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「感動をありがとう」

たとえば箱根駅伝で日本体育大学が30年ぶりに総合優勝したとか、
京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞の研究でノーベル賞受賞とか、
最近ではそういうとき、
「感動をありがとう」なんていう言い方があります。
オリンピックなんかでもよく聞くフレーズですね。

確かに、予選から勝ち上がった日体大は凄いですし、
山中教授のノーベル賞受賞は疑いようのない偉業です。
もちろん、感動的なことであったとは思います。

しかし、私は、「感動をありがとう」という言い方が嫌いです。

「感動をありがとう」という言い方で行けば、
まるで「感動」という物体があって、
それを他人から手渡されるかのようです。

実際はどうでしょうか。
「感動」という物体があるわけでもありませんし、
日体大の選手や山中教授から何かを手渡されたわけではありませんよね。

「感動」って、結局は心の動きです。
誰の心の動きかって、それぞれの人の心の動きです。

要するに、それぞれの人が、
箱根駅伝やノーベル賞受賞のニュースを見て心が動いた、と、
そういうことです。

つまり、「感動」って、
それぞれの人の心の動きなのです。

だとすれば、自分の心が動いたことに対して、
いったい誰に「ありがとう」と言っているのでしょうか。

いや、そういう擬人的な表現をすること自体は構わないと思うのです。
ただ、いつも言っているように、
私は自分の心には責任を持たなくてはならないと思っていますので、
自分の心の動きを誰かからもたらされたような言い方をするのは、
ちょっと違和感があるのです。

少し前に自己責任という言葉が流行りましたが、
自分が何を考えるのか、何を思うのかは自由です。
しかし、自由だからこそ、その結果などには責任が生じると思うのです。

それは当たり前です。
くだらないことを考えて、くだらない人生にするのも、
建設的なことを考えて、建設的な人生にするのも、
そりゃ、自分自身の責任です。

その観点から考えると、
自分の心の動きの責任を外に求めようとする、
「感動をありがとう」という言い方って、ちょっと無責任ではないでしょうか。

自分の心の動きは自分の責任です。
そのきっかけが箱根駅伝やノーベル賞受賞のニュースであっても、
それで心を動かしたのは、結局、自分です。

だから、だいぶ昔、相撲の表彰式か何かで
「感動した!」と言った首相がいましたが、
あれは「(自分は)感動した!」と言ってるわけで、
表現として合っているのです。

自分の生き方、考え方に責任を持ちたいものです。

まぁ、流行りですから、目くじらを立てるようなことでもないんですけどね。

[SE;KICHI]
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