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誤解?

最近はマスクをしながら話すことが多いので、
こちらの話が伝わりにくかったり、
相手の言うことが聞き取れなかったりすることがありますよね。

何回も聞き直すのもどうかと思い、わかったふりをして頷くこともあります。
話の前後から何を言われたのか想像しなければなりません。

私は会社では、元々ひとりごとが大きいらしく、
何か言うと、ひとりごとなのか話しかけられているのかよくわからないと、
近くにいる人を惑わせて迷惑をかけています。

テレビではいつの間にか、
喋っていることを字幕で流すのが当たり前になりましたが、
マスクをしている方へのインタビューなどは、
今はそれでいいのかも知れません。
口元も見えませんからね。

先日、話が伝わっていても誤解をまねきそうになりました。
ゴルフのコンペに参加するためにゴルフ場に行ったのですが、
朝早いにも関わらず、既に駐車場がほぼ埋まっていました。
やっぱり休日は混んでいるなと思いながら、
着替えてプレーの準備をして外に出ました。
私のゴルフバックが積んであるカートにキャディさんが現れたので、
挨拶して話しかけました。
早くから駐車場がいっぱいだった話をしようと、
「キャディさん、おはようございます。
いやー、今日は朝からパンパンですねー。」と言って、
キャディさんをよく見ると、かなり体格のいいふくよかな方でした。
瞬間的に今の言い方はまずいと思った私は、
「あー、パンパンて言うのは駐車場のことですよ。」と言い直してから、
しまった、さらに傷口を広げるようなことを言ってしまったと思い、
どうしたものかと困っていたら、
丁度その時一緒にまわるメンバーがやって来て、
キャディさんと他の話を始めたので、うまく話がそれてくれました。
危うく誤解されるところでしたのでホッとしました。
全く悪気は無かったのですが、かなり焦りました。
言葉は慎重に選ばないといけませんね。

別の日には、言い間違いで戸惑いました。
取引先の大きな会社で、そこの方とある場所で待ち合わせたのですが、
いくつも建物があり、目的の場所がどの建物かわからなかったので、
そこの社員と思われる方が歩いておられたのでたずねました。
中年の女性の方で、丁寧に説明して頂けました。
「道を真っ直ぐ行くと信号があるので、そこを左折して次の信号をまた左折して、
しばらく行くと右側の建物にシャッターがあり、
そこを中に入ると受付があるので、訪ねてみて下さい。」とのことでした。
まず道を真っ直ぐ行くと、一旦停止の交差点がありました。
信号ではないなと思い通り過ぎようと、ふと左側を見ると信号が見えました。
前を見てもこの先に信号などないので、
この交差点のことを信号と言ったんだなと思い、左折して、
言われた通り次の信号をまた左折して、しばらくすると右側に建物がありました。
この建物だろうと思い、シャッターを探しましたがありません。
もう少し向こうの建物かもしれないと行ってみても、
その建物にもシャッターはありません。
おかしいなと思いながら最初の建物に戻ると、
玄関の奥に受付らしきものが見えました。
やっぱりここじゃないかなと、
駐車場に車を止めて玄関を入ろうと自動ドアが空いた瞬間に、
あぁ、シャッターと言ったのは、
この自動ドアのことだったのではないかとピンと来ました。
無事受付できたわけですが、
一旦停止の交差点を信号と言ったり、自動ドアのことをシャッターと言うのは、
なかなかのセンスだなと、思わず笑ってしまいました。
結果的にはわかりましたから、
間違っているとは言えないということですかね?笑

[KAZSOU]
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風が吹けば桶屋が儲かる。

いろいろなところで、渡部昇一先生が大好きだったと、
生前、好きすぎて押しかけてお話をお聞きしたというような話をしていますと、
たいてい、渡部先生の人となりのようなことを質問されます。
私としては、それで、また嬉々として渡部先生の話をするわけですが、
一度、変わった質問をされたことがあります。
それは「渡部先生以外で尊敬している人物は誰ですか?」というもの。
ええっ! 渡部先生以外で? 渡部先生の話をしてるのに?

吉川英治ではありませんが、『我以外皆我師』などと思っていれば、
渡部先生以外にも尊敬する人物はたくさんいますが、
いったい、私から何を引き出そうとしているのでしょうか。

質問に答えるべく、いろいろ考えてみましたが、
令和になってすぐ亡くなられた長谷川慶太郎先生も、
私にとっては師と仰ぐ存在だったかもしれません。

長谷川先生は「風が吹けば桶屋が儲かる」の話をよくされていました。
つまり、長期トレンドを読むときに押さえておくべきは、
モノとカネの「流れ」が大切だということです。

長谷川先生は、ソ連が崩壊する何年も前に、
「東西冷戦は東側陣営の完敗で終わる」などと予言し、実際、それは的中しました。
先生曰く、なぜそんな予言ができたかというと、
圧倒的な東西陣営の工業力の差を見抜いていたからだと言います。

重要なのは、その情報が一過性のエピソードなのか、
それとも、世界の大きな流れに影響を与えるトレンドなのか、
見分けることだそうです。

私はあまり覚えていないのですが、第二次オイルショックのときも、
当時、多くのエコノミストが、
「必ず第三次オイルショックが来て、日本は大変なことになる」と騒いでいましたが、
実際には何も起きませんでした。
それは、単なるエピソードに過ぎなかったオイルショックを、
多くのエコノミストがトレンドだと見誤ったからです。

では、どうすれば、エピソードかトレンドかを見極めることができるのでしょうか。
長谷川先生は、情報を集めるときは事象よりも原因に目を向けよと言います。
「風が吹けば桶屋が儲かる」のように、
一見ななんの関係もなさそうに見える情報の間にも必ず繋がりがあるわけで、
それを見ぬくことが大切だということだそうです。

そういえば、先生は生前、「これからは中国に注目しろ」とおっしゃっておられました。
私も、そう思います。
年間数十万件も暴動が起きているうえ、
人民解放軍も、それぞれの軍区で独立国のように振る舞っているので、
内乱が懸念されますが、
日本には、有事の際、中国本土にいる13万人超の邦人を救う手段がありません。
アメリカは、そういう有事を想定して原子力空母3隻を日本近海に配置しているのに、
平和ボケなのか、日本はなんの手当てもしていません。
仮に中国が破裂すれば、北朝鮮や韓国も危機に陥るはずで、
韓国が経済的に頼らねばならないのは日本でしょう。

余談ですが、韓国は北朝鮮との南北統一を目指していますが、どうなのでしょうか。
かつて東西統一を成し遂げたドイツ。
当時、調べたのでよく覚えていますが、西ドイツの人口は6000万。
対して、貧しかった東ドイツは1/3の1800万でしたが、
経済格差を埋めるのは相当大変そうでした。
いま、韓国は4600万人なのに対して、北朝鮮は2300万人で、1/2。
つまり、南北統一は、ドイツの東西統一よりも負担が大きいのです。
すなわち、韓国は、将来のことを考えれば、隣国・日本と、
もっと仲良くしておいた方がいいと思うんですがね。

このように考えると、私の外交的視点は長谷川先生の影響が濃いかもしれません。
亡くなられて2年ほど経ちましたが、日本は迷走したままです。
先生がご存命ならなんとおっしゃるでしょうか。

[SE;KICHI]

罪は罪

電車で刃物を振り回し人を傷つけ、
あげくにオイルをまいて火をつけて死にたかったとか、
それを模倣した事件を起こすとか、何を考えているのでしょう?

死にたかったとか死刑になりたかったとか、訳わかりません。
死にたいなら人を傷つけないで勝手に死ねばいいと思ってしまいます。
私は極端なのでしょうか?
その前に治療を受けるとか友人に相談するとか、あるように思えます。
病気と認識がなくても、人殺しをしようと思うことが普通の訳がありませんから。

警戒を強めるといっても、人が多いところなら、いつでもどこでもやれてしまう。
効果的な対応策は思い浮かびませんが、ますます怪しげな世の中になっていくようで…

ボールを投げられない子どもがまた増えてしまう。

子どもに熱湯をかけたとか食事を与えないとかのニュースも、気分が悪くなります。
私も息子に手を上げた事がありますが力加減とか、
そんなレベルの話ではないでしょう。

もうお前も熱湯をかけられ、同じ目にあって、罪を感じればいいと思ってしまいます。
極端なのでしょうか?

もっと有り得ないと感じるのが、複数人も殺人をしておいて、
無罪を主張するってどうゆうことでしょう?
いや本当は殺してなくて冤罪だ・・・ならわかりますが、
殺したことは認めているのに無罪ってどうゆうことでしょう?

精神疾患だったら人を殺してもいいということでしょうか?
裁判を進めるために、とりあえず無罪と言っておこうということなのかもしれませんが、
それにしても有り得ないと思います。
またそれを放送する番組も、見ているだけで気分が悪くなります。
極端なのかもしれません。
感情的なのかもしれません。

でもそう思ってしまう。

故意ではなく交通事故を起こしてもペナルティがあるのに。

ちょっと感情的な感じになってしまいました。

[WAKA]

岬めぐり

白尾燈台

いや、これはまた、いい写真ですねぇ。

そこそこ前の話になりますが、
仕事のPRの一環ということでラジオ番組に出演する機会があり、
石川県の「FMかほく」というラジオ局に向かいました。
そんな頻繁に訪れる場所ではないため、土地勘があまりなく、
余裕を持って出たところ、生放送開始の1時間も前に到着してしまい、
することもなかったため、近くを散策していたところ、
出くわしたのがコレでした。

白尾燈台、というのだそうです。

ただし、この白尾燈台は2018年に灯台としての役目は終えており、
いまは、ただの、背の高い建造物となっています。

豊漁を司る恵比寿神社と、船を導く近代設備としての灯台の隣接は、
古代と現代の融合のようで、斬新な気もします。

ところで、灯台といえば、なんとなく、『岬めぐり』という歌なんかを思い出すものですが、
この灯台の珍しいのは、
岬の先などでない直線的な海岸線にあることです。
まぁ、実は『岬めぐり』の歌詞には灯台なんて出てこないので、
勝手なイメージで話しているだけなのですが。

そういえば、吉田拓郎が小柳ルミ子に提供した、
『赤い灯台』という曲がありましたね。
〽︎カモメ群がる 防波堤の先には…というあの曲ですが、
その曲のせいで、私は灯台とは赤いものだと思いこんでおり、
この白尾燈台の白さと、腰から下の爽やかなブルーには驚いたものです。
もしも、この白尾燈台が赤かったなら、
隣の神社とのコントラストが下品なものになっていたことでしょう。

白尾燈台 銘板

調べて分かったのですが、灯台には固有の銘板があり、
ビルの定礎のように、「初点」とか「改築」とかを刻みつけてあります。
それによれば、白尾燈台の初点は大正3年だそうで、
それは1914年、第一次世界大戦が勃発した年です。
もちろん、途中、昭和42年に改築はされてはいるものの、
基本的に、ずっとここに立って海を照らしていたのかと思うと、
すごく感慨深い気分になります。

さて。
前述の通り、この白尾燈台は2018年に灯台としての104年の働きは終えており、
光を発さなくなった現在は、単なる「ウドの大木」となっています。
急いで解体するようなものでもないですが、
建築物ですから、永遠にここに立っていることも難しく、
きっといつか、膝を屈する日も来ることでしょう。
第一次世界大戦からコロナパンデミックまで、
100年以上を見続けた燈台にとって、
日本はどのような国だったでしょうか。

自身が朽ちていくなかで、燈台は何を思うのでしょうか。

[SE;KICHI]

ぎゅっぎゅっと再会の秋

10月半ば辺りから、徐々に友人達からお誘いの連絡をもらうようになりました。
2年ぶりくらいでしょうか、
もともと頻繁に会うわけではないのですが、
さすがにここまで間があくことは無かったですね。

ランチを食べながらお互いの近況を報告しあい、
前に会った時よりも良い方に転じている友人にほっとし。
また、会わない間にそんな出来事があったのかと心痛めることが起きていた友人も。
自身のことや家族のことなど話は尽きません。
深刻な話にもなりますが、笑いも絶えないです。
意見や情報を訊きたくて相談することももちろんありますが、
ではなく、自分の中では解決し、
気持ちに整理をつけたからこそ話したいってこともありますよね。
だから明るく伝えるって事を敢えて心がけているようにも感じます。
乗り越える術を共有し、パワーを注入し、
その時間と相手がいるってことがとても貴重なんだと、
しみじみ実感しています。

私は器用ではないし人付き合いも苦手なので、メールやLINEもかなり限定的です。
その数少ない友人の中には保育園からの幼馴染がいます。
子どもの頃は喧嘩もしたし、時々は絶交もしていましたねー(笑)
それが、今では何を言っても言われても納得できるなんて、大人になったもんだ(笑)
絶交を子供の頃に済ませておいて幸いでした(笑)

若い頃と違って、程よい距離感がとても心地いいです、今は。
もちろん、この先も未知なるご縁があるとも思っています。
その時の年齢と環境でどんな距離感を望んでいるかはわかりませんが、
飾らないシンプルな付き合ができていたらいいですね。

短い秋も残りわずかですが、もう少し再会を愉しんできます♪
春辺りには気兼ねなく会える状況になっているといいですけどね~。

[fu~ma]

言ってくれないと分からないのよね。

少し前、隣県のとある市で、
『住み続けられる開発』というテーマのシンポジウムがあって、
不肖、パネルディスカッションのファシリテーター的なことをさせていただきました。

パネルディスカッションのファシリテートって、何度か経験はあるのですが、
それは、持論を展開したがるパネラーを抑えて裁くというミッションで、
ファシリテーターというのはパネラーの10倍は大変です。
しかし、今回は市長も臨席されるシンポジウムでもあることだし、
こちらもそれなりにしておかなくてはと、
あらかじめ、その市の総合計画を熟読して現状を把握し、
今後の見通しや社会情勢の変化などの記載にも目を通し、
そういったFactに基づいて話を展開しようと、自分なりに想定したわけです。
我ながら、真面目なもんです。

ところで、都市開発の話になると必ず出てくるのが人口減少の問題。
高齢化だったり少子化だったり、切り口は様々ですが、
要するに、人が増えないことについて、
「ヤバイ、何とかしないと」…という論点です。

これは、かねがね思っていることなのですが、
そもそも、
「少子化対策」っていう単語、おかしくないでしょうか。
「少子化対策のために子育てを支援をする」とか、
耳ざわりがいいので選挙などでよく聞くような気もしますが、
本来、令和時代の子育ての支援って、子供が健全に育つ一方、
保護者が、仕事と子育ての時間をやりくりできるようになることがゴールですよね。
結果的に世帯所得が増えたりすれば生き方の選択肢が増えるでしょうが、
それは副次的な産物であって、
まずは時間の余裕を作ることが子育て支援だとすれば、
私には、それがイコール少子化対策になるとは思えないのです。
時間に余裕ができた分、子供を作ろう……ではなく、
フラダンスでも習おうかしら……という方向に行くことのほうが普通でしょうよ。

つまり、
子育て支援と少子化に相関関係はないのではないか
ということです。
いまの少子化というのは、
時間的余裕などという子育て支援くらいで止まるような状況ではありません。
では、どうすればよいのか。
私は、1人1人の幸せを考えていくことで答えは出てくると思うのです。

いま、女性の平均寿命が87歳と伸びているそうです。
だとすれば、
平均寿命が50歳くらいのときに作られた現代日本の社会システムが、
根本的にしっくりこなくなるのは自然なことだと思うのです。
たとえば晩婚化とか、離婚の増加とか、そういうことです。

15年ほど前に「ロンサム・ジョージ」で有名になった、
ゾウガメという動物がいますね。
170歳くらいまで生きることが知られている動物ですが、
絶滅の危機に瀕しているそうです。

突然の奇妙な話の飛躍に戸惑ったかもしれませんが、
寿命が伸びるとき、代わりに個体数が減るのは自然の摂理なのかしら、
なんて思ったりします。
だって、絶滅の危機に瀕するのは気の毒ですが、
170年も生きる長寿の生物が山のように生息している生態系って、
ちょっと気味が悪いですよね。
そりゃ、生息数が少なくなるのも神様の思し召しというか、
仕方ないかなという気もします。

そう考えると、寿命が50年から100年に伸びようとしている人類って、
これから個体数が減るのかしら?とか、いろいろ妄想してしまいます。

まぁ、それは単なる妄想なので、根拠も何もないですが、
とにかく、50歳だった寿命が倍の100歳になろうとしているのは事実で、
それは、従来の人生を2回転できるようになることではないかと思うのです。
そうなると、従来の、大学出て22歳くらいから40年ほど働くというライフモデルは崩れ、
たとえば20年ごとに学びなおして、トータル60年仕事をするとか、
そんな時代が来るのかもしれないし、
石田純一みたいに、
還暦からでも2ターン目の恋愛に入る人もいるかもしれないし……。

というようなことを、
パネルディスカッションの打ち合わせで、思いつくままに話したわけです。
話した瞬間に場が静まり返り、あららと思ったのですが、後の祭り。
市長は優しい方で、「先生は博学でいらっしゃって、私どもには、何が何だか…」と、
困惑しつつもフォローしてくださいましたが、
地元選出の国会議員の先生は、
「いや、ワタシね、先生が何言ってるのか、
さっぱり分からんかったわ。ガハハ」と、配慮なし。

そう言われた私。
咄嗟に思ったのが「そんなわけあるかい!」でした。
つまり、私、自分が思いつくようなことは誰でも思っていると思っているので、
独特すぎて分からんって、そんなわけあるかい!
と思ったのでした。
結局、私の話が分からないなら、パネルディスカッションの中で、
「ちょっと待って、ぜんぜん分からん!」とか言ってくれていいですからとお伝えし、
実際、当日はそのようになったのでした。

この出来事でよく分かったのですが、
分かってないのにウンウンうなずいてくれるより、
「それ、分からん!」と言ってくれたほうがありがたいですよね。
結局、分からないと言ってくれないと分からないのです。
そうやってみんなにお願いしていこう、
また、分からないと言ってくれるありがたい仲間が周囲にいることに感謝したいですね。

[SE;KICHI]

文明の利器

もう11月だというのに、晴れれば暑く感じるくらいに気温が上がる日もあります。
ありがたいような、温暖化現象?と不安を感じるような、
そんなある晴れた日の休日のことです。

それは、息子二人の大事な公式戦と、娘の部活の送迎の重なる日でした。
息子たちはそれぞれ朝6時過ぎに出発し、開始時刻は9時からと10時からでした。
高校生の息子のほうは、いつも県外で大会が行われることがほとんどなのに、
今回は新人戦で、しかも富山県で行われるという大会、
なおかつ観に来てもらいたそうでしたので、
これは何としてもいかなければいけません。
小学生の息子のほうは、今年度(負けたら)最後の大会になる試合で、
なおかつ強豪相手ゆえに、ビデオ撮影を監督から頼まれていたので、
そちらもいかなければなりません。
そして、試合観戦後には娘を練習場所まで送迎する仕事も残っています。

車の運転があまり得意でない上に、極度の方向音痴ですが、
この日ばかりはそうも言っていられません。
文明の利器「ナビ様」に大活躍してもらいました。
まあ、この日ばかりでなく、わりと活用している方だと思いますが、
本当に助かりました。

9時からの試合会場までは自宅から40分強、
余裕をもって8時過ぎには出発する予定だったのに、
お昼ごはんの準備で予定より大幅に遅れ、
結局8時15分ごろに出発することになりました。
到着予定時刻は9時ちょっと前。
まずい。

土曜日の朝ということで、バイパスが割と混んでおり、到着予定時刻は9時オーバー。
この先も渋滞があるとさらに遅くなる。
やばいやばいと思っていると、
脇道のところに同時刻と表記されていたのが目に留まり、
すぐさま迂回することにしました。

その後もナビ様に従い、おかげさまで渋滞にはまることはなく、
途中工場のわきのようなところを走り、不安に駆られながらも無事9時ごろ到着。
結局、車を停めるところがあまりなく、もたもたしていたので少し遅れはしましたが、
それでも当初の予定通り1時間ほどはビデオ撮影することができました。

キリのいいところでその場を引き上げ、
次はそこから30分ほどかかる球場へ移動しました。
ナビ様のおかげで道に迷うことなく、
お天気がよく海沿いの道路(とはいえ、海が見えたのはほんの少し)でしたので、
むしろドライブしているような気分になり、
少しだけ休日を満喫している錯覚を覚えました。

両球場とも、大会ということで車を停めるのに苦労しましたが、
中途半端とはいえ予定通り二人の試合を観戦することができ、大満足でした。
そして、娘の送迎にも迷わずナビ様を利用しました。
本当にありがたいことです。

スマートフォンを保有していますが、あまり機能を使いこなせないので、
自分はガラケーでもいいとは思うのですが、
ナビが使えるのは本当にありがたく、スマホにして一番良かったと思える点です。

ただ一つ難点があるとすれば、
「目的付近に到着しましたので案内を終了します」と強制終了されること。
すぐさま目的地がわかるときもあるのですが、
どこが目的地かわからないまま案内を終了されることがあるので、
最後まで案内して!と言いたいです。
どなたかわかりませんが、そこのところ何卒よろしくお願いします。

[okei]

続・令和3年に渡部昇一先生を偲ぶ。

前回、渡部昇一さんの教えとして、自助努力が大切と言いました。
そして、それは、本能だと。
道徳的にこんこんと諭され、
そうしなくちゃと渋々取り組むのであれば、それは義務だけれど、
本来、自分の大切なものを自分で守るのは、本能なんだと。
そのようなことよくおっしゃていたなぁと、偲びました。

政府について、この本能に絡めてざっくり言うと、
「本能を眠らせていていいですよ」というのが、いわゆる『大きな政府』、
「本能を大切にしましょうね」というのが『小さな政府』ということになりましょう。
もちろん、目指すべきなのは『小さな政府』のほうです。
つまり、自分の生活は自分で守るという本能を大切にして、
国から面倒を見てもらうのは最低限にしようということですね。

ところが、個人が自分の生活を守ろうとする時、障壁となるものがあります。
税金です。
現在、日本の所得税率は最高40%で、およそ半分を国に取られる形になっています。
これでは自助努力を発揮しようとしても、なかなか難しいかもしれません。
実際、まったく納めていない低所得者もかなりいます。

かつて、ソ連の経済的な解体を的確に予言した、ハイエクという経済学者がいましたが、
そのハイエクは「どんな国も所得税は15%以下で足りるはずだ」と述べていました。
事実、日本の財務省もの試算でも、
「全ての人が税金を納めるなら、税率は7%でも足りる」という結論を出しています。
国内総生産をざっくり500兆とすれば、その7%って35兆ですよね。
これは、所得税を7%にしても、国は35兆は確保できるという意味です。
現在、国の所得税収入は16兆ほどしかなく、
間接税も含めて、足りない分をなんだかんだと税金を取っていますが、
たぶん、所得税を10%くらいにするだけで、間接税もいらなくなるし、
税収はほとんどをバーできるようになるのではないかと思うのですが。

憲法は29条で「私有財産を冒してはならぬ」と定めているのに、
次の30条には「国民は法律の定めるところにより納税の義務を負う」
なんて書かれています。
つまり、法律で決められてしまえば、所得税100%だって徴収できちゃうわけです。
納税とは、自分たちの社会を改善する、薄く広い募金のようなものなので、
私は、正当な税金を支払うことは美しいことだと思っていますが、
ノルウェーとかフィンランドのような高い税率だと、
国民の働くモチベーションが下がることでしょう。
だから、私は憲法を改正して、MAX10%とか、
最高税率を規定したらいいのにと思うのです。
国民の権利を守るため、国が勝手なことをできないようにするということです。

渡辺先生はもう一歩踏み込んで、相続税の全廃も提唱しておられました。
私も、以前、相続税として数千万円を納めたことがありますが、
渡辺先生によれば、
そもそも、相続した金品は、いろいろな税金を取られた上で貯めたもので、
死んだからと言って、さらに税をかけるなんておかしいとおっしゃっておられました。
本当に、その通りだと思います。

よく思うのですが、日本人は「お上」に頼りすぎです。
たとえば、アメリカなんかだと、自助努力の精神がベースに残っていて、
実に健全だと思うのです。
以前、オバマケアなどと言って、国民皆保険を目指していましたが、
反対運動も強く起きましたよね。
そりゃそうでしょう。
自助努力の観点からいけば、
自分が保険に入るかどうかは、自分で判断すべきなわけで、
なんで、そんなこと「お上」に指図されるわけ?となるわけです。

また、アメリカの偉いところは、慈善活動が盛んなことですかね。
日本は自分のことばかり考えている人が多いので、
何かメリットがない限りは他人のために財布を開かない方も多いですが、
アメリカだと、たとえば高校でスポーツが上手かったり、
数学の成績優秀だったりすると、
誰か、あしながおじさんのような個人か団体が現れ、
大学に進むための奨学金を用意してくれるのだそうです。
つまり、何か少し才能があれば、民間の支援を受けて道が開けるという、
社会としての共通認識があるということです。
そういう社会では、個人個人、自分の才能を磨くようになるでしょうから、
突出して目立つことを忌避する日本とは、えらい違いです。

アメリカは、よく差別の国だと揶揄されますが、
私は、アメリカの“能力差別”はとてもよいと思うのです。
人種や性別、年齢に肉体的特徴など、差別してはならないものもありますが、
そういうものに関係なく、
能力のある人を出世させないことは許されないことです。
渡辺先生も、
能力で差別すると適材適所が徹底されていいとおっしゃっておられましたが、
その通りでしょうね。
 
一方、日本では、同一労働同一賃金とか言って、
国民を、能力と無関係に平準化したがっています。
そういうところから、国力が衰微していくような気がして、
少し残念な気もします。

渡部昇一先生
https://nikkan-spa.jp/plus/1320610

[SE;KICHI]

ゲームの思い出

スーパーファミコン
https://www.famitsu.com/news/202011/21209897.html

「スーパーファミコン」
略してスーファミ!
懐かしいですよね!?
任天堂を代表する、否、日本を代表するゲーム機であることは間違いなさそうです。
このゲーム機で遊んだことがある方は、おそらく私より上の世代が大半で、
下はおろか、同世代でもお下がりを遊んだくらいの方々しかいないと思います。
1990年に発売され、全世界でもヒットし、2003年までには生産終了されました。
かなりなロングランです。

最近は"Switch"だの"プレステ5"だの"VR"だの、
ゲームのレベルも技術も上がりに上がって、
やや頭打ちになりつつあるのではないかと思うほど、
広く大きな、大きすぎるようなコンテンツになってしまいました。
私も中学生以来、ゲームはやらなくなってしまいましたので、
全くもって最近の流行りにはついていけません。
時代の変化は早いもんです。

私が少年時代の頃といえば、
テレビゲーム機では"プレステ2"と"ゲームキューブ"が出たばかりで世は大騒ぎ。
大体この2つがコンテンツの中心で、
クラスの子供達はどちらかに夢中になりました。
携帯ゲーム機ではゲームボーイアドバンスがマスト。
SPなんてのも派生で出て、ゲームボーイカラーから見た目だけでなく、
機能も大幅に向上した記憶があります。
これまた大人気で大体の子はポケモンなんかと一緒に持ってたと思います。

中学になると、"ニンテンドーWii"や"プレステ3"が出たり、
"ニンテンドーDS"、"PSP"といった新時代のゲームが登場して、
ゲーム界に大きな革命が起きました。
私も少しはプレイしましたが、
この頃からついていけなくなったかもしれません。
価格も大幅に高くなりました。
部活や勉強など、いろいろあって触れる機会も大幅に無くなりました。

話は戻りますが、
この頃私、冒頭で申したような、
懐ゲーまたはレトロゲームがとても懐かしく思います。

振り返ると、私の家に初めてゲーム機がやって来たのは、小学生の半ばの頃、
皆が当たり前に持っていたような"プレ2"や"キューブ"などではなく、
"セガサターン"という、古臭いマニアなテレビゲーム機。

セガサターン
https://www.amazon.co.jp/BEST-CHRONICLE-%E3%82%BB%E3%82%AC%E3%82%B5%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3-HST-3200-%E8%89%B2%E5%88%86%E3%81%91%E6%B8%88%E3%81%BF%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB/dp/B07ZTDW238?th=1

父が中古の美品を用意してきました。
どんなゲーム機かは知りませんでしたが、
ついに我が家にもゲーム機がやってきたこともあり、
嬉しくてたまりませんでした。
どのソフトで遊んだかはあまり覚えていませんが、
ストリートファイターとか闘神伝とか首都高バトルとか、いろいろプレイしました。
しばらくすると、また父が中古のゲーム機を買ってきました。
それが、皆さんご存知のスーパーファミコンです♪
当時発売から15年近く経っていましたが、周りではやってる人が一部だけいて、
うちに来る前から遊ばせてもらっていたこともあるので、
とても楽しいゲーム機であることは知っていました。
ソフトの種類も豊富で、様々なソフトを持っているコレクターがいました。
現在でも大人気機種であるので、
中古販売店でソフトによっては数万のプレミア価格が付くなど、
多種多様な展開がされています。
例えば有名なのは「マリオカート」。
言わずと知れたマリオシリーズの人気ゲームです。
その面白さは説明不要で、今みたいにキャラやアイテムが良い意味で多くなく、
遊びやすく楽しい、誰でもプレイできる絶妙なソフトでした。
また「マリオワールド」「マリオRPG」などやり込みました。
特にハマったのは「ヨッシーアイランド」というゲーム。
(マリオのキャラについては説明は割愛します。)
スーパーマリオがやるようなことをヨッシーがやるものなのですが、
作り込みが素晴らしく、
一度プレイするとやめられなくなる面白さは今でも忘れません。
その他格ゲーなどやり込んだものは多々あります。

なかでも私が最もハマったソフトが、
「スーパードンキーコング」のシリーズでした。
これは任天堂が開発したアーケードゲーム「ドンキーコング」シリーズの、
続編的位置付けをされているものの、
それを元にイギリスのレア社が独自に開発した横スクロールアクションゲームです。
一般にスーパーマリオなどと同じような横スクロールを使ったゲームになります。
物語としては、主人公ドンキーコングとその相棒ディディーコングを繰り、
クレムリン軍団と言われる敵キャラのワニ達を相手に、
奪われたバナナを取り戻すことが物語の大筋となります。

このゲームの面白さは、
痛快なアクションだけでなく、そこに出てくるキャラにもあります。
主人公側のキャラの多彩さは無論、
敵キャラのパターンの多さ、ボスキャラのどこか憎めない難しさ、
ラスボスのチート級のしぶとさなど、それだけでも笑ってしまうような内容。
ステージのバリエーションも豊かで、全く飽きのないクセのある楽しさがありました。
映像も綺麗で、当時最新の3DCGを用いており、
複数の色を交互に高速に点滅させることで、
スーパーファミコンの持つ性能以上の色数を表現したとされるほど、
当時としては有り得ないほど綺麗な映像美も魅力でした。

『スーパードンキーコング』『スーパードンキーコング』プレイ
https://yagino.net/game-review/hardware/sfc/super-donkey-kong/

1994年発売「スーパードンキーコング」、いわゆる1では、
主人公ドンキーコングと相棒ディディーコングを繰り、
2人で協力しながらクレムリン軍団に立ち向かう話。
舞台は彼らの島であるドンキーコングアイランド。
奪われたバナナを取り返す為、
30近いステージを攻略しながら進めていく本作は、記念すべき1作目です。
基本的にはドンキーかディディーどちらかを操りながら操作していくのですが、
ダメージを喰らうと一時退場し、
DKと描かれているタル(バレル)を壊すと戻ってくるので、
いつも2人がいるわけではないのです。😭
なるべくライフを減らさず、2人でいることがベストです。
(この設定は後の作品にも引き継がれる基本的なスタンスとなりました。)
敵キャラの特性やステージのコツなど、2人それぞれ得意不得意があるので、
そういった戦略を練りながら進めるのも楽しみでした。
誰がやっても楽しめる名作といえ、
今も原点にして頂点と言える、絶大な人気を誇ります。
(筆者の誕生年と同じです…)

翌年1995年、さらにパワーアップして戻ってきたのが、
「スーパードンキーコング2」です。
ディクシー&ディディーという副題を与えられたのから分かるように、
新たにディディーコングのガールフレンド、
ディクシーコングという女の子が主役キャラとして出てきました。
2なので、前作の続編です。
バナナを取り返した後、平和に暮らしていたドンキー達ですが、
ドンキーがクレムリン軍団に攫われてしまい、
バナナの引き渡しを交換条件として要求してきたことから、
彼を取り返す為に新たな冒険に出るという話です。
前作よりもグラフィックは向上し、アクション数も大きくなりました。
ステージのおまけコーナーであるボーナスステージのやり込み度も上がり、
それらをプレイし尽くさないとパーフェクトにならないなど、ゲームの完成度は上がっています。
舞台は今度はクレムリン島という、敵キャラの本山で、
難易度もパターンも桁違いにはなっていますが、
私も含め、多くのファンが2の方を支持している方も多いと思います。
音楽もゲームミュージック界では名曲と言われるものが多く、
未だに世界中で人気を得る作品でしょう。

更に翌年1996年、
またまた続編として「スーパードンキーコング3」が発売されました。
謎のクレミス島という副題の通り、クレミス島というところが舞台。
前作のディクシーコングを主役に、
新キャラのディンキーコングという赤ちゃんだけど身体がめちゃでかいコングと、
またまた攫われたドンキー、そして前作のディディーを奪い返す話です。
(タイトルにもなる主役が、何回捕まってるのやら…お間抜けキャラか…笑)

アクションも新たに増え、アイテム数もバリエーションが豊かに。
更にステージの難易度も上がりました。
やはりクレムリン軍団は強力になって健在で、倒すのも難しくなりました。
それでいて映像美は最高レベルになり、
プレイはもちろん、見ているだけでも楽しい作品になりました。
音楽担当は別の人になりましたが、
私にとっては懐かしいステージの曲がいっぱいある作品で、
初めてプレイしたのが、この3だったものですから、特別思い入れがありますね。
当時は次世代機である、"ニンテンドー64"が発売されていたのにも関わらず、
それらの作品より売り上げを上げたほどの作品。
決してドンキーの人気は下がっていないと証明したようなものです。
はっきり言って、これらの3作品で人気を不動にしたものと言って良いかと思います。

そんな「スーパードンキーコング」シリーズは、
スーパーファミコンでは1,2,3まで作られました。
(余談ですが、敵のラスボスは皆クレムリン軍団のボスであるクルール達。1はキングクルール、2はキャプテンクルール、3はバロンクルールと、皆ほとんど同じ顔のデカいワニなのですが、どうも嫌いなれないんですよね〜笑 味のあるキャラ達です。)

発展的に見ては、"ゲームボーイカラー".などにも進出、
その後の"64"にも出、その後に続くニンテンドーの媒体にはほぼ必ず出ています。
現在では"switch"でもリバイバルとしてプレイできるのが、
いかに愛されているシリーズかということの証拠でしょう。
リターンズなる作品が先日発売されたみたいです。
ぜひやってみたい!!

と言っても、懐ゲーは、まだ動くのなら、
家にあるスーファミでプレイしたい!
点くかな!?

早速動かそうと、10数年ぶりにゴソゴソしている今日この頃です。

[K.K]
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