それは“逃げ”ではなくて?
この春、政府発出の緊急事態宣言によって日本全国が自粛の嵐となりました。
自宅軟禁状態は学生たちも例外ではなく、
ほとんどの小中学校や高校が、おおむね3箇月に渡って休校になりました。
現在、その多くは再開しているようですが、
「学習の遅れをどうするのか」という問題が立ちはだかっています。
そんな折、5月に持ち上がったのが『9月入学制』への移行案でした。
現在では議論は頓挫したようですが、
当初は街頭インタビューでも、
「これで世界標準に合致するから留学生に朗報だ」などと、
歓迎する声も多く聞かれ、一時は政府も本格的に検討したようです。
私は、少し違和感を持ちました。
若く清新なイメージでモノをはっきり言うタイプの知事とか、
ロクなこと言わないのにクネクネとシナを作る教育評論家とか、
そういう一部の目立つ方々が賛意を表明されているので、
分かりやすさを重視する世論がそちらに流れたのでしょうが、
私は、ちょっと賛成できません。
それは、よく言われている、会計年度とのズレとか、そういうことではありません。
確かに、そういう問題も出るでしょうが、そんなのはいずれ慣れるでしょうし、
会計年度のほうをズラせば統一することもできるでしょう。
3万人近くの教員が不足するとか、待機児童が25万人になるとか、
そういう研究結果もあるようですが、それも、再任用とか規制緩和とか、
物理的な課題は、何か手を打てば乗り越えられる課題だと思います。
『9月入学制』の導入がよいことなのか、悪いことなのか、私には分かりません。
しかし、そんなことはどうでもよいのです。
私が本当に不快なのは、目下の「学習の遅れ」に対して、
『9月入学制』の導入で万事うまくいくとでもいうような雰囲気です。
クネクネ評論家などは、「現場は疲弊してるのよぉん、早く決断しないとぉ」などと、
対処法はそれしかないと言わんばかりの論陣を張っていますが、
結局、「もう無理だから、学年末を延期してほしい」という、
教職員側の願望に過ぎないのではないでしょうか。
これが会社だったらどうでしょうか。
コロナの影響で期待していたような売り上げが上がらず、
今年は予想を大きく下回りそうだぞとなったとき、
「もう無理だから、決算期を半年延期しよう」なんて、
そんなことはできないでしょう。
では、それはできないこととして、どうするのでしょうか。
……売り上げ確保のため、工夫するしかないですよね。
とにかく、いまできることを徹底的にやろうとするでしょう。
私は、それが正常だと思うのです。
やはり、危機の時こそ互いに智慧を出し合い、
いまやれることを淡々と進めるのが大人というものでしょう。
不安がる子供を慰め、疲弊する最前線の人々を励まし、
別に何の確証もなくても「大丈夫さ」と言って自他を鼓舞することこそ、
大人として期待されている姿なのではないでしょうか。
そういう意味で、『9月入学制』というのは、私には正しいとは思えません。
それは、この4月から8月の半年間を捨てようということであり、
結局、智慧を出すのではなく環境を変えようとする試みであって、
大人として洗練された乗り越え方ではないように思うのです。
やはり、いち早く授業数を充足できるようにと智慧を出すべきであるし、
最終的にそれが実を結ぶかどうかは別としても、
最初からそのための努力を放棄して仕切り直しを考えるなんて、
ちょっと、子供に見せられる思考プロセスではないような気がします。
端的に言えば、うまくいかなかったらリセットボタンという、
ゲーム感覚の思考回路でしょうね、これは。
なぜ、『9月入学制』という要請が出るのかといえば、
公立と私立の資金力の差などにより、オンライン授業ができたりできなかったり、
通っている学校によって公平でなくなるからという、
“格差への配慮”的なことなのでしょう。
しかし、世の中、公平でないことなんていくらでもあります。
通っていた学校が都会か田舎かとか、その学校の規模とか、
学校の重点教育領域とか、先生方の出身大学とか、
環境に影響を与えるものの、自分でコントロールできないことなんて、
いくらでもあるはずですよね。
“格差への配慮”を考え始めると、どうしても社会主義の方向に進みます。
いま、必要なのは、サミュエル・スマイルズなどの、自助の思想でしょう。
置かれる環境は人によって様々ですが、
その場所で最大限の努力を惜しまなかった者が成功を手にするのです。
誰かが何かをしてくれるんじゃないかと、
口を開けてボーっとしている者に、成功は訪れないでしょう。
日本的に言うと、二宮尊徳などのような努力家が、
「あっ、ズルい、不公平だ!」なんて言うでしょうか。
彼のように、とても貧しかったとしても、環境に文句を言わず、
怠ることなく努力した者が成功するのです。
ちょっと、日本人は肝に銘じたほうがいいですね。
ところで、果たして、3箇月に渡る休校は必要だったのでしょうか。
私は、ワクチンが未開発だったとはいえ、
既存のインフルエンザに準じた対応でよかったのではないかと思っています。
この原稿を書いているゴールデンウィーク明けの時点で、
日本で重症化した10代以下は1名で、死者に至ってはゼロでした。
厚生労働省も、感染者の年齢が低いほど、
他人に感染させるリスクが低くなると認めています。
つまり、子供に限れば、外出を禁止するほどのことではないということです。
それより、休校が続いたことによる弊害のほうが甚大です。
子供たちは新たなクラスメイトや担任と信頼関係が築けないし、
座って勉強する習慣もつかなければ、体育による体力の増進もできません。
会社を休まねばならなくなった親御さんの経済的な負担も看過できません。
また、それどころか、熊本の慈恵病院によれば、
一斉休校によって中高生からの妊娠の相談が激増しているそうです。
Stay Home で外に出られないからっ♡……ってことでしょう。
だからって中に出すことはないと思いますが。
どうするんでしょうか、この状況を。
入学時期を世界標準に合わせても、国力は増しません。
教育内容そのものが変わっていないのに、
海外の優秀な人材が日本に集まってくるはずがないでしょう。
むしろ、先行きの不透明なこの国を見切って、
日本の優秀な学生が脱出していくような気すらします。
『9月入学』などと、場当たり的にごまかしてないで、
どうすれば効率的に学習できるか、建設的に考えたいところです。
[SE;KICHI]
自宅軟禁状態は学生たちも例外ではなく、
ほとんどの小中学校や高校が、おおむね3箇月に渡って休校になりました。
現在、その多くは再開しているようですが、
「学習の遅れをどうするのか」という問題が立ちはだかっています。
そんな折、5月に持ち上がったのが『9月入学制』への移行案でした。
現在では議論は頓挫したようですが、
当初は街頭インタビューでも、
「これで世界標準に合致するから留学生に朗報だ」などと、
歓迎する声も多く聞かれ、一時は政府も本格的に検討したようです。
私は、少し違和感を持ちました。
若く清新なイメージでモノをはっきり言うタイプの知事とか、
ロクなこと言わないのにクネクネとシナを作る教育評論家とか、
そういう一部の目立つ方々が賛意を表明されているので、
分かりやすさを重視する世論がそちらに流れたのでしょうが、
私は、ちょっと賛成できません。
それは、よく言われている、会計年度とのズレとか、そういうことではありません。
確かに、そういう問題も出るでしょうが、そんなのはいずれ慣れるでしょうし、
会計年度のほうをズラせば統一することもできるでしょう。
3万人近くの教員が不足するとか、待機児童が25万人になるとか、
そういう研究結果もあるようですが、それも、再任用とか規制緩和とか、
物理的な課題は、何か手を打てば乗り越えられる課題だと思います。
『9月入学制』の導入がよいことなのか、悪いことなのか、私には分かりません。
しかし、そんなことはどうでもよいのです。
私が本当に不快なのは、目下の「学習の遅れ」に対して、
『9月入学制』の導入で万事うまくいくとでもいうような雰囲気です。
クネクネ評論家などは、「現場は疲弊してるのよぉん、早く決断しないとぉ」などと、
対処法はそれしかないと言わんばかりの論陣を張っていますが、
結局、「もう無理だから、学年末を延期してほしい」という、
教職員側の願望に過ぎないのではないでしょうか。
これが会社だったらどうでしょうか。
コロナの影響で期待していたような売り上げが上がらず、
今年は予想を大きく下回りそうだぞとなったとき、
「もう無理だから、決算期を半年延期しよう」なんて、
そんなことはできないでしょう。
では、それはできないこととして、どうするのでしょうか。
……売り上げ確保のため、工夫するしかないですよね。
とにかく、いまできることを徹底的にやろうとするでしょう。
私は、それが正常だと思うのです。
やはり、危機の時こそ互いに智慧を出し合い、
いまやれることを淡々と進めるのが大人というものでしょう。
不安がる子供を慰め、疲弊する最前線の人々を励まし、
別に何の確証もなくても「大丈夫さ」と言って自他を鼓舞することこそ、
大人として期待されている姿なのではないでしょうか。
そういう意味で、『9月入学制』というのは、私には正しいとは思えません。
それは、この4月から8月の半年間を捨てようということであり、
結局、智慧を出すのではなく環境を変えようとする試みであって、
大人として洗練された乗り越え方ではないように思うのです。
やはり、いち早く授業数を充足できるようにと智慧を出すべきであるし、
最終的にそれが実を結ぶかどうかは別としても、
最初からそのための努力を放棄して仕切り直しを考えるなんて、
ちょっと、子供に見せられる思考プロセスではないような気がします。
端的に言えば、うまくいかなかったらリセットボタンという、
ゲーム感覚の思考回路でしょうね、これは。
なぜ、『9月入学制』という要請が出るのかといえば、
公立と私立の資金力の差などにより、オンライン授業ができたりできなかったり、
通っている学校によって公平でなくなるからという、
“格差への配慮”的なことなのでしょう。
しかし、世の中、公平でないことなんていくらでもあります。
通っていた学校が都会か田舎かとか、その学校の規模とか、
学校の重点教育領域とか、先生方の出身大学とか、
環境に影響を与えるものの、自分でコントロールできないことなんて、
いくらでもあるはずですよね。
“格差への配慮”を考え始めると、どうしても社会主義の方向に進みます。
いま、必要なのは、サミュエル・スマイルズなどの、自助の思想でしょう。
置かれる環境は人によって様々ですが、
その場所で最大限の努力を惜しまなかった者が成功を手にするのです。
誰かが何かをしてくれるんじゃないかと、
口を開けてボーっとしている者に、成功は訪れないでしょう。
日本的に言うと、二宮尊徳などのような努力家が、
「あっ、ズルい、不公平だ!」なんて言うでしょうか。
彼のように、とても貧しかったとしても、環境に文句を言わず、
怠ることなく努力した者が成功するのです。
ちょっと、日本人は肝に銘じたほうがいいですね。
ところで、果たして、3箇月に渡る休校は必要だったのでしょうか。
私は、ワクチンが未開発だったとはいえ、
既存のインフルエンザに準じた対応でよかったのではないかと思っています。
この原稿を書いているゴールデンウィーク明けの時点で、
日本で重症化した10代以下は1名で、死者に至ってはゼロでした。
厚生労働省も、感染者の年齢が低いほど、
他人に感染させるリスクが低くなると認めています。
つまり、子供に限れば、外出を禁止するほどのことではないということです。
それより、休校が続いたことによる弊害のほうが甚大です。
子供たちは新たなクラスメイトや担任と信頼関係が築けないし、
座って勉強する習慣もつかなければ、体育による体力の増進もできません。
会社を休まねばならなくなった親御さんの経済的な負担も看過できません。
また、それどころか、熊本の慈恵病院によれば、
一斉休校によって中高生からの妊娠の相談が激増しているそうです。
Stay Home で外に出られないからっ♡……ってことでしょう。
だからって中に出すことはないと思いますが。
どうするんでしょうか、この状況を。
入学時期を世界標準に合わせても、国力は増しません。
教育内容そのものが変わっていないのに、
海外の優秀な人材が日本に集まってくるはずがないでしょう。
むしろ、先行きの不透明なこの国を見切って、
日本の優秀な学生が脱出していくような気すらします。
『9月入学』などと、場当たり的にごまかしてないで、
どうすれば効率的に学習できるか、建設的に考えたいところです。
[SE;KICHI]
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