今、考えるべきこと②
前回のコメントに、抑止論についての是を唱えるコメントがありました。
しかし「平和学」というのは先述の通り、”平和についての研究”であり、
戦争の是非を問うもの以前に、
“争いそのものを否定ありきで考える学問”なんです。
ですので、平和学においては戦争肯定はまずあり得ないし、
議論として徹底的に否定されるものなのですよ。
アカデミックな世界です。
答えがないようでいて、土台が決まったところからスタートしている、
全く矛盾しているような感覚になってきます。
とはいえ、これについて毎日必死に研究している人が世界のどこかにいるのです。
(ここでは抑止論についても触れなければいけません。)
前回、かつての米ソ東西冷戦での、その抑止論について少し触れてみました。
“安全保障のジレンマ”という、重要な問題で必ず抵触する事柄ですが、
冷戦期の米ソを中心とした核開発の問題は、ここから来ているものであり、
今日の人類が向き合わなければいけない、遠いようでとても身近な問題であります。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-07-09/2017070901_01_1.html
1989年末の米ソ首脳によるマルタ会談によって東西冷戦は終結したとされていますが、
それまでの遺恨はもちろん、
その産物たちは直ちに消えてなくなったわけではありません。
ご存知の通り、核兵器です。
核兵器について触れますと、
核兵器は、日本にも落とされた核分裂を利用した原子爆弾、
核融合を利用した水素爆弾、
核爆弾に運搬手段(航空機、ロケットエンジン等)を付け加えた核ミサイルを総称したものです。
核爆弾の原理は割愛しますが、
原爆の場合でも石炭火力の200万倍のエネルギーが100万分の1秒で分裂するため、
凄まじい熱、衝撃波、放射線が数百万度の熱と共に炸裂します。
現代の弾道ミサイル(ICBM)は、なんとこの670倍もの威力を持っているとされています。
ではなぜ核兵器が作られたかといいますと、やはり第二次世界大戦が契機です。
ナチス・ドイツが早くからその研究に関心を持っていたことから、
その対抗としてイギリスを中心に連合国側も研究を開始。
後にドイツは降伏し、原爆の研究を行っていなかったことが分かってからも、
連合国側は開発を続けました。
当初の目的は、表向きはドイツ、
はては日本を打倒して戦争を終わらせるためという大義のもとでしたが、
その実は、対ソ連の為だったということは今日では有名です。
当時は同じ連合国として同盟を結んでいた米ソでしたが、
裏では既に政治的な対決として動いていたということになります。

http://hpmmuseum.jp/modules/exhibition/index.php?action=DocumentView&document_id=62&lang=jpn
この当時について余談を話すと、原爆開発をアメリカが極秘裏に進めた「マンハッタン計画」に参加したノーベル賞受賞者、ロートブラット博士曰く、開発の目的はドイツに対して脅しの意味も含めてがきっかけでしたが、ある時、アメリカ軍将校が秘密裏に対ソ連用が真意であると話したそうです。この言葉に、同盟国であるソ連に対しての強い背信を感じたそうです。今この瞬間も、西ヨーロッパに連合軍が上陸する為、東部戦線で毎日1,000人以上のソ連兵が時間稼ぎの為に死んでいるのに・・・。研究している我々の代わりに、極限の中犠牲を強いられている人たちに、政治的、戦略的兵器を作りそれを向ける為に作っているとは!彼はこの計画から離脱しましたが、他の研究者らは残ったそうです。そもそも離脱すること自体大変なことではありますが、他の研究者らは、純粋な科学的好奇心や、日本に落とすことで多くのアメリカ及び連合国兵が助かることを説得されたり、自らの将来に不利な影響が出るのを恐れ、この戦争で麻痺している凶暴さの前に個人の態度も出せず残ったと振り返っています。この戦争の凶暴な異常性の前には冷静な判断や合理的思考もままならない。だからこそ私たちは戦争そのものに反対する、そう博士は語っています。
実はもうひとつ興味深い余談ですが、日本に原爆を落としたことで降伏を早め、多くのアメリカ兵を救う”原爆神話”以外にも、原爆を使用した理由があります。当時日本はソ連を通じて和平ルートに動いていました。それをアメリカは知っていましたが、あえて使いましたが、何故でしょうか? それはポツダム宣言でソ連の対日参戦を確認した際、アメリカが日本降伏後のソ連に対して、優位性を勝ち得る為、参戦より先に落として牽制するためです。巨額の計画の成果を発揮する十分な機会であり、計画そのものを正当化すること。また、アジアや日本に対する差別的な意識から実験的使用への躊躇いが少なかったことも理由だそうです。どれも驚きで、なんともいえない気持ちになりました。単純な問題ではありません。
核兵器の開発理由は、最初はナチス・ドイツに対抗するため、
日本を降伏させるためであったのが、やがてソ連を抑え込むために変わり、
冷戦時代には仮想敵国に対しての大量報復という役割に変わりました。
冷戦終結はそれらを打ち消すチャンスではありましたが、
核は温存され、今や核は”使える兵器”との転換が図られています。
要は、核はその必要性があって存在しているのではなく、
核そのものが存在する理由を必要とされてきたと言えるのでしょう。
もはや本末転倒な気がしますが、
その背景、根底には、前回話しましたように、
”武力にはより強い武力を”という、
根強い「戦争の文化」があることだと言われています。
怖ろしいことに、今も核兵器の数は現実にこれだけあります。
既存の文明が○○度滅んでも足りないほどの・・・と聞いたことありますが、
想像するだけで怖ろしい数です。

https://hiroshimaforpeace.com/hiroshima75/present-issue/
米ソの対立による冷戦は、世界を分断しました。
第二次大戦後、戦勝国として影響を強めた米英に対し、
ソ連は安全保障地帯確保のため、東欧を中心にそれを強引に進めました。
影響力拡大を図ったソ連のもと、共産圏が増えていくのを過剰に嫌う米英、
特にアメリカは核の力を誇示して封じ込めに入ります。
ソ連も自ら核をもってアメリカに対抗する道を選択し、
互いに核兵器開発競争や宇宙開発に発展し、
ご周知の通りそれは熾烈さを極めていきました。
核兵器が大量に作られたことにより、今までの力と力の均衡から、
恐怖と恐怖による均衡へと変貌していったとも言えるでしょう。
(その過程において、アメリカがビキニ環礁で行った6度の水爆実験。日本のマグロ漁船、第五福竜丸が被曝し、日本は原水爆による三度被害を受けた唯一の国となってしまいました。)
こういった中で、
1950年代にストックホルム・アピールから始まる反核平和運動が始まっていきます。
1955年には、哲学者ラッセルと物理学者アインシュタインら、
超一級の科学者11名により、
核兵器廃絶等を訴える「ラッセル・アインシュタイン宣言」が出され、
東西、加被害を超えて行われた、
有名な1957年のパグウォッシュ会議実現へと繋がっていきます。
(日本からは湯川秀樹博士も参加。)
さて、ここに私たちがあなたがたに提出する問題、
きびしく、おそろしく、そして避けることのできない問題がある――
私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?
私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、
幸福と知識の絶えまない進歩がある。
私たちの争いを忘れることができぬからといって、
そのかわりに、私たちは死を選ぶのであろうか?
私たちは、人類として、人類に向かって訴える――
あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と。
もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。
もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。
「ラッセル・アインシュタイン宣言」本文より抜粋
それでも米ソ核開発戦争はイデオロギーの対立によって激化し、
様々な危機的状況を引き起こしていきました。(キューバ危機など)
やがて他国も核実験に成功し、次々と保有国が増え始めていた中でも、
パグウォッシュ会議のような、
こうした民間レベルでの地道で純粋な建設的行動が、
次第に世間より認められていくようになりました。
研究者シオ・レンツが出版した『平和のための科学をめざして』のなかで、
これまでは戦争と文明が共存してきたのだから、
将来においてもそうできると考えるのは誤りである。
核戦争前と核戦争後は同じではない。
戦争と絶滅か、平和と生存か、どちらを選択するかが、
今日の喫緊の課題なのである。
我々は平和科学をひとつの過程――
人間が持つ調和のある戦争のない世界への望みを実現させるために、
必要なことを与えるような知識を求めて、
大胆で自由な人々がその時間と最高の能力を、
客観的、協力的で創造的な探求に従事する過程であると考える。
と唱えました。
この文面にも書いてあるように、
この頃より平和研究が盛んに進められていきました。
平和学の誕生です。
そしてそれは核のみならず、
前回触れたガルトゥング博士の”消極的平和”と”積極的平和”などに細かく体系化され、
ここまで広がり発展してきたのです。
話しが大きくずれてしまいました。
これを今、考えるべきことが、年初にありました。
2021年1月22日に発効した、「核兵器禁止条約」です。
これは2017年7月7日に国連総会で122ヶ国地域の賛成で採択された、
人類史上初めての一切の核開発、製造、保有、使用を禁じたもので、
2020年10月までに50ヶ国がこれに批准したため、発効されました。
しかしこの条約には、米露含む5大国や保有国、
また抑止力に頼る”核の傘”に守られた?日本や韓国は参加していません。
日本だけで言えば、
唯一の被爆国なのに、三度も被爆したのに、なぜ!?
と思われる方が多いかもしれません。
この条約の推進国は、この国際規範が確立されたことにより、
直ちに減ることはなくても、将来的に保有国や不参加国への圧力となり、
その弾みになることを期待していますが、本当に大丈夫なのでしょうか。
日本はどうなっているんだ! ……そう思ってしまいそうです。
これを説明するには、もうひとつネックとなる条約が存在します。
「核が平和を保った」と主張する人がいますが、
これは偏った見方と言えます――
今日まで西側の歴史家に入手可能になったソ連の公式文書を調べても、
抑止力が有効であったことを実証しうるものは見当たらないのです。
ロートブラッド博士
先ほど、その存在理由について、
核兵器そのものへは、後から都合をつけて用いられてきた旨を話しました。
時代や状況によって核兵器は技術のみならず、
存在意義まで進化してきたと言ってよい。
しかしその核を用いた抑止論によって、本当に平和だったのか?
米ソの直接対決はなかったものの、
それでどの国も自信を持って平和だったと言えるのか?
そう問われると答えに困ってしまいそうです。
でも、現代の日本においては、
お隣北朝鮮や中国は核兵器を保有していて、
とても危険な状態なのに、
アメリカが安保理に基づいて、
核の抑止力(=核の傘)で守ってくれるから、なんとか大丈夫。
だから抑止論は必要だ! だって危ないし仕方ないじゃん!
おそらくこう思っている人もおられると思います。
はい、これで結論出た! となってしまっては、平和学の意味はありません。
もう少し考えたいと思います。
先述の核禁止条約に日本が入らない理由にもなっているのが、
日本を含む世界191ヶ国地域が加盟する、核不拡散条約(NPT)の存在です。
1970年に発効したこの条約は、
その名の通り、当時冷戦期で世界中に蔓延していた核の闇に光を指すべく、
核兵器を不拡散とし、軍縮し、
原子力を平和的に利用することを目的としたものです。
具体的には、米露英物中の5大国を”核兵器国”とし、
それ以外の国への拡散を防止、
核軍縮交渉を定期的に行う義務を規定するなどです。
しかし問題点もあります。
ひとつに核拡散に対する検証システムが有るのに、
“核兵器国”の軍縮取り組み規定は不明確なまま。
また、”核兵器国”とそうでない国との差別性から、
5大国ではない核保有国が非加盟となり、保有を宣言。(インド、パキスタンなど)
お隣北朝鮮も、2003年に脱退宣言して、今日の様に保有しています。
つまり拡散を防止できていないことです。
ふたつに核抑止論を容認してしまっていることです。
非核保有国に不使用を迫る一方、
核保有国が拡大抑止のための“核の傘”をもって安全保障する、日本のような状態です。
日本は現在お隣北朝鮮が危険な状態でありますので、
「被爆国」と「核抑止依存国」というジレンマを抱えている状態と言ってよいでしょう。
みっつに核保有国と非核保有国との対立があります。
当然、核兵器に対する見方や考え方が違いますので、
それぞれの主張が先に出れば、嚙み合わないのは想像がつきます。
こういった中でもNPT再検討会議が何度も続けられ、
核兵器の非人道性などから「核兵器のない世界」を意識するようになりました。
それでも交渉や検討は度々決裂し、
これ以上の力のある禁止条約を求める声が高まり、採択へと至りました。
では、先述の”核の傘”を被る核抑止依存国日本は、
この条約に対してどのような見解なのでしょうか。
条約が採択された2017年3月28日の当時の岸田外務大臣の会見です。
我が国の基本的な立場、核兵器の非人道性に対する正確な認識と、
厳しい安全保障に対する冷静な認識、この二つの認識の下に、
核兵器国、非核兵器国の協力を得、現実的・実践的な取組を積み重ねています。
(この交渉に)核兵器国は参加していません。
こうした核兵器国が参加していない議論を、非核兵器国だけで進めることは、
核兵器国と非核兵器国の亀裂、ますます決定的なものにしてしまうのではないか、
そういったことを考えますときに、是非、両者への協力をしっかりと得た上で、
現実的・実践的な取組を行わなければならない、このように考えます。
日本政府としては、この条約は核兵器国や依存国との間に溝を深め、
NPT体制に悪影響を及ぼすだろうとの見解でいます。
原爆被害者の方々が見たら、憤りを感じる文面かもしれません。
しかしこの政府のような考えを持つ、条約に賛同しない勢力を、
支持へと変化させるために必要なことを考えるのが平和学であります。
是か非か切って捨てるのではなく、
誰がどのようにどんな効果を期待して取り組むか、これを私も考えているところです。
この条約には、参加していない日本にも大きな責任があると言われます。
被爆国として、核抑止依存からの脱却を、世界からいつも注目されているということです。
次に、昨年の原爆投下による追悼式典での平和宣言と、
それに対する首相の挨拶を見てみましょう。

https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/202008/06hiroshima.html
ところで、国連に目を向けてみると、50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、
3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、
次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、
その動向が不透明となっています。
世界の指導者は、
今こそ、この枠組みを有効に機能させるための決意を固めるべきではないでしょうか。
そのために広島を訪れ、被爆の実相を深く理解されることを強く求めます。
その上で、NPT再検討会議において、
NPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、
建設的対話を「継続」し、
核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。
日本政府には、
核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、
核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて、
同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、
世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。
また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、
心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で、
様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、
その支援策を充実するとともに、
「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。
「広島平和宣言」2020年8月6日 広島市長 松井 一寶
それに対し、首相あいさつ。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。
同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、
来るべきNPT運用検討会議を、
有意義な成果を収めるものとすることが重要です。
我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、
核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果を活用しながら、
引き続き、積極的に貢献してまいります。
「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、
世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、
継承する取組です。
我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、
被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
被爆者の方々に対しましては、
保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、
原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、
高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、
今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。
「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式首相挨拶 」
2020年8月6日 内閣総理大臣 安倍 晋三
世界各国の指導者に訴えます。
「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。
今こそ、「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。
来年開かれる予定のNPT再検討会議で、
核超大国である米ロの核兵器削減など、
実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。
日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器の怖さを体験した国として、
一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、
北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。
「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の、
平和の理念を永久に堅持してください。
そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、
未だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。
「長崎平和宣言」2020年8月9日 長崎市長 田上 富久
長崎と広島で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、
二度と繰り返してはなりません。
唯一の戦争被爆国として、
「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を、
一歩一歩、着実に前に進めていくことは、我が国の変わらぬ使命です。
現在のように、厳しい安全保障環境や、
核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、
各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、
共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。
特に本年は、被爆75年という節目の年であります。
我が国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、
各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、
核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードしてまいります。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。
同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、
来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。
我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、
核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果も活用しながら、
引き続き、積極的に貢献してまいります。
「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、
世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍や、
その非人道性を語り伝え、承継する取組です。
我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、
被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ 」
2020年8月9日 内閣総理大臣 安倍 晋三
広島、長崎のどちらの市長も宣言内で、
この「核兵器禁止条約」について触れています。
世界各国の駐日大使も毎年参加するこの式典で、
まさに魂の訴えといった内容です、
それに対し、総理の挨拶は日本政府の見解そのままに、
「核不拡散条約」(NPT)について言及するに留まっています。
(しかもまさかの流用wwwこれは・・・。)
日本が条約に参加しないのは、
先述してきた通り、核依存国であることや、
現状の厳しい環境からによるものです。
外務大臣や当時の大使ステートメントにあるように、
条約が出来たからといって、直ちに核兵器がなくなるわけでもありません。
しかし、そのための努力を、唯一の被爆国である日本が、
または日本人一人一人が行動していくことが大切ではないでしょうか。
国が動かないのであれば、民間レベルでもいい。
パグウォッシュ会議のように、継続して対話の道、啓蒙の道を続けていけばいい。
必ずしも海外に行って、それを行わなければいけないわけでない。
外国人相手にのみ、理解してもらわないといけないわけでもない。
まずは核兵器について知ること。
そして相手を知ること。
人と人、その相互理解があらゆる不信を取り除いていく第一歩のように思います。
私の持論ですが、世界平和といっても、なにもテレビの中だけではなく、
雲の上の話でもないと思います。
それは、一番身近な人間関係から始まるものだと思っています。
理想論だと一笑する人もいるかもしれませんが、
実際、冷戦も様々な諍いも、
小さな誤解や綻びが大きなものに膨れ上がって起きてきました。
そして全てではないですが、理解して解決されてきました。
我々は人種や環境は違いますが、
きっと理解し合えることができると思います。
同じ地球に生まれた、地球市民なのですから。
最後に、バラク・オバマ元米大統領がノーベル平和賞を受賞した、
有名な「プラハ演説」です。
今日、冷戦はなくなりましたが、何千発もの核兵器はまだ存在しています。
歴史の奇妙な展開により、世界規模の核戦争の脅威が少なくなる一方で、
核攻撃の危険性は高まっています。
核兵器を保有する国家が増えています。
核実験が続けられています。
闇市場では核の機密と核物質が大量に取引されています。
核爆弾の製造技術が拡散しています。
テロリストは、核爆弾を購入、製造、あるいは盗む決意を固めています。
こうした危険を封じ込めるための私たちの努力は、
全世界的な不拡散体制を軸としていますが、
規則を破る人々や国家が増えるに従い、
この軸が持ちこたえられなくなる時期が来る可能性があります。
私たちは、20世紀に自由のために戦ったように、
21世紀には、世界中の人々が恐怖のない生活を送る権利を求めて、
共に戦わなければなりません。
そして、核保有国として、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、
米国には行動する道義的責任があります。
米国だけではこの活動で成功を収めることはできませんが、
その先頭に立つことはできます。
その活動を始めることはできます。
従って本日、私は、
米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、
信念を持って明言いたします。
私は甘い考えは持っていません。
この目標は、すぐに達成されるものではありません。
おそらく私の生きているうちには達成されないでしょう。
この目標を達成するには、忍耐と粘り強さが必要です。
しかし、今、私たちは、
世界は変わることができないという声を取り合ってはいけません。
「イエス・ウィ・キャン」と主張しなければならないのです。
では、私たちが取らなければならない道筋を説明しましょう。
まず、米国は、核兵器のない世界に向けて、具体的な措置を取ります。
冷戦時代の考え方に終止符を打つために、
米国は国家安全保障戦略における核兵器の役割を縮小し、
他国にも同様の措置を取ることを求めます。
もちろん、核兵器が存在する限り、
わが国は、いかなる敵であろうとこれを抑止し、
チェコ共和国を含む同盟諸国に対する防衛を保証するために、
安全かつ効果的な兵器を維持します。
しかし、私たちは、兵器の保有量を削減する努力を始めます。

http://tsuiteru-reosan4949.seesaa.net/upload/detail/image/E382AAE38390E3839EE5A4A7E7B5B1E9A098E38080E38397E383A9E3838FE6BC94E8AAAC4-13ba2-thumbnail2.jpg.html
様々な意見がありましたが、
やはり初めて広島を訪問したり、新しい時代の大統領であったのでしょう。
自分が被害者だから責任がないのでもなく、自分は知らないからでもなく、
地球市民として、今後も平和について考えていきたいと思います。
[K.K]
しかし「平和学」というのは先述の通り、”平和についての研究”であり、
戦争の是非を問うもの以前に、
“争いそのものを否定ありきで考える学問”なんです。
ですので、平和学においては戦争肯定はまずあり得ないし、
議論として徹底的に否定されるものなのですよ。
アカデミックな世界です。
答えがないようでいて、土台が決まったところからスタートしている、
全く矛盾しているような感覚になってきます。
とはいえ、これについて毎日必死に研究している人が世界のどこかにいるのです。
(ここでは抑止論についても触れなければいけません。)
前回、かつての米ソ東西冷戦での、その抑止論について少し触れてみました。
“安全保障のジレンマ”という、重要な問題で必ず抵触する事柄ですが、
冷戦期の米ソを中心とした核開発の問題は、ここから来ているものであり、
今日の人類が向き合わなければいけない、遠いようでとても身近な問題であります。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-07-09/2017070901_01_1.html
1989年末の米ソ首脳によるマルタ会談によって東西冷戦は終結したとされていますが、
それまでの遺恨はもちろん、
その産物たちは直ちに消えてなくなったわけではありません。
ご存知の通り、核兵器です。
核兵器について触れますと、
核兵器は、日本にも落とされた核分裂を利用した原子爆弾、
核融合を利用した水素爆弾、
核爆弾に運搬手段(航空機、ロケットエンジン等)を付け加えた核ミサイルを総称したものです。
核爆弾の原理は割愛しますが、
原爆の場合でも石炭火力の200万倍のエネルギーが100万分の1秒で分裂するため、
凄まじい熱、衝撃波、放射線が数百万度の熱と共に炸裂します。
現代の弾道ミサイル(ICBM)は、なんとこの670倍もの威力を持っているとされています。
ではなぜ核兵器が作られたかといいますと、やはり第二次世界大戦が契機です。
ナチス・ドイツが早くからその研究に関心を持っていたことから、
その対抗としてイギリスを中心に連合国側も研究を開始。
後にドイツは降伏し、原爆の研究を行っていなかったことが分かってからも、
連合国側は開発を続けました。
当初の目的は、表向きはドイツ、
はては日本を打倒して戦争を終わらせるためという大義のもとでしたが、
その実は、対ソ連の為だったということは今日では有名です。
当時は同じ連合国として同盟を結んでいた米ソでしたが、
裏では既に政治的な対決として動いていたということになります。

http://hpmmuseum.jp/modules/exhibition/index.php?action=DocumentView&document_id=62&lang=jpn
この当時について余談を話すと、原爆開発をアメリカが極秘裏に進めた「マンハッタン計画」に参加したノーベル賞受賞者、ロートブラット博士曰く、開発の目的はドイツに対して脅しの意味も含めてがきっかけでしたが、ある時、アメリカ軍将校が秘密裏に対ソ連用が真意であると話したそうです。この言葉に、同盟国であるソ連に対しての強い背信を感じたそうです。今この瞬間も、西ヨーロッパに連合軍が上陸する為、東部戦線で毎日1,000人以上のソ連兵が時間稼ぎの為に死んでいるのに・・・。研究している我々の代わりに、極限の中犠牲を強いられている人たちに、政治的、戦略的兵器を作りそれを向ける為に作っているとは!彼はこの計画から離脱しましたが、他の研究者らは残ったそうです。そもそも離脱すること自体大変なことではありますが、他の研究者らは、純粋な科学的好奇心や、日本に落とすことで多くのアメリカ及び連合国兵が助かることを説得されたり、自らの将来に不利な影響が出るのを恐れ、この戦争で麻痺している凶暴さの前に個人の態度も出せず残ったと振り返っています。この戦争の凶暴な異常性の前には冷静な判断や合理的思考もままならない。だからこそ私たちは戦争そのものに反対する、そう博士は語っています。
実はもうひとつ興味深い余談ですが、日本に原爆を落としたことで降伏を早め、多くのアメリカ兵を救う”原爆神話”以外にも、原爆を使用した理由があります。当時日本はソ連を通じて和平ルートに動いていました。それをアメリカは知っていましたが、あえて使いましたが、何故でしょうか? それはポツダム宣言でソ連の対日参戦を確認した際、アメリカが日本降伏後のソ連に対して、優位性を勝ち得る為、参戦より先に落として牽制するためです。巨額の計画の成果を発揮する十分な機会であり、計画そのものを正当化すること。また、アジアや日本に対する差別的な意識から実験的使用への躊躇いが少なかったことも理由だそうです。どれも驚きで、なんともいえない気持ちになりました。単純な問題ではありません。
核兵器の開発理由は、最初はナチス・ドイツに対抗するため、
日本を降伏させるためであったのが、やがてソ連を抑え込むために変わり、
冷戦時代には仮想敵国に対しての大量報復という役割に変わりました。
冷戦終結はそれらを打ち消すチャンスではありましたが、
核は温存され、今や核は”使える兵器”との転換が図られています。
要は、核はその必要性があって存在しているのではなく、
核そのものが存在する理由を必要とされてきたと言えるのでしょう。
もはや本末転倒な気がしますが、
その背景、根底には、前回話しましたように、
”武力にはより強い武力を”という、
根強い「戦争の文化」があることだと言われています。
怖ろしいことに、今も核兵器の数は現実にこれだけあります。
既存の文明が○○度滅んでも足りないほどの・・・と聞いたことありますが、
想像するだけで怖ろしい数です。

https://hiroshimaforpeace.com/hiroshima75/present-issue/
米ソの対立による冷戦は、世界を分断しました。
第二次大戦後、戦勝国として影響を強めた米英に対し、
ソ連は安全保障地帯確保のため、東欧を中心にそれを強引に進めました。
影響力拡大を図ったソ連のもと、共産圏が増えていくのを過剰に嫌う米英、
特にアメリカは核の力を誇示して封じ込めに入ります。
ソ連も自ら核をもってアメリカに対抗する道を選択し、
互いに核兵器開発競争や宇宙開発に発展し、
ご周知の通りそれは熾烈さを極めていきました。
核兵器が大量に作られたことにより、今までの力と力の均衡から、
恐怖と恐怖による均衡へと変貌していったとも言えるでしょう。
(その過程において、アメリカがビキニ環礁で行った6度の水爆実験。日本のマグロ漁船、第五福竜丸が被曝し、日本は原水爆による三度被害を受けた唯一の国となってしまいました。)
こういった中で、
1950年代にストックホルム・アピールから始まる反核平和運動が始まっていきます。
1955年には、哲学者ラッセルと物理学者アインシュタインら、
超一級の科学者11名により、
核兵器廃絶等を訴える「ラッセル・アインシュタイン宣言」が出され、
東西、加被害を超えて行われた、
有名な1957年のパグウォッシュ会議実現へと繋がっていきます。
(日本からは湯川秀樹博士も参加。)
さて、ここに私たちがあなたがたに提出する問題、
きびしく、おそろしく、そして避けることのできない問題がある――
私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?
私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、
幸福と知識の絶えまない進歩がある。
私たちの争いを忘れることができぬからといって、
そのかわりに、私たちは死を選ぶのであろうか?
私たちは、人類として、人類に向かって訴える――
あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と。
もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。
もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。
「ラッセル・アインシュタイン宣言」本文より抜粋
それでも米ソ核開発戦争はイデオロギーの対立によって激化し、
様々な危機的状況を引き起こしていきました。(キューバ危機など)
やがて他国も核実験に成功し、次々と保有国が増え始めていた中でも、
パグウォッシュ会議のような、
こうした民間レベルでの地道で純粋な建設的行動が、
次第に世間より認められていくようになりました。
研究者シオ・レンツが出版した『平和のための科学をめざして』のなかで、
これまでは戦争と文明が共存してきたのだから、
将来においてもそうできると考えるのは誤りである。
核戦争前と核戦争後は同じではない。
戦争と絶滅か、平和と生存か、どちらを選択するかが、
今日の喫緊の課題なのである。
我々は平和科学をひとつの過程――
人間が持つ調和のある戦争のない世界への望みを実現させるために、
必要なことを与えるような知識を求めて、
大胆で自由な人々がその時間と最高の能力を、
客観的、協力的で創造的な探求に従事する過程であると考える。
と唱えました。
この文面にも書いてあるように、
この頃より平和研究が盛んに進められていきました。
平和学の誕生です。
そしてそれは核のみならず、
前回触れたガルトゥング博士の”消極的平和”と”積極的平和”などに細かく体系化され、
ここまで広がり発展してきたのです。
話しが大きくずれてしまいました。
これを今、考えるべきことが、年初にありました。
2021年1月22日に発効した、「核兵器禁止条約」です。
これは2017年7月7日に国連総会で122ヶ国地域の賛成で採択された、
人類史上初めての一切の核開発、製造、保有、使用を禁じたもので、
2020年10月までに50ヶ国がこれに批准したため、発効されました。
しかしこの条約には、米露含む5大国や保有国、
また抑止力に頼る”核の傘”に守られた?日本や韓国は参加していません。
日本だけで言えば、
唯一の被爆国なのに、三度も被爆したのに、なぜ!?
と思われる方が多いかもしれません。
この条約の推進国は、この国際規範が確立されたことにより、
直ちに減ることはなくても、将来的に保有国や不参加国への圧力となり、
その弾みになることを期待していますが、本当に大丈夫なのでしょうか。
日本はどうなっているんだ! ……そう思ってしまいそうです。
これを説明するには、もうひとつネックとなる条約が存在します。
「核が平和を保った」と主張する人がいますが、
これは偏った見方と言えます――
今日まで西側の歴史家に入手可能になったソ連の公式文書を調べても、
抑止力が有効であったことを実証しうるものは見当たらないのです。
ロートブラッド博士
先ほど、その存在理由について、
核兵器そのものへは、後から都合をつけて用いられてきた旨を話しました。
時代や状況によって核兵器は技術のみならず、
存在意義まで進化してきたと言ってよい。
しかしその核を用いた抑止論によって、本当に平和だったのか?
米ソの直接対決はなかったものの、
それでどの国も自信を持って平和だったと言えるのか?
そう問われると答えに困ってしまいそうです。
でも、現代の日本においては、
お隣北朝鮮や中国は核兵器を保有していて、
とても危険な状態なのに、
アメリカが安保理に基づいて、
核の抑止力(=核の傘)で守ってくれるから、なんとか大丈夫。
だから抑止論は必要だ! だって危ないし仕方ないじゃん!
おそらくこう思っている人もおられると思います。
はい、これで結論出た! となってしまっては、平和学の意味はありません。
もう少し考えたいと思います。
先述の核禁止条約に日本が入らない理由にもなっているのが、
日本を含む世界191ヶ国地域が加盟する、核不拡散条約(NPT)の存在です。
1970年に発効したこの条約は、
その名の通り、当時冷戦期で世界中に蔓延していた核の闇に光を指すべく、
核兵器を不拡散とし、軍縮し、
原子力を平和的に利用することを目的としたものです。
具体的には、米露英物中の5大国を”核兵器国”とし、
それ以外の国への拡散を防止、
核軍縮交渉を定期的に行う義務を規定するなどです。
しかし問題点もあります。
ひとつに核拡散に対する検証システムが有るのに、
“核兵器国”の軍縮取り組み規定は不明確なまま。
また、”核兵器国”とそうでない国との差別性から、
5大国ではない核保有国が非加盟となり、保有を宣言。(インド、パキスタンなど)
お隣北朝鮮も、2003年に脱退宣言して、今日の様に保有しています。
つまり拡散を防止できていないことです。
ふたつに核抑止論を容認してしまっていることです。
非核保有国に不使用を迫る一方、
核保有国が拡大抑止のための“核の傘”をもって安全保障する、日本のような状態です。
日本は現在お隣北朝鮮が危険な状態でありますので、
「被爆国」と「核抑止依存国」というジレンマを抱えている状態と言ってよいでしょう。
みっつに核保有国と非核保有国との対立があります。
当然、核兵器に対する見方や考え方が違いますので、
それぞれの主張が先に出れば、嚙み合わないのは想像がつきます。
こういった中でもNPT再検討会議が何度も続けられ、
核兵器の非人道性などから「核兵器のない世界」を意識するようになりました。
それでも交渉や検討は度々決裂し、
これ以上の力のある禁止条約を求める声が高まり、採択へと至りました。
では、先述の”核の傘”を被る核抑止依存国日本は、
この条約に対してどのような見解なのでしょうか。
条約が採択された2017年3月28日の当時の岸田外務大臣の会見です。
我が国の基本的な立場、核兵器の非人道性に対する正確な認識と、
厳しい安全保障に対する冷静な認識、この二つの認識の下に、
核兵器国、非核兵器国の協力を得、現実的・実践的な取組を積み重ねています。
(この交渉に)核兵器国は参加していません。
こうした核兵器国が参加していない議論を、非核兵器国だけで進めることは、
核兵器国と非核兵器国の亀裂、ますます決定的なものにしてしまうのではないか、
そういったことを考えますときに、是非、両者への協力をしっかりと得た上で、
現実的・実践的な取組を行わなければならない、このように考えます。
日本政府としては、この条約は核兵器国や依存国との間に溝を深め、
NPT体制に悪影響を及ぼすだろうとの見解でいます。
原爆被害者の方々が見たら、憤りを感じる文面かもしれません。
しかしこの政府のような考えを持つ、条約に賛同しない勢力を、
支持へと変化させるために必要なことを考えるのが平和学であります。
是か非か切って捨てるのではなく、
誰がどのようにどんな効果を期待して取り組むか、これを私も考えているところです。
この条約には、参加していない日本にも大きな責任があると言われます。
被爆国として、核抑止依存からの脱却を、世界からいつも注目されているということです。
次に、昨年の原爆投下による追悼式典での平和宣言と、
それに対する首相の挨拶を見てみましょう。

https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/202008/06hiroshima.html
ところで、国連に目を向けてみると、50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、
3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、
次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、
その動向が不透明となっています。
世界の指導者は、
今こそ、この枠組みを有効に機能させるための決意を固めるべきではないでしょうか。
そのために広島を訪れ、被爆の実相を深く理解されることを強く求めます。
その上で、NPT再検討会議において、
NPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、
建設的対話を「継続」し、
核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。
日本政府には、
核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、
核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて、
同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、
世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。
また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、
心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で、
様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、
その支援策を充実するとともに、
「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。
「広島平和宣言」2020年8月6日 広島市長 松井 一寶
それに対し、首相あいさつ。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。
同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、
来るべきNPT運用検討会議を、
有意義な成果を収めるものとすることが重要です。
我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、
核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果を活用しながら、
引き続き、積極的に貢献してまいります。
「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、
世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、
継承する取組です。
我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、
被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
被爆者の方々に対しましては、
保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、
原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、
高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、
今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。
「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式首相挨拶 」
2020年8月6日 内閣総理大臣 安倍 晋三
世界各国の指導者に訴えます。
「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。
今こそ、「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。
来年開かれる予定のNPT再検討会議で、
核超大国である米ロの核兵器削減など、
実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。
日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器の怖さを体験した国として、
一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、
北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。
「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の、
平和の理念を永久に堅持してください。
そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、
未だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。
「長崎平和宣言」2020年8月9日 長崎市長 田上 富久
長崎と広島で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、
二度と繰り返してはなりません。
唯一の戦争被爆国として、
「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を、
一歩一歩、着実に前に進めていくことは、我が国の変わらぬ使命です。
現在のように、厳しい安全保障環境や、
核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、
各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、
共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。
特に本年は、被爆75年という節目の年であります。
我が国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、
各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、
核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードしてまいります。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。
同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、
来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。
我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、
核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果も活用しながら、
引き続き、積極的に貢献してまいります。
「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、
世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍や、
その非人道性を語り伝え、承継する取組です。
我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、
被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ 」
2020年8月9日 内閣総理大臣 安倍 晋三
広島、長崎のどちらの市長も宣言内で、
この「核兵器禁止条約」について触れています。
世界各国の駐日大使も毎年参加するこの式典で、
まさに魂の訴えといった内容です、
それに対し、総理の挨拶は日本政府の見解そのままに、
「核不拡散条約」(NPT)について言及するに留まっています。
(しかもまさかの流用wwwこれは・・・。)
日本が条約に参加しないのは、
先述してきた通り、核依存国であることや、
現状の厳しい環境からによるものです。
外務大臣や当時の大使ステートメントにあるように、
条約が出来たからといって、直ちに核兵器がなくなるわけでもありません。
しかし、そのための努力を、唯一の被爆国である日本が、
または日本人一人一人が行動していくことが大切ではないでしょうか。
国が動かないのであれば、民間レベルでもいい。
パグウォッシュ会議のように、継続して対話の道、啓蒙の道を続けていけばいい。
必ずしも海外に行って、それを行わなければいけないわけでない。
外国人相手にのみ、理解してもらわないといけないわけでもない。
まずは核兵器について知ること。
そして相手を知ること。
人と人、その相互理解があらゆる不信を取り除いていく第一歩のように思います。
私の持論ですが、世界平和といっても、なにもテレビの中だけではなく、
雲の上の話でもないと思います。
それは、一番身近な人間関係から始まるものだと思っています。
理想論だと一笑する人もいるかもしれませんが、
実際、冷戦も様々な諍いも、
小さな誤解や綻びが大きなものに膨れ上がって起きてきました。
そして全てではないですが、理解して解決されてきました。
我々は人種や環境は違いますが、
きっと理解し合えることができると思います。
同じ地球に生まれた、地球市民なのですから。
最後に、バラク・オバマ元米大統領がノーベル平和賞を受賞した、
有名な「プラハ演説」です。
今日、冷戦はなくなりましたが、何千発もの核兵器はまだ存在しています。
歴史の奇妙な展開により、世界規模の核戦争の脅威が少なくなる一方で、
核攻撃の危険性は高まっています。
核兵器を保有する国家が増えています。
核実験が続けられています。
闇市場では核の機密と核物質が大量に取引されています。
核爆弾の製造技術が拡散しています。
テロリストは、核爆弾を購入、製造、あるいは盗む決意を固めています。
こうした危険を封じ込めるための私たちの努力は、
全世界的な不拡散体制を軸としていますが、
規則を破る人々や国家が増えるに従い、
この軸が持ちこたえられなくなる時期が来る可能性があります。
私たちは、20世紀に自由のために戦ったように、
21世紀には、世界中の人々が恐怖のない生活を送る権利を求めて、
共に戦わなければなりません。
そして、核保有国として、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、
米国には行動する道義的責任があります。
米国だけではこの活動で成功を収めることはできませんが、
その先頭に立つことはできます。
その活動を始めることはできます。
従って本日、私は、
米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、
信念を持って明言いたします。
私は甘い考えは持っていません。
この目標は、すぐに達成されるものではありません。
おそらく私の生きているうちには達成されないでしょう。
この目標を達成するには、忍耐と粘り強さが必要です。
しかし、今、私たちは、
世界は変わることができないという声を取り合ってはいけません。
「イエス・ウィ・キャン」と主張しなければならないのです。
では、私たちが取らなければならない道筋を説明しましょう。
まず、米国は、核兵器のない世界に向けて、具体的な措置を取ります。
冷戦時代の考え方に終止符を打つために、
米国は国家安全保障戦略における核兵器の役割を縮小し、
他国にも同様の措置を取ることを求めます。
もちろん、核兵器が存在する限り、
わが国は、いかなる敵であろうとこれを抑止し、
チェコ共和国を含む同盟諸国に対する防衛を保証するために、
安全かつ効果的な兵器を維持します。
しかし、私たちは、兵器の保有量を削減する努力を始めます。

http://tsuiteru-reosan4949.seesaa.net/upload/detail/image/E382AAE38390E3839EE5A4A7E7B5B1E9A098E38080E38397E383A9E3838FE6BC94E8AAAC4-13ba2-thumbnail2.jpg.html
様々な意見がありましたが、
やはり初めて広島を訪問したり、新しい時代の大統領であったのでしょう。
自分が被害者だから責任がないのでもなく、自分は知らないからでもなく、
地球市民として、今後も平和について考えていきたいと思います。
[K.K]
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