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実は一大事なのですよ!

安倍首相、辞任を表明されましたね。
まぁ、ご病気ということなので仕方のないことですが、
ここ何年も、批判を受け続けておられ、気の毒な気もします。
だいたい一国の宰相など、普通の人には想像もできない激務でしょうに、
友人でもない国民から「アベが」とか「アベくんが」とか、
還暦過ぎの紳士に対するにしては、あまりに失礼な呼び方をされ、
挙句、マスクを配っただけで「アベノマスク」などとバカにされる始末。
そりゃあ、ストレスで腹も壊そうというものです。

この秋は政局がらみになるのでしょうか。

この夏は甲子園もなかったうえに、帰省もしてくれるな、墓参りも密を避けろと、
“Summer Vacation”感があまりなかったので、
なんだか、流れるように過ぎ去った8月でした。
8月が終わり、今年も残すところあと4箇月
これほど無為に過ぎた1年は初めての経験です。

ところで、8月といえば戦争がらみの月ですよね。
私は、そういうエピソードは嫌いではないのですが、
それでも、終戦記念日の朝から、というか、10日前の原爆の日あたりから、
ニュース等で、戦争を経験された高齢者の話が流され、
「戦争は悲惨だ、悲惨だ」と、お経のように連呼されると、
まぁ、いい加減うんざりするものです。

いや、私自身は実体験していませんが、
それでも、戦争が悲惨であったことは想像がつきます。
そこに異論はありません。
しかし、戦争がテーマの話の時、どうしても悲惨さばかりが強調され、
「戦争はいけない。怖い怖い」のようなところに着地しがちです。
それは、ある程度、致し方ないことのようにも思いますが、
実際のところ、洗脳に近い効果を持っていて、
本来の、戦争を起こさないために日本はどうするべきか、など、
未来の視点からの議論が、なかなか深まりません。

つまり、条件反射的に「戦争はいけない」と言いはするのですが、
そのためにどうするかという思考は奪われてしまっていて、
「よく分かんないけど、とにかく戦争はダメなのっ!」という、
なんだかツンデレのドラマみたいな思考回路になってしまっています。

コロナ、コロナと、毎日、再放送でも気づかないようなニュースを見させられ、
重要なニュースがそれしかないかのように洗脳されていますが、
実は今年は、コロナなんかなくても、なかなか大変な年なのです。

先日も、中国共産党は長年の経済的恩恵を捨ててまで香港の自由自治を奪いました。
おそらく、台湾や東南アジア諸国を威嚇し、
尖閣諸島侵入から沖縄を奪う計画を立てていて、
最終的に、アメリカと対決して世界の覇権を握ろうという計画なのでしょう。
王毅外相は7月に「南シナ海は我々の庭であり……」などと発言していますから、
自宅の庭を掘り起こして何が悪い!という意識でいることが分かります。
一方、アメリカのビーガン国務副長官はこれに呼応して、
「南シナ海でのそのような主張を押し返す」と発言されましたね。

近年、中国はアメリカに次ぐ経済力をつけました。
オリンピックもやったし、万博もやっているので、
正直なところ、もう先進国ですよね。
しかし、貿易慣行は未だ欧米に従わなければならず、
時に欧米の価値観から、人権だなんだと内政干渉され、
それに従わなければ経済制裁を科されてしまうというありさまですから、
ぜんぜん、自分たちが認められなくて悔しいに違いありません。
だったら、もう、自分達の好きにやってやろう、他国の目なんて知るか!と、
自分達の価値観で、儲かる方法を作ろうと考えたのではないでしょうか。

おそらく、中国共産党は、かなり本気でアメリカと対決することを考えているはずで、
いまは、次の大統領がトランプの再任になるかバイデンになるか、
つまり、共和党政権が続くか民主党に代わるのか、見極めているところでしょう。

トランプ大統領は雰囲気が小憎たらしいので、悪者扱いされやすいのですが、
民主党のバイデンが大統領になったら、どう中国と対峙するつもりでしょうか。
悪夢のオバマ路線に戻ってしまうのですから、
バイデンが次期大統領になったら、
中国が次の覇権国家になる可能性がありますよね。

情報公開もせず、言論の自由もない国が世界を牛耳るって、
そんなの、大丈夫なんでしょうか。
率直なところ、私は、トランプ大統領の再選が、
世界にとっても、日本にとっても望ましいと思うのですが、どうでしょうか。

ところで、アメリカと中国の大国同士の覇権争いなんて、
日本には特に関係ないだろうという方もいらっしゃいますが、
現在の日本は、かつて死闘を演じたアメリカと、血より濃い同盟国になっており、
中国から見れば、間違いなく自由主義陣営の一員、
つまり、敵軍の一角というわけであり、巻き込まれるのは必定でしょう。

日本には憲法9条で国が守られていると本気で思っている一派があり、
正直、かなり驚いたりしますが、
そこまでの確固たるイデオロギーを持っていない人でも、
「難しいことは分からないけど、戦争はイヤ」とか、
「どっちでもいいけど、核兵器はなくすべき」とか、
そういうふうに思っている市民は多いものです。
しかし、そういう感覚的な話だけでは国を守ることはできないと思うのです。
国を……って、話がデカすぎて理解しにくいかもしれませんが、
ようするに、「なんかヤダ」くらいのふんわりした話では、
自分の愛する家族や友人や生活を守れないということです。
それこそが安倍首相の悲願だったはずですが、
日本は千載一遇のチャンスを逃してしまいました。

「戦争は悲惨だ」に異論はありません。
感染拡大が大変だとか、猛暑に注意しましょうも、大事なことでしょう。
しかし、もっと大事なニュースは、
いま、日本の領土領海内で起きている隣国の暴挙と、
海の向こうで日本を守ってくれている国の大統領選挙のことです。
これを知らなくて、本当に悲惨な目に遭うのは私達なのです。
政府は国民を悲惨な目に遭わせないために現実に向き合い、対処し、
同時に、改めるべき憲法や法律は素早く改め、
国際社会から支持応援されるように備えなければいけないと思うのです。

広島の原爆死没者の石棺に、
「過ちは繰り返しませぬから」と刻まれていますが、
かつての日本人はそこまでの過ちを犯してはいないはず。
むしろ、思考停止してしまった現在のほうが、
よっぽど「過ち」という感じがします。


[SE;KICHI]
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初恋💛

『初恋』というと、村下孝蔵でしょうね。
もしくは、窪田正孝の映画か。

令和のみなさんは忘れてしまったかもしれませんが、
「まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり」

というのは、島崎藤村の『初恋』ですね。

今年は、ステイホームということで、
本を読む機会が増えたという方も多かったことでしょう。
聞くところによれば、島崎藤村なども微妙に売れているそうです。
『初恋』は藤村が明治30年に発刊した処女作『若菜集』の一編ですから、
120年ちょっと前くらいの詩ということになりますが、
いま、『初恋』を読んでみると、藤村の頃の初恋と現代の初恋では、
その雰囲気はかなり異なっていることを感じます。

当時の平均寿命は40代前半くらいですかね。
もちろん、乳児の死亡率が高かったために押し下げられている平均寿命でしょうが、
当時は、産後の肥立ちの悪さや栄養状態の悪さなどにより、
簡単に命を落とす方も多かったでしょうから、
体感として、当時の人々には、
人生が60歳やら70歳まであるという感覚はなかったでしょう。
一方、現代では、女性の平均寿命は90歳に迫り、
いまどき、40代前半なんていうと、小娘もいいところです。

ところで、そのような、人生が40歳そこそこで終わる社会では、
初恋は、どう考えても一大事です。
なにしろ、40歳でこの世を去るところから逆算して、
それまでに出産や子育て(親離れ)を済ませようとするならば、
遅くとも20代前半までには「仕込み」は済ませておかないと、
子孫が絶えてしまうことにもなりかねません。
そうなると、縁談は10代後半の仕事になりますから、
初恋も、チャンスがあるとすればその年代か、それより前ということになります。

いま、チャンスがあるとすれば……と書きましたが、
チャンスなんてやってこない場合も考えられるでしょう。
見合い結婚の割合が高かったであろうことも勘案すると、
見合いをして、処女のまま結婚して、初夜に結ばれて出産し、
そのまま、その相手と添い遂げるというケースも多かったはず。
つまり、何かの巡りあわせで結婚や出産はできても、
恋愛の機会には恵まれず一生を終える女性も多かったことでしょう。
すなわち、当時の女性にとって、
恋愛は貴重な、恵まれたオプションみたいなものだったということですよね。

さて、120年後のいま。
人生は90年もあるうえに、恋愛は自由ということになっています。
そうすると、どうしたって、恋愛が「一生に一度」という感覚ではありませんし、
初夜に結ばれた初めての相手と添い遂げるという女性も絶滅し、
そのような価値観も、すでに化石になりました。
つまり、そんなに真剣に恋愛する必要性がなくなったということなのでしょう。
悪意ある言い方をすれば、
「恋愛なんて、テキトーでいんじゃね?」という社会になったわけです。

なにしろ、現代の人生は明治時代の倍の長さになったわけですから、
ヒマな時間も増えたのでしょう。
私の周囲の中年にも、「はぁ〜、恋がしたい!」と口走る者あり、
「いくつになっても恋はしたい!」と豪語する者あり。
それは、配偶者の有無などとは関係ないようですから、
年は取っても、心身ともに現役でいたいと考えるものなのですね。
中年の不倫がドシドシ報道されるのも、
枯れたくないギラギラした中年がたくさんいるからでしょうか。

しかし、それは中年の話で、
このところの若者たちは、また事情が異なるようです。
内閣府の調査によれば、20〜30代の未婚男女のおよそ4割が、
「恋人は欲しくない」と思っているとのこと。
常に恋したいと思ってギラついている中年とはえらい違いで、
若い彼らは、「恋愛は面倒臭い」と思っているというわけですが、
そういう彼らにしてみれば、
むしろ、いつまでも恋したいと思っている中年世代に呆れていることでしょう。

藤村の時代は、“稀有なチャンス!”と、恋を大切に慈しみました。
そして、現代の中年たちが若かりし30年ほど前には、
「この恋がダメなら次に期待だ」と、恋を使い捨てた“飽恋”の時代。
そして、いまの若者は、「面倒なんで、恋、いらないっす」という時代。
時代とともに恋愛観が違ってきていて、興味深いところです。

しかし、大丈夫なんでしょうかね。
「面倒なんで、いらないっす」という、白けた時代。
藤村のころとは逆の意味で、
恋をせずに一生を終える人も増えそうな予感です。

[SE;KICHI]

くる、きっとくる!

毎日猛暑が続きますね。
子供たちも、例年になく短い夏休みが終わり、
暑いなか、学校へ行っています。

さて、こう暑いと冷たいものが恋しくなります。
子供たちはジュースやアイスクリーム、
大人はやっぱり冷えたアルコールでしょうか。
我が家の冷蔵庫も、飲み物が大量に入っています。(7人家族なので尚更です。)
でも私、冷たい飲み物はほとんど飲みません。
最近はもっぱら白湯です。
なぜなら、お腹が超弱いからなんです(腸だけに・・・すみません)。


気を付けてはいるんですが、
数カ月に一度、お腹に、冷えによる激痛が走ることがあります。
以前にもこんなことがありました。
脂肪が多いからでしょうか?
外部気温が33℃未満(適当です)のときに、
クーラーをつけると体が冷えてしまう体質のようで、
冷えてしまうと体が辛いのでクーラーをつけないでいると、
当然暑いので冷たい飲み物が飲みたくなります。
『お腹がまた痛くなってしまうかもしれない・・・
でもこれだけ暑いし、ちょっとくらい・・・』と、
調子に乗ってコップに二杯ほど冷水を飲むと、
当然のことながらその夜、来てしまいました。

夕食を食べている頃から何となく痛みがくる気配はあるのです。
やけにグルグルとお腹も鳴ります。
けれど、お風呂にも入らなければいけません。
湯船で温めたら何とかなるか?なんて甘い考えでお風呂に入ると、
もう、触るとお腹が冷たいんですよね。
そのうちに、「きたー!!!」とばかりに激痛に襲われ、
その時はまだ作業をすべて終えていないにもかかわらず、
お風呂場を飛び出さざるを得ませんでした。
ちなみに言うと、我が家は義両親と同居です。
体を拭く余裕すらなく、義両親に遭遇するかもしれないと躊躇することも許されず、
全身びちょびちょのままバスタオル一枚巻いて、トイレに駆け込みました。

そこからがまた大変です。
あまりのお腹の痛さに目の前が真っ暗になるし(半分気を失っていた時間もありました)
冷や汗が大量に出て床に水たまりならぬ汗だまりができ、
ひとまず症状が落ちついてトイレから出て鏡で自分の顔を見たら、
顔面蒼白でお化けみたいな顔をしているし、
また激痛の波が来たらまたトイレにこもるという、
とてつもなくひどい事態になりました。
このような状況になると、毎回かれこれ1時間くらいはトイレとお友達になります。
今でも思うのですが、その時、完全に倒れて、
全裸状態で救急車に乗る事態にならず、本当に良かったです。

そんな事情があり、暑い時も極力冷たい飲み物は控えるようにしています。
息子の野球の応援に行っているこの夏も、毎回持参するのは白湯です。
とはいえ、最近はさすがに暑いので、クーラーは必須ですね。
夜もクーラーつけて寝ています。
当然、腹巻は手放せません。
 
ですがここだけの話、
私、実は一日一個のアイスクリームが欠かせません。
言ってること滅茶苦茶ですが、アイスクリームは別腹なのですよ。

[Okei]

何かワケがあるに違いない

ボクシングを習い始めて10年くらいになります。

25年以上前の事故で、右下腿骨(スネのことです)の開放骨折というのになったことがあり、
私は、その手術で、右スネの筋肉が削げ落ちてしまったのを、
左のお尻から筋肉を移植することで補充しているので、
ちょっと、なんというか、下半身のバランスが悪く、歩くのに難渋するのです。
そのため、ちょっと筋肉をつけようと習い始めたボクシングです。

ところで、開放骨折というのは、
ポキンと折れた骨が皮膚を突き破って出てきてしまう骨折です。

ちなみに、ドリフターズのコントなどで、
クルマに轢かれて複雑骨折という顔芸が出てきたりしますが、
複雑骨折というのは複雑に折れている骨折のことではなく、この開放骨折のことで、
つまり、骨が外に出てしまった骨折のことです。
開放骨折の場合、たとえ皮膚の破れ方がどんなに小さかったとしても、
本来は身体の外に出るはずのない骨が外に出ちゃっているわけで、
感染を起こす危険性が高いということになります。
それに、手羽先の骨を折るところを想像してもらうと分かりやすいと思うのですが、
骨をポキンと折ると、その切断面はギザギザですよね。
場合によっては細かい破片となって飛び散っているかもしれません。
そういうのが肉や皮膚を傷つけて外に出てきているわけなので、
元に戻すのは大変で、それで複雑骨折と呼ばれるのです。

とにかく、開放骨折は修復が大変だという話です。

まず、骨が皮膚を突き破った際に損傷した肉や骨片を取り除かなくてはいけません。
それから、骨というのものは、外気に触れると瞬時に細菌への感染が始まるので、
出てきちゃった骨の切断面を入念に洗い流さなくてはなりません。
つまり、救急車で病院に担ぎ込まれた私は手術室に運ばれたものの、
骨をつなぎなおす手術の前に、
じゃぶじゃぶ洗い流しながら細かい肉片や骨片を取り除くという行程が必要で、
私の場合は、その作業に4時間もかかったそうです。
しかし、4時間もそうしていたにもかかわらず、
肉片や骨片は完全には除去できなかったようで、
これ以上、骨を出しっぱなしにすると感染が危ないという観点から、
とりあえず骨が戻され、点滴などで全身の状態を改善しながら、
体力がついたら再度手術をするということで、4度も手術しました。

しかし、そうやって4度も手術したにも関わらず、
最終的には、25年以上前のその当時の医療ではそれが限界で、
今後の技術的な進歩に期待しましょうということになって、
つまり、一旦、私の脚の治療は中止になりました。
当時は、「は? 中止ってどういうこと? ひどくない?」などと思いもしましたが、
主治医から、やれることはないと言われてしまえば返す言葉もなく、
おとなしく引き下がりました。
本当に、それくらい、開放骨折は修復が大変だという話なのです。

その後、いちおう、外から見ても分からないくらいには普通の日常は送れていますが、
25年以上たった今でも時折、骨が皮膚を突き破った、当時の傷痕が再び膿んできて、
そこから吐き出されるように、固い骨の破片が出てきたりするということはあります。

それにしても、当時の医療ではそれが限界って、
そんなことあるんですねぇなどと思っていたら、
先日、同じくボクシングを習っている方で、
小学生の時分に生死をさまよう大きな火傷に見舞われたうえに、
その治療の際の輸血によって肝炎に感染してしまったという人と知り合いました。

グラグラ沸いた湯の中に下半身がはまってしまうという、
いったいどうやったらそういう目に遭うのか分からぬような事故で、
下半身は、8歳以降、移植に次ぐ移植だったそうですが、
その治療の過程で受けた輸血で肝炎になったとのこと。
あぁ、もう、それだけでも不幸としか言いようがありませんが、
本当に不幸なことには、入院中に彼の世話を焼いていた母親が、
息子の将来を悲観したか、売店に買い物に行くと言い残して失踪し、
彼はそれっきり病室のベッドに捨てられてしまったということで、
彼が負った傷は火傷だけではなかったようです。

しかも、あろうことか、当時の肝炎の治療というのは未発達で、
小学生には耐えられそうにない乱暴な治療だったため、
肝炎が分かった当初は、医師の判断で治療をあきらめ、
医療技術の進歩と本人の身体的成長を待とうということになったそうです。
肝炎の治療に着手したのは社会人になってから。
自暴自棄になりながらも、不都合を訴えてなんとか治療に着手したとのことですが、
そのインターフェロン治療は、まぁ、軽い抗がん剤みたいな治療なので、
社会人だった彼は、働きながらでは無理だということで仕事を辞め、
約3年間、治療に専念したといいます。

いや、こう書けばどうということもないのですが、聞けば壮絶。
繰り返しますが、今後の技術的な進歩に期待しましょうって、
そういう治療、あるんですね。

いま、コロナ禍で、不幸にも感染してしまった人、
そのことがもとで生命を落としてしまった人、
家族が感染したことで連座して隔離されている人、
医療崩壊を回避するためにリスクを冒して働いている人など、
悲喜こもごもです。

しかし、外から見れば何でもない人に見えてしまうので、
自分と違うとか、他人と揃っていないとか、
そういうことで、誰かを非難したり、蔑んだり、
心無い言葉を投げつけたりすることが大流行しています。
それは、ウイルスの流行を上回る勢いで蔓延しています。

しかし、人生は何が起き、
どういうハンデを負うかなど分からないもの。

そして、そのハンデは、外に分かりやすく見えているとは限りません。
だとすれば、自分と違うその言動も、
「何かワケがあるに違いない」と観て、自分の定規で測らないことが、
心穏やかに生き切る秘訣なんだろうと、改めて感じます。

[SE;KICHI]

ソウルフードの続き。

先日、約1年3カ月ぶりに仕事で和歌山県へと行きましたが、
やはりラーメンは和歌山を代表する”ソウルフード”ですね。
やはり美味しいもんです。
弟が埼玉県に住み、東京の中学校で働き始めましたが、
相変わらず学生気分が抜けないと言いますか、私生活はまだ整っていないそうで、
一日一食のみ、それが、だいたい二郎系のがっつりこってりラーメン。
本人は、某有名食リポユーチューバーの動画を普段から見ているせいか、
“毎日ラーメン健康生活”とかバカみたいなことを吹聴しているとか・・・。
母親は「大丈夫か?」と、呆れ口調で申しておりましたが、
居ますよ!ここにも、もう一人のバカ息子が!! 笑
やはり好みまで似ているのか、血は争えないようです。

はじめ家 ラーメン 並 720円
〈はじめ家 ラーメン 並 720円〉
(↑前回記載忘れです。美味しいですよ。)

前回、今ハマっているあるものと言いましたが、
家系ラーメンの元祖、総本山である吉村家に関することです。
当初それを知った私にとって、それはとても興味深いことでした。
それは、ラーメンショップです。

「ラーメンショップ」
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/kekkojin/18-00164

この云われを知ってるわいという方はおそらく富山人ではありませんし、
ラーメン好きの方、その限りでしょう。
実は“ラーメンショップ”は、家系ラーメンの元祖である吉村家の、そのまた元祖なのです!
どういうことかと言いますと、
吉村家創業者で総将と呼ばれるあの吉村実は、
かつて”ラーショ”で半年修業して、そこから独立し、ラーメン業を始めたんです。
(絶妙に似通よい、それでいて違うので、何も考えず食べると分からないかもですが。)
ネットでも出ていますが、ラーメン評論家の石上秀幸が、
「家系のルーツはラーメンショップである。」とも論じているように、
味や形態も似ていることから、間違いはありません。
(ラーメンの味や見た目、具材の種類と数量、味の濃淡調整、店舗の外装内装、食券機、調味料の種類に至るまで。)
(鶏油は入っていないので吉村家とはパンチ力が違いますが、背油が入っているという点ではまた違います。)


そもそも“ラーメンショップ”とは何ぞや?となる方もおられるかと思いますが、
北陸で言うと8番ラーメンか岩本屋とでも言えましょうか。
(全国で言うと天下一品、横綱、山岡家、一蘭、来来亭、ラーメン花月…etc)
いわゆる全国展開するチェーン店です。
(当方、普段はチェーン店には行かないのですが、ここは例外です。)

この“ラーショ”は、東京の太田区で椿食堂という会社が本拠を置き、
関東郊外の一円の国道沿い(ロードサイド)を皮切りに、
関西を除く本州、四国、九州に300店舗以上展開しています。
“東京豚骨ラーメン”というジャンルで、今日では当たり前の豚骨醤油味のラーメンを、
1960年代、羽田にあった小さな椿食堂という食堂から始めたといいます。
(吉村家は九州風関東風吉村流ラーメンと自称しています。)

主に国道沿いの立地からトラックの運ちゃんに愛用されたため、
(駐車場がトラック用でえらくでかい…。かつて吉村実も運ちゃん時代お世話になって、ここを知り得たのでしょう。)
営業時間は朝6時(6時1分または5時59分というところもあり)という早朝から、
深夜の2時まで休憩無しのぶっ通しで営業するのが基本スタイル。
朝には”朝ラーメン”という平時より格安(糸魚川店では420円)で食べられるタイムサービスもあり、
好評を博すにとどまらず、ある種、この形態のラーメンでは、
それ(朝ラーなど)そのものがひとつの文化として人々から支持されている節があります。
メインメニューは、先述のラーメンの上に、
胡麻油で白髪ねぎを和えたものを上に載せるネギラーメンが一番の売れ筋で、
その他アレンジメニューも多い。
それでいて吉村家などにある、あの戦々恐々とした空気感はなく、
家族でも割と入りやすい雰囲気です。
(ただし店によっては店員は不愛想、運ちゃんと職人ばかりで入り辛い時間帯も。)

面白いのが、この”ラーショ”は実に謎に包まれている点です。
公式HPは無し、取材は一切NG、
フランチャイズのチェーンながら麺や味の濃淡は自由度が高く、店舗毎によって違う、
そもそも創業年やその起源についても不明で、伝聞だけが独り歩きしています。
開店の際スープの作り方を教えられるのと、
その後の麺やスープの素、調味料、生ニンニクなど本部から送られてくる食材を購入しておれば、
後はだいたい自由にやっていいという、超緩い連合体のようなお店なのです。
(その食材さえ、店舗ごとによって置かれていないこともあります。)

ラーメンショップ糸魚川店 外観ラーメンショップ糸魚川店
ラーメンショップ糸魚川店 チャーシューメン 890円
(他の店舗より太麺で量もがっつり、お腹一杯になります。ただ、これでいて割とあっさりです。)

椿ラーメンショップ 外観椿ラーメンショップ
ラーメンショップ白山 山島台店 こりのりラーメン 750円+ミニネギ丼 290円
(石川のほうは秋田県の店舗で食したのに近く細麺ぎみ、見えないかもですが、よりあっさりしていました。)

説明が長くなりましたが、このラーメンショップ、
初めて見た時は他のチェーン店と同様、入る気にはならず、
どうしても他になければということで、敬遠しておりましたが、
数年前たまたま入ってみて、
これは想像以上に美味いし面白いと知って、
ちょっとした感銘を受けました。
しばらくは行ってなかったのですが、先述の吉村家の動画やルーツを知った際、
久々に行ってみようと出張って、一番近いだろう糸魚川店に行くようになりました。
(富山にはもかつてあったのですが、農道沿いで人が入らず廃業したそうです。)
朝ラーメンこと”朝ラー”には、休日ながら相当早起きして何度か食べに行っております。
朝から?と言われる方もおられますが、体も温まって良いんですよ。
富山に在って、かつ学生時代知っていたら良かったのですが、
まぁ、それでも今は充分、私にとっての”ソウルフード”になりました。

この“ラーメンショップ”という名前、いかにもな感じですよね。笑
“うまい”などとわざわざ書いてありますし、
看板の見た目のインパクトは赤くて文字はでかくて凄い。
(暖簾や看板のDNAはちゃんと吉村家に受け継がれています。)
○○屋(家)の屋号的な感じや、らぁめん〇〇とか崩した感のある名前といった、
最近のお店にあるオシャレさがない、
このチープで古い昭和な感じがまたいい。


弟は二郎系で舌が慣れてしまい、あまりピンとこなかったようですが、
父なんかは休日には朝ラーを石川に、
夕方は糸魚川へと行くほどハマってしまってました。
こんなバカげたこと、とても58歳とは思えないですが、楽しみが増えたそうです。
やはり血は争えないようです。
私にとっては忘れそうな頃にまた行きたくなる、中毒性がある味であります。

吉村実が、かつてトラックの運転手時代に全国のラーメンを食べまわり、
縁あって見つけたのがこの”ラーメンショップ”。
そしてこの”ラーショ平和島店”(現在は閉業)で修業し、
その後、世に名高い家系ラーメンというジャンルを作りあげた。
その源流たる味が僅かながらここに息づいていると思うと、
何か不思議なものを感じてなりません。
吉村家本店に行くことよりも、ここに来るとそれが分かる気がするのです。
いやぁ、ラーメンって深いですねぇ。

[K.K]

心外です!

コロナウイルスの感染拡大が止まらず、多方面に影響が出ていると思いますが、
各種のイベントの主催者も、開催の見極めが悩ましいところですよね。

感染拡大の阻止という観点を中心に、俯瞰的に考えれば、
すべてのイベントは、取りやめたほうが賢明なのかもしれません。
しかし、当然、それぞれのイベントの主催者は、
そのイベントに意義があると思って企画しているわけですから、
主催者として、できるだけ開催したいと願っているはずです。
そこで、どうすれば開催できるだろうかと知恵を絞って、
消毒席の設置や席の配置、換気の徹底などの対策を講じるわけですが、
結局のところ、そうまでする主催者の「開催したい」は、
意義などを勘案したうえでの“情熱”のようなものなのだと思うのです。
もちろん、日本人特有の、「せっかくここまで準備してきたんだし」とか、
そういうのもあるかもしれませんが。

さて、この、主催者の「開催したい」に対して、
「意義があるから」とか「せっかくここまで準備したんだから」とか、
そういう“想い”の部分にこだわって開催を決行することを指して、
想いだけで突っ走って太平洋戦争に突入した時に似ていると、
戦時下の日本を引き合いに、
もっと俯瞰的に物事を見よと叱咤されることがあります。

心外です。
いや、主催者の「開催したい」にこだわる姿勢を批判されるのは構わないのです。
高校野球しかり、高校総体しかり、
せっかく一生懸命やってきたんだから……というのは確かに感情論だし、
もっと俯瞰的に見なさい、そしたら、今はやれないでしょう……というのは、
おそらく、それはその通りだと思うのです。
私が心外だと思うのはそこではなく、戦時下の日本を引き合いに出されたこと。

いったい、誰からどんな教育を受けたのか、
大東亜戦争を、国体が軍部をグリップしきれなかったため、
主戦論を唱える軍部の暴走によって起きた戦争であると、
教科書に書かれている通りに洗脳されている人、いますよね。

ご存じないんですかね。
1600年ころからオランダの植民地となっていたインドネシアでは、
オランダ人が現地人に暴行したり強姦しても罪に問われず、
逆に現地人に対しては3人以上の立ち話をすることすら禁じていました。
「東亜の解放を目的として一生懸命やろう」と、その解放を訴えた今村均中将。
デヴィ夫人の夫・スカルノが大統領になれたのは今村中将のおかげですよね。
インドも、約150年前に渡ってイギリスに植民地支配されてきましたが、
イギリス人のために商品作物を強制的に作らされ、
現地人の食糧が不足して何千人も亡くなっていました。
常態化した人種差別からの解放をサポートしたのは藤原岩市少佐。
戦後、独立を果たしたインドでは、藤原少佐は「独立の母」と呼ばれていますよね。

日本の軍人にも立派な方はいくらでもいる思うんですよ。

先の戦争における日本の評価はいろいろでしょう。
しかし、日本が戦った結果、
アジアやアフリカの国々が次々と独立を果たして、
欧米による植民地支配が終わったことは紛れもない事実でしょう。
だいたい、日本は1919年に、
世界で初めて、国際会議で人種差別撤廃を訴えた国です。
日本を占領したGHQの最高司令官のマッカーサーが後に認めたように、
日本の戦いは自衛戦争であり、侵略戦争なんかではなかったはずです。
もう、いい加減、洗脳まみれの自虐史観を脱却しましょうよ。

だいたい、最近よく言われていることですが、
いま、私たちが一番すべきことは、マスクをすることと、他人と距離をとること、
それから、ニュースを見ないことでしょう。
テレビや新聞などの大きなメディアは、
ある種の意図を持って、情報が操作されているものです。

真面目にニュースを見ていると、連日、新たな陽性者数が発表され、
感染症学者が口々に、悪い予測に対して、
「〇〇が起こる可能性があります」とか、「△△の可能性が出てきます」とか、
そういうことを言います。
そりゃ、可能性という言い方をすれば、なんだって「ある」でしょうよ。
私自身、今日、自宅が全焼する可能性も、ゼロではないでしょうし、
突然暴漢に襲われて落命する可能性だって、ゼロではないでしょう。
実は、これが科学的態度というものです。
彼らはそういう言い方をするように習っているはずなのです。
私も、かつて理系の学校に通っていましたが、割と早い年次で、
わざわざ「こういう言い回しをするように」というのを習う授業がありました。
曰く、1%でもあり得ることなら「可能性はある」ということですし、
逆に、「ない」ことは証拠を示して証明できないので、
理論上、「ない」と言い切ることはしてはいけない、と習ったものです。

そうすると、今日、私が暴漢に襲われて落命する確率がどんなに低かろうと、
「可能性はあります」ということになりますから、
そのロジックを踏まえてコロナ対策を見れば、
この時期、墓参りでの感染の「可能性は……ある」わけだし、
ジョギングやウォーキングで感染の「可能性も……ある」ことになりますし、
すべてのことに、「可能性はある」ことになりますよね。

このロジックに食いついた番組から「リスクはあるんですよね?」と問われれば、
理系の専門家は「可能性は常にはあります」と答えざるをえないのです。
テレビや新聞、なかんずく雑誌というのは、その言質を取って、
『あなたの隣人が危ない! 専門家が指摘! 暴漢襲撃の可能性も?』
という報道になるわけです。

いま、人々の行動を不必要なまでに制限しているのは、
専門家による「可能性は……」というコメントです。
たったそれだけ。
たったそれだけなのですが、御用メディアが騒ぎ立てるので、
さも真実であるかのように誤解され、人々を委縮させているのです。

もう一度言いますが、たったそれだけです
単なるボキャブラリーの問題です。
たったそれだけの話なのに、どのような理由があっても、
わざわざ大東亜戦争まで引き合いに出し、
かつて、国家のために散華された英霊に対し、
貶めるようなことを言うのは、許しがたく、
厳に慎んでもらいたいものです。

陰謀めいた悪い教育しか受けられず、
いまだに日本人は侵略という悪いことをしたとか、
軍部の暴走は怖いとか、慰安婦問題は申し訳なかったとか、
真実を知らぬならなおのこと、そのような話をたとえ話に使わないでほしいです。

さぁ、今年は戦後75年。
英霊が命を懸けて守った日本、私たちがしっかりしなくてどうしますか。

[SE;KICHI]

自分を見失わない!

前回、ひたすら趣味のお話をしましたが、
今回はなんとなく私の心情をひたすら書いていこうかなと思います。
Okeiさんも不満を書いておりましたが、
またそれとはだいぶ違った内容かと思われます 笑
あ、前回のコメントにあった動画は載せられそうなの撮ってから、
次回上げようと思います!

なんだか最近は、新型コロナウイルスの感染が再び拡がっているせいもあり、
正直精神的に疲れています。
もちろん私だけではなく皆さんそうだと思うのですが。
仕事でも不要だったらやっぱり行かない方がいいのかな~?とか、
どんな切り口でやって行こうか、とか模索しています。
考えられないくらいにやることがある日は考えられてません・・・未熟。

それ以外のニュースでも、SNSの誹謗中傷という暗いニュースもあります。
誹謗中傷により自殺をされた方もいます。
まさに今の時代ならではないでしょうか?
昔は面と向かって意見を言い合うことが多かったのに、
今は見も知らない人と交流をする。
これは、良く言えば世界が広がるという部分はあります。
しかし、悪い部分は、見もしらない相手故に、
批判をする、ストレス解消相手にしてしまうということがあります。

SNSによる誹謗中傷、
さすがに今のご時世は事件化になっております。
しかし、なかなか減らないと言われています。
誹謗中傷をした方をさらに誹謗中傷する方がいるからです。
もうどーなってるん 笑  

実は私も、とあるゲームでチャットをしています。
いやー楽しいんですけどね、やっぱりいますよ。
なんだか良くない書き込みする方も。
そして私が気軽に書いた一言を気にしている方もいるのでしょうね。
やっぱね、人間なので気になって仕方ないとは思います。
こんな時代の中で、 「他人のことを気にしない」、
このような鋼のメンタルの人は強いですよね。
私もそうなりたい。

なんだか最近精神的に疲れてる私。
やっぱり、パートナーの方が欲しくなったんでしょうね。
支え合える方がいるっていいですよね。
最近は、○○会社の方が可愛いです、とか、
△△会社の方が愛想よくてすごい喋るんですよーとか、fu~maさんに話したりします。
「営業に行ってるんだよね?」とか冗談っぽく返されましたが 笑
「もちろん!」と答えましたが 笑

話戻しまして、SNSにハマりすぎるのは注意した方がいいと思います。
見も知らない方なのに、インパクトの強い発信があると、
多くの方はその意見が気になっちゃて仕方ないと思いますから。
鋼のメンタルの人なんて少ないはずですよ。
でも・・・自分を見失わないようにしましょう!
SNSでも元々知り合いの方とは面白いですけどね。
やっぱりリアルな人間関係が一番面白いですよ!
それじゃ!

[SYUN]

時には娼婦のように

友人の呉服屋さんが、この春、ステイホームでヒマになったからと、
1日に1着ずつ派手な打掛の写真を送ってくるものですから、
それが、源氏物語でいうと誰に似合うかと話し合うのが流行りました。
というのも、互いの誹謗中傷ばかりのテレビは消しましたという人も多く、
芸能人でいうと……などということにすると、
「そんな人知らないよ」ということにもなりかねませんので、
誰でも知っている源氏物語の登場人物で遊んでみたというわけです。

ところで、時折、源氏物語に登場する女性たちのなかで、
誰が一番好みかという話になることがありますよね。
みなさんはいかがでしょうか。

地味な存在ながら、男性に人気があるのは“花散里”だそうです。
どれだけセックスレスが続こうと、文句ひとつ言わず、
いつも穏やかで、源氏から言いつけられたことをきっちりこなす彼女は、
しっかり者で信頼のおける、まぁ、男性にとっての「都合のいい女」ですよね。

一方、男性人気が一番低いのは、ダントツで“六条御息所”です。
源氏物語どころか日本文学史上でも、
「嫉妬深い女」の日本代表と言っても過言ではない彼女。
嫉妬深いくせにプライドが高いから、嫉妬心を認めることができません。
あふれる嫉妬心をぐっと飲みこみ続けた結果、
無理がたたって物の怪と化してしまう、六条御息所。
実に怖い女ですね。

で、その六条御息所の生霊、
妊娠中の“葵の上”のところに化けて出たり、
死後も“紫の上”や“女三宮”などにとりついて、恨み言を言いに出現したり、
いろいろするのですが、
この六条御息所の生霊に呪い殺されたとされているのが“夕顔”

かつて世話になった乳母が病気になったからと見舞いに行った光源氏。
身分の高い光源氏にとって、
乳母の家があるのは「むつかしげなる」、つまり、むさくるしい地区ですが、
その乳母の家の隣に、夕顔が咲いている小さな家を見つけて、
「どんな人が住んでるんだろう」などと興味を持ちます。
興味を抑えられなくなった光源氏は、
身分を隠してその家に通い、
そこに住むシングルマザーと関係を持ちます。
これが“夕顔”。

ところで、この「夕顔」の帖の少し前に「帚木」という帖があって、
男友達同士で「こんな女、いいよね」と品定めを言い合うという、
『雨夜の品定め』と呼ばれるシーンがあるのですが、
そこで、17歳の光源氏は、同僚の頭中将や左馬頭と、
「汚い家に、意外と可愛い女がいたりするとテンション上がるよね」
みたいな変態じみたことを語り合っているので、
むさくるしい家の娘に興味を持ったのは、もはや性癖といえましょう。
おそらく、自分よりずっと立場が下の女がむさくるしい場所に住んでいて、
そんな女のところへ高貴な自分が密かに通うという、
たぶん、そのシチュエーションに酔っていたところもあるはずです。

ちなみに、この話はこの後、急展開します。
プレイボーイ光源氏は、「もっとゆっくりできるところに行こうぜ」と夕顔を誘い、
もちろん夕顔は戸惑うのですが、
ひょいっと“お姫様抱っこ”で連れ出されてしまいます。
まぁ、それは古今東西、ありがちな話ですが、
その深夜、女性の霊が現れて嫉妬された夕顔はそのまま死んでしまいます。
女性の霊というのは、おそらく嫉妬のレジェンドであるあの方の生霊でしょう。
動機は、光源氏が夕顔に夢中になってからというもの、
「ちっともアタシんとこに来ないじゃない、キイイッ」てなもんでしょう。

それにしても、まぁ、この夕顔という人は、男性に依存するタイプなのでしょうね。
だいたい、光源氏からの「たまには外でシテみようぜ」という誘いに乗らなければ、
いや、きっぱり NO を言える女性であったなら、彼女は死ぬことはなかったでしょう。
しかし、そこが彼女の魅力であり、
光源氏は生霊を飛ばすほどに気が強い六条御息所とは違って、
おっとりと弱々しいからこそ夕顔に惹かれたのでしょう。

そして、最近は「社会派」というご評価をいただいているこのブログで、
このようなことを書くのはいささか憚られるところなのですが、
私の妄想を披歴させていただけるならば、
昼間は儚げながら可憐で朗らかな性格の彼女も、
一方で、閨においては天性のコケットリィを持っていたのではないでしょうか。
つまり、普段はなんとなくおっとりとしていながら、
こと、その行為の最中は積極的で、天性の床上手だったのではないか、と。

実は、前述の『雨夜の品定め』で語り合っていた同僚の頭中将こそ、
この夕顔をシングルマザーにした人物なのですが、
夕顔は頭中将から逃げて隠遁していたので、
頭中将は、夕顔が自分の子を産んだ女であるとは知りません。
一方の光源氏は、夕顔の死後、女中から聞いてその事実を知るのですが、
このように、当代きってのプレイボーイである頭中将と光源氏が、
2人してのめりこんでしまう女・夕顔。
ちょっと尋常ではない想像力が掻き立てられます。

ちなみに、夕顔の死後、遺児は田舎にかくまわれていましたが、
長じて上京し、源氏の邸宅・六条院に入ります。
これが、のちに髭黒と突然結婚する“玉鬘”で、
源氏の放った蛍の光によって蛍宮に姿を見られてしまう場面は有名ですよね。
この玉鬘の後見をしたのが、
冒頭に登場した、The 都合のいい女・花散里でした。

ぞくぞくしますね。

[SE;KICHI]

夏季休業のお知らせ

平素より格別のご高配に預かり、厚く御礼申し上げます。
さて、弊社は夏季休暇として、
勝手ながら8月13日(火)および14日(金)を休業とさせていただきます。
ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。
猶、今後とも倍旧のご厚情を賜りますよう、切にお願い申し上げます。

[AKA]
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