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今、考えるべきこと②

前回のコメントに、抑止論についての是を唱えるコメントがありました。
しかし「平和学」というのは先述の通り、”平和についての研究”であり、
戦争の是非を問うもの以前に、
“争いそのものを否定ありきで考える学問”なんです。
ですので、平和学においては戦争肯定はまずあり得ないし、
議論として徹底的に否定されるものなのですよ。
アカデミックな世界です。
答えがないようでいて、土台が決まったところからスタートしている、
全く矛盾しているような感覚になってきます。
とはいえ、これについて毎日必死に研究している人が世界のどこかにいるのです。
(ここでは抑止論についても触れなければいけません。)

前回、かつての米ソ東西冷戦での、その抑止論について少し触れてみました。
“安全保障のジレンマ”という、重要な問題で必ず抵触する事柄ですが、
冷戦期の米ソを中心とした核開発の問題は、ここから来ているものであり、
今日の人類が向き合わなければいけない、遠いようでとても身近な問題であります。

核兵器禁止条約の採択
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-07-09/2017070901_01_1.html

1989年末の米ソ首脳によるマルタ会談によって東西冷戦は終結したとされていますが、
それまでの遺恨はもちろん、
その産物たちは直ちに消えてなくなったわけではありません。
ご存知の通り、核兵器です。
核兵器について触れますと、
核兵器は、日本にも落とされた核分裂を利用した原子爆弾、
核融合を利用した水素爆弾、
核爆弾に運搬手段(航空機、ロケットエンジン等)を付け加えた核ミサイルを総称したものです。
核爆弾の原理は割愛しますが、
原爆の場合でも石炭火力の200万倍のエネルギーが100万分の1秒で分裂するため、
凄まじい熱、衝撃波、放射線が数百万度の熱と共に炸裂します。
現代の弾道ミサイル(ICBM)は、なんとこの670倍もの威力を持っているとされています。
ではなぜ核兵器が作られたかといいますと、やはり第二次世界大戦が契機です。
ナチス・ドイツが早くからその研究に関心を持っていたことから、
その対抗としてイギリスを中心に連合国側も研究を開始。
後にドイツは降伏し、原爆の研究を行っていなかったことが分かってからも、
連合国側は開発を続けました。
当初の目的は、表向きはドイツ、
はては日本を打倒して戦争を終わらせるためという大義のもとでしたが、
その実は、対ソ連の為だったということは今日では有名です。
当時は同じ連合国として同盟を結んでいた米ソでしたが、
裏では既に政治的な対決として動いていたということになります。

1954年 アメリカの水爆実験
http://hpmmuseum.jp/modules/exhibition/index.php?action=DocumentView&document_id=62&lang=jpn

この当時について余談を話すと、原爆開発をアメリカが極秘裏に進めた「マンハッタン計画」に参加したノーベル賞受賞者、ロートブラット博士曰く、開発の目的はドイツに対して脅しの意味も含めてがきっかけでしたが、ある時、アメリカ軍将校が秘密裏に対ソ連用が真意であると話したそうです。この言葉に、同盟国であるソ連に対しての強い背信を感じたそうです。今この瞬間も、西ヨーロッパに連合軍が上陸する為、東部戦線で毎日1,000人以上のソ連兵が時間稼ぎの為に死んでいるのに・・・。研究している我々の代わりに、極限の中犠牲を強いられている人たちに、政治的、戦略的兵器を作りそれを向ける為に作っているとは!彼はこの計画から離脱しましたが、他の研究者らは残ったそうです。そもそも離脱すること自体大変なことではありますが、他の研究者らは、純粋な科学的好奇心や、日本に落とすことで多くのアメリカ及び連合国兵が助かることを説得されたり、自らの将来に不利な影響が出るのを恐れ、この戦争で麻痺している凶暴さの前に個人の態度も出せず残ったと振り返っています。この戦争の凶暴な異常性の前には冷静な判断や合理的思考もままならない。だからこそ私たちは戦争そのものに反対する、そう博士は語っています。

実はもうひとつ興味深い余談ですが、日本に原爆を落としたことで降伏を早め、多くのアメリカ兵を救う”原爆神話”以外にも、原爆を使用した理由があります。当時日本はソ連を通じて和平ルートに動いていました。それをアメリカは知っていましたが、あえて使いましたが、何故でしょうか? それはポツダム宣言でソ連の対日参戦を確認した際、アメリカが日本降伏後のソ連に対して、優位性を勝ち得る為、参戦より先に落として牽制するためです。巨額の計画の成果を発揮する十分な機会であり、計画そのものを正当化すること。また、アジアや日本に対する差別的な意識から実験的使用への躊躇いが少なかったことも理由だそうです。どれも驚きで、なんともいえない気持ちになりました。単純な問題ではありません。

核兵器の開発理由は、最初はナチス・ドイツに対抗するため、
日本を降伏させるためであったのが、やがてソ連を抑え込むために変わり、
冷戦時代には仮想敵国に対しての大量報復という役割に変わりました。
冷戦終結はそれらを打ち消すチャンスではありましたが、
核は温存され、今や核は”使える兵器”との転換が図られています。
要は、核はその必要性があって存在しているのではなく、
核そのものが存在する理由を必要とされてきたと言えるのでしょう。
もはや本末転倒な気がしますが、
その背景、根底には、前回話しましたように、
”武力にはより強い武力を”という、
根強い「戦争の文化」があることだと言われています。

怖ろしいことに、今も核兵器の数は現実にこれだけあります。
既存の文明が○○度滅んでも足りないほどの・・・と聞いたことありますが、
想像するだけで怖ろしい数です。

核兵器保有数 2019
https://hiroshimaforpeace.com/hiroshima75/present-issue/

米ソの対立による冷戦は、世界を分断しました。
第二次大戦後、戦勝国として影響を強めた米英に対し、
ソ連は安全保障地帯確保のため、東欧を中心にそれを強引に進めました。
影響力拡大を図ったソ連のもと、共産圏が増えていくのを過剰に嫌う米英、
特にアメリカは核の力を誇示して封じ込めに入ります。
ソ連も自ら核をもってアメリカに対抗する道を選択し、
互いに核兵器開発競争や宇宙開発に発展し、
ご周知の通りそれは熾烈さを極めていきました。
核兵器が大量に作られたことにより、今までの力と力の均衡から、
恐怖と恐怖による均衡へと変貌していったとも言えるでしょう。
(その過程において、アメリカがビキニ環礁で行った6度の水爆実験。日本のマグロ漁船、第五福竜丸が被曝し、日本は原水爆による三度被害を受けた唯一の国となってしまいました。)

こういった中で、
1950年代にストックホルム・アピールから始まる反核平和運動が始まっていきます。
1955年には、哲学者ラッセルと物理学者アインシュタインら、
超一級の科学者11名により、
核兵器廃絶等を訴える「ラッセル・アインシュタイン宣言」が出され、
東西、加被害を超えて行われた、
有名な1957年のパグウォッシュ会議実現へと繋がっていきます。
(日本からは湯川秀樹博士も参加。)

さて、ここに私たちがあなたがたに提出する問題、
きびしく、おそろしく、そして避けることのできない問題がある――
私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?
私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、
幸福と知識の絶えまない進歩がある。
私たちの争いを忘れることができぬからといって、
そのかわりに、私たちは死を選ぶのであろうか?
私たちは、人類として、人類に向かって訴える――
あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と。
もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。
もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。

「ラッセル・アインシュタイン宣言」本文より抜粋


それでも米ソ核開発戦争はイデオロギーの対立によって激化し、
様々な危機的状況を引き起こしていきました。(キューバ危機など)
やがて他国も核実験に成功し、次々と保有国が増え始めていた中でも、
パグウォッシュ会議のような、
こうした民間レベルでの地道で純粋な建設的行動が、
次第に世間より認められていくようになりました。
研究者シオ・レンツが出版した『平和のための科学をめざして』のなかで、
これまでは戦争と文明が共存してきたのだから、
将来においてもそうできると考えるのは誤りである。
核戦争前と核戦争後は同じではない。
戦争と絶滅か、平和と生存か、どちらを選択するかが、
今日の喫緊の課題なのである。
我々は平和科学をひとつの過程――
人間が持つ調和のある戦争のない世界への望みを実現させるために、
必要なことを与えるような知識を求めて、
大胆で自由な人々がその時間と最高の能力を、
客観的、協力的で創造的な探求に従事する過程であると考える。

と唱えました。
この文面にも書いてあるように、
この頃より平和研究が盛んに進められていきました。
平和学の誕生です。
そしてそれは核のみならず、
前回触れたガルトゥング博士の”消極的平和”と”積極的平和”などに細かく体系化され、
ここまで広がり発展してきたのです。

話しが大きくずれてしまいました。
これを今、考えるべきことが、年初にありました。

2021年1月22日に発効した、「核兵器禁止条約」です。
これは2017年7月7日に国連総会で122ヶ国地域の賛成で採択された、
人類史上初めての一切の核開発、製造、保有、使用を禁じたもので、
2020年10月までに50ヶ国がこれに批准したため、発効されました。
しかしこの条約には、米露含む5大国や保有国、
また抑止力に頼る”核の傘”に守られた?日本や韓国は参加していません。
日本だけで言えば、
唯一の被爆国なのに、三度も被爆したのに、なぜ!?
と思われる方が多いかもしれません。
この条約の推進国は、この国際規範が確立されたことにより、
直ちに減ることはなくても、将来的に保有国や不参加国への圧力となり、
その弾みになることを期待していますが、本当に大丈夫なのでしょうか。
日本はどうなっているんだ! ……そう思ってしまいそうです。
これを説明するには、もうひとつネックとなる条約が存在します。

「核が平和を保った」と主張する人がいますが、
これは偏った見方と言えます――
今日まで西側の歴史家に入手可能になったソ連の公式文書を調べても、
抑止力が有効であったことを実証しうるものは見当たらないのです。

ロートブラッド博士


先ほど、その存在理由について、
核兵器そのものへは、後から都合をつけて用いられてきた旨を話しました。
時代や状況によって核兵器は技術のみならず、
存在意義まで進化してきたと言ってよい。
しかしその核を用いた抑止論によって、本当に平和だったのか?
米ソの直接対決はなかったものの、
それでどの国も自信を持って平和だったと言えるのか?
そう問われると答えに困ってしまいそうです。
でも、現代の日本においては、
お隣北朝鮮や中国は核兵器を保有していて、
とても危険な状態なのに、
アメリカが安保理に基づいて、
核の抑止力(=核の傘)で守ってくれるから、なんとか大丈夫。
だから抑止論は必要だ! だって危ないし仕方ないじゃん!

おそらくこう思っている人もおられると思います。
はい、これで結論出た! となってしまっては、平和学の意味はありません。
もう少し考えたいと思います。

先述の核禁止条約に日本が入らない理由にもなっているのが、
日本を含む世界191ヶ国地域が加盟する、核不拡散条約(NPT)の存在です。

1970年に発効したこの条約は、
その名の通り、当時冷戦期で世界中に蔓延していた核の闇に光を指すべく、
核兵器を不拡散とし、軍縮し、
原子力を平和的に利用することを目的としたものです。
具体的には、米露英物中の5大国を”核兵器国”とし、
それ以外の国への拡散を防止、
核軍縮交渉を定期的に行う義務を規定するなどです。

しかし問題点もあります。
ひとつに核拡散に対する検証システムが有るのに、
“核兵器国”の軍縮取り組み規定は不明確なまま。
また、”核兵器国”とそうでない国との差別性から、
5大国ではない核保有国が非加盟となり、保有を宣言。(インド、パキスタンなど)
お隣北朝鮮も、2003年に脱退宣言して、今日の様に保有しています。
つまり拡散を防止できていないことです。
ふたつに核抑止論を容認してしまっていることです。
非核保有国に不使用を迫る一方、
核保有国が拡大抑止のための“核の傘”をもって安全保障する、日本のような状態です。
日本は現在お隣北朝鮮が危険な状態でありますので、
「被爆国」と「核抑止依存国」というジレンマを抱えている状態と言ってよいでしょう。
みっつに核保有国と非核保有国との対立があります。
当然、核兵器に対する見方や考え方が違いますので、
それぞれの主張が先に出れば、嚙み合わないのは想像がつきます。

こういった中でもNPT再検討会議が何度も続けられ、
核兵器の非人道性などから「核兵器のない世界」を意識するようになりました。
それでも交渉や検討は度々決裂し、
これ以上の力のある禁止条約を求める声が高まり、採択へと至りました。

では、先述の”核の傘”を被る核抑止依存国日本は、
この条約に対してどのような見解なのでしょうか。
条約が採択された2017年3月28日の当時の岸田外務大臣の会見です。

我が国の基本的な立場、核兵器の非人道性に対する正確な認識と、
厳しい安全保障に対する冷静な認識、この二つの認識の下に、
核兵器国、非核兵器国の協力を得、現実的・実践的な取組を積み重ねています。
(この交渉に)核兵器国は参加していません。
こうした核兵器国が参加していない議論を、非核兵器国だけで進めることは、
核兵器国と非核兵器国の亀裂、ますます決定的なものにしてしまうのではないか、
そういったことを考えますときに、是非、両者への協力をしっかりと得た上で、
現実的・実践的な取組を行わなければならない、このように考えます。


日本政府としては、この条約は核兵器国や依存国との間に溝を深め、
NPT体制に悪影響を及ぼすだろうとの見解でいます。
原爆被害者の方々が見たら、憤りを感じる文面かもしれません。
しかしこの政府のような考えを持つ、条約に賛同しない勢力を、
支持へと変化させるために必要なことを考えるのが平和学であります。
是か非か切って捨てるのではなく、
誰がどのようにどんな効果を期待して取り組むか、これを私も考えているところです。
この条約には、参加していない日本にも大きな責任があると言われます。
被爆国として、核抑止依存からの脱却を、世界からいつも注目されているということです。

次に、昨年の原爆投下による追悼式典での平和宣言と、
それに対する首相の挨拶を見てみましょう。

追悼式典での首相挨拶
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/202008/06hiroshima.html

ところで、国連に目を向けてみると、50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、
3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、
次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、
その動向が不透明となっています。
世界の指導者は、
今こそ、この枠組みを有効に機能させるための決意を固めるべきではないでしょうか。
そのために広島を訪れ、被爆の実相を深く理解されることを強く求めます。
その上で、NPT再検討会議において、
NPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、
建設的対話を「継続」し、
核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。
日本政府には、
核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、
核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて、
同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、
世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。

また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、
心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で、
様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、
その支援策を充実するとともに、
「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。

「広島平和宣言」2020年8月6日 広島市長 松井 一寶


それに対し、首相あいさつ。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。
同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、
来るべきNPT運用検討会議を、
有意義な成果を収めるものとすることが重要です。
我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、
核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果を活用しながら、
引き続き、積極的に貢献してまいります。

「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、
世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、
継承する取組です。
我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、
被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
被爆者の方々に対しましては、
保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、
原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、
高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、
今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。

「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式首相挨拶 」
2020年8月6日 内閣総理大臣 安倍 晋三


世界各国の指導者に訴えます。
「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。
今こそ、「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。
来年開かれる予定のNPT再検討会議で、
核超大国である米ロの核兵器削減など、
実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。
日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器の怖さを体験した国として、
一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、
北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。
「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の、
平和の理念を永久に堅持してください。

そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、
未だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。

「長崎平和宣言」2020年8月9日 長崎市長 田上 富久


長崎と広島で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、
二度と繰り返してはなりません。
唯一の戦争被爆国として、
「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を、
一歩一歩、着実に前に進めていくことは、我が国の変わらぬ使命です。
現在のように、厳しい安全保障環境や、
核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、
各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、
共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。
特に本年は、被爆75年という節目の年であります。
我が国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、
各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、
核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードしてまいります。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。
同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、
来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。
我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、
核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果も活用しながら、
引き続き、積極的に貢献してまいります。

「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、
世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍や、
その非人道性を語り伝え、承継する取組です。
我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、
被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。

「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ 」
2020年8月9日 内閣総理大臣 安倍 晋三


広島、長崎のどちらの市長も宣言内で、
この「核兵器禁止条約」について触れています。
世界各国の駐日大使も毎年参加するこの式典で、
まさに魂の訴えといった内容です、
それに対し、総理の挨拶は日本政府の見解そのままに、
「核不拡散条約」(NPT)について言及するに留まっています。
(しかもまさかの流用wwwこれは・・・。)

日本が条約に参加しないのは、
先述してきた通り、核依存国であることや、
現状の厳しい環境からによるものです。
外務大臣や当時の大使ステートメントにあるように、
条約が出来たからといって、直ちに核兵器がなくなるわけでもありません。
しかし、そのための努力を、唯一の被爆国である日本が、
または日本人一人一人が行動していくことが大切ではないでしょうか。
国が動かないのであれば、民間レベルでもいい。
パグウォッシュ会議のように、継続して対話の道、啓蒙の道を続けていけばいい。
必ずしも海外に行って、それを行わなければいけないわけでない。
外国人相手にのみ、理解してもらわないといけないわけでもない。
まずは核兵器について知ること。
そして相手を知ること。
人と人、その相互理解があらゆる不信を取り除いていく第一歩のように思います。
私の持論ですが、世界平和といっても、なにもテレビの中だけではなく、
雲の上の話でもないと思います。
それは、一番身近な人間関係から始まるものだと思っています。
理想論だと一笑する人もいるかもしれませんが、
実際、冷戦も様々な諍いも、
小さな誤解や綻びが大きなものに膨れ上がって起きてきました。
そして全てではないですが、理解して解決されてきました。
我々は人種や環境は違いますが、
きっと理解し合えることができると思います。

同じ地球に生まれた、地球市民なのですから。

最後に、バラク・オバマ元米大統領がノーベル平和賞を受賞した、
有名な「プラハ演説」です。

今日、冷戦はなくなりましたが、何千発もの核兵器はまだ存在しています。
歴史の奇妙な展開により、世界規模の核戦争の脅威が少なくなる一方で、
核攻撃の危険性は高まっています。
核兵器を保有する国家が増えています。
核実験が続けられています。
闇市場では核の機密と核物質が大量に取引されています。
核爆弾の製造技術が拡散しています。
テロリストは、核爆弾を購入、製造、あるいは盗む決意を固めています。
こうした危険を封じ込めるための私たちの努力は、
全世界的な不拡散体制を軸としていますが、
規則を破る人々や国家が増えるに従い、
この軸が持ちこたえられなくなる時期が来る可能性があります。
私たちは、20世紀に自由のために戦ったように、
21世紀には、世界中の人々が恐怖のない生活を送る権利を求めて、
共に戦わなければなりません。
そして、核保有国として、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、
米国には行動する道義的責任があります。
米国だけではこの活動で成功を収めることはできませんが、
その先頭に立つことはできます。
その活動を始めることはできます。
従って本日、私は、
米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、
信念を持って明言いたします。
私は甘い考えは持っていません。
この目標は、すぐに達成されるものではありません。
おそらく私の生きているうちには達成されないでしょう。
この目標を達成するには、忍耐と粘り強さが必要です。
しかし、今、私たちは、
世界は変わることができないという声を取り合ってはいけません。
「イエス・ウィ・キャン」と主張しなければならないのです。
では、私たちが取らなければならない道筋を説明しましょう。
まず、米国は、核兵器のない世界に向けて、具体的な措置を取ります。
冷戦時代の考え方に終止符を打つために、
米国は国家安全保障戦略における核兵器の役割を縮小し、
他国にも同様の措置を取ることを求めます。
もちろん、核兵器が存在する限り、
わが国は、いかなる敵であろうとこれを抑止し、
チェコ共和国を含む同盟諸国に対する防衛を保証するために、
安全かつ効果的な兵器を維持します。

しかし、私たちは、兵器の保有量を削減する努力を始めます。


オバマ大統領 プラハ演説
http://tsuiteru-reosan4949.seesaa.net/upload/detail/image/E382AAE38390E3839EE5A4A7E7B5B1E9A098E38080E38397E383A9E3838FE6BC94E8AAAC4-13ba2-thumbnail2.jpg.html

様々な意見がありましたが、
やはり初めて広島を訪問したり、新しい時代の大統領であったのでしょう。
自分が被害者だから責任がないのでもなく、自分は知らないからでもなく、
地球市民として、今後も平和について考えていきたいと思います。

[K.K]
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ナマの声

夜にスポーツジムに行くと、帰宅前に寄ったのか帰宅してからわざわざ来たのか、
主に、会社勤めなど現役世代の人がトレーニングしていらっしゃいます。
このご時世、スポーツジムの壁には大きく「会話禁止」と貼り出されており、
トレーニング中もマスクを着用するようにというルールになっていますが、
そのような警告をせずとも、その世代の人々は、コロナ禍に入る前から、
もともと、そんなに盛んに会話をすることはないような気がします。
まぁ、時間も時間、キャッキャウフフ言いながらのトレーニングも気色悪いので、
男女問わず、現役世代は静かだという印象があります。

ところが、ちょっと浅い時間に行ってみると、高齢者がたくさんいらっしゃいます。
高齢者の方々は、字が読めないわけでもないでしょうが、
「会話禁止」と貼り出されていても関係なく、大笑いしていらっしゃいます。

いや、別に腹は立ちません。
私も、「書かれていることには従わなくてはいけない」式の、
ルール重視の価値観を持ち合わせているタイプではありませんので、
高齢者が円陣を組んで談笑していても、そのことへの反感はありませんでした。
ただ、そこで堂々と談笑している様子はさすがに目立つので、
何をそんなにかしましく話しているのかと、耳をそばだてたわけです。

高齢者たちの話題はコロナワクチンについて。
岩本多代似の気弱そうなお婆ちゃんの、
「あの、やっぱり、ワクチンって、注射したほうがいいんですよね?」
という問題提起に、中条静夫似の強気そうなお爺ちゃんが反論しています。
「いやぁ、ワクチンとはいえ、異物は身体に入れちゃいかんよ!」とか。
中条静夫自身もそうなのですが、その剣幕はなかなかのもので、緊張が走りますが、
隣にいる尾藤イサオ似のお爺ちゃんがおちゃらけたタイプで、
「注射して熱なんか出ちゃった日には、病院にもいかれないしね、ハハッ」とか、
混ぜっ返すような合いの手を入れています。
それを聞いて、最初に問題提起した岩本多代似の気弱そうなお婆ちゃん、
「でも、国も、あんなにワクチンを推奨してるし……」と、ちょっと抵抗。
そこで、もう一人、加賀まりこ似の、ちょっとエロいというか、
ちょっと現役感を漂わせたお婆ちゃんがおり、
「いや、アタシ、聞いたんだけどさぁ……」と話し始めます。
曰く、予防接種等で異物を身体に入れると出産時に奇形児が生まれやすい、とかで、
「そうなったら怖いわぁ~」などと言っています。
それは、かつてのサリドマイド禍などを想定した話だと思うのですが、
なにしろ話しているのは現役感があるとはいえ、お婆ちゃんです。
いまから、いったい何を産むつもりなんだろうと、
盗み聞きしながら吹き出してしまいそうになり、慌てて周囲を見回した私ですが、
離れたところにいた若い男性を目が合ったので、同じことを思ったに違いありません。
そして、さらにもう一人、山本學に似た物静かなお爺ちゃんがポツリと、
「ワクチンは殺人兵器かもしれんからな」と。
そして、最初に問題提起した岩本多代似の気弱そうなお婆ちゃん、
「……そうよね。やっぱりやめたほうがいいわよね」と、ついに陥落したのでした。

恐ろしい。
何が恐ろしいって、そこにいた高齢者5人のコロナワクチンへのスタンスが、
賛否の分かれることなく、全員反対。
目下、高齢者は接種対象になっていて、政府が接種を呼び掛けているなか、
当の高齢者たちが接種に全然好意的でないことに驚きます。
そればかりか、接種したほうがいいのではないかと言っている老人を、
また別の老人が説得する形で翻意させているところなんて、
なかなか、構造的な難しさを感じますよね。
こんなことでは一向に接種は進まぬことだろうなと思います。

しかし、こういうのが生の声なのかもしれません。
当社にも、総務省やら経済産業省やら中小企業庁やら、
なにやら統計を取っている部局から、年に何度もアンケートが届きます。
なかには、「回答しないとどうなるか分かってんだろうな」的な、
半ば脅迫のような文書が添えてあることすらありますが、
そういうスタンスで来られると、素直に回答できないもの。
そんな調査結果にどれくらいの信憑性があるのか、甚だ疑問です。

ほら、ドラクエとかでもそうでしょう。
お屋敷に住んでいる村長さんとかは何かを隠していて教えてくれませんが、
井戸の近くを行ったり来たりしているおばちゃんとか、
どうやって行くのか分からないような水路の向こうに立ってる爺さんとか、
そういう人のほうが役に立つことを言うものですよね。
案外、かしこまったインタビューとか、偉そうなアンケートなんかよりも、
スポーツジムのベンチでうるさくしている高齢者の話のほうが、
より実際に即したことを言っているのかもしれません。

結局、尾藤イサオ似のお爺ちゃんが言っていた、
「注射して熱なんか出たら、病院に行けなくて困る」というのが、
高齢者の本質をついているのかもしれません。

[SE;KICHI]

新しい季節

もうじき4月となります。
春は私にとって好きな季節です。
新生活のスタートを目前に、期待や不安でいっぱいの方も多いことかと思います。
私は新潟から、というより実家から出たことがありません。
今思ったら一人暮らしは経験しておけば良かったなぁと思います。
現状では、親も今までより体の具合が良くない為、
これから家を出る機会というのは、何か大きな転機がないと起こりそうにありません。
ただ、どのような状況でも自分のやりたいことの為に、
信念を持って行動している方は素直に尊敬します。

少し前のWAKAさんのブログに心を打たれました。
なぜ地元にいたいのか、ということです。
人とのつながりで生かされている、と言っておりました。
WAKAさんは昔の友人も多そうですし、
読んでいて、「あ、なんか分かる分かる」と思いました。
私の場合は、昔の友人は大事だと思っているのに、
私生活が忙しいと引きこもりがちになっております。
最近気付いたことは、ずっと自分の中に閉じこもってしまってたんだと思いました。

入社してから、とある方に言われたことがあります。
「もういいおっさんなんだから、自分自分って話をするな」と。
これは今ものすごく突き刺さっています。
それは、自分が今までの人生で何かをやり遂げたことは無いと感じているからです。
もちろんに何かでトップになるということは難しいのですが、
自分なりのゴールに辿り着いたこともありません。
いつも途中で辞めてしまうので、一からのスタートになります。
再開するものもあるのですが、ブランクがあると気分は一からのスタートです。
「積み上げたものぶっ壊して~♪」懐かしい好きな曲が出てきました!笑

私は自分では自覚してなかったのですが、
自分自分と、自己顕示欲が強かったみたいです・・・

友人とのやりとりでもそれに気づかされました。
新しい季節を迎えるにあたり改めて自分を省みたいと思います。
新しくチャレンジすることもあるので気分を変えていきたいと思います。

[SYUN]

税金の納め先

地産地消という言葉がありますが、どういう意味なんでしょうか。
いや、主に農産物の分野などで、
「その地方で獲れたものをその地方で消費する」という意味だ、
くらいのことは私にだって分かるのですが、
これだけ流通のボーダーレス化が進んでいるこの時代に、
そのようなことがなぜ尊いのでしょうか。

何年か前、富山県高岡市で、地元の百貨店が閉店しました。
実際には金沢が本社なのですが、北陸が地盤という意味で、広義の地元と考えます。
まぁ、ろくにお客さんが入らなかったから閉店しちゃったわけで、
閉店を惜しむくらいなら普段から利用しなさいよってことなのですが、
この百貨店が何に競合して負けたのかといえば、
おそらくイオンとかアウトレットモールのような大手です。
つまり、今回の百貨店の閉店は、
地元の店舗が、全国展開する大手企業に負けたという話です。

そんなの、単なる企業努力の不足で、市民には関係ないと思うでしょう。
実際、みんなしてイオンのほうが便利だと思い、
イオンにばっかり行ったからこうなったのだし、
経済活動として、それは自然なことです。
ただ、実は市民にも関係は、あります。
それは、その会社がどこの資本かってことです。

ざっくり言うと、地元の百貨店で買い物をすると、地元の会社が潤うわけです。
その潤いは、賃金や設備投資、納税などの形で、
地元の経済に貢献するはずです。
ところが、その分を、地元の百貨店ではなく大手資本で消費すると、
その潤いは地元ではなく、その企業の本社がある地域のものとなります。
たとえば、イオンなら、本社がある千葉が潤うことになるわけですし、
ヤマダ電機でテレビを買えば群馬の、TSUTAYAでDVDを借りれば東京の、
それぞれ、地元とは関係のない場所の経済に寄与することになるわけで、
いわば、地方都市の資本が、都会に吸い出されている構造です。

私は、やはり地方都市が活性化することは良いことだと思うので、
地元の企業には頑張ってもらいたいし、
利益は経済活動を行っている地元で使ってもらいたい。
ほら、昔、「たばこは地元で買いましょう」って書いてあったでしょう。

そういうわけなので、当社では、出張先でホテルに宿泊する場面があっても、
大都市資本のチェーンホテルは避け、
可能な限り、地元に資本があるホテルに宿泊するようにしています。
いや、その地方が潤ったとしても、別に私たちの富山や新潟には関係ないのですが、
同じ地方都市同士、エールを送るような気持ちでホテルを選んでいます。

これって、寄付に似た感覚だと思うのです。
ここ数年は多くの天災に見舞われていて、
被災地支援の寄付に参加した方も多いと思いますが、
寄付をしたところで、寄付した側には何も得はありません。
それでも、被災地の惨状を目にして、
何かできることはないかと考えた結果が寄付なのです。

同様に、地元経済の惨状を目の当たりにして、
復活のために何かできることはないかと考えた結果が、地産地消。
やはり自分自身には何の得もありません。
むしろ、価格競争的には損する可能性すらありますから、
自分の損得や利便性だけを考えているような人には理解不能でしょうが、
地元を応援したいと思う寄付のような気持ちがそうさせるのです。

そうそう。
ホテルで思い出しましたが、友人の、元プロボクサーのS氏。
講演の仕事などで地方に投宿する際に、
地元資本のホテルに宿泊するようにしているのはもちろんですが、
彼がすごいのは、アメニティをほとんど使わないことです。
つまり、歯ブラシもタオル類も、ティッシュすら自宅から持参し、
ホテルに備え付けられているアメニティには手を付けないのです。
理由は、自分が宿泊することでホテルに負担をかけたくないから。
当然、自宅からタオル類を持参するとなると、
連泊などした日には尋常でない荷物量になりますが、
それでも、財務体質が脆弱な地方のホテルの邪魔にならないようにと願い、
「少しでもできることをしよう」と、そうしているのだそうです。

これ、なかなかマネできるものでもないですよね。

いや、彼も、実はちょっとだけホテルのアメニティも使うんです。
それは、メモパッドとボールペン。
彼はチェックアウト前にメモパッドにこう書きます。
「ゆっくりできました。
泊まらせていただき、ありがとうございました。
毎日大変ですが、お互い頑張りましょう」と。
そして、日付と氏名を添え、そのまま部屋を出るんだそうです。

それを見たホテルの方がどういう気持ちになるのか、
ちょっと私には想像がつかないのですが、
「少しでもできることをしよう」という彼を意気に感じ、
そこだけは取り入れることにし、
ホテルに泊まるたびにメッセージを残すことにしてしまった私でした。
清掃員の方など、喜んでいただけているのでしょうか。

[SE;KICHI]

遮られると…

以前、息子が財布を2回続けて落として、
2回とも無事にそのまま戻ってきたという話をしました
が、
今度は離れて暮らしているもう1人の息子から、
財布をスラれたと連絡がありました。
食事をしていたお店でスラれたと。
戻って来ませんでした。

落とした財布が続けて戻ってきた時は、
日本はなんて素晴らしい国だろうと思っていましたが、
すっかりその気持ちを打ち消された気分になりました。
普段はカード払いが多いようで、現金はそれほど入っていなかったようですが、
カード類や身分証明書の再発行の手続きをしなければいけません。
それが手元に届くまでは、クレジットカードは無いし、
銀行のキャッシュカードも無いので現金をおろす事も簡単にできません。
何とかバイト先から現金でもらった僅かな給料で細々と食いつないだようです。

話は変わりますが、最近はどこでもレジで精算しようとすると、
ビニールやアクリルで仕切ってあるお店が多く、
それに加えてお互いにマスクをしているので、
相手やこちらの声が聞き取りにくいことが時々あります。
そのお店で使用できるクレジットカードや電子マネーで精算するのですが、
何の表示も無いお店では、
まずカード等が使用できるのかどうか聞かないといけませんし、
使用できてもやり方がお店ごとに微妙に違うことがあるので、
相手の声が聞こえにくいとモタつく時があります。
マスクがあると表情も読み取れないんですよね。
そもそも食券制のお店が苦手な私には、
後ろに次の人が並んでいる時など焦ってしまいます。

先日お昼にラーメンを食べに行きました。
まだ新しいお店で、席の間隔が広く、
それぞれアクリル板で仕切られていて感染対策が行き届いていました。
ラーメンもこだわりの無化調で麺も自家製麺です。
お店おすすめの塩ラーメンにしましたが、とてもおいしかったです。
私はおいしかったら、
なるべくそれをお店の方に伝えるようにしています。

食べ終えてレジで精算する時に、お店のおばさんにおいしかったですと伝えると、
そのおばさんはありがとうございますと言い、
その後厨房に向かって「お客様からおいしい、いただきましたー!」と、
ビックリするほどお店じゅうに通る大きな声で言いました。
厨房からは4名ほどいるスタッフ全員が、
私に向かって「ありがとうございましたー!!」と、それ以上の声で返してきます。

レジも厨房もアクリル板で仕切られていているうえ、
みんなマスクをしていますから、尚更大きな声になるのでしょう。
決して悪いことではないのですが、私は他のお客さんの視線を背中で受けながら、
このお店でおいしいと伝えるのはこれで最後にしようと誓いました。
いろいろ弊害がありますね。

[M M]

ホームぺージリニューアルのお知らせ

この度、弊社は、ホームページをリニューアルいたしました。

http://www.kk-seishin.com/

今回のリニューアルでは、
みなさまがより利用しやすくわかりやすいホームページとなるよう、
ページ構成やデザインに工夫を重ねました。

これからもサービス向上のため、コンテンツの充実を図り、
みなさまのお役に立てるホームページ運営を目指してまいりますので、
今後とも何卒お願い申し上げます。

[AKA]

トワイライトエクスプレスの思い出 ~再訪・糸魚川

人口4万人の新潟県糸魚川市。
新幹線駅はあるとはいえ、速達型列車の停まらないタイプの小型駅です。
それにもかかわらず、その糸魚川駅の待合室が、鉄道博物館のようで、
初見で驚くのは、以前紹介したとおり
です。
その糸魚川駅に先日、再び訪れる機会がありました。

なにしろ、初見ならたいていの方は驚くところでしょうが、
すでに知っている私にとっては、楽しみに訪れたい待合室です。
今回は、そこまで多くの時間はなかったので、
「まずは HOゲージ眺めて、それから Nゲージ見て……
いや、キハ52の車内でゆっくりもしたいしな……」なんて、
それなりに構想を練りながら、ワクワクしながら待合室に向かったのでした。

この待合室は新幹線高架下にあります。
エスカレーターで高架下に降りた私は驚愕しました。

なんと、入口に展示してあるキハ52の隣に、
トワイライトエクスプレスがいたのです。

再現車両 前面再現車両 側面
ホーム再現ダイナープレヤデス

みなさん、トワイライトエクスプレスを覚えておられるでしょうか。
かつて運行されていた寝台特急で、
1989年の運行開始から2015年に引退するまでの25年間ほど、
大阪と札幌の間、約1500kmを約22時間で結んでいました。
いまでこそ豪華なクルーズトレインが乱立状態になっていますが、
なにしろ、当時は北海道新幹線もなかったので、
このトワイライトエクスプレスが北海道へ行く交通手段として重宝されていて、
22時間もかかるのに、必ずしも観光に特化した特急ではなく、
意外とビジネスユースでも使われていました。

確か、1990年頃だったと思いますが、
私は、当時の『鉄道ピクトリアル』か何かの雑誌でその車両の豪華さを知り、
どうしてもその車両に乗ってみたくなったのです。
もう時効であろうと思って白状しますが、乗りたさに一計を案じた私、
途中の停車駅で車中に乗り込み、内部を堪能してすぐに降りることを画策しました。
調べたところ、だいたいどこの駅も停車時間は1分程度の短さなのに対して、
金沢駅だけはどういうわけか5分の停車時間が設定されていることが分かり、
その作戦は金沢駅を舞台に遂行されることとなりました。
15時過ぎ、金沢駅で入場券を買って改札を通り、ホームで待機します。
目指すは3号車と4号車の間の乗降口。
入場券で車内に立ち入るのは違反なので、駅員さんに怪しまれないよう、
入線した深緑の車両に、素知らぬ顔をして乗り込みます。
わざわざ3号車と4号車の間の乗降口から乗ったのは、
3号車が「ダイナープレアデス」という食堂車、
4号車が「サロンデュノール」というサロンカーだったため。
それ以外の号車は“他人の寝室”で、勝手に見るわけにはいきませんので、
私は、わざわざ3号車と4号車の間の乗降口から乗って、
食堂車とサロンカーの写真だけを撮影して、
列車が発車する前、5分以内に降車したのでした。

しかし、まぁ、人間とは欲深いものでございます。
5分ではなく、もっと長いこと乗りたいと思うのは自然のことで、
次に私が画策したのは、その金沢駅からどこかまで乗車してしまう作戦。
もちろん、さきほどの、入場券で列車に乗り込んでしまうのも禁止行為ですが、
入場券で列車に乗車して移動するなんて、要するに無賃乗車ということですから、
これは微罪では済まされない違法行為です。
しかし、乗りたい乗りたいの気持ちが昂ってしまっていた私、
立てた計画は14時40分金沢発の下り列車にもぐりこみ、
次の高岡か富山まで乗ってしまおうという計画でした。
14時40分金沢発の下り列車が次の高岡に着くのは16時15分、
富山着はその15分後の16時30分。
十津川警部も驚くほど緻密に計画を立てたわけです。
まぁ、それって犯罪の計画なんですけどね。

結果から言うと、金沢駅にまでは行ったものの、
それは度胸がなくて実行できませんでした。
いや、犯罪を思いとどまるのが度胸なのかどうかは知りませんが。
というのも、14時40分金沢発の下り列車が次の高岡に着くのは16時15分で、
少なくとも 30分くらいは列車内にいなくてはいけません。
無賃乗車の私に立ち入れる個室などありませんので、
私がいられる場所は4号車のサロンカー「サロンデュノール」のみ。
そこにいて車掌さんに話しかけられた日には、万事休すです。

というわけで、犯罪を未然に思いとどまった私。
トワイライトエクスプレスの淡い……とも言えない思い出です。
私が正規の運賃を払ってトワイライトエクスプレスに乗れたのは、
それから10年以上が経った 2002年頃のことだったと思います。

そもそもね、私は好きだったんですよ、寝台特急が。
社会人になって東京出張などが発生した場合、
当時は富山から特急で出発し、途中で新幹線に乗り換えて向かうのが主流でしたが、
わざわざ寝台特急『北陸』をチョイスして、2段ベッドで寝ながら行ったものです。
私にとって、横になれるというのが、新幹線にはない寝台特急の魅力です。
ただ、寝台特急は乗車区間の乗車券と特急券に加え、寝台券が必要となるので、
実質的には新幹線より高い費用が掛かってしまいます。
まぁ、遅いのに高いというのが寝台特急なのですが、
トワイライトエクスプレスについて言えば、
大阪~札幌間でスイートが4万5000円ほどで、さすがにそんなには払えないとしても、
当時、一番安いBコンパート(二段ベッド)でも2万5000円くらいはしましたので、
そりゃ無賃乗車したくなる気持ちも分からんではないでしょう。(しませんでしたけどね。)
いや、冷静に考えたら、競合する飛行機もそれくらいはするので、
必ずしも高かったわけでもないでしょうが。

ところで、糸魚川駅の話に戻りますが、
糸魚川駅は、トワイライトエクスプレスの上り下りとも、停車駅ではなかったはずです。
つまり、糸魚川駅に飾ってあるこの車両は、
廃止前に糸魚川駅に停車したことはないはずなのです。
……え、なんでよ?
たぶん、糸魚川駅側が動態保存を誘致したんでしょうけど、
どうして停まったこともない車両を誘致したのでしょうか。

その理由は当時の新聞記事を検索して分かりました。
この車両は『トワイライトエクスプレス再現車両』というもので、
当時の本物の車両の動態保存ではなく、つまり、レプリカ。
よく見れば車体側面の方向幕が「糸魚川」になってますよね。
JR西日本から譲り受けた実際の客車備品の一部を活用し、
内装などは本物のデザイナーに設計してもらったうえ、
ボディは、糸魚川市産スギ材を使用して地元の大工・職人が製作したのだそうです。
……え、なに、その本気度。ますますなんでよ?

実は、この再現車両、
糸魚川駅にトワイライトエクスプレスは停まらないけど、
ちょうど夕日の沈む日本海を一望できる時間帯に糸魚川市内を走行する寝台特急は、
市民にとって憧れの列車だったとのことで、
2016年に大規模火災があった糸魚川を元気にしようと作られたものだそうです。

思いがけない場所で、思いがけないものに出会い、
その、込められた思いに感動した私でした。

[SE;KICHI]

私は住めない。

東日本大震災から10年となりました。

震災後の復興事業で工事に行ったきりですが、
当時に見た光景はいまだに鮮明に覚えています。
4階建ての高校校舎3階まで窓も無く内部が流されていたこと。
体育館の建物ほとんどが流され、
1階部分の部室しか残っていなかった光景は衝撃でした。

121130被災地の姿

1995年1月の阪神・淡路大震災でも高速道路が倒れている映像には、
どうなってしまうのかと心配になりました。
富山でも揺れたようですが熟睡中で…

富山でも県中央部に断層があり地震が無いとは言い切れません。
北陸でも大雪で交通がマヒして物流が止まったり仕事に弊害がでたり、
震災とはレベルは違いますが、住むには不都合なことが起こります。
じゃあなんで住み続けるのか?
って言っても私は転居することは考えたこともありません。

東京直下型地震も30年以内に高確率で起こると言われていますし、
南海トラフ地震も起こると言われていますから、
おおよそ何処に住んでもリスクがあることになります。
対策は取られているのだと思いますが、想像以上の事が起こるのが災害です。
東京直下型地震なんて考えただけでもぞっとします。

昔、少しだけ千葉にいたことがありますが友人もおらず孤独で、
こちらでは私は住めないと感じたのを覚えています。
当時も小規模ですが地震があって、寮の先輩は飛び起きて現場を見に行ったのに、
私はやっぱり熟睡で気づかず…
私は住んではダメですね(汗)

故郷とか地元とか、こだわりがない方もおられると思いますが、
私は人とのつながりで生かされているところもありますから、
離れることができないと思います。

もうあんな災害が起こらない事を祈るばかりです。

[WAKA]

10年越しの理解。

生来……ということもないのかもしれませんが、
自分で自分を、わりとうかつなタイプだと思うのです。

5年以上の前の、30万円以上する哲学書をなくした話にも書きましたが、
私は、どういうわけか、手に持っているものを紛失しやすいのです。
たとえば何かをバッグに入れて持ち歩いているときに、
それをバッグごと紛失したことは、これまでに一度もありませんが、
一旦何かをバッグから出して手に持ってしまうと、その何かは高確率で紛失するのです。
たとえば、私はスマホを衣服のポケット等に入れて携帯するようなことはせず、
だいたいバッグにしまっていて、決まった時間にまとめて確認します。
そういうスタイルだと、着信にも気が付かず、折り返しも遅くなるので、
知人からは「気づけるようにちゃんと携帯しなよ」と注意されるのですが、
手に持ったりポケットに入れたりすると紛失するので、改める気はありません。
いや、だって、それについては何回もの前科があるのですもの。

どうやら、ある一定よりも小さなものについて、意識から飛びやすいみたいで、
それはつまり、小さなものに関心が向けられないということですし、
細かいことの確認が怠りがちになるクセがあるということです。

先日、コンビニを利用した際、
買い物を終えて乗り込んだクルマは、同じ車種の他人のクルマでした。
同じ車種だったので、よく確認もせず、他人のクルマに疑いもなく乗り込み、
シートに座ってハンドルを握り、助手席に置かれた見知らぬカバンが目に入ったとき、
ようやく、「あ、これは自分のクルマじゃない!」と気づいたという悠長さ。
もちろん、持ち主に知られる前にシレっと退却したわけですが、
自分のうかつさに動揺した瞬間です。

それに似た話で、もう10年以上も前のことですが、温泉の脱衣所での話。
最近の温浴施設などはしっかりとしたロッカーを備えているところも多いですが、
たとえば、旅館の大浴場なんかではカゴだけだったり、
扉のない箱が並んでいるだけの簡易的なロッカーだったりすることも多いでしょう。
とある旅館の脱衣所にて、私は着ていた浴衣を脱いで簡易ロッカーにしまい、
そのまま浴室へ向かって温泉を堪能しました。
そして、風呂上がり、私は自分のロッカーからバスタオルを取って身体を拭き、
肩に浴衣を羽織ってから下着を広げ、身に着けようとして気づきました。
「あ、この下着、自分のじゃない!」と。

自分に呆れつつ、持ち主に知られる前にシレっと元に戻そうとしたわけですが、
このときは運悪く、持ち主が戻ってきてしまいました。
自分の浴衣を羽織った見ず知らずの私を見て固まる持ち主。
いや、こちらも、バスタオルや浴衣など、
その方の持ち物を濡らしてしまっているので、恐縮すぎて固まる私。
動揺した私は、何を思ったか、
肩に羽織っていた浴衣を外してその人のロッカーに戻し、
使って濡らしてしまったバスタオルは唖然とするその人に手渡してから、
そのまま逃げるように浴室に戻ったのでした。
いま思えば、浴衣は致し方ないにしても、
バスタオルは未使用の私のものを渡してあげればよかったと思うし、
浴衣にしても、フロントに電話すれば新しいものをもらえたと思うのですが、
その時の私にはそのようなことは思いつかず、ただ浴室に逃げるのみ。
いやぁ、湿ったバスタオルを渡されたその人、
どんな気持ちだったのでしょうか。

このエピソード、私はこれまで、あんまり積極的に披露してはいなかったのでした。
というのも、私は、他人からどう見られているかということに、
ほとんど興味がない
タイプなのですが、
そんな私からしても、さすがにこのエピソードは気味悪がられるのではないかと、
ちょっと披露することを自粛していた感じです。

ところが、先日、仲間うち4人で温泉旅館に泊まった時の話。
茹でガニに天婦羅にしゃぶしゃぶと、食べきれないほどの料理をいただいて、
ほどよくアルコールも回った夜半。
酔いも落ち着いて身体も冷えてきたので、4人して温泉に漬かりに行ったわけです。
温かい温泉を堪能し、幸せな気分で浴室を出て脱衣場に戻った私。
そこで目に飛び込んできたのは、一足先に風呂から上がって、
私のバスタオルで股間を拭いている友人Fの姿でした。
私が思わず「あっ! それ……」と言ったところ、
友人Fは即座に自分のやってしまったことを理解し、
ひと呼吸おいて、気まずそうに、私にそのバスタオルを手渡してきました。

そして、私はすべてを理解しました。
10年前、私にバスタオルを湿らされた人が、
こんな気持ちだったのかということに。
人生の途上において他人の股間を拭いたバスタオルを渡されるという経験は、
正直、なかなかない体験ですので、微妙な気分でした。

細かいことの確認は大切だという話です。

[SE;KICHI]

変わるものですね。

子供のころは屋根の雪下ろしもホイホイとできていたのに、
成人を過ぎて上ったら足が小鹿のようにプルプルふるえました。
それから数十年後の今では、上ることすら怖いです。

子供のころには嫌いだった食べ物が、今は平気で食べられるようになりました。
それらはむしろ、今では大好きです。

若いころには絶対に選ばなかったカラーの洋服を今では好んで選んでいます。
原色ばんざい!

子供のころは草むらもなんなく駆け回っていたのに、今では皮膚がかぶれます。
草取りは危険との隣りあわせです。

若いころは甘いものが、好きで、好きで、大好きだったのに、
今はそれほど欲しなくなりました。
甘いもの欲求は何欲求に変ってしまったのかな。

子供のころは同じ夢を繰り返し見ていました、それも怖い夢。
今では見た夢も覚えていません。

若いころはお酒を美味しいと思ったことはなかったです。
それが、今では各種大好きです💛

子供のころはお金が自由に使えるようになったら、
欲しい物を大人買いするぞー!と思っていました。
大人となった今、大人買いができません。

若いころはシャワー全開でも物足りなかった水圧。
今では高圧だと痛みを感じます。

子供のころには感じませんでした、高カロリー摂取後の罪悪感。
うー、無邪気に楽しみたーい。

たわいのない変化をモロモロあげてみました。
きっと、これから先も色んなことが変わっていくことでしょう。
たわいのないことも、あることも。

折り合いをつけながら、受け入れながら、
案外、また、戻ったりするかもしれませんね。
それならそれでよし!

[fu~ma]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
富山県富山市飯野16番地の5
TEL:(076)451-0541
FAX:(076)451-0543

■新潟営業所/
〒950-1142
新潟県新潟市江南区楚川甲619番地6号
TEL:(025)283-5311
FAX:(025)283-7469



URL:http://www.kk-seishin.com/

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