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教育勅語ってどう思います?

教育勅語ってどう思います?

教育勅語
https://www.kakunodate-shinmeisha.jp/tyokugo.html

もう5年ほど前の話になりますが、
国会において、教育勅語の教材使用の可否について議論されました。
当時、私は、審議や答弁書における政府の見解を総じて曖昧だと感じていて、
こんなことでは誰かから厳しく突っ込まれかねないと心配していたのですが、
案の定、日本教育学会など、教育関係の17の学会が、
「政府の教育勅語答弁に関する声明」を出したのは記憶に新しいところ。

この日本教育学会などによる声明は、政府の、
「教育勅語には普遍的な価値が含まれており、
日本国憲法および教育基本法等に反しない限り、
教材として使用できる」
とした国会答弁に対するものですが、
声明文は、この政府答弁に対し、
「教育勅語とは、戦前・戦中に君主であった天皇が、
臣民に対して国体を重視する価値観を押し付け、
天皇と国家のために命を投げ出すことを強要した文書である」
と断じ、
「歴史資料としては批判的にしか使用できない」、
「普遍的価値を含むものとして肯定的に扱う余地はない」と主張しています。
まぁ、つまり、教育勅語は使えないと言っているわけです。

しかし、本当に教育勅語は、現代日本の教育に、
悪影響しかないのでしょうか。

ピーター・ドラッカーは、著書『マネジメント』で、
「日本はかつて極めて貧しく、厳格な身分制度に縛られてきたが、
明治維新から30年後、近代国家となり、
字の読めない人が、事実上1人もいない最初の国になった」と、
明治の日本を評価しています。
教育勅語は明治23年ですから、“明治維新から30年後”に貢献しているはず。

明治天皇という人物は、地方巡幸などで、わりと頻繁に学校を訪問したと聞いています。
そのなかで、天皇は、伝統的学問だけでは、近代社会では不充分であると悟られ、
本邦固有の道徳を涵養せよとの指示を発せられ、
そうして作られたのが教育勅語です。

有名な話ですが、起草した井上毅は、
その徳目が日本だけの特殊すぎるものではなく、
諸外国にも広く通用するものかどうか、かなり調査させています。
つまり、教育勅語は、日本固有の倫理の教えに基づきつつ、
世界に通用する普遍的なものとして作られた
わけです。

そのご苦労を思うと、
いまの教育勅語の扱われようが不憫でなりません。

だいたい、これ、天皇と国家のために命を投げ出すことを強要した文書ですかねぇ。
私は、普遍的価値を含むものとして肯定的に扱っても問題ないと思いますがねぇ。

教育勅語(口語訳)
教育勅語の徳目
https://www.kakunodate-shinmeisha.jp/tyokugo.html

これのどこが、天皇と国家のために命を投げ出すことを強要した文書なのでしょうか。
夫婦仲よくとか、社会の役に立つ仕事をしろとか、
普遍的価値を含むものとして扱ってもよいのではないかと思いますし、
現代の、度を越えた個人主義に対するアンチテーゼとして、
かなりの力を持つのではないかという気がします。

もちろん、ある時期の軍国主義とか、教育勅語が悪用された時期があったことは認めます。
しかし、それは使い方の問題であり、教育勅語自体の価値ではありません。
クルマを使った犯罪があったからといって、
クルマ自体を問題視して、クルマ撲滅論にはならないのと同じです。
教育勅語がまとう雰囲気にアレルギーのある方もいらっしゃるでしょうが、
だからと言って、それ自体を問題視して教育勅語撲滅論に走るのは、
いささか過剰反応ではないかと思うのです。

私は、明治の先達たちが苦労して、
その徳目が世界に通じるものになるよう尽力した、
その心意気に評価を与えないというのは、
ちょっと冒涜ではないか
とすら思うのです。

[SE;KICHI]
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気持ちの変化に驚いています。

今年、お墓を買いました。

相次ぎ互いの親が亡くなったこともきっかけとなり、
数年前から話をするようになりました。
私自身は散骨でもいいかなって、ぼんやりと思う程度でしたが、
家人は違うようなのでそちらに合わせることに。

それなら見て回ろうとなり、手始めに訪れた先はチラシで目に留まった樹木葬でした。
よかったらそのまま決めてもいいかな、なんて気持ちも持ちつつでした。

霊園の方には検討し始めたばかりだと伝え、
担当に付いてくださる方が案内してくれるなか、
ところで出身地はどちらですか?と尋ねられました。
質問の意図が理解できないまま、兵庫と地元ですが、と答えると、
とたんに、あー、でしたらここの樹木葬は向いていないかなと言われました。
きょとんとしていると、
西のほうは骨壺毎に納骨しますよね、ここは骨壺から出して直接納骨するので、
と、説明してくださいました。
それを聞いたとたん、今度は家人が驚きの声をあげました。
個別のお墓であれば家人も気にならないようですが、
知らない方が隣はちょっと、と抵抗があるようで、
こちらの合葬墓は見送りとなりました。

担当の方も、探し始めたばかりだったら、
他も色々見て回った方がいいですよと、小声で助言をくださいました。

風習の違いが判明し振り出しに戻ることになりましたが、
譲れない条件が分かって良かったです。
もし、考えを聞く前に家人が先に逝ったら、
躊躇せず樹木葬にしたと思いますから。


散骨にしろ、お墓を持たないにしろ、また、持ったにしろ、
最終的には誰かの手を借りることになります。
その誰かになるべく負担を掛けないようにしなければならないことも、
譲れない条件に入っていました。

それから数年を経て、希望に近いお墓を見つけました。

そして、なんと、
買ってしまった途端に別荘を持ったような気分です!
まさかこんな気持ちを抱くなんて、想像もしていなかったのでとても驚いています。

現在は寝泊りできませんが、散策がてら時々眺めに足を運んでいます。

[fu~ma]

んまぁ、これはこれは、お品のないこと。

8月の上旬に内閣改造がありました。

私は、人事マニアの“ケ”がありまして、
例えば大手企業の役員人事などを見るのは好きなのですが、
内閣改造のようなものも大好物です。

その楽しみ方は、一言でいえば「親の気持ちで楽しむこと」
例えば今般の改造内閣で言えば、
「総務大臣は寺田稔さんかぁ。
この人、確か、池田行彦さんの後継で出てきた人じゃなかったっけ?
池田行彦さんといえば、なんとなく顔が好きだったなぁ」とか、
「文部科学大臣の永岡桂子さんって、
郵政民営化のときに自殺されたご主人の地盤を引き継いだ方よね。
よくここまで乗り越えてやってこられましたねぇ…」と、こんな具合です。
この楽しみ方で見るには、議員マニアである必要があります。
国会での発言や選挙結果などにも関心を持ってウォッチングしないと、
その人の「ひととなり」が分かりませんので、
各議員の方を好意的かつ俯瞰的に見る必要があります。
まぁ、雑な言い方が許されるなら、
今回の組閣を眺めて「岡田直樹って誰? 初めて聞いたわ」とか言っている人は、
話にならないわけです。

それって、なかなか大変なことです。
ぼんやりTVを眺めていても、目立つ議員の動向しか報道されませんから、
自分で、ホームページなどで情報を取りにいかないと、
地元選出ではない議員のことなど、だいたい、分からないものです。

さて。
何の話をしているのかというとですね、
私は、そうやって、議員さんのバックボーンをウォッチングし、
そのうえで、「あぁ、あの人だったらその役は確かに適任だわ」とか、
「えっ、あの人にはその役は重過ぎると思うけど」とか、
親心で楽しんでいるということです。

そして、私は、この“親心”、意外と大切ではないかと思うのです。

まず、以前から言っているように、
一国の宰相に向かって「岸田が…」「岸田クンが…」などと、
昵懇の友人でもないのに呼び捨てで呼ぶ人が多いようですが、
それは、そもそも、応援するとか、好意的なスタンスではありません。
つまり、“親心”ではない感じがするのです。
私たちは、この難局に政権運営をしようとする人物に、
ある意味では命運が握られているわけで、
本来、祈るような気持ちで見守ったり応援したりするべきだろうと思うんですよね。
それは、親が子の成功を祈るのと似た感じです。

個々の議員がどういう方かも知らず、なんとなく応援したり批判したりして、
「岡田直樹って誰? 初めて聞いたわ」などと言っている人は、
勢い、宰相が組閣した人事について、
やれ、「林が外相留任かぁ、期待できんな」とか、
「経産相は西村か。あいつはちょっとなぁ」とか、批判を加えるわけですが、
旧知の友人であるならいざ知らず、
前述のように、つぶさにその人物について調べたりしない限り、
本来、批判する資格はないと思うのです。

まぁ、ちょっと強引に展開していますが、
私は、何も、「知らんくせに批判するな」的なことを言っているのではありません。
ただ、真に価値のある情報を集めることを怠ると、
その辺にテキトーに散乱している雑情報を元に人物像を構築することになり、
結果、「岸田ってさぁ……」などと、知らない相手について語りだすことになるのです。
それは単なるレッテル貼りです。

今回の組閣では、その直前に元首相の狙撃事件が起き、
容疑者が「旧統一教会うんぬん」と口走ったため、
統一教会と関係のあった議員は誰だ!なんて、
まるで魔女狩りのような装いです。

私が思うに、宗教法人に限らず、
自分達が期待する政治家を支えるというのは当然なことだし、
議員側も、宗教法人丸出しでアプローチがあれば別ですが、
それを後ろ盾に持つ別団体や個人であれば分からないし、
書式等に問題なければ受理すると思うのです。

今回、組閣したとたん、やれ加藤厚労相が、やれ寺田法相が、
統一教会と関わりがあった、けしからんなどと言われていますが、
そんな10年ほど前に2万円ほど払ったぐらいのことを、
関係あり!「有罪!」みたいに言われても困るでしょう。
別に統一教会に有利になるような政策が実現されるわけでもないでしょうし、
単に応援されただけでしょう。

いま、日本は問題山積ですよね。
特に対ロ・対中外交は安全保障上の重要な課題だし、
国内でも、景気や物価高への対策や、教育や子育て支援を含む社会保障など、
誰がどう見ても、日本は問題山積です
そんな状況下で、統一教会と関わりがあったかどうか、
そんなことが本当に大切なことなのでしょうか。
私としては、「そんなのどうでもいいから、ちゃんとやってよ」という感じ。

もっとローカルな話だと、今回発生した元首相の狙撃事件では、
容疑者が「旧統一教会」と言ったために魔女狩りが起こりましたが、
本当にヤバイのは、議員と特定の宗教団体との接点より、
「え、個人がネットで調べて、銃とか作れるわけ?」
という点でしょう。
Youtubeに銃の作り方が公開されていて、
ホームセンターで買い集めた材料で製作可能……って、大変な法の穴ですよね?
取り締まらないとどんどん模倣犯が出てくるかもしれません。
それが、10年前にパーティー券を購入したか、祝電を打ったかを詮索するより、
もっともっと大切なことだと思うのですが。

確かに、私にも好みでない議員はいます。
が、一国の宰相がそう決めたのであれば、
「岸田は見る目がない」などと言うのではなく、
「そうか、がんばれ」というのが正しい姿勢なのではないかと思うのです。

[SE;KICHI]

暑い季節~、熱い気持ち

今年の夏も相変わらずとても暑い日が続きました。

最近、様々なニュースが飛び交う中、
やはり未だ話題になっている新型コロナウイルス。
直近でも全国合計の感染者数が過去最多となりました。
この夏は久々に友人にも会いましたが、やはり皆色んな面で大変とのことです。
直接的な知人ではありませんが、身近なところで感染者が出たとの報告もありました。

これだけ暑いとマスクを着用しているのも辛いということもあると思います。
実際、外仕事をされている方などは、
熱中症対策の為にマスクを外してくださいと言われるケースも非常に多いと思います。
猛暑の中、外に長時間いる際は、
熱中症の方が突然倒れたりするケースは多いと思いますし・・・
本当にお気を付けてお過ごしください。

新型コロナウイルスの話に再び戻りますが、
やはり現在も未だに飲食業界は大変とのことです。
私の友人にも実際レストランやバーをやっている方がいるのですが、
大変とのことです。
なのでお酒をあまり提供しない食事に特化したお店をオープンすると言っていました。
いい年齢になってくると、もう同じ年でも、
全然考え方、立場が違うんだなーと改めて気づきました。

というより若い方でも自分よりしっかりしている方はたくさんいるとも改めて思いました。

久々に会った友人には色んな部分で勇気付けられました。
自分自身を変える、誰かのことを変えるって、
非常に難しいことだと感じています。

もちろん私自身も学生時代からは変わっているとは思いたいですが・・・
自分で変わるしかないんでしょうけど、
それができる方って本当に尊敬できますよね!

[SYUN]

“ねばならぬ”は野暮やで

『ちむどんどん』が悪名高いというか、
わりとハチャメチャな展開で話題になっていますね。
まぁ、私は、朝の連ドラなんてそんなもんだろうと思っていますが、
それにしても、兄・賢秀はいただけません。
一般常識がないわりにプライドだけは高い人物であり、
方言も強いために沖縄が強調され、「え、沖縄の人ってこんな感じなの?」と、
沖縄全体を誤解されてしまいかねない描写です。
彼の登場により、物語は常軌を逸した演出が繰り返され、
ドラマ全体の評価を下げているのは、ちょっと気の毒な感じがします。

そこにきて、同時期に放映されている『芋たこなんきん』です。
作家・田辺聖子さんの半生を描いた物語で、舞台は戦後の大阪市内。
藤山直美演じる花岡町子(37歳・独身)は、
國村隼演じる開業医の「カモカのおっちゃん」と出会い、結婚。
この「カモカのおっちゃん」はバツイチで5人の子持ちで、
なおかつ両親や兄弟とも同居する10人の大家族。
毎日“てんやわんや”の町子でしたが、
持ち前のバイタリティを発揮して家事や育児と文筆活動の両立に励む……と、
まぁ、そういうドラマなのですが、
基本的に、当時47歳の藤山直美と、相手役で当時51歳の國村隼が、
徳永家の茶の間や、行きつけのおでん屋「たこ芳」で晩酌しながら、
仕事や家族や人生について、とにかく語り合うのです。
言ってみれば、おじさんとおばさんが語り合っているドラマです。

だいたい、朝ドラというものは、
幼少期から始まる主人公の物語を時系列で追うというものですが、
このドラマはおじさんとおばさんの会話が基本。
1日の仕事を終えた町子が「カモカのおっちゃん」と晩酌をし、
昔の記憶を辿って語り合いながら、
ときに、回想シーンに突入するわけで、構成としてエポックです。

『芋たこなんきん』
https://girlschannel.net/topic_image/3117075/#

たいした事件なんて起きません。
「少女編」での戦争を除けば、日常の描写が続くのです。
「カモカのおっちゃん」と結婚して徳永家に入った後は、
せいぜい、近所の寺の住職から借りた仏像の腕を折ってしまい、
それを隠そうと、接着剤でつけようとする、とか、
ちっとも小説家に向いていない弟子入り志願の男が日参し、
どうやって傷つけずに追い返すか一同で悩むとか、その程度。
それだけに、戦争のイレギュラーさが強調され、戦後の平穏さが際立つのです。

人生なんて、そんなもん。のような気もします。
そうそう毎日、心動かされるような出来事は起きません。
それでも毎日は続いていて、
身近な人との悲喜こもごもが、毎日淡々と繰り返されるのです。
バカみたいな表現をすれば、日常の尊さ、
「何でもないような日々が幸せだったと思う」ってやつです。

ところで、基本がおじさんとおばさんの会話劇なので、
やけに含蓄あるセリフが出てくるわけです。
私が特に気に入っているのはコレ。
健次郎(カモカのおっちゃん)が長女に言う言葉。
「親があ~せ~、こ~せ~て進路に口出したらあかん。
一生面倒見れるわけやない。社会出たら自分で責任取らなあかん。一歩踏み出す時。
自分で決めたことやないと自分で責任取られへん」

……主体的に生きることの大切さが伝わってきます。
それと、その健次郎の父親・喜八郎がホームレスの面倒を見ていた理由について、
健次郎曰く、
「ウチにも1人風来坊がおってな、
どっかでだれぞに親切してもらってるからおあいこやって」

……この言葉は、私の、まず与えるというポリシーの支えとなっています。

そして、その極めつけが、タイトルにもした、
「“ねばならぬ”は野暮やで」という言葉。
……これは、本当にそう思います。
マスクにワクチン、隔離に自粛と、常識にとらわれている人が多い昨今、
勢い余って他人を裁くことも是とされる現代。
果たしてその常識は本当なのか。
“ねばならぬ”ことなんて、本当はないのではないか。


それよりも、何でも話し合って進める人間関係こそ、
いまの時代に必要とされているのではないのでしょうか。

さて、まだ何週か残しているにもかかわらず、
「終わってしまうのが寂しい」と、早くもロスの声が高まっている『芋たこなんきん』。
もうすぐ最終回(9/17)ですが、
2006年の本放送当時、すでに大人だった私は、
秀逸な最終回で号泣した記憶があります。
確かに、『ちむどんどん』よりも楽しみにしている私です。

あ、もう一点。
主人公・町子の少女時代に登場する、写真技師である祖父・常太郎(岸辺一徳)の、
写真を撮るときの掛け声が、「ハイ、チーズ」とかではなく、面白いのです。
「サカナの目ぇは何個?」 ……一同、「ニコ!(2個!)」
何それ! もう、忘れられません。

[SE;KICHI]

脈々と護られてきた私たち。

大東亜戦争が始まって3年目の1944年、沖縄には圧倒的な米軍包囲網が迫っていました。
この窮地を救うべく派遣されたのが、有名な牛島満陸軍中将でした。
牛島中将は部下たちには父親のように接し、
ときには壕を掘る県民たちに混ざって作業するなど、
偉ぶらず、誰に対しても慈悲深く接する人でした。
このような牛島中将の姿は、軍と県民の結束を強め、
両者の間には強い絆が生まれたと言います。

牛島中将は、一人でも多くの県民を疎開させることに心血を注ぎました。
しかし、米軍の攻撃が激しさを増すなかでの疎開は容易ではなく、
疎開する子供たちを乗せた貨物船「対馬丸」が攻撃を受けて沈没するなど、
遺族らから激しい非難を浴びることも多くありました。
それでも牛島中将は、県民を戦闘に巻き込まないよう疎開を進め、
最終的に8万人以上を県外に逃すことに成功したのです。

1945年3月には、いよいよ米軍上陸の空気が漂ってきますが、
牛島中将は息子に向けて、
「われわれがここで敗れることは、ただちに日本の滅亡を意味する。
敗戦後の日本は、何びとも想像することのできぬ世の中に一変するであろう」と綴り、
米軍の上陸を迎え撃つ覚悟を決めました。
そして、4月1日、ついに米軍は沖縄本島に上陸します。

その5日後、山口県から、
「海上特攻隊」として、戦艦大和を含む艦艇10隻が沖縄に向け出撃します。
なんと、大和を沖縄の浜辺でわざと座礁させて砲台にし、
乗組員は陸上戦を援護するという作戦でした。
航空機の護衛もなく、片道分の燃料だけしか積んでいない大和の乗組員たちは、
生きては帰れないと知っていながら、
君が代を歌い、故郷に帽子を振って出撃したわけですが、
ご存じのように、出撃後まもなくから、一隻また一隻と沈められていきます。

そして、出撃の翌日には、鹿児島県坊ノ岬沖で大和も猛攻を受けて横転。
最後を悟った伊藤整一海軍中将は、
部下の一人ひとりに答礼し、長官室の扉を固く閉ざします。
航海長は羅針盤に体を縛り付け、暗号士は重要書類を抱きかかえ、
大和とともに轟沈しました。

そのころ沖縄では、冒頭の牛島中将率いる陸軍が、
少しでも本土決戦を遅らせるため、徹底抗戦を行なっていました。
そのため、米軍は1ヶ月で沖縄を攻略する予定でしたが、
1ヶ月で5kmしか進軍できませんでした。
まるで、今般のウクライナのようです。

しかし、米軍の圧倒的な兵力により、徐々に防衛線は突破され、
ついに弾も食糧も尽きた6月18日の夕方、牛島中将は最後の電報を送ります。
「矢弾尽き 天地染めて散るとても
魂還り魂還り 皇国護らん」
と。
23日、摩文仁の丘で牛島中将は自決し、沖縄戦は終結しました。
私は、沖縄に行っても水族館も国際通りも行きませんが、
摩文仁の丘には必ず参ります。

ところで、その後も戦い続けた部隊もありました。
24歳の伊東孝一大尉率いる部隊は、疲弊しきったなか、
日の当たらない洞窟で、昼間は米軍の掃討をかいくぐり、
夜は芋を掘って命を繋ぎ、終戦の日まで耐え抜いたのでした。
私は、10年くらい前に伊東大尉からお話をお聞きする機会があったのですが、
当時の行動の動機は、沖縄を守りたい一心であったとおっしゃられていました。
それは、沖縄の人々のためであり、日本国民のためだった、と。

多くの軍人が日本を守ろうと決死で戦ったのです。
1000人以上が出撃した特攻隊も、約300隻の米軍艦船を沈めたと言われており、
決してムダ死になどではなかったはず。

また、日本軍とともに沖縄県民も勇敢に戦ったわけで、
劣勢になっても士気を下とさない沖縄県民は、米軍を驚愕させたと聞きます。
沖縄県民から深く慕われた大田実海軍少将は、
自決直前、沖縄戦の惨状と、県民の献身的な戦いぶりを綴り、
海軍次官に「沖縄県民 斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と電文を送っています。

沖縄戦では、約10万人の日本の軍人とともに、約10万人の沖縄県民の命が失われました。
その被害は甚大で、確かに悲劇だったかもしれません。
しかし、そこには、沖縄を愛し、
守るために戦った人たちの大和の心があったのだと、
信じてやみません。

さて、今年も終戦記念日がやってきます。

[SE;KICHI]

それでも続く日常

先日、知人が亡くなりました。
事故でした。
訃報を聞いたとき、本当に冗談かと思いました。
誰かと間違えて報告されたのかもしれないと思いました。

その方はまだ若く、お子さんもまだ幼い。
奥様やお子さんの心情を思うと、やり切れません。
その日の朝、いつも通りに行ってらっしゃいをして、いつも通りに過ごしていて、
いつも通りに帰宅すると思っていたら、本当に思いもよらない知らせが・・・。
世の中にはそのような思いをしておられる方は数多くいらっしゃるはず。
でもいざ身近な人が、となると、心がとてもつらいです。

そう、何気なく過ごしているこの日常は、
決して当たり前ではなく、
そうできていることに感謝すべきなんですよね。


こういったことがあると気づかせてもらえるのに、
時が過ぎてしまうと、それを忘れてしまいます。
毎日に感謝して日常を過ごしている人はどれくらいいるのでしょうか。

ただ、当たり前に過ごしている日常への感謝を痛感するとともに、
こういったことがあっても時は止まらないということを改めて実感しています。
当事者の方々はなかなか日常へと戻ることが難しいでしょうが、
他人にとってそれは全く異なって、またいつもの日常が淡々と始まります。
遺族の方の気持ちになってみると、
虚しさを感じることも少なくないのではないでしょうか。
少なくとも、私はそう感じました。
でも逆にそれが、遺族の方が前へ進むためには必要なことかもしれませんが。

もうすぐお盆です。
事故・災害ほか様々な理由で亡くなられた方が大勢おられます。
今の私たちにできることは、悔いのないように精一杯生ききることでしょうか。

[okei]

コレ! いま、流行ってんすよ!

6月くらいのニュースだったと思いますが、
この夏の水泳の授業について、仙台二高の3年生の男女3人から、
「男女混合の水泳授業はおかしい」と、
疑問視する訴えが地元の新聞に寄せられた、と。

女子生徒は「男子の視線が気になり、プールに一緒に入るのがイヤだ」と言い、
男子生徒も「体形などさまざまな面で、異性だけでなく同性の目も気になる」そうで、
一読、なるほど、流行りの多様性の話だな
嫌悪感を抱くような生徒のことも受け入れて、対策を講じていこう、
それが、すべての人に優しい社会というものだ、という気になります。

私は、スポーツ全般に関心が薄いので、
高校での水泳の時間なんて、あってもなくても、どっちでもいいのですが、
この高校は宮城県内の高校で唯一、50メートルの競技用プールがあるそうで、
まぁ、言い方は悪いですが、
「せっかく立派なプールがあるんだし」式で水泳の授業があるのでしょう。
生徒にしてみたら、
「なんでウチだけプールの授業あるんだよ、かったりぃ」と思うかもしれませんが、
他校には立派なプールも水泳の授業もないとすれば、
その感じ方は、生徒の立場に立ってみれば当然でしょう。

しかし、どうなんでしょうね。
「男子の視線が気になる」とか「同性の目も気になる」とか、
果たして、それは健全な状態でしょうか。
もちろん、そう感じる人のことも受け入れようという、
多様性の観点は理解できます。
しかし、この世の中は、男性と女性と、からできています。
性自認の話ではなく、生物としての♂♀の話です。

なにも、男女が同じ更衣室での着替えを強要されているとか、
更衣室は別でも簡単に覗けるようになっているとか、
極端に劣情をそそる水着の着用が義務付けられているとか、
そういうことであれば、確かに問題だなとは思うし、
その議論の延長線上には「男女混合はおかしい」という主張もありましょうが、
今回のケースは、女子は更衣室、男子はプールサイドのテントで着替え、
しかも、水着も指定はなく、
準備運動までは男女とも水着の上にジャージを着るのだそうです。
つまり、体型を気にする人も、かなりそれを隠せる仕組みになっているわけです。

そもそも、
「異性の視線が気になる」とか「同性の目も気になる」というのは、
結局、「他人の目が気になる」ということでしょう。
そんなの、プールに限った話ではありません。
この世の中は、男性と女性と、からできているのですから、
すべてのシーンに配慮するのであれば、
すべての学校は男女別にしなくてはいけないし、
映画鑑賞も観劇も、ランチも飲み会も、スーパーやコンビニでの買い物も、
おおよそ、他人の目が気になる人がいそうな場面は、
ことごとく男女別にする必要があるでしょう。
果たして、それは健全な状態でしょうか。

だいたい、高校生を、要求に応じて男女別にしたとして、
社会に出れば、そこは男女別にはなっていないのです。
公共のプールですら、男女別ではありません。

よく、お葬式でお坊さんが言うでしょう、「私たちは生かされています」と。
誰から生かされているというのでしょうか。
これは、この世界は神様がお創りになった世界で、
私たちはその神様から生かされている……という世界観ですよね。
神様が私たちをお創りになった際、
何のために男女2種類をお創りになったのでしょうか。
それは、互いに尊重しあって、助け合って生きなさいということだと思うんですよ。

それが、以前このブログにも登場した“Z世代”の特徴でしょうか、
昨今、マイノリティだろうが何だろうが、
イヤなことにはイヤだと声を上げていいんだという風潮があって、
このZ世代が、小賢しくも乗っかっている感じがするのです。

結局、プールの授業、イヤなだけなんでしょ?
体育大会とか林間学校とか、思い出作りみたいなイベントが軒並みダメなのに、
プールみたいな面倒くさいこと、イヤなだけなんでしょ?
それに、他人の目が気になるという恐怖心が加わってるだけなのに、
「男女混合の水泳授業はおかしい」って、
ダイバーシティっぽく見せて、ゴリ押してるだけですよね?

学生時代のプールで男女別を獲得したとしても、
社会は男女が入り混じっているもの。
一生それで行けるなら別ですが、
現状の社会はそのようにはなっていませんし、
学生とは、社会に出るためのモラトリアムなんですから、
つまんないこと言ってないで、
他人に見られても平気な自分を作りなさいよ。


社会は、ファッションなど、異性の目を意識して成長してきた面もあります。
「モテたい」が産業の原動力だったりするものです。
男女がいるなかで、互いに受け入れあうことこそが真の他者理解なのではないかと、
若者たちの主張の先に思うのでした。

[SE;KICHI]

最近の癒し

固くてつまらない私からは、ちょっと珍しい話かもしれませんが、
最近、癒しとなっている漫画があります。

それは、『ちこまる』

ちこまる単行本
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%A1%E3%81%93%E3%81%BE%E3%82%8B-ShoPro-Books-%E3%82%B9%E3%82%BA%E3%82%AD%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%AB/dp/4796878661

これはアニメーター、イラストレーターであるスズキハルカ氏著作の漫画作品です。
TwitterやInstagramで昨年より連載(というよりアップロード)され、
女性や若い人を中止に人気を集め、昨年末には書籍化もされました。
主人公"ちこまる"の生活や身の回りで起きる出来事が、
クスッと笑えてちょっぴり切ないということで、可愛くて共感できると、
にわかに話題です。
『ちこまる』は基本的には4コマ形式で連載される形で、3日に一度更新されるのですが、
その更新がされる度に反響が大きく、
皆がリプライや引用リツイートなどをしていまして、
私も含め、Twitterで楽しみに見ています。

https://twitter.com/chi_ko_ma_ru_?s=21&t=_QOZxiQozIdFYmxFrqk6SQ

そこで、"ちこまる"について、少しご紹介を。

ちこまる
https://eeo.today/media/2021/07/16/1786/

東京の床の薄いアパートに一人暮らしをしている、
ちょっぴり泣き虫でちょっぴり抜けているハムスターの"ちこまる"。
見た目が可愛らしく、一見幸せそうに見えますが、
気弱な性格で、運が悪くて、辛い出来事に遭遇しがちです。
どこか可哀想だけど、毎日の出来事に一生懸命な彼の姿は、
時には笑え、時には切なく、
時に応援したくなるほど共感できます。



https://youtu.be/BshRZhz9rrM

人間ではなく、ハムスターや他の動物が中心の世界において、
かなり小さく、丸々っとした体格からも、その可愛らしさが伝わってきますし、
彼の言動や、周りの友人たちとのやり取りも、
我々人間界のあるある〜🎵となるような出来事が多くて、
面白くて共感できるんです。

ちこまるは、作者のスズキハルカ氏曰く、
「小さくて弱くて守ってあげたくなるような動物キャラが良いと思い選んだ。
自らもかつてハムスターを飼っていたから愛着があり、
あまり喋らない分、些細な表情や仕草で伝わるよう、
背景の有無やセリフなど考えて描いている。
また、その出来事も実際にスタッフ達の体験をもとに描いていることが多く、
だからこそ共感を得られると思う」とのこと。

現実の世界にも通ずる、ありきたりな話だからこそ、親近感が湧くのだと思います。

毎話1話完結が最も多く、なかには、3話シリーズとなる話もあり、
たくさんおススメがあるのですが、特に私が共感できるのが、
これ↓

『寝ぐせを直しただけなのに』
https://mobile.twitter.com/chi_ko_ma_ru_/status/1369241560810979334

どうですか?笑
これは私も"あるある〜"っとなってしまうやつで、
彼のなんとも言えない表情と哀愁、
そして可哀想な雰囲気がたまらなく可愛いと感じます 笑

詳しくは先程紹介したURLにある、公式Twitterから遡れば見ることもできます。
Twitterでは飽きたらず、毎日のように見るあまり、
ついに書籍の漫画も買ってしまいました。

今や母親に紹介したらどハマりして、
母親の会社の人に回覧して共感者が続出しているとかいないとか。。
未だレンタル中です 笑
おそるべき"ちこまる"、さすがです。

この『ちこまる』が人気なのは、私の感覚ですが、2点あると思います。

ひとつが、誰が見ても可愛いということ。
他のゆるキャラや4コマ系は、それこそ『100日後に死ぬワニ』のように、
分かりやすく、簡潔に、それでいてかわいらしいというものだと思います。
この『ちこまる』も、ハムスターという、小さくて愛らしい動物を、
さらに可愛らしくデザインして登場させています。
可愛いと思わなくても、嫌いと思う人はいないんじゃないでしょうか?

ふたつめは、共感できるということ。
ちこまるの世界は、動物が出てきて人間は出てきません。
それは2018年にマンガ大賞を受賞した、
『BEASTARS』のような世界に近いかもしれません。
まるで人間界のような世界となっており、
会話に食事や映画、電車移動、学校、バイトなど、キャラ以外はまさにそれです。
それ故に変な知識も必要なく、スッと入り込めるのだと思います。
また、彼自身の不遇な体験や切ない出来事、踏み出しきれない少しナイーブなところも、
多くの人の共感を得る要因となっており、公式Twitterで発表される度、
リプライ欄には彼に対する応援メッセージと取れる物で溢れかえります。

私自身も“頑張れちこまる!”との思いからコメントしたりします。
時には作者に、
「そんなに"ちこまる"をイジメないでくれ〜笑」と思ったりすることもありますが。

生きている上で、特に社会では疲れることも多く、
癒しになるものも、人それぞれ違っているかと思います。
そんな時、クスッと笑えて、どこか応援してあげたいとか、これは私だ、とか、
そう思える漫画が私にはあります。

皆さんも興味ある方は、是非、手にとってみてはいかがでしょうか?
可愛くて、ホント面白いですよ〜笑

P.S
普段、ガチャガチャは回さない私ですが、これは回してしまいました。
どうです? なんか可愛らしいでしょう〜
不幸なことが多い彼の笑顔の純真さ、そしてそれでも一生懸命な彼の姿に、
時に涙してしまうこともあります。

ちこまるキーホルダー

[K.K]
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