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年末です。

このところサウナがじわじわ流行っていますね。
漫画やテレビ等のメディアでよく見かけます。

『サウナを愛でたい』
https://urotanblog.com/saunawomedetai2-1937

https://www.youtube.com/watch?v=mVc6XBJyc6U

サウナで汗をかき、水風呂で火照った体を冷まし、外気浴で休むのですが、
サウナ好きの間では、休んでいる時の恍惚感や多幸感に近い状態を、
今では「ととのう」と表現されています。
私もサウナによく行っていた時があり、「ととのう」感じはわかります。
フワッとした脱力感に包まれ、しばらく座ってボーっとしている時間が好きでした。

その頃のサウナ好きはオジサンというイメージでしたが、
今は若者や女性のサウナ好きが増えて、
こんなに流行っているのは何だか不思議な感じです。
テレビで気持ちよさそうにサウナに入っているのを見ると、
私もまた行こうかなという気分になります。
人によってはサウナに入っても「ととのう」感覚がわからないと言われますので、
全員が体験できるわけではないようですが、
それでも汗をかくのは気持ちがいいと思います。

さて、今年はコロナワクチンの接種があり、
国内では感染者数が徐々に落ち着きを見せていますが、
海外ではまだまだ猛威を振るい、予断を許しません。
また、輸送費、燃料費、各種材料費、プラスチック原料の不足等により、
コスト高が止まりません。
弊社の業務にもかなりの影響があり、
ある部分ではご迷惑をおかけしている次第であり、心苦しく思います。
そのような中でも、
常日頃より変わらぬご支援を下さったすべての方々に、
心より感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。

そして来年度は、一刻も早く日常に戻り、
皆様にとって希望に満ちた素晴らしい年になることを強く願っております。

来年もどうかよろしくお願い申し上げます。

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『クロマトグラフィー概論』

というのは、私が学生の頃に受講していた講義の名称です。
確か年間ぶっ通しで2単位くらいだったと記憶しています。
担当の布〇教授が、それはそれはお優しい方で、
毎年、一字一句、まるで変わることのない過去問が出回るので、
去年の出題を暗記すれば必ず単位が取得できるという、
まぁ、言ってみれば『ボーナス講義』だったことを覚えています。

さて、その「クロマトグラフ」ですが、物質を分離・精製する技法の一種です。
混合物を、立てたカラム(ガラス管の中に炭酸カルシウムを詰めたもの)の上に置いて、
上から有機溶媒を流せば、
下からは各成分が分かれた状態で出てくるというもの。
ちょっと魔法みたいに言いましたが、
各成分は物質の大きさ・吸着力・電荷・質量・疎水性などが違うので、
炭酸カルシウムを通り抜けるスピードに差が出て、
下から出るころにはバラバラになっているという寸法です。
ほら、新しい布製の白い靴を履いてでかけたときなど、
雨が降って濡れてしまったのをそのまま乾かすと、帯状の模様がついているでしょう、
あれと一緒です。
これを、各成分ごとに分けて回収すれば、混合物を分離できるのです。

ただ、それは、単純だけど、口で言うよりも面倒な作業です。
というのも、各成分は必ずしも色がついていないため、
ただ液体が管から流れているだけに見えることが多いのです。
果たしていま管から流れ出ているのが何なのか、
スピードを計測してサンプリングしながら、
TLCという技法で調べなくてはなりません。

TLCは「薄層クロマトグラフィー」という分析手法で、
有機化合物の合成や分離を行う研究室だと、毎日のように行う分析手法です。
溶液の中にいくつの化合物が混じっているのか確認するために使用されます。

ガラス板にシリカゲルを吸着させたものを使い、
そのガラス板の規定の場所にサンプルをスポットし、
これを移動相(展開溶媒)に浸します。
すると、溶媒が上昇し、それに伴い、化合物も上へと移動します。
ここで、化合物によって移動速度が異なるため、
化合物が成分ごとに分かれるというわけです。

まぁ、原理などどうでもよいのです。
私にとって『クロマトグラフ概論』が、
内容は難しいくせに布〇教授のおかげで簡単に単位が手に入ったことと、
そうやって、ズルして手に入れた単位はちっとも使い物にならず、
後年、研究室でクロマトグラフを取り扱うときに結局は苦労したという、
やや苦めの思い出だという話です。

2021年、私はクロマトグラフについて、すっかり忘れていました。
それが、今年、思いがけず再会を果たしてしまったのです。

少し前、とある会合がありました。
それは全国から300人ほどが集まる会合で、
私は、それの富山県代表ということで参加したんですが、
その会場に入場する条件が、
3日以内に実施した抗体検査の結果が陰性であること。
そして、その証拠を持参すること

それができぬ場合は、会場入口で抗体検査をします、と。

仕方がないので、近くの薬局で抗体検査キットを買い求め、
鼻の穴の中を綿棒で拭って、その“拭い汁”を所定の場所に滴下し、
規定の時間、待ちます。
そうすると、妊娠検査薬のようなもので、
陰性なら1本線、陽性なら2本線が出ますと、そういう感じ。

抗体検査キット

そして気づいた、これって、TLCじゃない?
また、あんなに苦手で嫌いだったTLCも、久々に再開してみたら、
なかなか感慨深いものでした。

結局、私は、まんまと陰性でしたので、検査結果を持って会合の会場に行き、
勇んでこれを見せて受付を済ませ、会合に参加できたのでした。

しかし、それにしても、入場前に抗体検査って、面倒くさすぎですよね。
私はこの抗体検査を含め、話題のワクチンの接種証明など、
国民の分断につながるようなことは避けたほうが良いのではないかと思います。

もちろん、そういうことにも、一定の合理性はあるのだと思いますが、
3日以内…例えば昨日の抗体検査結果が陰性だからと言って、
今日の陰性をどれくらい担保できるのかとか、
ワクチン接種証明にしても、
そもそも、接種しても感染するケースがあるうえ、
接種後に他人に感染させるリスクもあったり、副反応もあるなど、
ワクチンも万能ではないとされるなかで、
接種の証明が今日の陰性をどれくらい担保できるのかとか、
疑えばきりがないような気もします。

しかし、ひとつ言えるのは、
このような政策は国民の分断につながるだろうということ。
年初にも言いましたが、
ナチスはかつて健康管理を大義にして国民生活に介入し、
人々の自由を制限していきました。

いま、日本においても、抗体検査やワクチン接種証明書などをきっかけに、
徐々に自由が奪われていけば、全体主義が生まれかねません。
「自由」は基本的人権のひとつであり、
抗体検査やワクチン接種証明書などで左右されてよいものではないはずです。


いや、ちょっと不謹慎な言い方が許されるなら、
たとえば、いま、大災害が起きたとして、
避難所の入り口で抗体検査結果やワクチン接種証明を提示しないと入れないとか、
そういう社会の分断が、起こらないとは言えません。
ナンセンスと笑うでしょうか。
でも、実際、前述の会合の会場で、
抗体検査の証拠を持参しなかったため、受付で検査を受けることになり、
その結果が陽性だったためにその場で退場を促されている紳士を見ました。
九州から来たという身なりの良い穏やかそうな紳士でしたが、
それでもムッとしながら帰っていきました。
これが紳士でなく、恨みを募らせてガソリンを撒くような男であったなら、
恐ろしいことになっていたのではないかと、そういう想像をするわけです。

だから私は、こんなご時世だからこそ、
国民の分断につながるようなことは避け、
むしろ、みんなで協調して乗り切るべきだと思うのです。
おともだちと仲良くできる子のほうが、
サンタさんも喜びますよね、きっと。


[SE;KICHI]

特殊能力・・・?

私は事務員をしておりますので、社にかかってきた電話を取るのも仕事の一つです。

ある日のことです。
いつものように電話に出ると、相手の方は証券会社の方で、社長に用事があるとのこと。
あいにく社長は不在でしたので社長に電話があった旨を伝えてほしいと言われ、
そこで電話は終わりました。

何気ない、よくあるやり取りです。

そういった電話はわりと多いので、
日ごろから忘れるのが得意な私は特に記憶にとどめておらず、
今回の電話のやりとりもそのうちの一つでした。

そしてまた別の日。
いつものように電話に出ると、また証券会社の方からの電話でした。
こう言っては何ですが、証券会社は幾社もあるし、
特に弊社との取引がないところだと担当の方のお名前を私は覚えることができません。
声も然りです。
何度も電話のやり取りをして、ようやく話し方の特徴や声色を覚えることができます。
それでも、同性で似た声の方だと、判別はできません。
これは私だけに限ったことではないはずです(現に自宅では義母と間違えられることがしばしばあります)
よほど特徴のある方(私自身に記憶の残りやすい声や話し方をされる方)だと、
さすがに覚えることはできますけれども、、、
なんとも仕事のできない事務員ですみません・・・。

今回のお電話は、先日の証券会社の方でした。
うっすらと聞き覚えのある証券会社名だとは思いましたが、
そうちょくちょく電話もかかってきていないし、
その時の方と同じ人物だとは特に思わず、普通に応対しました。
あいにくその時も社長は不在で、そのように伝えると、
前にも電話応対してもらいましたよねと言われました。

こういわれたとき、皆さんはどう思われますか?
私は、ひどく動揺しました。
確かに、この事務所で女性は私一人なので、
その時の対応した人物が女性であれば私に間違いはないのです。
ですが、面識もなく、取引先でもないので、
電話応対もどれほどしたか記憶にない、のに、
だれが電話応対したか普通覚えているものなのですか??

え、なんで分かるの?とちょっとどぎまぎしながら、
「私でしたか?」と尋ねてみたところ、
「はい、あなたでした。」と即答で断言されたのです。
頭の中はプチパニック状態です。
私なら確実にわかる人以外なら、
「私でしたか?」と聞かれたら、似た声の方かもしれない、と、
自分に自信が無くなりますが、
よほど私の声や話し方に特徴があるのか、
断言されたことに、非常に興奮しました。

電話を切ってからも興奮が冷めず、
その時職場にいた上司に興奮しながら伝えたところ、反応はやや薄い・・・。
おそらく義理で私の気持ちに寄り添おうとしてくれていることは伝わりましたが、
明らかなる私との温度差。
しばらくして社に到着した社長にも事情と興奮を伝えてみましたが、
やはり反応が薄い上に、相手(声で判別できるタイプ)のことがわかる・・・と。

ええ!!!
私だけ???


実はこの弊社の二人、記憶力に長けている人物です。
一人は一度見たことは忘れない、
一人は聞いたことは忘れない、という能力をお持ちの御二方ですから、
私の興奮が伝わらないのかもしれない。
ですが、どうしてもこの興奮を誰かにわかってもらいたいので、
自宅に帰ってから主人に伝えてみました。

すると・・・

ご期待通り、反応うっす!( ゚Д゚)
職業柄そうなんじゃないの?と軽~くあしらわれました。

まあ確かに私は、人の顔を覚えることも、固有名詞を覚えることも超苦手で、
記憶力が必要な教科は点数が極端に低かったです。
もしかしたらそこの能力の低さが、
今回の私と周囲との温度差が生じた原因なのかもしれませんが、
久々に誰かに話さずにはいられないという興奮を味わった日となりました。

もしかすると、私に気を遣って誰も言えないだけで、
私自身がすごく特徴のある声や話し方をしているだけ、
ということも考えられますが、
みなさんはどうですか?

[okei]

闇の中の魑魅魍魎

さて、絵師金蔵、略して絵金です。
江戸末期から明治初期にかけて活躍した浮世絵師です、
ずいぶん昔ですが、「必殺仕掛人」という時代劇の、
オープニング映像に使われていましたから、 
土俗的で猥雑な、血みどろの芝居絵という独特な作風を、
目にしたことのある方も多いでしょう。

弁天座にて。

髪結いの子として生まれた彼は、幼い頃から画才を認められ、
狩野派絵師の前村洞和に学び、基本を叩き込まれます。
通常、狩野派の修行期間は10年だそうですが、
彼はわずか3年で免許皆伝。
師匠の洞和から一字を拝領し、洞意と名乗り、
名字帯刀を許される御用絵師にまで上り詰めたわけです。
いやあ、絵に描いたような順風満帆ですよね。

ところが、そんな彼を待ち受けていたのは突然の悲劇です。
33歳のとき狩野探幽の贋作事件に巻き込まれた彼は、
城下追放になってしまいます。
この贋作事件、必ずしも彼ばかりが悪いわけではなく、
ざっくり言うと、練習で描いたようなものを、
骨董屋がニセのハンコを捺して売っちゃったみたいな話で、
一説には、彼の高い画力に嫉妬したライバル絵師による、
讒言、すなわち冤罪ではないかとも言われています。
いずれにせよ、この事件で彼は藩を追われてしまい、
彼がそれまでに描いた作品のほとんども焼き捨てられてしまいました。

いやあ、これまた絵に描いたような挫折というか、
窮境ですよね。

事実、彼はこの後の10年間、どこでどうしていたのか、
記録がないようです。

10年後、御用絵師に復帰できるはずもない彼は、
庶民の中で描きたい絵を自由に描こうと、町絵師として再起します。
町絵師というのは、
当時人気のあった歌舞伎や浄瑠璃の演目だとかそういうのを、
町人の求めに応じて描く仕事です。

彼の芝居屏風絵は、
1枚の絵の中に芝居の場面が重層的に表現されているのが特長で、
つまり、その屏風絵を見れば、芝居を観に行ったも同然という、
そういう斬新な構図で、町絵師として素早く人気が出ました。

いや、実際、一隻の屏風には赤や緑の鮮やかな色彩が踊り、
構図の躍動感は大胆で、見る者に「これでもか!」と迫ってきます。
後年の私が思うに、紆余曲折を経た彼の、絵にかける怨念が、
屏風に叩きつけられているように感じるのです。

特に、夏に須溜田八幡宮で行われる祭は、
神社に伝わる18点の芝居絵屏風を、暗闇のなかロウソクの灯りだけで鑑賞します。
しかも、その18枚の絵は神社近くの氏子たちの家に点々と置かれ、
その日だけは街灯や自動販売機の電気も消し、
当時と同じロウソクの光で闇に浮かび上がる作品を観るのだそうです。
つまり、彼の怨念をロウソクで照らし見るイベントです。

長くなりましたが、そういう絵師がいて、そういう祭があるという話ですが、
そのような祭に、そうそうリアルタイムに行けるものでもありません。
そこで、通年で鑑賞できるように開設されたのが『絵金蔵』です。
先日、初めて訪問することができました。

絵金蔵全景絵金蔵パンフレット

そこは、まぁ、平たく言えばミュージアムなのですが、
その祭を再現して、館内の照明を落としてあると聞いています。
照明が落とされた漆黒の館内を、提灯を片手に回り、
展示されている絵を提灯の明かりで照らして観るのだ、と。
いや、それだけではなく、
絵の原本については、劣化を防ぐために、同じ空間には置かず、
月替わりで壁の向こうに吊られている作品を、
節穴から覗き見るスタイルで絵を観るコーナーがあるとか、
なんというか、展示にかける工夫が尋常でないと評判のミュージアム。

実際に行った感想は……。
いや、絵は、やっぱりすごいです!
その鬼気迫る迫力に、ちょっと放心状態になります!
特に「血赤」と呼ばれる赤色の発色がすごいです!

ですが、漆黒の館内を提灯で……の演出は、ちょっとお休み。
なぜって、漆黒で周囲が見えないと、
ソーシャルディスタンスが取れないかもしれないから、と、
まさかのコロナ理由。
こうして、絵金の作品はコロナ対策に負け、ぜんぜん暗くない館内に展示されており、
白日の元に晒されていたのでした。

絵金蔵メイン展示絵金蔵メイン展示-拡大

ちなみに、タイトルは言うまでもありませんが、1971年公開の映画から。
主演の絵金役は、なんと、若かりし日の麿赤兒。
カンヌ映画祭、日本代表作品ですって、攻めましたねぇ。
そして、なんとこの映画、50年の時を超え、絵金蔵では現在も上映中です。

『闇の中の魑魅魍魎』
http://cinema-g.shop-pro.jp/?pid=148535060

ポスターの最下部「CHIMIMORYO」がイカしてますね。

[SE;KICHI]

人としての振る舞い①

私が株式会社セイシンに入社して先日で丸6年が経ちました。
ここまで支えてくださった全ての皆様に感謝申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。
今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。

また、入社当時、いろいろと波紋をよんだ最初のブログ投稿からも年月が経ち、
様々な内容を好き勝手に書かせて頂いてきました。
当時同様、今回も波紋や批判は覚悟のうえ、
私自身の思うところを書かせて頂きたいと思います。
そうです、またもや結婚式ネタになりますが、
今度ばかりは誰に何を言われようと私はブレない思いです。

1ヶ月前、私の親友A君の結婚式がありました。
入籍は昨年にしていたのですが、コロナ禍真っ最中ということもあり、
このタイミングでの開催となりました。
我々20代も2回目のワクチン接種が終わり、感染者も落ち着き、
ちょうど良い期間に開催ができました。

親友A君の結婚式

A君は高校時代からの10年以上付き合いのある親友の1人で、
奥さんも知り合って間もないですが、
皆で食事に行ったりして仲良くさせてもらっておりました。
自慢話のように聞こえるかもしれませんが、
ありがたくも大変名誉なことに、友人代表挨拶の大任を賜り、
緊張の中ではありましたが、大切な友人の為に役目を果たせたのかなと思います。
多くの友人がいるなか、拙い私を指名してくれ、
友として、とてもに誇らしく思います。

また私は3月から延べ8ヶ月間、
共通の親友I君と共に新郎新婦に向けたサプライズムービーの企画を秘密裏に行い、
撮影編集の為に富山や関東圏にまで出張って駆け回り、
最終的には24名参加の一大ロジェクトとなりました。
これは式に参加するメンバー、又はしない(できない)メンバー関係なく、
2人の結婚をお祝いしたい!
お世話になったA君に感謝の想いを伝えたい!など、
何か一生の思い出として、形に残るモノを作りたかったという意図がありました。
作成に当たっては気づかれないよう情報を探ったり、
参加できない人がいたり、無視されたり、
上手くいかないので外部編集者を雇ったりする…など、様々な苦労もありましたが、
何とか式の1週間前に完成。
式場スタッフさんにもご協力して頂き、最後は見事に大成功!
新郎新婦にも大変喜んで頂き、
素敵な結婚式に、少し花を添えられたと自負しております。

まぁ、ここまでは手前味噌な話。
"ああ、頑張ったのねあなたは"と言いそうな人も出てきそうですが、
大目に見てください。
そんなことは置いておいて、ここからが本題です。

この結婚式には新郎の友人枠で、私K、先程出てきたI君、O君、
そしてU君が同じテーブルで参加しました。
このメンバーは高校以外、ほとんど接点はないのですが、
それぞれどこか(学校,会社等)で繋がっていたりして、
今も仲の良い親友同士でもあります。
特に私KとU君とは小学校からの大親友とも言える仲でした。
故あってこの式で半年ぶりに再開したのですが、
まるで昨日も会っていたかのような関係性で、
結婚式から披露宴と、共にお祝いすることができ、
楽しい時間を過ごさせてもらいました。

ところが、その後事件が起きたのです。
(というより、起きていたのが発覚したと言うのが正しいです。)

それは式から1週間が経った日曜日の夜、
A君夫妻(新郎新婦)とI君に誘われ、
4人で式の打ち上げで食事に行った時でした。
私以外お酒が入っていたせいか、皆テンションが高めでしたが、
新婦さんが何かすっきりしない顔で言いたそうにしていました。
どうしたの?と私が聞くと、実は…と遠慮気味に新婦さん。
A君は言わんでええよぉ〜と呆れ顔だったので改めて聞くと、
新婦さんが意を決したように衝撃の一言。

「実は、式の後、結婚式のご祝儀を計算していたのだけど、
何度計算しても、計算がおかしいの。
そしてU君のだけ見当たらない。
U君、ご祝儀払わなかったの。」

大和〇常務
(大和〇常務よりも凄い顔していたと思います。)

!!!???
はぁぁぁ!?
何だって!?
どーゆうこと!?
私とI君は耳を疑いました。


それは本当に間違いないの?と何度か聞き直しましたが、
何度も確認したから間違いない。
彼の名前だけは見つからなかったと。
これヤバいと思わない?
なんか、どうしてもK君たちには伝えておきたくて、と言う奥さんの表情には、
悲しさというか、虚しさと悔しさが混じったようなものが見て取れました。

つまりご祝儀を払わずに結婚式、
そして披露宴に出ていったということ!?
一緒にお祝いしたけど、お金も払わずに、
ブロッコリートス(男版ブーケトス)を受け取って2人と笑顔で写真を撮り、
披露宴で美味しいコース料理をタダ飯同然で堪能したってことだよね??

私はこの前代未聞の暴挙にアタマが真っ白になりました。
これが事実であるとしたら、
絶対に見過ごすわけにはいかない。

そう思いました。

U君に近々会って話を聞かないといけない、と、静かに決意していた私を余所に、
もう暗い話はやめて飲もう!とA君たち。
美味しい食事に暗い話で影を落としてしまったことを払拭するように、
楽しい時間を過ごしました。
少々酔いつぶれ、満足そうな皆を送迎する傍ら、
私のアタマの中は先程のショッキングな出来事でいっぱいでした。

優劣の話ではありませんが、
元々、私KとA君とは高校時代からの親友でしたが、
交流するうちに、幼馴染のU君にも引き合わせ、
2人は共通の友人になった経緯があります。
はっきり言って私のほうがA君に対する思いも強いのですが、
2人は共通の趣味などで交流していたこともあり、
親友と呼べる信頼関係はできていたと思います。

いずれにせよ、私の大切な親友A君夫妻をバカにしたような振舞いには、
心底怒りを覚えました。

結婚式はタダでは開催できるわけではありませんし、
そこにかけるお金だけではなく、想いもタダレベルなんかではありません。
仕事も忙しいなか、特に大工の現場仕事で遅くなるA君に負担になるまいと、
自らも仕事をしながら、式場スタッフさんと打ち合わせを何度も重ねて、
メインで準備をしてきた奥さんの苦労を知っています。
コロナ禍で1年近く遅くなったけど、皆を楽しませてあげたいと、
様々な工夫を凝らして準備してくれていたとも聞きました。
私はこの2人の行動以上の、その心に感動しました。
と、同時に、その心を踏み躙るような、
2人を侮辱したような行動が、どうしても許せません。
幸せいっぱいの2人に、こんなカタチで水を差し、応えるというのは、
あまりにも酷いと思いました。

また、また自分たちの話にはなりますが、
サプライズムービーも、多くの人が忙しいなか、
工夫し時間をこじ開けて参加してくれました。
A君のためにと、仕事終わりで疲れていても、東京からでも北海道からでも、
育児をしながらでも、当日参加できなくても、出演してくれました。
私も東京や神奈川へ行って撮影してきました。
I君も良い映像を撮るためにと数十万するカメラを購入してまで準備しました。
(ちなみにI君から聞いた話ですが、当初U君もサプライズムービーに参加してくれるはずだったのですが、約束の日になった途端音信不通となりドタキャン。再度連絡してもLINEは既読スルーという始末だったらしく、当初からA君にかける思いは欠けていたと指摘しています。)

そういった思いを持ってお祝いをした全ての人たちのことを慮っても、
この、2人をナメたような行為は有り得ないことであり、悔しさの念さえ感じました。

撮影に臨むI君
(撮影に臨むI君。思い出の場所も撮り、取り入れました。)

まぁ我々の思いも伝わってはいないし、彼に強要するものではないので、
こちらの都合で始めたムービーに関することは、強くは言えませんが、
今回の件に関しては2人に対して、絶対やってはいけないことだろうと思いまして、
後日、U君と腹を決めて一対一の対話をしようと決意し、
今週会えないか?と、LINEで連絡を送りました。

しばらく疎遠になっていたU君からは、結婚式で久々に会ったこともあって、
割と早くにLINEの返信が有りました。
結局、その3日後に、彼のアパートの部屋で食事をしながら話すことになったのです。

続く〜

[K.K]

年末年始休業のお知らせ

平素より格別のご高配に預かり、厚く御礼申し上げます。
さて、弊社は年末年始につきまして、勝手ながら2021年12月29日(水)~2020年1月3日(月)を休業とさせていただきます。
新年は2022年1月4日(火)より通常営業させていただきます。
ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。
猶、今後とも倍旧のご厚情を賜りますよう、切にお願い申し上げます。

[AKA]

80年前から地続きの今日。

昨日は12月8日でした。
そう、あの日です。

『ごん狐』などを書いた児童文学者の新見南吉は、
昭和16年12月8日の興奮を、
「いよいよはじまつたかと思つた。何故か體ががくがく慄へた。
ばんざあいと大聲で叫びながら駆け出したいような衝撃も受けた」
と書き残しているそうです。
この記録を私が知ったのは中学生のころだったかと思いますが、
万歳と大声で叫びながら……という表現が衝撃的で、
大人から教わっていることとの、微妙だけど厳然とした差に唖然としたものです。

正直な感想としては、「あ、そういう感じだったわけね」というもの。
80年前の昭和16年12月8日、当時の日本人のほとんどは、
海軍航空隊が真珠湾を攻撃したことによる、
戦艦2隻撃沈・4隻大破、大型巡洋艦4隻大破という、
未曽有の大本営発表に沸き立っていたといいます。
現代の私たちは、学校などで、先の大戦は一部軍属の暴走であると教わり、
市民生活は困窮を極め、歯を食いしばって生きていたと認識させられていますが、
果たして、実際のところは、少なくとも初めのころはそう悲惨だったわけではなく、
民衆は勇ましい自国軍に喝采を浴びせ、
華々しい戦果に狂喜乱舞していたといってよい状況であったということでしょう。

私は、それは自然だと思うのです。
今だと、感覚的にはオリンピックなどがそれにあたると思うのですが、
オリンピック自体に反対する人は少なからずいるとしても、
自国選手団の大躍進を阻止しようとする者がいないように、
80年前の日本には、戦争を忌避する性格の人はいたかもしれないけれど、
いざ開戦となった際に、自国の没落を目指すものなどいなかったと思うのです。

今年は、朝の連ドラ『カムカムエブリバディ』が放送中です。
このドラマは、先月まで戦時中を扱っており、
特に11月の最終週は、岡山にも大きな空襲があって、
主人公・安子(上白石萌音)の母(西田尚美)と祖母(鷲尾真知子)が、
防空壕の中で焼死したり、和菓子職人の父(甲本雅裕)が心臓を病んで亡くなったり、
どんどん人が死んでしまうのですが、
なかでも、夫である稔の戦死の知らせが届いた時の上白石萌音の演技が秀逸でした。
目を見開いて通知を見、そのまま脱力しながら後ずさりするなど、
私は夫の戦死の知らせを受けた体験はないのですが、
その場面では自然とこうなるのかもしれないと思わせる演技でした。
そして、安子は無音の町を走りながら、
「稔さん」「稔さん」「稔さん」と、夫の名だけを呼び続けるのです。
そして、「いじわるせんで、帰ってきて! 稔さん!」と泣き伏すのですが、
考えてみると、このシーンは、彼女だけのものではなくて、
当時、そこここで見られた話でしょう。
あらためて、ふつうの人たちの暮らしの中にも戦争があったのだと感じますし、
そういう、多くの悲しみのうえに私たちの現在があるのだと、切実に感じます。

それはともかく、このドラマの主人公・安子をしてもなお、
開戦のニュースを聞いて悲壮な顔をしたり、
終戦のニュースを聞いて安堵したような表情を浮かべることは、ないのです。
冒頭の新見南吉のように、
開戦に興奮し、終戦に落胆するというのが、
当時の正常な日本人。

そればかりか、以前に『この世界の片隅に』について書いたことがありますが、
玉音放送を聞いて終戦を知った主人公の北條すずは、
「そんなん覚悟の上じゃないんかね? 最後のひとりまで戦うんじゃなかったんかね?
まだ左手も両足も残っとるのに! うちはこんなん納得できん!」と激怒します。
私は、これが日本人だなぁと思うのです。
物資のない不自由な暮らしとか、肉親を戦争で亡くした悲しみとか、
自分の身に起きた様々な不幸にも耐えて踏ん張ってきたのに、
一方的に終戦を告げられるなんて悔しい…という思いです。

いや、戦争を礼賛しているわけではありません。
しかし、昭和10年頃から日本に対して行なわれたABCD包囲網は、
80年前に遂に完成し、日本はやむを得ず真珠湾を攻撃したわけです。
当時の市民にしてみれば、情報は新聞やラジオ放送くらいしかなく、
その内容に一喜一憂することは、至極当然です。

さて、当時、日本はABCD包囲網に追い詰められ、
開戦せざるを得ない状況に追い込まれました。
いま、日本にはそのような心配はなさそうですが、
当時の日本と同じように追い込まれつつある国もあります。
今日は、80年前のあの日から、今日まで地続きです。
隣国として、あれは大丈夫なのか、注視していく必要があります。

[SE;KICHI]

テレビは買っておりません!

少し前にテレビが壊れた記事を書かせていただきましたが、
現在いまだに買えておりません。
今ではネット番組やツイッター等でニュースを見れますが、
テレビ派の私は家でニュースをあまり見ておりませんでした。
まずはテレビの前に年末年始に向けて、
しっかりと自分の仕事を片付けるのが先決です。

少し前にも書きましたが、私の父親はもうヨロヨロな状態です。。。
家族ですので本当に自分自身がしっかりと守っていかなければなりません。
昨年に自分のことを立派になってくれたと言ってくれた父親。
それでも気付いたことは、
やっぱり父親に今までずっと守られてばっかりでした。
自分自身が掲げた親孝行をしっかりと果たせるように、
自分自身がもっとちゃんとしないと!

ちょっと本当に最近何かにチャレンジしていた等がありませんでしたので、
今回はここまでですが、次回はもう少し書けるようにします!!

[SYUN]

『鬼平犯科帳』

『鬼平犯科帳』といえば、池波正太郎原作で、
まぁ、八代目松本幸四郎(後の初代松本白鸚)とか、
いろいろな方が主役を務める人気時代劇シリーズです。

わざわざの説明などいらないと思いますが、
主人公は火付盗賊改方(火盗)の長官・長谷川平蔵で、
配下の密偵たちとともに、クセのある盗賊たちと渡り合うストーリーです。
火付盗賊改というのは、
町奉行所の手に負えない凶悪犯の取締りと捕縛に当たる役目ですね。
そもそも、長谷川平蔵自身が“昔は悪かった”設定ということもあり、
水戸黄門のような単純な勧善懲悪ではなく、
たとえば、名だたる悪党の犯行でも、
「おめえさんがこういうやり方をするとは、なんかワケがあるに違いねぇ」的な、
盗賊にも美的センスを認めるというか、
一部の理を認めるようなストーリー展開になっていて、
悪党をいきなり叩き斬ったりしない優しさを感じるのです。

だいたい、配下の密偵も、“小房の粂八”とか“大滝の五郎蔵”とか、
もともと盗賊だった者が平蔵の人柄に触れて配下についているなど、
人間味あふれる人物描写が魅力です。

さて、テーマは何でしょうか。
私は、2つあると睨んでいます。

ひとつは、「信じる心」とか「忠義」とか「心意気」とか、
現代社会では忘れ去られた感のある、
人としての美しさです。

特に、ちょくちょくある設定として、
かつて盗賊だった配下の密偵のうちの誰かに、
昔の盗賊仲間から悪事の誘いが来て、密偵が動揺するというパターン。
その密偵は大いに動揺して、妙な動きをしてしまい、
そのことに平蔵も気づいたりするわけですが、
その場面で平蔵は「待て待て、オレはあいつを信じるぜ」と、
一切疑わずに、本人が告白してくるのを待つのです。
ドラマ上での設定とはいえ、なかなかできないことですよね。
もはや、自身の内面から自然に湧いてくる疑いの気持ちを無視して、
意志をもって「相手を信じる」ことを決めているような感じです。

もうひとつは、逆説的ですが、人間のズルさです。
人間、一点の曇りもない善人とか、逆に一点の曇りもない悪人とか、
いるものではありません。
大体の人は、ほどほどに善人であり、ほどほどに悪人であろうと思います。
平蔵は、人の心の中に同居する善と悪を看破し、
前述の通り、悪人の中にも一部の理を認めたり、
逆に、善人だけどちょっとズルい武士に説教を食らわせたりします。
それは現在の社会にも通ずることですが、
自分は大した人物でもないのに、父親の威を借りて横柄な者とか、
勤務先のブランドを笠に着て偉そうなふるまいをする者とか、
いつの時代も、そういう者はいるものなのだなと感じます。
……いや、まぁ、ドラマなのですが。

しかし、ドラマとしての面白さという観点から言っても、
登場人物がそれぞれ、切ないことであったり、苦しいことであったり、
何かの事情を抱えていることが多く、
それが事件につながるカギになったりすることがあるわけです。
とにかく、良いとか悪いとかでは割り切れない、
いろいろなことがある人間の姿が興味深く、人気を呼ぶのでしょう。

鬼平犯科帳
https://www.tvk-yokohama.com/annai/onihei.php

数日前、二代目中村吉右衛門さんが亡くなられました。
まぁ、年齢も年齢だし、晩年は体調も万全でなかったようなので、
そういうこともあるだろうなと思ってはいましたが、
訃報に触れた時はショックでしたね。
その1週間ほど前に亡くなった生臭い尼さんに比べて、ずいぶんショックでした。

二代目中村吉右衛門は、
1989年から27年にわたって『鬼平犯科帳』を主演されていた方です。
この人は、五代目市川染五郎(後の初代松本白鸚)の次男で、
母・正子は初代中村吉右衛門の一人娘。
初代吉右衛門は一人娘ゆえに正子を溺愛し、嫁入りをなかなか許さなかったそうですが、
正子は、「男子を2人産み、そのうちの1人に吉右衛門の名を継がせます」と約束し、
ようやく結婚に漕ぎつけたというエピソードは有名ですね。
その通り2人の男の子が生まれ、約束に基づいて初代吉右衛門の養子となったのが、
先日、二代目中村吉右衛門。
別れた兄は二代目松本白鸚で、おそらく比較されての人生。
ご苦労の多いなか、芸道に邁進された人生だったと思います。

ご冥福をお祈りいたします。

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