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飛鳥の執念⑤ ~妹萌え

この『飛鳥の執念』というのは、ものすごくスパンの長いシリーズですので、
もう忘れている方も多いかと思いますが、
初回、鸕野讚良(持統天皇)から始まって、
前回は4代あとの白壁王(光仁天皇)まで来ました。
次は平安京を開いた桓武天皇ですから、もはや飛鳥とは言えません。

シリーズ名に忠実に、話を飛鳥に戻しましょう。

ところで、初回の記事で、
鸕野讚良が、天智天皇の娘でありながら、その弟の天武天皇に嫁いだとか、
しかもその際には実の姉である大田皇女と2人一緒にだったとか、
天武天皇との間の息子・草壁皇子の妻に、自らの妹・阿閇皇女を迎えたとか、
なんというか、現代ではありえない、とろみのついた婚姻関係に、
いささか驚かれた方も多かったようで、
何人かの方からもっと詳しく教えろと言われたものです。

しかし、姉とともに叔父に嫁ぐとか、自分の妹を息子にくっつけるとか、
一見、なんでもアリに見えますが、タブーはあったようです。

645年、中大兄皇子(のちの天智天皇)は中臣鎌足らと謀って、
母・皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺するというクーデターを起こします。
義務教育を受けた方ならご存知の、乙巳の変(大化の改新)です。

この皇極天皇と蘇我入鹿は仲良しだったので、
ショックを受けた天皇は退位を決断します。
天皇は息子である中大兄皇子に譲ろうとしましたが、
中大兄は辞退して、皇極天皇の弟・軽皇子を推薦しました。【回避①】

これを受け、皇極天皇は皇位を軽皇子(孝徳天皇)に譲ります。

この孝徳天皇は中大兄皇子にとっては母の弟、つまり叔父にあたりますが、
その皇后(正妻)の間人皇女は中大兄皇子の妹ですので、
中大兄皇子にとって孝徳天皇は義理の弟でもあります。

即位後、孝徳天皇は飛鳥から大阪・難波宮に遷都します。
中大兄皇子は孝徳天皇の下で皇太子となり、
いわば名実ともに次期天皇の立場に立つのですが、
この2人の中はすこぶる悪かったため、
ある時、怒った中大兄皇子は難波宮から飛鳥に帰ってしまいます。
中大兄皇子には多数の臣下が同行し、天皇にダメージを与えましたが、
なんと中大兄の母・皇極天皇と妹・間人皇女も中大兄皇子側についており、
つまり、孝徳天皇にしてみれば、姉ばかりか妻までも、
自分を捨てて中大兄皇子について行ってしまうという屈辱。
ショックを受けた天皇は体調を崩し、そのまま病死してしまいます。

そこで、順当なら皇太子である中大兄皇子が即位するはずですが、
彼はまたしても辞退し、皇位を再び母・皇極天皇に戻します。【回避②】
退位した天皇が再び即位するなんて、異例中の異例です。

再度即位し、皇極改め斉明天皇となった母でしたが、
高齢だったため、実際の政治は皇太子である中大兄皇子が摂りました。
そんなことなら自分が即位すればいいじゃんと思いますが、
7年後に母・斉明天皇が崩御した後も、
“代理”みたいな立場を維持し、中大兄皇子は即位しません。【回避③】
天皇が空位になるなんて、それこそ異例中の異例です。

結局、中大兄皇子が天智天皇として即位するのは、
母・斉明天皇が崩御してから6年半後、645年の最初の辞退から23年後でした。

どうしてそこまで中大兄皇子は辞退するのでしょうか。

一説には、
中大兄皇子が妹・間人皇女と姦通していたから
だと言われています。
この時代、姉とともに叔父に嫁ぐとか、妹を息子にくっつけるとか、
そういうのはOKだけれど、
さすがに、夫のいる実の妹、しかも皇后とどうにかなっちゃうのはちょっと……
国民が許さないだろうと、
そういう配慮で即位を遅らせていたのではないかと、そういう説です。
その証拠に、中大兄皇子は間人皇女の死後に即位しています。

まぁ、要するに、この時代、近親相姦はわりと普通なのですが、
なんでもアリではないということをお伝えしたかったのでした。

何とも言えない気分ですよね。
私はこの時代が好きで、
この時代を背景にした大河ドラマとか、作ってくれないだろうかと思っていて、
脳内では、主役の鸕野皇女に菅野美穂あたりを配役するなど、
プロデューサー気分で製作しているほどですが……
この近親相姦を知ってしまうと、
その時代には普通のことだったとしても……
ドラマ化は無理かなぁと……菅野美穂、出てくれないだろうなぁ……
中大兄皇子、佐藤浩市とかどうかと思うんだけど……
ただれてるしなぁ……無理だろうなぁ……

[SE;KICHI]

飛鳥の執念④ ~アホは急に賢くならぬ

少し前の話になりますが、
加来耕三さんという歴史作家の方の講演を聞く機会がありました。

その中で印象に残ったのが、何度も繰り返される、
アホは急に賢くはならないんでございますという言葉。

織田信長しかり、坂本龍馬しかり、諸葛亮孔明しかり、
日本人に人気のある歴史上の人物には、
たいてい、「若いころはアホでどうにもならなかった」という、
破天荒エピソードがついているものですが、
加来耕三さん曰く、「そんなわけないだろう」と。

なるほど、と思うのです。

私自身は、信長の生涯にも龍馬の生涯にもそれほどの関心はないのですが、
最終的に歴史に名を残すような傑物の前半生が暗愚であったはずはないと思うので、
実際のところ、正真正銘のアホだったわけではないだろうと思います。

おそらくは幼少時から、傑物としての片鱗は見せていたはずでしょう。
ただ、大人物であったことをより強調する演出として、
あとから、前半生のダメだったエピソードを付け加えたのかもしれません。
日本人はそういう一発逆転エピソードが好きですからね。

では、信長や龍馬の前半生が美化されたものであったとしましょう。
そうではなく、本当に前半生がダメだった歴史上の人物というのはいないのでしょうか。
・・・いたかもしれませんよね。
しかし、前半生が本当にダメであったなら、歴史に名を残すのは難しいと思うので、
仮に、ある人物の前半生が正真正銘のダメであったとすれば、
そのダメな感じは、“世を忍ぶ仮の姿”的な演技だったのだろうと思うのです。

アホの振りをしていたというのは、あり得る話だなと思うのです。

私は思い出すのは信長でも龍馬でもなく、白壁王です。
以前紹介した持統天皇のひ孫にあたるのが、奈良の大仏で有名な聖武天皇ですが、
その娘に井上内親王というのがおりまして、白壁王はその夫です。
実は井上内親王の異母姉妹が、時の天皇である女帝・孝謙天皇なのですが、
権力争いに巻き込まれるのを嫌った井上内親王は、
わざわざ出世が大変遅く、権力争いに巻き込まれそうにない白壁王と結婚したわけです。

この時期は天皇家周辺に陰謀と暗殺が渦巻いた時代で、
何かと言いがかりをつけられ、多くの有能な親王が粛清されていましたが、
そんななかで、白壁王は、毎日酒を飲んでゴロゴロし、
無能さをさらけ出していたため、粛清の対象にならずに済みます。

その結果、どうなったか。
独身の女帝は後継者を指名せずに亡くなってしまいますが、
相次ぐ粛清のせいで有能な親王たちはこの世にはおらず、
なんと、異母姉妹の井上内親王のつながりから、
白壁王に時期天皇の座が転がり込んできたのです。
光仁天皇としての即位は62歳というので、当時としては超高齢での即位です。

でも、これだと、運の良いアホだったのか、アホの振りをして雌伏していたのか、
本当のところはわかりませんよね。

しかし、私は、
白壁王はアホの振りをして雌伏していたのだと思っています。

なぜなら、この白壁王、光仁天皇としての即位後、
突如として有能なところを発揮し、キナ臭いこともやってのけているからです。

たとえば、皇后になった井上内親王と、後継ぎの皇太子・他戸親王を幽閉し、
若いころからの側妾である高野新笠に生ませた山部親王を新たに皇太子に据えるなど、
単なる“呑んだくれ”とは思えない、意外とゴリゴリしたこともやっています。
この山部親王が、平安京を整備したことで有名な桓武天皇なので、
後継者の能力を見抜く目はあったということでしょう。

要するに、白壁王は、
アホの振りしておとなしくしていたら、
60過ぎて天皇に指名されちゃった
という人です。

何はともあれ、アホは急に賢くはならないという言葉は意外と深く、
学ぶべきことがあると思うのです。

たまに、龍馬の生きざまに心酔している若い方などが、
龍馬にあやかっているつもりか、
ただ感情の赴くままに振る舞っているケースがあります。

やはり、アホな振りをするというのと、
アホだというのは違うでしょう。


何も考えずに龍馬を真似してアホになっちゃうと、
おそらくその先に待っているものは単なるアホなのです。

気をつけないといけません。

[SE;KICHI]

飛鳥の執念③ ~強い執念は叶う

昨年の6月末に続いて、今年の4月に鸕野皇女について書きました。
歴史上、マイナーな人物ですので自由に書かせてもらって、
反響はないだろうと踏んでいたのですが、
それなりに感想をいただきまして、実は密かに驚いています。

鸕野皇女は、自分の息子・草壁皇子を皇位につけるため、執念を燃やした女性です。
そのために、姉の子である大津皇子などを次々と抹殺し、
息子のためにガンガン道を切り開いてあげました。
ところが、その草壁皇子は即位目前にして死んでしまいます。
鸕野皇女、どんなにかショックだったことでしょうね。
しかし、気を取り直し、自分が急遽即位して持統天皇となり、
今度は、亡き我が子・草壁皇子の子、つまり自分の孫の軽皇子に皇位をつなぐため、
再び執念を燃やすのです。
ここまでは前回書きました。

その執念は実を結び、
鸕野皇女すなわち持統天皇は、15歳になった孫の軽皇子に譲位することに成功します。
息子・草壁皇子の血筋を絶やさずに済んで、さぞかしホッとしたことでしょうね。

ところが、祖母の執念によって15歳で即位した文武天皇でしたが、
祖母の死から5年後、あっさりと病死します。
次代を担うはずの子・首皇子はまだ6歳、即位には早すぎる。

そこで、再び執念を燃やす人物が登場します。
阿閇皇女です。
阿閇皇女は草壁皇子の妻。
つまり、死んだ文武天皇の母であり、首皇子の祖母にあたります。
歴史は繰り返します。
この阿閇皇女、気を取り直して、自分が急遽即位して元明天皇となり、
亡き我が子・文武天皇の子、つまり自分の孫の首皇子に皇位をつなぐため、
再び執念を燃やすのです。

持統天皇(鸕野皇女)と元明天皇(阿閇皇女)、似てますよね。
まぁ、2人は草壁皇子を介して嫁姑の関係でありながら、
実の姉妹でもあったので、似ていて当然と言えば当然なのですが、
早くに死んでしまった息子に代わり、皇統を守るために執念を燃やす、
その行動パターンの共通性は恐るべきです。

しかし、考えてみれば、歴史とは、ほとんど執念でできているような気がします。

現在の私たちの生活には、歌舞伎などの伝統芸能の世界を除けば、
皇統をつなぐというような重要な役目は課せられていないのが普通ですが、
たとえば一代で大を為した方などの成功譚を聞いても、
執念が重要な役割を持っているようです。
執念という言葉がイヤらしく聞こえるなら、熱意でも使命感でもいいのですが、
ハッキリと目的を設定して熱意を持って取り組む人は、
やはり強いなぁと思います。

邪魔者は抹殺、というのはやりすぎですが、見習うべき点はありますよね。

元明天皇が執念を燃やして維持しようとした系譜は、
故文武天皇の姉の人生をも犠牲にすることで、なんとか孫の首皇子までつながります。
この首皇子が、教科書で有名な、東大寺を建立した聖武天皇です。
またしても、強い執念は実ったのです。

[SE;KICHI]

飛鳥の執念② ~気持ち悪いなっ!

昨年の6月末に、「鸕野皇女」という人物が好きだと書きました。

どれくらい好きかって、
脳内で鸕野皇女の大河ドラマをプロデューサー気分で製作しているほどです。
たとえば、鸕野皇女役は菅野美穂なんかどうだろうとか、
その夫の天武天皇役は…坂口憲二? などと考えています。
われながら、変わってるなぁという自覚はあります。

さて、この鸕野皇女について。
彼女は中大兄皇子の娘なのですが、大田皇女という姉がいます。
鸕野皇女は、姉・大田皇女と二人揃って、父の弟である大海人皇子の妻となります。

姉妹で同じ人に嫁ぎ、しかも相手は叔父という、
現代の感覚ではかなり倒錯した婚姻ですが、当時はそれなりに一般的でした。
ただ、姉妹で夫を共有したためか、姉妹にはライバル感覚が生まれます。

鸕野皇女は草壁皇子という息子を生みます。
定説では愚鈍で病弱だったとされています。

一方、ライバルの姉・大田皇女のほうは、
大伯皇女と大津皇子という、健康で聡明な二子を生みました。

鸕野皇女は自分の子と姉の子を比べ、さぞかし焦ったことでしょう。
しかし、大田皇女自身が早くに病死してしまったことで、
パワーバランスというか、関係性に劇的な変化が生じます。

鸕野皇女はチャンスだと思ったことでしょう。
姉妹の夫・大海人皇子はすなわち天武天皇ですから、
姉妹の子は皇位継承権を持っているわけで、
姉の大田皇女が亡くなった今、
後ろ盾を失った大津皇子よりも、わが子・草壁皇子が俄然有利だと。

確証を得たい鸕野皇女は、
夫の天武天皇に草壁皇子を後継指名するように頼みますが、
天武天皇にしてみれば聡明な大津皇子もかわいい息子に違いないので、
なかなか草壁皇子を後継指名しません。

焦った鸕野皇女はどうしたか。
時期をみての実力行使に出るのです。

夫・天武天皇の崩御後、
すぐさま、大津皇子に謀反の罪を着せて死に追い込み、
その姉・大伯皇女には巫女を命ずることで皇籍を剥奪しました。

鸕野皇女は、要は、かわいい我が子の天皇即位のため、
ライバルをどんどん抹殺していったというわけです。

ところが、
そうまでして次期天皇への道をお膳立てしてもらった草壁皇子も、
なにせ病弱で、即位前にあっさり死んでしまうのです・・・


……どうでしょうか。

話の内容はともかく、みなさん、登場人物、どれだけ知っていましたか?
かなり登場人物を絞って書いたつもりですが、
それでもなかなか整理しにくかったのではないでしょうか。
私は、書きながらかなり愉しかったのですが、
大津皇子なんて、普通の人は知らないのではないでしょうか。

そう思っていたら、私の向かいに座っている、
2ヶ月ほど前から来ていただいているパートさんが、
特にそんな話をしていないタイミングで、
突然、「私、大津皇子とか興味あるんですよね」と言い出しました。

!!!

自分と似た趣味の人に出会ったわけですから、
本来なら大津皇子談義に花を咲かせるところなのでしょう。

しかし、
誰もいないと思っていた旅行先で知人に出くわした感じというか、
貸し切りだと思っていた露天風呂に誰か入ってきた感じというか、
あまりに先鋭化した、狭い特殊な領域で出会ったため、
なぜか似た趣味の人の出現に動揺してしまい、
「おわっ、気持ち悪いなぁ」という感じになってしまったのでした。

[SE;KICHI]

飛鳥の執念① ~シンデレラストーリー?

タレントに「神田うの」という方がいらっしゃいますよね。

“うの”という珍しい名は本名で、
歴史上の人物である「鸕野讚良(うののさらら)」からとったそうです。

「鸕野讚良」
私も昔から、この女性にかなり関心を持っています。

鸕野讚良は中大兄皇子(のちの天智天皇)の娘で、
13歳のとき、叔父である大海人皇子の妻となり、
18歳のときに「草壁皇子」を産んでいます。

夫・大海人皇子は、「壬申の乱」を起こし、
兄の子(大海人皇子にとって甥、鸕野讚良にとって異母弟)である
大友皇子を破り、天皇の地位を手に入れ、天武天皇として即位します。
同時に、鸕野讚良は皇后としての地位を手に入れます。

鸕野讚良は、天皇を輔弼する政治家として、
非常に有能であったと言われていますが、
母としては、天武天皇から我が子の草壁皇子に皇位を伝えることに
執念を燃やします。

当時は一夫多妻制だったため、草壁皇子の異母弟が何人かおり、
鸕野讚良は我が子・草壁皇子が天武天皇の後を嗣げるよう、
夫に入念に働きかけて草壁皇子を皇太子に就け、
草壁皇子のライバルであった異母弟・大津皇子を排除しました。
大津皇子は鸕野讚良の夫と姉の間にできた子であり、
鸕野讚良にとっては甥っ子でした。
それを排除したのですから、その執念たるや。

ところが、この草壁皇子、
近親相姦に次ぐ近親相姦で非常に弱い子であり、
即位前に亡くなってしまいます。
鸕野讚良は激しく落胆したことでしょうが、気を取り直し、
草壁皇子が妻・阿閇皇女(これも天智天皇の子、つまり鸕野讚良の妹)
との間に遺した軽皇子(自らの孫)に皇位を伝えるべく、
再び執念を燃やします。

しかし、軽皇子はまだ7歳でしたから、
やむをえず自らが即位し、持統天皇となりました。
何としても孫に皇位を伝えるという執念を感じます。

・・・みなさん、どう思われますでしょうか。
最終的に女帝となったわけですから、その執念の賜物なのでしょうが、
これがシンデレラストーリーに思えますでしょうか。

『執念』という言葉をたくさん使いました。

野望を抱いては挫折、野望を抱いては挫折の繰り返し。
その途中もライバルの影に疑心暗鬼。
兄弟だって安心できない生活で、いつ安らげるというのでしょうか。

私は、執念・執着というものは疲れるものだと思うのです。
それなのに、何かを自分の思うようにしたいなんて、どうして思うのでしょう。
その、執念を燃やしている時間はきっと怒りのパワーに満ちていて、
他人の目にはあさましく映ったことでしょう。
しかも、疲れるばかりで、最終的に叶わなかったりもします。

現代でもあるでしょう。
自分の思いどおりにならないと攻撃的になったり、
大きな声を出して言うことを聞かせようとする人が。

「行雲流水」という言葉がありますが、
さらさら流れる雲や水のように、
何事にもとらわれずに生きたいものです。

さて、その後の話です。
祖母・持統天皇から15歳で皇位を引き継いだ文武天皇(軽皇子)ですが、
なんと25歳で7歳の首皇子を遺して崩御してしまいます。
歴史は繰り返します。
幼い首皇子に皇位をつなぐべく、祖母や叔母が中継ぎをするのです。
しかして、そうやって即位した聖武天皇(首皇子)の皇統も、
その子・孝謙天皇の代で途絶えてしまいます。

こうして、鸕野讚良が執念で守った系譜は滅びました。

平清盛しかり、豊臣秀吉しかり。
自分の欲望を成そうとする執念・執着は、
疲れるばかりで実を結ばないのです。


[SE;KICHI]
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kkseishin

Author:kkseishin
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