飛鳥の執念④ ~アホは急に賢くならぬ
少し前の話になりますが、
加来耕三さんという歴史作家の方の講演を聞く機会がありました。
その中で印象に残ったのが、何度も繰り返される、
アホは急に賢くはならないんでございますという言葉。
織田信長しかり、坂本龍馬しかり、諸葛亮孔明しかり、
日本人に人気のある歴史上の人物には、
たいてい、「若いころはアホでどうにもならなかった」という、
破天荒エピソードがついているものですが、
加来耕三さん曰く、「そんなわけないだろう」と。
なるほど、と思うのです。
私自身は、信長の生涯にも龍馬の生涯にもそれほどの関心はないのですが、
最終的に歴史に名を残すような傑物の前半生が暗愚であったはずはないと思うので、
実際のところ、正真正銘のアホだったわけではないだろうと思います。
おそらくは幼少時から、傑物としての片鱗は見せていたはずでしょう。
ただ、大人物であったことをより強調する演出として、
あとから、前半生のダメだったエピソードを付け加えたのかもしれません。
日本人はそういう一発逆転エピソードが好きですからね。
では、信長や龍馬の前半生が美化されたものであったとしましょう。
そうではなく、本当に前半生がダメだった歴史上の人物というのはいないのでしょうか。
・・・いたかもしれませんよね。
しかし、前半生が本当にダメであったなら、歴史に名を残すのは難しいと思うので、
仮に、ある人物の前半生が正真正銘のダメであったとすれば、
そのダメな感じは、“世を忍ぶ仮の姿”的な演技だったのだろうと思うのです。
アホの振りをしていたというのは、あり得る話だなと思うのです。
私は思い出すのは信長でも龍馬でもなく、白壁王です。
以前紹介した持統天皇のひ孫にあたるのが、奈良の大仏で有名な聖武天皇ですが、
その娘に井上内親王というのがおりまして、白壁王はその夫です。
実は井上内親王の異母姉妹が、時の天皇である女帝・孝謙天皇なのですが、
権力争いに巻き込まれるのを嫌った井上内親王は、
わざわざ出世が大変遅く、権力争いに巻き込まれそうにない白壁王と結婚したわけです。
この時期は天皇家周辺に陰謀と暗殺が渦巻いた時代で、
何かと言いがかりをつけられ、多くの有能な親王が粛清されていましたが、
そんななかで、白壁王は、毎日酒を飲んでゴロゴロし、
無能さをさらけ出していたため、粛清の対象にならずに済みます。
その結果、どうなったか。
独身の女帝は後継者を指名せずに亡くなってしまいますが、
相次ぐ粛清のせいで有能な親王たちはこの世にはおらず、
なんと、異母姉妹の井上内親王のつながりから、
白壁王に時期天皇の座が転がり込んできたのです。
光仁天皇としての即位は62歳というので、当時としては超高齢での即位です。
でも、これだと、運の良いアホだったのか、アホの振りをして雌伏していたのか、
本当のところはわかりませんよね。
しかし、私は、
白壁王はアホの振りをして雌伏していたのだと思っています。
なぜなら、この白壁王、光仁天皇としての即位後、
突如として有能なところを発揮し、キナ臭いこともやってのけているからです。
たとえば、皇后になった井上内親王と、後継ぎの皇太子・他戸親王を幽閉し、
若いころからの側妾である高野新笠に生ませた山部親王を新たに皇太子に据えるなど、
単なる“呑んだくれ”とは思えない、意外とゴリゴリしたこともやっています。
この山部親王が、平安京を整備したことで有名な桓武天皇なので、
後継者の能力を見抜く目はあったということでしょう。
要するに、白壁王は、
アホの振りしておとなしくしていたら、
60過ぎて天皇に指名されちゃったという人です。
何はともあれ、アホは急に賢くはならないという言葉は意外と深く、
学ぶべきことがあると思うのです。
たまに、龍馬の生きざまに心酔している若い方などが、
龍馬にあやかっているつもりか、
ただ感情の赴くままに振る舞っているケースがあります。
やはり、アホな振りをするというのと、
アホだというのは違うでしょう。
何も考えずに龍馬を真似してアホになっちゃうと、
おそらくその先に待っているものは単なるアホなのです。
気をつけないといけません。
[SE;KICHI]
加来耕三さんという歴史作家の方の講演を聞く機会がありました。
その中で印象に残ったのが、何度も繰り返される、
アホは急に賢くはならないんでございますという言葉。
織田信長しかり、坂本龍馬しかり、諸葛亮孔明しかり、
日本人に人気のある歴史上の人物には、
たいてい、「若いころはアホでどうにもならなかった」という、
破天荒エピソードがついているものですが、
加来耕三さん曰く、「そんなわけないだろう」と。
なるほど、と思うのです。
私自身は、信長の生涯にも龍馬の生涯にもそれほどの関心はないのですが、
最終的に歴史に名を残すような傑物の前半生が暗愚であったはずはないと思うので、
実際のところ、正真正銘のアホだったわけではないだろうと思います。
おそらくは幼少時から、傑物としての片鱗は見せていたはずでしょう。
ただ、大人物であったことをより強調する演出として、
あとから、前半生のダメだったエピソードを付け加えたのかもしれません。
日本人はそういう一発逆転エピソードが好きですからね。
では、信長や龍馬の前半生が美化されたものであったとしましょう。
そうではなく、本当に前半生がダメだった歴史上の人物というのはいないのでしょうか。
・・・いたかもしれませんよね。
しかし、前半生が本当にダメであったなら、歴史に名を残すのは難しいと思うので、
仮に、ある人物の前半生が正真正銘のダメであったとすれば、
そのダメな感じは、“世を忍ぶ仮の姿”的な演技だったのだろうと思うのです。
アホの振りをしていたというのは、あり得る話だなと思うのです。
私は思い出すのは信長でも龍馬でもなく、白壁王です。
以前紹介した持統天皇のひ孫にあたるのが、奈良の大仏で有名な聖武天皇ですが、
その娘に井上内親王というのがおりまして、白壁王はその夫です。
実は井上内親王の異母姉妹が、時の天皇である女帝・孝謙天皇なのですが、
権力争いに巻き込まれるのを嫌った井上内親王は、
わざわざ出世が大変遅く、権力争いに巻き込まれそうにない白壁王と結婚したわけです。
この時期は天皇家周辺に陰謀と暗殺が渦巻いた時代で、
何かと言いがかりをつけられ、多くの有能な親王が粛清されていましたが、
そんななかで、白壁王は、毎日酒を飲んでゴロゴロし、
無能さをさらけ出していたため、粛清の対象にならずに済みます。
その結果、どうなったか。
独身の女帝は後継者を指名せずに亡くなってしまいますが、
相次ぐ粛清のせいで有能な親王たちはこの世にはおらず、
なんと、異母姉妹の井上内親王のつながりから、
白壁王に時期天皇の座が転がり込んできたのです。
光仁天皇としての即位は62歳というので、当時としては超高齢での即位です。
でも、これだと、運の良いアホだったのか、アホの振りをして雌伏していたのか、
本当のところはわかりませんよね。
しかし、私は、
白壁王はアホの振りをして雌伏していたのだと思っています。
なぜなら、この白壁王、光仁天皇としての即位後、
突如として有能なところを発揮し、キナ臭いこともやってのけているからです。
たとえば、皇后になった井上内親王と、後継ぎの皇太子・他戸親王を幽閉し、
若いころからの側妾である高野新笠に生ませた山部親王を新たに皇太子に据えるなど、
単なる“呑んだくれ”とは思えない、意外とゴリゴリしたこともやっています。
この山部親王が、平安京を整備したことで有名な桓武天皇なので、
後継者の能力を見抜く目はあったということでしょう。
要するに、白壁王は、
アホの振りしておとなしくしていたら、
60過ぎて天皇に指名されちゃったという人です。
何はともあれ、アホは急に賢くはならないという言葉は意外と深く、
学ぶべきことがあると思うのです。
たまに、龍馬の生きざまに心酔している若い方などが、
龍馬にあやかっているつもりか、
ただ感情の赴くままに振る舞っているケースがあります。
やはり、アホな振りをするというのと、
アホだというのは違うでしょう。
何も考えずに龍馬を真似してアホになっちゃうと、
おそらくその先に待っているものは単なるアホなのです。
気をつけないといけません。
[SE;KICHI]
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