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無になる時間

ハガニアシャトルバスが終了したこと、
これは、私にとっては、なかなかに残念なニュースでした。
2年に一度ほどの頻度でグアムに行っているのですが、
青い海には目もくれず、
聖母マリア大聖堂(通称ハガニア大聖堂)に行くことが主目的だった私、
昨秋、タモンからハガニアへの直通バスが廃止されてしまい、
乗り継ぎなどが必要となって、ものすごく不便になってしまいました。

まぁ、それは仕方ないのですが、その大聖堂に何をしに行っているのかというと、
それは、ズバリ、癒し。
瞑想的なことが大好きな私、
そのハガニア大聖堂で呆けたように座っているのが大のお気に入りです。

私とハガニア大聖堂との出会いは15年ほど前。
鉄道マニアに乗り鉄とか撮り鉄とかいろいろあるように、
実は、教会マニアにもいろいろあって、
そのひとつに聖遺物好きというジャンルがあります。
聖遺物というのは、イエスが磔にされた十字架とか、手足に打ちつけられた釘とか、
死を確認するために脇腹を刺した槍とか、イエスの遺体を包んだとされる布とか、
イエスや聖人たちの遺骸そのものや、殉教に関わる遺品群のことで、
たとえば、有名どころでは「最後の晩餐」で使用された聖杯など、
これはスペインのバレンシア大聖堂に安置されているのですが、
そのようなものが世界各国に遺されています。
日本は、鎖国していましたから、聖遺物が伝わることはありませんでしたが、
それはグアムも同じで、グアムの教会で拝観できる聖遺物はないものの、
あるとき、たまたま訪れたハガニア大聖堂では聖遺物に関するセミナーをやっており、
もちろん英語だったので私には難しかったのですが、
そこに参加して以来、聖遺物について、少しだけ興味を持っている私。
そういえば、5年ほど前に少しだけ書いた即身仏も、
まぁ、聖遺物といえばそうでしょう。
日本史で有名なザビエルの遺体もボム・ジーザス教会に祀られて、
たまに公開されていますしね。(爪だけなら日本に分祀されています)

まぁ、つまらぬ話をしましたが、
とにかく、そういう経緯で、ハガニア大聖堂を気に入ってしまい、
別にセミナーも何もやっていないときでも、
そこに座って半日くらい過ごすのが好きな私。

ここまでは前置き。
しかし、グアムは3時間ちょっとで行けるのが魅力ではあるのですが、
やはり国内よりも渡航に費用が掛かるので、そう頻繁には行けません。
そこで、私は、国内の代わりの教会でボーっとしたりするわけですが、
最近、さらにそれに代わるスポットを見つけました。
それが宮脇俊三的世界。
言わずと知れた、鉄道廃線跡を旅する大家です。

いや、私は、本気の廃線はダメです、怖いので。
私が特にちょうどいいと感じているのが、ココ。
ローカルな話で恐縮ですが、富山地方鉄道の大川寺駅。
もともとは遊園地が近くにあったそうで、それなりの規模の駅だったようですが、
遊園地閉園後、20年ほどかけて順調に朽ちていっている感じ。
近くには地名のもととなった大川寺というお寺があるくらいで、
いま、あんまりこの駅を利用する方はいなそうです。

大川寺駅

もともと、それなりに整備された駅だったためか、
往時と、現在の朽ちつつある情景とのギャップに萌えるというか、
一層強調された虚無感のようなものを感じます。

そこに身を委ねてみると、どうでしょう。
木々のそよぐ音のみが聞こえる静かな場所で、身も心もホウっと力を抜く時、
ゆっくりとゆっくりと、空間に溶けていくような感覚になります。
自分が空間に溶けだしていくのですから、
これが仏教用語でいうところの、“宇宙即我”の境地なのでしょうか、
日々に頭脳を支配している悩みや心配事も溶けてなくなり、
おおらかで活力あふれる感じになります。

しかし、駅舎は朽ちつつあっても、鉄路として生きていれば電車は来ます。
木の張り出した枝をかいくぐり、止まっていたかのような時間を引き裂いて、
電車はゆるやかに入線します。

普通 岩峅寺行き

写真は元東急8590系ですが、
空間に溶け出ていた私の自我は、慌てて私の肉体に戻るのでした。

学術的に、人生には瞑想が必要だと言われています。
人間は、制御しないとネガティブなことを考えやすいようで、
なんとなく頭脳を支配している悩みや心配事は、自らの自由度を奪い、
くだらない、義務感の毎日へと、人生の質を落としてしまいます。
位相を正してポジティブに生きるためには、どうしても瞑想が必要ですと、
そういうことのようですが、私は、それはその通りだと思います。
おしなべて、人生で大をなす方には定期的な瞑想の習慣があるようです。

もちろん、瞑想というのは何もせずに静かな場所で考えることであり、
酒を飲みながらぼんやり考えるとか、パソコンの前でいろいろ調べながら考えるとか、
そういうことを指してはいませんので、
そういう意味で、瞑想とは本来、教会や寺でやるべきなのでしょうが、
私は、スマホを置いて外界と断絶した環境さえ作れれば、
宮脇俊三的な、退廃的な環境に身を置いてみるのもいいのではなかと感じます。
汚いベンチを拭いて、そこに腰を下ろして目を閉じた時、
その効果は、確かに教会に似たものを感じます。
(正確には、仏教的には瞑想よりも経行に近い感じかもしれませんが。)

[SE;KICHI]
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