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飛鳥の執念⑧ ~生娘の覚悟

天武天皇の息子である草壁皇子は早くに亡くなりました。
当時、そのような立場の者が死ぬということは、
遺された息子や娘が後ろ盾を失うということを意味しており、
草壁皇子が早く亡くなったということは、
その遺児・軽皇子が出世競争から脱落したとみるのが普通です。
ところが、ここで登場するのが草壁皇子の母・鸕野讚良。
天武天皇の妻であった彼女は、夫を深く愛していたようで、
天武系の皇統を絶やすまいと執念を燃やし、
自ら持統天皇となって即位して中継ぎとなってまで、
わが孫である軽皇子へと皇位をつなぎました。
ここまでは5年前の「飛鳥の執念①」で書きました。

こうして14歳で即位したのが文武天皇、つまり鸕野讚良の孫の軽皇子ですが、
この文武天皇も、24歳になった時に死んでしまいます。
遺児である首皇子はまだ6歳。
例によって出世競争から脱落するところを救ったのが、死んだ文武天皇の母。
続日本紀によれば、文武天皇は亡くなる半年前、
重体となっている病床に母の阿閇皇女を呼び、皇位の継承を託したとのこと。
彼女が元明天皇として即位する際に発した詔が続日本紀に遺されていて、
それは、先代文武の即位は天智天皇が定めた不改常典に従ったと明言するものでした。
つまり、天武-草壁-文武という嫡系での継承を正当なものであるとし、
すなわち自分の後は首皇子に引き継ぐと宣言した詔でした。
この部分は、ザックリとですが、4年前の「飛鳥の執念③」に書きました。

さて、この元明天皇は、平城遷都など、教科書に載るような偉業を成し遂げましたが、
いかんせん、即位時にすでに47歳と、当時としてはかなり高齢でしたので、
その治世は老いとの戦いで長くは続かず、
かといって譲位したい首皇子はまだ若く、という状況で、
もうひとり、中継ぎが登場します。
氷高皇女です。

氷高皇女は元明天皇の娘で、亡き文武天皇の姉です。
彼女は、高齢となった母・元明天皇から、
甥っ子(弟の子)・首皇子へとバトンをつなぐというミッションを任され、
35歳の時、第44代・元正天皇として即位しました。

奈良時代の天皇系図
https://sites.google.com/site/poppopoppopoppo777/nai-liang-shi-dai

私がこの人物に注目しているのは、
5人目の女帝でありながら、それまでの女帝が皇后や皇太子の未亡人だったのに対し、
結婚歴のない初めての女帝となったところです。
当時、女性の貞操は現代ほど乱れてはいませんでしたから、
元正天皇は、35歳とはいえ、有史初の処女女帝であったと言われています。

これって、どんな感じなんでしょう。

女帝ともなれば気軽に声を掛けてくる男性は皆無でしょうし、
性を謳歌するなどというと下品な感じもしますが、
夫すらいない“籠の鳥”の人生は寂しかったのではないでしょうか。

ところで、元正天皇には、吉備内親王という妹がいました。
この吉備内親王は、若いうちに長屋王という人物に嫁いでおり、
元正天皇が即位する頃には3人の皇子を産んでいました。
元正天皇は、この吉備内親王ファミリーと仲が良く、
妹の夫である長屋王のことを厚く信頼していたようで、
元正天皇の即位と前後して、長屋王は飛躍的に昇進していきます。

私は思うのです。
氷高皇女(元正天皇)、若いうちに長屋王と結婚すればよかったのに。
別に長屋王でなくても、若いうちに天智天皇や天武天皇の子孫の誰かと結婚していれば、
女帝にならずに済んだはずなのに。
というのも、氷高皇女が長屋王と結婚していたら、
先代の元正天皇が崩御する際、女帝が続くことを避けるために、
おそらく皇統は長屋王に移ったはずです。
長屋王は、実は高市皇子の息子で、天武天皇の孫にあたるので、
いちおう、その資格はあるでしょう。
その後は、氷高皇女が長屋王の妻として子を産めば、
その子へと、淡々と皇統は天武系で受け継がれていったはずなのに。

当時、女帝は、あくまで男性の天皇のピンチヒッターとの考えが強くありました。
未亡人ばかりが女帝になってきたのがその証拠です。
そうであるなら、おばあさんの持統天皇も、お母さんの元明天皇も、
氷高皇女に「若いうちに結婚するべきよ」って、
すすめてあげるべきだったと思うのです。
どうして35歳になるまで放っておいたのでしょうか。
おそらく、最初から有事の際の中継ぎ要因として隔離されていたのだろうというのが通説になっています。
実際、そうなんだろうと思いますが、だとしたら、それはそれで、悲しい人生です。


即位から10年後、元正天皇は青年に成長した首皇子に皇位を譲ります。
当初のミッションを達成し、ついに“籠の鳥”から脱出できたわけですが、
元正天皇はすでに45歳になっていました。
しかも、この元正天皇、退位後25年くらい生き、
聖武天皇として即位した首皇子を、上皇として補佐します。
特に晩年は、病気がちで政務が行えず、
仏教信仰に傾きがちだった聖武天皇に代わり、
橘諸兄や藤原仲麻呂らと政務を遂行していたと言われています。

よくノブレス・オブリージュなどと言いますが、
この人の人生は、
弟からその息子へと皇位をつなぐためだけに存在しました。
その人生がどのような感情を伴うものか、私には想像もつきませんが、
今年、歌舞伎の市川宗家に起きた悲しい出来事を見ていると、
つなぐための人生というのは、あるものなのだなと思います。

[SE;KICHI]
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