素敵な家紋
最近起業した私の知人の、新しく作った名刺のデザインは家紋。
こう見えて、家紋にちょっとだけ興味のある私、
その名刺を渡された瞬間、「いやん、素敵!」と、うっとり。

最初、これを見た私は動揺しました。
というのも、私は、この家紋を見たことがなかったのです。
もちろん、家紋は1万種以上あるといわれていますから、
私もすべての家紋を把握できているわけではありませんが、
身近な知人が見せてくれた家紋を知らないという場面に、
ちょっとプライドが傷ついたというか、心が波立ったわけです。
しかし、変な家紋ですよね。
手前に配置されているのは木瓜紋。
瓜を輪切りにしたその断面を図案化したものといわれ、
日本の十大家紋にも数えられている有名な家紋です。
ところが、背後に見えているのは茗荷紋。
いわゆる、薬味などでおなじみの“ミョウガ”の図案で、
左右から立ち上がっていますから、これは“抱き茗荷”と呼ばれるデザインですね。
http://www.black-silk.com/gallery/cat37/
何が変かって、ふつう、家紋というものは、複数のデザインは混ざらないのです。
つまり、木瓜紋は木瓜紋、茗荷紋は茗荷紋であって、
木瓜紋と茗荷紋が一つの家紋に同居することはないわけです。
そういうことで、一目でこの家紋は変わっていると分かるわけですが、
そんな代わり種の家紋を、私は、見たことがなく、
「知らない家紋というものは、まだまだあるものだなぁ」と、
自分の不勉強を恥じたのでした。
そこで私は、その知人に、起業の祝辞もそこそこに質問しました。
ストレートに、「この家紋、何?」って。
種明かしをすれば、
実は、このような家紋は存在しないとのことでした。
つまり、オリジナル家紋。
なんだよ、「見たことない!」とショックを受けた私でしたが、
そもそも、自作なんだから見たことなくて当然。
では、なぜ、そんな自作の家紋を創ったのでしょうか。
その疑問に対する彼の回答が粋でした。
「今の自分が起業できたのは妻のおかげである。
妻と一緒に起業したということを記念して、
もともとの自分の家の家紋と妻の実家の家紋を重ねた」と。
つまり、夫婦が一体である証としてこの家紋を創ったということです。
私はとても感心しました。
なんだか、家紋の原点を見たような気がしました。
いや、そもそも家紋とは、家系の独自性を示す固有の紋章です。
時折、夫婦別姓という民法上の規定への賛否が話題になりますが、
家紋も苗字と同じで、代々受け継いでいく性質のものです。
なので、婚姻時に夫婦で1文字ずつ出し合って新苗字を創ったりしないように、
家紋も、婚姻時に夫婦で実家の家紋を合成して新しく作ったりはしないのです。
そもそも、日本の婚姻が、
実質的に、嫁が夫の家に吸収される形で行われてきたことを考えても、
おそらく、伝統的に、夫の家の家紋のみ存続されるはずです。
つまり、家紋の原点を見たような気がしたとは言いながら、
実際のところ、夫と妻の家紋を対等な形で重ね合わせるという彼の意匠は、
実はぜんぜん日本的な価値観ではありません。
しかし、私はどういうわけか、家紋の原点を見たような気がするのです。
それは、たぶん、自分が起業できたのは妻のおかげであるという謙虚さが、
日本的な感覚に思えるからでしょう。
仮に夫の立場で考えてみたら、自分(夫)自身にも両親がいて、
多くの家の場合、父は自分と同じ家紋でしょうが、母の実家は違います。
そしてその一つ上の世代、父の父母、つまり自分の祖父母も、
おそらく祖父は自分と同じ家紋でしょうが、祖母の実家は違いますし、
母の父母、つまり母方の祖父母に至っては違っていて当然です。
(いや、まぁ、その世代以前は近親婚も多かったので、意外と家紋が一緒だったりするケースもあるでしょうが)
同じことは妻にも言えるわけで、そもそも妻の実家の家紋は自分とは違うし、
その家系も、折々に妻となる方が別の家紋の系統から流入することで存続していて、
なんというか、上流から、小川がいくつも流れ込んで大河となるようなイメージ。
いま、ここに存在する自分は、
いくつもの家紋の系統が無数に混ざり合っての賜物なのだと、
そう考えたら感慨深いものです。
そういうのを、せめて夫と妻の実家の家紋だけでも、
対等な形で重ね合わせようとした彼の試みは、
どちらかというと西洋的で、日本的な感覚ではないにもかかわらず、
私は、とても良い取り組みだなぁと思いました。
妻のある男性は妻に、夫のある女性は夫に、
心から感謝をしたいものです。
それだけで不倫はずいぶんと減りそうです。
[SE;KICHI]
こう見えて、家紋にちょっとだけ興味のある私、
その名刺を渡された瞬間、「いやん、素敵!」と、うっとり。

最初、これを見た私は動揺しました。
というのも、私は、この家紋を見たことがなかったのです。
もちろん、家紋は1万種以上あるといわれていますから、
私もすべての家紋を把握できているわけではありませんが、
身近な知人が見せてくれた家紋を知らないという場面に、
ちょっとプライドが傷ついたというか、心が波立ったわけです。
しかし、変な家紋ですよね。
手前に配置されているのは木瓜紋。
瓜を輪切りにしたその断面を図案化したものといわれ、
日本の十大家紋にも数えられている有名な家紋です。
ところが、背後に見えているのは茗荷紋。
いわゆる、薬味などでおなじみの“ミョウガ”の図案で、
左右から立ち上がっていますから、これは“抱き茗荷”と呼ばれるデザインですね。


何が変かって、ふつう、家紋というものは、複数のデザインは混ざらないのです。
つまり、木瓜紋は木瓜紋、茗荷紋は茗荷紋であって、
木瓜紋と茗荷紋が一つの家紋に同居することはないわけです。
そういうことで、一目でこの家紋は変わっていると分かるわけですが、
そんな代わり種の家紋を、私は、見たことがなく、
「知らない家紋というものは、まだまだあるものだなぁ」と、
自分の不勉強を恥じたのでした。
そこで私は、その知人に、起業の祝辞もそこそこに質問しました。
ストレートに、「この家紋、何?」って。
種明かしをすれば、
実は、このような家紋は存在しないとのことでした。
つまり、オリジナル家紋。
なんだよ、「見たことない!」とショックを受けた私でしたが、
そもそも、自作なんだから見たことなくて当然。
では、なぜ、そんな自作の家紋を創ったのでしょうか。
その疑問に対する彼の回答が粋でした。
「今の自分が起業できたのは妻のおかげである。
妻と一緒に起業したということを記念して、
もともとの自分の家の家紋と妻の実家の家紋を重ねた」と。
つまり、夫婦が一体である証としてこの家紋を創ったということです。
私はとても感心しました。
なんだか、家紋の原点を見たような気がしました。
いや、そもそも家紋とは、家系の独自性を示す固有の紋章です。
時折、夫婦別姓という民法上の規定への賛否が話題になりますが、
家紋も苗字と同じで、代々受け継いでいく性質のものです。
なので、婚姻時に夫婦で1文字ずつ出し合って新苗字を創ったりしないように、
家紋も、婚姻時に夫婦で実家の家紋を合成して新しく作ったりはしないのです。
そもそも、日本の婚姻が、
実質的に、嫁が夫の家に吸収される形で行われてきたことを考えても、
おそらく、伝統的に、夫の家の家紋のみ存続されるはずです。
つまり、家紋の原点を見たような気がしたとは言いながら、
実際のところ、夫と妻の家紋を対等な形で重ね合わせるという彼の意匠は、
実はぜんぜん日本的な価値観ではありません。
しかし、私はどういうわけか、家紋の原点を見たような気がするのです。
それは、たぶん、自分が起業できたのは妻のおかげであるという謙虚さが、
日本的な感覚に思えるからでしょう。
仮に夫の立場で考えてみたら、自分(夫)自身にも両親がいて、
多くの家の場合、父は自分と同じ家紋でしょうが、母の実家は違います。
そしてその一つ上の世代、父の父母、つまり自分の祖父母も、
おそらく祖父は自分と同じ家紋でしょうが、祖母の実家は違いますし、
母の父母、つまり母方の祖父母に至っては違っていて当然です。
(いや、まぁ、その世代以前は近親婚も多かったので、意外と家紋が一緒だったりするケースもあるでしょうが)
同じことは妻にも言えるわけで、そもそも妻の実家の家紋は自分とは違うし、
その家系も、折々に妻となる方が別の家紋の系統から流入することで存続していて、
なんというか、上流から、小川がいくつも流れ込んで大河となるようなイメージ。
いま、ここに存在する自分は、
いくつもの家紋の系統が無数に混ざり合っての賜物なのだと、
そう考えたら感慨深いものです。
そういうのを、せめて夫と妻の実家の家紋だけでも、
対等な形で重ね合わせようとした彼の試みは、
どちらかというと西洋的で、日本的な感覚ではないにもかかわらず、
私は、とても良い取り組みだなぁと思いました。
妻のある男性は妻に、夫のある女性は夫に、
心から感謝をしたいものです。
それだけで不倫はずいぶんと減りそうです。
[SE;KICHI]
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