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年末です。

最近スーパーなどではスイカやメロンなどが年中売られているので、
季節感が薄れてしまいますが、梨が終わり、ブドウが終わり、
リンゴやみかんが出始めると冬だなと感じます。

地元富山では冬と言えば魚です。
紅ズワイガニや香箱ガニ、真鱈と白子、寒ブリ等美味しい魚介類が目白押しです。
雪が降って寒いですけど、美味しい魚を食べるといつもいい所だなと思います。

さて、今年もあと少しです。

コロナ禍が続いている上、ウクライナ情勢等もあり、物資物価の高騰が止みません。
そのような中、一年間なんとか無事に過ごせたのは、
普段からご支援ご協力頂いている皆様のおかげです。
本当に感謝申し上げます。
そして、来年もよろしくお願いいたします。


[M M]
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招かれざる客

先日ふと事務所の床に目がいきました。
ゴミ? あたらしくできたシミかなあ?
推定4㎝ほどの細長い黒っぽいものがあったのです。

近づいてみると、私の危険信号がすぐさま反応しました。
・・・爬虫類です。
イモリかヤモリか分かりませんが、間違いなくそれです。
季節的にはお目見えするはずもないのですが・・・。
発見場所は窓際で、何かの拍子にたまたま落ちたとか、そんなところかしら。

はあ~~~~~っ。
もう本当に困ります。


苦手な人、多いですよね?
私も超苦手です。
外の壁にへばり付いているだけならまだいいのです。
でも家の中に入ってこられると、非常に困るんです。

実は、以前にも一度事務所の中で出くわしました。
しばらくは見て見ぬふりをしようとしたのですが、私しか事務所におらず、
私が処分しなくてはずっとそこに存在し続けることになります。
たとえ相手が死骸であろうと、
ほうきの先から伝わってくるその物体の感触もたまらなく苦手で、
「無理無理無理無理・・・」と念仏のように唱えながら頑張って、
チリトリに収め外に持ち出しました。
その時の疲労感は半端なかったです。

それなのに、まさか、またそれをやらなくてはいけない日が来るなんて・・・。
本当に困ります。

前回同様、ほうきとちりとりを持ってこようとしたんですが、
紙袋を使って拾い上げ、一緒にごみとして捨てることにしました。

不要な紙袋を持ってきて、
「さあ、頑張れ私」とはげましながら紙に乗せようとしたんですが、
なかなかうまくいきません。
もう一度えいやっとその物体の下に紙を滑り込ませようとしたその時、
なんと、モゾっと動いたのです!!!!!
「〇×▲□―――――?!」
もう、また一人で何やら叫んでしまいました。
事務所には私一人。
当然、だれも来てくれません。
もう無理もう無理もう無理・・・・と念仏のように唱えながら、
その物体はそのままにしてその場を立ち去りました。
とはいっても事務所内、自分の席からはほんの数メートルの距離です。
すぐ見に行けます。

寒いから冬眠していた、のでしょうか。
突然、こんな何もない場所に、やめていただけないでしょうか。
私にはどうすることもできませんでしたが、それから退社までの数時間の間にも、
ときおり傍を通るとほんの少し体勢を変えていました。
(真っすぐだったり、右にくねっていたり、左にくねっていたり・・・)

寒い寒い週末をはさんで出勤した月曜日の朝、
その存在を思い出して近づいてみると、やはりそこに彼(彼女)は居座ったまま。
今週も彼(彼女)と共に過ごすなんてイヤだ!と、
先週出張で不在だった、彼(彼女)に近い席のWAKAさんに、
無理やり処分を押し付けてしまいました。
苦手だと言っておられたのに、大変申し訳ないことをしました。
WAKAさん、本当に本当に、ありがとうございました

それにしても、事務所内にはずっといないとはいえ数人は出入りしていたはず。
誰も気づかなかったのでしょうか・・・?

[Okei]

クリスマスキャロル

『クリスマスキャロルの頃には』という曲が流行った30年前、
浅学な私は「クリスマスキャロルって何よ?」と思ったものですが、
それが讃美歌のような民謡のようなものだと分かった現在、
クリスマスのキャロルの時期に思い浮かべるのは、
その曲よりも『The Twelve Days of Christmas』ですかね。


https://www.youtube.com/watch?v=QYyhDvuq8_Y

この曲は、聞いたことないなどという人は少ないと思いますが、
「The Twelve Days」というのは、
クリスマスの日(12月25日)からEpiphany(1月6日)までの12日間のことで、
イエス・キリストがこの世に現れた生誕日から、
人々の前で神性を表したことを顕彰する公現祭までの期間を指します。

それはともかく、みなさん、どうでしょうか。
初めて歌詞を聞いた日、衝撃を受けませんでしたか。

たとえば1番の歌詞、

「On the first day of Christmas,
my true love sent to me 
A partridge in a pear tree.」
つまり、「クリスマスの最初の日
愛する人からプレゼント……」ですが、
恥ずかしながら、私は「partridge」という単語を、
20歳くらいの頃、
イタリアの教会で出会ったカナダ人から教わるまで知りませんでした。
ご存知の通り、この曲は積み上げ歌になっているので、
最初に出てくる「partridge」は延々と出てき続け、
何のことか分からないが、やたら耳に入る状態でした。
まぁ、それが「ヤマウズラ」のことだと知っても、
「ヤマウズラって何よ!」と思ったわけですが。

2番では「クリスマスの2日目
愛する人からプレゼント……」では、
「Two turtle doves 
and a partridge in a pear tree.」ということで、
プレゼントは、キジバト2羽にヤマウズラ1羽に増えています。

3番は3日目。
「Three French hens,
two turtle doves 
And a partridge in a pear tree.」と、
プレゼントはフランスのメンドリ3羽が追加されました。

以降、4番から12番まで、
新しいプレゼントが先頭に追加されて歌われるわけですが、
最終的に、愛する人からのプレゼントは、

ドラマー12人・笛吹き11人・ジャンプする領主10人・
踊ってる女性9人・授乳している女中8人・泳いでいる白鳥7羽・
卵を孵すガチョウ6羽・金の指輪5つ・鳴いてる小鳥4羽・
フランスのメンドリ3羽・キジバト2羽・ナシの木に止まるヤマウズラ
ってことになります。
もう、プレゼントは馴染み深くない単語だし、
単語が分かったとしてもプレゼントとして訳が分からないし、
なんだって、そんな、鳥ばっかりプレゼントするのかと、
初めて聞いた時は意味不明でした。

この曲は、実は暗号を含んでいると言われています。
たとえば、ナシの木のヤマウズラは、
十字架にかかったイエス・キリストであるとか、
2羽のキジバトは旧約と新約の2種類の聖書を表しているのだとか。
以降、四福音書とか、モーセ五書とか、真福八端とか、
各数字は、教義上の数字を絡めてあり、
11人の笛吹きは、イエスの11人の忠実な弟子を示しているんだそうです。
もちろん、イエスを裏切ったユダは11人には含まれません。
12人のドラマーというのは、12使徒ですかね。

なぜ、こんなものが作られたかというと、
1558年から1829年まで、カトリックは弾圧を受けていて、
教えを公言できなかったため、
こういう童話みたいなのを作りつつ、
信仰を表す文言を埋め込んで忘れないように、と。
なんか、ワクワクしませんか。
日本における隠れキリシタンみたいな感じもします。
そういえば、日本にも、六大煩悩とか、七覚支とか、八正道とか、
数字になぞらえた教え、ありますよね。

いまでは、英語を学んだ人ならだいたい歌えるこの曲も、
いまから200年前、
教えを口に出せない時代の、苦肉の策として作られたなんて、
なんか不思議ですよね。笑

[SE;KICHI]

今年もお世話になりました。

前回のブログでスマホのお話しをさせていただきました
今回のブログまでに機種変更するとお話ししておりましたが、
結局まだしておりません・・・

もしかしたら、自分が思っている以上に自分は面倒臭がり屋なのでしょうかね 笑
もう今年も残りわずかとなっておりますが、
この時期は携帯ショップって混むのかなぁ~なんて考えながらブログを書いております。

さて、今年も残りわずかという事で新潟はかなり寒いです!!
いや、本当に外にずっといると凍えますね・・・
直近では新潟市内でも相当な積雪量でした。
年明け前って新潟市内はそんなにドカっと積もる印象はありませんが、
今年はすごかったです。
参りましたね・・・
(年明けにも更にドカっと積もるタイミングがあるかもしれので、
お仕事や旅行で新潟市内に来られる方はお気を付けて下さい・・・)

さて、今年も色々なことがありましたがあっという間に終わりました。
次回のブログは来年になりますね。
それまでには今度こそはスマホの機種変をしたいものです!
私は年末年始はあまり外には出ませんが、
久しぶりに少し買い物でも行ってみようかなぁ~。
だいたい初売りは混むから年末の少し空いてる時に、
値引きになっている物を買ったりします。
よくセールの残り物は良いものがないって聞くと思いますが、
自分の好きな物って意外とあったりしますよ!
もうそんなに若くないから、
混んでる中買い物する元気がないっていうのもありますが 笑


それでは今年もお世話になりました。
また来年もよろしくお願いいたします。

[SYUN]

身近な環境について。

いつもと違い、少し真面目な話です。

私の住む富山県では、フードバンク を浸透させ、
それらを積極的に進める活動があり、それを行う人々の新聞記事を見つけました。
そうしたフードバンクに、
家庭などの小単位規模で余っている食品を持ち寄って寄付する活動を、
フードドライブというらしいです。

 注) 食品企業等の製造工程で発生する規格外品などを引き取り、福祉施設等へ無料で提供する団体・活動

フードドライブは不要な食品を、子ども食堂などに寄付する活動ですが、
近年の県内での活動の浸透で、
受け入れ先のフードバンクの食品取扱量が増えているとのこと。
なんでも、箇所によっては始めた当初より3倍の数値となっており、
それに伴う回収、配送の為の人手、資金が許容範囲を超えつつあり、
関係者は「更なる幅広い支援が必要」と訴えています。
フードドライブは食品ロス削減につながることから、
近年様々な団体やイベントで取り組まれるようになっています。

例えば、富山市の山室地区社会福祉協議会が、
2022年11月5日に住民から集めた食品は600点に上るとのこと。
また、県として先月、市内の体育館で開催された「富山マラソン」の前夜祭において、
ブースを設け、218点の食品が集まったそうです。
この理由について、一活動団体の責任者さんは、
「SDGsの一環として取り組みやすいことが要因ではないか」と説明しておられます。
確かに、これは一番身近な環境について取り組みやすい活動かもしれません。

『腹ペコ撲滅大作戦』 
https://otakara-aid.com/%E6%89%80%E4%BF%A1%E8%A1%A8%E6%98%8E%EF%BC%9Anpo%E6%B3%95%E4%BA%BA%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%81%A8%E3%82%84%E3%81%BE/?fbclid=IwAR3wSuGTFZ2TadMNKivdkWaNIXq0YEqR387O0wRxZGD-C57plZ2_fGuvMQc

そのような食品を受け入れるフードバンクの取扱量も増加していまして、
NPO法人「フードバンクとやま」の場合、2009年設立時は100kgであったのに対し、
2019年は10t、2021年は30tとかなり大幅に増加しているそうです。
また、砺波市にあるNPO法人「もったいないフードバンクとなみ」においても同様で、
2021年9月~2022年3月までは約800kgだったの対し、
2022年4月~2022年10月までに2tと、なんと2.5倍に急増しています。
すごいですね!
ものすごい増えています。
コロナ禍も関係しているのでしょうか。

このように提供量が大幅に増えたことにより、
次は人手や活動資金が不足するという事態に陥っているそう。
また、よく聞くフードマイレージ の観点からも、
人手や輸送力を上げれば、
自動車などの輸送エネルギー増加に伴いCO₂も多くなります。

SDGs、食品ロス削減の活動として、また“もったいない精神”から続けられているこの活動が、
逆に地球温暖化への影響を与えてしまうジレンマも抱えてしまうように思えてなりません。

ちなみに「フードバンクとやま」のスタッフは全員がボランティアで、
マイカーを使って提供される食品を農家に引き取りに行ったり、
それらを福祉施設に届けていたりするそうです。
食品取扱量が増えたことにより、
フードバンクとやまの理事長は「記録や衛生管理の業務も増え、
受け入れ体制が追い付かない。」と漏らしています。
一方で、「フードバンクとなみ」は先月より会費1万円の賛助金を募集する文書を配布し、
現在46の企業や団体、個人が登録しているそうです。
となみの嶋村理事長は「生活に困っている人に休日は無いので、
我々が休むわけにはいかない。
ただ、遠い場所に食品を取りに行く費用もかかる。
行政や企業の支えがかかせない。」と。

 注) 食品が消費者に届けられるまでにどれだけのエネルギーが使用されるか示す指標

「フードバンクとやま」
http://foodbank-toyama.com/

現状の問題としては、人手不足と資金不足が新聞記事で挙げられていますが、
それに加えて知名度不足も要因と考えます。
恥ずかしい話ですが、フードバンクについて、
知人のボランティアの取り組みから伺っていたものの、
フードドライブの問題については、この記事を見て初めて知ることとなりました。

数量が増えてきた=参加する者が増えてきたということではあるのでしょうが、
受け取る側以上に、私のような差し出す側の知名度が未だに低い。
このような活動がさらに広く知られることになれば、
受け入れる側の人手も増えていくと考えられますが、
今度はフードバンクにも負担が増える。
知名度を上げる為には、その為の活動(広告やSNS発信)を行うことも必要かと思いますが、
なるべく資金や環境に負担の少ない方法で広げていくことも求められるかと。

また、無駄をなくし、より良い環境の為に始めたこの活動が、
人的負担のみならず、
CO₂の排出を増やすというジレンマが発生していると触れましたが、
こちらも難問でしょう。
富山県では、都市圏と違い公共交通網が発達していないので、
自家用車を使用しないと移動がままならないです。
一人当たり1.694台と、マイカー所有率が全国1位であるのがその証拠です。
その時点で「それだけ所持しているだけで環境破壊だ!」と、
批判の声が聞こえてきそうだが、
先述の所有率から見ても、それほどまでに富山では重要なツールなのです。

話を戻すと、こういった状況から、
仮に知名度が上がって活動に参加する人が増えても、
同じだけ自動車も動くことになります。
さすがに多くの人が一斉に動くわけではありませんが、
それでも輸送量が増えれば、長い期間で見れば増えることになるのです。

だからといって活動を止める理由にはいきませんが、
そうした側面があることも、広い視野で考えた場合、
対策を練る必要が今後出てくるかと思います。
例えば1台での輸送量を増やし(自家用車からトラック等に変更)、ある地点に分布集約して、
そこから温室効果を発生しない方法(自転車や徒歩、自家用車での別事由の物との混載等)で配達するなど、
やり方は地域によって変わりますが、様々考えられると思います。

今回の記事を読んで、私は食べ残しをしないなど、
それなりに食品ロスに取り組んでいる気でいました。
しかし、まだできることがありそうですね。
環境への取り組みを考える機会が出来ました。

[K.K]

……いろいろな方がいらっしゃるものです。

ごくごく私ごとで恐縮なのですが、
私の長男は、ちょっとした障害のようなものを抱えています。
それは、基本的には投薬でコントロールされているので、
日常生活で気をつけるべきことは特にないのですが、
仮に発作が水中で起こったりすると、そのまま溺れてしまいかねないので、
水回りだけは要注意だと医師から言われています。

そういうことなので、学校のプールの授業も、昔から習っているスイミングスクールも、
大勢いるクラスのなかで、
担当の先生が、ウチの息子にだけ注意を払うことは難しいので、
保護者がプールサイドから待機している場合に限って参加が許されています。
息子の様子は保護者が注視し、仮に息子の身に危機が及んだ場合には、
保護者の責任で救援してくださいね、ということです。

そういうわけで、私たちは夫婦で時間を融通しあい、
わが子のプールの授業には学校に出向いて、
コロナ禍で見学を制限しているスイミングスクールにも出向いて、
プールサイドから彼の様子を見ているわけです。
幸いにも、これまで何も起こったことはありませんから、
結果的に、息子が泳いでいる姿を眺めているだけになり、
この話は単なる笑い話で済んでいるわけですが、
医師から、そのようにするように言われた際は、なかなか覚悟が要ったものです。

繰り返しますが、この話は、これまでに何も事故が起きていませんので、
私もヘラヘラと他人に話すことができています。
それはたまたまのことで、軽くでも事故を起こしてしまうと、
笑い話では済まなくなる、そういう性質の話です。

ところが、今年、短期間だけ一緒に働く機会のあった方に言われたのです。
「そんな弱い子を育てて、何になるんですか?」
と。

いや、「耳を疑う」という慣用句がありますが、
予想以上に衝撃的な言葉だった場合、
疑うも何も、聞いたフレーズの意味が分からなくなるものなのですね。
言われた瞬間、びっくりするということもなく、
「え、いまの何?」という感じで、涼しい顔をしている相手を見つめた私でした。

私も大人なので、
世間にはいろいろな方がいるものだということは承知しているつもりでした。
なかには、ハンデを負った子供を育てている親に対し、
否定的な感情を抱いている方もいることでしょう。
しかし、仮に、個人的にそういう感情を持っていたとしても、
そういうのは、なかなか本人を目の前には言われないものです。
それだけに、油断していた私も悪かったのでしょうが、
とにかく、後からジワジワ効いてくる衝撃を受けたのでした。

何度も言っていますが、私は、みんな、この世界に産まれる前に、
天国で、神様に人生計画書を提出してきていると思っています。
性別やボディタイプ(太いとか細いとか)や、
両親を誰にするかとか兄弟をどう配置するかとか、
人生で起こること(〇歳で就職して、×歳で結婚して……みたいなことまで)の、
全部を計画書にして神様に提出し、
神様から承認していただいて初めて、
生まれてくることができると思ってるんです。


なぜそう思うかというと、そのほうが自律的だからです。
生きていると、どうしてもつらいことも多いし、
「なんで自分だけ」とか思ってしまうような理不尽なことも起きます。
しかし、どんなにつらい人生だったとしても、
自分で計画した人生であるうえ、神様の承認が済んでいるのであれば、
「自分で決めたんならしょうがないな」って、思えるでしょう。
起案者が自分なら、誰のことも責められませんからね、
心穏やかに生きることができるはずです。

この話をすると、この世界観に肯定的でない方々から、
「様々な障害を負っている人はどうなるんだ!
重い障害と戦っている人や、
障害を持った家族を支えている人を前にしても、
それは自分で立てた計画通りだなんて、
そんな残酷なこと言えるのか!」
と、
激しく怒られることがあります。
しかし、「そんな残酷なこと言えるのか!」という質問に対する私の答えは、
「もちろんです!」です。

神様に、人生で起こること全部を計画書にして提出しているのであれば、
身体機能の欠損などは、単純な太いとか細いとか以上に、
緻密に計画されている部分のはずです。
そんな重大な稟議を神様がご存じないはずはありません。
当然、その身体機能の欠損などは、自らの意思で神様に申請し、
神様が承認した結果であると思うしかないではありませんか。
その計画書を承認してくださるとき、きっと神様は、
「おおっ、これはハードな計画だけど、頑張れよ!」と、激励もしてくれたはず。

当然、計画書には、そのようなハンデを負って生まれる理由も書かれているでしょう。
たとえば、その姿でもって健常者に健康のありがたみを認識させるとか、
誰かに勇気を持ってもらうための装置として機能したいという計画でしょう。

そうやって一所懸命に取り組んでいる人に対して、
「そんな弱い子……」などと言うことや、
そもそも、重い障害と戦っている人の様子を“残酷”と表現することは、
相手に対しての敬意を失していると思うのです。
そして、それは同時に、その人生を承認してくださっている神様にも、
敬意を失しているというか、不遜な気すらするのです。

だって、これは優生思想でしょう。
2016年に相模原の障害者施設で起きた襲撃事件では、
犯人は、障害を抱えて意思疎通が取れない人は有害であるという信念に基づいて、
役に立たない人間を排除するための「正義の」行動を起こしたのであり、
最終的に45人の方が死傷しました。
障害のある者に対して「そんな弱い子……」というのは、
その弱い子を社会悪とみなすことであり、優生思想であり、
一般社会にもそういう思想が入り込んでいるのだなぁと驚きます。

さて、今年も、残す日数を数える時期になりました。
新聞やテレビでは「2022年10大ニュース」とかを扱う時期です。
円安とかウクライナとか、いろいろあった今年ですが、
私にとっての2022年の一番のニュースは、
優生思想を持った不遜な輩から、心ないことを言われたことでした。
忘れられませんね。

[SE;KICHI]

猥雑な場所

意外に思われるかもしれませんが、
私は、たとえば健康ランドのような場所が好きでした。
お風呂が気持ちいいからとか、そういうことではありません。
猥雑だから。
たぶん。

20年も前、健康ランドといえば、
階段の下とか、ロビーの端とか、そこかしこの床に、
ムームーみたいな、アロハシャツみたいなのを着た誰かが、
それこそ行き倒れのように眠っていたものです。
もちろん、ちゃんと仮眠スペースはあるのですが、
テキトーに寝そべっているうちに力尽きたのでしょう、
その無防備な感じが、私は好きでした。

10年前になると、健康ランドにも当局の指導が入ったのか、
仮眠室は男女別になり、
そのあたりでテキトーに寝てはいけない感じになりました。
とはいえ、ナントカ一座がショーをやっている座敷の後方では、
マンガを読んでいる途中の人がマグロのように寝そべっていて、
やはり、無防備で微笑ましいなぁと思ったものです。

あれからさらに10年。
コロナ禍の令和では、
勝手な場所で勝手なことをすると捕まりかねない、
変な社会が到来しまして、
無防備な寝姿をさらけ出せる場所は姿を消しつつあります。

いま、ここまで書いていて思ったのですが、
私は、もしかしたら、
他人が眠っているのを見るのが好きなのかもしれません。
健康ランドでも、寝ている誰かにちょっかいを出したり、
その人の荷物をこっそり漁ったりするわけではなく、
ただ、「あぁ、寝てるなぁ。無防備だなぁ。」と、
ヘラヘラ見ているのが好きなので、
もしかしたら、私は無防備に眠る人が好きなのかも。

そういえば、フェリーなどに乗ると、
高級ホテルのような個室から、絨毯張りの大部屋で雑魚寝まで、
等級によってかなり待遇に開きがあるものですが、
自分がどのクラスの部屋で泊まりたいかはともかく、
見ていて楽しいのは、部屋の隅に毛布と枕だけ置いてある絨毯張りの大部屋です。
そこで、各々が自分の陣地を作って、
なんとなく互いに距離をとりながら寝そべり、
マンガやテレビを眺めているうちに、ついうとうと、目が閉じ始めた、
そういうタイミングが、私は好きです。

そうそう、フェリーといえば。
いつ、どこに行くフェリーの話だかは忘れてしまったのですが、
その日はものすごく海が時化ていて波が高く、
エレベーターは使用中止となり、
船に酔った人が通路のところどころでうずくまっているような揺れでした。

大浴場に併設された露天風呂に入っていた私、
思わず笑ってしまいました。
なにしろ酷い時化ですから、船は大きく揺れ、
その度に湯船のお湯が出ていくのです。
よく混雑の表現に「芋の子を洗うようだ」と言いますが、
そのとき、露天風呂に入っていたのは私を含めて4人で、
別に混雑はしていなかったのですものの、
芋の子を4個、鍋に入れて煮転がしを作るために揺すっているような、
そんな感じ。
最初は左右に揺れるだけで、お湯が湯船から出る時に顔にかかる程度でしたが、
そのうち、それにローリングも加わってきて、
湯船に入っている4人は、船が揺れるたびに、
鍋で転がる小芋のように、湯船のなかを転がったのでした。
途中で、なぜこのような目に遭いながらも露天風呂に入っているのか、
お互いにおかしくなってきて、
見ず知らず同士の4人は笑い合い、
そのまま風呂を出て、ビールで盛り上がったのでした。

こういうの、私は好きなのです。

フェリーのお風呂
https://cruise-navi.com/ferry/han9f/hankyu-ferry-2/

こんな感じの浴槽に4人入ってシャッフルされるって、すごくないですか 笑

[SE;KICHI]

年末年始休業のお知らせ

平素より格別のご高配に預かり、厚く御礼申し上げます。
さて、弊社は年末年始につきまして、勝手ながら2022年12月29日(木)~2023年1月3日(火)を休業とさせていただきます。
新年は2023年1月4日(水)より通常営業させていただきます。
ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。
猶、今後とも倍旧のご厚情を賜りますよう、切にお願い申し上げます。

[AKA]

心境の変化

前回、登山をした話をしましたが、
地元立山にはもう雪が積もってシーズンが終わりましたので、
来シーズンのために低い山で体力をつけようと、
週末の天気がいい日に登っています。

『心境の変化』4×3① 『心境の変化』4×3②

初心者なので、せいぜい往復2時間程度で登山道がわかりやすい山を選んでいます。
同じ山に行くのもつまらないと思い、毎回違う山にしていますが、
簡単に頂上に行けてしまう所では物足りなくなって来ました。

9月に初めて登山するまでは山などには全く興味がなく、
他人事だと思っていましたので、
自分でもどうしたことだろうと驚いています。
そんなキャラではなかったのですが。


そのわりにいまだに登山の装備は一切揃えておらず、
服装はTシャツの上にネルシャツ、ジーパンとスポーツシューズで、
なるべく軽い方がいいだろうと、
子供が小学生の時に使っていた小さなリュックにお茶と軽食を入れ、
クマ鈴をぶら下げて登っています。

山を登っていると、すれ違いざまに登山者同士で挨拶を交わすのですが、
低い山なので、ご年配の方から子供まで幅広い年齢層の方々がおられます。
中でも女性1人の方が意外と多く、
山ガールの人口はけっこうなものなのかも知れません。

今では、晴れた日には山に行きたくなるようになり、
週末が雨の予報だと残念な気持ちになります。


いつまで続くことやら。

『心境の変化』3×4① 『心境の変化』3×4②

『心境の変化』3×4③ 『心境の変化』3×4④

[M M]

さて、どちらが善人でしょうか。

友人のOさんは、とある町の町内会長をしているのだそうです。

その彼の町内では、
長年、ボランティアで子供たちの登下校の見守りをしてくれていたご老人が、
足腰が弱ってきたとかで、数年後の引退を申し出られたとのこと。
それは致し方のないことですが、
現役の警察官であるOさんは、これまでその方に頼り切りだった現状を大いに恥じ、
数年後のご老人の引退に先んじて、
すぐにでもその見守りを代わって差し上げようと、
町内の各戸で交代で見守りに立つことを提案しました。

その結果、町内のみなさんからは、
「ウチには児童はいないのに、なんでやらんといけないのか」とか、
「そんなの、子供がいる家だけで回せよ」という、
その提案を疑問視する意見から、
「親の介護があるからウチは無理」とか、
「自分はシングルマザーで大変だからダメ」という、
やってもいいけど、自分だけは免除されたいという強い拒否感まで、
幅広くネガティブな意見が寄せられ、
最終的に、Oさんは村八分ような状態になったそうです。

Oさんは嘆きます。
なんで、3ヶ月に一度程度の子供の見守りができないのか、と。
なんで、我が子以外の子供のために働くことが、
そんなに嫌なのか
、と。

結局、彼はその提案を撤回せざるを得なくなったとのこと。
残念なことです。

さて。
知人のHさんが、とある文化祭イベントに何事かを出品するというので、
先日、Oさんと2人、応援に行ってきました。

行ってみると、画用紙でクリスマスツリーを作ったり、
モコモコした雪だるまを作ったりと、
子供が喜ぶようなワークショップになっていました。

完成形

とはいえ、子供が、こんな高度なものを、
1枚の画用紙から作り上げることができるはずもないので、
あらかじめ、折り畳んで切れ込みを入れた画用紙を用意しておいて、
子供たちは、その切れ込みを押し広げたりするだけで、
簡単にクリスマスツリーができるという寸法です。

クリスマスツリーセット

雪だるまのほうは、ヤクルトの空容器を芯にして綿を貼り付けて胴体にして、
これに、やはりあらかじめ毛糸を編んで作っておいた小さな帽子をかぶせ、
目鼻をつければ完成という、子供でも簡単にできる代物です。

雪だるまセット

ちょっと気になったので、
「これは、こういう工作キットが売られているの?」と尋ねてみたのですが、
その答えは、なんと、
「え? いや、私が作ったの」でした。

もうね、なんか、感動しました。

30代の彼女は二児の母。
ご主人が単身赴任で不在がちなので、ほぼワンオペで子供を育てているのですが、
そんな彼女が、せっせとヤクルトを飲んでは綿を貼り、
画用紙に切れ込みを入れ、毛糸の小帽子を作っている、
その労力たるや、相当なものだと思うのです。
それを指摘すると、彼女は、
「だって、子供たちが喜んでくれたら嬉しいもん」と答えます。
ちなみに、彼女は、子守りをしながらワークショップの運営はできないからと、
自身の子供たちは義理の両親に預けて来ています。
つまり、喜んでくれたら嬉しいという“子供たち”は、
自身のではなく、他人の子供なのです。

1円の得もないのに、他人の子供のためにここまでやれるの、すごくないですか?

片や、なんで他人の子のために働かねばならぬのかと悪態をつく人もいれば、
片や、子供たちに喜んでもらいたい一心で内職に勤しむ人もいる、と。
どちらが神様に褒められる人か、
平たく言うなら、どちらが善人か。

言わずもがな、ですよね。

私と一緒に行った友人のOさんは、深くため息をついたのでした。

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