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鎌倉の思い出

昨年、鎌倉の銭洗い弁天について少し書きました。
あれは、あんまりキャッシュレスが便利だからと、
リアルの紙幣や硬貨を邪険に扱うとお金に嫌われるんじゃないかという話で、
それに関連した形で銭洗い弁天をご紹介したわけですが、
それを読んだ、リアルでお会いした方から、
やれ、鎌倉ならアソコがいいとか、いやせっかく鎌倉に来たならあれは外せないとか、
決してそういうつもりで書いたわけではなかったのですが、
なぜか、「私のベスト鎌倉」が口々に語られるという事態になりました。

以前にも書いたとおり、私は市川から新日本橋まで電車で通勤していたのですが、
毎日英語の文献を調べるという、わりと単調な仕事をしていたせいか、
ときに現実逃避して、
そのまま電車を降りずに新日本橋を通過してしまうことがありました。
そのときは、品川か西大井あたりでいったんホームに降りて会社に欠勤の電話をし、
次の電車で横浜方面に向かって鎌倉まで行ったものです。

この時期(6月下旬~7月)の鎌倉はアジサイが美しいですね。
“アジサイ寺”なんて呼ばれる明月院は、「明月院ブルー」で有名で、
確かに美しく、なんというか、幻想的な気分になるものです。
私が通っていたころはインスタグラムなどはまだなかったのですが、
インスタ映えする丸窓があるので、写真を撮りたい人が多く訪れる印象です。

明月院ブルー明月院 方丈の丸窓
https://thegate12.com/jp/spot/579
https://ameblo.jp/masuko1988/entry-12388395652.html


多く訪れる……どころか、明月院は北鎌倉駅から徒歩10分ですが、
この時期は開門前には100人ほどの行列ができ、
8時の開門後、8時半には行列の最後尾が北鎌倉駅に到達してしまうという、
しっかりとした覚悟を持たないと拝観できないお寺です。
とはいえ、実は、16時半くらいから空いてくるので、私はいつも夕方を狙っていました。
つまり、私の鎌倉滞在時間は、新日本橋で仕事を放棄した8時頃から、
明月院が閉まる17時半の9.5時間。
これは、なかなかの長時間滞在です。

ところで、北鎌倉といえば、東慶寺でしょう。
明月院が混んでいる9時間あまり、どこかで時間を潰さなくてはなりませんが、
そういう時に便利なのが、明月院とは、線路を挟んで反対側の東慶寺なのです。
〽今日鎌倉へ行って来ました……で始まる、さだまさしの「縁切寺」とは、
この東慶寺のことで、江戸時代には縁を切るための「かけこみ寺」として、
多くの女性を救ったお寺なのだそうです。
雰囲気も、鎌倉にしては地味でとても落ち着くのですが、
それよりなにより、この寺の特筆すべきは水月観音。
観音菩薩縁日の毎月18日にしか開帳されていませんが、
岩にもたれて、水面に映った月を見つめる観音像は水墨画の如く、
非常にたおやかで美しいお姿です。

水月観音
https://www.pinterest.jp/pin/357895501633267591/

お寺以外では、江ノ電の鎌倉高校前駅あたりの情景も素敵です。

鎌倉高校前駅スラムダンクの踏切
https://seaside-station.com/station/kamakurakokomae/
https://hissakurssi.blogspot.com/2021/05/610963.html


ここは、道路を挟んで海とホームが向かい合わせになっている駅で、
よく旅番組なんかで紹介されるためか、そこそこ有名なんですが、
実はこのような構造の駅は全国の海沿いにちょこちょこあって、
そんなに珍しいわけではないのですが、
そこは、ほら、湘南が持つ開放感のせいで素敵に見えるのでしょうか。
ちなみに、すぐ近くの踏切も有名ですよね。

こうして鎌倉について考えるのが、私は好きです。

私は、瀬戸内や沖縄も好きですが、鎌倉の情景も好きです。
そして、鎌倉を思うとき、脳内に流れているのは、
『Nani Kamakura』というハワイアンソング。


https://www.youtube.com/watch?v=S_Lmpds_gys

♪kamakura nani e という歌詞からはじまるこの曲は、
何語なのか分かりませんが、
“Daibutsu”とか“Sakura”とか、歌詞に日本語が混じっています。
ウルヴェヒという人が20年ほど前に訪れた鎌倉の素晴らしさを歌ったという曲で、 
ハワイアンなのにちょっと和な感じで、懐かしいメロディーなんです。
特に歌詞に“Daibutsu”が出てくる 0:50 くらいは、
振り付けも大仏を表現していますし。

結局、「私のベスト鎌倉」は、
アジサイでも観音でも大仏でも桜でも富士山でも新緑でも海でもなく、
 Nani nā ʻikena kamahaʻo ē 
 Pili i ke kai i ka laʻi ē
 Kamakura nani ē
 Nani na- `ikena kamaha`o,e-
 (このすばらしい、美しい眺めに、 海にいだかれた静かな街、
 鎌倉、なんと美しいことよ)ってことなのでしょう。

[SE;KICHI]
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前々から。

前々からジュニアチーム(小学生男子)をやってほしいと、
お世話になっている協会長からは言われていたのですが、
自分的に中学生の指導で手一杯と思って触れないようにしていました。
ただ、3年前から、
亡くなった同級生が監督をしていたジュニア女子チームを手伝うようになり、
ジュニアの指導の大変さと楽しさと大切さを経験して、
やってみたいとも思うようになりました。

おまけに他校にジュニア経験者が多数入るようになり、
平均的なレベルが上がってきた事も後押ししています。

ただ私が常に地元に居る訳ではないのと、
学校開放の空きの問題、設備の問題があります。

そこに救世主が現れました。
36歳のバレーボールに係わり手伝いをしたいという青年が。
既婚者でありお子さんもいます。
探していた人物像ど真ん中です。
私が係わってからの卒業生も手伝ってくれますが、
若いですし毎週という訳にはいきません。
鉄は熱いうちに打てと言いますから、
折角手伝いたいと言ってくれているうちに動き出したいと思っています。
言い方は悪いですが早く捕まえてしまって離さないようにしたい。
小学生の手伝いもですが、
中学校の外部指導者を代わってもらえるようにもっていきたい。

ボールを投げられない子が中学部活に入ってくると、
前に書きましたが、
ボール投げや体幹トレーニングなど、
運動ができる下準備だけでもできればと思います。
大会参加などで毎週末に送迎やお手伝いで大変という話もよく聞きますので、
週に1~2度の練習だけのクラブでもいいかとも思っています。
資格の問題もあるのですが…

募集しても子どもも少ないので集まるか不安もあるのですが、
色々な人を巻き込みながら、
関わる人も、参加する子どもも楽しめる場所ができるのが理想です。

[WA!]

〽ガンバラナイけどいいでしょう

昨晩、TVで吉田拓郎を観ました。
『LOVE LOVE あいしてる』という、25年くらい続く音楽番組の最終回。
いやぁ、御年76歳だそうで、なかなかのおじいちゃんになっていましたが、
これで音楽活動を終了されるとのことで、
必ずしもファンというわけでもないのですが、
長年に渡って聞き続けてきた者として、やや感慨深いものがあります。
ありがとうございました。

吉田拓郎といえばなんでしょうか。
諸説あるとは思いますが、
『落陽』あたりがおさまりどころのような気がします。
個人的には『赤い燈台』とか、旅情を掻き立てるものが好きですね。

ところで、吉田拓郎には、
「言いたいことを勝手に言う」という曲群があるように思います。

このカテゴリには、以前紹介した『イメージの詩』も含みます。
「これこそはと 信じれるものが この世にあるだろうか
信じるものがあったとしても、信じないそぶり」と、
分かったようで分からない、人を食ったような歌詞です。
他にも、「何かが欲しいがそれが何かは分からない」という『人間なんて』とか。

そこで、今回ご紹介したいのは『ガンバラナイけどいいでしょう』という、
2009年にリリースされた、わりと最近の曲です。
当時、還暦を超えた吉田拓郎は、
体力の問題などから「コンサートツアーからの撤退」を表明していて、
「もうガンバれないけど、いいよね?」という、
セミリタイアっぽいメッセージを込めたと言われています。

Aメロは「そこよりもっともっと それよりももっと
心が痛くない つらくない所
例えば求める愛が 遠くても近くても
進んでいくだけが 自分と思ってた」と、
相変わらず、なにを言ってるのか分からないのですが、
その長いAメロの間に差し込まれるサビが、
「がんばらないけどいいでしょう
私なりって事で いいでしょう
がんばらないけどいいでしょう
私なりのペースでもいいでしょう」

と、なんというか、Aメロと関係のない、癒される歌詞なのです。

いまの日本社会において、
「がんばらないけどいいでしょう 私なりって事で いいでしょう」は、
たぶん、ダメです。
たとえば、会社の営業目標に対しては、
どれくらい成果を上げたのか、どれくらい貢献したのかが問われるわけで、
「がんばらないけどいいでしょう 私なりって事で いいでしょう」などと言った日には、
かなり長めの説教を食らいそうです。

しかし、長引くコロナ疲れのなか、私は思うのです。
「がんばらないけどいいでしょう 私なりって事で いいでしょう」は、
場合によっては、アリだなと。

いや、会社の営業成績などという話ではダメですが、
苦しい思いをしながら、それでも家族のため、ローンのため、老後のためと、
得意でないことにも歯を食いしばって働いた結果、
それがストレスになって、身体を壊したり、
場合によっては命を落としたりする人は、後を絶ちません。
「がんばらないけどいいでしょう 私なりって事で いいでしょう」は、
命を失わなずに済むための知恵かも知れない、と。

もちろん、組織に所属していればそんな勝手は許されないだろうし、
それを通すなら組織を飛び出せという話ですが、
一方で、収入の面で組織を飛び出しにくい事情もあるかもしれませんし、
なんとなく、コロナのせいなのか違うのかは知りませんが、
このところ、命を落とす人が増えた気もするのです。

日本の成長のため、頑張って働くのは基本ですが、
長く働いたり、より大きな仕事をするためには、
休むことも大事、勝負から降りることも大事でしょう。


バネ、縮めないと伸びないって話ですよ。


https://www.youtube.com/watch?v=e2xDXlM0wP8

いやぁ、それにしても、吉田拓郎。
2009年に「コンサートツアーからの撤退」、
そして2022年、「音楽活動からの終了」。
なんと潔い終活でしょうか。
そして、先月発売されたラストアルバムのタイトルが、
『ah-面白かった』。
そうやって、笑って人生を終わりたいものです。

[SE;KICHI]

夏季休業のお知らせ

平素より格別のご高配に預かり、厚く御礼申し上げます。
さて、弊社は夏季休暇として、
勝手ながら8月12日(金)を休業とさせていただき、
お盆明けは8月17日(水)より通常営業とさせていただきます。
ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。
猶、今後とも倍旧のご厚情を賜りますよう、切にお願い申し上げます。

[AKA]

明日、世界が終わるなら。

明日世界が終わるなら、
みなさんは何を食べますか?


先日とあるシーンで、この話題になりまして、
改めて考えた時に答えることができませんでした。
焼肉、、、
寿司、、、
ラーメン、、、
母の手料理、、、、
今、ブログを書いていても決まりません。
私は飲食店に入ってもメニューと睨めっこが続くような優柔不断な性格なので、
決められるわけはないのですが、、、

今回、私が何を伝えたいのかというと、
「私たちは恵まれている」ということです。
楽しいことがない。
お金がない。
稼いでも家族との生活費で全部消える。
毎日家と職場の行き来だけで面白くない。
などと口には出すものの、
このような下らないことを考える時間があり、
焼肉やらラーメンやら、色々な選択肢がある。
選択肢がある時点で恵まれていますよね。

選択肢がなく必死に生活を送っている人は世界中にたくさんいると思います。
「日常に感謝しながら生きる」なんて素晴らしい思想は自分にはありません。
目の前のことで精一杯です。

それでも、このブログを書いている時間くらいは、
綺麗な心でいれればいいな。と思い、文字に起こしてみました。

[T]

アリアハンの思い出

ある朝、自宅で母にたたき起こされると、
王様に旅の許しをもらいに城へ行かねばならぬと、すぐに家から連れ出されました。
謁見した王様は、魔王“バラモス”の恐ろしさを滔々と語っておきながら、
旅立つボクに対し、50Gとショボい武器防具しかくれないケチな人物でした。
まぁ、それは別の世界のローレシアの王様もそうだったので驚きませんが、
あとから知ることになるのですが、このアリアハンの王様、
かなり他人に厳しい人物で、ボクが力尽きて帰還した際には、
「不甲斐ない」だの「もう一度機会を与えよう」だのと言い放つ冷たさでした。
大人って身勝手なものですね。


アリアハン王からの軍資金
http://nyankobiyori.com/articles/47799.html

城下町に戻ると、ルイーダの店で仲間を集めて、グループを作ります。
ここでどんなグループを作るのかは思案のしどころで、
肉体派ばかリ集めてもいざというときに体力の回復ができないし、
一方で頭脳系ばかりでは敵を倒せないということで、

イイ感じを仲間を集めることは大事ですね。

ひとまず仲間を揃えたら、
さっき王様からもらった、棒と布切れみたいなしょぼいアイテムを装備させ、
街を出るのですが、そうすると、襲い掛かってきますよね、“まもの”が。
とはいえ、この大陸は平和なので、
大きめのカラスとか、ツノの生えたウサギとか、そんなのしか出ないので安心ですが、
大陸の南西にある洞窟から塔に入ったところで、
躍動感のあるカエルやら気持ち悪い模様のチョウチョやら、
アリアハン周辺とは段違いな強さになって苦戦するので、

分をわきまえて自分を鍛えるということも必要になってきますかね。
ちょっとカッコイイ言い方をするなら、橋を渡ったり塔に登ったり、

新しいステージに進むと試練も厳しくなるということでしょうか。

だいたい、去年、別の投稿にも書きましたが、
この塔には、バブルスライムの大群が出現するのですが、
その大群に遭遇すると、たいてい誰か一人は毒にやられてしまうものです。


バブルスライム ナジミの塔
https://dragonquest.fandom.com/ja/wiki/%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A0
https://panda-chronicle-plus.com/dragonquest3-chapter02/


そうなったときに進退窮まらないように、
あらかじめ、“どくけしそう”を買って持っていなくてはなりません。

備えあれば患いなしというわけです。

しかし、“まもの”をやっつけるとお金がもらえるわけですが、
これが、そんなにはサクサクと増えていきませんので、
仲間に新しい剣や盾“を買ってやろうにも、順番にしか対応できません。

優先順位をつけるということが必要になってくるわけです。
すぐ力尽きる頭脳系の仲間に防具を買ってやるか、
それとも、攻撃が得意な肉体系の仲間に強力な剣を買ってやるか、
ここはパーティのオーナーとして、よく考えなくてはいけません。
調子に乗って武器や防具ばっかり買っていると、
“どくけしそう”を買うお金がなくなってしまいますし、
大げさに言えば
経営者的な視点が必要になるとも言えます。

そもそも、ベースキャンプからどの程度まで離れることが可能で、
体力などがどの程度まで消耗したら帰還するのかという、
お出かけのサジ加減もオーナーが決めることですし、
武器や防具にどれくらいお金をかけるか、
戦闘の場面での戦術をどうするかというようなことも、
すべて、オーナーの胸先三寸なのですから、

判断力や、自信が選んだことに責任を負う胆力が、
求められるのかもしれません。


……何の話か、ついてこれていますでしょうか。
先日、何かの折に、とあるお母さんから、
「ウチの子、ゲームばっかりしているんですが、大丈夫でしょうか」と聞かれまして、
その質問に対して、冷静に考えてみたのが上記です。

そして感じたのが、
けっこう、いろいろ考えながらプレイしてるじゃん、ということ。

もちろん、食事中もゲームに没頭して顔も上げないとか、
夜な夜なゲームにべーぎおま逆転してしまい、朝も起きられないとか、
そういう、「やりすぎ」による弊害は考慮したほうがよさそうですが、
人生のある時期、集中的にゲームにのめり込んだからと言って、
長い人生で、そこまでの悪影響があるとは、私には思えません。
なぜなら、前述のように、ゲームからも学べることがありますし、
ゲーム内でのキャラクター運営は、リアル社会での、
たとえば、洋服にいくらまで費やせるかとか、
自宅の修繕にいくらまで払えるかといったお金の使い方と一緒で、
人生経営に通底していますからね。

いまの子に外に出てキャッチボールしろと言うのは無茶です。
野球のルールを知らない子も多いと聞きますし、肩も弱いでしょう。
そもそも、そういうことができる空き地のような場所もありません。
でも、だからといって、大人になるのにキャッチボールは必須ではないし、
それを経験していない子はダメだということにはならないと思うのです。
だいたい、もっと上の世代は缶蹴りやベーゴマなどをやっていたわけですが、
それをやらなくなった私たち世代がダメ世代だとは言えません。
つまり、何をして遊ぶかではなく、
その遊びを通じて何を学ぶか
ということが大事なのでしょう。

だから、別にキャッチボールや缶蹴りでなくてもいいのです。
子供に、嫌いなピーマンを細かく刻んでハンバーグに混ぜ込んでまで食べさせるように、
人生に必要なことを細かく刻んで大好きなゲームに混ぜ込んで学ばせる方便も、
いまの時代、姿勢や視力にさえ気を付けていれば、悪くないと私は思います。

[SE;KICHI]

安全保障の新しい時代

ロシアがウクライナに侵攻したことで、
これまでの世界のバランスが一気に崩れましたね。

アメリカやNATOが軍隊を出さないことで時代の変化を感じます。

国連総会ではロシアに対して非難決議が採択されましたが法的拘束力はなく、
もはや国連の存在自体に疑問を感じます。
第二次世界大戦当時の戦勝国が常任理事国となり、
それぞれの国が拒否権を持っていますが、
安全保障理事会ではその拒否権があるためにさまざまな議案が否決されてきました。
常任理事国の利害の不一致が安保理の機能不全を起こしていると言えます。
いま戦争を起こしているロシアはまさにそのなかの一国です。
戦後80年近くたったいま、
日本としてその在り方や立場をいま一度、
俯瞰して考えなければならない時ではないかと思います。

日本もロシアと国境を接していますので他人事ではありません。
日米安全保障条約をアメリカと結んでいますが、
今回のように、ロシアが日本に侵攻して来た場合に、
果たしてアメリカは軍隊を出すのでしょうか。

ウクライナのように兵器供与に留まると、
法律上、軍隊を持たない日本はいったい誰が戦うのでしょうか。
自衛隊は専守防衛ですから、他国から武力攻撃を受けた時のみ防衛力を行使し、
その態様も自衛のための必要最小限にとどめるとされています。
攻めてくる他国を追い払うには制約が多すぎます。

北朝鮮のミサイルも、またかと思ってしまうほどしょっちゅう発射されています。
国民が食糧難で困窮しているなか、どんな財政なのかわかりませんが、
その度に政府が非難するとか容認できないなどと発言しても、
一向に収まる気配はありません。

いつ日本の国土に着弾してもおかしくない状態ですが、
その時は日本としてどう対応するのでしょうか。
いつものように遺憾の意を表するだけなのでしょうか。
次にミサイルが発射されるであろう施設に対して、
先制攻撃するなどとは現段階においては考えられませんよね。

竹島も韓国に不法占拠されていますし、
尖閣諸島は中国船が頻繁に姿を現しています。
今後、独立した国家として国をどう守るのか、
世界の国々とどう関わるのか

戦略的な外交と有効な防衛力なくして戦えるものではないと思うのですが、
現時点ではまだまだ遠い話のようです。

[KAZSOU]

鍛錬の不足

つい先日、au回線の通信障害が起きましたね。
auで契約している人のスマホが、ただ重いだけの文鎮に成り下がり、
連絡や何かを調べるという業務に支障をきたしたと。

ここまでなら、いかに自分個人がスマホに依存していたか、
その依存度の高さに愕然とした…くらいの話ですが、
実際には、各種の決済や手続きもそれでやっていたらしく、
貨物列車の運行ができないとか、気象衛星の情報が取れないとか、
スマホ以外のところで困ったという方も出てきましたね。

ボクはauのユーザーではなかったし、天気予報を重視するタイプでもなかったので、
クルマに搭載された、緊急時にディーラーに直通する機能が使えなくなったくらいで、
特に困ることはありませんでしたが、
たとえば、コロナで隔離中の患者さんとか、
連絡が滞ることで生死にかかわる人もいるわけで、
「ありゃりゃ、電波なくなっちゃいましたねぇ」では済まないレベルです。

しかし、みんなが思ったことだと思いますが、
脆弱ですねぇ、社会は。

交通網だと、JRがダメになったら、
私鉄各社や地下鉄やらで代替輸送がありますが、
今回、通信網は代替がないのだということが露呈しました。

文鎮と化したスマホを持ったauユーザーは、
待ち合わせなどで、手探りを余儀なくされたとのこと。
テレビでインタビューされていた若い男性によれば、
「自宅にいる段階で、家のWi-Fiで連絡を取り合ったけれど、
もう家を出たら連絡がつかないので困ります」
と言っていました。

いやいや、たかだか20年も前は、
日本中、そんなもんでしたけどね。


スマホなどという便利なものはなかったので、
「いま〇〇にいる」とか、「あと5分で着く」のようなリアルタイムの連絡は取れず、
自宅を出る前にどれだけ綿密に確認し合えるかが肝でした。
「じゃ、駅で」などという雑な待ち合わせではたいがい会うことができず、
何のことはない、ビルの表と裏で互いに2時間、待つだけ待って帰るとか、
そんなことはざらにあったものです。
昔は駅の改札の横に、自由に使える伝言板があり、
そこに書かれた、「隆志へ。2時間待ちました。真弓。」などを見ると、
あぁ、2人の関係がこじれませんようにと案じもしたわけですが、
いまだと、連絡なしで2時間待たせたら“もう終わり”でしょうね。

まぁ、とにかく、20年前の待ち合わせは、いまよりも緊張感が漂うものでした。
今回、連絡手段を奪われたauユーザーは公衆電話を探してさまよったそうですが、
googleに頼らずに公衆電話を探すのは至難の業だったと言います。
まぁ、いまはタバコ屋さんとか、ないですからね。
そして、せっかく探し当てた公衆電話も、掛け方が分からず、
それを調べようにも googleには頼れず、結局断念したという、
なんだか落語みたいな話を多く聞きました。
douyara,
(どうやら、最初に受話器を持ち上げることが分からないようです。というより、受話器って何よのレベル)

スマホはすごいのです。
ググるという単語が発生したように、調べるのもスマホ。
誰かと連絡するためのLINEとかMessengerアプリもスマホ。
暑いのでコンビニで飲み物でも買うとき、支払いはスマホ。
もちろん、若い人は通話機能は使わないと言いますが、それでもスマホ。

いや、公衆電話を使えればすごいという話ではありませんが、
スマホが機能を失っただけでこんなに無力化してしまう人間たち。
若い世代は、マッチで火をつけることもできないし、
肥後守で鉛筆を削ることもできないそうです。
……弱いと言わざるを得ないですね。

科学が進歩するのは結構ですが、機械ですから、こういう不具合は起きるものです。
手元のスマホも、そういうものだと思って、備えておかねばなりますまい。
いざ、スマホが使えない日が訪れても何とかなるように、
持ち主のほうを少し鍛えることも大事そうです。

[SE;KICHI]

前進

お世話になっていた美容院が突然閉店しました。
オーナーが緊急入院し術後を考えて店を畳むことにしたそう。

そんなわけで新たなカット先を急遽探さないといけなくなりました。
条件は、自宅に近く、車の往来が激しい幹線道路沿いではなく、
停めやすい駐車場であること、そして、美容師さんが若すぎない。
若い頃には気にも留めなかった条件です。

探してみるとなかなか条件にあったところが少なく、
ようやく1軒見つけ行ってきました。
そのお店はマスクを着けたままカットするスタイルで、最後まで一切外しません。
マスク下の輪郭が分からなくてもカットできるものなんですね。
コロナ禍でマスク越しの顔を想像することがありますが、
外した顔が想像と違っていたってことよくあります。
きっと担当してくれた美容師さんも私の顔を想像しながらカットしてくれたと思います。
いつかマスク無しでカットしてもう時には、
あっ違っていたって思うんだろうなと想像します。
帰宅後マスクを外し鏡で確認しましたが、髪型バッチリでした。
さすがプロ。

カット中にお店探しをしなければならなくなった経緯を話したところ、
おもいかけず、閉店したオーナーの病状を聞くことができました。

脳腫瘍だったそうです。
日常的に頭痛で悩まされるようになり、
その症状を店に訪れていた常連の麻酔科医の方に話をしたところ、
即病院へ行くよう勧められたそうです。
その先生が勤める病院で診察を受けたところ脳腫瘍が見つかり、
そのまま入院の即手術。
手術は無事に成功し、驚くぐらい後遺症もほとんど感じられなかったので、
やっぱり閉店するのを取り止めると言い出したとか。
でも、そこはご家族が反対したそうです。
オーナーの愛車を改めて見てみたらぶつけた箇所があり、本人無自覚だったそう。
そんなこともあり、静養した後、
様子をみて自宅がある地元でお店を再開する予定との事でした。
オーナー不在のなか閉店を迎え、
店舗の明け渡しまでスタッフの方達頑張られたそうです。

日常は一瞬で変わります。
自分の意思とは無関係なことも多いです。

そんな時にこそ、
周りに頼り、そして頼られながら生きられたらいいですね。


そして、また新たな情報が入りました。
なんと地元で新店舗の開店を進めているそうです。
そのお店には一緒に働いていいたスタッフの顔も揃うそう。
経営者としての責任感もあったと思いますが、
一緒に働きたいと手を挙げたスタッフと強い信頼性を築いて前進していました。
見事ですね、オーナー。

[fu~ma]

宇喜多秀規

『宇喜多』といえば、ほぼ一択で「宇喜多秀家」ですわね。

戦国武将・宇喜多秀家といえば、
その妻となった豪姫は、豊臣秀吉が大切に育てた幼女です。
秀吉は、晩年になって側室・淀君との間に子供が生まれるものの、
正室・ねねとの間には子ができず、
親友の前田利家から、生まれたばかりの彼の四女を幼女に迎えました。
秀吉とねねの夫婦は、豪姫を、それはもう溺愛して育てたそうです。
権力者・秀吉の養女ですから、
大名から「わが息子の相手に…」と、多くの縁談が持ち込まれたそうですが、
秀吉はなかなか首を縦に振らず、
最終的に秀吉が豪姫の夫に選んだのは宇喜多秀家でした。
宇喜多秀家は、岡山を拠点とする宇喜多家の嫡男でしたが、
幼い頃に父を亡くしたので、秀吉に預けられていたという人物です。
秀吉は秀家を養子扱いの厚遇とし、彼に帝王学を授けました。
秀家もこれに応え、本能寺の変以降の天下取りの戦いに大いに貢献し、
秀吉の天下統一後は57万石を知行する大大名に躍進したという人物です。

秀吉は秀家を愛し、そして、自らが溺愛する豪姫を与えたのです。
秀家と豪姫は、いわゆる政略結婚でしたが、互いに深く愛し合っていました。

そして運命の時。
秀吉の死後、いろいろあって関ヶ原の戦いが起こります。
裏切りや調略などが横行した関ヶ原の戦いですが、
秀吉に大切に育てられてきた秀家は、迷うことなく豊臣方に味方します。
宇喜多秀家は、西軍の主力として奮戦しますが、
みなさんご存じのとおり、残念ながら西軍は裏切り者が続出して敗走。
そして、戦後処理で、宇喜多家は取り潰しとなり、
秀家に科されたのは、息子2人とともに、八丈島への流罪。
妻の豪姫は実家である加賀の前田家に引き取られます。

豪姫は自分も八丈島に流されたいと願い出ますが、許されず、
愛し合っていたこの夫婦は、
これきり会えることはありませんでした。


八丈島に流された秀家親子の生活は困窮したことでしょう。
絶海の孤島で、慣れない畑仕事や漁師のマネなど、何でもやったでしょうが、
もともと大名だった人物ですから、どうせ、うまくやれなかったに違いありません。
そこを支えたのが豪姫でした。
前田家を通じ、八丈島で暮らす彼らの支援を申し出て、
自分が60歳で亡くなるまで、白米70俵をはじめとする生活支援を行っています。
夫婦は再会できませんでしたから、神様も意地悪なものだと思わなくもないですが、
遠く離れた家族の無事を願う豪姫の祈りは、実は意外な部分で聞き届けられていて、
彼女が生涯をかけて愛した夫・秀家は、関ヶ原に参戦した誰よりも長命で、
八丈島で50年も過ごし、83歳まで生きました。

宇喜多家の流罪が説かれたのは260年後の明治2年。
翌明治3年に、宇喜多一族は船で八丈島を離れます。
この時の船を用意したのも前田家でした。
そして前田家は、八丈島から東京に引き上げた宇喜多一族に対して、
東京で住まう屋敷と、生活費のすべてを負担しました。
すごくないですか。
実は、豪姫が亡くなって、夫の秀家が八丈島で没してからも、
前田家からの物資援助は途切れておらず、
260年も欠かさず、宇喜多一族へ届けられていたのです。
すごいですよね。
豪姫の遺志が、きちんと末代まで継承されていたということです。

さて、タイトルの宇喜多秀規。
この人物は誰でしょうか。
この人物は、宇喜多秀家と豪姫……ではなく、
宇喜多秀家と奥女中の“お鮮”との間に、大坂備前屋敷で生まれた庶子です。
1594年生まれですから、1606年に父・秀家が配流となった時点では、まだ12歳。

これはあくまで伝承ですが、
この宇喜多秀規を、正室である豪姫が守ったという説があるのです。
それもすごくないですか。
豪姫、罪人となった夫を恋慕するだけでなく、その隠し子すら慈しむという。

さて。
私どもが拠点を持つ富山市には、「浮田家住宅」という文化財があります。
加賀藩役宅として、江戸時代中期の豪農民家の建築様式を残す建造物ですが、
この浮田家は、当時の田舎の代官としては破格の三千石を与えられています。
実は、先述の宇喜多秀規が、罪人の子ということで少し人目をはばかられる面もあり、
前田家から隣の越中の国(富山県)に逃がされ、
この家を興したという伝承があるのです。
“宇喜多”を名乗るのもアレなんで、“浮田”を名乗って。
破格の三千石は養育のための費用でしょうか。
そして、幕府をはばかり正式に八丈島と通信連絡することができなかった前田家は、
この浮田家を使って八丈島へ米などを送っていたと言います。

おお、宇喜多秀家と富山、つながった。
それがどうしたということもないのですが、
500kmを隔てた夫婦の恋物語に地元が噛んでいるなんて、なんか、ロマンチックですよね。

私たちは、流罪はありませんが、
マスクをしたりディスタンスをとって人付き合いをしているうちに、
心の距離も離れてしまっているようです。
ちょっとのことで互いを攻撃したり批判したり。
500kmを隔ててもお互いを思い合っていた夫婦に、
いまこそ学ぶべきではないかとも思うのです。


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