞いていました。
本人によると日曜日の日中からかなりの悪寒がしていたそうなので、
早々に熱が収まればもしかしたら卒業式までには間に合うかなと、
かなりポジティブに考えていました。

ところが月曜日も熱が下がらず、火曜日も、木曜日も熱が下がりませんでした。
もう、卒業式への出席は絶望的でした。
少し熱が落ち着いている時、
ベッドから起きて一人ネクタイを結ぶ練習をしている姿を見たときは、
切なくて胸が締め付けられました。
長男には、
「これはきっと何か意味があってのことだから、もうしょうがないよね」と、
さらりと言ってはみたものの、
卒業式、出たいだろうなと息子の気持ちになってみると、
それ以上のことは言えませんでした。

卒業式の前日、担任の先生が家まで来て下さり、
個人撮影できなかった分の代金の返金と、
卒業式の当日にもらえるはずのアルバムを届けて下さいました。
先生は
「最後だし、体調が許せば医師の許可がなくても卒業式に出席してもいいですよ」と、
言ってくださいました。
でもその日、かなり咳き込みが激しく、
本人もひどく辛そうでとても参加できそうにないことを伝えました。

当日の朝、やっぱり熱があり、前日より咳き込みは収まっているものの、
インフルエンザということもあり、息子の気持ちと周囲の人への迷惑とを考え、
私の判断で卒業式の出席を断念しました。
本人は真面目で、許可が下りてないから無理でしょと言っていましたが、
出られるものならやはり出たかったみたいです。
先生への電話を切った後も、これで良かったのか、自分のことなら割り切れますが、
子供の大切な卒業式を(子供の気持ちを無視して)、
私の他人様に迷惑を掛けてはいけないという判断で欠席させてよかったものか分からず、
涙が出てとまりませんでした。

卒業式に出ていた娘から、欠席したのは長男一人だけだと聞き、また号泣。
その日のお昼ごはんは今までで一番まずかったです。

当日もわざわざ先生は家まで記念品と御祝のどら焼きをとどけていただき、
これも結局は迷惑をかけてしまったのではないかと自己嫌悪の連続でした。
さらには、後日卒業証書を取りにいくことに。
できるだけみんなと同じような卒業式をして下さるということ、
親も同伴だということで、
また会社を休まなければいけないという、こちらもまた迷惑をかけてしまうことになり、
自分の判断が本当に間違っていたのではないかと、とても苦しかったです。

卒業式の前日、野球部のお母さんが数名、息子を心配して連絡をくれました。
そして、そのうちの二人のお母さんが卒業式の後日、また連絡をくれました。
「卒業証書はどうなるの?」と。
後日改めて親同伴で取りに行くと伝えたところ、
また連絡ちょうだいと言ってくれました。
多分、その日に来てくれるんだろうなあ、
有難いなあ、そして申し訳ないなあと思いました。
職場でもありがたいことに快く半休をいただき、学校に出向いたその日、
なんと野球部の子たちが全員、
正装で卒業証書をもって集まってくれていました。
しかも当日にもらったコサージュもつけて。

数名は来てくれると聞いていましたが、まさか全員、
しかも正装で来てくれるとは思いもよらず、思わず涙がこみ上げてしまいました。

そしてお母さんも数名、駆けつけてくれました。
中には正装で来てくれて列席してくれた方もいました。
たった一人の卒業証書授与式と思っていたのに、
6年生の先生方、野球部の子たちとお母さんたちが列席してくれました。
そして校長先生には息子だけの為の、
はなむけの言葉も準備していただいていました。

私がした判断が、良かったのか悪かったのか、
多分常識で言えば正しかったのでしょうが、
それが息子の為に良かったのかと言われれば、今でも分かりません。
ですが、間違いなく、
最高の卒業式をあげてもらうことができました。


本当に良くしていただいた先生方、野球部の仲間には感謝しかありません。
これは息子にとっても私たち家族にとっても、
本当に有難く、忘れられない卒業式となりました。

[Okei]

外見の話

先日知り合いの女性と世間話をしていたのですが、
話の流れで、今まで身近なところでテレビに出ている美人女優並みの人や、
モデルのような抜群の容姿スタイルの人に出会ったことはあるかと聞いたところ、
全くないと言っていました。
テレビや雑誌に出ているような人はその辺にはいないと。
それを聞いて、まあそんなものかと。
滅多にいないから女優やモデルなんだと。

私は若い時には毎週のようにお酒を飲みにいっていたのですが、
いっしょに飲みに行く友達にシュッとしたモデルのような外見の二枚目がいました。
今で言うイケメンです。
飲み会では女性の人気をいつも独り占めしていました。
ですから女性を交えての飲み会はまるで彼のために開いているようなものでした。
初対面である女性達が彼を取り合うようにしているのをいつも見ていました。

彼に積極的に言い寄る女性達は割と外見がいい娘が多いことにも気付きました。
そういう娘はまわりを気にせずあからさまに自分をアピールしていましたから、
自分の容姿に強い自信があるのだなと感じました。

女性の友達に女の子を何度か紹介してもらったこともありました。
可愛い子だよと言われ実際に会ってみると、
私が思うに、紹介してくれた女性よりも可愛い子はいないように感じました。
関係あるかどうかわかりませんが、
紹介者が女性を紹介してくれる時に、
「あの子すごくいい子だから私は絶対にあの子に幸せになって欲しい」
と思っているというセリフを別々の女性から聞きました。
仲良くしている友達をそんな風に言うことが流行っていたのでしょうか。
いったいどの立場で言っているのかと思いましたが、
紹介してもらう身ですからおとなしくしていました。
たまたま自分だけがそうなのかなと他の友達にその話をすると、
やはり同じ体験をしていて、そんなもんだと言っていました。
女性が言う可愛いは男性とは違うと。

また、女性同士の会話で、
会社の同僚の男性が付き合っている彼女や、結婚した相手を見て、
あの人にあの位の彼女なら丁度いいんじゃないとか、
全然つり合いが取れていないなどと言っているのを聞いたことがあります。
私がその場で話を聞いているのにも関わらずそのような話をするので、
普段から人をこんな風に見て評価しているのかと、
さすがに引きました。
その女性達が人のことを言えるほど可愛かったかどうかは言わないでおきます。

これまで私が体験した外見にまつわるちょっとしたエピソードをお話ししましたが、
人は決して外見ではありませんが、
外見で人を判断する人が多いのも事実です。
誰もが振り向くような素晴らしい外見の人は身近にはほぼいないわけですし、
内面的なものが外見に現れると思えば、
人の外見に対して色々言えないのではないかと思うのですが。
まあでもそんなことはわかった上で言ってるんですかね。

人を見た目だけで判断するのはどうかということからは全く逆の話になりますが、
お笑いコンビメイプル超合金のカズレーザーという人がいます。
金髪に赤いスーツがトレードマークと言えば思い出す人も多いでしょう。

カズレーザーhttps://news.mynavi.jp/article/20160615-a208/

そのカズレーザーが10代の若者と討論するテレビ番組があり、
参加していた19歳の音大生の女性が人を見た目で判断しないでと訴えたそうです。
高校から音大の付属だったのでほとんど遊ばずに真面目に頑張っているのに、
服装や顔立ちでチャラいと思われるとのこと。
その日の女性は長い髪を茶髪にしてパーマをかけ、
Vネックの黒いトップスで、他の10代からもチャラく見えると言われていた様子。
それに対しカズレーサーは、
自分も世間から見たら変わった格好をしているほうだと思う。
見た目で判断されることは多いとした上で、
「派手な格好をする理由を向こうは推測する。
チャラいと言われてしまうのはごくごく自然なこと」
「自身が選ぶ服装には確固とした理由がある以上、
その外見には内面などすべてが現れている」と指摘。
自分の意志で選んでるものに対して、
私はこういう格好をしているのに、こう思われるのは嫌、
と言うのは自分の勝手だと思う。

周りからのイメージは見た目で決めつけられてしまうもので、
自分ではどうすることもできない」
こういう風に思って欲しいと思うのであれば、
そのイメージに合う格好をすればいい。

真面目に思われたいなら真面目に思われる格好をすればいい」
と言ったそうです。
かなり見た目のインパクトがあるカズレーザーが言うと説得力がありますね。

いずれにしても、好むと好まざるとに関わらず、
外見で人を判断したり、判断されることは現実にあります。
自分自身の外見にあまり無頓着にならず、
人からどう見られるか意識することも必要かと思います。

[KAZSOU]

彼女の黒歴史

弊社の K.K さんの記事に、
まるで、私がペラペラしゃべる最近のウルトラマンは認めない
と言ったかのように書かれていましたが・・・・・・まぁ、その通りです。

いや、それは完全にイメージの問題であり、
ウルトラマンって、初代からしゃべってはいたと思うのです。
第1話でも、ハヤタに「はっはっはっ…心配することはない」などと話しています。
ただ、その声はお世辞にも爽やかではなく、
どう聞いても正義の味方というよりは悪い宇宙人みたいな不気味さでした。
いや、ウルトラマンって、そもそも宇宙人なので仕方ないんですけど、
その不気味さにショックを受けた私は、
イメージのなかからウルトラマンの通常会話シーンを消したのでした。

それにしても、最近のウルトラマンはよくしゃべります。
戦闘中にも敵の怪獣に対して、
威勢良く「おっしゃ!こいやー!」とか言っていて、びっくりします。
逆に、宇宙人感がなく、普通の青年のようです。

あと、もう一点、気になっているのが、戦い方ですかね。
最近のウルトラマンは剣のような武器を持って戦います。
相手も武器を持っていることが多いので、
刃と刃が当たって火花が出たり、殺陣のような動きが多いように感じます。
昔のウルトラマンは、投げ技を中心とした泥臭い戦いを繰り広げており、
火花なんて出ません。
それどころか、ジラースの襟巻をもぎ取ったり、ゲスラの背びれをはぎ取ったり、
ジェロニモンの羽根をむしり取ったり、
おおよそ正義の味方とは思えぬ、小学生のクソガキのような戦い方で、
私は、その肉弾戦みたいな感じが好きだったものです。

まぁ、時代は変わったということでしょうか。

ところで、もともとほとんどしゃべらなかったくせに、
時代とともにどんどんしゃべるようになったキャラクターが、他にもいます。
コイツです。

ぬりかべ www.drillspin.com/person/view/ARDSAX162016

80年代に放送された第3シリーズのコイツは、ほとんどしゃべりませんでした。
しゃべっても、「ぬ~り~か~べ~」って、名乗るだけ。
似たような感じのキャラクターとしては布キレでできた一反木綿がいますが、
彼が「乗りんしゃい」や「たまらんばい」などと九州弁で話すのに対し、
ぬりかべは意味のある会話はできないキャラクターなのだと認識していました。

それが2000年代放送の第5シリーズではこんな感じ。

ぬりかべ一家
http://blog.livedoor.jp/ryunosuke_w913/archives/51139145.html

いやいや、しゃべるかしゃべらないか以前に、妻子おんのかい。
しかも子供多っ!
当然、妻子とコミュニケーションをとるために、彼はやたらと饒舌です。
妻も、ちょっと肝っ玉母さん風で、夫以上にしゃべりますし、
子供も12人もいたら、うるさいうるさい。
作中では妻子と仲良く住むためのマイホームを建ててました。
いやあ、時代の変遷とはいえ、キャラ設定を大きく変更しすぎでしょう。

ところで、ゲゲゲの鬼太郎のキャラ設定で思い出しましたが、
ぬりかべがしゃべれなかった頃、
その同僚にあたるネコ娘はこんな感じでした。(第3期)

ネコ娘(第3期) http://blog.livedoor.jp/amanohosomichi/?p=31

なんというか、純朴な子供ですよね。
小学生のころ、クラスにこういう感じの子がいたような気もします。
それが、ぬりかべが結婚して子宝に恵まれて饒舌になったころ(第5期)
ネコ娘はこんな感じ。

ネコ娘(第5期)
http://seesaawiki.jp/w/ebatan4/d/%C7%AD%CC%BC

エロいですねぇ、あざといですねぇ。
これが実際に放映されたのは2007年で、
それはAKB48が「会いたかった」でメジャーデビューした翌年にあたるそうなので、
このネコ娘のビジュアルは、明らかにAKBというか、
世間の好みを意識して、流行に寄せてデザインした感じがします。
この写真では水着を着ていますが、
メイドの格好をしたり、チアリーダーのコスプレをしたり、ボディコンで出かけたり、
やたら着替えるのが2007年の特徴です。

ところで、アニメ化50周年を記念したとかなんとかで、
今年の4月1日から新シリーズが放映されています。

公式 ⇒ http://www.toei-anim.co.jp/kitaro/

そして、当代のネコ娘のビジュアルはこんな感じ。

ネコ娘(第6期) http://jin115.com/archives/52206492.html

足、長っ!
ネコ感は皆無なような気もするんですが、どうなんでしょうか。
クールすぎて、ちょっとSっ気のあるキャバ嬢みたいな感じがするんですけど。
天敵・ネズミ男との、アニメとしてのビジュアルバランスも気になるところですが、
これは、昨今のニーズに合ったビジュアルの進化なんでしょうか。

ちなみに、美人の過去の秘密を暴き立てるようで心苦しいのですが、
原作のネコ娘はこんな感じです。

ネコ娘(原作)
https://matome.naver.jp/odai/2132989506785896701/2132989794586025403

もとは、だいぶ下品な娘さんだったのですね。
黒歴史を見たような気分になりました。

[SE;KICHI]

代理母出産

最近はよく耳にするようになった「代理母出産(代理懐胎)」。
子供を希望する女性、何らかの理由で子供を授かることが出来ない夫婦、
が、代わりに第三者の女性に妊娠・出産してもらう方法です。
日本では基本的に実施されないため、海外に渡航して代理出産を行うケースがあります。
芸能界の方でも代理出産をしてもらう方がいらっしゃったのは記憶に新しいと思います。

代理母出産、ときいて、
まず私が抱いた思いは「特に問題はないのでないか」でした。
子供を授かりたいのに授かることができない人が切望してすることならば、
成功した場合、喜ばしいことではないかと安易に考えたからです。
ですが、代理母出産についてよくよく調べてみると、
トラブル、金銭が絡んで商売になったり、
代理懐胎を行った女性側に身体的ダメージが残ったり、
子供を渡したくないとか引き取らないといったことが生じることも、
事実としてあることが分かりました。

しばしばテレビで子供への虐待や、
へその緒のついた新生児に起こった惨いニュースなどを見聞きすることがありますが、
腹立たしく、だったらなぜ産むのか、という思いが出てきます。
もしかしたら望んでいないのに何らかのトラブルでできてしまった子かもしれない、
私には分かりえない事情があったのかもしれない。
なんにも知らない第三者がとやかく言うことではないかもしれない。
それでも、最悪の事態になる前に何らかの対処法があったかもしれないと思うと、
だったらなぜ、という思いが消えることはありません。

生まれてきてくれる子に何の罪もありません。
だからこそ、望んで望んでの代理母出産はいいのではないかと、思います。
ただ・・・。

そもそも私個人の意見として、
生命の誕生というのは実に神秘的で、よく言われるように奇跡だ、と思うし、
基本的には本来ならば行われない人工的な作業は、
ない方がいいと考えています。

もちろん、生まれ出てくる子は、どの子も尊いです。
どの子も尊いし、生まれてくる子は生まれてくる運命にあるのでしょう。
ただ、その神聖な領域に踏み込んで欲しくない、というのが、
私の本心であり、願いです。

私自身、いま3人の子供の親ですが、その子たちの前に一人、流産しています。
とても辛い経験でしたが、今となってはそうなる運命にあったのだと考えています。
当時は(おそらく自分のせいではなかったはずですが)自分を責めてずっと泣いていましたが、
後になってその子に産まれて出てくる力がなかったのかもしれないし、
産まれて来ても生きていく力がなかったのかもしれないと、
考えられるようになりました。
そして、これはあくまでも私個人の考え方・捉え方として、
起こり得ることにはそうなる意味があると。
例えば、その時、母になる時期ではなかったのかも、
その経験があったがために今の自分があるのかも、と・・・。


何事も起こることは起こるべくして起こっていると考えると、
子供を授かることができないこともまた、
もしかしたら何かの意味があるのかもしれません。
これは他人事だから言えるのだという批判や意見もあるかもしれませんが、
そうなるべくして起こっていることに無理やり人工的な手を加えることは、
やはり自然ではないし、どこかで無理がかかってくるように思われてなりません。
そういう意味で、植物の勾配なども私としては望みません。
どんなにおいしいものが出来ようが、どんなにきれいな花が咲こうが、
自然のままが一番だと個人的には考えています。

でも一方で、少子化の問題や、物資不足などの問題にも、
取り組まなければならないというのは理解しています。
植物に関して言えば、
うまくいけば昨今の異常気象にも耐えうる食料ができるかもしれませんから。
それでもなお、今のこの困っている状況も、
起こり得るべくして起こっていると思っているので、
どうにかしようとしたところで、
結局また別のところに無理がかかってくるような気がしてなりません。

ありがたいことに子供を授かった私には、
お子さんを欲しくてもどうにもならない女性やご家族の辛い思いは、
想像でしか思うことができません。
あんたなんかに分かるはずがない、そう言われても仕方がないことだと思います。
私が同じ立場だったら、同じことが言えるかは正直分かりません。
でも、どうにもならずに行き詰ったとき、
何か意味があってのことだと捉えると、
前に進めるきっかけになるのではないかと、思います。


[Okei]

飛鳥の執念⑨ ~蘇我倉山田石川麻呂の重要性

「乙巳の変」って知ってますか。
当社の a. さんは「全然わかんないです」と言い、
Okei さんに至っては「さっぱり」という返事でした。
学校では教えていないことなので、無理もないかもしれません。
もしかしたら読めもしないかもしれませんね。

ところが、社内に乙巳の変について語る者がいたのです。
いつもウルトラマンについて語っている K.K さんです。
この K.K さんという人は、
もともと学校のお勉強ができるタイプではないのですが、
一方で、関心領域についての知識は尋常ではなく、
かなり細かいことまで調べて記憶しているようで、
果たして、本当におつむが弱いのか、それとも単なるキャラ設定なのか、
意外と後者なのではないかと思ったりもする私です。

乙巳の変というのは、
学校で習った「大化の改新」のきっかけになった事件の一つです。
中大兄皇子と中臣鎌足が、宮中で蘇我入鹿を暗殺し、
蘇我氏を滅ぼしたという飛鳥時代の政変で、
うるさい蘇我氏を葬り去ることで、大化の改新と呼ばれる改革が可能になりました。

私が乙巳の変と聞いて、若干の興奮を覚えるのは、
たぶん、蘇我倉山田石川麻呂という人物に興味を持ったからです。
名前長っ!
その蘇我倉山田石川麻呂は蘇我入鹿のいとこだったのですが、
中大兄皇子と中臣鎌足が、横暴な蘇我入鹿を誅殺することを画策したとき、
蘇我一族であったにもかかわらず、仲間に引き入れられます。
このとき、石川麻呂は、娘である遠智娘と姪娘の姉妹を、
妃として中大兄皇子に送り込んでいます。
ちなみに、遠智娘の娘が、私が何度も何度も書いている鸕野讃良皇女(持統天皇)で、
その妹の姪娘の娘が、その鸕野讃良皇女の息子・草壁皇子の妻、阿閇皇女(元明天皇)
この2人は嫁姑の関係でありながら、父親が同じであり、母方の祖父も一緒という、
2代遡れば完全に同一遺伝子の2人なのですが、
その祖父・石川麻呂という人は、そういう血縁的な意味合いでも、
また、乙巳の変の成否を握る人物としても、
その後の天武系王朝を築くにあたって、非常に重要な人物なのです。

ところが、この石川麻呂、キーマンのわりにメンタルはそう強くなかった模様で、
乙巳の変では、入鹿の暗殺の合図出し(天皇への奏上文を読み上げ)の役目だったのに、
合図を出しても、刺客が怖気づいてなかなか暗殺を実行しなかったため、
石川麻呂、大いに動揺して、文を読み上げながらガタガタ震え、
大汗をかいていたと言われています。
しかも、それを不審に思った入鹿に「何故震えているのか」と指摘される始末で、
つくづく、蘇我倉山田石川麻呂、ドッキリの仕掛人とか、
そういうことに向いていない人物だったようです。
こんな人、こういう大事なクーデターに、
私だったら誘わないかもしれません。

ちなみに、蘇我倉山田石川麻呂、乙巳の変での功績からか、
その後、右大臣に出世していますが、
4年後には、中大兄皇子と中臣鎌足の陰謀により、粛清されています。

はい、そこで前述の娘・遠智娘です。
遠智娘は中大兄皇子の妻ですから、
彼女にとって、父・石川麻呂は夫に殺されたようなものです。
遠智娘は泣き叫び、食事も喉を通らなくなったそうで、
なんと、そのまま死んでしまいました。

さらに、中大兄皇子と遠智娘の間に生まれていた鵜野讃良皇女は、
当時まだ5歳。
物心つくかつかぬかという年頃の鵜野讃良皇女にとっては、
父が母を殺したようなものです。
それをどんな気持ちで受け止めていたのでしょうか。
そして、彼女にとって、幼少期のこの経験が、
天武王朝に固執する権力主義的なマインドのベースになったのかもしれません。

ところで、この K.K さん、乙巳の変に関心を持ったきっかけが、この絵だそうです。

乙巳の変
https://ameblo.jp/k1rms/entry-11472672939.html

この絵は、奈良の神社に伝わっている『多武峰縁起絵巻』といって、
江戸時代の絵師・住吉如慶とその子・具慶が合作で描いたものですが、
中央の人物(蘇我入鹿)が、首から血を噴き出しながら突っ伏し、
その上方に、切り離された頭部がぴょーんと宙を舞うという、
構図としてはマンガのようですが、実にシュールな絵ですね。
実に禍々しいです。

私は、この時代をこよなく愛する者で、
私にとって「○○の変」といえば、“本能寺”を抑えて余裕で“乙巳”を挙げますが、
そんな私でも、この絵はそう興味をそそる絵ではないので、
人の関心というのは千差万別なんだなぁと、改めて感心します。

この K.K さんはこの春、
歴史学を学ぶために大学の通信課程に入学するんだそうです。
もちろん、「乙巳の変」ばかりを学ぶというわけでもないでしょうが、
好きな領域について学んで深めようとするところはうらやましいし、
新たなチャレンジは、尊敬に値します。

[SE;KICHI]

怖いって貴重な感情だとは思いませんか。

怖いって貴重な感情だとは思いませんか?
緊張や不安はしょっちゅう感じることができますが、恐怖は滅多に感じません。
それは私が勇敢だから、というわけではなく、
恐怖場面に日常なかなか遭遇できないからです。

幸せなことに命の危険を感じたこともないですし
(雪の高速を走るときは「死ぬ―!」と思いますが)
ホラー映画を観ても、やはり娯楽なので、ちょっとワクワクというか、
怖いもの見たさみたいなところがあります。
楳図かずおの漫画が好きで集めているのですが、
あの漫画の登場人物たちの怖がり方は凄いですね。
「ギャーッ!!」と言って目と口をこれでもかとばかりに開いて飛びすさる。
あんな怖がり方・驚き方1回はしてみたいなと思います。

先日お客さんのゴルフコンペに参加したのですが、
朝宿泊していたホテルから芦原ゴルフクラブまで、ナビの言うとおりに走っていたら、
どう考えてもこの先にゴルフ場があるとは思えない、という道を走らされました。

ゴルフ場に行くのは初めてだったのでわからないのですが、
イメージ的には「ようこそ、芦原ゴルフクラブへ!」みたいな、
アーチ状の看板をくぐると思っていたのですが、
道は狭く、両側には荒れ果てた丘(?)
道を間違えているんじゃないかととても不安に思いながら走っていました。

その時です!私の目の前に風力発電所が現れたのは!!

…何のビックリマークだよ、と思われるかもしれないですが、
私、巨大なものが怖いんです。
周囲に何もない土地に建つ、白く無機質で巨大な発電風車。
「ヒェー!!」と声が出ました。
心臓がギューッとなって、冷や汗。
「怖い!!!」

子供のころは夜に見る大きな木が怖く、
現在では例えば日本各地にある巨大な宗教施設も、威圧的でぎょっとします。
富山に戻ってから調べたのですが、
私が見た風力発電所は「あわら北潟風力発電所」、愛称:あわら夢ぐるま。
(どこまで浸透しているかわかったもんじゃないですが)
あんなに恐ろしいものに愛称がついている⁉

あわら夢ぐるま
http://www.jpower.co.jp/wind/win01900.html

周囲にはちらほらと民家もあったのですが、住民の方たちは怖くないのでしょうか?

ここで一つ面白いと思うのは、生死に関わりはないのになぜ怖いのか。
どうして巨大なものが怖いのかということです。
世の中には高所恐怖症や先端恐怖症などいろいろな恐怖症がありますが、
巨大物恐怖症というのもちゃんとあるそうです。

自分が好きなものだったら巨大でも平気なんでしょうか?
・巨大なムーミン像
→彼は意外と空虚な眼差しなので、巨大になったら怖いかもしれない。
・巨大な柴犬の像もしくは巨大なペンギンの像
→意味がわからない。想像がつかない。多分怖い。
・巨大な鶴竜の像
→絶対に怖い。
うーん・・・好きかどうかはあまり関係がないようです。

どうやら怖いと感じる条件は、
・対象物がある環境(空き地にいきなり巨大なものがあると怖い)
・車に乗っている(全体像を把握しづらい、対象物がどんどん迫ってくるから怖い)
・自分以外、周囲に人が見当たらない(1人だと大抵のことが怖い)
以上3点かなと思いました。

ゴルフコンペの結果は、だいぶオマケしてもらってもスコア198、
言うまでもなくブービーメーカーでした。
でも、ブービーメーカーってどういう意味よ?
こんなレベルでゴルフコンペに参加するのもある意味恐怖体験ですよね。

でもブログに書くほど記憶に残ったのは、ゴルフコンペよりも風力発電所の怖さ。

皆さんの怖いものって何ですか?

[a.]

みんな・・・死んじゃったのかな・・・?

すごく退廃的なタイトルをつけてしまいました。

少し前、私が運営に関わっている社団法人の理事会がありまして、
その席で誰かが言ったセリフです。

各家庭での子育ても然り、企業における人材育成も然りですが、
何のために人を育てるのかと言えば、
いつか、自分でエサを獲れるようにするためでしょう。
自分が去ったあとも、仲間に囲まれた豊かな社会を築いてほしいと願うから、
大人は、次世代を担う子供たちに対し、道を示そうとするのだと思います。
それは、大人としてというか、先達としての義務であると、
少なくとも私は、そう思います。

だとすれば、私たち先達は信念を持っている必要があります。
子供たちに輝かしい未来を残したいと思えばこそ、
生き方のベースになる“考え方”を、子供に示さねばならないわけで、
どいういう信念を持って日々を過ごしているか、避けて通れません。

最近、『漫画 君たちはどう生きるか』というのが出版され、人気のようです。
原作の『君たちはどう生きるか』は、1937年の刊行なので、
80年前の書籍の漫画化ということになります。
また、宮崎駿監督が制作中のアニメ映画の次回作タイトルを、
『君たちはどう生きるか』にするのだそうで、
目下、『君たちはどう生きるか』ブーム到来の様相です。

君たちはどう生きるか

別に、それはいいのです。
私自身は、著者である吉野源三郎に恨みはないものの、
この作品を称賛している丸山眞男の思想が好きになれないため、
そういう理由で申し訳ないけれど、この作品は好きではありません。
ただ、内容はマチェアだと思うし、
心を豊かに保てる術を伝えるという意味で、よい作品なのだろうと思います。
だから、別に、それはいいのです。

物語の主人公は、中学2年生の「コペル君」。
いじめなど、学校で起きる出来事に、どう向き合うか苦悩しています。
そんなコペル君にアドバイスするのが、近所に住む叔父さんです。
叔父さんは、コペル君とやりとりする交換日記みたいなノートに、
「ものの見方、考え方、社会の仕組み、その中での、自分とは何か」を、
悩みと向き合うためのヒントとして書いてくれます。
私たちは、まぁ、その交換日記の内容を読む形になるわけですが、
実際のところ、コペル君はなにしろ中学2年生という若さゆえか、
「どうすればいいのか分からないんだ・・・・」と頭を抱えたりします。
しかし、別に、それもいいのです。

私が妙だなと思っているのは、この作品が人気を博している点です。
『君たちはどう生きるか』という本が売れているということは、
『君たちはどう生きるか』を知りたい人が、それなりに多く存在するということ。
裏を返せば、『君たちはどう生きるか』というテーマについて、
本を買って読まなきゃ分からない人が、多くいるということです。
つまり、私の違和感の源は、
そんなの人に聞かないで、自分で考えろよ
ということです。

私は、あまり悩みながら育ってきたタイプではありませんし、
中学生時代にこの本を手に取ることはありませんでしたが、
現在、自分がどう生きるかについては、いつも考えています。
たかだか100年に満たない人生のなかで、この世の中に何を遺せるのか、
この本を読まなくても、私はそのように考えるようになっています。
人生の中で、いろいろな人からいろいろな刺激を受け、
自分で自然にそうなったということです。

作中、コペル君は日常生活の些細なことから、
人間の本質とでも言うべきことをいくつも学んでいきます。
それはそれでいいんです。
でも、自分で感じたり考えたりすることを放棄して、
この本の内容を人生のバイブルのように感じてしまう読者って、
それはそれで大丈夫なのか、
自分で思考することはないのかと、私は恐ろしくなります。

作中、叔父さんはコペル君に言います。
「死んでしまいたい」と思うほど自分を責めるのは、
君が正しい生き方を強く求めているからだ
、と。
・・・・・・いやいや、そういう面はあるかもしれないけれど、
ダメでしょ、そんなことを書籍で肯定しては。
だって、それを無審査でを人生のバイブルのように感じてしまう読者がいるんですから。
そして、ダメでしょ、そういうことが書いてある本がブームになっては。

社会は少しずつバカになっているのではないか。
ちゃんと考えることのできる人、みんな・・・死んじゃったのかな・・・
もう、いないのかな・・・

もともと、各自がしっかりしてさえいれば、
各自が信念に基づいて、それぞれしっかり対応するはずだということです。
こんな本、読まなくていいと思うんです。
各自がしっかりしている前提ですが。

漫画でもいいからこういう本に触れるべきという意見もあるかもしれませんが、
むしろ、私は、子供たちが自然にそうならない社会なのであれば、
そこに至る契機を大人が作ってやるほうが大事なのではないかと思うし、
そのために自分ができることをしていきたいと思います。

ちょっとキャッチー過ぎるタイトルでしたが、私の寂しさが伝われば幸いです。

[AKA]

ビットコイン。

「何でビットコイン取引は、コインチェックが良いんだ? 兄さん・・・まさか!」
「兄さんが知らないはずがないだろ。」
「じゃあ教えてよ?何でビットコインが良いんだよ!?」
「・・・」
「やっぱ知らないんだぁ~。」
・・・・・・・

ビットコインCM
http://明日へ続く道.jp/post-4185/

このやりとり、知っておられる方も多いのではないでしょうか。
リアクション芸人の出川哲郎が一人二役に扮してコミカルに演じた、
仮想通貨取引所コインチェックのCMが最近流れていました。
最初見たときはただ出川のやり取りがじわじわとくる感じの、
面白いCMだな~としか感じませんでした。

そのコインチェックが、
仮想通貨NEMと呼ばれるものの580億円相当を流出してしまい、
26万人もの人が出金できなくなったという事件が起きましたね。
該当した方は今は補償金の支払いが進んでいると聞きますが、
はてはてさっぱり?
CMが放送されなくなったのは少し残念だと感じたくらいで、
それ以上に、私にはあまり関係ないだろうと感じられた方も、
少なからずおられると思います。
私もその一人です。笑

先日、地元の町内会の40歳手前の中年男性の方と話す機会がありました。
その方は結婚しておられず、
仕事も派遣社員のままでいいと言っておられる方です。
早朝より公園で草むしりの清掃をしながら、
時事ネタでビットコインの流出について話題が及ぶと、
俺も持っているんだよね~とのこと。
私は完全に他人事だと思っていたので、
こんな近くにいるんだと思いビックリしました。
同じ派遣先の中国人が、
世界的に流行っているからとのことで、勧めてきて始めたそうです。

頭の回転がとろく、なかなか理解が浅い私ですが、
聞くだけ聞いてみようと質問をしてみました。

ビットコインとは、インターネット上にある、仮想のお金だそうです。
目に見えないという点では、ポイントみたいなものでしょうか。
ただ通販サイトみたいに、その中でのみ使用できる専用のものではなく、
普通のお店などで使用できたり、ドルや円などと交換もできてしまうそうな。
インターネット上のみにあるので、
世界との購買アクセスも手数料などほとんどかからず、
国ごとに価値が変わったりすることはないそうです。
(電子マネーは現金を電子化して財布を出して決済をスムーズにするもの。あくまで自分の現金が姿を変えたもの。)
日本人は円そのものや銀行が信用できるから皆安心して日本円を使用しているけど、
政情不安定で通貨価値が変わる国々では、
ネット上のビットコインのほうが安く信用できるとのことでされているみたいです。

ビットコインイメージ
http://zephyr-01.xsrv.jp/btc-433.html

ただ、なぜそんな事やろうと思ったのか?と聞いたところ、
儲けたいからと返事が。
かつての1ビットの価値は1円にもならなかったけど、
これからはビットコインの需要が上がってきて、価値が上がってくるから、
安いうちに投資して、価値が上がってから換金して儲けるシステムなんだそうです。
株の投資みたいなものかな~と言っていましたね。
今は儲けはほとんどないが、そのうちあると信じて投資したそうです。
だから完全な自己責任なんだとも。
(損したりしても文句は言えないですよね。コインチェックの事件も、確かに取引所に責任はあるかもしれないが、それを信じてそこに投資した自分の責任なのでは?)

私が聞いていて感じたのは、自分は責任負えないし、信用もできないと。
その男性の方は稼ぐスタイルはいろいろあるとのことで、
その責任のうえでやっています。
確かにその考えは分からなくもないですが、
まずは自分の足元を固め、
目の前の仕事を一生懸命貫いて、
コツコツお金をためて行くほうが、
より確実なのでは?
と思います。

最近ではマルチ商法をやっている友人からしつこく勧誘されましたが、
お金儲けと目の前の事に目を奪われ、
好きで始めた仕事の目標を見失っているように思います。
(マルチ商法そのものは悪いとは思っていませんが、その友人の振る舞いが少し残念に思います。)
これも友人の責任の上でやっていることなので文句は言えませんが、
やはり理解できませんでした。

様々な意見や考え方があるので、
私がここで言えることは自分の偏った意見しか言えませんが、
私はそう思います。

最後になりますが、私の父はクレジットカードが嫌いです。
私はそうでもないのですが、
目の前にある現金しか信用できないことからだそうです。
銀行にこそ預けたりしますが、株などの投資はもってのほか。
いくら使ったか分からなくなり、ともすれば際限なく使い、
後で引き落としがドンとくるのが気持ち悪くてたまらないと言っております。
なので我が家ではクレジットカードでお買い物したり、
カードそのものをあまり見たことはありませんでした。
ビットコインも嫌いなんでしょうね。

そんな環境で育ったからか、私もそういう父の考えに近いのかもしれません。
だからやはり私にはあまり関係ないでしょうね。(笑)
ビットコインを通じて、改めてお金について考えてみました。

[K.K]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
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私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
富山県富山市飯野16番地の5
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FAX:(076)451-0543

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〒950-1142
新潟県新潟市江南区楚川甲619番地6号
TEL:(025)283-5311
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