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幻の……どら焼き。

試しに“幻のわらび餅”とネットで検索してみると、
なんと、「もち蔵家」という、特定のお店がヒットします。
なんというか……たいした自信です。

高知県の、龍馬像とかがあるところの近くにあるお店なのですが、
そこまで言うならと、知人に頼んで店まで買いに行ってもらいました。
が、現在はものすごく縮小しての営業中だったようです。
というのも、お店のホームページによれば、
このお店は、店主一人が早朝から銅釜に向き合ってわらび餅を炊いており、
そもそも提供できる量が限られているうえ、
接客業務に忙殺される店頭販売はお休みして、
現在はネットで予約を受け付け順次発送するというスタイルを中心としているとのこと。
いまでは発送まで2年待ちくらいになっているようです。
ただ、県内の人に向けては、店に来てしまう人が後を絶たないので、
やむをえず、限定的に細々と店を開けている、ということだそう。

実際に行ってみた知人によれば、
店内ではTシャツ1枚の店主が、
銅釜に入ったわらび餅を、溶き卵のようにゆすりながら撞いており、
季節は冬だったというのに、熱気でいっぱいだったとのこと。
それは、少し前に終了した『カムカムエブリバディ』の、
「小豆の声を聞け、時計に頼るな…」のようであったと言います。
店舗に赴く前、知人は、
「接客業務に忙殺される店頭販売はお休み……って!
接客する時間くらいあるやろ!」と言っていましたが、
後日、「あれは、接客する時間なんかないわぁ」と言っていました。

そうして手に入れた“幻のわらび餅”がコレです。

幻のわらび餅

写真で見ても何も伝わらないことでしょうが、
このきな粉のなかにわらび餅が埋まっています。
そのわらび餅は、楊枝でひっかけて持ち上げようとしても、うまくいきません。
というのも、ものすごく柔らかいので、ビヨーンと垂れ下がって落ちるので、
スプーンのようなもので掬い取ったほうがいいのかもしれません。

味は……考えてみたら私、
わらび餅の味の良し悪しを語れるほど造詣は深くないのでした。
いや、確かに美味しいとは思うのですが、
それが、わらび餅の美味しさなのか、きな粉の美味しさなのか、
仮にわらび餅が美味しいとした場合、粉のチョイスなのか炊き方なのか、
そんなにわらび餅経験が豊富ではないので、
美味しいは美味しいけど、どのような理由でどのような美味しさなのか、
詳細は言えないという、食べた甲斐のない感想しか言えないのでした。
申し訳のないことです。

ところで、その知人から、わらび餅と一緒に送られてきたのが、この包み。

包み

何やら特別な雰囲気を醸し出していますが、
包みを説いて現れたのが、コレ。

包みを開けると…

何か分かりますでしょうか。
いびつな形のパンケーキみたいなのが、裏表裏表と、交互に並べられています。

印象的などら焼き

コレ、どら焼きなんです。
裏表のパンケーキの間にはあんこが挟まっています。
よく、ドラえもんが食べているどら焼きは、
皮の部分が唇のように合わさっていて、挟んであるあんこは見えませんが、
このどら焼きは、平たい鉄板で焼いたパンケーキにあんこを挟んだだけなので、
横から、中のあんこが丸見えです。
生地はカステラなどに近い感じのする上品な甘さで、
私は、ひと口で「美味い!」と感じ、何個か食べてしまいましたが、
あんこも炊き方が軽く、いくつか食べても重くない感じでした。
これはリピートしますね。

つまり、私にとっての“幻のわらび餅”屋さん、
わらび餅はともかく、どら焼きがメッチャ美味しかったと、
そういう話です。
あ、個人の主観ですからね、怒らないでくださいね。

[SE;KICHI]
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おめでとう!!

先日のことです。
私の親友であるFくんより急に呼び出しを受け、
昨年末に建てたばかりの、市外の新築一軒家へと向かいました。
一度年末には顔出しするはずでしたが、故あって行けず、
やっとのこと行くことが出来ました。

もちろんおめでたいことですので、お祝いも渡しました。
家の中のこだわりの点をひとつひとつ説明案内も受けて、圧倒されました。
家がどーのこーのというより(もちろん家も大変素晴らしい)
20年近い付き合いでお互いを知り尽くしているつもりですが、
自分の"城"を建てて、20年後の未来設計を話すほど、
お世辞抜きに立派になっていたことに対してです。

そして、更に、おめでたいことが彼から。
「実は…ついに奥さんが妊娠しました!」
ええ!!本当に!!??
おめでとう!!!
私はまるで我が子の様に嬉しくなり歓喜しました。
そんなに喜んでくれるのかと、驚かれましたが…笑

彼らが結婚したのは2019年7月でしたので、2年半以上経ってからのご懐妊。
ずっと望んでいたことが結実した時は夫婦で歓喜したとのこと。
ご家族と親しい友人達には連絡済みで、多くの人から祝福の言葉を頂いたとか。
既に性別がどちらかということも分かっているらしく、
今から名前の本など買って、その日を心待ちにしているそうです。

あぁ、彼は着実に前に進んでいるなぁ。
気が付けば、随分差がつけられてしまったような…と、
劣等感というほどでもありませんが、なんとなく寂しい気持ちになりました。
(いつまでも若くない、既に彼も私も28歳の歳であり、立派なアラサーとなりました。入社した時は21歳のチクチクリンでしたのに)

後日、そのことを私の両親にも話しに、私の実家にもやってきて話してくれました。
奥さんの体調や仕事での育休、彼自身の仕事での出世など、
益々大きくなっていく彼の男ぶりにでしょうか、赤ちゃんが生まれることにでしょうか、
私の母も涙を流して喜んでいました。

この涙には、私も感ずるところがあります。
それは、単に親友が親になる、新しい命が生まれるということだけではないからです。

実は、昨年末のド年末、12月29日、私の大叔父が亡くなりました。
75歳、死因は複数の癌による多臓器不全。
黄疸も出て、最後は入院した病院の集中治療室で意識不明となり、独りで逝きました。
最後の瞬間どころか、会ったのもかなり前でしたので、
とにかく悔やまれてなりませんでした。
この方は私の父方の祖母の弟なのですが、
私が生まれる前に亡くなった祖父に代わって、
私含め兄弟を実の孫のように可愛がってくれました。
遠い市外から何度も通ってくれ、お菓子をくれたり遊んでくれたり、
時にはお年玉なんてもらいましたね。
“おじいちゃん”のような存在でした。

実子もおらず、持病で苦しんだ奥様も15年以上前に先立たれていながら、
弱音を吐かず、懸命に介護に仕事、町内会長も何十年と勤め上げた、
尊敬する立派な方でした。
葬儀はなんと大晦日の日に行うことになり、
葬儀屋さんに泊まって様々な面倒を見る両親に代わり、
帰省していた妹弟を送迎したり家事を全て行ったりしました。
私なりに貢献したいとの思いでした。
歌手の石川さゆりのファンクラブに入るほど大ファンで、
遺品にはたくさんのさゆりちゃんグッズが。
晩年から時間をかけて終活し、かなりのものを片付けてありましたが、
これだけは捨てれなかったようで、
私の提案で、葬儀会場では彼女の歌を流してあげました。
火葬場に入る最後の瞬間、父が掛けた言葉に思わず涙が止まりませんでした。
ありがとう!と、聞こえてるか分かりませんでしたが、私も声をかけました。

葬儀には大晦日にも関わらず、町内の方など始め、大勢参列して頂きました。
生前の故人の生き様が、死に際で鏡の如く映ったようです。
来られる方は口々に、
「自分が苦しい時も顔に出さず、町内のことでも大変お世話になった」
「ありがとうございます」
と、声をかけていってくれました。
きっと私の知らないところでも、人格者だったということでしょうか。

一方、見舞いや葬儀にも一切顔を出さないのに、
残った故人のクルマだけを”タダ”で寄越せと言ってきた親族もいました。
無礼非礼、厚顔無恥とはこのこと。
歳は40を越えていますが、27歳に指を指されるとは、
いったいどうなっているのでしょうか。
私と同じ、故人の姪の子供になります。
私はそのお母さんに、せめて後日でも、
お見舞いに来てあげてと伝えてくださいと言いましたが、未だに来ないです。
(お骨は遺言に基づいて我が家にありました。既に納骨済みです)

人の生き死にの臨終の時、様々な人間模様を目の当たりにした私は、
多くのことを考え、学び、見せつけられた気持ちでした。
前回のブログにも書いたU君のこともありますが、
昨年は、いったい人とは?生き方とは何ぞや?と、
哲学的思考にふける年になったと思います。

亡き大叔父のさゆりちゃんグッズ

その後も、大叔父の遺品整理などで、
未だに故人の自宅を整理整頓しに行っているのですが、
そこでも大叔父の人柄について、様々なことを知ることになりました。
大叔父は実子がいないので、
遺産は殆ど亡くなっている兄姉に分けられるか(もう私の祖母だけ)
その子らです(つまり私の父などです)

ただ、何故か受遺者(代表して遺言を執行する人)は私の父の妻、つまり母でした。
母は驚いたようですが、故人が生前周囲などに、
私の母が、血縁ある父以上に献身的に面倒を見てきたことから信頼し、託したと、
親族や銀行関係者らから聞いたそうです。
大金を使ってまで公証人役場に頼んで遺言書(公正証書)を作成したり、
その遺言書を銀行のリテール部というところに頼んで実行させたりしています。
トラブルを避けるためか、
葬儀費用や家の解体費用などから遺産金の残額に至るまで、
計算され尽くしていました。

真剣に自分の身の整理を、生きてる何年も前から準備し、
迷惑をかけまいと知らず知らず行っていたのには大変驚きました。
また、私が一番驚いたのは、
日記を付けるノートや、自分史ノートというものを付けていて、
生まれた時からの略年譜のようなものがそこには書かれていました。
私も全く知らなかった、私にとっても大変興味深いルーツであり、
知らない先祖の名前など、細かく詳しく書き込まれています。
(以前ファミリーヒストリーと書いたブログとは、また違うルーツを知ることになりました)

最後の最後まで、闘病の経過、体調や体重、
そして本人の気持ちに至るまで、事細かく書かれているのことなど、
本当にまめで努力家な人物であったのだと、改めて感服しました。

話は長くなってしまいましたが、今回のことで私は、
この大叔父のように私も生きてみたい。と、
感じる機会となりました。
皮肉なもので、生きてるうちに話せたものの、
日々の忙しさにかまけて時間を取らなかったのに。
亡くなってから、もっと話せばよかったとか、ああしておけばよかったとか、
後悔しても遅いのですが、せめてもの供養と言いますか、
大叔父のように、世の為人の為に、
一生懸命に貢献できる人材に成長していくことが大切なのではないか。
目立たず地味ですが、私にとってはカッコいい大叔父です。
自慢の大叔父です。

亡くなってしまいましたが、最大限の賛辞を贈りたい気持ちでいっぱいです。
大叔父にしてもらった恩は、
今度は私が成長することで返せるかと思います。
今度は私が、次の世代、そのまた次の世代に返していきたい。

そうすることでこそ大叔父に報いることができるかと、そう思います。

アンドロメダ銀河
https://ja.best-wallpaper.net/Andromeda-Galaxy-stars-space_wallpapers.html

今、新しい命が宿りました。
次に繋がる未来です。
別の知り合いの子も、妊娠出産をしたと。
また別の子も第二子を懐妊したそうです。
新しく結婚し、家族になった友人たちもいます。
新しい命が生まれる、また、新たな出会いがある…。
大叔父との別れを経験した一方、命の誕生にも、何かを見出せている気がします。
人生や生命の意味について、本当によく考えるようになります。

私の好きなアニメに、
『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』という作品がありますが、
その作品の最初と最後に語られる言葉に、こうあります。

「無限に広がる大宇宙 そこには さまざまな生命が満ちあふれている
死にゆく星 生まれくる星 命から命に受け継がれる大宇宙の息吹は
永遠に 終わることはない…」


ここに全てが詰まっていると、今回のことでより深く感じ入りました。
人、動物、虫、植物、星や銀河、宇宙そのもの全てに生命が宿るように、
その生命は永遠であるということです。
そして一見亡くなってしまえば終わりに見えるものも、
ずっと繋がり続けている命のひとつなのです。

そういう点においても、生命は永遠なのですと。

今、ウクライナではロシアの軍事侵略によって多くの、
とりわけ若い未来が奪われてしまっています。
大変悲しいことであり、戦争は断固反対であります。
(しかしロシア人なら殺していいとはなりません。同じ命なんですから。同じことをすれば、彼らから見ても悪魔のように映るでしょうし、同罪です。憎しみは憎しみしか生まない。なんとも歯痒いです)

一方、戦争からは遠い日本のこの地においても、
戦争ではなく病気で天寿を全うする者もいれば、新しく生まれてくる者もいます。
私自身も、大叔父の死で、また何かに気づき学びました。
大袈裟ですが、生まれ変わった気がします。

最後に。

F君、本当におめでとう!!
元気な赤ちゃん産んでくださいね。
楽しみに待っています!

そして、おっちゃん、ありがとう!
そして、おめでとう!!
自分に生き方の少しでも学ばせてくれた、あなたの人生の勝利です!!

今、目の前にいる1人の人を、大切にしていきたいです。

[K.K]

二択ロボットみたいな思考

通っている ZUMBA で、先日、妙な方針転換がありました。
ZUMBA と言えば、もう何度か紹介しているとおり、
ドミニカ発祥の Merengue とか、コロンビアの Cumbia とか、
各国のダンスを融合させたプログラムです。
そこで発表されたのが、「Катюшаをやめます!」というもの。
Катюша というのは、ロシアの、ダンスのジャンルというよりは、曲名なのですが、
それを、私の通っている ZUMBA では踊らない、と。

……はぁ? (*´Д`)

日本は、国を挙げてロシアへの経済制裁をやっている状況ですが、
この、富山の片田舎でロシアのダンスを踊らないということが、
果たして、どれほどロシアへの抗議になるというのでしょうか。

だいたい、日本人は、プーチンは悪でゼレンスキーは善と、
一方的に思いすぎです。
前回、私は、プーチンは、ウクライナの解放をしたかったのではないか、
ウクライナを、左傾化するNATOから守りたかったのではないか、と書きました。
その説は、さすがに少しエキセントリックすぎたかもしれませんが、
広く人口に膾炙している通説「緩衝地帯が欲しかった」で考えるとしても、
日本人は、プーチンは悪でゼレンスキーは善と、思いすぎではないでしょうか。
テレビでは空爆に逃げ惑うウクライナの様子が映し出され、
それを見た日本人の「ウクライナ、かわいそう」の大合唱で、
そういえば、プーチンの人相すら悪人のように見えてくる、と。

ロシア軍はジュネーブ条約を無視しているわけですから、
そのことは決して褒められたことではないと思いますし、
その一点で、プーチンが責められることも致し方ないとは思うのですが、
それでも、私には、「ゼレンスキーは善」とは思えません。
彼はアメリカや日本などの国会でオンライン演説を行って、
自国への協力を取り付けたりしていましたが、
アメリカ向けの演説では真珠湾攻撃について触れました。
「真珠湾攻撃を思い出してほしい。1941年12月7日、あのおぞましい朝のことを」
「あなた方の国の空が攻撃してくる戦闘機で黒く染まった時のことを」と。
つまり、彼は、かつての日本を、
世界から孤立して暴走するロシアと重ねている
わけで、
さらにその後に、9.11同時多発テロも例に挙げ、
イスラム原理主義者といっしょくたにしているわけです。

日本人にとって真珠湾攻撃は大変センシティブな問題です。
なぜなら、アメリカはその後の原爆投下について、
「だって先に卑怯な奇襲をしたのはそっちじゃん」という理由で正当化しているからです。
本当は、真珠湾攻撃は軍施設を標的としたものだったのだから、
現在のウクライナとは全然違う状況
なのですが、
どういうわけか、日本は真珠湾について言われると黙ってしまうという、
詭弁を突っぱねられない性質を持っているのが真珠湾攻撃なのです。

ゼレンスキーはアメリカでの演説で、
アメリカ人の情緒に訴える意図で、真珠湾攻撃に言及したのだと思うのです。
もちろん、アメリカ側の歴史観に立てば、
原爆投下は広義の意味で真珠湾攻撃の報復であり、
真珠湾における“卑劣なだまし討ち”が原爆投下を正当化する、
感情的根拠になっていることは、私も理解しています。
しかし、そのあとに日本でのオンライン演説が控えていると思えば、
わざわざ日本がザワつく真珠湾について指摘するなんて、
ちょっと思慮が浅いのではないかしらと思うのです。
はっきり言って、日本はバカにされたのですが、
それなのに、演説後にはスタンディングオベーション。
それだったら、日本向けの演説の時にも、
「アメリカの空襲を思い出してほしい。」とか、
「1945年8月の原爆雲を忘れないでほしい」とか、
そういうことを言ってこそだと思うんです。

物の見方は人によってそれぞれに異なるものです。
国内で言っても、戊辰戦争とか西南戦争とか、
主張は同じようなことなのに、見立てが違うために敵味方に分かれたのです。
つまり、相手には相手の正義があるのです。
ゼレンスキーにはゼレンスキーの正義が、
プーチンにはプーチンの正義があるだけのことです。
日本人はテレビや新聞で展開されるウソの情報に振り回されやすいので、
ウクライナかわいそう、プーチンはひどい……のような、
二択ロボットみたいな思考になりがちですが、
いまどき、テレビや新聞なんて、正しいのは日付くらいだと言われています。
実際はいろいろあるということです。

まぁ、テレビや新聞などで垂れ流されるものを情報だと誤解して、
ウクライナかわいそう、プーチンはひどい……なんて言うなよという話です。

さて、先は長そうです。
対露制裁には日本も関わっているわけです。
アタマ悪いですよね。
バックドアを開けずに攻め立てたら、暴発するに決まっているのに。
ロシアから見たら、これは宣戦布告です。
ロシアにしてみれば、報復する蓋然性はあるわけです。
それに、バイデン率いるアメリカは日本を守らないことも明らかになりました。

もう感情に振り回されるのをやめないと、大変なことになりそうです。

[SE;KICHI]

はやりつつある…。

韓流ドラマは20年も前から流行っていましたが、今頃になって初めて観ました。
たまたま借りた中国ドラマに入っていたお知らせ映像で、
ラブコメディー的に紹介されていました。
普通ならあまり気にならないのに何故か気になり見てみようと…
自分的にも珍しい感じはしましたが。

見ていてしんどくなるドロドロの恋愛ドラマは見たくなくて、
見ていて楽しくなるのが今の気分です。
設定がありえないとか、細かいことはどうでもいいです。
楽しければいいのでドラマのストーリーなどは書きませんが、
出演していた女優の パク・ミニョン
ビックリするくらい可愛くて、ドラマを見ながら 
可愛い~って言ってました。
オッサンが何言ってんだって我ながら気持ち悪い感じです。
別にいいんです。
かわいかったので。

パク・ミニョン
https://www.pinterest.jp/fotns_yuko/%E3%82%AD%E3%83%A0%E7%A7%98%E6%9B%B8/

そんな話を友人の奥さんに話したら盛り上がり、
買って持っているというのを数種類を貸してくれました。
ありえない設定でもいいので、楽しい感じのやつ限定で。
途中で見るのをやめたのもあったのでなんでも合う訳ではないようですが、
それでも、まぁ楽しめてます。

気分転換する方法は人それぞれと思いますが、こんなのもいいなと感じました。

[WA!]

身についてしまった下品さ。

人生は神の演劇、その主役は己自身である……という言葉がありますが、
平安時代マニアの私からしてみたら、
確かにそうかもしれないなと思うところがあります。

たとえば、清少納言は、枕草子第185段で、
下品な言葉遣いについて嘆いています。
下品な言葉というのは、いまで言う「ら抜き言葉」みたいなものでしょうか。
しかし、彼女は、下品な言葉を使うなと言っているのとは違うのです。
彼女曰く、下品な言葉も誤った言葉も、
そうだと知りつつわざと使うのは悪くない、と。
そうではなく、身についてしまっている下品な言葉遣いを、
恥じることなくそのまま話すのがみっともない
と言うのです。
つまり、彼女は、全てにおいて優美で上品であることを求めているのではなく、
下品なことやセンスの悪いことも、そうだと知ってやるぶんには、
それはひとつの演出の範疇である、演技の余裕みたいなものだと言うのです。

ところで。
仲良くさせていただいている社長さんの話。
彼の会社は IT関係の会社で、
もともと日本タイプライターという会社のサービスマンだったお父様が、
お客様にもっと寄り添ったサービス活動をしたいと独立したのが始まりだったそうです。
そのお父様は、私も存じ上げておりますが、
確かな技術力と人間性も相まって、
タイプライターの修理者としては多くの信頼を勝ち得ていたとのこと。
しかし、高度成長期に差し掛かり、著しい変化のなかで、
タイプライターの未来に不安を感じるようになったお父様、
活路を見出したのがタイプライター以外の事務機の取り扱いであり、
特に熱望していたのが、
日本タイプライターと遠縁関係にあったキヤノンとの取引でした。

当時、すでに大きな企業体であったキヤノンが、
田舎の一修理職人と取引するはずもないのですが、
あきらめずに何度も交渉に交渉を重ねた結果、
北陸地方の支店が、お父様の熱意と誠意と人望を買ってくださり、
本社に何度も何度も働きかけてくださって、
ようやく取引を開始することができたと言います。
以来、この会社は、様々な逆境もキヤノンと力を合わせて乗り越え、
いまでは「キヤノンには足を向けて寝られぬ」と言います。

そして、2022年、半導体不足が襲来。
弊社では毎年数台ずつ営業車を更新しているのですが、
今年は半導体の不足により、希望の車種に更新できませんでした。
複合機もしかりで、半導体不足に加え、製造工場でのコロナ蔓延や、                                                                                                             
物流の混乱なども影響して、製品の入荷が滞っているとのこと。
その社長の会社も、お客様にお待ちいただいているところだそうで、
しかも、キヤノン以外のメーカーは流通障害は解消されたというから、
申し訳ない気持ちでいっぱいだそうです。

このような状況下で、多くの販売店では、
キヤノン以外のメーカーの複合機の取り扱いを開始し始めたそう。
そりゃそうですよね。
商品が入荷しないということは売り上げが上がらないということですから、
企業体として、これは死活問題です。
なので、他メーカーの複合機の取り扱い開始は、致し方ないことかもしれません。

しかし、彼は言います。
「ウチは、キヤノン以外は扱わない」と。
そう決めているんですって。
なぜなら、売れない、売り上げが上がらないというのは自社だけの理由であり、
そんな理由で、かつてお世話になったキヤノンさんに義理を欠くことはできない、と。
苦しいのはメーカーも一緒だし、
現状をどうにかしようと、彼らも努力しているはずですし、
担当者も自分が悪いわけでもないのに何度も頭を下げに来るわけで、
そんななかで自分達だけが救われるわけにはいかないのだ、と。

自分たちは何を大切にして生きるかということですよね。
知らず知らずのうちに、正義だと信じて下品な振る舞いをしていないか、
全ての判断に対し、緻密に意識を行き届かせることができているか。

腹を満たすだけなら獣でもできます。
人間として、この時代、本当に苦しいけれど、
だからこそ知恵を絞り、工夫し、力を合わせるのでしょう。
そうやって生きていくのだと、腹を極めることが大切ですね。

[SE;KICHI]

運転中の出来事

住宅街の狭い道を車で走っていました。
突き当たりのT字路で一旦停止をしたところ、
右側から自転車で来た年配の女性が、私の車が来たので止まったのだと思いますが、
ふと見ると、何と横に流れていた用水に落っこちたのです。
用水には柵などは無く、止まって足を着こうとしたら、
足を踏み外してそのまま自転車ごとひっくり返って用水に落っこちたようです。

そばで見ていたご近所のおじいさんが駆け寄り、
私も慌てて車から降りて助けに行きました。
腰ぐらいの深さの用水ですが、水深は5cmほどでしたので、
溺れたり流されたりといった心配はありませんでした。
女性を引っ張り上げようとしましたが、
自転車が邪魔で、先に自転車を上げました。
ご近所のおじいさんと共に、女性の腕を取り何とか引き上げました。
右肩を打ったらしく痛そうにしていましたが、しばらく休憩した後、
大丈夫だと言って自転車を押して立ち去りました。

大事に至らなければいいなと思いながら、私も車に乗ってその場を去りましたが、
しっかり停止線で止まったのに、
自分が加害者になったような何とも言えない気持ちになりました。
それからは一旦停止をする時は、必要以上に左右を確認するようになりました。

また別の日の話ですが、県道を車で走っていたところ、
前の車が蛇行したり、急にスピードを緩めたりと不安定な運転をしていました。
一車線でしたので、その車のペースに合わせて運転するしかなく、
危ないので車間をとって走っていました。
スマホを見ながら運転しているのか、
もしかして飲酒運転でもしているのではないかと疑ってしまう程の、
フラフラした運転でハラハラしていたら、
その車が交差点の赤信号で右折車線に入って止まりました。

私は直進しますので、横に並ぶように止まり、ふとその車を見ると、
何と犬が運転していました。
正確に言うと、年配の男性運転手の膝の上に犬が乗り、
犬がハンドルに前足をかけている状態でした。
何を考えているのでしょうか。
危ないにも程があります。
事故を起こした時にペットは自分で身を守る事ができません。
ましてや他の車を巻き込んで事故を起こす可能性も大きいです。
実際、事故を起こすような危ない運転をしていたのですから。
運転マナーが悪いどころの話ではありませんよね、驚きました。

他にも、時々小さな子供がシートベルトもせずに、
座席の上に立っている姿を見かけたことが何度かあります。
無責任なことはやめて欲しいものです。

[M M]

社員は家族同然という経営指針

「社員は家族同然の存在です」ということを言う経営者がいます。
経営学として、そう思うことが正しいか否かはいったん保留して、
“家族同然の存在”とは、どういうことでしょうか。

弊社は、別にそのようなことを社是として明文化はしていませんが、
そもそも吹けば飛ぶような規模の会社で、力を合わせなければ立ちゆきません。
その意味では大きな企業体の小さいバージョンというよりは、
ちょっと大きめの家族と考えたほうがイメージに近いし、
そんな状況では社員を家族同然の存在と捉えることは自然なことです。
そういうわけで、少なくとも現在のところ、弊社は、経営サイドの行動指針として、
「社員は家族同然の存在です」的な価値観を持っています。

しかし、ここで思うのは、それこそ多様性が言われているこの時代、
家族観は人それぞれであり、
つまり、“家族同然の存在”という言葉だけでは、
コンセンサスを得るのは、容易ではないということです。

この比喩で言えば、経営者が父母で、従業員が子供たちということになるわけですが、
子供たちにしてみれば、父母がどのようなことをしているのかは見えませんから、
それこそ、本当の家族で言うところの、
「〇〇ちゃん家のお父さん、毎日、夕方遊んでくれるらしいよ」とか、
「△△くん家は毎週金曜日の夜は外食なんだって」のような、
子供心に条件の良い他家への羨望が現出するわけです。

しかし、本当の家族において、父母は自分たちの価値観で行動します。
つまり、スマホを買ってほしいとか、ピアノを習いたいとか、
子供から申し出があって、「□□ちゃん家は……」と言ってみても、
「あらそう。じゃ、うちも買わないとね」となることはほとんどなく、
だいたいは、「あらそう。でも、うちは買わないから」などと、
父母は、自分たちの価値観で回答するわけです。

会社もしかりで、前述のとおり、
子供たちである従業員たちは、父母である経営者が何を考えているか分からぬと言い、
「“社員は家族同然”と言うならもっと…してほしい」とか、
「もっと…みたいにするべきじゃなのか」とか、口々に言うわけですが、
経営者には経営者の価値観があって、行動はそれに基づくわけです。

ところで、会社では、
こうして子供たちである従業員たちと、父母である経営者の主張に相違があった場合、
単なる労使の立場の違いであると片づけられがちですが、
「社員は家族同然の存在です」的な価値観を持っていた場合、
それは労使関係ではなく、親子の問題であり、家族観の違いではないかと思うのです。

弊社の場合、
経営陣の家族観の中心が「干渉しない」ということで一貫しています。
そうなった背景は、自分が幼少期に両親から干渉されて嫌だったとか、
逆に、自分は幼少期に両親からの干渉をあまり受けず、心地よかったなど、
そういうようなことなのですが、
とにかく、弊社の経営陣は、「干渉しない」ことが理想の家族と考えています。
そのため、上層部から従業員への指示はほとんどありません。
もちろん、それは、そういう干渉しない家族観の発露であって、
ハラスメントでもなければ、意地悪でもないわけですが、
子供たちである従業員たちは、何も言わぬ父母に不安を感じるわけです。

つまり、「社員は家族同然の存在です」という言葉はキャッチ―ですが、
理想の家族像は人それぞれに違いますよね、という話です。
そして、会社というのは、
だいたい、経営者の思いが経営指針として定められていますので、
従業員側は、経営者の理想の家族像を知っておかないと、
「あれ、従業員は家族とか言いながら、私が思ってる家族と違う…」と、
いらぬ不信感を招きかねないから、注意しないとという話です。

[AKA]

タウリン3000mg

先日、運転免許証の更新に行ってきたのですが、
本籍を変更していたこと、記憶からすっかり抜け落ちていました。
5年が過ぎるのは早いです。
過去のつまらない事は妙なタイミングで思い出し、
なんだか苦い気持ちに陥ったりしている今日この頃です。

免許証といえば証明写真ですが、
普段、頻繁に免許証を取り出すことがないので、
手続き前に5年前の顔を久しぶりに眺めました。
もともと写真写りが良いほうではないと自覚しています。
だからって実物のほうが良いとも思っていませんが、
写真の顔が周りの人が見ている私の顔なのだと思うと、
普段から表情は気を付けないといけないかなって眺めながら考えてしまいました。

先日、会社の引き出しからも懐かしい写真が出てきました。
社員旅行の宴の席での1枚。
その時も既に若くはない年齢でしたが、写真の中の私は今よりやっぱり若い。
BSプレミアムで再放送が始まった「芋たこなんきん」が、
リアル放送されていた年代の物でした。
やはり写真は正直で、変化をひしひしと痛感しました。

そんな現実を再確認していた時期に、
定期訪問で来られた富士薬品の方に勧められたドリンク剤です。

「カーク3000」

置いていってもらっても誰も飲まないと思うので…と断ったのですが、
10種類の有効成分の効能を一つ一つ説明し始めてくれました。
最後の最後にタウリン3000mgは肝機能に…と始まった瞬間、
あっ、買いまーす!
全く興味がなかったのに、気持ちが動いていました。
鞄から財布を取り出しながら、
説明するって大切だねと感想とともにお支払いしました。

肝機能のくだりで即買いでしたけど、タウリンの効能は他にありました。
・コレステロールの制御
・アルコール分解の補助
・インスリンの分泌を促す
・血圧のコントロール
・疲労回復につながる
あの営業さんがどの効能から説明し始めてくれたかは覚えていませんが、
私の年恰好から想像してローヤルゼリーあたりからだったかな~。
タウリンに反応したらすっごく驚いていましたから(笑)

もともとサプリメントなども含め、今まで何も補助してこなかったので、
これをきっかけに足りたり引いたりしながらゆるーく変化に対応していきます。

さて、春らしい陽気も増えてきましたし、
桜が開花したころにお花見がてらドライブしてこようかな。
今回は柔らかい表情にと意識した顔の免許証を携えて。

[fu~ma]

バカじゃないと信じています!

私は前職が製薬会社だったので、
コロナウイルスのワクチンについて、
「治験を簡略化して特例承認とか、怖い!」という反対派の気持ちも分かるし、
「いまはこれしかないんだから!」という賛成派の意見ももっともだと思います。
なので、私はワクチン自体には賛成でも反対でもありません。
副作用のない薬なんてないので、
結局は、効果と副作用のバランスによって有用性が評価されるわけです。

ところで、ワクチンといえば、ファイザーだとかモデルナだとか、
メーカーの話題をたびたび耳にしますが、
ワクチン自体には賛成でも反対でもない私でも、
そこには違和感を感じます。
外国にいくら払ってんだ!と。

それも、最初は「ワクチン打ったらもう安心」みたいに喧伝していたのに、
結果的には3回も4回も打たなければならない雰囲気ですし、
そのために、日本政府はどんどんワクチンを買い入れていますし、
こうなってくると5回目6回目もあるかもしれないと思うのか、
あればあるだけ買い集めて備蓄するマシンと化しています。
もちろん、言うまでもないことですが、その費用は私たちの血税です。
税金使って外国の注射をじゃんじゃん買う日本。
そのお金があれば、何か別のことを支援できるのでは?と思うのです。

日本にも、外国ほどの規模ではないにしろ、製薬会社はたくさんあって、
製剤を開発して治験を進めるくらいのことはできるはずです。
それを、急を要するとはいえ、外国製をどんどん購入している現実に、
そのお金で、国内の製薬会社を支援すれば、
もしかしたらワクチンを自国で調達できたのではないかと思うのです。

ついでに似た例を挙げておきますと、電気自動車です。
この手の自動車の開発意図の源流には地球温暖化防止京都会議(COP3)があり、
つまり、化石燃料をゴンゴン燃やして走るガソリン車は捨て、
もっとクリーンなエネルギーで車を走らせましょうということだったと思います。
そこで、日本はなかなかのところまでFCV(燃料電池車)の開発を進めたのですが、
たぶん中国などの思惑に沿う形で、HV(ハイブリッド車)へとシフトしました。
HVの中心システムはモーターとバッテリーですから、
つまり、充電が必要という意味で、電気へのシフトですが、
今、日本は大部分の原子力発電所を止めていますから、
どうやって電気を作るのかといえば、
化石燃料をゴンゴン燃やして作ることになります。
これは、自動車業界の話かもしれませんが、
自動車業界は、末端まで数えて、かなりの人数がかかわっている業界なわけで、
ほとんど国策といっていい状況です。
私の違和感は、なにを中国の言いなりになって、自国でのオリジナル開発を捨て、
わざわざ自国に不利な土俵で戦おうとするのか。
そして、それを国家として追認しているのか、です。

バカなんでしょうか。

私は、別に陰謀論者ではありませんが、
この2年ほどの「ものづくりの不甲斐なさ」は、
日本の興隆を恐れる戦後のGHQにより、
いざというときに力が出ないようにされたからということなのでしょうか。

日本はこの20年、賃金がどんどん下がっていますね。
さぼっているとか、怠けていて競争に負けているならそれも仕方のないことですが、
世界に名だたる勤勉な日本人が、そのようなことはあり得ないでしょう。
この20年、30代で100万円、40代では150万円も賃金が下がっているのだそうです。
この間、アメリカでは賃金は3倍となり、初任給は45~50万円だそうですし、
スイスに至っては初任給で70万に達すると聞きました。
日本人はアメリカ人の半分しか働いていないのでしょうか。
スイス人の1/3しか能力がないのでしょうか。

おかしいですよね。

さて。
いま、アメリカもヨーロッパも金融引き締めに傾いていて、
そうするとドルもユーロも通貨として強くなりますよね。
そんななか、日本だけはそのまま据え置きにするんですって。
大丈夫なんでしょうか。
コロナがいつか収束して、インバウンドが来日したら、
強いドルとユーロで日本のものを買ってくれるようになるでしょう。
下手したら、日本の、観光庁あたりが補助金を出し、
インバウンドを支援するかもしれません。

そりゃ、おみやげぐらいは買って帰ってもらえると嬉しいですが、
たぶん、現状では会社や国土を買われることでしょう。
私は、日本はバカじゃないと信じていますので、
早く、法律を整備するとか、ブロックする手立てを考えてほしいです。

[SE;KICHI]
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