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いまこそ佐藤一斎先生

〽春なのに 春なのに ため息またひとつ……と歌ったのは柏原芳恵でしたが、
この春はコロナ騒ぎで自粛に次ぐ自粛、
もはや、集まっただけで白い目で見られるような状態で、
歯を見せて笑っただけで憲兵さんが飛んできた戦時下のような厳戒態勢です。

それにしても、マスクやらトイレットペーパーやらの奪い合いは、
冷静さを欠いた場面での日本人の弱さがよく分かる騒動でしたね。
まぁ、カラになった棚の映像をニュースで放送し、
レポーターが「残りわずかの状態です」とか言えば、
そりゃ、不安に駆られた視聴者が買いに走るのは必定で、
報道の在り方に大いに問題はあったとは思いますけど。

このブログでは、waka さんが『言志四録』のレビューを書かれておりましたが、
買い占めに走る人しかり、それを煽る報道関係者しかり、
今回のような緊急事態に、
自身のことしか考えられない方が多かったのは少し残念ですよね。
その意味で、『言志四録』は、
ますますその重要性が高まっているのではないかと思うのです。

『言志録』第122条には、
本然の真己有り。躯殻の仮己有り須らく自ら認め得んことを要すべし。
とあります。
これはつまり、一斎先生は、“自己”には、
善悪を正しく判断できる“真己”と私欲に引きずられてしまう“仮己”の2種類があって、
まずは、そのことを認める必要があると言っているわけですが、
私自身は、感覚的にそう思いたい面があって、昔から大事にしている言葉です。
善悪を正しく判断できる“真己”に従って沈思黙考し、
「自分は何のために生まれてきたのか」を突き詰めて考えることは、
八正道の正見・正思に通じる視点ですし、
私は、そうすれば、私欲に引きずられる“仮己”を抑えられると思っています。
いろいろなところで「志」の大切さが説かれている昨今ですが、
私は、この、「自分は何のために生まれてきたのか」が「志」であり、
「自分の人生をよりよく生きる指針」だと思っています。

そもそも、私欲に引きずられる“仮己”というのがあることに衝撃を受けた私ですが、
一斎先生が80歳を過ぎて書いた『言志耋録』第66条には、
人心の霊、太陽の如く然り。
但だ克伐怨欲、雲霧四塞せば、此の霊鳥いずくに在る。
」と説かれてあり、
つまり、
一斎先生が「すべての人間はもともと善人である」と考えていたことが分かります。
このことは、私の人間観と合致していて心地良いものですが、
一斎先生曰く、その本来の善の心を曇らせるのが克伐怨欲だというわけです。
克伐怨欲というのは『論語』に出てくる“四悪徳”で、
“克”とは人に勝つこと、“伐”とは人に自分の功績を誇ること、
“怨”とは人を憎むこと、“欲”とは貪欲な心、です。
これらの心があると、人間本来の善の心を曇らせると言っているわけです。
うふふふ、人に勝つことは悪徳だそうですよ。
どうでしょうか、みなさん。
私の価値観にはとてもよく合致していますが。

この“四悪徳”は、ほとんどが人間関係に起因するものですよね。
少し前に流行ったアドラーが、
「人間関係の悩みはすべて対人関係に悩みである」と言っていましたが、
裏を返せば、人間関係で悩まなければ、“四悪徳”はほぼクリアできるということです。
そう考えると、一斎先生の「すべての人間はもともと善人である」という考えは、
「そうだったらいいな」的なものではなく、実に合理的な考えであるように思えます。
なぜなら、“四悪徳”は、他人を他人と見るから起こる感情であり、
自他が一体であり、仲間として信頼するという立場をとれば、
起こり得ない感情だからです。

そうそう、一斎先生は、
凡そ事を昨すには、須らく天に事うるの心有るを要すべし。
人に示すの念有るを要せず。
」とも言っています。(『言志録』第3条)
何かを成し遂げたいなら、天に仕えるという心を持ちなさい、
人に見せびらかしたいという自慢の心を持ってはならぬという意味ですが、
一斎先生に心酔していた西郷さんの名言集である『南洲翁遺訓』の第25条にも、
「人を相手にしないで、天を相手にするようにせよ。
人の非をとがめるようなことをせず、自分の足りないところを反省せよ」とあり、
西郷さんが一斎先生の影響を受けていることを如実に示しています。
また、一斎先生が、自他が一体であり、仲間であると考えていた証左です。

まぁ、他人からの評価などに惑わされることなく、
前述の“真己”、すなわち志と向き合ってこそ、人は成長できるということでしょう。

そういえば、『言志録』には、
太上は天を師とし、其の次は人を師とし、其の次は経を師とす。
という、有名な言葉もありますね。
これは、様々な解釈ができそうな感じですが、
立派な人は、先生とか経験・経典などよりも、
“天”の導きを大切にするのだという意味と考えてよいでしょう。
では、この“天”とはいったい何を指すのかといえば、
それは神と呼んでもよいし、お天道様と呼んでもよいと思いますが、
つまりは、すべてを司っている偉大な何か(サムシング・グレート)だと、
私は理解しています。
要するに、世の中には何やら神様的でグレートなご存在があり、
そのご存在(=天)からの導きを最優先すべきであって、
自分の先生からの言葉とか、
自分自身の浅薄な経験や見聞きした書物の情報とか、
そんなものを優先するんじゃないということです。

結局、他人からの評価などに惑わされることなく、
グレートなご存在の導きに従って“真己”を求めよという話でしょう。
コロナ騒動で日本中が疑心暗鬼に陥っている今こそ、
一斎先生の『言志録』、注目されるべき時かもしれません。

[SE;KICHI]
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