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お昼ごはん

私の平日のお昼ご飯は外食になるのですが、
富山にいて自宅から出るときはおにぎりを持って出たりすることはあります。
弁当を作るとしても私の分だけですので、
そのほうがいいと言われてそうしています。

そのおにぎり、意外と上手くできない問題。

何度か自分で作ってみました。
寒い時期なのであまり固く握るとカチンコチンのおにぎりになってしまいます。
それも嫌なので柔らかく握るとボロボロと崩れます。
おにぎりであれば車内で食べるのがほとんどですので非常に都合が悪いです…
自分の下手さもありますが、
こんなに上手くいかないものかと思わず笑ってしまいました。


おにぎりがあれば総菜を買ってもいいし、
カップ麺を買っても安く済ますことができるので助かります。
これが家から出たのではないと外食になってしまいます。
考えますよね。
高すぎては毎日の事なので続かないですし、
コンビニ弁当も続くと飽きるのとしんどくなってきます(自分だけかもしれませんが)
ラーメン屋さんも何気に高いですし。
簡単に食べたいものを食べるとはいきません。

社員食堂がある会社を羨ましいと思うことはありますが、
これも毎日だと飽きるのでしょうか?

学生の頃、私の母が作る弁当は茶色のおかずでした。
揚げ物・焼き物で私的にはご飯を食べるには良かったのですが、
彩りが鮮やかな弁当に憧れもしました。
煮物はべちゃべちゃになるから私は嫌いましたが、
友人は煮物など汁っぽい物がないと喉が詰まると、
人の好みで変わるものだと感じたこともありました。
私はお腹が膨れればよかったのでしょう。

大事な一食ですので、
美味しいや身体に良いなど気を付けた方がいい事はあると思います。
もう少し考えてとりたいと書きながら思いました。

[WA!]
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〽明日 私は旅に出ます…

……というのは『あずさ2号』ですね。
現在、下り列車は奇数の号数を付与されるので、
信濃路へ向かうあずさは偶数ではない……というのは野暮な豆知識ですが、
「特急あずさ」といえば、E351系のイメージが強く、
1994年ごろに「スーパーあずさ」がデビューした際、
特集された鉄道雑誌の表紙写真を見て、
その、エラの張った顔立ちのインパクトに驚いた覚えがあります。

さて、現在、「特急あずさ」はE353系という車両に統一されていますが、
私が言いたいのは、このE353系についてです。

『特急あずさ』

あずさ・普通車の車内

2019年に、「特急あずさ」の全便がE353系に統一されたとき、
私はびっくりしたというか、なんだか感動しました。
それは、「あずさ」が全車指定席となり、座席未指定券というのが登場した点。
と、文字で書くと、ちょっとした変更のように聞こえるかもしれませんが、
この、「自由席を廃止する」というのはともかく、
「『座席未指定券』を導入する」というのは、なかなか斬新だったと思います。
いや、その前年の2018年3月のダイヤ改正で、
「ひたち」などの常磐線特急や、成田エクスプレスですでに導入されていたそうですが、
首都圏に住んでいるわけではない私にとっては知らぬ話で、初見は「あずさ」。

「座席未指定券」とは、日付と区間のみをあらかじめ指定しておくもので、
列車はどれに乗ってもよいという種類の切符。
座席は乗る列車が決まった時点で指定を受けてもよいし、
指定を受けずに乗り込んでも、空いている席ならどこに座ってもよいという仕組み。

これはスゴい発明だと思うんです。
指定を受けて乗車するぶんには、これは普通の指定席券です。
しかし、指定を受けずに乗り込んだ場合、
空席がない場合は空きが出るまで立ったままになってしまうので、
これは、事実上の自由席券となります。
それなのに、なんと自由席車輌が連結されていないうえ、
指定券と座席未指定券は同額で発売されるわけですから、
乗客にしてみれば、事実上の自由席券の値上げです。
これを、対外的には「余剰座席を多くの方にご利用いただくため」という、
それっぽい理由で強行した鉄道会社、スゴいと思います。
そして、今般、このシステムを全国に拡大する計画があるそうで、
うふふふ、実入りが良かったということなのでしょう。

私自身は、並んで自由席に座るということはありませんから、
もともと自由席券とは縁がないので、特に不満はありません。
むしろ、あらかじめ指定を受けて座っていた自席の隣に、
たとえばタバコの匂いを纏った方が座ったり、
ペチャクチャうるさい方が座ったりされても、
従来だと、同じ指定席同士では文句も言えないところ、
このシステムだと別の席に移ることが可能になるわけで、
なかなか好都合なシステムだなと思います。

それと、このシステムが秀逸だなと感じるのは、
空席を表示するシステムです。
車輌の、荷物棚の下、エアコンの吹き出し口などがあるところ、見てください。

頭上の荷物棚の様子頭上の様子 近影

ここに、2つ1組のランプがあること、分かりますかね?
このランプが緑色なら「ここは誰かの席だから座ったらダメ」、
黄色なら「座ってもいいけど、もうすぐ誰か来るよ」、
赤色なら「座ってもいいよ」というのが一目でわかるそうで。

「座席上のランプのご案内」

これは、簡単に言えば、「座っていい席はランプでも光らせとけ」ということで、
ハッキリ言って、そんな高等なシステムではないです。
しかし、こんな簡単なことなのに、これまでやってこなかったわけで、
それを、いきなりやり切ったというところが画期的なわけです。

しかし、「指定席の空いている席は自由に座っていいです」、
かつ、「だけどそこは自由席ではありませんから指定席料金です」、
「その代わり、確実に座れるところを光らせといてあげましょう」って、
あぁ、なんて上から目線なんでしょう!
ただ、実際のところ、乗ってみると、これはかなり便利でした。
ランプさえ見れば、空席を視認しながら右往左往しなくてもいいですし。
なかなか秀逸な仕組みを考えたものだなと感心します。

ただ……「座ってもいいよ」が赤色なのはどういうことなのでしょうね。
赤色のランプって、なんとなく「座ったらダメ!」という、
“禁止”っぽいイメージなんですが。
逆に、緑色のランプで「座ったらダメ」を表すなんて、
ちょっと、私たちのセンスにはないような気がするんですが、どうでしょうか。

[SE;KICHI]

いつか行動できるかな~

WA!さんの強行一人旅、少し憧れます。

私はこれまで一人旅の経験はないのですが、
亡き母は海外でも一人でツアーに参加し、国内外旅行を楽しんでいました。
最初は友人達で行っていたのですが、
回を重ねるうちに都合が合わなくなったり、行きたい先が違ったりで、
数人での行動が大変になったようです。
行きたい時、行ける時に出かけておかないととの想いがあり、
一人で参加。
母曰く、行けば誰かと仲良くなれるし、
知らない者同士だから気兼ねしなくていい場合もあると言っていました。
その楽しみ方と、日本語しか話せないのにその度胸は見習うべきところです。

今の私は、一人旅というよりは、
思い立って出かけていくという行動に憧れがあります。
たとえば、休みの日の朝、近所に買い物にいくかのごとく、
サクッと飛行機や新幹線に乗り、ラーメン食べに九州へ行ってきたとか、
温泉入りに北海道まで行ってきたとか、
気持ちの赴くまま衝動的に行動してみたい。

先日、「60年文通の友を訪ねたい」との投稿を新聞で目にしました。
その方が中学生だった頃、
文通を希望する人の氏名、住所が掲載されていた雑誌を見て、
その中のお一人に手紙を出し、返事が届き、
それから進学、就職、結婚を経て60年近く途絶えることなく、
文通は今も続いているそうです。
写真の交換はあるが、まだ会ったことがないので、
その方が暮らす岩手へ訪ねて行きたい。との想いがつづられていました。
手紙のみの繋がりってとても新鮮だな~と感じましたし、
素敵な関係性ですね。
いつか実際にお会いできるといいですね。

そんな想いをお持ちの方もいるのに対し、
私のしてみたい行動なんていくらでもいつでも実行したらいいだけではないか。
とも考えないわけではないのですが、度胸が足りない。
そんな衝動的な行動にパッとお金を使えない性分です。
現実を天秤にかけちゃうんですよね~。

WA!さんも強行してみて、
いろいろ反省点はあったようですけど、行動してみたってことが素晴らしい。

この先に価値観が変わってパッと使える日が訪れるかもしれませんが、
まずは、衝動的な行動にも躊躇しない心持ちの準備から始めたいと思います。

[fu~ma]

紙一重。

地味に話題をさらった朝の連ドラ『カムカムエヴリバディ』も、もう終盤。
物語の時代設定も、私たちが生きてきた平成に差し掛かってきました。

この『カムカムエヴリバディ』、副題に「Since 1925」とあるように、
戦時中を生きた祖母から現在の孫へつながる100年を切り取った物語で、
朝の連ドラとしては初めての試みだそうです。

100年前、祖母にあたる安子を主人公として描かれたのは、
ちっとも思い通りにならない、戦時下の女性の毎日。
このドラマは朝に放送するドラマなので、
鉄砲を持った兵隊さんがガンガン撃ち合って惨劇を繰り広げる…
というような凄惨な描写はありませんが、
防空壕に逃げ込んだ家族が空襲で焼け死んだり、
出征した若者が白骨となって帰還するということは、起こります。
命がつながるか途切れるかなんて、紙一重。
運良く生き残ることのできた主人公の安子ですが、
経済的な自立もおぼつかないなか、誤解もあって、
戦死した夫の忘れ形見である幼い娘・るいから義絶されてしまいます。
この時の絶望たるや、察して余りありますが、
安子本人は、そのショックで出奔し、いなくなってしまいます。

残された幼い娘・るいは、母に捨てられたと思い込み、
そのことを心の傷として、誰にも心を開くことなく成長します。
引っ込み思案なるいは就職にも失敗するし、デートもうまくいきませんが、
親切なクリーニング屋の夫婦に助けられ、住み込みで働かせてもらえます。
そして、出入りのジャズバーにいるトランぺッターのことが好きになる……なんて、
こちらも、よくあるどんくさい女の子のエピソードが満載。
しかし、そのトランぺッターが挫折に負けそうになった時には、突如強くなり、
その男の心の傷を自分が癒そうと決意するのです。
助けるか助けられるかなんて、紙一重。
愛は与えられるものだと思って待っていても何も起きませんが、
かつて自分が救われたように、今度は自分がその人を救うのだと思って愛すると、
その愛は相手を救うのかもしれません。
その男と結ばれたるいは、ひなたという娘を授かり、
ドラマの主人公は、時代劇好きなひなたに移っていきます。

ドラマは、いま、ここ。
将来のことも考えず、ただ時代劇が好きなだけの少女・ひなたが右往左往しています。

このドラマを見ていると、人生は演劇のようだと感じます。
こんな将来のことも考えない女の子から1代さかのぼるだけで、
大恋愛を経て心の傷を克服し、また、相手の心の傷を癒そうと支え合う父母がいて、
さらに1代さかのぼれば、
戦時下、ちっとも望むような人生にはならなかったけれど、
せめて、一粒種の娘だけはとそのことだけを念じ続けた祖父母がいる、と。
ドラマはここまでですが、おそらく、さらに1代、もう1代とさかのぼっても、
おそらく、いろいろとご苦労なさった夫婦がいるのでしょう。

そう思うと、人生を大切にしなければならないなと、思ってやみません。
地べたに這いつくばって、泥水をすするような挫折に耐えながら、
それでも、生きることを放棄せず、
明日が今日よりもいい日でありますようにと、次代に託した人々がいたわけです。
今日が今日であることはあたりまえなんかではなく、
様々な方の様々な思いの積み重ねによって現在があるということです。
そうして与えられた人生を大切にしなくては、バチが当たるというものです。

先日、知人のスピーチを聞きました。
彼女は、50歳を目前に、看護師として30年ほども務めていた総合病院を辞め、
様々な人との出会いに導かれ、なんと占い師に転身しました。
それは、エキセントリックな転身に聞こえるかもしれませんが、
相手の役に立つ仕事をしたいと願っていた彼女にとって、
本来、職業など何でもよく、
看護師も占い師も人を助ける仕事であることに違いはないわけで、
単に包帯をタロットカードに持ち替えただけのこと。

私は彼女の転身の話を聞き、
あぁ、人生を大切にされたんだなと、敬意を抱きました。
いや、別に、そんなたいした人物の話ではないのです。
時間とともに埋もれていく、無名の人物の人生のことです。
それでも、彼女の転身を目にして後に続く者がいるかもしれないし、
そういう生き方があると知って、何かを始める人もいるかもしれません。

人間、より多くの人を幸せにすることができた人が勝ちでしょう。
私はそう思います。
そのために彼女は看護師を辞して占い師に転じたのだし、
実際、多くの人々の人生に影響を与えているのだと思うのです。

命がつながるか途切れるかは、紙一重。
助けるか助けられるかも、紙一重。

だったら、命をつないで、仲間を助ける人生、歩みたいですよね。

[SE;KICHI]

人としての振る舞い②

話は大きくズレますが、
U君について、もう少し詳しく話しておきたいと思います。

U君は、ほんの2年前までは、まだ実家暮らしでした。
彼は成人する前から、早く一人暮らしがしたいと言っている、自立心が高い方でしたが、
彼が就いていた自動車整備士の仕事では、給与の面で待遇が芳しくなく、
それがなかなか叶わなかったのです。
それでも、いつか必ず自分のショップを出すんだ!と決意し、
今いる場所で目の前のことに全力で取り組み、
技術を身に付けるために必死に取り組んでいました。

近くで見ていたのでよく分かりますが、
彼は自分の失敗や足りないところを反芻し、認め、
改善すべきことを明言し、取り組んでいくことを絶えず繰り返す、
アスリートタイプというか、職人気質のある人間でした。
私も彼のそんなところが尊敬できる、素晴らしい点であると思っていました。

そんな彼は4年前に、連鎖取引販売(俗に言うマルチ商法)に出逢います。
詳しいことは分かりませんが、私たち親しい友人らの知らないところで、
出会い系サイトで知り合った子から勧誘を受け、
それに肩入れをし、自らも始めたのがきっかけと言われています。
かなりゴリゴリの信者っぷりで、近しい友人たちに片っ端から声を掛けては、
商品の勧誘の為、仲間内パーティーや食事の誘い、商品説明に勤しみ、
その度に友人たちから顰蹙を買いはじめていました。
3ヶ月で月1000万を簡単に稼ぐとか、絶対に儲かるビジネスだからとか、
1年後にはフェラーリ乗っているとか、
現実離れしている、ていのよい金儲けの話にうんざりした多くの友人から距離を置かれ、
縁を切る人達も続出しました。
A君も、そしてI君も同様に勧誘を受け、距離を置くようになっていきました。

特に、仲の良かった親友のF君はとても仲が良かったのに、
絶縁宣言をし、怒鳴り声で彼とは金輪際関わらない!と私に電話してきた日は、
本当に衝撃でした。
遂には、親友たちが集まったF君の結婚式に、U君だけ呼ばれませんでした。
このことは、F君にとっても本当は哀しいことであったと思います。

その後、私自身も勧誘を受け、
その気が全く無かった私は、逆に彼にやめたほうが良いと説得することにしました。
F君の話も出しながら、今のやり方をよくよく考え直し、
F君に謝って仲直りするよう諭しました。
しかし彼は、自身には一切非などなく、相手が聞く耳を閉ざしたじゃないか、
なぜ謝る必要がある?なぜ折角教えてあげたのに?の一点張りでした。
確かに彼の信じるそれには絶対の自信があり、
また我々が完全に否定する理由も無かった(※個人の自由)ので、
辞めろ!とか悪だ!とは言えませんでした。

しかし、他の友人たちや周囲の人が、同じように拒否反応を起こし、
彼自身に対して否定のメッセージを出し、どんどん離れていっていることに、
彼自信は気付きませんでした。(気づこうとしなかった?)
こちらの声が届いていなかったというほうが正しいかもしれません。
そもそも始めた理由を聞くには、
自分の店(自動車のチューニングショップ)を出すための資金集めが目的だったそうです。
しかし、販売講習会というものが有り、
毎回5,000円も払って参加していると言うではないですか。
話を聞くにつれ、次第に仕事のためというよりも、
没頭していく彼は、目的と目標が混在し、見失ってしまっているのではないか、
既に私の知る、目標のために自己錬磨していたかつてのU君は、
そこにはいませんでした。

その後、何度も話しましたが水掛け論で、数時間。
そのことを機に疎遠となり、結局4年近く顔を合わせないこととなりました。

そして久々に本年の1月、 
彼に連絡を取り、会うことになりました。
彼はいつの間にか整備士の仕事を辞め、営業の仕事に就いていました。
念願の一人暮らしも始めていて、立派に自立していました。
楽しそうに生活しているように見えました。
久々ということもあり、計5時間以上語り合う機会となりましたが、
彼は以前にも増して、マルチ商法へ熱心に取り組んでいました。
“俺は一生続けていくつもり”と言った彼には、
ここまでくると否定する気はあまりありませんでした。

とにかく話を聞こうと聞くことに徹し、少しでも理解し、
もう一度仲良くなりたいとさえ思っていました。
しかし、月に5万のロイヤリティーを受けつつも、友達から見放されている。
それでも順調だという彼には、とても3ヶ月で1,000万など不可能ですし、
どうもスッキリしないまま、その会は終わり、そこから再び10ヶ月。
何も連絡しないまま時が経ちまして、結婚式での再会となりました。

話が長くなりましたが、ここから前回の続きです。

真実を確かめること、彼の真意を聞く、そしてこちらの思いを伝えること。
何点か言わなければいけないことを何度もアタマの中でシミュレーションし、
考え、その場に臨みました。
相手も緊張しないよう、私もお菓子やお酒など持参して訪問し、
手料理を作ってくれると言うので、気長に待ちながら、機会を伺っておりました。

途中、音楽の流れるBluetoothのスピーカーに、
彼の友人らしき人物から電話が掛かってきました。
何やら話し込んでいます。
またセッティングの機会を設けよう!とか、計画を練ろう!とか、
集団でBBQやスポーツを使って懇意となり勧誘する手段を取ろう!とか、
如何にもマルチ商法らしき具体的な話をし、その後20分も話し続けました。
一応、私という客人がいるのにも関わらず、断りもなくそんなに話しをされたら、
あまり良い気分にはなれませんが、そんなことも我慢我慢と押し殺して待ちました。
食事の後、小1時間は仕事や私生活など、
世間話をしつつ、雰囲気が柔らかくなってきたところで、本題に入ることとしました。

私「今からは真面目な話をする。今日は俺の話をなるべく聞いて欲しい
と振り、真剣な表情に変わる彼に聞きました。
私「A君夫妻の結婚式のご祝儀、払わなかったっていうのは本当か?
嫁さんから聞いたけど?
とストレートに言いました。
U「それは事実だよ
私「そうか………、それは非常識だってことは分かる?
普通、結婚式に呼ばれたらご祝儀を包んで渡すのが通例なんだけど、知ってた?

頷く彼に、私は責め立てないよう、冷静に尋ねるトーンを心掛けて続けます。

私「どうして渡さなかったの? 持ってきてなかったの? 払えなかった?
U「持ってきていたけど、渡すタイミングがよく分からなかった。
どうしようか分からないうちに、結局渡せず仕舞いに終わった

………
沈黙が少し続いた後、私は諭すよう話しました。

私「結婚式って初めてではないよね。
俺の従兄妹の時も来てくれたと思うけど、
普通は受付に来た時、署名する際に渡すものだよ。
渡すタイミングというのはその時点なんだけど、何で分からなかったかなぁ〜

U「渡す気はあった。でも、特に出してくれということも言われず、
そのまま受付を済ませてしまったこともあったから。
結局お前らにも相談できずに

私「なるほど。俺らにも聞けなかったと
U「そう。最近会ってなかったし、いろいろあってなんか聞きづらくて。
正直、これで、お前らと会うのも最後かなとも思った

私「なるほど………。だからと言ってこれはしてはいけないことでしょう。
確かに、こうなったことが俺らとのコミュニケーション不足というのも、
全く理解できないわけでもない。
しかしここ数年、俺から連絡してもLINEは既読無視、電話も出ない、
都合の悪いことがあったらブロックする。
それも君自身で招いたことではないのかい?

U「………
私「ちなみに金額はいくら用意してたの?
U「…3万


ひとまずこの金額を聞いて、それが嘘ではないと少し確信できた私。
ここまでは鉄仮面で冷静に受け答えしていました。
しかし、ここで新婦のあの顔が浮かび、心中は穏やかではありません。
さらに、彼に対して言いたいことがあれやこれやと出てきました。
でも感情的になれば、彼に対して伝わることも伝わらないような気がしましたので、
怒りを込めつつ、彼に伝わるよう話します。

披露宴

私「まず、このことを受けて1番ショックを受けたのはA君夫妻だよ。
これは紛れもない事実であり、彼らに対してやってはいけないことをした。
これはしっかりと反省し、謝らなければいけないことだと思うよ。
彼らは俺たち友人に対して、ただ結婚式に呼んだのではなく、
楽しんでもらおうと、時間を掛けて様々な準備をしてきた。
それは2人に聞いたけど、本当に苦労したのだってさ。
お金も掛かってるし、何より2人の想いが詰まっている素敵な結婚式だった。
もちろん我々側もビデオメッセージというカタチで、2人をお祝いしようと準備してきた。
いろんな人が工夫し、想いを込めて参加してくれたんだわ。
自分も県外行って撮ってきたし、I君は40万も出してカメラも用意した。
もっとも、I君なんかは君と連絡が取れなくなって、当日ドタキャンされたこと怒っていたよ。
反故にされた、U君のA君に対する想いなんてそんなものだって。
まぁ百歩譲って、我々のビデオはいいさ、こちらの都合だから。
でも、これは無いんじゃないのか?
ビデオにせよ、様々なカタチでお祝いすると思うけど、
ひとつ、お祝いの気持ちをご祝儀として表すというのも、
友達として、人として大事なことだと思う。
そもそもこれは常識なんだし。
また、来る時間だよ。
受付終了ギリギリになって、駆け込みみたいに来たでしょう?
例えば、受付終了10分前とかに来たら、まだ前に受付している人がいて、
そこで渡すタイミングを見れたかもしれない。
まぁ、大切な友人の式に遅刻しないのは無論だけど、
そういうところにも、2人に対しての想いが現れると自分は思うんだけどな


私「いかんせん君は、こんなカタチで水を差してしまったんだ。
まるでお前らの結婚式はただ飯レベルなものだと、
君が思っていなくてもそう捉えられかねない。
2人の結婚式に泥を塗る侮辱的な行為だよ?
ハッキリ言うけど、皆、呆れて言葉を失ったさ。
結婚式にご祝儀も払わず、ブロッコリートスまで受けて、にこやかに写真まで撮って、
あまつさえ披露宴まで出て美味しい食事まで頂いて。。
一体どんな顔して、式に出たんだい。
結婚式はタダじゃないんだよ。
準備もお金も、何より想いがいっぱい込められている。
彼らの門出をお祝いする大切なイベントなんだ。


半分、私は自分のことのように思いつつ、悔しさ滲ませて話していました。
情けないですが、涙目になっていました。
彼は静かに、どこか気まずそうに聞いています。

私「前代未聞だよ。
無礼な行いだということを自覚しなければいけないよ?
本当に彼らをお祝いする気持ちはあった?

U「その気持ちは嘘ではない
私「…まぁ、君だってA君の友達だし、嘘だとは思わないけど、そう思われてるんだよ。
I君も言ってたけど、君はお祝いしようと来たのではなく、
呼ばれたから来たんだとね。
意味分かるよね?

U「そう思われても仕方ないことをした。すまない
私「謝るのは俺にではなく、A君夫妻だよ。
実はこの前、皆と食事に行って、そのことを聞いた。
正直、アタマが真っ白になったし、理解不能だった。
そして物凄く憤りを感じた。
ぶっちゃけ、俺のほうがAの親友だという自信というか思い入れが強い。
大切な親友を侮辱されたその振る舞いに、Aの親友としてめちゃくちゃ腹が立った。
絶対にこのままではいけないと思い、一言言わなければいけないと奮った。
でも、君も俺の大事な親友だから、一方的に怒りをぶつけるのではなく、
何があったかを対話しながら聞きたかったから、
今日時間をとって直接会いにここに来た


焼肉

おそらく、私はこの時点で彼を攻めているよう見えたかもしれません。
しかし未だ、私の中では当初想像していた、
取り乱し、ヒートアップして𠮟りつけるような状況ではなく、
むしろ驚くほど冷静に淡々と話していました。
それどころか、悔しさはありますが笑顔を交えつつ、
彼に少しでも聞きやすいようにしようという余裕さえあったのです。
驚きです。

続く~

[K.K]

『記憶の連想ゲーム』

『大統領』と聞くと誰を連想しますでしょうか。

先日、知人と“記憶の連想ゲーム”とでも言うべき話をしました。
もちろん、水曜の夜7時半からお茶の間を楽しませてくれていた、
あの“連想ゲーム”とは違います。

そこで、『大統領』です。
顔は思い出せなくてもいいのですが、単語の音として、
『大統領』と聞くと誰を連想するか言い合おう、というルールです。

そこにいた40代男性は「レーガン大統領」と答え、
50代女性は「エリツィン大統領」と答えました。
そのときの私の答えは「ミッテラン大統領」だったわけですが、
こうも一致しないものかと驚いたとともに、
現職者よりも過去の「大統領」のほうが印象深いということに興味が湧きました。
なんというか、“思い出のスイッチ”のようなものが入る感じですかね。
だって、レーガン大統領の在任期間は1981-89年、
エリツィン大統領は1991-99年、ミッテラン大統領は1981-91年で、
全員20年以上前の人物です。
また、必ずしもアメリカではないところも面白いところです。

では、『首相(しゅしょう)』ではどうでしょうか。
40代男性は「温家宝首相」と答え、
さすが女性、50代女性は「メルケル首相」と答えました。
『首相』だと、わりと最近の人物がイメージされるのでしょうか。
そこで、私は「ベルルスコーニ首相」と答えたわけですが、
奇をてらったつもりなどないのに「ええっ!」と驚かれてしまい、
自分の連想の特異性に気づかされた場面もありました。
いや、だって、この人、在任中に乱交パーティーに参加して、
17歳の女性とイイ感じになって妻に去られるなんて、どうかしてますよね。
だいたい、彼は首相でありながら、
イタリアで多発するレイプ事件に関して対策を議会から求められたとき、
「我が国には可愛らしい女の子がたくさんいるから、
レイプをなくすことは無理だなぁ」と発言していましたし、
そこを批判された際は、「イタリア人女性を褒めただけ」と笑っていましたから、
日本の失言王・麻生元首相などとは器が違いますよね。

しかし、麻生さん……というわけではありませんが、
『首相』だと日本の首相は連想されにくいのでしょうか。

でも、首相の和名というか、別名の『総理大臣』だとどうでしょうか。
私は断然「中曽根総理大臣」だったのですが、
ほかの2人は、口を揃えて「竹下総理大臣」と言います。
彼の、ふるさと創生事業はバカだったと笑います。
あれは1989年頃だったと思いますが、
わけの分からないモニュメントの製作など、
「急に大金を持つと無駄遣いしてしまう説」の実証のような事業で、
そういう意味では、竹下さんはメモリアルな首相だったかもしれません。
ちなみに、われらが富山県の魚津市では、
8千万円で、世界初の人工蜃気楼発生装置「しんきろう発生器」を開発し、
満を持して魚津埋没林博物館に設置したものの、
8年後、稼働コストが高いことから展示を取りやめ、廃棄されたそうです。
ふつうの会社でこんなことやったら、担当者、クビですね。

ただ、ふるさと創生事業はバカだったと言って笑っていますが、
それから30年以上たった現在でも、結局似たような政策をやって、
じゃんじゃんバラまいていますから、笑えない状態です。

それはそうと、『首相』というお題に「中曽根総理大臣」と答えた私ですが、
『外務大臣』で連想したのは竹下内閣の「宇野外務大臣」でした。
その後、総理大臣にもなられましたが、
文春砲などなかった30年前、下半身スキャンダルで退陣って、
なかなかのインパクトを残した人物でした。
いや、もしかして私、ベルルスコーニ首相といい宇野外相といい、
下半身スキャンダルが好きなんでしょうか。
ただ、当時の宇野首相との関係をリークした神楽坂の芸妓は、
愛人契約期間中の宇野氏の彼女へのフォローの悪さを考え、
このような人物が日本の総理大臣であってよいはずはないと考え、
義憤に駆られて情報をリークしたといいますから、怖いことです。

さらにちなみに、『外務大臣』を『外相(がいしょう)』と読んだ場合、
私が連想するのは「シェワルナゼ外相」です。
調べてみたら外相だったのはたった5年間で、
その後、もっと長い期間、ジョージアの大統領を務めているようなのですが、
この人物の職名は『外相』というイメージです。

それから、アメリカの『通商代表』は「ヤイター通商代表」です……。

まぁ、キリがありませんからやめますが、
そうやって、テキトーに人名を挙げてその人物のエピソードを思い出し、
なんとなく懐かしがって盛り上がるという遊びは、意外と面白いです。
軽くおススメです。

[SE;KICHI]

蛙の子は蛙

もう立春だというのに、寒い日が続いています。
花粉の季節で憂鬱な気持ちにはなりますが、
やはり暖かい春が待ち遠しいです。

さて、以前にこちらでカミングアウトしましたでしょうか。
私の方向音痴ぶりと、それを息子が引き継いでいることを。
そんな母子ですから、いつかはやるだろうとは思っていたものの、
やっぱり息子はやってくれました。

雪が降る前までは、
高校一年生の息子は片道9.3キロの道のりを自転車通学しておりました。
ですがここは北陸。
冬になれば寒いだけでなく雪が降ります。
そうなると自転車での通学は難しくなるので、
公共交通機関を利用することになります。
滅多に電車もバスも利用しないので、
慣れるまでは本人もドキドキしていたことでしょう。

電車通学になって数日たったころ、いつものように最寄り駅へ迎えに行きました。
〇分につくから、という連絡をもらっていたのですが、
しばらく待っても電車が来ません。
そのうち携帯にLineの着信音が。
遅延の連絡かな?と思いつつ携帯を見ると、
目に飛び込んできたのは「電車ミスった」

「は?」

どうやら乗る路線を間違えたようで、「〇〇駅で降りた」と。
本来なら東方面の電車に乗らなければいけないのに、
南方面の電車に乗ってしまったらしい・・・。
続けざまに入ってきたLineは、「駅まで迎えに来てほしい」

ふう~~~~(怒)

確かに私も高校生の時にバスを乗り間違えたことがあります。
息子もいつかやるに違いない、そう思っていました。
そう思っていたのに、なんでしょうか、この腹立たしさは。
きっと、ちっとも悪びれることなく、さも当たり前のように、
方向が全然違う駅まで迎えにこいと言われたことにでしょう。
言っちゃあなんですが、
私はバスを間違えた(お恥ずかしながら息子同様、90°違う方面のバスにのりました)とき、
お金もないし、携帯もないし、しかたないので、
バスを降りてから道に立っている地図をみて、歩いて家に向かったんです。
それなのに息子ときたら、定期もある、お金も持っている、携帯もある、のに、
迎えに来いだあ????!!!!

というわけで、もうぷりぷりしながら言われるがままに迎えに行きました(行くんかい!!)

くしくもその日は私の43歳の誕生日。
こんな思い出のプレゼント、要らんけど(怒)。

途中、主人には帰宅時間が遅くなると事情を説明して大爆笑され、
帰宅後、義母に話したら、途中で気づいてよかったねと、諭されました。

その後、電車を間違えることはなく今に至っていますが、
毎回、ちゃんと電車に乗れているか不安を払拭することはできていません。

それを思うと、自転車通学ができる春がますます待ち遠しいです。
蛙の子は蛙。
見事に証明してくれました。

[Okei]

混浴からの…。

一昨年12月に国の「公衆浴場における衛生等管理要領」が改正され、
混浴に関するトラブル防止などの観点から、
公衆浴場における混浴の制限年齢が「10歳」から「7歳」に引き下げられました。

実は、富山県では、それまで、混浴の制限年齢を「10歳」としてきたのですが、
国のほうで「7歳」に決まったのなら仕方がありません。
国の要領に合わせて、富山県も「7歳」に引き下げる規則改正を行ったそうで、
昨年の7月1日からそのようになったわけです。

私は10歳でも7歳でもないので、特に何の影響もないのですし、
世の中のほとんどの方にとっては、あまり関係のない話。

ところが、10歳とか7歳とか、
それくらいの年齢の異性の兄弟を持つ親御さんからは、ブーイングだったようです。
端的に言えば、7歳くらいのお兄ちゃんと未就学児の妹とか、
逆にお姉ちゃんと未就学児の弟とか、そういう組み合わせで、
パパが2人まとめて男湯にとか、ママが2人まとめて女湯にとか、
そういうことができなくなったというわけです。
それも、先日まではそれができていたものだから、
ある日、今日もそうしようと思って談笑しながら銭湯に行ったところ、
突然、そこの番台から「お兄ちゃんはダメよ~」と押し返され、
号泣する上の子をなだめながら退散するという“惨事”があったと。

まぁ、そういう話を何件か聞きまして、
その子供たちにはちょっとかわいそうな気もしましたが、
何事も端境期というのはあるものなので、仕方ないことのような気もします。

ところで、ちょっとした論理の飛躍なのですが、
どうして混浴はダメなんでしょうかね。

ふつうに考えて、異性の乱入により平穏な入浴が妨げられるからでしょう。

しかし、近年、LGBTへの理解が進むなかで、
「性の多様性」という観点も議題にあがるようになりました。
聞けば、性の多様性を考える上で大切なことは、
「この世界は男性と女性だけで構成されている」という考え方を、
捨て去るということが重要なんだそう。
つまり、あっちから歩いてくるおじさんを、
容姿だけでおじさんと決めてかかってはならない
ということですね。

だとすればですよ、銭湯でどちらの浴室に入るかということは、
性自認にのみ依存するということになるわけです。
先ほどの例をとれば、
どう見てもおじさんでも「心は女よ」と言われてしまえば、
そのおじさんのことも女として扱わなければならないということになり、
女湯への入場を拒否することは、
下手したら差別にあたる可能性すらあるということです。
もちろん、戸籍とかの話ではなく、アイデンティティの話ね。
世知辛い世の中になりました。

しかし、なんとなく感じるのは、
これだけLGBTへの理解が求められ、
SDGsの観点からも、どんな人のことも受け入れようという風潮のなか、
男湯に入るか女湯に入るかというシンプルな問題には、
問答無用でバッサリ決めつけてくる感じが、
私は当事者ではないけれど、違和感はあります。

ただ、合理的に考えて、どう見ても男性の身体をした者が女湯に入ってくると、
本人の性自認はともかく、他のお客さんが心穏やかでいられないから、
ここは、本人にアイデンティティは諦めてもらって、
公共の福祉というのを優先するということになると思いますが。

私、それで合ってると思うんです。
マイノリティを主張すれば、
その場の秩序を乱そうが関係なく、どこにでも入れるというのは、
やはり社会として正しいとは思えませんからね。

それなのに、このところの社会は、
SDGsとか相互理解の名の下に、
自分のマイノリティをゴリ押ししてくる感じがします。

それは、誰の迷惑にもならないなら主張してもいいけど、
そんなことお構いなしに、他者からの理解を求める姿勢は、
「心は女だから入るわよ」と女湯に入るおじさんのようで、
結局はワガママなのではないかなと、
混浴の制限年齢のニュースを聞きながら思った次第です。

[SE;KICHI]
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