完結・ポージングの話
言葉尻だけを捉えて功労者の老人を袋叩きにするのはどうなんだとか、
和彫りを入れているというだけで人を排除するのはどうなんだとか、
一方ではマイノリティ保護で同性婚を認めていいのかとか、
SDGsに関連していろいろ例を挙げてきましたが、私が思うのは、
結局、できやしないってことです。
……いや、できやしないってことはないのですが、
みんな、「SDGsの観点から……」って簡単に接頭辞をつけて話すものの、
それは、流行ってるからそう言ってるだけでしょ?
ただのポーズじゃないの?って思うんですよ。
SDGsって、「1 貧困をなくそう」とか「2 飢餓をなくそう」とか言われると、
人の心を持っていれば、そりゃそうだなぁと思うものですが、
じゃ、具体的にあなたはどう行動しますかと言われると難しいのです。
普通の日本人は、たとえば、「貧困をなくそう」に対して、
具体的に取ることのできる行動が用意できていないのです。
実際には貧困により大学に進学できず、低学歴になってしまう人とか、
満足に食事をとることができずに飢餓につながっている人とか、
最近では貧しくて生理用品を購入することができない事例なども出ていて、
国内ですら貧困で困っている人がいることは耳に入っていながらも、
具体的に取ることのできる行動は用意できていないのです。
国連により、持続可能な雇用とか、平等な社会保障の制度とか、
貧困をなくすために有効なことは示されているにもかかわらず、です。
つまり、知っててもやらないんですよ。
結局、掛け声だけなのではないかと思うのです。
詭弁だなと思います。
このような有り様で、「5 ジェンダー平等を実現しよう」とか、
賛否が分かれる項目はどうするつもりなんでしょうか。
日本では、鉄道での女性専用車両とか、施設のレディースデーとか、
女性を優遇して社会進出を促すような取り組みが打たれていたりもしますが、
本来は男女を同等に扱うのが正しい男女共同参画の姿であって、
女性を優遇するのが正しい取り組みではありません。
ずいぶん女性に“ゲタ”を履かせないと同等水準にならないところに、
日本の、風土的な遅れを感じざるをえませんが、
それでは、女性優遇とは違う方法でジェンダー平等を実現しようとすれば、
さて、私たちはどうしたらいいでしょう。
なかなか難しくないですか。
つまり、マインドのほうを変えないと、行動は変わらないので、
結局、日本で「5 ジェンダー平等を実現しよう」は容易ではないということです。
ちなみに、私個人の話をすれば、SDGsにそれほどの関心はありません。
もちろん、持続可能な社会の構築は大切なことですが、
全人類のマインドが変われば持続可能な社会の出現も期待できますが、
それは自発的でなくてはいけません。
極端な話、政府が持続可能な社会の構築を呼びかけ、
鉄砲を持った兵隊さんが巡回して反対する者を粛正して歩いているという社会なら、
みんな、怖いので、従いはするでしょう。
でも、それは、心から沸き起こる変革のマインドではありません。
つまり、持続可能な社会の構築という、
どう考えても善なる取り組みであったとしても、
それを国が主体となって推進していこうとすると、
向かう先は社会主義だと思うのです。
ほら、ソビエトも、もともと国民に厳しい国だったわけではなく、
持続可能な社会の構築を目指した結果、ああなったわけです。
結局、私は、持続可能な社会の構築は大切なことだと思うけれど、
そう思う人が自発的に集まって、
できることからコツコツと運動していくのが健全な変容の姿であって、
国とか国連が強力に推進すればするほど、統制を効かせようとすればするほど、
社会主義への道を邁進する形になるのだろうと思っていますし、
嘘つけ、単なるポーズだろ?って思うのです。
さて、ところで、この写真、どう思いますか。
洋食屋で食後に出されたコーヒーの写真です。

スプーンの上にミルクのポーションカップが載せてあります。
スプーンはきれいに洗ってあるんでしょうが、
そこに載っているポーションカップはきれいなのでしょうか。
業務用の袋から、手で直接取り出したものではないのでしょうか。
私たちには入口でアルコール消毒を強要しておきながら、
提供されるのはこんなものです。
結局、アルコール消毒はポーズに過ぎないってことですよ。
ちなみに、言うまでもありませんが、私はもともと、
そういうものにそこまでの清潔さを求めていないので、
このスプーンに違和感なんかありません。
ただ、厳しいところとテキトーなところが混在している社会で、
清濁併せ飲むような寛容さを忘れ、訳知り顔でやってますと言われると、
嘘つけ、単なるポーズだろ?と思うという話です。
[SE;KICHI]
和彫りを入れているというだけで人を排除するのはどうなんだとか、
一方ではマイノリティ保護で同性婚を認めていいのかとか、
SDGsに関連していろいろ例を挙げてきましたが、私が思うのは、
結局、できやしないってことです。
……いや、できやしないってことはないのですが、
みんな、「SDGsの観点から……」って簡単に接頭辞をつけて話すものの、
それは、流行ってるからそう言ってるだけでしょ?
ただのポーズじゃないの?って思うんですよ。
SDGsって、「1 貧困をなくそう」とか「2 飢餓をなくそう」とか言われると、
人の心を持っていれば、そりゃそうだなぁと思うものですが、
じゃ、具体的にあなたはどう行動しますかと言われると難しいのです。
普通の日本人は、たとえば、「貧困をなくそう」に対して、
具体的に取ることのできる行動が用意できていないのです。
実際には貧困により大学に進学できず、低学歴になってしまう人とか、
満足に食事をとることができずに飢餓につながっている人とか、
最近では貧しくて生理用品を購入することができない事例なども出ていて、
国内ですら貧困で困っている人がいることは耳に入っていながらも、
具体的に取ることのできる行動は用意できていないのです。
国連により、持続可能な雇用とか、平等な社会保障の制度とか、
貧困をなくすために有効なことは示されているにもかかわらず、です。
つまり、知っててもやらないんですよ。
結局、掛け声だけなのではないかと思うのです。
詭弁だなと思います。
このような有り様で、「5 ジェンダー平等を実現しよう」とか、
賛否が分かれる項目はどうするつもりなんでしょうか。
日本では、鉄道での女性専用車両とか、施設のレディースデーとか、
女性を優遇して社会進出を促すような取り組みが打たれていたりもしますが、
本来は男女を同等に扱うのが正しい男女共同参画の姿であって、
女性を優遇するのが正しい取り組みではありません。
ずいぶん女性に“ゲタ”を履かせないと同等水準にならないところに、
日本の、風土的な遅れを感じざるをえませんが、
それでは、女性優遇とは違う方法でジェンダー平等を実現しようとすれば、
さて、私たちはどうしたらいいでしょう。
なかなか難しくないですか。
つまり、マインドのほうを変えないと、行動は変わらないので、
結局、日本で「5 ジェンダー平等を実現しよう」は容易ではないということです。
ちなみに、私個人の話をすれば、SDGsにそれほどの関心はありません。
もちろん、持続可能な社会の構築は大切なことですが、
全人類のマインドが変われば持続可能な社会の出現も期待できますが、
それは自発的でなくてはいけません。
極端な話、政府が持続可能な社会の構築を呼びかけ、
鉄砲を持った兵隊さんが巡回して反対する者を粛正して歩いているという社会なら、
みんな、怖いので、従いはするでしょう。
でも、それは、心から沸き起こる変革のマインドではありません。
つまり、持続可能な社会の構築という、
どう考えても善なる取り組みであったとしても、
それを国が主体となって推進していこうとすると、
向かう先は社会主義だと思うのです。
ほら、ソビエトも、もともと国民に厳しい国だったわけではなく、
持続可能な社会の構築を目指した結果、ああなったわけです。
結局、私は、持続可能な社会の構築は大切なことだと思うけれど、
そう思う人が自発的に集まって、
できることからコツコツと運動していくのが健全な変容の姿であって、
国とか国連が強力に推進すればするほど、統制を効かせようとすればするほど、
社会主義への道を邁進する形になるのだろうと思っていますし、
嘘つけ、単なるポーズだろ?って思うのです。
さて、ところで、この写真、どう思いますか。
洋食屋で食後に出されたコーヒーの写真です。

スプーンの上にミルクのポーションカップが載せてあります。
スプーンはきれいに洗ってあるんでしょうが、
そこに載っているポーションカップはきれいなのでしょうか。
業務用の袋から、手で直接取り出したものではないのでしょうか。
私たちには入口でアルコール消毒を強要しておきながら、
提供されるのはこんなものです。
結局、アルコール消毒はポーズに過ぎないってことですよ。
ちなみに、言うまでもありませんが、私はもともと、
そういうものにそこまでの清潔さを求めていないので、
このスプーンに違和感なんかありません。
ただ、厳しいところとテキトーなところが混在している社会で、
清濁併せ飲むような寛容さを忘れ、訳知り顔でやってますと言われると、
嘘つけ、単なるポーズだろ?と思うという話です。
[SE;KICHI]
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