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エモい。。

最近様々なところで使われるようになった言葉でしょうな。
意味は
「感情が揺さぶられて、なんとも言い表せない気持ちになること。
切なさ、懐かしさ、寂しさ、嬉しさ、愛しさ、感動的、センチメンタルなどなど、
さまざまな感情を包括しながら、個人の形容しがたい心情を表現する言葉」と、
ググって調べたら出てくる、
今の若者がよく使うネットスラングのひとつです。
その語源は、emotional(エモーショナル)という英語、
感情的な、情緒的なさまを表す意味の形容詞で、
ここから転じて使われるようになったそうです。

元々エモいを使われる傾向が多い事象は、
ただ感動して揺り動かされたからというより、
哀愁やセンチ、感傷など、懐かしさや古めかしさを込めた、
寂しげな気持ちを表すことが多いように感じます。
簡単に言うと、昔懐かしい古いものを見て感じる時のアレです。
広義では、例えばインスタ映えするような綺麗な景色や、
美しい夕日のサンセットを見て揺り動かされた感情を、
エモいと言ってみせなりなど、様々な使い方をされますが、
狭義では、
このような懐かしいものを見た時の感情などを表す場合も多いでしょう。
何か新しい作品があったとして、
その中に含まれている、古きものへのリスペクトが込められているのを感じ取った時に、
"エモい"と使ったりします。
温故知新の親戚かなんかでしょうか。

この言葉も含め、若者のスラングというか略語というか、
それぞれの時代で、それぞれ流行った言葉は数多ありますから、
それを考察するだけでブログ1〜2本は書けてしまいそうですが、
それは触れないでおきましょう。

私も一応20代後半のアラサーですので、
若者の言葉を使う頻度が高いほうです。
最近、"エモい"と感じたものですので、それをいくつか。。。
とは言っても、ほとんど外的な事柄によることがほとんどですが。

『シン・ウルトラマン』

『シン・ウルトラマン』
https://blog.gamekana.com/archives/9892373.html

2022年5月7日に全国公開された映画です。
これは2016年に公開された『シン・ゴジラ』に続く、
かつて昭和に公開(放送)された作品を基本に、
現代風解釈を含んだリメイク(というよりリブートに近い)モノであり、
人類が初めてウルトラマンに遭遇した世界を描いています。
当方、再三に渡り申し上げていますように、
ウルトラマン大好きな少年として育ってきましたので、
今回の映画は絶対映画館で観ようと楽しみにしておりました。
コロナ禍の影響もあって公開が遅れましたが、
先日レイトショーに独りこっそり行ってきました。

ネタバレかもですが、ほんの少し感想を。
まず、初っ端からエモい。。
原作の劇判担当をした宮内國郎さんの、あの音楽たちが満載で、
がっちり心を掴まれました。
映像は初めて観る最新のものなのに、古臭いといえるあの音楽が流れることによって、
どこか見たことがあるようなモノになってしまう。
本当に音楽の力はすごいです。
登場怪獣も、あえて超有名怪獣ではなく、
あいつが出るのかぁ~っといった感じ。
総監修の庵野さんらの好みでしょうね。
逆に、星人は有名な”彼ら”でした。
それぞれが一話完結だった旧作と比べ、
短い時間でもしっかり繋がっていて巧みに構成された内容でした。
そして最後に”あれ”と“あいつ”が、
最終回のあの最強怪獣が出てきました時は、まさかまさかでした。
無理やりくっつけた不自然な内容ではなく、
しっかりと2時間ちょっとに纏められていて、
かつ、新しい解釈が成されたこの映画は、
初めて見る人ももちろん、旧作を観ていた方は5倍楽しめる、秀逸な作品でした。
まだまだ劇場で公開されておりますので、
ぜひご覧頂くことお勧めしますよ!
特に昭和のお生まれの方、エモい体験できます。


https://www.youtube.com/watch?v=2XK23KGM-eA

『トップガン マーヴェリック』

『トップガン・マーヴェリック』
https://topgunmovie.jp/news/

2022年5月27日に全世界公開された映画です。
1986年に公開の、もはや説明不要な伝説的作品『トップガン』の続編で、
36年の時を経てついに公開されました。
大人気だった前作から続編製作までこれだけの時間がかかってしまったのは、
人気ゆえの続編脚本成熟度の低さ、権利関係の変動、
主演のトム・クルーズの構想など、様々ありました。
12年前に映画会社から続編を打診され、
それを受けた前作監督が飛び降り自殺をしてしまったことも大きな出来事でした。
一時は続編計画が頓挫するのでは?とも言われ続けてきましたが、
他の映画の出演を続けながら、
本作の構想をずっと続けてきた、
トム・クルーズはじめ熱意有るキャストや制作陣らにより形となり、
2018年正式に発表され、予告編も公開、2019年公開予定となっていました。
しかし、ご存知新型コロナウイルスの世界的流行もあって公開が2020年6月に延期。
まだまだ収束しないので12月への2度目の延期。
さらにトム・クルーズの他の映画への都合から2021年7月への3度の延期。
映画会社の都合で2021年11月の4度目の延期。
そして未だ収まらないコロナ禍と、
トム自身が世界中にワールドプレミアに回りたいという強い思いから、
2022年5月27日への5度目の延期を経て、ついにこの度の公開となったのです。

以前のブログにも書きました通り、高校の頃からマイソングと言っていいほど、
主題歌の”DANGER ZONE”を聴き続けてました。
戦闘機のカッコよさに憧れて自衛隊の航空祭にも何度も足を運んできました。
ゆえに続編には大変胸を躍らせていましたので、
5度にも及ぶ延期にはガッカリし、コロナが収まらない限り、
もうこのまま公開されないのでは?とさえ思っていましたから、
正直興奮を隠せないほど嬉しかったですね。

もちろんこれも初っ端からエモさを感じる展開でした。
最初のシーンは、
前作ファンなら誰もが納得できるサービスシーンのようなオープニングですが、
単純なものではなく、新しい機体や映像でも、
カメラワークはほとんど変えずに撮られている点や、
ナレーションの短く簡潔にまとめられた言い回しもグッドでした。
個人的に”あの曲”が、まさか自分が生きている間に、
映画館で聴けるとは!
と、
感激して汗までかいちゃっていたのは良い経験です。
内容もまさに現代の技術の粋を凝らして作られたもので、
トムをはじめ出演者は前作と違い“本物の戦闘機”に乗り込んで撮影されています。
CGはほとんど使われず、その表情や言葉は嘘ではない、
徹底的なリアルにこだわっていました。
その映像はF/A-18E/Fホーネット戦闘機のアフターバーナーの爆音と相まって、
観る者を圧倒します。
かと思えば、出てくるキャスト達の立ち位置やセリフ回しは、
あえて前作と同じような懐かしいものを、まるで小ネタの如く並べていました。
前作を知っている人だからこそクスッと笑えてエモさを感じれる、
制作側の前作に対するリスペクトと愛にあふれたものが多く見て取れました。
その上、前作から続くストーリーを、しっかりと現代へと上手く繋げられていました。
内容は語れませんが、それは物語上の問題だけではなく、
人類が抱える問題やこれからの有り方など、
トム・クルーズたちの問題提起とも受け取れます。
私は抽象作品が大好きですので、映画や作品を観ながら、
制作者たちの意図し伝えようとするものは何なのか?を常に考えます。
この未曽有の疫病流行と、
相互不信の最たる結果である戦争が起きている、
悲しいかな現実世界の、誰もが避けては通れない厳しい問題に、
角度は違いながらもメスを入れていると思います。

いろいろと考え、感情が大きく揺さぶられる、エモさ全開の映画ですよ!
もちろんウルトラマン同様、まだまだ大ヒット公開中です。
今まで観たことない体験ができることは間違いなく、前作を観たことない人も、
行けば絶対に後悔しない素晴らしい映画になっていますので、
ぜひともおススメです。


https://www.youtube.com/watch?v=qS_XnAzeUgs

ほとんど映画の話でしたが(笑)
昭和の音楽もアイドルも好き、懐古趣味の私です。
日常の中でも感じるエモい体験、まだまだ有りそうです。

[K.K]
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友人が急死しました。

友人が急死しました。

友人と言いながら、
弊社とお取引のある会社の社員さんだったのですが、
ある朝、会社で朝礼を済ませ、
自分の持ち場に歩き出したところで倒れ、
救急搬送されたものの、目を覚ますことはなく、享年43。

若い頃、とても太っていた彼は、
このまま童貞のまま一生を終えたくないと一念発起し、
毎日のウォーキングを自分に課し、
努力の結果、シュッとしたいい男に変身して、
まんまと童貞を卒業したのでした。
あんまり嬉しかったのか、
卒業の15分後に私に卒業報告の電話をくれたのですが、
電話を切った後、その彼女と大げんかになったと後から聞いたのは、
いい思い出です。

彼は、遠く長崎から嫁いでくれた奥さんと、
まだ小学生の息子を遺していきました。
長患いの末に…などではなかったので、
心の準備もできていないことでしょう。

また、その2週間後くらいに、
別の友人が急死しました。


こちらも、友人と言いながら、
仕事の打ち合わせなどによく使っていたカフェのマスターだったのですが、
ある日の午後、胸を痛がったので、
心配した妻に連れられて受診したところ、
特に異常は見受けられないとのことで、痛み止めを処方され、
それを飲んでその日は就寝したものの、目を覚ますことはなく、享年41。

この夫婦はなかなか子供ができず、不妊治療をしていました。
しかし、着床しなかったり、せっかく着床しても流産したりと、
なかなか身を結ばなかったうえ、
その過程における肉体的な痛みや金銭的な負担なども勘案し、
「もうあきらめて2人で生きていくかぁ」と、
半月ほど前に、夫婦で腹を決めたところでした。

奥さんは宇都宮から嫁いできた方です。
子供はいなかったとはいえ、
2人で生きていくと確認しあった夫を失い、
途方に暮れていることでしょう。

私は、人間の人生というものは、
生まれる前に、
自分と神様との間でおおむね決めてくると、
信じています。

もちろん、証拠などありません。
まぁ、証拠があれば、
信じるとか信じないとかの次元ではなくなりますが、
私は、証拠などないのに、そうに違いないと思っているのです。

だとすれば、最愛の妻と、
まだ10歳にもならぬ息子を遺して逝った彼の人生も、
2人で生きていくと妻と確認しあった矢先に逝った彼の人生も、
元々の計画通りだったのかもしれないと思いますが、
その計画は、本人を含め誰にも、
あらかじめ知らされないものであることが、
なかなか厳しいシステムだなと思います。

キサーゴータミーの例えにもあるように、
死者の出ない家はないのですし、
人間は、必ず死ぬわけです。

どんな順番かとか、どういう死に方だったのかとか、
本来、そういうことは関係ないのですが、
そういう部分に、
感情をくすぐる何かが埋め込まれているなぁと感じたものです。

それにしても、コロナ禍以降、
訃報に接しても、通夜や葬儀に参列するというより、
弔問に訪れて香典を渡し、
焼香するだけの形に変わりました。
一度そうなってしまったものはなかなか戻らないでしょうが、
最期のお別れがそれだけというのも寂しいし、
死を矮小化しているような気にもなり、残念です。

[SE;KICHI]

気遣い。

いよいよ梅雨に入りました。
家の中にいて外から聞こえてくる雨音は割と好きなのですが、
やはりジメジメとした空気よりはさわやかな気候の方が快適ですね。
梅雨入りしたばかりですが、早くも梅雨明けが恋しいです。

さて、つい先日、珍しく主人が落ち込んでいると話してきました。
何があったか話を聞いてみたところ・・・

職場で部下の女性が大きな荷物を運んでいたそうです。
その荷物は大きいけれど中身は軽いと知っていたため、
主人はその女性に「力持ちだね」と冗談でいったそうです。
すると「力持ちじゃないです、持ってください」と、
苛立った感じで言われた、と。
また別のタイミングで、
男性一人とその女性との二人で、大きなカートを3つ運んでいたそうです。
たまたまそこに居合わせた主人に、
「一台運んでください!」と偉そうに指示された、と。
それが主人には想定外な言動だったそうなのです。

その女性は割と遠慮なくものをいうタイプの女性だと知っていたので、
先ほどの苛立たれたエピソードもひとまず納得してはいたそうなのですが、
別の女性に「こういわれた、こう指示された、どう思う?」と聞いたところ、
(その女性は)そんな風に言わなくてもいいのに・・・」などと言ってくれるか、
と思いきや、
その女性に同調されたことにショックを受けたそうです。

主人的には大きくても軽いってわかっているから、
単純に会話するつもりで言っただけなのに、真に受けられ心外だと。
「家庭でも気が利かない奴だとよく言われている」とその場では言ったけれど、
本人曰く結構凹んだそうです。

「本当に重かったんじゃない?」
「女性は体が小さいから、軽くても大きな荷物を持つのが大変なんだよ」
と言っても納得してくれず、
「髪型変わったのを気付いていたのに伝えなかったから怒ったのかもしれない」
と言い出す始末。
もしかしたらそうなのかもしれないけれど、
私的には違うような気がして、あれやこれやと話しているうちに、
ふとある点に思い当たりました。

その女性、気を遣ってほしかったんじゃない??

私は決してか弱い女性ではありません。
だから、除雪もジャンジャンするし(むしろ好きだし)
少年野球のお手伝いのときだって重いものも運ぶし、
なんなら主人にすごいと言わしめる力こぶだって持っています。
だから、別に自分が持っている荷物を代わりに持っていってほしいなんて、
まったく思いません。

でも、

何か一言、例えば、ありがとう、とか、持っていこうか、とか、
たった一言もらえるだけで嬉しいもの
なのですよね。
(全くそんなこと思っていなくても一言が欲しい・・と一瞬書こうと思いましたが、それは嘘です。まったく心がないなら言うなよ、と私の本心が言っています。)

というわけで、以前から女心がわかってないねと、
幾度となく主人に伝えてはいたのですが、
そのたびにそっちも男心がわかっていないと言われている私。
結局お互い鈍感同士だからしょうがないと割り切って生活しているため、
我々夫婦は、なかなか第三者の心まで思いやれる域には、
到達できそうにもありません。

周囲の皆様、毎度ご迷惑をおかけしております。

[Okei]

資産所得倍増プランですって!

岸田首相は先月、ロンドンの金融街シティーで講演を行い、
「資産所得倍増プラン」に着手する考えを表明しました。

なるほど。
資産所得倍増プラン……悪くないネーミングですね。

そして、6月7日、「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」が閣議決定され、
資産所得倍増プランが正式に始動し、
NISA(少額投資非課税制度)やiDeCo(個人型確定拠出年金)の拡充・改革を進め、
要するに、いま、日本に約2000兆円あると言われている家計の資産を、
貯蓄から投資に振り向けようと呼びかけています。

なるほど。
いま、銀行の定期預金の金利は0.002%しかなく、
たとえば、100万円を1年間預けても20円ほどの利息しかつかないので、
定期預金なんかに期待してないで投資に回そうぜ、という話は、
確かに、そうしたほうがいいだろうなと思えます。
また、政府は法人税優遇などをちらつかせて、
企業にずいぶん賃上げを呼びかけましたが、それにも限界がありそうで、
右肩上がりの賃上げが望めない状況下では、
賃金だけに期待してないで投資で収入を確保しようぜ、という思考は、
確かに、そうしたほうが合理的だろうなと思います。

実際、首相に言われなくても、そうしている人も多いでしょう。
私も、経済学的に、この施策は間違ってはいないと思います。

しかし、なんというか、やや不快なのです。
オマエが言うなよという感じがするのです。

私は、ここ最近の日本の足腰の弱さは、
「この労働力を提供したら、私はいくらもらえますか」という、
いわゆる Give and Take 式の契約めいた関係性の蔓延によると思っています。
『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』とかね。
どうしてそういう考え方が蔓延したのかはつまびらかにはできませんが、
学校での教育や、家庭での会話などによるのでしょう。

そこで、一国の首相が言うわけです。
賃金は上がらないので、預金はやめ、
資産を投資に回して手持ちを増やしましょう!
と。
そんなメッセージを出したら、
そうか、賃金は上がらないのだな、預金している場合ではないのだな、と、
国民に広く伝達することになるでしょう。

大丈夫なんでしょうか。

重ねて、学習指導要領の改訂により、高校の家庭科で「金融教育」が始まります。
成人年齢が引き下げられることも関係があるのでしょう、
知識がないことによるお金のトラブルを少しでも減らすため、
高校での金融教育が始まったのだと思いますが、
その教育を通じて、賃金は上がらないよ、預金している場合ではないよ、と、
これから社会に出る若者に刷り込むことになるでしょう。

繰り返しますが、経済学的に、その教育は間違ってはいないと思います。
実際、若者が、金融リテラシーが低いばっかりにお金で苦労することがないよう、
この手の教育には救済力があるとは思うんです。

でも、もし、それが誤ったメッセージとして受け止められ、
「そうか、賃金は上がらないのか」、
「預金している場合ではないのか」ということになれば、
「コツコツ働いて給料をもらってる場合ではないかも」ということになりかねません。
相手は高校生ですから、下手をすると、
「こりゃ、就職とかしてる場合じゃないかもしれんな」と、
就労意欲に重大な影響を与えそうです。
まぁ、それは大袈裟だとしても、潜在的にそういうマインドを作り出すでしょう。

私は、前述の、「この労働力を提供したら、私はいくらもらえますか」という、
なんでも金品に換算する考え方が正しくないと思っています。
そういう Give and Take 式のトレード-オフの関係性よりも、
一所懸命に働いて、みんなの役に立ち、
その対価として与えられる賃金を押し戴く
というのが、
日本が営々と積み重ねてきた、基本姿勢だと思うのです。
そのうえで、賃金が上がらないなら、上がるように、
より一層、みんなの役に立つように働き、
より多くの対価を戴けるようにサービスの向上に努める

そういうのが人の道だと。
もちろん、先見性は持たねばならないとは思います。
いつまでもタイプライターの部品などを作っていても、
令和のいま、その部品でこの先を生き抜くことができるとは思えませんから、
その程度の先見性というか、洞察力は備えておく必要はあるでしょう。
しかし、やはり基本は、
社会のために自分ができることを精一杯させていただく、
そのことでお客様に喜んでいただき、
対価をいただく
のが本当でしょう。

自分が金銭的に富む方法論は、岸田首相の言う通りでしょう。
しかし、日本は伝統的に、他者のために力を尽くすという労働観を持ってきました。
英語の Business(ビジネス)の語源は Busy(忙しい)だそうです。
フランス語の Travail(仕事)の語源は Torture(拷問)だそうです。
世界中でそういう労働観が一般的であるなか、
日本は伝統的に、「はた」を「ラク」にすることを『働く』と言ってきました。

そういう、他者のために力を尽くすという労働観をかなぐり捨てて、
自分の収入の確保のために投資しようぜ、だなんて、
仮にそれが、経済的に理屈に合っていたとしても、
一国の首相がそんなバカなことを言ってるんじゃないと、私は憤っているのです。
ここは、理想論だとしても、
「みんな、頑張って働こうぜ!」って言えよ、と。
聞いてるばかりの首相ではいけません。

[SE;KICHI]

んー、他人事とは思えない。

牛丼チェーン店の「すき家」が今年1月、
名古屋市内の店舗で従業員が勤務中に倒れ、
その後、死亡していたと明らかにしました。
亡くなった方は当時、午前5時~9時までの勤務時間中で、
接客や調理、洗い物などの業務を一人でこなす「ワンオペレーション」、
いわゆるワンオペだったとのことです。

すき家では、従業員の安全を守るため、
本部に緊急連絡ができる「ワイヤレス非常ボタン」を常に身に着けることを、
義務化していたそうです。
しかし、今回亡くなった方は、これを身に着けておらず、
異変を察知することができなかったとのことです。
亡くなられた方は、50代のアルバイト従業員の女性とのことでした。
これを受け、すき家は本年6月30日迄に、
全店の朝帯(5時から9時)で、複数勤務体制とすることを決定したとのことです。

労働相談を受ける団体には、ワンオペに関する相談が寄せられてるといいます。
「ファーストフード、コンビニ、介護とかにもワンオペが広がっている。
そういう相談を多く受ける。休むことを前提としない。
法律違反の可能性も高まってしまう働き方でもあるので、
まずそこをなくしていくことを前提として考えていくことが大事」ともいわれております。
事実、客足が少なくなりやすい、
深夜~朝方のコンビニはワンオペをしている店舗も実際に見受けられます。
人件費の兼ね合いからでしょうか。
私自身も、コンビニや飲食店でアルバイトをしたことがありますが、
極力一人では働きたくないと思っていました。
例え業務に慣れていたとしても、防犯上の危険や、
基本的にトイレに行けない等の問題が出てきますので。

私自身、現在は普段一人で外回りの仕事をしておりますが、
中で一人で仕事をしている方とはまただいぶ違うなーと思いました。
もちろん時間がなく、お昼の時間を削って移動時間に充てたり等はありますが、
空き時間があればトイレ等は行きやすい状況にあると思います。
これも、コンビニ、スーパー、ドラッグストア等、
様々なお店が開店しているからこそです。


今回の出来事があり、ワンオペは怖い部分がありますが、
様々な状況下で働いている皆様に感謝しております。

[SYUN]

アタマおかしいのはどっちだ。

17歳くらいのころから10年ほど、
高校生を対象とした家庭教師のアルバイトをしていました。
社会人になってからもやっていたので、後半はなかなかのベテランになり、
そのキャリアを見込まれてなのでしょうか、
ちょっと難しめの生徒を割り振られることが多かったように思います。

私見ですが、男子高校生なんて卑猥なことしか考えていませんから、
意識を勉強のほうに向けさえすれば、わりと単純に成績は上がったものです。
一方、女子高校生は、勉強自体はそれなりにできるのに、
試験などに真面目に取り組まず、成績が悪いというケースが多く、
つまり、“ちょっと難しめの生徒”というのは女子が多かったような気がします。

私が担当していた中学2年生の女の子で、
2(2x-3y)があったとして、なぜ×(かける)を省略するのか分からず、
そこに非常にイライラしてしまって計算どころではなくなる子がいました。
原則から言えば「2×(2x-3y) 」って説明してくれれば分かりやすいのに、
先生に「数学は省略するものなんだ」ってゴリ押しされて、ついていけない、と。

どうやら、彼女たちによれば、習ったことをそのまま覚えるというよりは、
応用というか、それぞれ、自分なりに解釈して、
これって、こういうことなんですよね?って、
腑に落としたいようなんです。
ところが、そのような確認をしたいのに、
学校の先生などは、それに答えるスキルを持っていないので、
「うるさい! そういうルールなんだから!」ということになりがちで、
そこからその教科が嫌いになっていくのだそうです。

気持ちは分からなくはありません。
私も、中学生くらいの時は「∠Bって、Bの角だって分かるのに、
なんで、わざわざ∠ABCって表記したりするわけ?
その使い分けが分からん」……とか、思ってましたから。
数学は得意とは言えませんでしたが、少なくとも苦手ではなかった私、
∠Bなんて、まぁ、どうでもいいと言えばどうでもいいのですが、
先生が、そういう質問に答えられないのに人に教えているなんて…と思ってしまい、
そこが気になってしまって、その先に取り組めず、
そうこうしているうちにその教科が全面的に苦手になってしまった経験はあります。

別の高校2年生の女の子は、関数について、
「関数は、ある決まった値を与えると何らかの値を返すもの」という説明を見て、
「数値ごとに互いに“関係”があるという意味なら、
『関数』ではなく『関係数』という呼称にしてくれればいいのに」と言っていました。
また、箱の中に何かいれると別な物ができあがる…みたいなイメージだから、
むしろ、戦前に使われていた『函数』という単語に戻してほしいとか、
そういうことを主張していました。
アタマおかしいと思うかもしれませんが、
彼女は一橋大学から法務省に進みましたから、
アタマおかしいのはどっちだという話です。

私が思うに、数学は、
なぜそれがこうなるのかという説明をしっかりと解説すべきだと思うのです。
それは、定理の証明のような作業で、煩わしいことこの上ないのですが、
そうでなければ「なるほど、そういうことね、了解」とはならないし、
「了解」とならなかった事柄については、使いこなせないと思うのです。
ところが、学校では、こうやればできるんだよとか、そんなことしか教えないので、
やれ「ここの代入しろ」とか「この値を微分しろ」とか、
方法は教えてもらえるけど、その原理原則が分からない。

いえ、文句はないのです。
これは、いわば、
「クルマの運転方法ばかりを教えてないで、クルマの構造や原理を教えてほしい」
と言っているようなものですから、
ふつうの人にしてみれば、知らなくていいことかもしれません。

でも、ですよ。
日本中の人が、構造や原理への興味を失い、
使い方さえ教えてくれればそれでいいということになったら、
理解したうえで改良するという科学技術の進歩はありません。
クルマでいえば、
自動運転のクルマの操縦方法を教わる人ばかりでは、
肝心の自動運転のクルマが技術的にできてきません。

そうなると、日本自慢のトヨタ式カイゼンも、威力を発揮しないでしょう。

学校というのは一律に教育するものなので、
一般には使い方を、興味ある子には原理を教えますというわけにはいきません。
が、様々な面で先進国から転落しようとしている現状の日本にあっては、
その子の関心の強弱に応じた接し方を模索する必要があるのではないか、
そのことが、昨今話題のデジタル庁よりも大事なのではないかと思うのです。

なぜ、このようなことを縷々書き連ねているのかというと、
このところのコロナ禍で、首都圏を中心に通学を拒否する学生が増えており、
小学校から大学まで、学校の授業のオンライン化が急速に進みました。
観察の結果、オンライン授業では相互の意思の疎通が難しいようで、
集合型の授業よりも、大味でざっくりした時間になりやすいようです。
画面越しの対面なので、そりゃそうだろうとも思いますが、
それは、他人を肯定するというSDGs的なことではなく、ただの放置です。

こうして、技術の進歩とともに、またしても教育が劣化し、
結果的に人間が劣化するのかと思うと、
切なくてならぬのです。


[SE;KICHI]

新人

少し時間が経過しましたが、
関わっている中学部活動に新人(1年生)が10人入りました。
マンモス校であれば少ないくらいの人数だと思いますが、
田舎の中規模校?であれば、なかなかの人数です。
新入生の男子は40人なので1/4になりますから。
田舎の小規模校ですね(汗)

2・3年生が名簿上で12人なので合わせれば22人となりますが、
名簿上なので幽霊部員が2人ほどいます。
幽霊部員の理由は様々なのでここでは控えますが、残念です。

入部から1か月ほど経った今、1人(1年生)が辞めたと… 
理由は聞いてないですが残念です。
判断についてはいいのですが、利き腕も分からない子だったので、
まぁしょうがないかなと思う気持ちもあります。
正直に言えば利き腕も分からないってどうゆうこと?
見たら右も左もボール投げられない。
左利きっぽいこと言ったけど、
キャッチボールは右投げしてるしどうゆうこと? 
まぁそうなるわな~です。


中学部活動は通常であれば2年半のほどの活動になりますが、
もう少しやらせてあげたい。
もう少し時間があればここまでできたかもしれないのに?と、
やる気がある子どもを預かると毎回自分の力のなさを感じます。

趣味のゴルフで、
知り合いのシングルプレイヤーになにげなく、
カット打ち(スライス)が直らないと相談したところ、
見てもいないのに右肩が前に出て構えているのではないかと言われました。
構える際の動作なのか癖なのか分かりませんが、
自分の中では腑に落ちて球筋が変わったと思います。
競技は違いますが少しでもこういったことを伝えたいと感じました。
少しでも見聞きして伝え方や練習の工夫など、
パクれることも含め多く取り入れたいです。

いろんな子がいます。
黙々とやる子・人の目ばかり気にしている子・カッコだけつけている子、様々です。
ジュニア経験のない子ばかりなので、
考えて積極的にやっているのが自分では好みですが、
一番ダメだと感じるのは言い訳ばかりしてカッコつけてやらないヤツです。
結果、何物にもならない。
やってないのだから当然です。
そうならないように指導しているつもりですけどなかなかね。
2年半ほどですから少しでも楽しみを教えてあげたいと思います。

[WA!]

何を基準にしていくか。

4月に知床で海難事故がありましたよね。
運営会社の社長は、安全よりも儲けというタイプだったのか、
被災者の方々やご家族の方々にしてみたら、
次々に明らかになるずさんな管理は許せないだろうし、本当にお辛いことです。
そのご家族の声を代弁しているつもりなのか、
関係のない人々がこの社長を批判していますが、
私は、そんなことしてる場合か?と思います。
現場は北方領土に近い知床。
中国資本が、運営会社と社長の今の窮状につけこんで、
観光船やホテルも併せて、この知床の会社を買収するかもしれません。
中国とロシアは同盟国ですが、日本がロシアから敵国認定されたこの状況で、
もし知床の会社が中国資本に買収されたら、
果たして、日本政府は北海道を守りきることができるのでしょうか。
どうせ、運営会社には被災者の方々への補償の能力などないでしょう。
そうなのなら、政府がその補償を肩代わりする代わりに、土地を強制撤収して、
たとえば自衛隊のミサイル施設などに使い、国防に備えるべきではないでしょうか。

この春、高校の新学習指導要領で必修となる、
日本史と世界史を合わせた近現代史を学ぶ「歴史総合」の授業が始まりました。
私自身は高校には通わなかったので実体験としては知らないのですが、
歴史という教科は必修ではないというイメージですので、
日本史を扱う必修科目が始まったというのはエポックに感じます。

さて、来年度から高校で使用される教科書の検定結果が公表され、
どういう人選なのか、私も地元のメディアから意見を求められたので、
先日、ちょっと思うことを語らせていただきました。

毎回、領土とか慰安婦に関する記述ばかりが話題になり、
もちろんそのことも大きな問題なのですが、
私は、そういう個別の出来事に対する書きぶりよりも、
教科書(出版社)によってかなり差がある記述のスタンスが気になる、と、
そう申し上げました。
つまり、どの教科書で授業を受けるかによって、
生徒たちの歴史観や国家観は、
相当に違ったものになるだろう
という懸念です。

冒頭の「歴史総合」でいうなら、たとえば日露戦争について、
M社は「満州を占領したロシアは、軍隊を駐屯し続けた。
日本は韓国が植民地化される危険性を強め、厳重に抗議した」と書き、
自衛のために不可避の戦争であったと説明しています。
しかし、同じく日露戦争について、
T社は「英露対立の代理戦争」などと書いているし、
S社に至っては「朝鮮に対する支配を強めて、大陸侵略の足場を築こうとした」などと、
よくこんなものが検定に合格したなと、呆れかえる書きぶりです。
ご存じのとおり、日本はイギリスのために戦ったわけではないし、
まして、帝国主義に基づいて暴走したのでもありませんよね。
つまり、T社やS社の記述は“ウソ”というわけですが、
そういうものですら検定をすり抜け、無垢な生徒に与えられるわけです。
そりゃ、自虐史観に洗脳されるのも致し方なしでしょう。

また、幕末の攘夷について、
前述のM社は「日本の自主性を強く打ち出し、
外圧に対抗しようとする考え方」と説明しているのに対し、
J社は「天皇を中心とする優れた日本が、無礼な『夷狄』である西洋諸国の侵入を防ぎ、
従わせるべきという考え方」と、恣意的な表現を展開しています。
もはや、同じことを説明しているとは到底思えません。

私は、出版社や執筆者の歴史観や国家観の違いにより、
教科書の表現に差が出るのは致し方ないと、ある程度、理解はしています。
というか、各教科書に対して国家が画一的な執筆を命令することは不適切であり、
各社が個性ある教科書を書くことは許されて当然だとは思います。
しかし、憲法で表現の自由も保証されているとしても、
果たして、先述のような、
母国を貶めるような記述が教科書として適切なのか、
私を含め、はなはだ疑問に感じる人も多いことでしょう。

学習指導要領には、地理歴史科の課題として、
「国家及び社会の形成者として必要な資質・能力を育んでいくことが求められる」と、
その趣旨が謳われているわけで、
自虐史観をまとった教科書では、「国家及び社会の形成者」は育めないでしょう。
私は、もっと、どの教科書がその趣旨に照らして適切か
厳しい目を持ったほうが良いと思うのです。

近所の図書館で「世界の教科書展」をやっていまして、
そこでアメリカの教科書を手に取ってみたのですが、
コロンブスのアメリカ大陸発見からの歴史が壮大なスケールで綴られており、
それはそれは読みごたえのある、ワクワクする教科書でした。
もちろん英語表記なので、日本人の私には読みにくい部分もあるのですが、
よくよく読むと、ネイティブアメリカンを迫害したことや黒人奴隷の売買など、
アメリカの負の歴史についてもしっかりと記述しつつも、
国の誇りを損なわない書き方をしています。
その点が日本の教科書とぜんぜん違います。

日本の子供たちが、自虐史観にまみれた教科書で学び、
クソ面白くもない「罪の子」のような懺悔を繰り返させられている間に、
アメリカの子どもたちは、自国の誇りが強調された教科書で学び、
アメリカ人として生まれたことに感謝するようになるわけです。
どちらが、将来、国のために役に立つ人間になるでしょうか。

[SE;KICHI]
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