石川数正の評価
「らんまん」はあんなにせっせと観ていたのに、
どういうわけか、「どうする家康」はそこまで熱心には観ていません。
なんでですかね。
さて。
先日、サウナで眺めた「どうする家康」では、
家康を幼少期から支えた忠臣・石川数正の出奔が描かれていました。
徳川家中を知り尽くしたこの人物の出奔が激震をもたらしたのは有名な話ですが、
実は、その出奔理由は諸説あって、謎に包まれています。
このドラマでは、家康と家臣たちが秀吉との主戦論を唱えるなか、
それを避けるために相手方へ出奔したと描かれていました。
ドラマに沿って解釈するとすれば、
もともと徳川家の対秀吉外交を一手に担っていた数正は、
秀吉のえげつなさや、関白としての力を熟知していたわけで、
そんなヤツと戦えば戦えば家康が負けると分かっていた、と。
しかし、主戦論を唱えていきり立つ家臣たちを止めることはできなくて、
やむにやまれず、出奔を選択せざるを得なかったという構図です。
つまり、数正の選択は、
徳川勢の強行を食い止めるための出奔だったというわけです。
出奔は1585年のことでしたが、
その後、数正は、1593年に亡くなるまで、松本10万石の領主となりました。
この、出奔後の晩年である8年間、
数正は、秀吉のもとでの政権運営には関わっていません。
このことについて、以前目にしたNHKの歴史番組で、
出演していた歴史家の方が、
それは秀吉が数正への興味を失ったためであり、
数正のことを、
ヘッドハンティングされたのに活躍できなかった残念な人
と評していましたが、
私は、その意見に、ぜんぜん承服できません。
人の幸せとは、最晩年まで神経をすり減らして働くことなのでしょうか。
数正は青年期から家康を助け、
織田や今川や武田と交渉したり、それが不調なら戦ったりしてきました。
数正は、家康のためならと、一族と敵対することもあったし、
宗派を変えたり、子を人質に差し出すことすらあったようです。
晩年の数正は、おそらくは、
自らあえて政権運営から距離を取ったのではないでしょうか。
翻って、会社組織は武家の家中に例えられることがあるけれど、
私たちは、会社のため、滅私奉公できるでしょうか。
岸田首相は、条件が良い勤務先に自分を売り込むことを推奨し、
社会も、ビスリーチとか、転職サービスが花盛りです。
これと決めた殿様のために働くという価値観は、もう今は昔なのでしょうか。
押し付けるようなことでもありませんが、
かつては、会社に「お世話になる」という感覚で入社し、
自分を「拾ってくれた会社に報いる」というつもりで働いたものです。
というか、そのように働くように言われて育ちました。
いまは、会社が自分に何をしてくれるのかを値踏みし、
より条件の良い会社を探すことこそが善とされているのでしょうか。
こういう言い方は口幅ったいですが、
自分の価値って、そんなに高いものなのでしょうか。
「こんな私に会社は何をしてくれますか」と、
言うのは勝手ですが、自分の価値はそんなに高いと、
なぜ思えるのでしょうか。
私なんかは、自分の価値が高いとは思っていないので、
どこか別の会社に自分を売り込もうなどとは思っておらず、
私を受け入れてくれている現在の会社で恩を返していこうと思っています。
古いタイプなのでしょうね。
自分が古いタイプになってしまったのは百も承知ですが、
それでも私は、みんな、すべて与えられていて、
恩返しに生きることが、なんというか、人としてまっとうな気がするのです。
どこかへ羽ばたくためのリスキリングもいいかもしれませんが、
それよりも、現在お仕えしている殿のために、
自分を磨くという意味でのリスキリングが必要なのかもしれません.
[SE;KICHI]
どういうわけか、「どうする家康」はそこまで熱心には観ていません。
なんでですかね。
さて。
先日、サウナで眺めた「どうする家康」では、
家康を幼少期から支えた忠臣・石川数正の出奔が描かれていました。
徳川家中を知り尽くしたこの人物の出奔が激震をもたらしたのは有名な話ですが、
実は、その出奔理由は諸説あって、謎に包まれています。
このドラマでは、家康と家臣たちが秀吉との主戦論を唱えるなか、
それを避けるために相手方へ出奔したと描かれていました。
ドラマに沿って解釈するとすれば、
もともと徳川家の対秀吉外交を一手に担っていた数正は、
秀吉のえげつなさや、関白としての力を熟知していたわけで、
そんなヤツと戦えば戦えば家康が負けると分かっていた、と。
しかし、主戦論を唱えていきり立つ家臣たちを止めることはできなくて、
やむにやまれず、出奔を選択せざるを得なかったという構図です。
つまり、数正の選択は、
徳川勢の強行を食い止めるための出奔だったというわけです。
出奔は1585年のことでしたが、
その後、数正は、1593年に亡くなるまで、松本10万石の領主となりました。
この、出奔後の晩年である8年間、
数正は、秀吉のもとでの政権運営には関わっていません。
このことについて、以前目にしたNHKの歴史番組で、
出演していた歴史家の方が、
それは秀吉が数正への興味を失ったためであり、
数正のことを、
ヘッドハンティングされたのに活躍できなかった残念な人
と評していましたが、
私は、その意見に、ぜんぜん承服できません。
人の幸せとは、最晩年まで神経をすり減らして働くことなのでしょうか。
数正は青年期から家康を助け、
織田や今川や武田と交渉したり、それが不調なら戦ったりしてきました。
数正は、家康のためならと、一族と敵対することもあったし、
宗派を変えたり、子を人質に差し出すことすらあったようです。
晩年の数正は、おそらくは、
自らあえて政権運営から距離を取ったのではないでしょうか。
翻って、会社組織は武家の家中に例えられることがあるけれど、
私たちは、会社のため、滅私奉公できるでしょうか。
岸田首相は、条件が良い勤務先に自分を売り込むことを推奨し、
社会も、ビスリーチとか、転職サービスが花盛りです。
これと決めた殿様のために働くという価値観は、もう今は昔なのでしょうか。
押し付けるようなことでもありませんが、
かつては、会社に「お世話になる」という感覚で入社し、
自分を「拾ってくれた会社に報いる」というつもりで働いたものです。
というか、そのように働くように言われて育ちました。
いまは、会社が自分に何をしてくれるのかを値踏みし、
より条件の良い会社を探すことこそが善とされているのでしょうか。
こういう言い方は口幅ったいですが、
自分の価値って、そんなに高いものなのでしょうか。
「こんな私に会社は何をしてくれますか」と、
言うのは勝手ですが、自分の価値はそんなに高いと、
なぜ思えるのでしょうか。
私なんかは、自分の価値が高いとは思っていないので、
どこか別の会社に自分を売り込もうなどとは思っておらず、
私を受け入れてくれている現在の会社で恩を返していこうと思っています。
古いタイプなのでしょうね。
自分が古いタイプになってしまったのは百も承知ですが、
それでも私は、みんな、すべて与えられていて、
恩返しに生きることが、なんというか、人としてまっとうな気がするのです。
どこかへ羽ばたくためのリスキリングもいいかもしれませんが、
それよりも、現在お仕えしている殿のために、
自分を磨くという意味でのリスキリングが必要なのかもしれません.
[SE;KICHI]
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