忍び寄る赤い影
大阪府が、25日の戦略本部会議で、
私立高校の授業料を完全無償化する制度案をまとめたそうです。
入学金とか制服代とか、一定の必要経費はかかるものの、
授業料負担はゼロとなるということで、生徒や保護者の反応は好意的だそうです。
この制度は、大阪維新の会に所属する吉村知事の肝入りで、
経済的な心配をせず、
生徒たちには行きたい学校を目指してほしいという意図があるそうです。
大阪府では、公立高校の授業料無償化は春先に決定していますから、
今回の私立高校の授業料無償化により、
「公私ともに、授業料ゼロ」ということになります。
親としては助かるでしょう。
また、それ以上に、
新聞には、「いままで私立に行きたいと思ってたけど、
家の負担を考えたら言い出せなかった」という女子生徒の、
「これで親に行きたいと言える」という喜びの声が出ていました。
いいことづくめですね、めでたしめでたし。
しかし、実は、私は、性格がねじくれているのか、
こういう種類の話に違和感を抱きやすい者です。
まず、授業料ゼロということは、各家庭の負担はありませんという意味ですが、
それでは学校は運営できませんから、
その運営費用は大阪府が各校に支給する形になるはずです。
そしたら、各学校は、誰を気にしながら運営されることになるでしょうか。
これまで、私立高校というのは、
生徒やその保護者が「顧客」であるという構造を持っていました。
果たして、大切な顧客に対して厳しい教育はできるものなのかという疑問は当然ですが、
そこは伝統校になればなるほど、校風をぶらさないことで、
より保護者の支持を得ることができるという結果につながり、
おそらく、顧客でありながら厳しく育てることはできていました。
しかし、これからは、お客様は大阪府です。
預かっている生徒の保護者うんぬんよりも、
お金をくれる大阪府に尻尾を振っておかないと、
運営がおぼつかなくなりますよね。
そもそも、子育ての目的は、
先に去る者(親)が、後に残る者(子)に、
一人でも力強く生きていけるように鍛えること
でしょう。
その観点から、私立は高いことは百も承知ながら、
独自の教育に期待し、それを選んでいるという家庭があるわけです。
すなわち、「高いけど、ウチの子の未来のために、
この高校に行かせたい」という親の願いです。
もちろん、経済的な理由からそれを選択できないケースがあることは、
気の毒なことではありますが、
だからと言って、全部をゼロ円にして、
「公立も私立も差はありませんけど?」というのはどうなのでしょうか。
すなわち、「高いけど、ウチの子の未来のために、
この高校に行かせたい」という親の願いはどうなるのでしょうか。
私は、高いものには高い理由があると思っています。
原則論ですが、価値の高いものには高値がつきますし、
価値の高くないものには二束三文の値がつきます。
私たち消費者は、ついつい、安いとありがたいというメンタルになりますが、
それが安いのは、安物だからです。
高いものには価値があるものです。
そうであるならば。
私立高校の授業料が公立高校より高いのは、
その授業内容の価値が高いから、です。
もちろん、絶対の価値評価ではありません。
提供する側(学校)と消費する側(保護者)が納得している場での、
当事者同士における価値評価です。
つまり、保護者が納得している価格なわけです。
繰り返しますが、経済的な理由からそれを選択できない方がいるのは、
気の毒なことではあるけれど、
それはその家庭への個別支援が必要な案件なのであって、
頑張って工夫して、独自の価値を提供している私立高校に対して、
「公立も私立も差はないと認めるなら、運営費を渡すぜ」というのは、
ちょっと、恫喝して言うことを聞かせるという、
どこぞの赤い国のような感じがして、少しゾクッとするものがあります。
この、生徒の選択肢を広げるために授業料免除…以外にも、
出産一時金の増額とか、コロナ関連の補助金とか、
マイナポイントだって然り。
気がついたら選択肢を奪われているような政策は他にもありそうです。
私たちは、忍び寄る「赤」に飼いならされているかもしれません。
[SE;KICHI]
私立高校の授業料を完全無償化する制度案をまとめたそうです。
入学金とか制服代とか、一定の必要経費はかかるものの、
授業料負担はゼロとなるということで、生徒や保護者の反応は好意的だそうです。
この制度は、大阪維新の会に所属する吉村知事の肝入りで、
経済的な心配をせず、
生徒たちには行きたい学校を目指してほしいという意図があるそうです。
大阪府では、公立高校の授業料無償化は春先に決定していますから、
今回の私立高校の授業料無償化により、
「公私ともに、授業料ゼロ」ということになります。
親としては助かるでしょう。
また、それ以上に、
新聞には、「いままで私立に行きたいと思ってたけど、
家の負担を考えたら言い出せなかった」という女子生徒の、
「これで親に行きたいと言える」という喜びの声が出ていました。
いいことづくめですね、めでたしめでたし。
しかし、実は、私は、性格がねじくれているのか、
こういう種類の話に違和感を抱きやすい者です。
まず、授業料ゼロということは、各家庭の負担はありませんという意味ですが、
それでは学校は運営できませんから、
その運営費用は大阪府が各校に支給する形になるはずです。
そしたら、各学校は、誰を気にしながら運営されることになるでしょうか。
これまで、私立高校というのは、
生徒やその保護者が「顧客」であるという構造を持っていました。
果たして、大切な顧客に対して厳しい教育はできるものなのかという疑問は当然ですが、
そこは伝統校になればなるほど、校風をぶらさないことで、
より保護者の支持を得ることができるという結果につながり、
おそらく、顧客でありながら厳しく育てることはできていました。
しかし、これからは、お客様は大阪府です。
預かっている生徒の保護者うんぬんよりも、
お金をくれる大阪府に尻尾を振っておかないと、
運営がおぼつかなくなりますよね。
そもそも、子育ての目的は、
先に去る者(親)が、後に残る者(子)に、
一人でも力強く生きていけるように鍛えること
でしょう。
その観点から、私立は高いことは百も承知ながら、
独自の教育に期待し、それを選んでいるという家庭があるわけです。
すなわち、「高いけど、ウチの子の未来のために、
この高校に行かせたい」という親の願いです。
もちろん、経済的な理由からそれを選択できないケースがあることは、
気の毒なことではありますが、
だからと言って、全部をゼロ円にして、
「公立も私立も差はありませんけど?」というのはどうなのでしょうか。
すなわち、「高いけど、ウチの子の未来のために、
この高校に行かせたい」という親の願いはどうなるのでしょうか。
私は、高いものには高い理由があると思っています。
原則論ですが、価値の高いものには高値がつきますし、
価値の高くないものには二束三文の値がつきます。
私たち消費者は、ついつい、安いとありがたいというメンタルになりますが、
それが安いのは、安物だからです。
高いものには価値があるものです。
そうであるならば。
私立高校の授業料が公立高校より高いのは、
その授業内容の価値が高いから、です。
もちろん、絶対の価値評価ではありません。
提供する側(学校)と消費する側(保護者)が納得している場での、
当事者同士における価値評価です。
つまり、保護者が納得している価格なわけです。
繰り返しますが、経済的な理由からそれを選択できない方がいるのは、
気の毒なことではあるけれど、
それはその家庭への個別支援が必要な案件なのであって、
頑張って工夫して、独自の価値を提供している私立高校に対して、
「公立も私立も差はないと認めるなら、運営費を渡すぜ」というのは、
ちょっと、恫喝して言うことを聞かせるという、
どこぞの赤い国のような感じがして、少しゾクッとするものがあります。
この、生徒の選択肢を広げるために授業料免除…以外にも、
出産一時金の増額とか、コロナ関連の補助金とか、
マイナポイントだって然り。
気がついたら選択肢を奪われているような政策は他にもありそうです。
私たちは、忍び寄る「赤」に飼いならされているかもしれません。
[SE;KICHI]
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