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もうすぐ収穫

お米の収穫が始まりました。
早生品種は8月末から刈り取りです。

今年は我が家の田んぼは「コシヒカリ」ですので、
9月初旬からなので事前に周囲の畔の草刈りを行います。
事前にって書きましたけど、
今年は雨も多かったので雑草の伸びるのも早く、
7月くらいからちょくちょくやっています。
暑いので一度に何時間も作業できないので、
2時間ほど刈ると、
「今日はこれくらいにしといてやるか」と、
自分に言い聞かせます。
そうすると全て刈った頃には最初にやったところが伸びてきます。
きりがありません。

お客様のとある部長は、道具にもこだわり、雑草が生い茂ることはなく、
毎週キレイに刈っておられるとのこと。
いや~私には無理ですね(汗)
いろいろ道具などお勧めいただいたりしましたが、
私はそんなに気持ちが入っていないのでついていけません…

草刈りもですが、田んぼの中に生える雑草が問題です。
田植え後から水の管理に気を付けて、
除草剤が効くように気を付けてはいたのですが、
ついに稗がポツポツと生えてきました。

短いうちに時間を見て取ってはいたのですが、稲が伸びてきて見えにくくなり、
刈り取り2週間前になって目に見えて多くなってきました。
このブログを書いている朝も除草しに行っていたのですが、
途中であきらめました。
もう一人の力でどうにかなる感じもしないので、
俺の責任ではないと言い聞かせて…  
刈り取り脱穀の際に稗はほぼ吹き飛ぶだろうし…

刈り取るまでの要は見栄え。
あいつの田んぼは雑草だらけと思われるのが嫌なだけ。
ただ最近は農道をウォーキングしている人が多くて(汗)
俺の責任じゃないよと看板掲げたいくらいです。
はやく刈り取ってくれないかな~

[WAKA]
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夏の戦い!

ある昼下がり。
外出先から事務所に戻った私は、オンライン会議のためにzoomに繋いだのですが、
わりとしょうもない会議だったので、
あまり誉められたことではありませんが、会議には耳だけ参加することにして、
ミュートに設定のうえ、別の仕事を淡々とこなしておりました。
と、そこへ、事務スタッフが「あとで話があります」と、
深刻そうに話しかけてくるではありませんか。

古今東西、「あとでお話が……」はロクな話ではないと相場は決まっていますので、
会議がしょうもないことも相まって、ドキドキしながら時間を過ごしたのでした。

会議後、恐る恐る話を聞くに、
数ヶ月前から、ピロティの天井に泥のようなものがへばりついている。
どう見ても泥だが、先日、蛾がそこに止まっているのを見た。
そういえばテレビで蛾の大量発生のニュースをやっていた。
もしや、あれは、そのニュースでやっていたマイマイガの卵ではないか。
仮に、あれが蛾の卵ということになると、ちょっと冷静ではいられない。
駆除してもらえないだろうか
-ということでした。

だいたい、このスタッフはそういうことを言う人物ではなく、
どちらかといえば、なんでも自分でやるタイプの人です。
仮にそれが苦手なことだとしても、人に頼んだりはせず、
忌々しさを全身に漂わせながら自分で片付ける人なのです。
そんな彼女が頼んでくるとは、これは尋常ではありません。
ここはひとつ、彼女の要望を聞き入れて駆除を引き受けることにして、
現場確認に向かいます。

確かに、天井に砂の塊みたいなものがこびりついています。
周囲を丹念に巡回すると、その砂の塊は6箇所にありました。

泥のような塊

次に、事務所に戻り、彼女が言っていたマイマイガについて確認します。

マイマイガ……それはドクガ科に分類される蛾の1種だそうで、
そこに載っている卵の写真は、ピロティの泥のような塊に酷似しています。

マイマイガのメス
https://www.city.nagano.nagano.jp/soshiki/kankyo/91838.html

しかも、読み進めると、どういう仕組みなのか、
約10年周期で大発生を繰り返す性質があると書かれています。
彼女が先ほど言っていたニュースというのは、
富山県黒部市で、マイマイガが絶賛大発生中というもの。
どうやら今年はマイマイガイヤーとなっているようです。

とはいえ、正直、駆除とかって面倒だなと思ったのですが、
あの泥の塊には400〜600個の卵が入っているそうで、
つまり、このまま越冬して孵化した暁には、
あそこから最大600匹の幼虫が飛び出してくるわけです。
しかも、その幼虫のお姿はコレ。

ご誕生後のお姿
https://www.city.nagano.nagano.jp/soshiki/kankyo/91838.html

この写真でテンションが上がる人はおりますまい。
塊は6箇所あったので、最大3600匹の……ねぇ。
こんなのがフジロックばりに集まっているのを想像すると、
さすがに、すぐに駆除に取り掛からざるをえません。

その泥の塊は脆くて崩れやすいようですが、
その飛び散った粉に触れると皮膚が炎症を起こすそうで、駆除は完全防備。
この真夏に、長袖長ズボンに、保護メガネにアクリル手袋という、
養蜂家のおじさんのようないでたちで行います。
そして、ネットで調べた知識により自作した、
ペットボトルの、カッターで底を抜いたものが武器です。

武器

これで、その泥のような塊をこそいで、
剥がれると同時にペットボトルに落ちるというシステムです。

こそぎ落とします

これは、なんだか原始的な方法のように思っていましたが、
やってみると、非常にうまく考えられたシステムで、
すこぶる効率的に駆除できる方法なのでした。
それは、長年におよぶ人類と蛾の戦いによって得られた、
歴戦の知恵のようでした。
取り切れない分は、ガムテープでペタペタと取り除きます。

退治しました!

こうして、私は蛾との戦いに勝利し、
事務スタッフからは丁重に感謝された次第です。
私としては、少しでも普段の借りが返せたかしらと気を良くしたわけですが、
終わってみて、彼女と話すなかで気づいたのは、
これで終わったのかどうか、分からぬということ。

確かに、彼女が最初に卵の塊を発見し、
私が巡回した結果、6箇所もあったわけですが、
本当にそれで全部なのか、
目の届かないところに秘密裏に産みつけられてはいないか。
また、万全の駆除を行なったつもりでいるけど、
知らずにどこかに付着していて自宅やその他の場所に連れ帰ってはいないか、と、
そんなの、悪魔の証明ですが、
まるでコロナウイルスと同じように、キリのない疑心暗鬼に襲われます。

いやいや、3000匹を超える毛虫の襲来から会社を守ったと、
自分のことをヒーローか何かだと思い込みたいところですが、
果たしてこれで充分なのか、イマイチ信じ切れない私なのでした。

それと、もう一つ信じられないのが、
10年に一度の大量発生は、2~3年続くのだそうで……
つまり、まだまだ戦いは終わらないのでした。

[SE;KICHI]

正体は大事ですけどね。

皮膚科には結構な頻度でお世話になっています。
植物や洗剤でのかぶれに、虫刺されと思われる痒み。
とにかく一年中湿疹が絶えません。

特に夏場は多い時季なのですが、
先日も右の太ももに痒みを感じ見てみると、
湿疹が何ヵ所にプツプツと広がっていました。
取りあえず手持ちの薬を塗り様子を見ることにしたのですが、
翌日には左側にも同じ症状が出ました。
前日に家中の換気扇を外して掃除をしたので、
その際に使用した洗剤によるかぶれかな~と、薬をヌリヌリ。
そのまた翌日の夜、今度は首に物凄い痒みを感じたので鏡で見てみると、
首筋一帯に湿疹が広がっていました。
わーお、これは病院行きだわ。

湿疹を診てもらった病院は20代の頃からお世話になっています。
私も歳をとりましたが、年上の先生も同じ年月が経っていますので、
失礼ですが今ではおじいちゃん先生です。
今回はどうしました?と迎えてもらい、
簡単に症状の説明をした後、生活環境の聞き取りなど質問に受け答えし、
出された結果は「ストレスによる蕁麻疹」でした。
このストレス性蕁麻疹は、
休日リラックスしている時に発症するパターンが多いそうです。
まあ、確かに連休中でしたけど、
まったく想定していない診断結果に、へっ!?て心境です。

ここは待ち時間が短く、院内処方で診察から会計まで数十分で終わるので、
とても助かりますが、
診療内容は絞られてきているので、
症状によって手術も積極的に取り入れている病院と使い分けています。
その病院は診療内容が多岐にわたるのでとにかく混んでいます。
予約をしていても終わるまで数時間掛かるので、
緊急を要す症状以外は様子をみながら予約を入れるようにしています。

その病院で切ってもらったものがあります。
最初は小さかったのですが、
年月が経つにつれて摩擦で少しずつ大きくなったところに、
爪で引っかき、かさぶたで巨大化しました。
半袖だと腕の外側に出来たそれは目立ち過ぎるので意を決し、行ってきました。

診察後、その日のうちに切除してもらい、
帰り際に、一週間後にまた来てください、
それまでに調べておきますね。
え、調べる?
切除してもらうのが目的だったので、そこの心配はしていなかったのですが、
きっちり正体を突き止めてくれるようです。

ちょっと話はそれますが、二年ほど前から手にしびれがあり、
すぐさま脳神経外科でMRI検査をしてもらいましたが異常はなく、
その病院で勧められた神経外科を続いて受診しましたが、
レントゲンでも異常がみつからずにいました。
そんな話を最近知人にしたら、それは「更年期障害」ですよって一言。
更年期障害の症状を調べてみると確かにありました!
喜んでいる場合ではありませんが、
このしびれの原因はそれか!とストンと受け入れられて、
モヤモヤしていたものが晴れました。

さて、一週間後結果を聞きに行ってきました。
術後の腕を診てもらい大丈夫ですね~と言われ、
続いて、調べた結果は心配いりませんでしたよ、
ただの「老人性イボ」です。

うーん、そう思って受診したので想定内でしたが、
しっかり突き付けられた感がなんだかなぁ・・・(苦笑)

蕁麻疹のほうは取りあえず落ち着いています。
更年期は受け入れられるのに、老人性には反応した私でした(笑)

[fu~ma]

思いがけず、夏 〜アリアハンで学んだこと。

アリアハンの王様は50Gしかくれなくてケチだねとか、
結婚相手はやっぱりフローラよりもビアンカだよねとか、
レブレサックの神父さんのエピソードは凹むよねとか、
このところ、Clubhouseという雑談用のSNSが賑わっています。
というのも、私は観ていなかったので知らなかったのですが、
オリンピックの入場行進にドラゴンクエストの音源が使われたとのことで、
そのファンの方々で、Clubhouseが大いに盛り上がったようです。

しかし、そこでの会話を聞いていると、同じゲームを楽しんでいるにもかかわらず、
主人公たちを鍛えてレベル上げすることを楽しむ者、
とことん速く話を進めることを目指す者、
はたまた、小さなメダル集めやカジノに情熱を傾ける者、
レアなモンスターを手なずけることにやりがいを感じる者など、
ゲームの楽しみ方は、十人十色だなぁと感じます。

私自身はどうでしょうね。
客観的に考えるに、経験値を積んでレベルを上げることなど、
主人公たちを強くすることは、すごく好きなような気がします。
むしろ、ぎりぎりのレベルや装備で運に頼ってクリアするよりも、
あらかじめ、きっちりレベルを上げて、
余裕を持ってストーリーを進めるほうが好みなので、
まぁ、堅実なタイプといえるかもしれません。
しかし、一方で、小さなメダルを全部集めるのは面倒くさいと感じますし、
希少価値はあるけれど役に立たない道具にも興味がありません。
なので、いま行かないと、ストーリーを進めたら行けなくなりますよと聞いても、
興味のそそられないアイテムの場合は行きません。
たまに、「人生で大事なことはドラクエから学んだ」的なことを言う人がいますが、
私は、そんなことは少しも思いませんが、しかし、長じていま、
興味にないことには労力を使わないという自分の性格は、
このドラゴンクエストによって養われたのかもしれないとは思います。

あと、私は町とか城の配置に強い感慨を抱く傾向があるようです。
前述のアリアハンを含め、
教会や宿屋や武器屋がどのように配置されていたか、
あたかも自分がそこに旅人として到着した気分で見るクセがあって、
つまり、自分がゲームの世界に入り込んだ視点を持ちがちで、
「あ、そこを右に入ったら酒場なんだよね」とか、
妙な旅情を感じて感慨にふけったりします。

アリアハンの街並み
https://www.youtube.com/watch?v=_2CzaA9LEJA

いま、リアルな世界の温泉街などもそういう目で見ているフシがあり、
都市計画というほどではないにしろ、
街の構造に興味があるのは当時から、のようです。

あと、そのアリアハンで言えば、
アリアハンを出発して最初の大きな関門は、
ロマリアに抜ける「いざないの洞窟」ですが、
そこを抜けるために、お爺さんから「まほうのたま」をもらわなくてはなりません。
そこで、まずは、そのお爺さんの家に入るために、
「岬の洞窟」から「ナジミの塔」に向かい、
最上階にいる別のお爺さんから盗賊の鍵を手に入れなくてはなりません。
(平然と話していますが、ついてきておられますでしょうか 笑)

このナジミの塔には、バブルスライムの大群が出現しますが、
その大群に遭遇すると、たいてい誰か一人は毒にやられてしまうものです。

バブルスライム ナジミの塔
https://dragonquest.fandom.com/ja/wiki/%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A0
https://panda-chronicle-plus.com/dragonquest3-chapter02/


毒をくらっても、「どくけしそう」を使えばすぐに回復するのですが、
33年前の私は、この先のバブルスライム出現に備えて、
あらかじめ道具屋で「どくけしそう」を買って持っておくという、
誰でも考えたら分かるような発想を持ち合わせていませんでした。
そして、「どくけしそう」という備えを持たず、
毒を持つ敵がウヨウヨいる洞窟に突き進んだ結果、
当然のことながら、あえなく、全滅したわけです。

もちろん、バカではないので、いったん全滅した後は、
道具屋で「どくけしそう」を買い込み、再び洞窟に向かいます。
相変わらずバブルスライムにはじゃんじゃん遭遇しましたし、
何度も毒をくらいましたが、「どくけしそう」さえあれば、すぐに解毒できます。
私は、あらかじめ備えをしておくだけで、こんなにも楽になるのか、
先生が言っていた「備えあれば憂いなし」とはこういうことかと、
子どもながらに大いに学び、翌日、それを学校で友人に話した記憶があります。
ただし、その友人は、ごくごく普通の子で、
「どくけしそう」を持たずに洞窟に入るような迂闊な人物ではなかったため、
何を当たり前のことを力説しているのかという反応をいただいたものです。

前述のとおり、
私は、「人生で大事なことはドラクエから学んだ」などとは思っていませんが、
学ぶところがなかったわけではないな、
もしかしたら、もともと持っていた性格のようなものが、
プレイを通じて補強されたかもしれないとは思います。

というわけで、オリンピックを観戦することのなかった私ですが、
Clubhouseなどという思わぬところで、
ドラクエに興じた30年前を回想させられる、
そんな夏になったのでした。

[SE;KICHI]

覚悟と努力

決して褒められたものではありませんが、
自他ともに認める短気です。
もういい年(40代)のおばさんなので、
いい加減に大人にならないとね、とは思うことは思うのですが、
思うだけでは何ともならないものです。

世間にはアンガーマネジメントなるものがあります。
私もチラリと聞いたことはあります。
怒りを覚えたとき、好きな言葉を3回唱えるとか、〇秒数えるとか、
自分が怒っているということを客観的に感じて、
その気持ちを宇宙に投げるのをイメージするとか。

なるほど、確かに理解はできます。
そのことをすることによって、
頭に上った血がすーっと(まではいかないにしてもそれまでよりは)引いていき、
気分が落ち着き、その後の行動を考える余裕もでてくるのでしょう。

ですが、訓練次第なのかもしれませんが、
私には難しいなと思いました。
だってですよ、本当に怒るときって、
そんなこと考える余裕ないじゃないですか!

それこそいい大人ですから、
途中までは怒っちゃだめだと自分でもわかりながらその場にいるんです。
でもその内、ある瞬間、怒りのスイッチが入るのがわかるんですよね。
そうなるともう手遅れです。
瞬時に声のトーンが落ち、
相手に自分の怒りをわかってもらうために怒りのオーラも出始めます。
空気が変わると言えばいいですかね。
隠そうともしません。
大人なのに。


いやあ、大人げないな私、
周りの人に迷惑をかけていて申し訳ない、と思うんです。
冷静な今は。
でもね。
怒ってしまった後は手遅れなのです。
手遅れにならないように、
怒りのスイッチが入らないようにするためのアンガーマネジメントなのでしょうが、
これは果たしてどれくらいの人に効果があるものなのでしょうね。

まあ、
『どうしてもこの短気を何とかしなければいけない』
という危機感を持っていないことがそもそもの原因なのでしょうが、
危機感すら持たない私は駄目な人間なのでしょう。
知っています。
俗にいう開き直りです。

さて、世間にはいろんな対処法などの書籍や方法が出回っていますが、
そんな簡単に治るものなら誰も苦労はしないと思います。
ダイエットや美容に関することがいい例です。
主人がよく言うんですけど、そんなにいい商品・効果的な情報ならば、
こうして次々と新商品は出てこない、と。
まあ確かに、それで満足したり、効果抜群であれば、
新商品・新情報なんてこうも絶え間なく出てきたりしませんよね。
ただし、ちゃんと効果的に利用すれば(継続すれば)
ダイエットなんかは特に効果が出てくるのは知っています。
運動系であればなおさら、
途中でやめたり、間違ったやり方であったりしなければ、結果はついてきます。
止めたらリバウンドももれなくついてきます。

なにごとも自分が変わるための覚悟と努力が必要
・・・ということなのでしょうね。
・・・ああ、耳が痛い。

[okei]

『あの日のオルガン』

私はめったに映画などは見ないのですが、
先日、出張で訪れたホテルで、ついつい見てしまったのが、
VODで配信されていた『あの日のオルガン』

戸田恵梨香さん演じる主人公は戸越保育所の主任保母・板倉楓。
戦時下、園児たちを空襲から守るため、
園児を親元から離し、保育園ごと疎開させようという、1944年の実話だそうです。

「先生は子を産んだことがないからそんな残酷なことが言えるんだ」と、
最初は子供を手放すことに反発していた親たちも、
東京が日常的に空襲を受けるようになると、
せめて子供だけでも生き延びて欲しいという一心で、
若い保育士たちに我が子を託すことを決意します。
これは、映画の、かなり序盤のシーンなのですが、
陽月華さん演じる母親が息子の顔をしみじみ眺めながら、
息子を疎開させようと決断する場面は、
当時、実際にそういう光景があったのだろうと思うと、
一体どんな気持ちだったのだろうと、感慨深いものがあります。

保育園児を53人も抱えながらの、
ガラス戸もない荒れ寺での疎開生活は苛烈を極めました。
私たちは、そのうち終戦を迎えるという事実を知っているから、
この映画を、希望を持って観ることができますが、
当時の保育士さんにしてみれば、
先の見えない戦時下にあって、希望なんてあるわけではなく、
他人の子を責任持って預かるということがどれほど重いか、
この映画が実話であるということが苦しさを呼び起こします。

というのも、前述の、陽月華さん演じる母親とか、
何人かの親は、東京の空襲で亡くなってしまうのです。
園児は、疎開していたからこそ命を落とさずに済んだとも言えますし、
まさに、母親の疎開の決断こそが息子の命を救ったともいえるのですが、
一方で、疎開していたがために、息子は一人残されたとも言えます。
その子に保育士さんは孤児となったことを伝えねばなりませんが、
当時、20代の保育士というのは、
いまの20代よりも何倍も強く、賢いのでしょうか。

幸いにも、保育士に託された53個の命は、
失われることなく守り抜かれ、終戦を迎えます。
私は、こうして、大切な命を未来へつなぐことを願い、
毎日を必死で戦った保育士たちがいたということを、
恥ずかしながら、この映画を観るまで知りませんでした。

終戦後、53人の園児は、各々、誰かに引き取られていきます。
優しい母親が迎えにくる場合もあれば、
忌々しそうな遠い親戚が引き取りにくる場合もあり、
そこにも悲喜こもごもあるのでしょうが、
全員が去って空っぽになった直後、
戸田恵梨香さん演じる主人公が、初めて、声をあげて泣くのです。
ペちゃんと座り込んで、うわ~あ~あ~…と
当時もそうだったのか、それは分かりませんが、
他人の子を守るという使命を果たした感情というのは、
果たしてどのようなものなのでしょうか。

私は、もちろん、戦争反対とか、核兵器反対とか、
口に出しても仕方のないことを訴えたいのではありません。
丸腰だから許してもらえるなどという生半可な世界ではないので、
相応の抑止力としての武力を持つことは必要だろうと考えています。
しかし、一方で、
いま、私たちが生きている社会は、
誰かが必死で守ったものである

ということを感じざるを得ません。

暑すぎる夏、私たちは世界の大運動会やコロナの感染者数のことなどに気を取られ、
本来、この時期に思いを手向けるべきの、
誰かがつないでくださった社会への感謝を忘れているような気がします。
当時の人が、悲壮感すらにじませながら、
ときに自身を犠牲にしてでもつなげたかった未来を、
私たちは大切に生きているでしょうか。


先人の思いを無駄にしたくないものです。



[SE;KICHI]

パリは燃えているか?

有名な言葉ですが、
これは、とある番組のメインテーマ曲の方を想像する方がいると思います。

26年前の1995年、NHKが戦後50周年、NHK放送70周年、
そして映像発明100周年を記念して、アメリカのABC局と合同で取材、製作放映した、
『映像の世紀』というドキュメンタリー番組をご存知でしょうか?

『映像の世紀』
https://thetv.jp/news/detail/63625/354776/

世界30ヵ国以上の映像や記録から貴重なものを取材して収集し、
世界初の映画上映とされている『工場の出口』という作品からスタートし、
20世紀という大きな時代の流れとうねりを、
様々な視点と証言、回顧録のナレーションを通して、歴史的に並べられています。
この番組は、製作に5年以上も時間を要され、
放映された当初1995年には大きな反響を呼び、
その後何度も再放送されている、人気の番組となっています。

先日から夜中に総合チャンネルで再放送されており、
たまたま観たのですが、テレビの前から離れられなくなってしまいました。
それはただ単に、面白い内容だからとか、珍しいとか、
そんなことだけではないからです。

私がこの番組に出会ったのは、
高校3年生の総合社会という、いわゆる公民のような授業でした。
映像を視聴するのが中心で、板書だとかノートだとか、
普通の授業などと比べれば比較的楽な授業だったものですから、
もともと社会科も得意だし、割と楽しみにして臨んでいました。

いつもの様に視聴覚室というスクリーンのある部屋に移動すると、
「これから見る映像は、かなり衝撃的な映像も出てくると思う。
世界史にも通じる内容だけども、
一生に一度は目にしておくべきものだろうから、心して見るように。」
と、当時23歳の若きエリート教師の河◯先生という方が話しました。
私の高校は圧倒的に女子の割合が多い学校でしたので、
そんなこと言われても、若い女子生徒達は話しそっちのけで私語に夢中。
(まぁ母校はそういうところでしたので…)
しかし、いざ映像が始まってみると、そんな女子達も皆、人が変わったように、
映像に釘付けになってしまいました。
もちろん私も例外なく、真剣に観入っていました。

その映像は、先述の映画から始まり、
ライト兄弟の初飛行、第一次世界大戦、世界恐慌へと続く内容でした。
ドキュメンタリーなので、本物の映像と証言が続く内容でしたが、
その内容があまりに衝撃的で、生々しいのです。
20世紀は戦争の世紀とも言われていますから、
もちろん塹壕の映像や兵器、毒ガスなど、戦争の映像も多く残っていました。
当時の生活の様子から悲惨な戦争の映像まで、
過酷な時代を生きた人々の様子は、観る者を釘付けにしました。
結局、皆、静まりかえって、真剣に観ていたのを覚えています。

次の授業も、その続きからでした。
次は、“第4集 ヒトラーの野望”と“第5集 世界は地獄を見た”というタイトルで、
連続して視聴しました。
その内容は、
主にあのナチス・ドイツの指導者アドルフ・ヒトラーが権力を握るまでの過程と、
その後のドイツが中心となった、第二次世界大戦までの構成でした。
時代として、1920年代〜30年代、40年代前半のドイツを中心に、
世界の情勢が描かれています。

1940年に大衆に敬礼するアドルフヒトラー
https://ichi.pro/adorufu-hitora-no-yuiitsu-no-kyofu-42776171931054

第一次対戦の敗戦後、彷徨える国民に、
熱っぽく訴える新しい思想、ファシズムの指導者の登場に、
ドイツ国民は新しい指導者を求めた、そんな時代の狂気。
ヒトラー政権発足後は、公共投資やアウトバーン完成などからの工業化による、
立国と雇用対策といった内政面の成功に加え、
外政では禁じられていた再軍備を推し進めて軍事大国と化していく様が、
生々しく映像から伝わってきます。
特に忘れられないのが、
敗戦後のホロコーストに代表されるユダヤ人強制収容所の映像です。
場所は著名なアウシュビッツでしたが、
戦後、連合国側の撮影手が撮った映像に、
そこで起きた恐ろしい事が写されていました。
虐殺されたユダヤ人を始めとした人達の遺体の様子、
それをブルドーザーでゴミのように処理する様子
など、
高校生の私には印象的というか、もはやトラウマのように残りました。
こんな映像が残っているのか!、
こんなことが起きたのか、、と。
先生が言ったことがフラッシュバックしました。

今回の映像は、前回の授業よりもあまりにも過激な内容が多く、
私は大変なショックを受けてしまいました。
(おそらく、皆もそうであったのではないかと思います。クラスの女子達も前回以上に静かでした。)
一度聴いたら耳に残る、象徴的なメインテーマ曲の効果もあってか、
忘れられない記憶となりました。


https://www.youtube.com/watch?v=6QdCsxw16Tg

少し話はズレますが、
私は中学生の頃から戦闘機などのプラモデル製作にハマり、
よく対戦中の零戦など作っていました。
プラモデル製作そのものが好きだったので、
宇宙戦艦ヤマトや飛行機モノなど、いろいろ作っては並べていたのが懐かしいですね。
今でも家電屋の模型コーナーに行くのは楽しみです。

その中で第二次世界大戦関連としてドイツの歴史などに触れる機会もあり、
なんとなくの大筋は学校の勉強と同じくらい知っていました。
夏が来るたび、戦争に関する番組や祖父母が経験した空襲の話など、
私も含め、多くの人も似たような経験がある中、成長してきたかもしれません。
戦争を経験していない世代の私たちは、
戦争は絶対にしてはいけないと教えられ、
理屈ではそうだと分かっていても、
本当に実感できることがなかなかできなかったのです。


戻りますが、
そんな映像を見た私は、初めて戦争というものをイメージし、
その僅かでも実感できたと思ったのです。
おそらく、写真のみならず、映像だからこそ実感しやすい、
テレビが当たり前にある時代に生まれ育った私たちだからこその、
感覚かもしれません。
衝撃的でしたが、これは絶対に見ておかないといけないと、
高校生ながらに思ったのでした。

その後、
この番組のことを他校の友人に語る機会がありましたが、
どうやらその友人達も、授業で観せられるらしく、
教育の一環として取り扱われているということも分かりました。
(図書室に「映像の世紀」のDVDが全巻揃っているのです。おそらくどこの学校も同じかと。)

とにかく、あの衝撃は忘れ難く、
ナチスとファシズムが存在したあの時代に、個人的に興味を持ち、
自主的に調べたりしました。
ヒトラーとは何者だったのか?
ナチス・ドイツとは?
あの戦争の時代とは?
受験勉強しなければいけない中でしたけど、
1人図書室に行って、好奇心のまま調べてしまっていましたね。

ナチの党大会
https://culturemk.exblog.jp/23554266/

また、先述の一度聴いたら忘れられないと言った、
印象的な曲「パリは燃えているか」は、有名な作曲家である加古隆氏の作曲。
番組内で何度も流れるメインテーマであり、
激動の時代を生きた人間達の、生き様、功罪、光と影を見事に表現した、
この番組らしい厳かな曲となっており、
本放送当時、この曲についての問い合わせも殺到し、
ついにサウンドトラックの発売に繋がった経緯もあります。
皆さまもどこかで聴かれたことがあるかもしれません。
私も直ぐにこの曲のサントラも調べて、TSUTAYAに借りに行きました。
今でも歴史の勉強や研究の時間にはもってこいで、聴いていたりします。

Is Paris Burning
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%81%AF%E7%87%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%8B-%E2%80%95-NHK%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%80%8C%E6%98%A0%E5%83%8F%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%80%8D%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E5%AE%8C%E5%85%A8%E7%89%88-%E5%8A%A0%E5%8F%A4%E9%9A%86/dp/B00005HMO6

さらに当時、推薦入試受験での、面接の練習を担当してくれた先生から、
手塚治虫氏作の隠れた名作、『アドルフに告ぐ』という晩年の作品を教えてもらい、
これも図書室にあったので、読んでみることにしました。

この作品も、ヒトラーを取り巻く人間たちの半フィクションの物語なのですが、
再び衝撃を受けました。
面白く、かつ読者に対して考えさせられる内容となっており、
半ば夢中で忘れられなくなり、一気読み。
個人的に購入までしました。
(この作品については、また別の機会で触れたいと思います。)
詳しくは映像を見てもらえば分かるかと思いますが、私は観ることをお薦めします。
特に、8月はかつての戦争に関する出来事が多い時期もあり、
それについて考えたり触れたりする機会も増えるかと思います。
この番組を観て、追体験というよりも勉強してみてはいかがでしょうか。
(TSUTAYAなどのレンタルショップに行くよりも、図書館などに行った方がありそうですね。再放送などでテレビでも観れます。)

ちなみにこのタイトルですが、
"パリは燃えているか?"
(ドイツ語:Brennt Paris?) (英語:Is Paris Burning?) というのは、
ナチス・ドイツの指導者である、アドルフ・ヒトラーの言葉です。

大戦末期の1944年6月、連合国側により200万人以上を投じられ、
反撃の転機となった、史上最大の作戦と呼ばれる、
フランスのノルマンディーに上陸したネプチューン作戦(通称ノルマンディー上陸作戦)の後、
8月にはパリまで侵攻。
ドイツ軍による占領から、レジスタンスと共に解放する、
パリの開放に関することでした。
この時、ヒトラーは現地支配を担当した軍事総督・コルティッツ将軍に、
パリを防衛ラインとして死守し、これが不可能であれば、
セーヌ川に架かる橋やパリの街を産業ごと破壊して、
完全に廃墟にして撤退するように指示しました。
ヨーロッパ全域に展開しているドイツ軍や国民の、
士気に影響するのを恐れたのでしょう。
「パリは、どんなことがあっても敵の手に渡してはならない。
もし敵に渡すようなことがあっても、そのときはパリは廃墟になっているだろう」
という言葉も残っています。
しかしそんな事をすれば、パリ市民が一斉に蜂起し、
自軍を壊滅に追いやってしまうこと、双方大きな遺恨をこの地に残すことなど、
コルティッツ将軍には想像がついていました。
結局、示威行動などで牽制して大規模蜂起を抑えつつ、
あの手この手でパリ破壊を阻止。
この時の行動の思惑は戦後色々と検証されていますが、
最終的に連合国軍に侵攻を許されたこと、
レジスタンス蜂起などが重なり、他勢に無勢、降伏しました。

この時、パリの進まない状況に苛立ったヒトラーが、
近くの司令官に対して、「パリは燃えているか?」と叫び、
遠隔射撃や爆撃でパリを焦土とするよう指示したと記録に残っています。

コルティッツ将軍は、
はたから見れば、軍人ながらもヒトラーの命令に背いた逆臣ですが、
パリを崩壊から救った英雄として、戦後名誉パリ市民に選ばれています。
もし破壊されていたなら、
現在のパリ、さらにはパリを中心とした文化そのものが、
存在していなかったかもしれませんね。
今というのは、過去の様々なことの結果であると感じます。

パリ解放後のパレードでのドゴール将軍
同じくシャンゼリゼ通りを歩くココ・シャネル
上:パリ解放後のパレードでのドゴール将軍(http://lgmi.jp/detail.php?id=2315)
下:同じくシャンゼリゼ通りを歩くココ・シャネル(https://parisdiary.fr/le-discours-de-bertrand-delanoe-25-aout-2009-liberation/)


これを踏まえ、改めてメインテーマのタイトルの意味を知り、
聴いてみたら、また違って聴こえてくる気がします。
まさに、このテーマ曲は人間の明暗の歴史をよく表した、秀逸な曲でしょう。

戦争が全てではない作品ですが、
人類の歴史を作ってきたのは、間違いなく我々人間です。
こんな時期でもあります。
戦争を始め、目を背けたくなることも、
映像のみならず、人生そのものにも多々あると思います。
しかし過去を見つめ、学び、未来を作っていくことは、
人生においても、平和な社会を作っていくことにも、
大切なこと
です。
二度とこんなことを繰り返さない為にも、
歴史を学ぶことは絶対に必要であると、この番組を観て、改めて思いました。

様々な歴史を学び、顧みる時、この『映像の世紀』も、 
ひとつの資料として振り返ってみてはいかがでしょうか。

[K.K]

花押

コロナが流行りはじめ、
通勤電車などの密がいかんということで、テレワークが流行り始めた頃、
「とはいえ、印鑑を押したりせんといかんから、出社しないと」などと、
変なことを言っている人がいましたよね。
そのナンセンスさが分かりやすかったせいもあって、行政改革担当大臣の目に留まり、
パフォーマンス好きの彼が印鑑撲滅をぶち上げたため、
いま、日本で印鑑といえば、前時代のアナログの権化のように思われています。

私は、日本文化というものに関心が高いタイプであり、
実は拙速なデジタル化にはあんまり賛成していないほうです。
なので、印鑑も、別に撲滅に舵を切らなくてもよいのにと思っています。
そもそも、たとえば確定申告でも、以前は税務署に出向いて何時間もかかったところを、
最近はフォームから書類を作って出力し、捺印して郵送すれば終わりで、
ぜんぜん煩わしくないですよね。
行改担当大臣は何かを目の敵にして本質をかわすことが得意な方なので、
今回も印鑑さえなくせば万事うまくいくと言っていますが、
果たして、本当にそういうことなんでしょうか。

印鑑の存在理由とはなんでしょうか。
それは、唯一無二の印影にあるでしょう。
諸外国のサインと同じです。
よく、外国のホテルに泊まる際、「ここにサインしろ」と言われます。
外国人たちはシュシュシュッとサインしますが、
普通の日本人は楷書ですから、なかなかカッコよくサインなどできず、
日本人として劣等感を感じたことのある人も多いことでしょう。

なぜ、日本人はカッコよくサインできないのか。
それは、幼少期から「字はきれいに書きなさい」と言われて育ち、
サインなんて書く練習をしないからです。
そのうえ、日本では契約関係に登記された実印を使うので、サインの出番はなく、
印鑑がそれに代わってきたということでしょう。

しかし、もともと、日本にもサインはありました。
みなさん、花押ってご存じでしょうか。

平安時代から明治時代くらいまで使われていた、毛筆で書く符号みたいなものです。
文書へ署名するとき、もともとは自らの名を普通に自署していたのですが、
署名した本人だけが書けるものとして次第に図案化されていき、
個性豊かな花押が生まれました。

言うまでもありませんが、この花押が日本版のサインであり、
落款(印鑑)はそれを省略したものです。
印鑑は日本の伝統だと言われたりはしますが、
本来はこの花押が1000年以上の伝統を誇っているのです。

この花押、いまでは一般社会でほとんど使われなくなりましたが、
ほぼ唯一、頻繁に使われている場があります。
それは、閣議。
閣議では、法案や政令を決裁した証しとして、
各閣僚が閣議書に花押を記す習わしとなっているそうで、
国会議員は、いつか入閣したときのために、
あらかじめ自分の花押を用意して練習しておくのだそうです。
脱ハンコを推進する政府ですが、
最高意思決定の舞台である閣議で伝統の花押が使われているのって、
なんだか面白いですね。

ちなみに、趣味の都合で私は自分の花押を持っていますが、
あれは練習しないと書けません。
また、考え事などをしていても書けなくなります。
よく、ろくに見もしないでハンコを押すことを「メクラ判」と言いますが、
花押を書くにはそれなりの精神の集中が要りますから、
テキトーに花押を書くことは、あまりないかも。
そういう意味で、印鑑よりも花押のほうが、
サインとしての精度は高かろうと思うのですが、どうでしょうか。

ところで、閣議でも、緊急時などですべての閣僚が集まれない時とか、
「持ち回り閣議」と言って、閣議書が回覧されて花押を集める形を取ります。
というのも、閣議決定の署名は電子署名ではできないためで、
つまり、何がなんでも対面で、自署である花押が集められるわけです。

私は、これが本来の姿かなと思っています。
しょうもない承認印を押すために出向くのはナンセンスですが、
大事なことは対面で行う。
花押となれば、自署ですから、その重みが違いますよ。
出向くのが大変なら、「持ち回り閣議」のように、
書類のほうが移動すればいいわけで。

私は、承認して裁可することに、
もっと重みを持たせるべきだ
と思うのです。
印鑑が面倒なのは分かりますが、
承認行為がもっと重ければ、「これはちゃんと見ないと」って、なりますし、
それが、精神をすり減らす花押であるならなおさらです。
いま、どうでもいいことを承認する仕事だから廃止の論が出るのであって、
印鑑という道具をかなぐり捨てたら万事丸く収まるなんて、
大臣、そんな夢みたいなこと、本気で思ってるんでしょうかね。

花押
https://www.kantei.go.jp/jp/seido/seido_2_2.html

そう思っていたら、その大臣の花押、ちょっと下手ですよね。
うぷぷぷ。

[SE;KICHI]

何事もじっくりと…

地元の富山県美術館でポーラ美術館コレクション展という企画展がありました。
化粧品会社のポーラが所有する、箱根にあるポーラ美術館所蔵の、
モネ、ピカソ、ゴッホ、ルノワールなどフランスで活躍した28名による、
絵画と化粧道具コレクションを紹介するものです。

たくさんの巨匠の絵画を一度に生で観られることはそうそうないので、
時間を作って観に行って来ました。
人がたくさんいて密になることを心配していましたが、
皆さんしっかり距離を空けて、会話もなく静かに鑑賞されていたので、
私もじっくり鑑賞することができました。

私は絵画を鑑賞する時には、正面だけではなく、
壁に張り付くように横から観たり下から観たりして、
絵の具の盛り上がり具合や色が重ねてある順番を観ますので、
他の人からすると、
まるでのぞきをしている変態のように思われるかも知れませんが、
そうすることで、立体感の持たせ方やどこから描き始めたのか、
どの色にどの色を重ねたのかがわかります。
作家によって個性がありますし、
同じ時代を過ごした複数の作家が、その時代に流行った技法を使って描いたり、
新しい技法にチャレンジしているのがより確認できます。
絵を観るというよりは、どういう工程を積み重ねて作品を完成させたのか、
その過程に興味があるのかも知れません。
絵画は創作物ですからね。

ありがたいことに、思った以上にたくさんの作品があり、
気が付いたら3時間も経っていました。
さすがに少し疲れました。

私は絵画だけではなく、神社仏閣、城跡、古墳や遺跡など、
何かを見てまわるのにけっこう時間がかかります。
時代背景やあらましに興味があり、説明してある立て看板をじっくり読んだり、
いろいろ想像しながらまわるので、サクサク前に進みません。
本や漫画も読むのが大変遅いです。
登場人物がわからなくなったり、ストーリーを確認するために、
ページを戻ることがしばしばあります。
映画も録画したものだったら、
セリフが分かりにくかったりしたら迷わず巻き戻します。
ひとつひとつ納得しながら進みたいのです。
流し見するのはネットニュースぐらいです。
他人から見たら鬱陶しいでしょうね。

自分では意識していませんが、
多分忘れることが前提ではなく、記憶に残したいのかも知れません。
興味があることは知識として自分の中に取り込みたいのだと思います。

しかしなぜか、
憶えておく必要のないずいぶん昔のことや、
人の顔や会話などをかなり鮮明に憶えていて、
その話をすると周りの人からチョイチョイ気持ち悪がられることがあります。

そしてその特殊能力を世の中のために使うように言われますが、
残念ながら今のところどこで使っていいのかわからず、
その予定はありません。
どこか使えるところありますかね?

[M M]

夏季休業のお知らせ

平素より格別のご高配に預かり、厚く御礼申し上げます。
さて、弊社は夏季休暇として、
勝手ながら8月13日(金)および16日(月)を休業とさせていただきます。
ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。
猶、今後とも倍旧のご厚情を賜りますよう、切にお願い申し上げます。

[AKA]
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kkseishin

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