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おいしいあんみつを思いながら。

こんにちは、あるいはこんばんは。
初めましてEnzoです。
ちなみに読み方は「エンゾー」ではなく「エンツォ」です。
某イタリアのお馬さんエンブレムと薔薇をイメージした真っ赤なカラーが有名な、
車メーカの創始者から勝手に拝借しております。
ちなみに所有しているとかそういうのじゃぁないンです。
残念ながら・・・

P/N がイタリアなのは母方は純粋な日本人ですけど、
父方の爺ちゃんがイタリア人で、
幼少期~ちょい頃までは何度か行ったりしていました。
変なところで向こうのちょっとした文化?みたいなものが見え隠れします。
例えば時計は右腕につけるとか・・・
なので、もしあちらに行く機会がありましたら、
観光地とか変わった食べ物とかアドバイスできると思います。

なんて言ってみたいな~と思っている、
妄想全開ド田舎まっしぐらの純日本人です。


熊の出没報告も役所とかに連絡したこともありますし、
隣の家の屋根で猿が柿食べてたりもします。
あ、腕時計は右腕にしていますけどね! 左利きなので!

初投稿なので何を書いたらいいか迷ったンですけど、
結果どんな人物が書いてるのかな~なんてことが、
伝わるものにしようかと・・・
え? 伝わらないです? 
ではゲームの話でもしましょうか!(急

私、ゲームが好きでして、
毎日2時間はプレイしないと発狂してしまうンです。
ここ数年ずっと同じゲームをプレイしてるンですけど、
それがMMORPGというジャンルで、これが途方もない内容です。

MMORPG;「Massively Multiplayer Online Role-Playing Game」の略称で、多人数のプレイヤーがオンライン上でキャラクターを操作しながら同じ世界観で冒険を楽しめるオンラインゲームのこと。

従来のスー〇ァミ(古)とか、Sw〇tchですとか、
ボスがいてエンディングがあるものではないンですね。
無心で釣りをしたり、海に出たいから船を作ったり、
様々なプレイスタイルを自分で決めてプレイする感じです。
それこそ先程書きました船ですが、
造るのには木が必要なので木を伐採しに行って、
その木を加工して、加工したものを精製して、
精製した他の材料を組み合わせて・・・
思い出しただけでもしんどい・・・

そこなンですよね!
ゲームだって多分ほとんどの作品が楽しいだけじゃなくて、
大変だったり、メチャメチャ時間が掛かったりと、
考えながら一つ一つ積み重ねていったその先に、
達成感があったり面白さがあると思うンです!


わたくし、今の業種は初めてなのですが、
その考え方さえあれば仕事もゲームも同じように考えたり、
面白さを見出したりできるものだと思います。
もちろん現実と仮想は違いますが、
自分の考え方にそこで差が出るかと思うと、
そこに差は出ないと思います。

・・・あれ?なんか格好いいこと言っちゃいましたね?
・・・あれ?格好いいですね?

はい、ちょっとひっこみますね。
ではまた。

[Enzo]
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後西天皇って不思議だな♪

後西天皇って不思議だなと思いませんか?
私は、不思議というか、どういうことなんだろうと、
小学生くらいからずっと思っていました。

「後〇〇天皇」という名前の天皇で、
有名なのは後醍醐天皇とか、後白河天皇(法皇)とかですかね。

前にも少し書きましたが、
天皇の呼び名というのは、在位中から本人が名乗っているわけではなく、
崩御後に、他の歴代天皇と区別するために称号が贈られているわけです。
だから、たとえば桓武天皇に「桓武さ~ん」と話しかけても、
「は~い、桓武で~す」ということにはならないわけです。

同様に、後醍醐天皇や後白河天皇も、
死後にそう呼ばれるようになったということなのですが、
この「後〇〇天皇」という命名方式は、
「過去にいた〇〇天皇に功績が似ている」という構造になっています。
つまり、後醍醐天皇は、醍醐天皇に似ている、
後白河天皇は、白河天皇に似ている、ということです。
特に後醍醐天皇が、醍醐天皇の治世(いわゆる延喜の治)を模範と考え、
自身を醍醐天皇の後継者であると自負していたことは有名で、
(死後の呼称)を決めるときもそこが考慮されたそうです。
歴史を知っている後世の私たちにしてみれば、
あんたのどこが醍醐天皇に似ているのか…と思ったりもするわけですが、
まぁ、摂関政治を避けて自ら親政を行っていた醍醐天皇と、
鎌倉幕府を倒して親政を行おうとしていた後醍醐天皇、
似ていると言えなくもないかもしれません。

まぁ、そういった形で、この「後〇〇天皇」と命名された天皇は28名に登ります。

ところで、いま、私たちは陽成天皇と言えば困った天皇という意識を持っていますが、
では、後陽成天皇は、なぜ、そんな陽成天皇にあやかった命名なのでしょうか。
私が調べたところ、“陽成”というのはどうやら「二条院」の別名のようで、
つまり、後陽成天皇というのは、陽成天皇にあやかった命名なのではなく、
どちらかというと二条天皇にあやかった命名であると言えそうです。
何が言いたいのかというと、
「過去にいた〇〇天皇に功績が似ている」という構造はそんなに厳密ではなく、
その〇〇天皇の別名(たとえば二条院のような)にあやかることもあるということで、
つまり、歴代天皇の名前だけを見ていてもダメだというわけです。
たとえば、後水尾天皇というのがいますが、水尾天皇というのはいません。
陽成天皇の父親が清和天皇で、その別号を水尾帝と呼んだことから、
後水尾天皇という名前がついているという仕組みです。
後深草天皇も、深草天皇というのが先にいたわけではなく、
「深草帝」と呼ばれていた仁明天皇になぞらえたということです。

ここで、後西天皇です。
後西天皇の前に「西天皇」という天皇がいたわけではありません。
いや、もしいたとしても、そんな方角を示す漢字一文字の諱はつけないでしょう。
変だなと、子供のころからずっと思っていましたが、
当時はそういうことを調べるようなツールもなく、忘れ去っていました。

が、先日、博識なお茶の先生と、偶然その話になって、突然解決したのです。

「西」の由来は、
西院という場所に住んでいて「西院帝」と呼ばれていた、淳和天皇のことだと。
だから、つまり、
本来、「後淳和天皇」や「後西院天皇」と命名するのが正しいと思われる、と。
いや~……スッキリしました!

ここで、仮に「後西院天皇」と命名したとして、
曰く、かつては、陽成院とか二条院とか、
「天皇」という単語を、略して「院」と呼ぶ言い方が一般的だったので、
そのルールでいくと、本来、後西院天皇は、当時「後西院・院」となるはずだと。
しかし、それではどう考えてもヘンテコなので、
当時の朝廷の誰かが、「院」の重複を避け、「後西院」と呼ぶことに決めたのだろう、と。

その後、明治時代になってから「天皇」という単語をプラスすることになったので、
たとえば、「後陽成院」から「後陽成院天皇」に呼び方が変わったのです。
「後西院」も、そのタイミングで「後西院天皇」になりました。
「後西院天皇」って、わりと収まりもよく、悪くなかったと思うのですが、
大正14年に「院」は外そうと決まり、
たとえば、「後陽成院天皇」は「後陽成天皇」となって現在に至りますが、
その際、「後西院天皇」も「院」を外され、
「後西天皇」というまったく意味不明な追号になってしまいました。
もともと「西院」は地名なんだから、「院」を取っちゃダメでしょ……

西院
https://ekilog.info/?p=8503

いや、明治時代に「天皇」という単語をプラスすることになったとか、
大正時代に「院」を外すことになったとか、
追号に関する一般常識的な知識くらいは持っていたのですが、
それが後西天皇のわけの分からなさにも関係していただなんて、驚きました。
いや~……本当にスッキリしました!
何十年ぶりかの疑問が溶けました!

ちなみに、もうひとつ、その時に聞いた話が後小松天皇の話。
小松天皇というのはいなかったのですが、
「小松帝」と呼ばれていた光孝天皇というのがおり、それにちなんだのが「後小松院」です。
この天皇も困った人で、
なんと、生前に「オレが死んだら『小松院』と呼べ」と、命令を出したのだそうです。
天皇の命令は絶対!……ですが、
しかし、「小松」は光孝天皇のことなので、
「小松院」はさすがにまずいでしょう、ということになって、
崩御後は、少しでも故人の意向に沿おうと「後小松院」という号が使われたのだそう。
しかし、後小松本人は「オレは小松院だぜ」と思っていたはずですよね。
そう思うとチャーミングというか……滑稽ですよね。

[SE;KICHI]

老化が心配

名前を覚えるのに時間がかかってしまう事に困っています。
深刻にではないのですが、なかなか名前が出てこない事があります。
仕事上の人であれば会う頻度にもよりますが、
フットど忘れしてしまう事がでてきました。
お会いしている方は大丈夫ですが、
話の中で名前がでてこずポンコツとぶりを見せてしまいます。
まだ頻繁ではないので深刻ではないのですが。

あと中学生部員の名前が覚えれません。
去年の男子新入部員は10名でしたので、
すっと出てくるまで数か月かかってしまいました。
名前で呼んでいるので姓が出てこなかったりはしますが(汗)

今年の新入部員は4名です。
まだ土日曜日の練習に本格参加にはなっていないので、
接点が少なく全く覚えていません。
これからです。
女子部は先輩が担当で指導していますが夜間練習で不在な事もあり、
女子新入部員の方が顔を見る事が今のところは多いのですが、
14名もいて担当ではない事もあり、
知人の子どもだとかでない限り名前では呼べません。

これは老化なのか単に私の記憶力が低いのか心配です。

もう一つ。
母親が昨年までは仕事をしていましたが体がきつくなったようで辞めました。
そこそこ高齢でもありますから身体第一できついなら辞めてよかったのですが、
行動的なタイプではないですし趣味も無いと言っていますので、
老け込まないか心配しています。

同地区の先輩で、足を骨折されて休職している間に、
特にリハビリする事もなくお酒を飲んで寝ての生活をしていて、
60歳にもなっていないのに立って歩けなくなり、
奥さんが介護しているのを見て、
何とも言えない寂しさを感じた事が頭をよぎります。
近所の人とお酒を飲んで楽しくやっているならそれは構わないのですが、
一人で日中に飲んでいるなら心配でしかありません。
強制的に仕事させる訳にもいきませんし、
何かを提供できればいいのだけれどと思っているところです。

自分も含め老化は心配ですが、
生涯元気で過ごせるのはすごく大切な事だと近頃は感じる事が多いです。

[WAKA]

「オリジナルのまま放送させていただきました。」

いやあ、『らんまん』、面白いですね。
高知編では子役は上手だし、広末涼子は可愛いし、松坂慶子は貫禄たっぷりだし、
東京編でも長屋は楽しそうだし、浜辺美波は可愛いし、牧瀬里穂は若々しいし、
観ていて楽しい感じです。
要潤もイカレてるしね。
何よりも、主人公の万太郎演じる神木隆之介が少年のようで楽しいのです。

特に、この主人公・万太郎が、
実在の植物学者・牧野富太郎をモチーフにしているというところが、
相当の安心感につながっています。
前作の『舞いあがれ』にしろ、その前の『ちむどんどん』にしろ、
特定のモチーフがいなかったドラマでは、
主人公のキャラクターに一貫性がなかったり、破天荒すぎて現実感がなかったり、
そもそも、先が見通せないことで視聴者がイラつくような感触があったようです。
その点、実在の人物をモチーフにした『らんまん』は、
主人公はスーパーマイペースですが、そこそこ現実感があって、
反感を買わずに済んでいるようです。

あと、これはこの先の話ですが、
未来を予測しすぎないことも大切かもしれません。
『ちむどんどん』では最終回、時代設定が30年ほど未来へ飛び、
主人公たちは4人とも還暦を超えた設定となって、孫まで生まれており、
一族郎党が、90歳になろうかという母・優子の誕生日を祝うという大団円。
続く『舞いあがれ』でも、
大阪の町工場の総力を結集するというストーリーは悪くはなかったと思いますが、
最終的に、学生時代の仲間と「空飛ぶクルマ」を作るんだという話になり、
最終回には当然のようにそれが完成していました。
私としては、別にそういう結末でも文句はなかったのですが、
ついていけなかった視聴者からは批判の声が上がったようです。
思うに、閉塞感であふれかえる現代において、
未来を思い描くことを苦しいと考える人が増えたのでしょう。
継続性のなさそうに見える未来像を、
荒唐無稽だと感じたのかもしれません。
その点、『らんまん』は、なにしろ実在の人物の物語ですからね、
モデルの牧野富太郎は昭和32年に亡くなっていますし、
納得のいかない未来は描かれないことでしょう。
安心です。

ところで、そんな『らんまん』ですが、高知編では批判が殺到していたようです。
それは、第1週で描かれた本家と分家の身分制度とか、
女性が入ってはいけないゾーンがあって入ったらめちゃくちゃに怒られるとか、
そういうのです。
また、第2週では、地元の武家の子が通う学問所へ特別に入学を許された万太郎が、
そこで身分を理由にしたいじめに遭ったりもしました。
こういうのを指して、
ネット上では「朝からしんどい」という批判的な意見が集まったようです。

呆れますね。
みんな、バカなんでしょうか。


これは、当然ながら、差別を推進しようとしてそういう演出になっているのではなく、
その時代がそんな感じだったから、そういう描写になっているわけです。
描かれた差別が正しいか正しくないかという話ではありませんし、
「朝からしんどい」という気持ちも理解できます。
しかし、その頃がそうでなければ、万太郎の行動に臨場感はなくなるし、
時代背景を理解することが難しくなります。
もちろん、事実だからと見せ続ければ視聴者は辟易しそうなので、
描写もほどほどにしといたほうがいいかもしれませんが、
とはいえ、少しも描写しないほうが不自然というものです。

昔の時代劇などを見ていると、
盲目の按摩師などがチンピラにからかわれたりする描写があったりします。
それを、しつこいのは論外だとしても、それほどでもないのに、
現代の価値観からして適切でないから放送できないとか、
放送すべきでない、のようなことを言うのはナンセンスではないかと思うのです。

タイトルは、時代劇チャンネル等で番組が始まるたびに表示されるテロップ。
果たして、そんなことを断らないと、苦情が殺到するのでしょうか。
制作時期に一般的だった価値観で作られてるに決まってるとおもうのですが。

制作時には大丈夫だったものの、現代においては不適切と思われる表現を、
現代に合わせて現代の人が自粛するのは、仕方ないとは思うし、
今まで差別されてきた人が、価値観が変わることで、
「その表現はやめて」と主張するのは尊重するべきだと思います。
ただ、表現を言い換えたとしても差別がなくなる訳ではないし、
むしろ、逆に問題を潜在化させることになることをもっと考えるべきではないでしょうか。
制作当時の時代背景から、
歴史的な価値観を学ぶことは大切なのではないかと思うのです。

オリジナルを尊重して
https://blog.goo.ne.jp/neji44jp/c/49da09db2261343240eb685d4d89226a

[SE;KICHI]

整形が頭をよぎる

まー年々通院する病院が増えてきました。
気になる症状ひっきりなしです。
ネットで検索しなんだかこれに当てはまるかな?
これなら心配しなくても大丈夫かなと参考にしたりしていますが、
自己判断は禁物と必ず締めくくられているので、
長引くものはやっぱり診てもらおうかと病院探しが多くなりました。

そんな不具合の中の一つですが、
何年か前から結膜下出血で見た目が気持ち悪くなっていました。
特に痛みもなく気が付いたら切れていた事が多かったのですが、
ある時から痛みを伴うようになりました。
そうこうしているうちに短い期間で頻発するようになり、
今まで経験したことがないくらいの痛みにも襲われ慌てて鏡をみてみたら、
なんじゃこりゃー な状態に。
赤黒く血染まった眼球にも驚きましたが、
それよりも痛みの方が恐怖で病院に向かいました。

実は私、病院の中でも眼科が大の苦手です。
理由は検査時に眼をパッチリと大きく見開けないから。
自身ではめいっぱい頑張っているつもりなのですが、
必ず、もっと開いてーもっと頑張ってーとリクエストされます。
確かに瞼が眼球を覆っている割合が高いのは自覚していますが、
皆さんどれだけ見開けるものなのでしょう。
大きな眼の方が羨ましい。
若い頃パッチリ二重の目元に憧れチラッと整形も考えたこともありました。
その頃は見た目重視でしたが、ここ数年は切なる理由から、
整形をするか と頭をよぎっています。

受診した結膜下出血は原因として結膜弛緩症も考えられるとのことで、
出血が引くのを待ってから改めて診てもらいましたが、
原因は特定できませんでした。
ただ、もれなく検査の結果として、
視野検査を定期的に受けることを勧められてしまいました。

どれだけ頑張らないといかなのかなぁと、
後ろ向きな気持ちで検査当日を迎え検査に臨んだのですが、
なんと、検査前にテープで瞼を固定してくれました。
あっ、こんな手があったとは。
めいっぱい頑張らなくてもよくなりました。

このテープ出来れば眼底眼圧検査の際にも貼ってほしい!
そしたら整形も考えずにすむし、
気持ちも楽に検査してもらえること間違いなしです。

[fu~ma]

念願の……。

ここ最近の皆さまのブログではグルメ系が数多く見られ、
お前もそんなネタか!と怒られるかもしれませんが、お許しを。
最近ネタが切れている…というより、ネタをネタとして感じれないというか、
それを書けないというか、要するに私の心が錆びついてきている、
そんな感じがいたします。
やはり人生で重要なことのひとつに、
関心を持つことがある
と思いますね。
知らない地に行った時の楽しみ方も、ワクワクするような好奇心、
つまりは関心を持つことで大きく変わるでしょう。
または恋をしたら世界がキラキラして見えるようになるのも、
今まで見えていなかったものや、違う様に見えていたものも、
関心ができたことによって変化するのだと思います。
言うなれば、仏教で言うところの襟珠の譬えに似たようなものでしょうか。
だいぶ飛躍はしましたが、大切なものや美しいものは、
実は自分の一番近くにあると気づけるのは、幸福になれるヒントなのかもしれません。
言いたいことから脱線したうえ、大きく飛躍してしまったのでここらで話をやめます。

冒頭にグルメと書きましたが、ご当地グルメについて今回はお話ししたいと思います。

以前、仕事で大阪や和歌山に行く機会があると、
和歌山ラーメンのブログでもお話ししましたが、
今回はその途中にある滋賀県にあるご当地グルメのお話しです。
滋賀県といえば近江牛、鮒ずし、ビワマス、来来亭、
近江ちゃんぽん、クラブハリエのバームクーヘンなど、
テレビで取り上げられたりしていますが、今回はラーメンではなくパンです。
その名も『サラダパン』
このパンもテレビなどで大きく取り上げられていますので、
多くの方が滋賀県といえば!といった具合にご存じかと思います。
個人ブログでも多くの人が投稿していますし、
女優の堀田真由ちゃんが差し入れでよく持っていくそうです。
もはや説明不要ですが、ご存じない方に簡単に説明を。

サラダパン 外観サラダパン 内部

『サラダパン』とは、
滋賀県長浜市にある「つるやパン」というパン屋さんが作る調理パン(惣菜パン)のことで、
マヨネーズで和えられた刻みたくあんをコッペパンに挟んだ物です。
滋賀県のごく一部のローカルパンでしたが、
21世紀に入ってテレビ等で取り上げられてから一気に全国的知名度となり、
現在では店頭のほかに、平和堂(フレンドマート)
北陸道賤ケ岳SA上下線、ネット通販などで手に入ります。
1951年創業という老舗パン屋の初代婦人が、
塩気のある調理パンのアイデアを思い付いたのが始まりでした。
当初は“サラダ”の名の通り、マヨネーズで和えた刻みキャベツを挟んだ物でしたが、
キャベツの水分でパン本体がふやけてしまい、しばらく販売中止に。
改良を重ねる中で、現在のたくあんに行きつき、
1962年にこのスタイルで販売を再開しました。
その際、販売停止時に余っていたパッケージを再利用したのですが、
「たくあんも野菜だから、サラダじゃないか。そのまま使ってもいいだろう」ということで、
現在に至っています。
表紙の黄色はマヨネーズ、緑はキャベツを表しているそうで、
説明受ければ理解できるが想像はつきません。
昭和の良き時代のフォント、色合いにしか見えません。(笑)

この『サラダパン』、実はテレビなどで取り上げられてから知ってはいましたが、
なかなかありつけることができていませんでした。
(そこまで本気で食べる気にはならなかったのが本当かもしれませんが)
関西方面のお客様に担当替えとなってからは、いつかは買おうと思っていました。
が、そもそもどこに売っているかが分からなかったのもありますが、
昨年の年末なんかは京都に遊びに行った帰り、
滋賀県のスーパーやSAなどに寄り探しまわりましたが、
年末休暇で製造中止していたり、そもそも売り切れていて姿形も見たこともなかったり、
随分と縁が無いのだなと肩を落とす日が続いていました。
そんな私ですが、チャンスはいきなり舞い込んできました。
新年のあいさつ回りに各所へ回っていた帰り、
トイレ休憩で何も考えず賤ケ岳SAに寄ったのですが、それがそこにはありました。

賤ケ岳SAサラダパン 販売風景

たくさん置いてありますし、売り切れ御免とも。
人気なのでしょう、すぐ無くなるそうです。
あの『サラダパン』がか!?と目を開けて見入ってしまいましたが、
間違いなく置いてありましたので、嬉しくなり、
まだたくさんあるのにササっと4つも買ってしまいました。
いよいよ念願の『サラダパン』が…と、
涙ぐましい今までの努力が功を奏した気持ちで、期待に胸膨らまして持ち帰りました。
(例え想像がついても何事も食べてみないと分かりません)
家に持ち帰り、両親にも配って食べてみました。
あくまで個人の感想ですが、特別飛び抜けて美味いといったパンではないのですが、
たくあんがパンに入っているという独特の食感と、
控えめなマヨネーズの味付けが絶妙にマッチして、
飽きない味付けとなっています。
気が付いたらまた食べてたいな~と考えており、クセになります。
私の縁の無さが余計にフィルターをかけているのかもしれませんが、私は好きです。
母親も気に入ったらしく、どうやらファンになったかもしれません、
あっちに行ったら買って帰ろうのリストに入りました。

ということで、つい先日も友人らと関西に遊びに行った帰りに寄ってきました。
今度は「つるやパン」本店に行きました。
場所は北国街道旧道沿いの古い街並みに突然現れる、
およそその雰囲気に似合わない、変わったモニュメントが付いた店です。
(多分サラダパンのモニュメントですね笑)

つるやパン 本店つるやパン 本店内部

『サラダパン』のみならず、丸い食パンが人気らしく、
『サンドイッチ』といって丸い食パンでマヨネーズと魚肉ソーセージを挟んだ物や、
創作総菜パン、いろいろな味のラスクなど面白いパン屋でした。
帰りにレジ横にグッズがたくさんありました。
パンのデザインのタオルやTシャツ、かわいらしい箸置きやキーホルダーまで。
ネット通販では大人気だそうです。
なのでガラに合わず、キーホルダーを買ってみました。
車のキーに付けようと思います。
小さいサイズの『サラダパン』が、別の意味でいい味出してます。
滋賀県に寄られたら、ぜひ一度は食べてみられても良いと思います。
(ネット通販でも買えますのでご興味のある方はそちらでも)

キーホルダー売り場サラダパン キーホルダー

冒頭に関心の大切さを綴ってみましたが、やはり私は食べ物ですかね。
単純ですが、その為なら何故か無限のエネルギーが湧いてくるのです。
畜生みたいですね(笑)
そんな煩悩まみれの私、興味のあるグルメやラーメンの為なら、どこでも行きます。
(ラーメンショップの為に茨城県牛久市まで行ったこともあります)

まあ、それがネタ切れの私にこのブログを書かせているのだと思うと、
この能力というか衝動も、悪くないのかもしれません。

[K.K]

朝日平吾とか中岡艮一とか、山上徹也とか木村隆二とか。

富山が輩出した有名人と言ったら、まぁ、1位は安田善次郎でしょう。
県内各所に痕跡が残っていますし、
だいたいの県民は、顔くらい知っている人物でしょう。
しかし、多くの方が安田善次郎と聞いて思い浮かべることは、
銀行などを作った功績はさておいて、その、刺殺によって落命した最期のことでしょう。

安田善次郎は、大磯の別邸で、
朝日平吾という若者に喉を刺されて亡くなるのです。
その直後、刺した朝日も自ら喉をついて自死したので、
細かい動機などは知る由もないのですが、
持っていた斬奸状には、
「悪徳豪商の安田善次郎は巨万の富を築いたが民に還元していない」
というようなことが書かれていて、
つまり、私腹を肥やす安田善次郎に天誅を下した……ということのようです。
富山県民として善次郎の名誉のために言っておくと、
彼は、東京大学の講堂や日比谷公会堂など、バンバン寄贈をしていましたが、
寄付は陰徳でなくてはならないというポリシーを持ち、匿名で寄付を行っていたため、
世間は彼の寄付を知ることもなく、私腹を肥やしているように見えたのでしょう。

さて。
この事件の顛末を見て、どう思われますでしょうか。
私なんかは、学校だったかどこだったかで、
人を刺してはいけませんと習ってきたので、
仮に、本当に善次郎が私腹を肥やしていたとしても、
天誅を下すなんてこと、やっていいことじゃないと思うのですが。

ところが、当時の世論はそうは捉えませんでした。
善次郎を刺殺して自死した朝日を、当時のマスコミはこぞって英雄視し、
善次郎に負けない立派な葬儀で送ろうと、
全国の労働組合から支援者が駆け付け、盛大に執り行われたとのこと。

何がすごいって、その約一ヶ月後、
朝日に憧れた中岡艮一という若者が原敬首相襲撃を企て、
原敬首相は刺殺されてしまうのです。
つまり、世論が暴漢を許容した結果、
間をおかず首相の襲撃事件が起こったということで、
世論の許容は、結果的に人を殺すほどの力を持つという例です。

翻って、いま、どうでしょうか。
たとえば安倍元首相襲撃事件の犯人・山上徹也は、
安倍晋三憎しの一派からは英雄視され、
よくやったという賛美とともに、罪の減免を求める声が上がっているとか。
現代はSNSにしろYouTubeにしろ、発信の手段はいくらでもあるので、
むしろ、テレビや新聞よりも高い精度で誰かを煽り立てることは容易です。

そもそも、約100年前の、朝日による安田善次郎刺殺は、
善次郎が私腹を肥やしていたという朝日の誤認が原因だったわけですが、
昨年の、山上徹也による安倍元首相銃殺も、
安倍氏が某団体と癒着していたという山上の誤認が原因だったわけで、
相手のことを決めつけて誤認して凶行に及んだという点で、
昨年の安倍元首相の銃撃事件と、その相似性に驚きます。

かくなる上は、原首相を刺殺した中岡が、朝日に触発されて凶行に及んだように、
安倍元首相を銃撃した山上が模倣犯を誘発しないことを祈るばかりでしたが、
その願いは虚しく、木村隆二という人が、
和歌山の漁港で岸田首相を襲撃しました。

木村が、直接、山上を英雄視していたかどうかは知りませんが、
前述のとおり、世間では、「あの安倍晋三を粛清した山上徹也は立派だ」と、
凶行を英雄視する向きもあったので、
木村に「あ、アリだな」と思わせたことは充分に考えられます。

歴史は繰り返すのでしょうか。

私は、
どのような理由があろうとも、相手を誅殺することは許されない
と教わってきたし、
そもそも、「やられたらやり返す」のは愚者のすることだと教わってきました。
それが、いま、相手によっては誅殺してもよい、
それを実行した者は英雄なりという価値観になっています。
それは、100年前に通った道です。
そこから五・一五事件になだれ込んでいく歴史を振り返ると、
100年後のいま、みすみすそんな道を通ることもないのにと、切なくなるのです。

[SE;KICHI]

あなたならどうしますか。

春から長女と次男がそれぞれ高校、中学に入学しました。
花のJKとなった娘は、
自転車で4~50分かかる学校へ行くために早起きして、
毎日せっせせっせと髪の毛をセットしています。
校則があるため前髪留めるのに・・・、自転車で髪の毛乱れるのに・・・、
大変だねえ・・・・と密かに思っている私は、
3つから4つに増えたお弁当を毎朝準備しています。(ちなみに朝は8合炊き、夜は5合炊いています)

花?のDCになった息子は、母譲りの人見知りを発揮し、
まだあまり中学生生活を楽しめてはいないようですが、
思春期ですもの、ようやく私の背を越して順調に育っています。

さて、そんな中、私は少しもやもやしていました。
あまり大きな声では言えないのですが、
これまでありがたいことにいただいていた会社からの入学祝い、
入学式が終わってもいただいていませんでした。
皆さんご存知の通り、入学時にはなかなかの金額を要します。
それを2人分。
社則が変わったというような話はきいていないし、
欲深くて申し訳ないのですがいただけるものならいただきたい。
そう思っているのに、一向にもらえる気配がない。
卒業式や入学式のために有給休暇も二日間ずついただいているから、
ご存じないはずがない。
いや待てよ、長男の時は給料明細と一緒にいただいたから、
その時かもしれないな、と、一か月ほど待っていました。
そしていざその時がやってきました・・・やはり、いただけない。

・・・これはどうしたものか。
ここでみなさんならどうされますか?

泣き寝入り・・・という言い方が適当かどうかは分かりませんが、
一度はこのまま黙っておこうと思いました。
なんか、お祝いください、は言いづらくないですか?
でも、よく考えてみて、他の皆は交際費とか経費とか使っているのに、
会社で事務作業をしているので経費すら使う事がない私、
社則に書かれていることを請求してもいいではないか、
と勇気を出して言ってみることにしました。

さて何と言いだそうかな。
心の中でどう言おうかとシミュレーションしつつ、タイミングを計っていました。
そして、ここだというタイミングでは決してないところで、
今だ!と勝手に自分を奮い立たせ、
しぼり出した言葉は「社則って変わりましたか?」
ズバッときけばいいものを、やはり私には言い出しづらかったです。
「変わっていませんが?」と言われ、よし、では次はなんと言おうかと考えていた時に、
ありがたいことに気づいてもらえました。
「ああ、そうか!」
そして次にいただいた言葉は、「よく言ったね。」

いやあ、なんかすみません、ぶしつけで。
でもこちらだって相当恥さらしなこと知っていて言いましたから。
つづいて、「新札じゃなくていい?」「袋は・・・」
もちろん、新札じゃなくてもいいし、袋も要りません。
こんな言い方ダメだけど、もらえるなら何でも良いです。
「高校だった?」
はい、高校と中学校の2人です。
もはや下の子の存在も忘れられていました。
その後、しっかりと2人分、銀行の袋に入れていただき、頂戴いたしました。

もし自分が他人から相談されたらきっと「言った方がいいよ」と言います。
でもなかなか自分の事となると言い出せないものです。

娘に息子、お母さんは恥をかきながら、しっかりとお祝いいただきましたよ。
こうやってたくましく生きています。
自分で請求しておいてなんですが、お祝い、ありがとうございました。

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