Put yourself in someone’s shoes.
『親を亡くした子供を孤児という。
伴侶を亡くした夫を寡夫、妻を寡婦という。
しかし、子供を亡くした親を呼ぶ言葉はない。
その痛みを言葉で表すことはできないからだ。』という、
やや格言めいた言葉があります。
私が知ったのは、アメリカ同時多発テロの際の、
当時のニューヨーク市長による追悼演説でしたが、
それ以前から人口に膾炙してきた言葉なのかどうかは不明ながら、
いい言葉だなと思ったものです。
冒頭の言葉。
子供を亡くした親を指す言葉が用意されていないということは、
それはずいぶんとイレギュラーな事態なのかも知れないと思うのです。
そうであるなら、それを経験したことのない者が理解・共感することは不可能で、
「うん、うん、分かるよ」ということにはならないのだろうと思うのです。
少し前、熊本にある『赤ちゃんポスト』についての議論を目にしました。
ポストが15年の実績を持つことを指した好意的な意見と、
受け皿を作ったことで不用意に妊娠するバカモノが増えたのではないかという疑念、
その両者との相剋です。
私は、まぁ、ポストが熊本ではなく新宿あたりに設置されていたら、
果たしてどうなっていたのだろうと考えたりもしますが、
それでも、若い女性が百貨店のトイレで自力で出産し、
そのまま赤ん坊を捨てて去るようなことが起こるくらいなら、
赤ちゃんポストは有意義だと思っています。
こういう、ポストを利用する方はどういう気持ちなのでしょうか。
私は、それを経験したことがないので、
理解・共感することはできませんが、
きっと、私たちには分からない、特別な感覚があることでしょう。
しかし、共感が難しいことを承知で、そこを少し考えてみます。
もちろん、2歳児を自宅に残して泊まりでテーマパークに出かけ、
残された2歳児は脱水で亡くなったとか、
そういうのは論外というか、言語道断です。
そういう者に引き合いに、「それ見たことか」と批判することは簡単です。
しかし、多くの、ポストの利用者というのは、
死ぬかもしれない環境に放置しているのではなく、
ポストの裏に控えている善意に頼っているのであり、
祈るような気持ちなのではないかしら、とも思うのです。
つまり、自らの快楽のために子供が邪魔になって……
というポスト利用者も、いることはいるでしょうが、
多くは、致し方ない事情があって、断腸の思いで、
「いい人に拾われて幸せになってね」と、
祈るような気持ちで利用しているのだと思うのです。
私は、基本的にいかなる理由があろうとも、
中絶はよくないという価値観を持っています。
私は、実家が天国にあって、
そこから、社会勉強のためにこの世に派遣されている…と考えています。
生まれる前には、自分で両親を選び、
人生の途上で起こることも大まかに自分で設定して、
その計画書に神様から承認印をもらって、
それで生まれてきていると思っているのです。
つまり、異論はあるかもしれませんが、
自分の環境や障害の有無など、
ほとんどは自分で決めてきていると思っています。
そうやって生まれる準備を進めてきた私たちにとって、
中絶されて生まれることができないなんて、
これは大変な事態です。
「こういう人生で、こういうことを学ぼう」と決めていたのに、
生まれることができなければ台無しです。
というわけで、私は、基本的に中絶はよくないと思っていて、
仮に、なんらかの理由で自力で育てることが困難であったとしても、
そういう人のために赤ちゃんポストが用意され、
その後の里親制度も整備されているのだから、
そういうのを利用してでも、子供が人生を全うできるよう、
問題点ばかりを見るのではなく、
肯定的に見てほしいと思うのです。
40年前、マザー・テレサが来日した際に、
「日本は美しい国だが、中絶が多く、心の貧しい国だ」と言ったそうです。
反論のしようもありません。
少しずつ豊かになりたいものですね。
[SE;KICHI]
伴侶を亡くした夫を寡夫、妻を寡婦という。
しかし、子供を亡くした親を呼ぶ言葉はない。
その痛みを言葉で表すことはできないからだ。』という、
やや格言めいた言葉があります。
私が知ったのは、アメリカ同時多発テロの際の、
当時のニューヨーク市長による追悼演説でしたが、
それ以前から人口に膾炙してきた言葉なのかどうかは不明ながら、
いい言葉だなと思ったものです。
冒頭の言葉。
子供を亡くした親を指す言葉が用意されていないということは、
それはずいぶんとイレギュラーな事態なのかも知れないと思うのです。
そうであるなら、それを経験したことのない者が理解・共感することは不可能で、
「うん、うん、分かるよ」ということにはならないのだろうと思うのです。
少し前、熊本にある『赤ちゃんポスト』についての議論を目にしました。
ポストが15年の実績を持つことを指した好意的な意見と、
受け皿を作ったことで不用意に妊娠するバカモノが増えたのではないかという疑念、
その両者との相剋です。
私は、まぁ、ポストが熊本ではなく新宿あたりに設置されていたら、
果たしてどうなっていたのだろうと考えたりもしますが、
それでも、若い女性が百貨店のトイレで自力で出産し、
そのまま赤ん坊を捨てて去るようなことが起こるくらいなら、
赤ちゃんポストは有意義だと思っています。
こういう、ポストを利用する方はどういう気持ちなのでしょうか。
私は、それを経験したことがないので、
理解・共感することはできませんが、
きっと、私たちには分からない、特別な感覚があることでしょう。
しかし、共感が難しいことを承知で、そこを少し考えてみます。
もちろん、2歳児を自宅に残して泊まりでテーマパークに出かけ、
残された2歳児は脱水で亡くなったとか、
そういうのは論外というか、言語道断です。
そういう者に引き合いに、「それ見たことか」と批判することは簡単です。
しかし、多くの、ポストの利用者というのは、
死ぬかもしれない環境に放置しているのではなく、
ポストの裏に控えている善意に頼っているのであり、
祈るような気持ちなのではないかしら、とも思うのです。
つまり、自らの快楽のために子供が邪魔になって……
というポスト利用者も、いることはいるでしょうが、
多くは、致し方ない事情があって、断腸の思いで、
「いい人に拾われて幸せになってね」と、
祈るような気持ちで利用しているのだと思うのです。
私は、基本的にいかなる理由があろうとも、
中絶はよくないという価値観を持っています。
私は、実家が天国にあって、
そこから、社会勉強のためにこの世に派遣されている…と考えています。
生まれる前には、自分で両親を選び、
人生の途上で起こることも大まかに自分で設定して、
その計画書に神様から承認印をもらって、
それで生まれてきていると思っているのです。
つまり、異論はあるかもしれませんが、
自分の環境や障害の有無など、
ほとんどは自分で決めてきていると思っています。
そうやって生まれる準備を進めてきた私たちにとって、
中絶されて生まれることができないなんて、
これは大変な事態です。
「こういう人生で、こういうことを学ぼう」と決めていたのに、
生まれることができなければ台無しです。
というわけで、私は、基本的に中絶はよくないと思っていて、
仮に、なんらかの理由で自力で育てることが困難であったとしても、
そういう人のために赤ちゃんポストが用意され、
その後の里親制度も整備されているのだから、
そういうのを利用してでも、子供が人生を全うできるよう、
問題点ばかりを見るのではなく、
肯定的に見てほしいと思うのです。
40年前、マザー・テレサが来日した際に、
「日本は美しい国だが、中絶が多く、心の貧しい国だ」と言ったそうです。
反論のしようもありません。
少しずつ豊かになりたいものですね。
[SE;KICHI]
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