他人様のもの
ようやく全国的に緊急事態宣言が解除されることになりましたが、
ここ富山でもつい最近まで蔓延防止措置が適用され、
本来ならば子供たちのスポーツの関係で不在にしがちな週末に、
しっかりとおうち時間を過ごしました。
自粛期間中なのでおいそれと外出するわけにもいかず、
また、なかなか私たちにはない貴重なおうち時間でしたので、
この機会に子供部屋の配置替えを行いました。
この家を建てる時、
子供部屋は将来的には二部屋にできるようにと、広い子供部屋を設けました。
でも、現実は子供が三人。
仕切る予定だった箇所に壁を作ってしまっては二部屋しか作れません。
そこで、子供部屋の隣にある物置部屋も子供部屋の一部にすることにしました。
さて、ここで問題になるのが物置部屋にある荷物です。
我が家は義父母との同居で7人家族ということに加え、
物を捨てられない性分の義母がいることから、
おそらくよそのお宅よりも物が多いと思います。
本当ならば、義父母は一階で生活をしているので、
義父母の荷物は一階にあればいいのですが、
なにせ物が多いため二階にも置かざるをえません。
なかでも大きな存在となっているのが義母の和ダンスです。
実をいうと、このタンスは17年間、
何度開け閉めされたのかわからないくらいに放置されていました。
私の勝手な決めつけかもしれませんが、
あってもほんの数回しかあけられてはいないのではないかと思っています。
もともと物置部屋ということでコンパクトな間取りになっているので、
ドーンと鎮座している和ダンスには動いてもらわないと、
居住スペースにするには手狭になってしまいます。
モノの出し入れがないのであれば、
その大きい体で壁代わりになってもらうのがいいのでないかと、
そんな安易な考えで、深く考えもせず、間仕切り代わりに配置しました。
そして、壁際にベッドを配置するような感覚で、
引き出しのところにベッドをつけて配置してしまったのです。
つまり、引き出しを開けられない状態にしてしまったのです。
ここで気づくべきでした。
私の持ち物ではないのに、勝手に移動し勝手に配置してしまい、
タンスがタンスとしての機能を果たすことができなくなってしまったことに。
本当にバカでした。
しかし、その時はそんなことに一ミリも気づかず、
ただただ子供部屋を作ることを考え、
不要なもの、要るもの、どこに置くか、それしか考えませんでした。
子供の机、ベッド、
それからこれからも一緒に生活することになったモノたちが所定の場所につき、
さあ、これで快適な生活ができるね!と安堵して月曜日仕事へ行き、
帰宅してご飯の支度をしていると義母が手紙を持ってきました。
とてもショックだった、泣き崩れたと言われ、
書かれた手紙には「私はまだ生きています」と。
言われた瞬間、「ああ、またやってしまった」と思いました。
私はすぐさま謝り、ただ謝り、子供たちの部屋を作ることに夢中になり、
勝手に移動させてしまって申し訳ありませんでしたと、伝えました。
お嫁に来てまだ間もない頃、
義母を怒らせ、家中が凍り付いたようになったことを経験してから、
もう二度と義母を怒らすまいと心に決め、
なんと思うことがあっても表には出さないようにと(駄々洩れだったかもしれませんが)、
努めてきました。
それなのに、やってしまった・・・。
どうしようもない後悔の念と、
即座にやり直したい思いを胸に夕飯の準備を終え、
そんな気持ちでご飯なんぞ喉を通るわけもなく、
一人で再び配置換えを行い始めました。
今思い出してもあの時の私はすごかったです。
大人2人、中高生各1名ずつ、計4人で動かした和ダンスを、一人で動かしました。
ベッドも、勉強机もです。
主人は勤務中で、頼りの高校生男子は入浴中。
週末まで待ってくださいと義母には先に伝えましたが、
こんな状態で1週間は私の心臓が持ちません。
一刻でも早く、まさにそれがあの時の私にはぴったりの言葉でした。
無事に配置換えを終え、改めて謝罪に行き、
本当に悪気がなかったこと、申し訳なく思っていることを伝え、
それは理解していただけて、今ではもう元に状態に戻りはしましたが、
その日の夜、
ほとんどのび太君のように横になるとすぐさま睡魔に襲われるこの私が、
朝方になるまで寝付くことができませんでした。
もう金輪際、人様のものを自分のもののように勝手に扱わないことを決めました。
私以外の誰しもがもうご存知の事でしょうが、
自分以外の持ち物の取り扱いにはくれぐれもご注意ください。
[okei]
ここ富山でもつい最近まで蔓延防止措置が適用され、
本来ならば子供たちのスポーツの関係で不在にしがちな週末に、
しっかりとおうち時間を過ごしました。
自粛期間中なのでおいそれと外出するわけにもいかず、
また、なかなか私たちにはない貴重なおうち時間でしたので、
この機会に子供部屋の配置替えを行いました。
この家を建てる時、
子供部屋は将来的には二部屋にできるようにと、広い子供部屋を設けました。
でも、現実は子供が三人。
仕切る予定だった箇所に壁を作ってしまっては二部屋しか作れません。
そこで、子供部屋の隣にある物置部屋も子供部屋の一部にすることにしました。
さて、ここで問題になるのが物置部屋にある荷物です。
我が家は義父母との同居で7人家族ということに加え、
物を捨てられない性分の義母がいることから、
おそらくよそのお宅よりも物が多いと思います。
本当ならば、義父母は一階で生活をしているので、
義父母の荷物は一階にあればいいのですが、
なにせ物が多いため二階にも置かざるをえません。
なかでも大きな存在となっているのが義母の和ダンスです。
実をいうと、このタンスは17年間、
何度開け閉めされたのかわからないくらいに放置されていました。
私の勝手な決めつけかもしれませんが、
あってもほんの数回しかあけられてはいないのではないかと思っています。
もともと物置部屋ということでコンパクトな間取りになっているので、
ドーンと鎮座している和ダンスには動いてもらわないと、
居住スペースにするには手狭になってしまいます。
モノの出し入れがないのであれば、
その大きい体で壁代わりになってもらうのがいいのでないかと、
そんな安易な考えで、深く考えもせず、間仕切り代わりに配置しました。
そして、壁際にベッドを配置するような感覚で、
引き出しのところにベッドをつけて配置してしまったのです。
つまり、引き出しを開けられない状態にしてしまったのです。
ここで気づくべきでした。
私の持ち物ではないのに、勝手に移動し勝手に配置してしまい、
タンスがタンスとしての機能を果たすことができなくなってしまったことに。
本当にバカでした。
しかし、その時はそんなことに一ミリも気づかず、
ただただ子供部屋を作ることを考え、
不要なもの、要るもの、どこに置くか、それしか考えませんでした。
子供の机、ベッド、
それからこれからも一緒に生活することになったモノたちが所定の場所につき、
さあ、これで快適な生活ができるね!と安堵して月曜日仕事へ行き、
帰宅してご飯の支度をしていると義母が手紙を持ってきました。
とてもショックだった、泣き崩れたと言われ、
書かれた手紙には「私はまだ生きています」と。
言われた瞬間、「ああ、またやってしまった」と思いました。
私はすぐさま謝り、ただ謝り、子供たちの部屋を作ることに夢中になり、
勝手に移動させてしまって申し訳ありませんでしたと、伝えました。
お嫁に来てまだ間もない頃、
義母を怒らせ、家中が凍り付いたようになったことを経験してから、
もう二度と義母を怒らすまいと心に決め、
なんと思うことがあっても表には出さないようにと(駄々洩れだったかもしれませんが)、
努めてきました。
それなのに、やってしまった・・・。
どうしようもない後悔の念と、
即座にやり直したい思いを胸に夕飯の準備を終え、
そんな気持ちでご飯なんぞ喉を通るわけもなく、
一人で再び配置換えを行い始めました。
今思い出してもあの時の私はすごかったです。
大人2人、中高生各1名ずつ、計4人で動かした和ダンスを、一人で動かしました。
ベッドも、勉強机もです。
主人は勤務中で、頼りの高校生男子は入浴中。
週末まで待ってくださいと義母には先に伝えましたが、
こんな状態で1週間は私の心臓が持ちません。
一刻でも早く、まさにそれがあの時の私にはぴったりの言葉でした。
無事に配置換えを終え、改めて謝罪に行き、
本当に悪気がなかったこと、申し訳なく思っていることを伝え、
それは理解していただけて、今ではもう元に状態に戻りはしましたが、
その日の夜、
ほとんどのび太君のように横になるとすぐさま睡魔に襲われるこの私が、
朝方になるまで寝付くことができませんでした。
もう金輪際、人様のものを自分のもののように勝手に扱わないことを決めました。
私以外の誰しもがもうご存知の事でしょうが、
自分以外の持ち物の取り扱いにはくれぐれもご注意ください。
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