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幸運を呼ぶ白澤サマ。

よく通っている教会の近くに、焼き物の専門店があります。
小さくて古くて、目立たない店なのですが、いかにも老舗といったたたずまいで、
まぁ、平たく言えば、どうにも入りにくい店です。
だいたい、店先にはベニヤで作られた手入れの悪いショーウインドーがあって、
埃をかぶった焼き物が雑に並べられているのですが、
それらの品につけられた薄汚れた値札を見ると、万単位は当たり前。
なかには百万単位の陶器まで平然と並べられており、
かねがね、そのショーウインドーを見るたび、
地味な焼き物と派手な値段のコントラストに、なんだか不思議な気分になった私です。

さて、先日、その焼き物屋の前を通り、何気なくショーウィンドーを眺めた私。
並んでいる茶色の焼き物のなか、隙間に小さな置物があるのに気づきました。
値札には『幸運を呼ぶ白澤』と書かれています。

白澤(はくたく)、ご存じでしょうか。
災難や病気を免れ、開運・昇進にご利益があるという霊獣で、
まぁ、要するに、麒麟とか鳳凰のような存在なのですが、
顔は人間の老人で胴体は牛。
頭には2本の角があり、眼が額にもう一つ、
さらに胴体の側面にも左右に眼が3つずつあるという、
なかなか衝撃のビジュアルなのですが、私はこの白澤に目がないのです。

白澤図
http://pharmafrontier.blog44.fc2.com/blog-entry-432.html

さて、焼き物屋のショーウィンドーで出会った『幸運を呼ぶ白澤』。
見た瞬間に気持ちが動いて、手ごろならば手に入れたいと思ったのでした。
それに、なにより、いつもショーウィンドーを眺めていた老舗に、
初めて入店できるチャンスです。
こうして、私は張り切って、店の扉を開けたのでした。

店主は、ループタイをした物静かな老人でした。
私が「白澤を見たい」と頼むと、彼は穏やかにうなずいて、
ショーウィンドーへ白澤を取りに行きました。

その隙に、私は店内を見て回りました。
古い木造の棚に古い焼き物が並び、所狭しと壁を覆っており、
収まりきらない焼き物は台に乗せられて床に並んでいます。
なにしろ万単位は当たり前なのですから、
私は、並んだ焼き物に身体が触れないよう、
細心の注意を払いながら店内を見て回り、
緊張しながら店主のところまで戻って、仰天しました。

白澤は手の届かないショーウィンドーの奥に陳列されており、
おそらく、店主はそこに手を伸ばしたものの、届かないと悟ったのでしょう、
靴を脱いで、そろりそろりと焼き物の林に足を差し込んだところでした。
彼の足元に並ぶ品々は、だいたい高級品ばかりです。
もちろん、店主はこういう場面には慣れているんだろうし、大丈夫だとは思いつつ、
でも、やっぱり、彼が足元の焼き物を踏んだり、裾を引っかけて倒したりしたらと、
見ているこちらは気が気ではなく、息をのんで見守ります。

心臓に悪いので見ていられなかった私は、「あ、もう、いいですから」と言い、
店主も「そうですか、すいません」と、戻ってこようとした刹那、
事態は急展開を見せます。

結論から言うと、
彼が足元の焼き物を踏んだり、裾を引っかけて倒すようなことはありませんでした。
しかし、足元の焼き物を踏まないようにつま先立ちになった彼は、
戻る際にバランスを失ったのです。
彼は、とっさに、頭上に張り出していた飾り棚を掴んだのですが、
強固に固定されている構造ではない飾り棚は、あっさり倒れました。
飾り棚に乗っていた10点ほどの皿や壺は墜落し、
落下した場所に並べられていた何点かの花器に衝突し、
その結果、皿も壺も花器も、すべて、
いい音を立てて割れてしまったのでした。
あとに残ったのは、古いマンションが爆破された後のような、
ショーウィンドーいっぱいの瓦礫でした。

私の血の気が引いたことは言うまでもありません。
店主は飾り棚が倒れる寸前に白澤を手に取っていたようで、
慎重に私のもとに来ると、私にその白澤を手渡し、
ショーウィンドーの瓦礫を片付けるために戻っていきました。

瓦礫の合計額はいくらになるのでしょうか。
もちろん、私が弁償するような筋合いのものではないのですが、
申し訳ない気持ちでいっぱいになり、
私は、いま手渡された白澤を買ってあげなくてはと決心したのでした。

決心した私は、手のひらに載っている白澤を眺めました。
そこで、私は、声を上げるほどびっくりしました。
邪悪、なのです。
白澤は、もともとビジュアルが怖いものですが、
こいつは牙を剥いており、表情は凶暴な感じだし、爪も長くて攻撃性を感じます。
災難や病気を免れるというわりには、邪悪で怖いのです。
どうして、これが『幸運を呼ぶ白澤』なのか、とてもそうは思えない代物でした。

「これは……ダメだ。持ち帰れない」
そう感じた私は、本当に本当に申し訳ない気持ちになりながら、
店主に白澤を返しました。
彼は、穏やかにそれを受け取ったものの、
ショーウインドーは壊滅的な被害に見舞われているため、戻す場所もなく、
とりあえず、彼はその白澤をレジ奥の小棚に置きました。
気まずかった私は、そこまで確認して、逃げるように店を出たのでした。

『幸運を呼ぶ白澤』。
そうなのかもしれませんが、
少なくとも、私は、店主にとっては疫病神そのものでしょう。
いや、待てよ。
私は、あの牙を剥いた邪悪な白澤に惹かれてお店に入ったのでした。
その私が疫病神になったということは、
あの白澤が呼び込むものって、幸運ではなく……

後日、ショーウインドーはきれいに直されましたが、
白澤は、ショーウインドーには出てきません。
私には、再入店する勇気はありませんが、
きっと、まだレジ奥の小棚に置かれたままなのでしょう。
あの白澤の表情を思い出すにつけ、
物静かな店主の安寧が気になるところです。

[SE;KICHI]
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私の生家

つい最近、地元の番組で、
古民家をリノベーションして宿泊施設にしたと放映されていました。
まあ珍しいことではないですが、古民家と聞くと、
自分の実家を思い出さずにはいられません。

私の実家は、今ではもう引っ越しして17~8年ほどになりますが、
それまではとても古い平屋の日本家屋に住んでいました。
トイレも汲み取り式、お風呂も五右衛門風呂、
居間に敷いてある畳をどかせば、昔使っていた囲炉裏の穴が残っている、など、
とてもとてもとっても古~い日本家屋でした。

引っ越した後もまだ解体せず、そのまま放置された状態でいたのですが、
先日母と連絡を取った際に、
いよいよ解体すると教えてもらいました。

生まれてから成人するまでずっと住んでいたわけですから、
思い出もたくさんあります。
今ではもういない祖母ですが、古い家を思い出すときには祖母がそこにいます。
「わしが生きている内はこの家からは出ん!」といっていたために、
祖母が存命中は、この家を離れることはありませんでした。

私は昭和生まれですが、小学生のうちに平成へと時代が変わりました。
友人たちの家に遊びに行くと、洋間があったり、電子レンジがあったり、
オーブンがあったり、エアコンまであって、
よそのお宅がうらやましく思えてなりませんでした。
我が家では洗濯機は外においてあり、二層式でした。
給湯器も壊れており、真冬でも洗い物は井戸水でした。
夏場は外に排水がつながっているお風呂場に、
外から沢蟹が入り込んでいました。
縁の下から猫も家屋に忍び込んでいました。
外からしかカギのかからない(しかもそのカギが錠とかではなく、木の棒という・・・)
戸がありました(当然、家の中に入れます)
当然のことながら隙間風がびゅうびゅうで、
石油ストーブや豆炭炬燵を使っていましたが換気は特に必要なかったです。

・・・なんだか羅列していくと、面白くなってきました。
なかなか昭和生まれの人でも経験できないことですよね。

聞けば築90年ほどたっているそうです。
湧き水がすごいらしく、湿気も随分あるため、家屋の傷みが激しいそうです。
母からは「解体するから必要そうなもの取ってきたよ。
〇〇の免許証とか、今度渡すね」と言われましたが、
よく家の中に入れたなあ(=床が抜けなかったなあ)と驚きました。
住んでいた当時でさえ床がしなっていましたから、
とにかく無事に家から出られてよかったです。

さて、私でさえこんなに思い出があるのに、
父は生まれてからずっとそこにいるので、感慨深いものがあるでしょう。
なんと声を掛けたらいいのか、と考えると少し切ないです。

ところで、実は内心、私はドキドキしています。
なんか、見られて恥ずかしいようなもの、
置いてきていなかったかな
と。
何となく、昔付き合っていた人との写真とか置いてきた記憶が、
うっすらとあるんですよね・・・。
確か引っ越しの際に、
もういらないものは置いていこうと放置してきたような気がします。
不要なものは早めに処分したほうがいいと、今更ながら強く思います。

[okei]

もらえませんでしょうか。

今年の観光地は、人っ子一人いない閑散とした状態になったり、
かと思えば “Go To トラベル”とか言って極端に混雑したり、
なんというか、振れ幅の大きい年でした。

さて、昨今の人気の観光地といえばパワースポット巡り。
“Go To トラベル”を利用して半額でスイートルームなんかに泊まりつつ、
近隣のパワースポット巡りを楽しむ……なんていうのが流行っているようです。

しかし、パワースポットって、どういうのでしょうか。
古い神社仏閣があったり、聖なる山や木や石があったり、
なんだか尋常でない感じがする場所がパワースポットであるとすれば、
伊勢神宮やら富士山やら、琉球の斎場御嶽などは、
文句なしの実力を誇るパワースポットということができましょう。
しかし、ちょっと気になるのは、そういう伝統的パワースポットではなく、
「にわかパワースポット」が増えているような気がすることです。
たとえば、単なる観光地の滝とか井戸に行ってみたら、
看板に「噂のパワースポット!」なんて書いてあって、
「え、そうだったっけ?」って、地元民がびっくりする、みたいな。

パワースポットという言葉が便利なのは、定義があいまい、
というより、はっきり言って定義なんてないところです。
自称でいいのです。
なので、このところ、地元の人しか知らないような神社に、
突如、若い女性たちが集まってきた、というようなことが起こります。
こうして、旅行者は「パワー」などという何やらよく分からない、
しかし凄そうな何かを手に入れるため、山奥まで出かけるようになりました。
まるでドラクエのようです。

まぁ、それはいいんですが、もう一度確認します。
みんな、パワースポットに何しに行っているのかといえば、
「パワーをもらいに」行っているわけです。
パワーをもらうというのは、どういう手続きなのでしょうか。

どうもこのところ、
「勇気をもらいました」という人が多くなったような気がしますし、
一方では、「勇気を与えたい」という人も増えました。
需給のバランスはとれていますが、
どうも、自然災害が頻発する社会になって以降、
そういうことを言う人が増えた印象です。
つまり、被災地のために何かしたい人は、
口を揃えて「勇気を与えたい」と言い、
被災地の人は「勇気をもらいました」と返すわけで、
このフレーズはこの10年ほどで大活躍しています。

私は気に食わないのです。

いつから、勇気とか元気とか感動とか愛とか、
おおよそ形のないものについて、
「あげます」、「もらいました」などと、
物品の授受のように、
やり取りするイメージになったのでしょうか。


私は、パワースポットも同じではないかと思うのです。
パワースポットを訪れた人は必ず、「パワーをもらいました」と言います。
そりゃそうです。
「パワーをもらいに」行っているわけなので、
何も感じなくても、「パワー、もらえませんでした」とは言えませんよね。
それだと来た甲斐がなくなるし、旅行の目的すら失ってしまいますから。

しかし、私は再び思うのです。
勇気とか元気とか感動とか愛とかパワーのような、
おおよそ形のないものについて、
そもそも他者からもらうようなものだったでしょうか。
私たちが子供のころ、そうした勇気だの力(パワー)だのといったものは、
自分で“ふりしぼる”ものであったり、
自分の中から“湧き上がる”もしくは“ほとばしる”ものであり、
そういったものを誰かからもらうなどという感覚はなかったように思うのです。
つまり、「自分で何とかしなさい」ということですね。

昨今、被災地の辺縁領域での“勇気のやり取り”しかり、
パワースポットにおける“パワーの拝受”しかり、
「目に見えないものをやり取りできる」という感覚が広まってしまいました。
いま、子どもたちは、勇気や力は他人にからもらえるものだと思っているようです。
つまり、口を開けてエサを待っている状態。
……ダメでしょう、それは。

さて、パワースポットにまで出かけた人は、
仮に何も感じなかったとしても、
「パワー……感じませんでした」なんて、みっともなくて言えないでしょう。
そんなことを言うと感覚の鈍さを露呈するようだし、
下手をすれば旅行自体の目的を見失いますからね。
勇気等の授受もしかりで、
「勇気を与えたい」という人が現れ、何かをしてくれたら、
「勇気をもらいました」と言わねばなりません。
ここで「勇気? もらってないですけど?」とか、
「パワー……分からないっすわ」とか、
なかなか言いづらいところ。

それを言える勇気を、誰か与えてもらえませんでしょうかね 笑

[SE;KICHI]

アツいんですっ、渋いんですっ①

くだらない話です。

“クルマ好き”。
これは私が入社してからタブーにしているフレーズ。
普段から多趣味なほうだと思っていますが、
社会人になって?
いや、免許取ってから特に入れ込んだのが、クルマにまつわることです。

当然ドライブそのものも好きで、独りで深夜に目的地も無く走ったりしますし、
また、純正の電飾部品を交換して全てLED化したり、
マフラーを自分で替えたり、機器を取り付けたり・・・。
いわゆる運転そのものと、自分好みに仕上げるカスタマイズが好きなのです。
しかし入社当初、趣味はクルマ好きと申したことについて、
強くないと結構イジられたこともあって、何か言いづらくなって、
そのうちあまり人にはクルマが好きと言わなくなり、
今もこれを大きく公言していません。
自分はクルマ好きなのか?と思うようになり、自信が無くなったと言いますか。
これが一因で一時期クルマにまつわることが楽しくなくなってしまったほどです。

確かにクルマが好きな人は世の中には大勢いますし、
専門職や玄人の方々を除いても、私なんかチンケなもんで、
はるかに知識や技術を持ち、趣味としている人はいるでしょう。
(車高調、キャリパーやローター、エキマニ、エアクリ、タービン大型化、フルバケ交換に追加パーツ・・・挙げたらキリがないです。)

しかし私は今でもクルマが好きです。
ドライブにも行きますし、エンジン載せ替えやカスタム技術も勉強して、
自分で出来るように次々やってみています。
クルマに対する思入れやカスタムチューニングの範囲や方向性は、
人それぞれですので、それこそ強くは言えないのかもしれませんが、
人に何と言われようと、それは自由だと思いますから、
これでもクルマ好きなのだと思っています。

それでもイジられてダメージがあったわけでもないのに、
なーんか言いづらいままなのです。
どの分野でもそうでしょうがそれぞれ奥が深く、
ここまでいったらマニアとかファンとか、
好きであればそんなもの線引きはきっと無いはずのに。
(そしてまた同じように、自分は本当にクルマ好きなのか?とか意味の無いことをずっとループしてます。)
まぁくだらないボヤキでした。

思い出のクルマ
(当初私が乗っていたクルマです。このクルマおかげでクルマの楽しさを知りました。ありがとう!)

クルマを好きになったのは、親の影響意外に、
親しい友人4人が自動車整備士になるほど自動車好きな連中だったことが影響しています。
私の脳、典型的な男児のような構成なのか、大抵の乗り物は全て好きです。
(電車も飛行機も好きでした、が、運転免許を取る前はクルマにはいかないだろうと思っていたのですが・・・よもやよもやです。)
それもあって、免許を取ってから入れ込むまでに、さほど時間はかかりませんでした 笑
その中でも友人の一人・O君は、知識やカスタムなど技術的なことはもちろん、
クルマに関する漫画やアニメにも精通していまして、
サブカル好きな面もある私は、その彼から強く大きな影響を受けました。

そんなこんなでハマった作品が2つほどあります。
(むしろこれら作品により、更にクルマへのめりこんだと言っても過言ではありません。)
既にご想像がつく方がおられるとも思いますが、
日本の代表的な作品である、
「頭文字D(イニシャルディー)」と
「湾岸MIDNIGHT(わんがんミッドナイト)」の2つです。

「頭文字D」通称:イニDは、作家・しげの秀一氏の漫画が原作で、
漫画もヒット、全話アニメ化がされている超人気作。
一般公道の”峠道”を舞台に、
最速を競う走り屋の若者たちの交流と青春、成長を描く作品です。
いわゆるレースをするバトルシーンだけでなく、人間的なドラマも魅力であり、
クルマを好きではない人にも楽しめる内容になっているかもしれません。

『頭文字D』
https://magazine.yanmaga.jp/c/initial_d/

対して「湾岸MIDNIGHT」通称:湾岸は、
作家・楠みちはる氏による漫画が原作で、
漫画もヒット、一部アニメ化や実写化もされています。
また、ゲームセンターのアーケードにも進出してるのでそちらでもご存知かと思います。
こちらは一般公道の“首都高”(湾岸線、C1等)を舞台に、
最速を競い合う湾岸族という者達の作品です。
主人公が駆る、とある魔的なクルマによって人生が狂わされていく、
それに縁した人間の喜怒哀楽や葛藤が描かれており、
イニDと比べたら暗いイメージです。
さらに物語の抑揚が少なく、
ひたすら専門的かつ機械的なチューニングについて淡々と物語が進んでいくので、
クルマが好きな人でないと、純粋に楽しめない内容でしょうか。

『湾岸MIDNIGHT』
https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000011094

これ、どちらもテイストだけではなく、
それぞれに出てくるキャラクターやクルマに対する考え方や扱いがまるで違います。
(たまに漫画らしい有り得ないことが両者に起きますが)
ただ実在するクルマや舞台が出てくるので、親近感も持てますし、
何よりそれぞれの主人公の搭乗するクルマがアツく、
そして渋いんですっ!

(圧倒的不利なのに、必ず勝つという番狂わせが起こるのも魅力。ジュラ紀の恐竜VSメカゴジラといったところでしょうか笑)

次回はそれについて、もう少し詳しく見ていこうと思います。

[K.K]

ついつい脱いじゃうの♡

友人が豪華クルーザーを買ったというではありませんか。
社会全体が沈滞気味の昨今、なかなかに景気のいい話です。
しかも、その友人は私たちを乗せて、
日帰りのクルージングに連れて行ってくれるというではありませんか。

というわけで、10月の上旬、いそいそとマリーナに出かけて行った私。
そこには、中古とはいえ、壮大なカタマランが停泊しており、
「いや、このご時世に、よくこんなの買ったねぇ、すごいねぇ」などと、
オーナーにひとしきりの賛辞を贈ったのち、
総勢20人ほどの招待客たちとともに乗り込んだのでした。

私は、釣りに出掛ける時などにイグザルトに乗ることはありますが、
カタマランのような大きさのものに乗るのは初めての経験です。
デッキシューズのようなものが必要なのかしら?……と気になった私、
いちおう、前日にビーチサンダルを買いに行き、
当日はそれを持参して馳せ参じたわけですが、
意外なことに、招待客たちはみんな、
いざ船に乗り込む段になると、靴を脱いで裸足になっているのでした。
もちろん、「なるほど」と、私も持参したビーチサンダルを封印し、
靴を脱いで乗船しました。

私たち日本人は、何かの中に入るとき、靴を脱がなければいけない……というか、
靴を脱ぎたい!という気になるものなのでしょう。
新幹線でも飛行機でも高速バスでも、りりしい紳士でも清楚そうな淑女でも、
乗り物で靴を脱いでいる姿を頻繁に見かけます。
それも、足を置く場所が絨毯だろうがタイルだろうが関係なく。
新幹線の普通車の床なんて、土足で歩くようなリノリウムの床ですが、
それでも着席後にハイヒールを脱いで足を接地する人の多いこと。

そういえば、グアムのヒルトンのレストランでよく見かけるのは、
裸足にスリッパ履きでズルズル音を立てながら歩いている日本人ですよね。
チェックイン時に「レストランにスリッパで行ってはいけません」と、
さんざん注意を受けているのにもかかわらず、です。
日本人は、どうやら「靴を脱ぎたい」欲求から逃れられないのでしょう。

日本人は……と書きましたが、日系人は、なのかもしれません。
かつて、ブラジルに行ったとき、ある日系人のご家庭にホームステイしました。
そのご家族は、日系人とはいえ、全員、日本語を話すこともできないし、
食べるものも、フェイジョアーダと言ったか、
豆と豚肉を煮込んだようなブラジル流の食べ物をよく食べていました。
ハッキリ言って日本人の私の口には合わなくて困りましたが
つまり、日系人とはいえ、ゴリゴリのブラジル人なわけです。
それなのに、そのご家族は、家では靴を脱ぐという生活をしていらっしゃいました。
聞けば、日系人の家庭では、そういうのが主流だそうで、
だって、靴を脱いだほうが気持ちいいじゃない 笑」とのこと。
あぁ、日系人は、言葉は通じなくても日系人なんだなと、
豆を煮た料理のことは棚に上げて、感激したものです。

そうそう、淫猥な話で恐縮ですが、洋モノのAVなどを見ていると、
彼らは服は脱いでいるのに靴は履いたままで事に及ぶことも多く、
「足は攣らないのかしら」とか「ベッドは汚れないのかな」と、
見ているこちらが、いらぬ心配をしてしまうというものです。
そもそも、家の中でも靴を履いている文化圏の人たちにとり、
人前で靴を脱ぐことは、下着を取ることよりも下品という感覚があるのだそうです。
一方、日本では、特に今年、ステイホームが言われるようになってから、
統計によれば、家に畳の部屋がないと落ち着かないという人が50%を超えたそうで、
もう、感覚が、行って帰るほどに違っていますね。
しかし、ということは、新幹線でも飛行機でも高速バスでもヒルトンのレストランでも、
どこでも靴を脱いでいる日本人は、外国人の目から見れば「露出狂」。
しかも、りりしい紳士でも清楚そうな淑女でも、
老若男女が「露出プレイ」を楽しんでいるように見えるのでしょうか。
文化とはいえ、面白いものです。

ところで、土足文化に関して、私が以前から疑問に思っていたことに、
赤ん坊のハイハイ問題があります。
家の中でも土足生活を送る国の人々は、
赤ん坊をハイハイさせないのだろうか……という疑問。
私の予測は……きっとハイハイはさせないのだろう、
それによって、発育というか、身体的な成育は日本人とは異なるのかもしれない、
というもので、きっとそうに違いないと思っていました。
しかし、今回の土禁カタマランの体験により気になった私、
知人のイギリス人に電話して聞いてみたところ、
そんな理由でわざわざ電話してきた私に呆れながら、
「ふつうに、気にせずハイハイさせるわよ」と言います。
えっ、汚くない?と思いましたが、彼女いわく、
「多少汚いところをハイハイさせるほうが身体も丈夫になるし」とのこと。
なるほど。
手やら膝やら、いろいろ黒くなりそうですけどね。

さて、カタマランでのクルージングを楽しんだ私たちには、
下船後、バーベキューが振る舞われ、勢い、アルコールも進んだのでした。
この、バーベキュー&アルコールの展開は予告されていましたので、
あらかじめ公共の交通機関で現地に乗り込んでいた私たち。
ほどほどに飲んで、帰りのバスに乗り込んだのでした。
私は、そもそもバスが好きなので、飲酒後のバスは苦ではないのですが、
その帰りのバスでの光景に、私は目を奪われました。

腰の曲がったおばあさんが靴を脱いで、
座席にちょこんと正座していたのです。


いや、これは、実は、かなり懐かしい光景です。
昔、私が子どものころなんかには、こういう老婆をちょくちょく見かけたものです。
私は、豪華カタマランからの帰路に見た、実に懐かしい昭和の光景に、
昭和は遠くなりにけりというか、
なんだかタイムスリップしたような感覚になったのでした。

[SE;KICHI]

ご冥福をお祈り申し上げます!

5歳くらいのころの原風景としてよく覚えているものと言えば、
私の場合は「電車の番」でした。

子どもの足で自宅から5分ほどのところを京阪電車が通っており、
その踏切まで行って、通過する電車を観察するのです。
とはいえ、さすがに子どもが踏切で観察というのは危ないので、
その踏切のすぐ横の公園のベンチから見るように、
親からはきつく言われておりました。

当時、同居していた祖母がそれ用のノートを作ってくれて、
といっても、市販のノートの左上に千枚通しで穴をあけ、
紐をつけた鉛筆を結わえてくれていただけなのですが、
私は、それを持って嬉々として、その公園に陣取ったものです。

で、そのノートに何を記録していたのかというと、
何が通ったかという、交通量調査のようなものでした。
どこ行きの、なんという種別の電車が、どういう系統で運転されたか、
つまり、「淀屋橋行き、準急、2600系」というようなことを、
せっせと書き留めていたわけです。

いま、この話を書こうと思って、京阪電車のダイヤを調べてみたのですが、
京都から大阪方面へ、1時間あたり、だいたい15本くらいの電車が通るようで、
反対方向も同じ本数が通ると仮定すれば、2分に1本は電車が通る計算になり、
記録をつけるのもなかなか忙しかったはずです。
夕方、母親が迎えに来るのですが、
2分間隔では、母親に手を引かれて歩き始めても、
すぐに背後から踏切の音が鳴るので、
「あ、また来るよ!」と、帰るタイミングが分からず焦ったことを覚えています。

ところで、「淀屋橋行き、準急、2600系」とか、
遠目にどうやって識別するのかということなのですが、
当時の京阪電車は特急かそれ以外で塗装が明確に区別されていましたので、
まず、特急かそうでないかということは簡単に区別できました。
そのうえで、特急以外は側面の方向幕(行先表示板)の色を見て、
「あ、オレンジだから急行だ」とか、「お、青色ってことは準急だな」とか、
そうやって見分けていました。
下の写真だと、左は問答無用で特急で、
右は緑のボディに行先表示板が青だから準急と、そういう感じです。

旧塗色の特急と準急
http://photozou.jp/photo/show/1002687/130744841

では、系統はどうやって判別するのかということですが、
窓の形とか、貫通幌の形状とか、冷房機の個数とか、
そういう、外見上の見分けるポイントがあるのですが、
まぁ、これは場数を踏むよりほかにありません。
ただ、なにしろ毎日のように「電車の番」をしていた私ですし、
そもそも、系統なんてそんなにたくさんの種類はないので、
5歳児でもわりと早く、識別できるようになったものです。

さて、そんな私にとって、見たら嬉しくなる大好きな系統といえば2200系でしたが、
一方で、見たら不思議な気持ちに包まれたのが5000系でした。

京阪5000系 旧塗装
https://minkara.carview.co.jp/userid/250858/car/144093/1030538/6/photo.aspx#title

かつての記事で、京阪電車について書いたことがありました。
その記事で、5000系という系統のことをタラちゃんのようだと書いたものですが、
この車両は、側面から見ると、扉がやたら多いのです。

京阪5000系 旧塗装 側面
https://plaza.rakuten.co.jp/carp2008/diary/201012280000/

1両に5つも扉があります。
1両はだいたい18~19mですから、3mおきに扉がある形ですが、
このおかげでラッシュ時の乗降がスムーズになるというわけです。
しかし、一方で、ラッシュ時以外には扉が多すぎますよね。
扉があるところには座席は作れないわけで、
たくさん乗れるのかもしれないけれど、座る席が少ないということになります。
そこで、これ。


https://www.youtube.com/watch?v=dhEf15xWW3M

これ、斬新じゃないですか?
当然、この下にいると危ないので、
お客さんがいない車庫で行われることが多いのですが、
折り返しなどの運用上、ホーム上で扉を締め切って行われることも多く、
これを窓越しに観ることができたときは、興奮したものです。

さて、そんな斬新な5000系ですが、今年、全廃予定だそうです。
車齢は一番新しいもので40年だそうですが、
私が大好きだと言った2200系は56歳なので、
享年40歳は、ちょっと早すぎると思うんです。

実は、私が大好きだと言った2200系は、すでに2007年から廃車が始まっており、
100両以上製造された車両も、2016年時点では残り50両を切っていました。
そうやって、少しずつ確実に数を減らしてきた2200系でしたが、
2017年以降、突如、廃車がストップし、
代わりに5000系の廃車が始まり、そして今年度中に全廃予定だということです。

理由は、5000系、扉が多すぎて、ホームドアに適応できないから。
……斬新な設計がここで仇となりましたね。
結果、自分より古い先輩車両を差し置いて廃車されることになった5000系、
果たしてどのような気分でしょう。
えっ、そっちの都合でこんな身体に改造しといて、飽きたら捨てるわけ?って、
急な別れに理不尽な気分になっているのではないでしょうか。

2200系にしてみれば、5000系が身代わりになってくれて、廃車を免れた形ですから、
5000系には足を向けて寝られないことでしょうけど、
それはそれで、果たしてどのような気分でしょう。

こうして、斬新な機構を備えた京阪5000系。
享年40歳でお別れすることになってしまいました。
そう好きな系統だったわけではありませんでしたが、寂しいですね。
ご冥福をお祈り申し上げます。

[SE;KICHI]

慣れって大事ですよね。

2020年も残りあと約一か月半で終わりとなりました。
今年は本当に大きな出来事がありました。
コロナ禍での日常の変化に戸惑いながら過ごした方、
むしろ現在進行形の方がほとんどだと思います。

私自身も以前のブログで少し書かせていただいたのですが、
どう向き合っていこうか、とか、
なんだか色んなことが制限されてつまらないなぁ、とか思っていました。
本当に生活が困難になった方達は私のように思う暇もないくらいですので、
私はまだ恵まれている環境にいるのだと感じます。

そんな恵まれている環境でも、一時は本当に気持ち的に病んでいました・・・
しかし、しばらくそんな時期が続くと良くも悪くも起こってきました。
本来の日常とは変わってきていることへの「慣れ」です。
もちろん夜の街へ出かける等は控えているのですが笑

しかしながら以前より日常に戸惑いを感じなくなりました。
慣れというのは些細なことでも実感があると思います。
今年の猛暑には慣れませんでしたが・・・暑すぎよ笑 

慣れ、と若干ですが近いものを感じたのは進化です。
今まで地球上の生物は、その環境下で生き抜く為に進化を続けてきました。
自然界の生物達は人間よりさらに過酷な状況下で生きているので、
生き抜く術という部分に関しては人間より遥かに勝っていると私は感じます。

ただ、人間の方が優れていると思う進化の部分もあります。
知能と技術です。
空を飛べなければ飛行機を作り、海を渡れなければ船を作り、
今は当然のように使っている道具、
私がこのように文章を打っているパソコンも人間の進化の結果です。

今回の新型コロナウイルスは、
私の人生の中で世界的規模で一番大きな出来事です。

長い地球の歴史上で幾度も困難があったと思います。
今回の出来事も何かしら進化をして、
乗り越えていかなければいけないのでしょう。


先日、KAZSOUさんが書いておられましたが、テレワークが増えたり、
ネット等が苦手ですがあきらめずにがんばりましょう、とありました。
まさに、それもこの時代に合わせた進化の一つだと思います。
飛沫防止でアクリルの仕切を設置するとか、
今まではテイクアウトもやっていない飲食店がお弁当を始めたりとか、
ちょっとした工夫でも私はこの時代を生きていく進化だと、
私は感動しています。

ワクチンができないとな~とか、どうしよどうしよ~って、
ひたすら言っているうちは進化はできませんね。
少し前の私もそんな感じでした。

この状況に慣れてきたと言いましたが、
それはもちろん私だけではありません。
先日、取引先のメーカーさんにご来社いただきました。
久々にお会いしたのですが、
「同行営業が可能なら少しの時間でもお願いします」と言ってくださいました。
何気ない言葉ですけど、自分もこの日常を受け止めてきた時期でしたので、
気持ちがさらに晴れました。
ご来社いただきありがとうございました。

あとは周りの人には理解されないですが、個人的に楽しいこともあったり!
fu~maさんには「まだ始まってもないのによくそんなに楽しめるね」なんて、
呆れられています笑
やっぱり新しく楽しいことがあると仕事のモチベーションも上がって、
日常が楽しくなります!
仕事の時はちゃんと集中しますけどね笑

それでは皆様またです~。

[SYUN]

みんな、鬼になっちゃうぞ!

近所の公園で小学生たちが遊んでいたので、
ぼんやりと眺めていたのですが、
「水の呼吸 壱ノ型 水面斬り」などと叫びながら、棒を左右に払っていました。
アメリカでは共和党と民主党が接戦で、
仮に民主党の大統領が誕生すれば日本にも影響は大きいというのに、
日本は暢気だなぁと、それこそ暢気な気分で子どもたちを眺めていたのですが、
それにしても、『鬼滅の刃』、大流行ですね。
私は映画を観に行ってはおらず、
アニマックスで放送していたTV版が何話か目に入った程度の知識ですが、
子どもたちの遊びが、主人公・炭治郎の剣術業だということは分かりました。
まぁ、そこにいたのは炭治郎ばかりで、互いに技を繰り出すばかりだったのですが。

そこにたまたま現れたのが知人女性。
彼女は3人目の子どもを妊娠中なのですが、
上の子たちが、女の子なので剣術ごっこはやらないにしても、
『鬼滅の刃』を観たがることは観たがるのだそう。
そこで、試しに子どもとTV版を観てみたところ、
相手は鬼とはいえ、首を斬り飛ばされるシーンが多く、
こんなものを観せてよいのかと、不安を感じると言います。

矢琶羽の首鱗滝左近次の前の鬼の首
https://kei-88.hatenadiary.com/entry/2019/06/12/150012
https://ameblo.jp/caroln-neko/entry-12455119691.html


なるほど。
実は、私もそう思います。
ありていに言うならば……怖いのです。

弊社の Okei さんに、子どものころに観たアニメを聞いてみましたが、
「シティーハンター」、「うる星やつら」との答えでした。
どちらもジャンルとしてはラブコメディですから、
誰も死なないし、生首が転がったりすることはありません。
たまに電撃に打たれたりすることはあるようですが 笑

私は善逸ほどの臆病者ではありませんが、
それでも、相手は鬼とはいえ、叩き斬って首がゴロリと転がるとか、
なんか、こう、「うる星やつら」などに比べて、
穏やかに見ていられるものではないと感じるのです。
一方、『鬼滅の刃』で私が目にしたアニメの回では、
響凱という身体に鼓を埋め込んだ鬼が、死闘の末に炭治郎に倒されたのですが、
最期は血だまりの中にゴロリと転がった生首が、
炭治郎に向って何事か告げながら消滅していくという描写でした。
いや、血だまりの中に転がった生首がしゃべるとか、怖いではありませんか。

正直に言うと、私も、こういうのを子どもに見せて大丈夫なのかと、
大人として、少し自信が持てないところがあるのです。

いや、こういう映画を見せていると、
いつか平気で人の首を斬る大人になる……などというつもりはありません。
そんな短絡的なものでもないでしょうから。
しかし、血だまりの中に転がった生首がしゃべるとか、私は怖いと感じますが、
それでも繰り返し見せられれば、慣れてしまって怖く感じなくなるでしょう。
つまり、初見の時は衝撃的でも、そのうち慣れ、
そのような刺激ではたいしたことないと感じるかもしれません。
それって、実は、緩やかな洗脳のようにも思えます。
平気で人の首を斬る大人になる……ことはないかもしれませんが、
そういう残忍な場面に対する不感症になることは考えられます。

昔、アニメといえばアライグマと遊びまわったり、アルプスの草原を走ったり、
そういう長閑なものでした。
たまに主人公が悪を成敗するものもありましたが、
降参させることはあっても、斬り殺してしまうことまではなかったと思うのです。
ガッチャマンでもベルク・カッツェは少しも傷つけられないし、
キン肉マンでも戦いに敗れた超人が切り刻まれたりはしません。
アライグマと遊ぶようなアニメを見て満足せよというのは、
この時代には難しいことかもしれませんが、
それにしたって“生首ゴロリ”に慣らされてしまうというのは、
さすがにちょっと、どうなんでしょうか。

と、私はそう思うのですが、
実際のところは、すごい勢いですね、映画『鬼滅の刃』。
映画館では4つも5つものスクリーンを占有して、
20分差などで上映しまくっていると言いますから、
コロナで閑古鳥が鳴いていた映画館は息を吹き返し、
炭治郎サマサマといったところでしょう。

したがって、凄いものが流行ったなというのが正直な感想です。
「倍返しだ!」と雄たけびをあげるドラマが流行ったり、
鬼と戦って首をちょん切るアニメが流行ったりと、
ちょっと、みんなの趣味が殺伐としていて、不安です。
こういうものを、流行りに任せて見続けていると、
それでなくても好戦的な人が増えた印象のある昨今、
観ている側が鬼になってしまうんではないかと、
ちょっと心穏やかではおれません。

いや、炭治郎の健気さとか、善逸の瞬発力とか、伊之助のバカさ加減とか、
鬼殺隊メンバーは、それぞれチャーミングではあるのです。
見どころは残忍な描写ではなく、鬼殺隊メンバーの活躍に注目してほしいし、
それぞれのキャラクターの、志にコミットしている姿を見てほしいと、
そういうご指摘を受けることは百も承知ですが、
でも、しかし、健気さとか絆とか志とか、そういう部分を主題に据えるなら、
別にわざわざ鬼を殺すストーリーにする必要もないわけで、
それこそ『七つの海のティコ』でも見ておればよいのだと思うのです。 

いや、まぁ、たかがアニメなのですが、
古い世代にとって、『鬼滅の刃』のような好戦的なアニメは、
ちょっと不安になるほどに刺激的だという話です。
首が飛んでいいのは、アンパンマンくらいにしておいてほしいものです。

アンパンマンの顔交換 https://checkmate-blog.com/archives/86296

[SE;KICHI]

便利は面倒

春先から、仕事がテレワークになって、
オンライン会議を行ったり、学校などでもオンライン授業を取り入れたりと、
それまでスマホばかりだったのが、
待った無しでパソコンを使わざるを得ない状況になった方が、
多いのではないでしょうか。
親が使わなくても子供のオンライン授業のために、
あわててパソコンを購入したり、ご家庭のネットワーク環境を整えたり、
初めての方には、
わからないことだらけで大変だったことでしょう。


しかし、昨今のGoToトラベルなどの各種手続き、
はたまた国勢調査までもがインターネット回答ができるようになりました。
テレビも最近のものは、
You Tube等のインターネットでの各種動画配信サービスやゲームに対応しています。
そういったことを見ると、
ネットワーク環境に慣れることは、
今後ますます必要なことだ
と思いますので、
ちょうどよかったのではないかと思います。

ですが、それはそれでわずらわしいことが待ち構えています。
例えば、ネットで買い物やホテルの予約等のサービスを受けようとすると、
会員登録をしないといけないとか、あらかじめこちらの情報を伝えないといけません。
まずはログインIDやパスワード取得のための設定があります。
パスワード等はセキュリティ上、一旦仮パスワードが来たり、
本人認証確認メールが来てからの本登録であったりします。
スマホの場合は、迷惑メール対策をしていると、
認証確認メールを受信するために、
迷惑メール設定で相手のドメイン等をあらかじめ受信許可に設定する必要があります。
そうしないと認証確認メールが受信されませんので、
いっこうに先に進みません。
この時点で嫌になってあきらめた方は、
相当いらっしゃることでしょう。


その他情報として、名前や住所、電話番号、メールアドレス。
また、支払いが発生するものでしたら、
銀行口座やクレジットカードの番号の登録等が必要です。
インターネットで何かを始めようとすると、
毎回これらの作業を行わないといけませんし、
IDはもちろんのこと、同じパスワードを使うのはセキュリティ上危険ですから、
どれがどのパスワードかちゃんと覚えておかないといけません。
さらにパスワードに期限がある場合は、当然定期的に変えないといけません。

こうして考えて見ると、ほんと面倒くさいですよね。
これまでそういったものとは無縁の方には、かなりハードルが高いことでしょう。
面倒を無くして便利にしようとしていることが、
逆に面倒だとは、笑っちゃいますね。

でも、だからといってその面倒くささから逃れたり、
よくわからないからネットをやらないという訳にはいかなくなってきたと思うのです。
今後ますますネットじゃないとできないことが増えると思われますので、
やらないことで本来誰でも得られるはずの、
様々な機会を得られないことが、これから多く起こると思うからです。
もうすでにそうなっています。

ネットが苦手な皆さん、誰もが最初は初めてです。
最初は面倒でも、そんなものだと思って何回もやっている内に、
徐々に慣れてくると思います。
私もしょっちゅう手こずっていますが、
覚えてしまえば便利なことがたくさんありますし、
いろんな発見が自分を成長させてくれることもあると思います。

固定電話が携帯電話になり、
今ではほとんどの人がガラケーからスマホになりました。
これからもどんどん進化を遂げて、
慣れるまで面倒なことがたくさん出て来るのでしょう。

それでも皆さん、あきらめずにがんばりましょう。

[KAZSOU]
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Author:kkseishin
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URL:http://www.kk-seishin.com/

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