何が?
例えば、京都のお寺などで庭園を観賞した人がいるとします。
その感想を尋ねたところ、「良かったですよ~」という返答をされる時があります。
は? 何が?
いや、京都のお寺の庭の善し悪しを言っているのではありません。
「良かったですよ~」では、何がどう良かったのか、伝わらないじゃないですか。
伝わらないから、自分も行ってみたいなとか、自分は行かなくていいやとか、
自分に合うかどうかの判断の参考にならないじゃないですか。
例えば京都のお寺の庭園と言えば龍安寺の石庭が有名ですよね。
「見る人の感性でどんな解釈も可能な石庭の懐の深さに癒された」とか、
「静謐な庭に心を集中していたら時間を忘れて惚けてしまった」とか、
実際に見て感じたことを、感じた通りに伝えてくれればいいのです。
その話を聞いて、行ったことのある人はその経験を思い出し、
行ったことのない人は行くか行かないかを含め、思いを馳せるのです。
ここで「良かったですよ~」とだけ言ってもらっても、
さっぱり伝わらないのです。
そういう意味では、
「もっと大きいと思ってた」とか、「あの塀はないほうがいい」とか、
なにしろ個人の感想なので、そういう感想でも構わないのです。
極端な話、「私には、石庭はよく分からなかったわ」でもいいのです。
「どうだったか」を質問されているのだから、
「こうだった」と答えなくてはいけないのです。
○×で答えてもらっても伝わらないので、
自分なりの内容で構わないから、心の動きを伝えて欲しいのです。
どうも最近、ガイドブックに書いてあったから良いものにちがいないとか、
ネットで紹介されていたからきっと素晴らしいのだとか、
あらかじめ予備知識が過剰に入ってしまっているせいで、
せっかく出かけて自分の目で見ても、その情報を追認するだけという人、
多いような気がします。
ガイドブックやネットの情報は、
ある程度まではそのとおりかもしれないけれど、
行ってみて自分がどう感じたかが肝なんじゃないんですかね。
あらかじめガイドブックやネットで良いものであるという確信を得てから出かけ、
実際に見てみたら、なるほど確かに書いてある通りだったと。
で、それを表現した感想が「良かったですよ~」って、
は? 何が?
それでは何も伝わらないのです。
それは見た人の感性の問題。
逆に言えば、自分の感性で感じられないなら、実物を見る必要はないですよね。
ガイドブックやネットで、良いものだということはあらかじめ分かっているのだから。
なんでも同じです。
美術館で素晴らしい絵画を鑑賞したとします。
映画館で話題の映画を鑑賞したとします。
おいしいと評判のイタリアンのお店で食べたとします。
だいたい予備知識はあるわけだから、良いものだというのは知っていて出向くはず。
さぁ、あなたにとってどうでしたかって聞かれているのに、
「良かったですよ~」って、
は? 何が?
画家の作風が自分に合っていたとか、俳優の演技力が優れていたとか、
食材の使い方に意外性があったとか、
細かいことはともかく雰囲気が好きとか、
見てきたんならネットに書いてないこと、言わなきゃ。
[SE;KICHI]
その感想を尋ねたところ、「良かったですよ~」という返答をされる時があります。
は? 何が?
いや、京都のお寺の庭の善し悪しを言っているのではありません。
「良かったですよ~」では、何がどう良かったのか、伝わらないじゃないですか。
伝わらないから、自分も行ってみたいなとか、自分は行かなくていいやとか、
自分に合うかどうかの判断の参考にならないじゃないですか。
例えば京都のお寺の庭園と言えば龍安寺の石庭が有名ですよね。
「見る人の感性でどんな解釈も可能な石庭の懐の深さに癒された」とか、
「静謐な庭に心を集中していたら時間を忘れて惚けてしまった」とか、
実際に見て感じたことを、感じた通りに伝えてくれればいいのです。
その話を聞いて、行ったことのある人はその経験を思い出し、
行ったことのない人は行くか行かないかを含め、思いを馳せるのです。
ここで「良かったですよ~」とだけ言ってもらっても、
さっぱり伝わらないのです。
そういう意味では、
「もっと大きいと思ってた」とか、「あの塀はないほうがいい」とか、
なにしろ個人の感想なので、そういう感想でも構わないのです。
極端な話、「私には、石庭はよく分からなかったわ」でもいいのです。
「どうだったか」を質問されているのだから、
「こうだった」と答えなくてはいけないのです。
○×で答えてもらっても伝わらないので、
自分なりの内容で構わないから、心の動きを伝えて欲しいのです。
どうも最近、ガイドブックに書いてあったから良いものにちがいないとか、
ネットで紹介されていたからきっと素晴らしいのだとか、
あらかじめ予備知識が過剰に入ってしまっているせいで、
せっかく出かけて自分の目で見ても、その情報を追認するだけという人、
多いような気がします。
ガイドブックやネットの情報は、
ある程度まではそのとおりかもしれないけれど、
行ってみて自分がどう感じたかが肝なんじゃないんですかね。
あらかじめガイドブックやネットで良いものであるという確信を得てから出かけ、
実際に見てみたら、なるほど確かに書いてある通りだったと。
で、それを表現した感想が「良かったですよ~」って、
は? 何が?
それでは何も伝わらないのです。
それは見た人の感性の問題。
逆に言えば、自分の感性で感じられないなら、実物を見る必要はないですよね。
ガイドブックやネットで、良いものだということはあらかじめ分かっているのだから。
なんでも同じです。
美術館で素晴らしい絵画を鑑賞したとします。
映画館で話題の映画を鑑賞したとします。
おいしいと評判のイタリアンのお店で食べたとします。
だいたい予備知識はあるわけだから、良いものだというのは知っていて出向くはず。
さぁ、あなたにとってどうでしたかって聞かれているのに、
「良かったですよ~」って、
は? 何が?
画家の作風が自分に合っていたとか、俳優の演技力が優れていたとか、
食材の使い方に意外性があったとか、
細かいことはともかく雰囲気が好きとか、
見てきたんならネットに書いてないこと、言わなきゃ。
[SE;KICHI]
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