「私の思い出ごはん」

そろそろ夏越の大祓の時季ですね。
弊社の Okei さんは、毎年、この時期には人形(ひとがた)に家族の名前を書き、
身体をさすったり息を吹きかけたりしたものを、神社に奉納し、
知らずに犯した諸々の罪・過ちを祓い清めるそうです。
日本古来の、とても良い習慣ですね。

大祓人形

このブログでは7年前の6月に“水無月”という和菓子について紹介していますが、
このお菓子は、もともと、大祓を行う6月30日にだけいただくものでした。
食べ物というのは、そうやって人々の生活に結びついているのだなと思います。

ところで、少し前に「土井善晴さんのこと」という記事を出しましたが、
昨年末に買い求めた料理本に、ちょっと感心しました。
それは栗原はるみさんの本です。

『冬の日の大ごちそう』

なんとなく畳がイメージに合っている気がして和室で表紙を撮ってみました。

この料理本に掲載されていた「私の思い出ごはん」という特集が、
なんとも郷愁を誘うような記事で、私の心の琴線に触れたのです。

「私の思い出ごはん」

その記事には『玲児さん』とか『友』とか『心平』とか、
ページごとに固有名詞が掲げられ、いくつかの料理が紹介されています。
たとえば、『玲児さん』というページには、
“トマトシチュー”と“イワシのたたき”のレシピが紹介されていて、
「もう50年近く前、玲児さんが初めてごちそうしてくれたトマトシチュー」とか、
「ふつうはアジで作るたたきを玲児さんの好きなイワシで作ってみました」とか、
それぞれの料理について、
そこに掲げられた人物とのエピソードを思い浮かべる形で書かれています。
そして、「こういう料理に出会えたのも結婚したおかげです」と綴られていて、
あぁ、この『玲児さん』というのは旦那さんなんだなと、
読み手である私たちは文脈から感じ取り、なんだか温かくなります。

昨年は春先に『お弁当ばこのうた』という半崎美子さんの歌が軽く流行ったりもしましたが、
思うに、料理って記憶かもしれません。
いや、人生90年として、人間は一生で98,000回ほど食事をしますが、
しっかり記憶されている食事には、なにがしかのエピソードが残っているものです。

試しに、冒頭に登場した Okei さんに思い出のレシピを聞いてみたところ、
“シャケフレークを混ぜたポテトサラダ”とのこと。
なんでも、学生時代、結婚前のダンナさんとのデートの際、
それを弁当に詰めて持って行ったところ、
やんわりと「ナンジャコリャ」みたいに言われちゃったとのこと。
以来15年以上、そのレシピは封印しているそうですが、
いまだに夫婦でその話をすることもあるそうなので、食の記憶、恐るべしです。

まあ、そういう苦い記憶も含め、
心を込めて作ったら喜んでもらえたとか、逆に細やかな心遣いに感動したとか、
何らかのエピソードを伴った食事が記憶に残る食事なのではないかと思うのです。
結局、シチュエーションや相手からの何気ない一言などが機縁になっていて、
料理自体は、案外、簡単なものなのかもしれません。
こう言ってはナンですが、前述の“トマトシチュー”と“イワシのたたき”だって、
わざわざ本を買ってまでレシピを知りたい料理ではありませんが、
著者にとっては、大切な人とのエピソードを彩る料理となるわけです。

そうそう、2009年に初ドラマ化され、映画化されるほどヒットした深夜食堂も、
井之頭五郎の食べっぷりが視聴者の食欲を刺激した孤独のグルメも、
思えば、食を巡る悲喜こもごもというか、
メニューそのものではなく、その背景にあるドラマの部分で視聴者を引き付け、
ものすごい人気を博したのでした。
私なんて、もともとクリームシチューは嫌いだというのに、
深夜食堂で不破万作さんがうまそうに食べるのに釣られて食べてしまいましたし、
孤独のグルメを見て夜中にステーキハウスに行きたくなったりしたものです。

栗原はるみさんのこの本に出てくる『友』というのは、たぶん娘さんの名前で、
そのページには、
「娘の大好物のから揚げ、お弁当に毎日入れました」と書かれています。
担任の先生に弁当を褒められて得意になり、先生の分も持ってくると宣言したため、
母は先生にも作る羽目になったというエピソードも紹介されています。
また、『心平』というのは息子さんで、
「小さいころから料理が好きで食いしん坊だった」と語られていますし、
他に『嫁の美由紀ちゃん』とか『娘婿の加茂君』なども登場して、
それぞれの人物に対するほほえましいエピソードが鮮やかに描かれています。
読者である私たちは、友も心平も、美由紀ちゃんも加茂君も知りませんが、
そういうエピソードは私たちの想像力を掻き立てます。

この本を読んで、食事って大切な記憶なんだということに、
あらためて気づかされました。
さて、みなさんの思い出の食事はなんでしょうか。

[SE;KICHI]

和のおもてなし

先日ある集まりがあり、私はそこへ来られるゲストをもてなす役目を頂きました。
一緒にもてなすメンバーに茶道具屋さんや着物屋さんがおられましたので、
どうせならゲストの方々を着物を着てお茶でおもてなししようということになり、
私は生まれて初めて着物を着る機会を得ました。

前から一度着てみたかったので、すごく着るのが楽しみで気分が上がりました。
当日になり、着付けをしてもらい鏡を見ると、我ながらなかなかの男前で、
まわりの皆さんにも良く似合っていると言われ、
すっかり舞い上がった私はその気になって自然と背筋が伸びました。

和のおもてなし

そしてゲストが来られる前に、お茶の作法の手ほどきを受けました。
お菓子を出す時の向きであったり、お茶碗の柄ごとの向きなど、
ひと通りの事を短時間で教わりました。
初めてのことでしたので、とても新鮮で面白かったです。
ただし、お茶碗が何と、
どれも一個十万円を下らないから気を付けるようにと茶道具屋さんから言われ、
さすがに肝を冷やしました。

それを聞いてからは、実際お茶の持ち運びをする時は作法よりも茶碗が気になり、
人の後ろを通る時には、後ろを通りますとしっかり声をかけて、
ぶつからないように慎重に運びました。

そうこうしながら無事に終わり、ゲストの方々皆さんにとても喜んで頂き、
素晴らしいおもてなしをありがとうとまで言って頂きましたし、私も十分に楽しみました。

実際にやってみた感想は、
お茶は作法や道具からして、
なんて優雅で贅沢な遊びなんだろうと思いました。
私はほんのさわり程度の体験でしたが、
戦国の武将たちがあの時代だからこそ、
深くお茶を楽しみ重んじたのではないかと何となく感じることができました。

着物を着ている時間は4時間程でしたが、
着慣れないものですからずいぶん疲れました。
着物屋さんからは、すごく似合うし、
大人の男のたしなみとして一着ぐらい着物を持つように言われましたが、
今のところ次に着る機会がないので、あやふやな返事をしておきました。
どうせ買うなら自分で着れるようにしたいし、
お茶を始めるなど着物を着る機会を作りたいですからね。
そうなると一着では物足りなくなるような気もしますし、
道具も一式揃えることになるんですかねえ。
うーん、やっぱり贅沢ですね。

[M M]

安かろう悪かろう、か。

子供の教育に費用が掛かるので、
つまり、生活を考えたら子供なんて産んでいられないということで、
日本は果てしなく少子化が進んでいるという状況だそうです。

安倍首相なんかは、
幼児教育を無償化すればもっと子供を産むだろうと思っているようですが、
それはどうなんでしょうか。
前回は大学の無償化について触れましたが、
幼児教育も無償化すれば、日本はよくなるのでしょうか。

私は、本音を言うと、もっといろいろ選択肢があればそれでよいと思うのです。
一時期、教育勅語を暗唱させている幼稚園について賛否両論が出ましたが、
私は、もちろん、そのような幼稚園があっても良いと思うし、
そうでない幼稚園もあってよいと思うのです。
ヨコミネ式しかり、七田式しかり、同じことです。
そういう、いわゆる高級な幼稚園や保育園があったっていいし、
安いところがあってもいいし、タダのところがあってもいいと思うのです。

資本主義社会なのですから、
お金がある家庭はお金を払って、高額な幼稚園に行けばいいのです。
これは小学校以上の教育にも言えることですが、
お金のある方は、高額で高度な教育をお受けになればいいと思うのです。
やっかんではいけません、
国家財政を考えても、そういう家庭が存在することはありがたいことです。
そういう家庭の納税で国が回っているのですから。
一方、経済規模が標準程度かそれ以下の家庭であれば、
月謝が安ければ安いに越したことはないでしょうし、
「タダにしてくれないと子供なんて産めない」という家庭にとっては、
無償で預かってくれる幼稚園・保育園も必要でしょう。

何が言いたいのか分かりますでしょうか。
選べるようにしてくれれば、それでよいという話です。
政府は幼児教育をタダにすればもっともっと子供が増えると思っているようですが、
そんなわけないだろう。
普通の感覚では、子供を幼稚園に預けようとするとき、
まずは教育勅語等に代表される教育方針など、
その学校の運営方針が自分の家庭にあっているか、
そういうことを検討したうえで、自宅からの距離や費用等を勘案し、
各家庭で選び、決めればよいと思うし、そうしていると思うのです。
タダでさえあれば、
たとえば昨年あったような給食が貧しい幼稚園でもいいかと言われれば、
それは、たぶん多くの親御さんが、タダでもイヤだと思うのです。

なんか、こう、いろいろ無償化すればみんな喜ぶみたいな論調が流行ってますが、
現状のすべての子育て世帯が、
「タダにしてくれないと子供を産めない」なんて言っているわけではないし、
全施設をタダにしろなんて言っているわけではないと思うのです。

高校もタダという流れになってきていますが、
考えてみれば、学校教育が充実していれば塾なんて行く必要はないのに、
現状では、大学へ進学するためには学校教育だけでは充分ではなく、
みんな、学校教育よりもはるかに高いお金を払って塾に通っているわけです。
つまり、今後、せっかく高校をタダにしても塾通いの費用がかさむという、
ワケの分からないことになる可能性はあります。

結局、親の金銭的負担は増し、
子供はダブルスクールで疲れるということになります。
それで、いったい誰が幸せなのかという話です。
ダブルスクールなんて、学校へ通いながら夜勤で働くようなものでしょう。
そんな戦後すぐみたいな教育事情で良いはずがありません。
疲弊した子供たちは、「せめて学校に行っている間は眠ろう」と、
授業中にうたた寝をしたり、保健室で休んだりするかもしれません。

いいかげん、国には、
タダならみんな喜ぶよね~という感覚を捨ててほしいのです。
もちろん、均一の水準であれば、安いほうがありがたいのは事実です。
たとえば、100円ショップで売っているような雑貨であれば、
300円で売っても売れることはないでしょう。
それは、その商品には100円の価値しかないからです。
逆に言えば、300円分の価値があれば、
つまり、300円払っても惜しくないとみんなが思うような商品であれば、
300円でも売れるはずなのです。

教育は、それとは違います。
教育とは、もともとレベルにピンからキリまであるものであり、
そのクオリティは均一ではないわけですから、
教育レベルや環境が付加価値ということになります。
選ぶ側はどこに価値を見出すかは自由なので、
必ずしも、タダなら良いということにはならないはずです。

結局、内容がよければ、人々は優先度を変えて自分のお金を使うのです。
「くだらぬものには一銭も出したくない」のは当然のことですが、
その延長線上に、
「くだらぬものはタダでもいらぬ」という感覚もあると思うのです。
やはり、いくら公立がタダであり、私立はお金がかかったにしても、
その教育が良いものであるならば、私立に通わせたくなるのが親心でしょう。
もちろん、各家庭には各家庭の経済力というものがありますから、
そのへんのファクターはあるとは思いますが、
基本的には、各家庭で用意できる範囲の最良を子に与えたいと思うもの。

国には、タダならみんな喜ぶよねという、
資本主義を無視した感覚を捨ててほしいものです。

[SE;KICHI]

叫び声の出し時

弊社の事務所は1階が倉庫になっていて2階が事務所になっています。
先月、事務所のドアを開け階段を下りようとすると、
一羽のツバメが階段の天井付近に止まっていました。
(ツバメのシーズンでもあったので、そう珍しくはない光景です。)

文章にしてみたらなんてことのない平和なシチュエーションなのですが、
ツバメを目にした瞬間、私は息をのみました。
(ヒッ・・・怖い!)

屋外にいるとき、ツバメを怖いと思ったことはありません。
地面すれすれに飛んでいたら、雨が近いのかな~?とか、
軒先でピーピー泣いている赤ちゃんツバメを見たら可愛いなと思います。
ですが、階段室の狭い空間の中、階上にいる私はツバメと位置が近く、
ツバメが私に向かっていつ襲ってくるかわからない状況にとても恐怖を感じました。

ところがです。
図体のでかい私に驚いたであろうツバメもバサバサとパニックになり始めました。
私に向かって羽音を立てながら飛び近づいてくるツバメに、
思わず叫び声を出しました。
「(叫び声)」←キャア?ヒャア??
逃げるように階下に走る私。
外へ逃げようと閉まっている窓ガラスに何度も体当たりするツバメ。
私達は互いに必死でした。
死に物狂いで倉庫に逃げ込んだ私に聞こえてきたのは事務所内にいた人たちの声。
いたって冷静な声です。
状況がわかるととても落ち着いた様子で、
冷静にツバメへの対応をし始めてくれました。

階上で窓を空けてくれたにもかかわらず、
パニックのツバメはおとなしく出て行ってくれず、
せっかく私が逃げこんだ階下に向かってまたバサバサ飛んできました。

姿を見たわけでもないのにやたらと叫び声をあげるアラフォーの事務員。
情けないことに叫び声をあげることしかできませんでした。
同僚は階下にまで降りて来てくれ、迷い込んだツバメを無事、
外の世界へと導いてくれました。

会社で叫び声をあげたのは初めてではなく、幾度かあります。
a.さんが以前、怖いと思うものの話をされていました
、私は突然動き出すものや、突然の大きな音などが苦手です。

つい先日も二階の窓ガラスに、
鳩よりもう少し大きいくらいの大きさの鳥が体当たりしてきて、
結構な大きさの音がしたときも、私ひとり叫んでいました。
悲しいことに、私の叫び声の方が怖いと言われる始末です。

これは外出先に限らず家でも同じで、
主人にも子供たちにも私の叫び声にダメ出しをされています。
ママの声でビックリした、なんていわれることはしょっちゅうで、
主人には私とは絶対にお化け屋敷には入らないと言われています。
「キャー💛」としがみつく可愛い妻、ではなく、
ホラー映画のようなおどろおどろしい、けたたましい、
恐怖心をあおられるような叫び声しか出さないのがわかっているからです。
失礼な!とは思いますが、自分でもそう思うので仕方ないですね。

でも、本当に怖い時は声が出せないのも知っています。
まだ10代のころ、とても怖い経験をしました。
そのとき助けを求めようと叫ぼうとしましたが、
「キャー」と叫ぼうとしたけれど声が出せず、
とにかく声を出さなければと精一杯出した声が「ウォー」
(実際の叫び声は、怖すぎて当時ですら記憶になかったですが)
に近い声だったように記憶しています。

お化け屋敷で可愛い「キャー」を言っているうちは、きっと怖くはないんですよね。
いえ、怖いのに違いはないのかもしれませんが、
まだ余裕があるのだろうと、私は思っています。
本当に怖い時は、恐怖のあまり、
声帯など体中がこわばって、思うように声なんて出せませんもの。

話は随分飛びますが、
我が校区の小学生の子供たちは防犯ブザーと笛を持たされていますが、
本当に必要だなと思います。
危ない時、ちゃんと声を出せる子もいるかもしれませんが、
中には声が出せない子もいるはず。
力で大人に敵わないときは、別の方法で抵抗しなくては身を守れません。
市の安全メールで、カモシカやら熊やらの出没情報のほか、
不審者情報が以前よりも確実に多く回ってきています。
悲しいですがこれが現実です。
自分の身は自分で守らないといけません。
嫌な世の中になったものだと嘆きたくなりますが、
子供のみならず、大人も、いざという時どう対処するか、
考えておかなければいけませんね。

[Okei]

糸魚川

新潟県糸魚川市。
“イトイガワ”って読みます。

別に、それほどの思い入れがあるわけではないのですが、
「糸魚川」っていう地名は変わっているなとは思います。
たとえば「新潟」という県名は、信濃川と阿賀野川の河口の新しい潟という意味だし、
「石川」という県名も、上流から石を多く流す手取川から命名されています。
「富山」も、 かつての中心地であった高岡市から見て山の外側にあったからとか、
まぁ、それなりに予想できそうな由来によって命名されているのに対して、
「糸魚川」のワケの分からなさ加減。
しかも、そんな名前の川が市内を流れていたりはしないらしい。
実際は、糸魚(イトヨ)という魚が市内の河川に多く棲んでいたことからなど、諸説あるようです。

さて、そんな糸魚川市に行ってみました。
実際には、仕事で糸魚川に行ったわけですが、帰りの新幹線までなかなかの空き時間があったということです。

糸魚川駅の待合室で、私はとてもびっくりしました。

まず、目に飛び込んできたのはプラレール。
それも、子供が自宅で遊んでいるようなスケールではなく、
ここはタカラトミーのショールームかっていうくらいの、大プラレール。

プラレール

言っておきますが、ここは無料で入れる待合室。
プラレール車輌がシャーっと音を立てながら走っていますが、
電池の消耗などを考えると、
無料の待合室でありながら、なかなかの経費なのではないかと心配になります。

と、少し奥のほうに目をやると、そこにはHOゲージ。
HOゲージというのは鉄道模型の一種です。
日本ではNゲージという鉄道模型がもっとも普及しているため、
HOゲージは、鉄道模型屋さんみたいな特殊な店に行かないと売っていません。
そのHOゲージが、ジオラマ展開されているのです、待合室の奥に。

HOゲージ

案内文によれば、幅10mにおよぶジオラマのなかで、
大糸線が走る姫川渓谷沿いの地勢を表現し、4線が敷かれているとのこと。
おいおい、大糸線は単線なんだから、4線は過剰だろうと思いましたが、
そのジオラマの精度に免じて黙っておくことにしましょう。

と、ため息をつきながら横に移動しつつ幅10mのジオラマを眺め、
そのまま振り返ると圧巻のNゲージ。
Nゲージというのは、日本で最も普及している、縮尺1/150の鉄道模型。
ここに展示されているのは、7m×7mほどのジオラマで、
糸魚川駅周辺が表現されているものと思われます。

Nゲージ

確かに、実際の糸魚川駅前ってこんな感じのような気もします。
ちなみに、このジオラマをもう少し遠くから撮影するとこうなっています。

運転台

つまり、ジオラマ内の鉄道模型を運転することが可能なのです。
こうなってくると、もはや、各地の鉄道博物館の雰囲気ですよね。
横浜の原鉄道模型博物館にもこんなコーナーがありましたよ。
この糸魚川駅の、しつこいですが誰でも入り込める待合室で、
このクオリティは何なのでしょうか。

なんだかスゴイような気がするという予兆は、実は少し前からありました。
というのも、この妙な待合室空間に入るためのエントランスには、
入り口をふさぐ感じでキハ52という車輌が横付けされており、
その車内を通らなければ待合室に入れない構造になっているのです。
写真で言うと、手前の扉から車輛に入って、
奥の扉から出ないと待合室に入れないというわけです。

キハ52-156 内部

もちろん、車輛内部はそのまま再現されていますから、
客席にも待合室としての機能を持たせているのでしょうが、
なかなかよく作られたモックアップ(実物大模型)だなと感心。

はぁ、なんだかスゴイ待合室だったな、維持にいくらかかるんだろうとか、
やや下品なことを考えながら駅舎から出た私はさらに驚きました。

キハ52-156

さっき、待合室に入るために通ったキハ52のモックアップは、
モックアップなどではなく、実物の汽車で、
車庫に停まっているいる状態で、待合室へのエントランスとして機能している模様。
しかも、車庫から外に向かって線路が敷設してあるところを見ると、
この車輛は、いま、たまたま停車しているだけで、
その気になれば動くんだということです。

もう、なんなのココ。
尋常でない量の鉄道模型が展示されていて、それを運転する体験も可能なうえ、
その場に入るためには、
動態保存されている往年の気動車の車内を通らねばならない、と。
それも、さぞや立派な鉄道博物館の趣向かと思いきや、
ローカル駅の誰でも入れる無料の待合室だと。

いや、新潟県糸魚川市。

別に、それほどの思い入れがあるわけではないのですが、
たまには途中下車するもんですね。
ワケの分からない、驚きの空間が広がっているかもしれません。

ちなみに、弊社の WAKA さんは、
糸魚川ならぬ、お笑いコンビ“イワイガワ”の岩井ジョニ男さんのファンだそうです。

岩井ジョニ男
http://alwaysnewstrend.com/1910.html

すいません、くだらない情報でしたね。

[SE;KICHI]

道徳の教科化

今年度から小学生の道徳が特別の教科となりましたね。
2019年度からは中学校でも「道徳の教科化」が始まるそうです。
この学習指導要領の改訂のニュースを聞いたとき、
私は正直、
えーじゃあ私が受けてきた道徳の時間って何だったん?
と思いました。

道徳の教科化は2011年に起こった大津市中2いじめ自殺事件をきっかけに、
いじめ防止を目的として進められたようです。
また、これまでの道徳の時間は教科書や評価がないことなどから、
他教科に比べて軽視されがちでした。
教科化には検定教科書を導入し質の高い道徳教育を、
着実に行うという狙いもあるそうです。
確かに、小・中学校での道徳の時間って何をしたか全然覚えていないんですよね。
「心のノート(道徳の副教材)」というものは配布されていましたが、
学校でそれを開かされたことはほとんどなく、
中学生のときは別の学級活動の時間に使われていたような…?

そう考えると、せっかく時間割に「道徳」と書いてあるなら、
1時間きっちり道徳教育を行うことは良いことなのではと思います。
文部科学省のHPには、道徳教育について、
「児童生徒が、生命を大切にする心や他人を思いやる心、
善悪の判断などの規範意識等の道徳性を身に付けることは、
とても重要です。」と書かれています。

しかし一方で、国の価値観を子供に押し付けることになるといった、
反対意見もあるようです。
また、「道徳的な価値を自分のこととしてとらえ、
よく考え、議論する道徳へと転換し、
特定の考え方に無批判に従うような子供ではなく、
主体的に考え未来を切り拓く子供を育てる」ことが、
「特別の教科 道徳」の目指すところですが、
これはなかなか簡単ではなさそうで、
指導する教員も悩むところではないでしょうか。

私はというと道徳の教科化の議論を見るにつけ、
たくさんの大人が、
子供たちに「こういうふうに育ってほしい」という考えを持って、
この問題に注目しているんだな~と感じます。
ただそれだけ、です。
自分に子供がいたり、普段から子供と関わる生活をしたりしていれば、
もっと積極的な賛成・反対意見が言えるのかもしれませんが。

しかし自分の子どもの頃のことを考えると、
道徳が教科になろうがなるまいが、
子どもたちにそんなに影響はないのではないか

と思うのです。

私が受けた道徳教育がゆるゆるだったことは置いといて、
先生が教室で言っていたことって、ほとんど心に残っていません。
先生の私個人に向けての言葉はちらほら覚えていますが、
今まで私を指導してくれた先生たち、
何を教えてくれていたっけ?

中学の卒業式の日、担任が何か良いこと言っていたのは覚えているけれど、
具体的に何言ってたんだっけ…?

思い出せないのは私の記憶力が足りないわけでも、
私が不真面目だったわけでもなく、
大体みんなそんなもんだと思うのですが、どうでしょうか?
それとも道徳の教科化反対派が言うように、
知らず知らずのうちに価値観を刷り込まれていたのでしょうか?

私は授業というかたちよりも、
普段の家庭での躾や身近な大人の振る舞い、先生の何気ない言動のほうが、
子供はよく見聞きしていると思うし、
それが子供の生き方に繋がるのではないかと思います。

小学生の頃よく家族で通っていた銭湯は、
券売機にカードを入れてチケットを買うシステムだったのですが、
私はカードを券売機に残したまま、チケットだけ持って立ち去りました。
すると後ろに並んでいたお姉さんが「忘れてるよ」と、
そのカードを渡しに来てくれたのですが、
私はカードを取り忘れたことと、知らない人に話しかけられたことが恥ずかしくて、
お礼も言わずに黙ってカードを受け取ったのです。
それを見ていた両親に「ちゃんとありがとうございますって言わなきゃ」と言われ、
あ、そうだったわー!とハッとしたことがあります。

この出来事の前後で、
私の「ありがとう」と言う回数にどれだけ変化があったかは定かではないですが、
このことは今でも時々思い出しますし、
ちゃんとお礼を伝えられる大人になっていると思います。多分。

こんなふうにほんとーに!些細な、
それでもとても身近な経験のほうが、
いつまでも心に残るのではと実感しています。

そしてそういった経験の積み重ねで、
それぞれの人間が「こういうときはこういうふうにすべきだ」と、
自分の考えを作っていくのでしょう。

そんなわけで(こんなことを言う保護者はいないでしょうけど)
学校でしっかり道徳を教えてくれるから安心だとか
一定の価値観を押しつけるようで不安だとかではなくて、
大人が今持っている自分なりの道徳心を、堂々と行動をもって示せば、
それを子供たちは受け止めて取捨選択をしつつ、
それぞれの規範を作っていくのではないでしょうか。

今回の道徳の教科化は、私にとってその是非はあまり問題ではなかったですが、
道徳や子供の教育について考える良い機会でした。
このブログのために図書館で本も借りましたしね!
1ページ目しか読んでないですけど!

「肝腎なのは徳行(モラル)についての教えを述べることではなく、
誰もがしかるべく自分自身の主人になり、
自分のただ一人の裁判官になるように手助けすることだ。」

(アンドレ・コント=スポンヴィル「ささやかながら、徳について」本書についてより引用)

[a.]

井の中の蛙みたいな話

これまで赤裸々に語ってきましたように、
zumbaボクシングエアロビクスヨガスイミング と、
わりと忙しく、いくつかのスポーツジムに通っている私なのですが、
あるとき、いくつかの不満が重なったことがありました。

zumba は、選曲もコリオ(振り付け)もインストラクターによって違うのですが、
その時期、要はインストラクターのセンスがしっくりこなくて、
踊っていても、もうひとつ弾けきれない感じでした。
エアロビクスでも、どのクラスも、だいたい1~2ヶ月でコリオが変わるのですが、
その時期は、やはりコリオの動作が自分好みではないぐらいのことで、
1~2ヶ月待てばコリオは変わるのに、我慢できなくなっていました。

とにかく、ある時期、そうやって鬱憤が溜まった状態だったわけで、
そんなに不満があるなら同じジムの別クラスに移れば済むことなのですが、
なにしろ、しがない会社員の身、自由に使える時間には制約があって、
また、夜にやっているクラスにも限りがあるため、
ジムを変えずに別のクラスに移るのはなかなか難しいのが実情でした。
そこで、私、短絡的にも、
そうだ、別のジムに移ろうと思っちゃったわけです。

早速、近隣のスポーツジムについて調べ、体験の予約を入れます。
私は筋トレには少しも興味がないので、
ホームページ上に開示されているプログラム表を見ながら、
興味を引くクラスが開催されている日に、体験の予約を入れました。

私が参加したレッスンは「ファットバーン(中級)」。
・・・・・・名前だけ聞いてもどんなレッスンか分からないのですが、
“fat” を “burn” する、つまり脂肪を燃焼するクラスなんだそうです。
私は、脂肪を燃焼したくてジムに通っているわけではないのですが、
よくよく確認すると内容としてはエアロビクスということなので、これに参加。
まぁ、初めてのジムにやってきたというアウェー感に少し緊張しながらも、
これまでのスポーツクラブでは最高難度のクラスに参加していたという自負から、
多少もたつくことはあっても、すぐに慣れるだろうと思っていました。

この話は1年以上前の話で、
今から振り返ってみれば、浅はかな自負だったなぁと、恥ずかしく思います。
エアロビクスも、
たとえばSインストラクターはパドブレステップを多用するとか、
Kインストラクターはやたらピボットターンを入れるとか、
インストラクターによって好みのステップがあるものです。
それに、インパクト(強度)の入れ方もインストラクターによって異なっているので、
はっきり言って、最高難度のクラスに参加していたとはいえ、
どのインストラクターに習うかによって、
実はその難易度にはかなりのバラつきがあったと思われます。

この体験参加した「ファットバーン(中級)」、
担当のNインストラクターは、
ジャンプは多くないものの、面転換を多用するタイプでした。
つまり、強度はそこまで強くはないものの、
とにかく着地した足をそのまま置いておかないインストラクターで、
着地した足を蹴り上げながら方向転換するステップが多く、
私は全然ついていけず、惨憺たる有様でした。
ザックリ言えばセンスの問題。
情けなく、暗い気持ちになったものですが、
プログラム終了後、スタジオ出口で、
そのNインストラクターから掛けられた言葉が、
「エアロビクス、お上手なんですねぇ」でした。
・・・・・・そりゃ、やったことのない人よりは上手かもしれないけど、
私自身は意気揚々と、余裕の気分でチャレンジして玉砕したわけなので、
リップサービスだと分かりながらも、その言葉に屈辱を感じる私。

結局、井の中の蛙とはこのようなことだなと反省し、
ジムを移ることをあっさり断念した私です。
いまでも、元のジムのエアロビクスクラスに通っております、ハイ。

その、井の中の蛙事件があって以降の私は、なかなか謙虚なものです。

これは、もうそろそろ履歴書に書いてもいいような趣味だと思うのですが、
出張先で、その日の晩に接待などの予定が入っていない場合、
私は現地のスポーツジムを訪れ、プログラムに参加します。
出張先だと食生活が偏ったりしますからね、
zumba でもボクシングでもエアロビクスでも、なんにでも参加します。
その時の私は、かつてのように、
自分はそこそこできる、なんて思っていません。
zumba もエアロビクスも、選曲からコリオまでインストラクターによって違うのだし、
インストラクターによって好みのステップがあるものです。
初めて立ち寄るスポーツジムで、私がそんなことに順応できるはずがありません。
だから私は、謙虚に、習うつもりで参加しています。

つくづく、謙虚ということは大事なものだと思います。
仕事でも何でも、こんなの簡単だぜ!とか思って舐めていると、
足元をすくわれるというか、思わぬ失敗をするものです。
堅実に、自分ができるレベルのことを淡々と重ねていくことが、
実はいろいろな面で成功の近道となるのかもしれません。

ちなみに、実に謙虚な私は、初めて行ったジムで、プログラム冒頭、
「初めての方、いらっしゃいますかぁ?」と呼びかけられると、きまって挙手します。
いや、まぁ、そのジムのそのプログラムは初めてですから。
「エアロビクス自体が初めてですか?」と重ねて聞かれると、
『ちょっとだけ・・・』と答えます。
嘘つきのような気もしますが、ビッグマウスよりは謙虚でいいでしょう。
最終的に動き始めると、“初めてにしてはうますぎる”ので、
「あの人ナニ?」と、二枚舌みたいに思われるわけですが。

[SE;KICHI]

一流

最近とても心が温まった話があります。

先日、以前勤務していた土木工事会社に勤める高校の先輩から、
一本の電話がありました。
なんでも、社長が勤務中に脳出血で倒れてしまったとのこと。
驚く私に先輩は状況を説明してくれました。
現場で手足が痺れて立てなくなり、すぐ病院で手術になり、
一命は取り留めたものの、半身と呂律の痺れが残り、リハビリに励むしかないとか。
まだ51歳の方ですが、年齢なんて関係ないというか、恐ろしいものです。

高校時代、ラグビー部のマネージャーをしていた同級生の父でもある社長は、
自身も同校ラグビー部出身ということもあり、
以前より息子のように可愛がって頂き、
その縁で卒業後しばらく面倒を見て頂いた経緯があるので、
今回の件は私にとっても只事ではありませんでした。

集中治療室から出れても、
本人が人と会うと気を使ってかなり疲れてしまうらしく、
面会は避けてほしいと奥さん。
仕事も多くの現場を抱えていて、
ただでさえ少人数の会社なのに、
より大変なことになっていると従業員の皆さん。

何か力になれないかと考えましたが、
平日は本職があるのでやれることは少なく、
せいぜい皆様のお話を聞くことしかできないままの自分。
ほとんど何もできないと考えると、力不足を痛感しました。

前置きが長くなりましたが、そんな中、
私、SNSのツイッターをやっているのですが、
知り合いかも?というフォロワー予測欄に、
口髭が特徴の、元ラグビー日本代表・林敏之氏をたまたま見つけました。

林氏は、ラグビーの世界では有名で、
現役の頃も世界選抜に選ばれるほど、世界でも名の通った方でした。
数々のタイトルを所属した各チームで獲得、
第1回大会のラグビーワールドカップの日本代表主将も務めた経歴の持ち主ですので、
私はもとより、社長の世代も含めた大スターです。

林敏之さん
https://www.jiji.com/sp/d4?p=jws825-hayashiimg020&d=d4_uu

いわゆるフォローと呼ぶ友達申請をしましたが、
なんとその林氏からもフォローしてもらい驚き!
有名な方はなかなか一般の人にフォローしないことが多いので、
それだけでも興奮するのに、ましてやあの林氏ですから…!

ここまでは完全ミーハーの私。
嬉しさのあまり直接メッセージを送り、感謝の思いを伝えました。
それだけでも良いと思いましたが、
さらにそれに対して、よろしく!と返事までもらいました。

その時、興奮していた私は妙に冷静に閃きました。
あ、いま病気と闘っている社長に何かできるのでは?と。
少し欲張り過ぎかなと、少しだけ逡巡しましたが、
せっかく繋がれたのだからと、そのままメッセージ内で林氏へ、
自分もかつてラグビー経験者でした。
いま、その先輩であり、前の職場でお世話になった社長が大病をし、
苦しみながら病気と闘っています。
元気を出していただきたいので、どうかエールを送って頂けませんか?

と送りました。

するとすかさず林氏のからこのようなお言葉が。
特に送れるエールも無いのですが、楽しく苦しく美しく、で楽苦美です。
苦しさ楽しさを乗り越えて美しいトライや美しい友情が生まれたように、
人生も楽しさ苦しさを味わい尽くしてこそ、美しくなるのだと思います。
美しい人生をとお伝え下さい。


私は改めて驚き、そしてとても心が温まるように感じました。

まず、どこの馬の骨か分からないこんな自分や、
その先にいる会ったこともない社長に対して、
このような素敵な内容文を送ってくれたことに。

そしてまるで、目の前にいる1人を全力で励ますかのような振る舞いといいますか、
距離や立場を超えて、直接関わりない人をも、
瞬時にここまで励ませるんだと思うと、その心に感動しました。

ああ、やはり一流の人は違うな、
これがそうなんだな
と思いました。

すぐに社長の奥さんにやり取りのことを伝えました。
社長は大変喜んでくれたそうで、前を向いてリハビリに奮起していると聞きました。
エール文を送って頂いた林氏には本当に感謝です。
ありがとうございました。

できることは少ないことかもしれませんが、
人生の苦境に立っている人がいたら、それをどんな人だろうと全力で励ます、
その一流の心を、私も学び、実践していきたいものです。

[K.K]

“おもてなし”のジレンマ

少し前、ちょっとそそのかされて講習やら試験やらを受け、
“おもてなしエキスパート”という称号をいただく機会がありました。
その試験は運転免許の学科試験くらい簡単なのですが、
試験とは別に、改めて“おもてなし”について考えてみると、
意外と奥が深いというか、ジレンマを抱えているような気がします。

これまた少し前、さりげなく台湾に行ってきたのですが、
現地でランチを食べようと寄った屋台みたいな横丁でのこと。
そこのレストランでは、ランチのセットということで、
A~C の3つから好きなメイン料理を選べるようになっていて、
私は、A の菜脯蛋(切干し大根入り卵焼き)にするか、
B の蔭鼓蚵仔(牡蠣のモロミ炒め)にするか、
けっこう悩んだ末に、B の牡蠣を選びました。
ほどなく運ばれてきた牡蠣は確かにおいしいものでした。
しかし、私は、選ばなかった A の卵焼きが気になって仕方ありません。
長い滞在ならまた今度にしようと思ったかもしれませんが、
そのときの滞在期間はたったの2日だったので、
私は店員さんを呼び、思い切って言ってみました。
そっちも食べたい、と。

というのも、周囲で食事をしている台湾人を見ていると、
たとえば「このおかず、おいしいからもっとくれ」とか、
「これは口に合わないから減らしてちょうだい」とか、
食べている最中に店員さんを呼び、
意外と好き勝手に何か要望している感じがしたのです。
呼ばれた店員さんも、それを増やしたり減らしたり、
お客さんの要求に応えている感じだったので、
もしかしたら、頼めばどうにかしてくれるシステムなのかもしれないと思い、
勇気を出して A の卵焼きも食べたいのだと言ってみたわけです。

結果、どうだったか。
店員さんは私に「OK!」と言い、私の前に空の皿を置いてから、
いったん厨房に去ったあと、鍋を抱えて再び現れ、私に言いました。
「どれくらい入れましょうか」と。
店員さんは私の指示通りの量の卵焼きを皿に盛りつけ、
そしてさらに、こう言うのです。
「C の客家小炒(豚肉と堅豆腐の炒め)もおいしいよ。要るかい?」と。

つまり、ちょっと欲しがった A の卵焼きを気前よくもらえたばかりか、
C の豚肉の炒め物もくれるというのです。
しかも、その分の追加料金などはいらないと言うではないですか。
日本ではどうでしょうか。
まず、B のセットを注文しておきながら、A のおかずも欲しいと申し出たところで、
おそらく「そういうのはちょっと・・・」と断られるのがオチでしょう。
それでも、どうしても食べたければ、
その分の追加料金を支払うからと食い下がるかもしれませんが、
「すいません、そういうのはやってないんで・・・」と言われるに違いありません。
おそらく、そういうイレギュラーはマニュアルに載ってないのでしょう、
マニュアルに載っていないことは不可ということですね。

これは、店側の都合ですよね。
そのおかずが、そこにないわけではないでしょう。
提供している以上、そこには必ずあるはずです。
しかし、それを提供できないというのは、
提供できないのではなく、店側の都合で、提供しないということです。

もちろん、私も組織で働く人間ですので、
ガバナンスというか、マネジメントの観点から、
顧客からの妙な要求に全部応じていたら収拾がつかぬというのは分かります。
そして、そのことが、日本の社会のなかで、
ある程度の正当性を持っているということも知っています。
そのうえで、私が言いたいのは、
日本ってそんなもんだということです。

近年、日本の“おもてなし”は丁寧で立派だと喧伝されていますが、
それは果たして本当でしょうか。
たとえば、テレビの「老舗旅館の美人女将特集」などを見ていると、
朝は早くからお客を送り出し、車が見えなくなるまで頭を下げ、
昼間は小走りで、料理を試食したり、花をいけ替えたりと休みなく、
夕方は新たなお客が到着するのを、玄関でお出迎え、
夕食時は各部屋を回って「女将でございます」と挨拶してみたり。
それを見ると、女将というのは忙しい仕事なのだなと思うのですが、
私には、その、女将が繰り出すサービスが、
顧客のニーズに合っていないこともあるのではないかと思えるのです。

多様性の時代ですから、顧客のニーズなんて、様々。
たとえば、夕食なんて半裸でテキトーに食べたいときもあるでしょう。
そういうとき、女将によるお部屋訪問は迷惑千万です。
もちろん、そんなの一律にやめちまえという乱暴な話ではありませんが、
いろいろなタイプのお客が来るでしょうから、
紋切り型の接客はベストではないはずです。
私も、宿泊先の温泉旅館のおもてなしの一環ということで、
女将手作りだというサシェをいただいたことがありますが、
それは果たして、顧客(私)のニーズを汲み取ったサービスなのでしょうか。
私がそれを喜びそうに見えたとでもいうのでしょうか。

そういう意味で、日本の“おもてなし”は繊細で丁寧で立派だと、
日本人としての誇りとともに紹介されたりしていますが、
それは、ちょっと贔屓目ではないかと思うのです。
少なくとも、欲しがってもいないサシェをお客に渡すことが、
繊細なおもてなしであるとは、私にはちょっと思えません。
それよりも、欲しがっているお客に欲しがっているものを与え、
「なんならもっといるかい?」と気さくに尋ねる、小汚い台湾の屋台のほうが、
よっぽど顧客本位というか、お客のニーズに寄り添っている感じがします。

上品で高級感あふれた演出が“おもてなし”でもないだろうと、思うのです。
そういう意味で、サービスが独りよがりになっていないか
それが本当に顧客のニーズを捉えているのか、
けっこう重要なポイントかもしれません。

[SE;KICHI]

新しい命

ゴールデンウィークはどのように過ごされましたか?
家族で出かけた方、家でゆっくりされた方、
楽しかった方、後悔した方、
いろいろいらっしゃると思います。

私は、滋賀に行っておりました。

琵琶湖観光でも彦根城観光でもありません。
妊娠して里帰りしている妻の出産予定日が5月3日だったため、
その妻のもとに行ったのでした。

出産に立ち会いたいと思っていましたが、
初産のため、
予定日より何日も遅れて産まれることも十分考えられたので、
まあゆっくり一緒に過ごせたらいいかなという気持ちでした。

が。

まるで私が来るタイミングを見計らったかのように、
私が到着する少し前に妻のお腹に鈍い痛みが出始め、
それがだんだんと強くなり。

定期的のような不定期のような痛みで、
前駆陣痛なのか本陣痛なのかその時はよくわからなかったのですが、
後から思うと、わりと最初のほうから本陣痛だったみたいです。

病院は車で5分かかるかどうかくらいの位置にあるので、
我慢できなくなったら連絡してくださいと言われ、
ある程度耐えてから、妻と、妻の母とその病院へ。
着いたのは22時頃だったと思います。
診てもらったところ、子宮口が半分ほど開いているので、
すぐに分娩台に上がり、そのままお産に進む流れに。

思いのほか順調に来て、すんなりいきそうだと思ったですが、
まあやはり初産、すんなりとはいかず、
ここからが長かった。
なかなか7cmより大きく開いてくれず、耐える時間が続きました。

出産の場で夫ができることは、
妻の手を握って一緒にいることくらい、と聞いていたので、
できることはやってあげたい、と、妻の手を握りました。

すると妻が一言。

「ベタベタして気持ち悪い」

あ、そうですか…。

汗かいてたんですよね。
ごめんねと言いながら手をふき、何度か握ってみますが、
やはりべたつくようで。。。

こういうパターンもあるんだなあとショックはありましたが、
痛さでイライラしていることはよくわかったので、
受け止めながらサポートできることをし続けようと、
水分いるかこまめに聞いてお茶を飲ませたり、一緒に息や声を出したり。
(この病院ではヒ、ヒ、フー、というラマーズ法は行いませんでした。)

そして5時間ほどかけてようやく子宮口が全開になりました。
しかし卵膜が丈夫で、その段階でも破水しておらず、助産師さんの手で破水。
それでも赤ちゃんが大きかったため、最後のいきみも何度も繰り返し、
へとへとな中、力を振り絞って、午前4時22分、
ついに出産!!!

トータルの時間は初産としては特別長くはなかったのですが、
つらい部分に時間が長くかかったお産でした。

ずりゅんと出てきた赤ちゃんは青っぽく、大きい。
感動して涙が出る男性もいると聞きますが、私が思ったのは、
この大きさのものがどこから出てきたの?ということと、
女の子だったのですが、ん~、男の子っぽい顔だなあ…ということ。。
自分の子という実感は薄く、なんとも不思議な感覚でした。

まあ何よりも、無事に出産できてホッとしました。
すべての「お母さん」が出産を経験していると思うと、、すごいと思います。
出産した病院は夫と両親は24時間面会OKだったので、
GWが終わるまでの期間はほぼ妻と一緒に過ごせました。

数日の間にも娘の顔は変わっていき、生まれた時の印象とはだいぶ変わりました。
今後が楽しみです。

出産後にわかったこと。
驚いたことに、お産を担当してくださった助産師さんが、5月4日産まれだったんです。
そしてなんと旧姓が私の苗字と同じでした。
さらに。私が富山に戻る日にサポートを担当してくださった助産師さんに
娘の名前を聞かれ、「○○です」と答えると、すんごく驚かれました。
名札を見ると、名前が○○子さん。
違いは子が付くだけで、ほぼ同じ名前。(漢字は違いますが)
「それだけじゃないんです!私誕生日同じなんです。5月4日。」
「こんなことあるんだ、鳥肌立った笑」
個人病院で同じ誕生日の助産師さんが2人いることも不思議ですが。

この子は産まれるべき日に産まれるべき場所で産まれてきたんだなと、
感じざるを得ませんでした。

どうなるかと思ったゴールデンウィーク。
徹夜がこたえて食欲が落ちたり、かなり久々に口内炎ができたりしましたが、
良い経験ができ、新しい人生の一歩を踏み出す期間となりました。

滋賀から富山に帰るときには、
しばらく病院に止めていた車には鳥のフンがぼたぼたと。。。
私の車は古い軽自動車なので、父の車を借りてきたのですが。。。なんてこった。
無事に出産できたので文句は出ませんでしたが。
ガソリンを入れるついでに洗車して帰りました。

何はともあれ、娘のこれからの成長が楽しみです。
私もこれから父親として、夫として、人として、
成長していきたいと思います。


[Monsieur]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
富山県富山市飯野16番地の5
TEL:(076)451-0541
FAX:(076)451-0543

■新潟営業所/
〒950-1142
新潟県新潟市江南区楚川甲619番地6号
TEL:(025)283-5311
FAX:(025)283-7469



URL:http://www.kk-seishin.com/

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR