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アガペー

こんにちは、あるいはこんばんは。
食べるか、ゲームするか、漫画見るか、アニメ見てるEnzoです。

最近のアニメは凄いですね!
アニメ凄いってことは原作漫画凄いってことですね!
何が凄いっておバカな私にはまず言葉が難しい・・・漢字が難しい・・・
なんて読むンだろ?難しい・・・ナドナードありますが

ちょっとした会話、動作の伏線とかが凄い。
あのセリフここで(意外と後半)つながるの?とか、
あの妙な一コマはここにきて意味があったンだと気づきます。
漫画のキャラクターの視線とか、手を握りしめていたとか、
その時は気にも留めない一言とかを巧みに使いこなす。
なんと複雑か、いやもう、帽子が脱げちゃいますね。

そして、その一コマの微妙なニュアンスをアニメが絡ませてくるンですよ。
アニメってことは動いてますよね。
漫画ってことは一コマ一コマで区切ってますよね。
その一コマの「間」を違和感なく満たしていくんですよ!
凄くないですか!?
基本原作とアニメって、作ってる人全然違うじゃないですか!
なんで原作(静)の雰囲気を崩さずにアニメ(動)にできるのか。
いやもう、帽子が却っていっちゃいましたね(ボウちがぅ・・・)

さらにそこに付け加えて耳にも効果的なのが、
オープニングとエンディングテーマです。
最近じゃテーマソング中のアニメーションにすら内容の伏線が!
そして、提供された楽曲とアニメの世界観の合致。
プリキュア始まったらプリキュアだー!(プ・リ・キュア~)ですよね?
ドラえもんが始まったらドラえも~ん(のび太)ですし、
仮面ライダー(イーッ)にウルトラマン(ジェアッ)
この唯一無二観が世界観の合致?(笑)
始まった瞬間に、あ!始まった!ってなりますよね。
ニホンゴトセツメイヘタデスイマセーン

楽曲のMVにもアニメに対するこだわりが感じられたり。
(葬送のフリーレン・呪術廻戦・推しの子など)
アニメ一作品の中で多種多様な人が、
熱意と頭フル回転で創り上げているンですよね。

『葬送のフリーレン』『呪術廻戦』『推しの子』
https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1684307113 , https://fod.fujitv.co.jp/title/5f35/ , https://rscnews.com/osinoko-cast/

昔から漫画ばっかり・・・アニメばっかり・・・なンて言われてますけど。
いや、最近はそうでもないですね。
常用に近い常用外(謎)の言葉と漢字を知る機会にはなると思います。
最近って漫画、アニメ、楽曲提供してる人たちがそもそも高学歴ですものね。

何が言いたいのかというと!
今後も一生懸命に食べて、ゲームして、漫画見て、
アニメ見て知識を蓄えたいと思います!

えぇ、食べて蓄えられる場所はほかにございましてよ。
しかし蓄えも必要! 備えあれば憂いなし! 
転ばぬ先の杖が支えきれずに折れちゃった!

なんてことにならないように気を付けます。

では、また。

[Enzo]
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飛鳥の執念⑯ ~大津と大伯(前編)

リクエストがありましたので大津と大伯について書いてみたいと思います。

大津皇子は、大海人皇子(のちの天武天皇)を父とし、
大田皇女を母として663年に誕生しました。
この大田皇女は天智天皇の娘で、鵜野皇女(のちの持統天皇)の実の姉にあたります。
つまり、大津は、天武天皇の子でありながら、天智天皇の孫でもあったわけで、
血筋の良さは天武帝の皇子達の中でもかなり上位でした。
なおかつ、当時の文書に、
容姿端麗、筋骨隆々、学問優秀、性格寛大と伝わっていますし、
和歌についてはかなりハイセンスだったので、
大津はかなりイケてる青年だったのでしょう。

しかし、母・大田は大津が4歳の時に亡くなってしまいます。
幼い彼と、2歳年上の姉・大伯皇女を引き取って育てた継母が、
母の妹である鵜野皇女(のちの持統天皇)です。
この鵜野は、母・大田とは父も母も同一でしたが、
同じ大海人皇子に嫁いでいたというところが大津にとって悲劇の始まり。

鵜野には、すでに、大津より1年年上の息子・草壁皇子がおり、
草壁は母・鵜野から溺愛されていました。
大津と草壁は、両者は、天武帝の子で天智帝の孫というスペックはまるで互角でしたが、
鵜野は、実子である草壁だけを可愛がり、
姉の子である大津には冷たくあたる、
小公女セーラのような環境でした。


天武帝崩御直後の混乱期、大津は亡くなります。
鵜野が、皇太子である我が子・草壁の地位を大津に脅かされることを怖れ、
大津に無実の罪を被せ死を命じたという定説です。

生前の天武帝の願いはただ一つでした。
自身の次の治世について、
長子・草壁が天皇に即位し、彼を頂点として、高市や大津らの諸皇子が補佐するという、
いわば中央集権体制の構築でした。
それがため、わざわざ吉野の地で『吉野盟約』を交わしたのです。
そして、これは私の予想なのですが、
高市や大津は、そのことはそれほどイヤではなく、
それが自らの役目だと腑に落としていたと思うのです。

大津が21歳になった時、天武帝は大津に国政への参画を許可します。
先述の通り、草壁を頂点とし、大津らがそれを補佐する体制こそ、
天武帝が望んだ形でしたから、むしろ草壁のために、
才気煥発な大津を育てようという意図での参画許可だったことでしょう。
この時点で草壁に嫡男が生まれていて、
嫡系相承が確定していたこともあったでしょうが、
天武帝には、大津が草壁を脅かすのではないかという発想は薄かったようです。

しかし、皮肉なことに夫の判断による大津参政が、
鵜野皇后の不安を掻き立てることになったのは間違いないでしょう。

686年9月、父・天武帝が崩御。
そのわずか3週間後、大津の謀反が発覚します。
即座に逮捕された大津は、鵜野から「死」を命じられます。 
享年24歳。

大津が死を命じられた時、涙を流して詠んだというのが、
「百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」
です。
磐余の池に鳴いている鴨を見るのも今日限り、
私は雲の彼方に去っていくのだろうか…という、
悲哀に満ちた歌です。
涙を流したのは、志なかばにこの世を去らねばならないという無念さゆえでしょうが、
甘ったれな私は、その志とは、謀反に失敗したことではなく、
父・天武帝の遺志に応えることができなかったことだったのではないかと、
彼の人生を不憫に感じるのです。

大津皇子。
言ってみれば、
鵜野皇女の「オンナの嫉妬」に狂わされた人生でした。

次回は姉の大伯皇女のほうを見てみましょう。

[SE;KICHI]

思い出される6年前

つい先日のことです。
お昼休憩の終わりごろ、息子からLINEがきました。
体調不良のため早退したいから迎えに来てほしいとのこと。
会社に事情を説明し、すぐさま半日休みをもらい、
高校まで迎えに行きました。

なんでも悪寒がひどかったらしく、発熱があったそうです。
まだ発症してから時間が経過していないので、
ひとまず病院は様子をみることにして自宅でおとなしくしていましたが、
夕方になって一応医者に行きたいと言ったので連れて行きました。
結果はインフルエンザもコロナも陰性。
時間がそんなに経過していないため正確ではないだろうと医者側からも言われ、
ひとまず薬をもらって帰宅しました。

そして翌日、熱がぐんぐんと上がり、再度医者にて検査してもらうと、
インフルエンザ陽性との判定でした。
長男はインフルエンザとの相性が悪く(いい人なんていないのでしょうけれど)
ものすごく高熱が出ます。
まだ幼い頃にかかった時はずっとふぅふぅ言っていました。
予防接種をしていても40℃越えが当たり前でした。
そして長男と言えば、
6年前の小学校の卒業式めがけてインフルエンザにダブルで罹り、
卒業式に出られなかった事件が思い出されます。

 コレ ⇒ 卒業式に出られなかった事件

そのため中学校の卒業式に参加できた時は、それは感慨深いものでした。
それなのに、あともう一カ月半ほどで卒業というこの時期に、
またインフルエンザに罹ってしまうなんて・・・。

これで終われば問題ないんです。ですが、
6年前の1回目はまだ間に合うタイミングだったのにもかかわらず、
まさかの2回目も罹患し出席できず・・・。
聞けば、同じクラスでコロナも出始めたとか・・・
もう本当に勘弁してください。

それはさておき、布団にくるまってふうふう言っている彼を見ていて、
春から一人暮らしを始める彼は、
体調不良の時ちゃんと対応できるのか心配になりました。
今、具合が悪かろうがよかろうが、至れり尽くせりの生活をしているので、
こういった自分がしんどい状況の時にどうするかも、
確認しておかなければいけないなあと、改めて認識させられました。
大事なことですね。

いずれにしても、なんとか、なんとか、無事卒業式に出席できますように、
治癒した後も感染対策をしっかりしていきたいと思います。

[okei]

そんな言いつけを、いつまで守っているのですか。

年末年始、久々に会う方なんかとお話ししていると、
案外、NHKの連続テレビ小説を楽しみにしている人が多いことに気づきます。
現在放映されている『ブギウギ』は、
終戦直後に活躍した歌手・笠置シヅ子をモデルにした一代記で、
確かに、私から見ても、脚本、演出、演者の三拍子が揃った、
近年稀に見る、出色の出来だと感じます。

特に、昨年12月の初旬に放送された、
弟の戦死に打ちひしがれる主人公と父親の姿を描いた週は秀逸でした。
世間が、戦果を伝える大本営放送に沸き立っている中で、
まるで自分たちだけが音にない水底に沈んでいるかのような描写で、
その時勢の勇ましい世相と個々人の虚無感がコントラストとして迫ってきて、
とてもリアリティを感じられるものでした。

さて。
悲しみというか虚無感のあまりスランプに陥った主人公のため、
作曲家の羽鳥善一(モデルは服部良一)が作った曲が「大空の弟」。
出征した弟の身を案じつつ、伏字だらけで情報が少ない当時の当局を批判しています。
ドラマで披露されたこの曲は、歌詞は変えてあるものの、
つい最近発見された曲だそうで、
万感の想いで歌う福来スズ子(趣里)の表情も相まって、実に感慨深いです。

今や戦後生まれは全人口の9割近くとなり、
聞けば、日米がかつて戦ったことすら知らぬ学生が増えたそうです。
少し前の世界価値観調査という世界86ヵ国での一斉アンケートでは、
「有事の際、国のために戦いますか」との設問に対し、
日本人は約13%しかYESと答えず、これは世界最低です。
もしかして、敗戦国だから卑屈なのか?と思ったりしますが、
日本と同じ敗戦国であるドイツは45%ですから、日本だけがダントツで卑屈です。
確かに、かつて、GHQの War Guilt Information Program というのがあって、
そのせいで、日本人は、
「この戦争は、日本だけがとことん悪かったのだ」と思い込まされてきたことは事実ですが、
War Guilt Information Program はすでに役目を終えていると思うし、
事実、いまは GHQという組織もなければ、アメリカが日本を洗脳する意味もありません。
それなのに、多くの日本人はいまだに律儀に守っていて、
おそらくは、当時のGHQの期待以上に効いてしまっている状態だと思うのですが、
これでは六郎たち、戦死した方々に申し訳がたちません。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶといいます。
当時、日本はなぜアメリカと戦わねばならなかったのか、
そもそも、それ以前の日本と中国の遺恨とはなんなのか、
戦争を軍部の暴走と片付ける言説もありますが、
当時の日本人は本当にそんな情報を妄信していたのでしょうか。
自分の身内が出征していくことを万歳と思っていたのでしょうか。
どんな気持ちで送り出していたのでしょうか。

2024年。
悲しみを乗り越えて、人々のために謳う笠置シヅ子の物語は続きます。
私たちもそれに倣い、自分の悲喜こもごもを乗り越えて、
他者のために何ができるか、考えられる自分でありたいと願います。

[SE;KICHI]

あの場所に?

年頭から悲しく厳しい出来事が続いて、
とてもおめでとうとはいえない状況ではありますが、
今年も元気よくやっていきたいと思っております。

毎度毎度ネタがなく、なんとか捻り、グルメ関連ですみません。
先日、昨年12月富山で新しくオープンした、話題のラーメン屋さんに行ってきました。

「中華そば専門店 あざみ大岩本店」という店です。

実はこれ、上市町の大岩山日石寺という、有名なお寺の門前町にあるのですが、
とにかく山奥にある、アクセスがいいとは言いにくい場所にあります。

ただ、山奥とはいえ1300年も前からある真言密宗のお寺なので歴史が古く、
写経や滝行体験などで夏場に訪れる人が多く、
アニメ映画『おおかみこどもの雨と雪』のモデルとなった家があること、
また近くの「ドライブイン金龍」というお店の素麺は大変有名で、
わざわざ行列ができるほどの人気店になっています。

しかしながら、冬場は山深く寒さが厳しいことから、
人があまり近づかないイメージですので、
こんな時期にあの場所にオープン???という感覚で、
途中田んぼと家くらいしかない道をまっすぐ向かいました。

そして日石寺の駐車場前に、突然現れました。
本当にあった!(笑) とびっくりしましたが、
クルマがたくさん停まっていて、たくさんの人がいました。
人気ぶりが伺えます。

あざみ大岩本店 あざみ大岩本店券売機

ラーメン(中華そば)はかなりシンプル。 

しかし、その出来はかなり奥深い作りになっていて、
出てきた時は、当初の想像以上の物でして驚きました。
富山にはこんなラーメンなかなかありません。

喜多方ラーメンのようなあっさりしつつもコクの深いスープに、
佐野ラーメンのような不揃いで、かなりコシの強い手打ち麺が特徴です。

チャーシュー麵(肉中華)

私が頼んだのはチャーシューメン(肉中華)ですが、
肉の量も多く、このビジュアルに圧倒されます。
そして何よりも麺の量が並サイズでも300gもあり、
結構な量がありますので、満足度がかなり高いです。
多めですので、女性にはちょっと量が多いかもしれません。
小サイズもあります。

ギリギリまで迫るスープ

見てください、このギリギリまで迫るスープ!
脂っこくなくスッキリしたスープは最後まで飲み干せます。


調べたところによると、
店主さんは、日石寺の門前町にある「旅館だんごや」の6代目の方だそう。

同じく参道の登り口で営業していたそうめん店が閉店することを知って、
旅館で修行したそうめんの技術を、好きだったラーメンに応用し、
中華そば専門店を開業することを決めたそうです。
かんすいを少なめにした平打ちピロピロ麺を朝4時から手打ちし、
県内外で食べ歩いて研究した結果編み出した、
深みのあるスープが特徴のラーメンとのこと。

実際食べてみましたが、
濃口が多い富山県ではあまりお目にかかれない、
本格的なラーメン店ができたと感心いたしました。

ただ、とにかく山奥で遠い…。

もう少しアクセスがよければと思ったりもするのですが、
味も量もとても満足度の高いラーメンですので、また訪れたいと思います。

[K.K]

命とか、そんな深い話ではないでしょう。

正月に羽田空港で事故がありましたよね。
着陸しようとした日航機を海上保安庁の航空機が支障したという事故で、
日航機に追突された形の海上保安庁機の乗員は何人かが亡くなったものの、
これによって炎上した日航機のほうは、乗客乗員が全員が生還したという、
奇跡的なオペレーションが讃えられている事故でした。

映像で見る限り、追突発生とほぼ同時に、まるでギャラガとかゼビウスのように、
瞬間的に火災が発生しているのだけれど、
結果として379人全員が生還しているのは、
素人目で見ても「スゲェ」と思ったものです。

というわけで、まぁ、事故の根本原因は何かとか、
管制塔は何をやってたのかとか、そういう細かい原因究明とは別次元で、
一般人としては、「JAL、やるじゃん」っていう事故だと思うんですよ。

ところが、この件は意外な方向に盛り上がりましたよね。
この火災で、荷物として貨物室に預けたペットの犬が死んだことに対し、
動物といえど同じ命なのに、
ペットが荷物扱いってどうなんだ

ケージに入れるから客室に同乗できるようにしてほしい、と。

まぁ、私自身の価値観としては理解できませんが、
東日本大震災でも、
可愛がっていたペットを抱いたまま津波に飲まれた人もいたらしいし、
このたびの能登半島地震でもペットを慮って避難所に入らない方もいるそうなので、
本気で、ペットを家族と考えている方がいらっしゃることは承知しています。
だから、客室に、その家族であるペットも連れて入りたいという論法も分かります。

しかし、私は困るのです。

私の息子は猫アレルギーを抱えており、
友人宅に遊びに行く際、
仮に姿が見えなくても、その家で猫が飼われていたら症状が出ます。
顔が腫れ上がり、気道も腫れるのか、呼吸が苦しくなるのです。
彼が飛行機に乗ったとき、もしも同じ客室内に猫がいたら。
彼は生きて到着ゲートを通れないかもしれません。
大袈裟かもしれませんが、そんな人もいるという話です。

では、猫アレルギーの話はいったん置くとして、
仮に、ペットは家族だという方の主張を容れ、
客室へのケージでの持ち込みを認めるとして、
今回のような緊急時に、それを置いて逃げることができるのか、という問題もあります。
貨物室でなく、なまじ、そこに見えている「家族」を見捨てることができるか、です。
まぁ、この点についても、「『緊急時に放置して逃げろ』はおかしい」と主張する方もいますが、
放置して逃げるにしても、抱きかかえて逃げるにしても、
そこで手間取れば、今回のような全員脱出は難しくなりそうな気がします。
今回、乗客乗員全員が生還できたのは、
全員が乗務員の言うことを聞いて、荷物の持ち出しを諦めたからだと思うんです。
誰か一人でも無視して荷物を持ち出そうとすれば、
私も私もと荷物に群がり、円滑に避難できなかったはず。
ペットを含め、荷物の持ち出しを許容したら命はないでしょう。

また、私の息子は、せっかく脱出のチャンスが来ても、
脱出口で接触した、猫を抱えた愛猫家に殺されるのかもしれません。

昔はねぇ。
クラスメイトに1人か2人、「犬の散歩しなきゃだから旅行行けない」とか、
「猫にエサやらなきゃだから家族旅行はしたことない」とかいう子がいて、
子ども心に、「生き物を飼うって大変だなぁ」と思ったものです。
その時代は、学校でもウサギやらチャボやら飼っていて、
夏休みとか、当番制で世話をしに行ったもんですしね。
大学生くらいになると、セレブさんの旅行中に、
飼い犬を散歩させてエサをやるという割のいいバイトもありました。

生き物を飼うって、そういうことじゃないかと思うんですけどね。
家族だと思うことは、ある意味で当然だし、
私だって、飼えば家族と思うだろうとは思いますが、
それは、当然、行動にある程度の制約を受けることでしょう。

貨物室にしろ客室にしろ、ケージに入れなくてはいけないわけで、
そのことは、その大切な「家族」にとって嬉しいことでしょうかね。
そんな不自由な思いをして旅行に行くより、
家の近くの公園とか河川敷を駆け回れたほうが幸せなんじゃないですかね。

私の息子は、人間で、正真正銘の家族です。
それを、「飛行機に乗せるときはケージに入れてください」と言われるなら、
旅行なんて行かないですよ。
貨物室かどうかとか、避難時に連れ出せるかどうかとか、
それ以前の問題です。
病気で搬送とかでない限り、
大切な家族を、ケージでは運ばないと思うんです。

そう思うと、犬や猫は、やっぱり犬や猫なんだなと思うのです。
いくら「家族」だと言ってみても、
ケージに入れることを受け入れた時点で、
人間の家族とは違うな
、と。
「同じ命」とか言われちゃうと、情緒的に押し流されそうになるけど、
人間は赤ん坊でもケージには入れないけど、犬猫は入れるわけで、
同じではないですね。

そして、この話で何よりムッとしたのは、
どなただったか、芸能人の方が、
「どちらかを助けるなら、他人より自分の犬」と発言し、
それに賛同するツイートが多かったこと。
「いやいや、他人でも人間を優先すべき」という声を、
『多様性』を盾に押し返してました。

命とか、高尚なものを引き合いに出していますが、
結局、自分のことだけの主張ってことです。

耳を貸すと損します。

[SE;KICHI]

優勝しちゃいました。

またまたバレーボールの話で申し訳ないのですが…

12月初旬のジュニアチームのお話です。
今年度6年生最後の県大会がありました。

なんと優勝しちゃいました。

富山市の予選でも6位ほどでやっと出場できた様な感じだったのですが、
あれよあれよと勝ち上がり、
富山市予選でも上位の3チームに勝っての優勝でした。
大会2日目に準々決勝で富山市1位(夏の県優勝)のチームに当たり、
監督も父母もベスト8で終わりか~の感じが漂っていて、
私個人は少し不満気味ではあったのですが、
それでも練習試合でも勝つことがほぼ無く、
負ける可能性が高いことは承知していました。

中学生でも格上と思われるチームに、
力を出し切ることなくコテンパンに負けるのをたくさん見てきましたから、
せめてやれることを出し切って欲しいと。
勝たせたい気持ちとの葛藤がありました。

思いっきりやれるように監督と相談して、
普段やらないハイタッチしながらコートに送り出そうと笑顔で対応していると、
緊張している感じが無く良いモチベーションをみてとれました。

困ったのが勝ってからです。
お母さん達は予想外の勝利の為、観客席で興奮状態です。
父母会長にドリンクやゼリー飲料があったら早く飲ませてとお願いすると、
「まさか勝つなんて思ってなくて準備してないです(汗)」
いやいや困りました。
そこに颯爽と現れた普段は来られないお父さん。
「何か必要な物ありませんか?」と
輝いて見えました。

話は戻って小学生。
1位に勝って満足して終わってもらっても困ると思い、声がけすると、
なにやらニヤニヤと。
1位に勝ったし私たちが1位じゃない?と。
完全に調子に乗っています。
監督とも今日は調子に乗せとこうと。
私たちだけは冷静でいようねと話をしていましたが、
ついに決勝戦の試合終盤、監督が泣き始め、
指示の為に椅子から立ち上がると興奮しているのか椅子に座り損ね、
ベンチは爆笑状態。
父母も出したことが無いくらいの声で応戦しています。

本当に楽しかったです。

4年前まで私の同級生が監督をしていたこのチーム。
残念ながら亡くなってしまって、その時にいた最後の教え子たち。
なにか私も感じるところで、
優勝後にその同級生の長女が私の所に泣きながら走ってくるのを見た瞬間に涙腺が…
涙はよく出るのですが今回は最高でした。

いつかまたこの経験が出来たらいいなと思います。

[WAKA]

どっちがいっぱい人を助けるか、競争だぞぉ~

「めでたさも中くらいなりおらが春」とは、
小林一茶の有名な俳句ですが、
今年は、元旦の大地震に2日には航空事故と、
まさにこの句を体現するような幕開けとなってしまいました。
犠牲となられた方のご冥福をお祈り申し上げるとともに、
被災された方には心よりお見舞い申し上げます。

地震発生時は元旦の夕方でしたが、
私は、家族ぐるみで親しくしている何家族かでお酒をいただいておりました。
各家族の大人の職業は、工場勤務に自衛官、建設会社事務やスーパー勤務、
瓦職人に自動車販売、市役所勤務など、多種多様でした。
今年はそんなに寒くなかったので、暖房の利いた部屋で、
大人たちはダラダラと酒を食らい、子どもはそのへんを駆け回るという、
まぁ、よく言う“お屠蘇気分”で過ごしていたわけです。

16時10分。
一同のスマホから一斉に緊急地震速報。
子どもたちに、テーブルの下に隠れるように指示していると、
ほどなく揺れ始めました。
酔っ払いたちは動きも鈍く、「お?」という感じでしたが、
揺れはものの30秒ほどで収まったので、「やれやれ」とホッとしていたところ、
強い揺れに襲われました。
私は阪神大震災を経験していますので「こんなの初めて」ってことはないですが、
ずっと富山に住んでいる人は震度3以上は経験がなく、
キッチンで食器などが割れる音がするなか、パニックに陥っています。

揺れが収まった後、テレビで震源に近い場所の惨状を見て絶句した私たち。



市役所勤務の男性は、「あ~、こりゃ出勤になるな~」と言って、
ちょっとだけ苦笑いしながら立ち上がって、すぐに真顔になって、
手早く自分の小学生の子どもたちを呼び、
「パパ、みんなのために行ってくるから。ママを頼むね」と言いました。
ママは「あなた、気を付けてね」と声を掛けましたが、
彼は「そんなことは被災した人に言ってやれ」と言い返しました。
仲間内では気弱で引っ込み思案と思われている彼だったので、
それを聞いた私はびっくりしました。

続いて、その間、どこかと電話で話していた自衛官の男性は、
電話を切った後、「出勤することになったわ」と言いました。
彼は、奥さんが里帰り出産で実家に戻っていたため、
上の、幼稚園児の娘さんを連れてきていたのですが、
私たちのほうを向いて、「娘を頼みます」と頭を下げました。
それから顔を上げて、
「でも、何かあったら置いて逃げて構いませんから。ご自分優先で」と言いました。
そして、娘を呼んで、
「助けてって言ってる人を助けに行ってくる」と言いました。
そして、次に、なんと、「この人たちの言うことをよく聞いて……」などではなく、
「〇〇ちゃんも、困っている人を見つけたら助けるんだよ。
どっちがいっぱい人を助けるか、お父さんと競争だぞぉ~」と声を掛けました。

この2人は、元旦から地震があることを知っていたわけではなく、
不測のことに備えて飲まずに過ごしていたため、
ハンドルを握り、クルマを駆って出かけていきました。
それぞれ、おそらくはもっとも大切なものを置いて、です。

カッコよくないですか?

公務員は、公務員というだけで非難されたり、
“お役所仕事”などと仕事ぶりを揶揄されたりするわけですが、
私が見た彼らは、緊急時に使命感を持って立ち上がることができていますし、
そればかりか、いつ起こるとも分からない緊急時に備え、
正月なのに飲まずに待機していたわけです。

一方、この日、正月だからと昼間から酔っぱらっていた私ができたことは、
知人の安否確認をしたことと、水と食料を被災地に送ったことと、
幾ばくかのお金を寄付したことくらい。
公務員のみなさんと比べ、情けない限りです。

公務員は、普段の仕事ぶりは個々にいろいろあるかもしれませんが、
いざというときには我が身を顧みず働くという職種なのでしょう。
私たちは、市役所にしろ自衛隊にしろ、消防にしろ警察にしろ、
そういう方々の使命感によって助けてもらっているということを心に刻むべきでしょう。
もちろん、しょうもない公務員もいることでしょうが、
それは公務員に限らず、会社員でも自営業でも、しょうもない人はいるわけで、
私たちは、立派な方々に敬意を表することこそ大切なことです。

それに引き換え、SNS を覗いてみると、
「被災地の方の無事をお祈りしております」という善意の投稿に、
「こんなの被災地の人は読まないのにいい子ぶったコメントしやがって」と、
悪意のコメントがついたり、
上記の、緊急時に駆り出される公務員に関しても、
「ありがとうございます、頑張ってください」という激励のコメントに、
「公務員なんだから、こういう時に働くのはあたりまえだろ」と反論がされるなど、
ちょっと、どう教育されたらそんな心ないことを言えるのか、
育ちを疑わざるを得ないコメントがあふれかえっていて、
驚くとともに、日本の、相互扶助の心はどうなっているのか、
非常に嘆かわしく感じました。

もう一度、自衛官の彼の、
「困っている人がいたら助けるんだよ。
どっちがいっぱい人を助けるか、競争だぞぉ~」
を、
肝に銘じたいところです。

あらためまして、犠牲となられた方のご冥福をお祈り申し上げるとともに、
被災された方には心よりお見舞い申し上げます。

[SE;KICHI]

謹んでお見舞いを申し上げます。

謹んでお見舞いを申し上げます。

この度の令和6年能登半島地震により被災された皆様にお見舞いを申し上げます。
犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災地域の一日も早い復旧を衷心よりお祈り申し上げます。

株式会社セイシン

年頭のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

旧年中は格別のご高配を賜り誠にありがとうございました。厚くお礼申し上げます。

日頃よりご支援いただいている皆さまのおかげで無事新年を迎えることができました。
心より感謝申し上げます。

今年も皆さまのご期待に応え、ご満足いただけるよう精一杯努力して参りたいと存じます。

本年もより一層のご支援を賜りますよう社員一同心よりお願い申し上げます。
そして、皆さまのご健勝とご発展を祈念いたしまして、新年のご挨拶とさせていただきます。

代表取締役 松田 昌貴
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
富山県富山市飯野16番地の5
TEL:(076)451-0541
FAX:(076)451-0543

■新潟営業所/
〒950-1142
新潟県新潟市江南区楚川甲619番地6号
TEL:(025)283-5311
FAX:(025)283-7469



URL:http://www.kk-seishin.com/

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