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わかって下さい……ってこと?(by 因幡晃)

コロナ禍で、様々な悩みを抱えた方も多いということで、
先日、頼まれて、電話で見ず知らずの方の相談に乗るというか、
お悩みを傾聴するということがありました。

その方は、保育園で4歳児だか5歳児だかを担当しているそうなのですが、
受け持っているクラスに、多動というのか、
何かにつけて行動が荒い男児がいるとのことで悩んでおいてでした。
たとえば、自分のロッカーから登園バッグを持ってくるだけでも、
開けたロッカーは足で閉めるか、もしくは開けっ放し、
手に持った登園バッグはグルングルン振り回し、
それが当たったお友達と小競り合いになるとか、
その子は、なにしろ、トラブルを起こす子なのだそうです。
保護者の方に分かってもらいたいと面談もしたそうですが、
「家ではそんなことないんですけどねぇ」とか、
「検診では発達に問題なしって言われたんですけど」とか、
あまり伝わらなくて困っています……とのこと。

はい、問題です。
この相談に対して、私が一番違和感を感じたのは、どのような点でしょうか。

正解は、保護者に分かってもらいたい……の点。
何を? 何のために?
現場の大変さを知ってほしいってこと?

この相談はとある保育園の先生の例でしたが、
このような人、増えつつある感じがします。
何をどうしてほしいとかではなく、
自分の大変さとか、自分の不安を知っておいてほしいと考える人が。

私が不思議に思うのは、
なぜ、それを知っておいてほしいと思うのかという点。
私は最初、たとえば何か懸念する事柄があるとして、
他者に先んじてそれを述べることで先見の明をアピールしたいのかな、
あとから「私は分かってました」と誇示したいのかなと思ったのですが、
それだと、単なる不安を吐露してしまう理由にはなりません。
そこで、私は、観察を重ね、
ようやく、先ほどの保育園の先生の例で分かったのです。
単なる「オレ、大変なんすよ、分かってくれてもいいでしょ」、
「アタシ、不安で、話聞いて欲しいんですけど」ってこと、
つまり、共感してほしいってことなんですね。

しかし、具体的に何かしてほしくはないのにそれを聞かせるって、
どういうことなのでしょうか。
なんか、「話したいことを話すんで黙って聞いていてください」って、
「好きな感じでオナニーするんで、黙って見ててください」的な、
なかなか変態じみたプレイ性を感じるのですが。

たとえば、今日はちょっと体調がすぐれないなぁという日、
まぁ、生きていればそういう日もあると思いますが、
その日の午後、大切な商談とか志望校の面接の予定があったとしたら、
どんな顔をしてその場に行きますかという話です。
体調が悪いのは事実なので、仕方なく、青色吐息みたいな顔で行きますか。
おそらく先方は、「体調悪そうですが、大丈夫ですか」と聞くでしょう。
それに対して、
「あ、いや、大丈夫ですから、気にしないでください」と返すことになりますが、
先方は思います。
大丈夫ならそんな顔して来るんじゃないよ!って。

昭和の昔。
体調の悪さなんて、他人に感づかれてはならぬことでした。
大変さや不安もそうだし、イラ立ちや落胆など、
言うなれば自分の喜怒哀楽は外に出さないように育てられました。
それは美学とかそういうことではなく、相手やその場への配慮でした。
「こんな顔して行ったら相手も困るわね」とか、
「こんなこと聞かされても相手も迷惑よね」とか、
「こんなこと急に言ったら場が凍りつくかも」のような、
相手への思いやりだったと思うのです。

それが、コロナ禍による不安定な社会のせいなのか、
いや、たぶんコロナ禍より以前からそうだったと思うのですが、
自分が、自分の、自分に……って、自分のことばかり。
知ってほしい、分かってほしいって、
自己顕示欲が強すぎるのではないでしょうか。


もちろん、いろいろ感じていても、
グッと我慢しなさいと言っているのではありません。
ただ、自分の心の、その部分から目を逸らす取り組みは必要でしょ。
感情っていろいろあるのに、
苦労や不安にスポットを当てすぎなんですよ。

考え方を変えて発散するか、
他に目を向けて忘れるしかないと思うんです。

先日、思いがけず耳に入った のですが、
ずいぶん久しぶりに『イメージの詩』を聴きました。
映画の主題歌ということで、稲垣来泉という10歳の女の子が歌うバージョンでしたが、
「涙をこらえて笑っている人は、きれいなものでしょうね」という歌詞、
昔から聴き慣れて、覚えていたはずなのに、
なんだか感極まってしまった私なのでした。


https://www.youtube.com/watch?v=SwcArTme7nQ

自分の感情を辞譲の心というか、他人を責めない心というか、耐えて笑う心というか、
そういうの、いま大事なのではないでしょうか。

[SE;KICHI]
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現実ときどき非日常

友人達と会うのを控え一年以上過ぎました。
こちらから誘うのはといった気持から、それぞれが遠慮しています。
それで良いとも思っています。

家人とも今年にはいってから出かける先は市内のみ。
最近の楽しみ方は市内に限定し、
安いプランを利用しながらホテルの朝食を楽しんだりしています。
普段では絶対泊まらないホテルを選びました。
美味しさに違い有り。

ホテルが推している朝食メニューに、
オムレツやスクランブルエッグなど火加減の難しい卵料理がありますが、
家人は目玉焼きが美味しかったようでお替りしていました。
家で作る目玉焼きと何が違うのか気になりましたが、
既にたくさんいただいた後で入る余地がなくあきらめましたが、
今でも心残りです。

ご飯はそこまでの感動は無かったですが、
味噌汁は出汁の美味しさ際立っていました。
品数はどこも抑えられていましたが、それでも食べきれないです。
珈琲もしっかり美味しくて満足、満足。
ただ一つだけ、
新潟の郷土料理の「のっぺ」は、実家の味が一番です。

こんな非日常も入れつつ過ごしていますが、
自宅でも変化を求め、シャワーヘッドを新しくしました。

入居時に取り付けられた物は水圧ばっちりで、
掃除後の洗い流しなどには重宝したのですが、
その水圧を顔面にあてると、めちゃ痛くて傷口から流血する勢い。
強めに出ているのは一番外側の穴だけで、中央部分の穴の水量は弱く、
水圧を弱くすると洗い流しに時間もかかり、
もっと快適に使える物を探してみました。

〇〇バブルとか浄水機能付きの物とか、口コミなども参考に検討した結果、
ミストシャワーが使えるタイプにしました。
付け替えに煩いたくなかったので、結局、同じメーカー品にしました。

おそるおそるミストを顔にあててみると、
ぼぉわっと顔全体を包む感じ。
うわぁぁぁ痛くない! 心地よくって長時間浴びていたい! 快適です♪

以前、最新のシステムバスを利用する機会があったのですが、
そのバスルームはとても広く、
バスタブも手足を自由に伸ばせるゆったりした大きさ。
ジャグジーに七色のライト、
お湯張りもシャワーも蛇口からのお湯出しも全てフラットパネル。
我が家にはない多機能なお風呂に感動しました♪

こんなお風呂に毎日入れたらなー。
なんて憧れたものの、
まてよ、これだけの広さだったら水道代にガス代、
加えて掃除も含め全てに負担が掛かるわ~。
そう、現実を考えたら狭い浴室に小さなバスタブでちょうどいいのでした。
ミストが気持ちよくて長めに使っていたのか、
水道代が少し増えたことにビビっているくらいの私ですから(笑)

この最新システムバスを体験したのは母の葬儀を営んだ会館でした。
あまりの豪華さに舞い上がり、
ここに泊まっている理由を一瞬忘れそうでした(笑)

もうじき命日なので好物を供え近況報告してこよう。
母よ、待っててね~。

[fu~ma]

令和3年に渡部昇一先生を偲ぶ。

私は、生前の渡部昇一先生と何度かお話しする機会があり、
2017年に先生が亡くなったと聞いた時は、
大袈裟ではなく、膝から崩れるほど落胆したものです。

渡部昇一先生は、『致知』などにもたびたび登場されていたので、
全然知らない人も少ないでしょうが、
もともと英語の先生でありながら、
戦後、忘れられていたスマイルズの『自助論』や幸田露伴の『努力論』を再評価し、
自助努力が大切なのだと発信し続けておられた方です。

10年ほど前、渡部先生は、
日本の自助の精神が失われつつあると、盛んに訴えておられました。
「国が食べさせてくれる」と期待する人が多くなり、
「自分の生活は自分で守る」という気概が弱まっているのではないかという話です。

それから10年が経ちました。
そのころの日本は、まだ、コロナに蹂躙されてはいなかったと思うのですが、
10年前の渡部先生のご心配は、その後、改善するどころか、
いま、まさに迫り来る危機となりつつあるように思えます。


たまに、動物園でパンダが生まれたというニュースを見ることがありますが、
母パンダが子を認識して自分で子育てをできるかどうかは微妙なようで、
飼育員が親代わりとなって、哺乳瓶でミルクを与えて育てることが多いようです。
それはパンダにだけに特徴的なことではなく、
動物園で飼育されている動物は、
ゾウにしろキリンにしろ、ライオンにしろトラにしろ、
だいたい飼育員が親代わりとなって育てているようです。

たとえば、昔から「虎の子」と言ったら、とても大切なものを意味しますが、
動物園のトラが子育てをしないのはどうしてでしょうか。

それは、動物園だからです。

野生のトラは、頑張ってエサを獲って、子どもを大切に育てます。
それは、ゾウもキリンもライオンもパンダも同様です。
なぜなら、それが本能だからです。
エサを獲らなければ大切な子を育てることができないので、
それはそれは必死なはずです。
ところが、動物園で暮らしていると、エサの心配はしなくていいわけですから、
重要な本能がどんどん衰えていくのはあたりまえです。
その意味で、子育てすべき場面で本能が働かないのは当然と言えるでしょう。

そのうえで渡部先生のご指摘です。
コロナ禍で、経済的に困窮する人も出ていると聞きますが、
「国が食べさせてくれる」と期待する人が多くなったとすれば、
それは動物園の動物と同じ状態とは言えないでしょうか。
そうなると、「自分の生活は自分で守る」という本能が麻痺してくるのは、
そりゃそうだろうと思うのです。

歴史を顧みれば、かつて、世界で最も真剣に「動物園」を目指した国がありました。
それはソビエトです。
レーニンやスターリンは、
「失業はさせない、死ぬまで国が面倒を見てやろう。
その代わり、国の言うことはなんでも聞け」と言ったわけですが、
その結果、ソビエトという国がどうなったか、みなさんご存知でしょう。
また、中国の毛沢東もそれをやろうとしたわけですが、
なかなか、うまくいっているとは言えません。
つまり、人間の世界を動物園にしてしまう取り組みは、
うまくいかないし、そもそもダメなのです。


人間は動物と違って、
困っている人を見ると、かわいそうにと思って、
手を差し伸べようという気になるものだそうです。
私は、これは非常に素晴らしい尊い感情だし、

本能だと思うのです。

しかし、それが感情として自然に湧いてくるものでなく、
そうあるべきだという「制度」とか「ルール」として決められてしまうと、
そこに広がるのは「動物園」になってしまいます。
その結果、本能は失われるしかなくなります。

社会保障制度でも、
その必要性を唱える人が自分でお金を出したり、
商売として始めるなら正しいと思いますが、
個人的な責任感や使命感ではなく、
制度として、他人の(国の)お金でやろうとすると、
ソ連や中国のように、動物園になると思うのです。

コロナ禍で、だいたい同じだと思っていた隣人や仲間たちの感覚の差が、
少しずつ露わになってきている気がしてなりません。
えっ、アンタ、そんなに他罰的なことを言う人だったっけ?とか。

いずれにしても、
10年前の渡部先生のご心配は、その後、改善するどころか、
いま、まさに迫り来る危機となりつつあるように思えます。

そろそろ、その教えを本気で考えないと、危ないかもしれません。

渡部昇一先生
https://nikkan-spa.jp/plus/1320610

[SE;KICHI]

複雑な思い

主婦の皆様、私も含め、お疲れ様です。
毎日毎食、何を作ろうか考えるの、大変ですよね。
ましてコロナ禍の昨今、
外食も思うようにできず(まあ、我が家は外食、色々な諸事情によりできないので通常通りなのですが)
しんどいですよね。

さて、毎食毎食(お弁当持参なのでお昼もです)、自分の作ったものを食べる毎日。
自分で作った料理の味に飽き飽きします。
それはもちろん、私の作ったものを食べる家族も同じでしょうが、
小中学生の子供たちは給食というものがあるので、まだいいでしょう。
ですが、主人と高校生の子供はお弁当なので、
私と同じ気持ちだと思います(まあ、思っていたところで私に伝えるわけもなく・・・怖いですからね)

「どうして私だけが食事の準備をしなければいけないのか、
私だって働いているのに!」
という、
どうにもならない不満はたまっていく一方ですが、
少しでも自分の味付けから逃れるために、
最近お気に入りの料理研究家の料理本を購入しました。

もともとはブログで彼女のことを知ったのですが、
ブログの語り口調や、
彼女のつづる飾らない日常の様々な内容に自分と重なることが多々あり、
勝手に親近感を抱くようになりました。
こういっても通じる方は少ないかもしれませんが、
なんといっても自身の腹痛との闘いに感じる同士感と、
3番目のお子さんのかわいらしさがたまりません!

本を購入してから何度も彼女のレシピで食事を作りました。
我流では特にきっちりと調味料を計ることなく、
自分の塩梅で味付けをしていたので、味付けのためにいちいち手を止め、
レシピ本に目を通す必要がないのでササっと料理は完了しますが、
「自分とは異なる味付け」というのがメインなので、
幾度も料理中に手を止め、本に目をやらなければいけないので、
これまでよりうんと時間がかかります。
夕方、仕事から帰宅してからの準備なので、
正直、「ああっ、もうこんな時間!!」とイラつくことが多いのですが、
それより自分の味付けの方が嫌な時は仕方ありません。

それでも、そうやって作った料理は評判がよく、お弁当にも登場させています。
最近の我が家の食卓には、
今までの自分の味付けのものプラス、その方のレシピの料理が並ぶので、
以前よりもバラエティに富んだものとなっています。

私頑張ってる!という思いと、
山本さんありがとう!!という思いでいっぱい
なのですが、
実は内心ちょっと、「うん?」思うことがあります。
「今日のこれ、山本さんのだけど、おいしい?」ときくと、
「うん、おいしい。山本さんのだと思ったよ」と主人が答えます。

それって、山本さんのだからおいしいの?
私の味付けはおいしくないの?(もちろん、主人はそうは思っていないのでしょうけれども)と、
どうしてもひねくれ者の私は、
そう捉えてしまうこともしばしばです。

食べる側からしてみたら、作ったのは私だから、
私が作ったものをおいしいと言ってくれているのでしょうが、
なんだか複雑な気持ちになるのでした。

こんな私の気持ち、わっかるっかなあ? わっかんないだろうなあ??


https://www.youtube.com/watch?v=-1BuPWhRgp0

[okei]

続々・ポージングの話

同性婚を認めないのは憲法違反だという判断が、
札幌地裁で初めて示されました。

学生の頃に覚えさせられた憲法には、
24条に「婚姻は、両性の合意にのみ基づいて成立」と書かれていたような気がします。
そのため、私は、婚姻制度とは男女が結ばれることを前提としていると思っており、
今回の、札幌地裁の出したこの判断に、私はびっくりしました。

札幌地裁曰く、同性愛に結婚を認めないのは差別で、
憲法14条の「法の下の平等」に反するというのです。
いや、まぁ、そういう見方もできるのかもしれませんが、
そしたら、両性の合意を謳っている憲法24条はどうなるのでしょう。
国会は24条に基づいて、同性婚を認めない民法などを定めてきたはずなのですが、
このような判決は、すなわち、
国会に対して、「24条を無視して、同性婚を認める法改正をしろ」と命じたも同然で、
私には、裁判所による国会軽視といわれても仕方がない感じに見えます。

この判決は、結婚制度の目的について、
「永続的な精神的および肉体的結合を目的として共同生活を営むこと」と解釈し、
つまり、「夫婦の共同生活こそが結婚なり」といっているわけなのですが、
私には、それって、視点が『夫婦の共同生活』に偏っているように思えるのです。
もちろん、夫婦は共同生活ですが、
『子どもの視点』は考えなくてよいのでしょうか。

仮に同性婚が認められる社会となり、
同性カップルが養子などの形で子どもを迎えたとします。
両親が同性ということであるなら、同性の親2人で育てることになりますよね。
「夫婦が……共同生活を営む」という点だけを見れば、
同性の親2人で育てようが、さしたる問題はなさそうですが、
いやいや、自分たちの幼少期を顧みれば、
厳しい父親と優しい母親のように、いや、別に逆でも構いませんが、
子育てには父と母にそれぞれ役割があったものです。

もちろん、昭和の時分に支配的だった、
磯野家のような権威的家長制度が望ましいのかどうか、
それは私には分かりません。
ただ、両親が同性であるという同性婚という環境が、子どもの成育にどう影響するのか、
いまのところ、何か具体的な報告があるわけでもないので、
『子どもからの視点』という意味で、
判断はもっと慎重でもよいのではないかと思うのです。

また、養子で迎えた子どもが、同性の両親の愛情を受けて健やかに成長したとしても、
生物学的に、その子どもがその両親から生まれることはありえないわけですから、
おそらく、いずれ、誰が血のつながった親なのか、知りたくなる時が来るでしょう。
もちろん、それは「出自を知る権利」として保証されているものですから、
それを制限することはできません。

何を言いたいのかといえばですね、
同性婚に賛成か反対かの議論には、すり替えがあるということです。

法学部出身の父が遺していた『新版注釈民法』によれば、
結婚とは「伝統的に生殖と子の養育目的とするものであった」そうです。
いや、子どもがいないとか、様々な夫婦の形はあっていいと思いますが、
もともとの本質は、夫婦の精神的および肉体的結合などではなく、
「子を産み育てる」制度だったということです。

そこをすり替えて、「夫婦の共同生活こそが結婚なり」ということにしてしまうと、
同性同士でも、2人が好きで一緒に暮らしたいと思えば結婚でき、
結婚とは、カップルが自分たちの満足のためにするものだ、
ということになってしまいます
し、
実際、同性婚賛成派の方はそう考えているのではないかと思うのです。
その考え方でいくと、「好きでなくなったら離婚すればよい」ということにもなるし、
「お互いが納得していれば不倫してもよい」ということになりかねません。

それもまた、別に本人同士が納得していればそれでよいのかもしれませんが、
家族というものが壊れやすくなるのは事実でしょう。

私は、結婚とは、夫婦の満足、すなわち、衣食や性生活などのためだけではなく、
子どもや社会の利益のためにするのだと思っています。
もっと踏み込んだ表現が許されるなら、
自分たちが結婚することで、
社会にどのようなメリットをもたらせたか

私は、そういう観点が必要だと思っているのです。
家庭は子供が成長する場でもあり、
その家庭で、カップルが出産や子育てをしっかり行うため、
社会としてカップルに担保を与える制度が結婚なのだと思うのです。
子どもがいない家庭であっても、そこの夫婦関係が健全であることが、
周囲の子どもがいる家庭にも好影響を与えるはずです。

SDGsという論点が独り歩きして、
どのようなマイノリティでも尊重されるべきだという風潮になっています。
私も、基本的に、それで正しいとは思います。
同性愛についても、単純な性的志向であって、
そういうものは人によって千差万別だと思うので、
どのような性的志向であっても、
他人に迷惑をかけない限りは尊重されるべきだと思います。
しかし、同性婚ということになってくると、社会制度の話であり、
女性天皇や女系天皇がどうだとか、女性が土俵に上がれないのはどうだとかと同様、
もはや、性差とかそういう域を超えた論点になってきて、
「多様性って大事だよね~」では済ませられないと思うのです。

そういう、ところどころに埋め込まれている論理のすり替えを、
見つけ出しては喝破するという視点の鋭さが、
今後は大事になってくるのかもしれせん。

[SE;KICHI]

年取ってきたのかな?

以前、筋トレを毎日して8kgダウンの減量に成功したと話しましたが、
今も近くのトレーニングジムに通って筋トレをしています。
専ら、減量というよりかは、
別で活動している和太鼓のためにという理由からです。
コロナ禍になって練習が中止になったりし、心と身体が鈍ってしまっていたことから、
最近になっていろいろと引き締める目的から、
炭水化物抜きの食事制限や減肥茶(言い方古い)
ダイエットサプリやプロテインなど利器も使いまくって取り組んでいます。

せっかくなので実体験を話しますが、サプリはもちろん、特茶などは、
ちゃんと90日間飲み続け、継続して運動をしながら取り組めば、
間違いなく効果は出ます。
筋トレも合わせれば、筋肉を鍛え付けていくことで、
代謝が上がり、消費しやすい身体ができます。
筋肉は見た目のみならず、有るだけでエネルギー消費を行いますので、
一石二鳥というところでしょうか。
いずれにせよ、運動ありきです!なければあまり意味無いので、
効果的な使い方をお薦めします。

ヘルシア緑茶
https://kintoreprotein.naturum.ne.jp/a3029644.html

しかし、コロナ禍は、太ること以外にも、
様々な方面に関心や時間を与えてくれたのかと、今になって思います。

それは今までより、お酒を飲む機会が増えたこと。
とりわけ、ビールです。

私は、お酒が嫌いではありませんが得意ではなありません。
(会社の方は知っておられると思いますが)
なので、弊社の社長や先輩方は毎日のように晩酌されていると聞いておりましたから、
「凄いなぁ〜好きなんだなぁ〜私には無理だろなぁ〜」
と、思っていました。
ところが、コロナ禍で外食の機会も減り、
大好きだったB級活動やラーメン屋巡りも減りました。
ラーメン以外からっきし能がない私ですから、自然と家での食事中心となり、
運動もせず、再び太るリバウンドの流れとなっていきました。

そして、様々な関心と言いましたが、
宅飲みを推奨するテレビや、
新発売のクラフトビールのCMなどという誘惑に興味が向き、
ちょっとなら飲めるし、新作が出たみたいだし、
今日はこれ買ってみよう!とかいって
帰り道コンビニに寄っていくのが楽しみになってきたりしたのです。
もちろん、両親も私が苦手だったのを知っていますので、驚いていました。
何しろ、毎日のように違う種類のビールやチューハイ350ml缶が、
立ち代わりに冷蔵庫に数本入っているのですから。
息子はビール好きになったのか!?と、嬉しそうに驚いた親(特に父親)は、
自分の分も合わせて、見た事もないケース買いをしてくる始末。
ありがたいと思いましたが、別に毎日は飲まないし、
そこまでしなくてもと思いました。


https://youtu.be/uae--6x3dwE

正直、出張行った先でも、上司の先輩方は毎日ビールを死活問題の如く調達され、
そんなに大事なものなのかと思っていた時期もありましたが、
少しずつですがこんな感じで毎日お酒に触れていると、
その少しが分かってきたように思います。

ん?
ビール苦手だったけど、最近大丈夫になってきたぞ。??
というか、美味しいな〜?


訓練の賜物か(本人は訓練した気ではあまりないのですが)
ただ単に慣れなのか、それとも、舌が変わってきたのか…。
実際味覚は変わってきたと思います。
脂っこいものからあっさりめ、
苦い味のものや素朴な味付けが大丈夫になってきたり、食べたくなったり。
でも、WAKAさんがお好きな、ふきのとうは、
出張先で食べたのですが、まだ苦手です。

これが、年取ってきたことなのか?
ビールが苦手だった自分ですから、
そんな頃の自分のと比べた、想像もしませんでした。
ちょっとした感動と共に、本当に変わってくるんだなぁ〜と、
そう思い始めてます。

ちなみに私が1番好きなのは、サッポロ黒ラベルです。
個人的にはカドが無く飲みやすく、
他社と比べて最もバランスが取れていると思います。

サッポロ黒ラベル
https://www.sapporobeer.jp/product/beer/kurolabel/

めっきり辛口はアサヒスーパードライ、
祖父やおじ様達が好む、苦めでクラシックなキリンラガー、
料理と合う旨みがあるキリン1番絞り、
苦めで高級な味わいのエビス、
なんか金属みたいな味がして旨みが分からないサントリープレモルなど、
ちょっとずつ好みと味の違いも分かってきました。
WAKAさんご指摘の通り、確かにハイネケンやバドワイザーは味が薄めですね。
外人さんが好んで飲み、ラグビーワールドカップの際は、
日本ビールを絶賛していた理由が分かった気がします。
ただ、私のような初心者にとっては、
全然違いも分からなかったので、美味しかったです。
にわかファンならぬ、にわかビール好きになっていました。

会社や友人との飲み会で、当たり前の通過儀礼のように飲む、
"とりあえずビール"という慣例。
今では、もう最初から頼む人も少なくなり、
男性でも最初からカシスオレンジなどのカクテル頼んだり、
飲まない人も多かったり、自由な感じです。
今ではパワハラとか言われそうですが、
昔の人は無理矢理飲まされたりして、けっこう苦労したんでしょうか?笑

乾杯の儀
https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/smp/lifestyle/entry/2019/020567_amp.html

良い悪いという話ではありませんが、
私も一時期は、仕事だけならず、知り合いとの飲み会でも、
できればお酒は飲みたくないしビールは要らないと思っていました。
成人なりたての頃、2度ほど急性アルコール中毒みたいなのになり、
助けてもらったので、そのせいもあるでしょうが。
以前、会社におられた方が飲み会の時、
一滴も飲まれなかったのを見て、羨ましく思っていた節もあります。

が、年のせいか、はてはコロナ禍のせいか、それは変わってきました。
幸か不幸か、知らなかった、否、知ろうとしなかったビールの良さと言うのか、
深さみたいなのが、少しだけ分かったような気がします。
まぁお陰でまた太ったり痩せたりという自分との闘いがまた始まるのですが、
ともあれ、その点においては、
苦手だったものがそうではなくなったという、嬉しい気持ちもあります。
先輩方の気持ちも少し分かりました。
お客さんとの会話も弾みますし、一緒に飲みに行く自信もつきましたかね笑

損得の話ではないのですが、
飲めないから飲まない!ときっぱり決めつけるより、
踏み出して、ちょっとずつ好きになって飲めるようになってきた今は、
楽しみも増えましたし、ちょっと得した気分になれています。
まだ日本酒や焼酎、ワインなど多様なお酒が飲めるわけではなく、
ビールのみですが、楽しいですね。
昨年末、友人と家で飲んだ時、気づいたらビールばかり飲んでいる自分に、
私含めて皆、驚きました。
あんなに苦手だったのに…。

筋トレの関係上、本来はお酒を絶ってストイックにやることが大事だと思いますが、
嗜む程度に、自分の身体と相談しつつ、
これからも味わっていきたいと思います。

[K.K]

異形の神のお化粧直し(後編)

前回、宇賀神が描かれたボロボロの掛け軸を、
わざわざ奈良の表具屋に修理してもらった話を書きました。


初回以降、作業の進捗の報告と今後の修理方針の打ち合わせのため、
私は何度か奈良のその店を訪れることになったわけですが、
一番最初に打ち合わせたというか、職人さんと取り決めた内容は、
この掛け軸の「格」でした。

私もそれまで詳しくは知らなかったのですが、
掛け軸には、松竹梅みたいな、「真」「行」「草」の3段階の格があり、
それぞれがまた、「真の真」とか「真の行」のように、細かく3段階に分かれていて、
全部で8種類(「草の草」だけはないらしい)の格付けになっているのだそうです。
たとえば、浄土真宗で使う阿弥陀如来などの仏画は「真の真」でとか、
描かれる図像によって、使える布の格から軸の素材まで、
すべて細かく決められているというわけです。
ちなみに、日本神道の最高神・天照大神を描く場合は、「神宮仕立て」と呼ばれる別格の装丁があるのだそうです。

そんな格付けにおいて、宇賀神は問題児でした。
宇賀「神」というくらいなので、神様であることは間違いなさそうですが、
こう言ってはナンですが、最高神・天照大神とは格が違いそうです。
とはいえ、いちおうは神様を名乗ってはいますので、
そのへんの美人画などと同列というのも違う気がします。
そのうえ、翁の顔をしているとはいえ、ほぼヘビですから、
むしろ動物というか、以前紹介した白澤のような、
神獣のカテゴリなのではないかという気すらします。
結局、痩せた職人さんは片っ端から文献などを参照して悩み、
「行の真でいきましょう。軸には堆朱を使いたいと思います」と言いました。
どうもそれは、龍などを描くときに選ばれる格のようでした。

私は、この掛け軸が床の間にかけられるような代物にさえ仕上がれば満足だったので、
その格付けにはそんなに関心を持ってはいなかったのですが、
この格によって、修復に使う糊すらも変わってくるというので、一大事です。
「行の真」と決まったいま、次に職人さんは、
木の蓋が乗った峠の釜飯のカラ容器のようなものを持ってきました。
その釜には「行の真」と書かれており、中を覗くと白い糊が入っていました。
素人の私には、幼稚園児が使うでんぷん糊と何が違うか分かりませんが、
これが「行の真」専用の糊だといいます。

聞けば、表装で使う糊は、いつか、次に仕立てを変える時のため、
剥がれやすくて変色が残らないようなものを使うのだそう。
もっと低い格の掛け軸を修復する場合には合成糊を使うことになり、
それは安価だし、仕上がりも早くて便利なのだそうですが、
彼曰く、「100年後に剥がれる」という謳い文句が気に食わぬとのこと。
「だって、その合成糊が開発されてから、まだ100年経ってねえもん。
本当に100年で剥がれてくれるかどうかなんて、誰にも分かんねぇから」と、
その職人さんはあまり使いたくないと言います。
なるほど。
よく分からないものはイヤだ、と。
いまとなっては、このあたり、
すごい早さで開発して承認させたコロナワクチンに対する、
ちょっと強烈なアンチテーゼのようにも聞こえますよね。

そして、職人さんがさらに言うには、
これから全力で表装を仕立てるが、
一旦仕立てても、布や紙は温度や湿度など、季節によって微妙に伸縮するもので、
それを、じっくりと調整したいから、年単位の時間をいただきたいとのこと。
その精度というか、調整のポイントも、やはり格によって違うので、
つまり、「行の真」なら微調整にこれくらいかかりますという話です。

前回、仕立てに3年から5年かかると聞いて驚いた私でしたが、
ここまで説明されながら「いや、微調整とか、別にいらないっす」とは言えません。
職人にそんなことを口走った日には、『科捜研の女』なら刺されかねませんから。

かくして、私の宇賀神は、高級な糊を使い、長い時間をかけて、
つまり、なかなかの費用と時間を費やして修復されることとなりました。
私は、床の間にかけられるような代物にさえなれば満足だったのですが……
いや、これでいいです。

と、少し惜しそうに書いてはみましたが、実は私は感激していました。
実はこの宇賀神の掛け軸は、祖父が大事にしていなかったせいか、
ボロボロなうえに真っ黒に変色しており、
よく見ないと宇賀神と分からないほどだったのですが、
職人さんはその汚れを落とすとき、絵の具が一緒に落ちてしまわないか、
悩みながらテストを繰り返し、それは見ていて気の毒なほどでした。
見かねた私が、
「いや、もう、もともと櫃に突っ込まれて大切にもされてなかった絵なんで、
そんな無理しなくて大丈夫ですから!」と声をかけたところ、
彼は眼光鋭く私を見返し、
「それはちゃうで。
この黒変はな、線香とかで燻されたときのススや。
ちゅうことは、長いこと仏間とかに掛けられて拝まれてたんや。
ほら、見てみぃ、軸の上にホコリがついてるやろ。
これはな、高いところから吊るされてた証拠やがな」と、
この掛け軸が大切に拝まれていたものだと言い切りました。
職人、スゲー!という、感激の瞬間でしたね。

ちなみにこのホコリ、再利用されることになりました。
絵の具では出せない古色を加えたいときなど、
ホコリやススを集めて煮て、それを使って着色する技法があるとのことで、
今回はそうしようと。
……職人、スゲー!

というわけで、現在、私の宇賀神は、
キレイに洗われ、格付けにしたがった布やら糊やらを駆使してお色直しされ、
奈良の表具屋に滞在中です。
たぶんもう少ししたら帰宅することになると思います。
そのとき、自分がどんなふうに感じるのか、とても気になります。

ただ、その表具屋を気に入ってしまった私、
一期一会の奈良の表具屋と、宇賀神だけで縁が切れてしまうのも惜しく、
その表具屋に出せる依頼はないかと、
密かにボロボロの掛け軸を物色しているのが目下の悩みです。

[SE;KICHI]

調べて当然の時代に…

先日、どこか喫茶店を探していた時のことです。
新しく出来た気になるお店があったため、訪れてみました。

NEST MEIKE SHINMEI
http://gata21.jp/archives/85543316.html

その店構えからなんと無く喫茶店を想定していた私
・・・しかし実際はテイクアウトのみのお店でした笑  

何のお店かよく知らないまま開店前にお店を覗き込んでいたら、
お一人の方が話かけてくれました。
どうやらカヌレというフランスの焼き菓子を販売しているお店のようでした。
「カヌレ?」
私は後々知らないことに恥ずかしくなりました笑
まず、お店の名前にはカヌレという文字が堂々と入っており、
喫茶店ではなかったのです・・・

話しかけてくださった方は、お店のことや人気メニューのことを教えて下さりました。
てっきり新しくオープンしたお店なので、
宣伝している店員さんなのかな、と思ったら開店待ちのお客さんでした。
熱く語って下さったので、なんとく買って帰ろうかなと思った私。
そしていざ、開店直前になると、後ろには若い女性達がたくさん並んでおりました.

・・・ま、そうだよね笑
男性客は並んでいなかった為、なんとなく恥ずかしくなり引き返しました笑
というか、そもそも目的の喫茶店ではないですしね・・・

今の時代、気になるお店があったら一度調べてから行ってみるべきだったなぁと,
恥ずかしくなりました笑
後々に調べると、カヌレ・ジェラート・コーヒーを,
テイクアウト販売のみしているお店とのことでした。

カヌレ
https://www.week.co.jp/postpic/1001522/

Canelé de CHIANTI ⇒ https://atechian.thebase.in/

いやー、調べるということは大事ですね。
そのお店が良い悪いの問題ではなくて、
そのとき目的のお店ではなかったためです。
今、新しく取り組むこととして、
運動不足解消に自転車かエアロバイクを買おうと思っているのですが、
どちらが自分に良いかをよく調べてからにしようと思います。
エアロバイクは場所も取りますが、折り畳み式のものもあるようです!

今回の経験で得たことは、調べるということは大事、ということと、
カヌレというものを知れたということでした笑  
知らない店にそのまま飛び込んで行くことは辞めようと体感しました。

[SYUN]
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