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衣裏繋珠のたとえ

ある貧乏な人が、親友の家を訪ねてお酒を飲んだところ、大いに盛り上がり、
2人して酒に酔って眠ってしまったそうです。
ところが、翌朝、
その親友は早朝から仕事で遠方に行かなくなければならなかったので、
寝ている友人を起こすのも忍びないと、彼を置いてそのままそっと出かけるのですが、
この親友はちょっと裕福な人だったので、貧乏な彼を憐れみ、
寝ている彼の足しになればと、
彼の着物の裏に、それはそれは莫大な価値のある宝石を縫い付けて、
そのうえでそっと出かけて行ったわけです。
目が覚めた彼は、親友がいなくなっているのでその家を去りましたが、
友人が縫い付けてくれた宝石には気がつかず、
あいかわらずの貧乏暮らしで、衣食にも事欠くありさまで、
そのうちに浮浪者にまで落ちぶれてしまいました。
浮浪者となった彼は、ずいぶんたってから、
最初の親友と道でばったり会ったのですが、
その親友は、浮浪者となった彼の姿を見て憐れみます。
「キミが楽に暮らせるように、宝石を縫い付けておいてあげたのに・・・」と。


これは、『衣裏繋珠のたとえ』といい、
いわゆる“法華七諭”という7つのたとえ話のひとつ、
法華経五百弟子受記品に説かれているお話です。

この話は何を示唆しているのでしょうか。
登場人物は2人、
莫大な価値のある宝石を与えてくれる親友の男と、
莫大な価値のある宝石を与えられながらそれに気づかぬ貧しい男です。
実際は、莫大な価値のある宝石を気前よく与えてくれる人物など、そうはいません。
そうです、こういう話の時にありがちな設定ですが、この人物は仏さまです。
だとすれば、仏さまから莫大な価値のある宝石を与えられるのは誰でしょうか。
そうですね、これは私たち、一般の衆生ということになります。

つまり、私たちの人生はこの貧乏な男のようなものだということです。
仏さまから莫大な価値のある宝石を与えられているのに、
それには気づかないで、毎日の生活にきゅうきゅうとしていると。

では、莫大な価値のある宝石って、どんなのでしょうか。
“高価な”とかではないところがポイントです。
人間に与えられた莫大な価値、これを仏性といいます。
仏性というのは仏さまの性質ということです。
分かりやすく言うと、“仏さまのような清らかな心”という感じでしょうか。
いずれにせよ、人間には仏さまの性質が与えられているということです。
なるほど、これは、プライスレスで、莫大な価値ですね。

ということはですね、ざっくり言えば、
いまこの文章を書いている私にも、仏の性質が備わっているということになります。
人生、自分の思い通りになることばかりではなく、理不尽なことも起こります。
そういう、挫折のさなかにある時、
自分にも仏の性質が備わっているのだと知ることは、
悩める人々にものすごく自信を与えるものでしょう。
特に今の時代、「生きている価値がない」とか「生きていてもしょうがない」とか、
投げやりになってしまった人が、
さまざまな事件を引き起こしているケースが多いように思います。
「生きている価値がない」などということはなく、
自分の中に尊い価値があることに、
まずは気づかなくてはいけません。

しかし、一方で、
ここ数年は「世界に一つだけの花」という誤った曲が流行ったせいか、
たとえば運転マナーを注意されたらキレて反撃されるとか、
唯我独尊的に仕上がった人が傍若無人にふるまうケースが増えています。
自分を“もともと特別な Only One”と思い、他者を排撃するようになったのです。
自分が、“もともと特別な Only One”であるなら、
他人は他人で、それぞれ“もともと特別な Only One”であると、なぜ思えぬのか。
自分がそうであるように、相手にも尊い価値があることに、
これはこれで、一人ひとりが気づくことが大切なのではないでしょうか。

これはとても重要な思想だと思います。
仏教では、
どんな人間にも、この仏性という、尊い宝石があると教えています。
つまり、私たちには、生まれつき、
物事を正しく見る賢さや、正しい道を歩む素直さが与えられていて、
他者に対する慈しみの心が与えられているというわけです。
そういう意味で、平等。
このことを強く認識することで、
このところ跋扈している、とにかく自信がないという若者の救済にもなるし、
一方で、自分さえよければよいという自分至上主義からの脱却にもなるしと、
いわゆる中道を行く考え方になります。

それにしても、
私たちは、仏性という“仏さまのような清らかな心”が与えられているのに、
毎日の生活に追われ、なかなかそのことに気づかないでいます。
なぜ気づかないかと言えば、
この話に出てくる貧乏な彼が酒を飲んで眠り込んでしまったように、
私たちは、心が眠り込んでいる状態なのだということです。
それで、私たちは、自分の仏性に気づかないままに、
人間関係で思い通りにならない自分に腹を立てたり、相手を憎んだりします。
衣服やクルマ、地位に名声やお金など、欲望にも際限がありませんが、
それも、何でも手に入るわけではないので、悩み苦しんだりします。

こういうのは、この話に出てくる貧乏な彼が、
毎日の暮らしに苦しんでいるのと、本質的には同じ状態です。
貧乏な彼の着物には、
一生安泰で暮らせるだけの宝が縫い込まれていたのに、
本人は全くそのことの気づかず、苦しみの毎日を送っていました。
私たちも、着物というか、心の奥のほうに仏性が縫い込まれていて、
それを意識していれば、怒りなどの粗野な心は消えるはずなのに、
そのことに気づいていないのではないかという感じがします。

私たちは、どうしましょうか。

[SE;KICHI]
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