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異郷の言葉

ヒロシという、「ヒロシです。」のフレーズから始まり、
自虐ネタを繰り出してブレイクしたピン芸人をご存知でしょうか。
一時あまりテレビに出なくなっていましたが、
最近はひとりキャンプをしている様子をYouTubeにアップして、
かなりの視聴者を獲得しています。

その彼が『迷宮グルメ異郷の駅前食堂』という、
BS朝日で火曜日の深夜にやっている番組に出ています。

『迷宮グルメ異郷の駅前食堂』
https://www.bs-asahi.co.jp/ikyou_ekimae/

番組のコンセプトは、世界の鉄道で旅をして、
ふらりと降りた駅前の絶品グルメを異郷で探すふれあいの旅。
言葉もわからない土地で、
ジェスチャーと勘だけで地元の人に愛される駅前食堂を探し、
人生で味わったことのない美味いモノと、人情に出会うというものです。

私はこの番組がけっこう好きで、録画して時間のある時に楽しく観ています。
彼が行く国は、私にはあまり馴染みのないところが多く、
ブルガリアやポーランド、北マケドニアなどで、
降り立つ駅も聞いたことのない地名ばかりです。

それも興味深いのですが、私が面白いと思うのは、
彼は終始淡々としているのですが、
誰も注目しないような、
ふとした現地の何でもないところに食い付くところです。
目の付け所が私と似ていて親近感がわきます。

また、英語圏ではない国でも、
英語の単語とジェスチャーだけでほぼ会話が成り立っているのです。
勇気さえあれば、言葉なんかできなくても、
どこでも旅をできるものだ
と思わせてくれます。

現地の人に聞いてそこならではの地元の食べ物を食べるのですが、
どんなものかは出てこないとわかりませんし、
味も口に入れるまでわかりませんから、まるでバクチです。
それを見ていると私もそんなスリリングな旅をしてみたくなります。

先日隣県の人気のあるハンバーガー屋に行ってきました。
チェーン店ではなく、ひとつひとつ手作りでおいしいので、
たまにハンバーガーが食べたくなるとそこへ行っています。
経営者は日本の人ですが、お店の中はアメリカンな感じで、
お客さんはいつも外国の方が多いです。
私達以外は全員外国の方で、外国語が飛び交い、
日本語が全く聞こえないこともあります。
ですから、そこに行けばわりと簡単に異郷体験ができます。
せまいお店なので、英語やスペイン語の会話がけっこうハッキリと聞こえます。
不思議なことに、英語だったら何の話をしているのかは、
聞いていればだいたいわかります。
ここにずっといれば、
そのうち私もしゃべれるようになるんじゃないかと思ってしまいます。

そう言えば、大学入試センター試験の英語が記述式になるならないと揉めていましたが、
日本の外国語教育は根本的にズレているなーと、
口のまわりをベタベタにしてハンバーガーを頬ばりながら思った次第です。

[KAZSOU]
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薄い精子の如き野菜。

神戸の『料理屋 植むら』という料亭は居心地の良い料亭ですが、
ご主人の植村良輔さんは、
加賀野菜で有名な加賀料理の修行から出発されたせいか、
野菜には一家言ある方で、特にハイブリッドが嫌いだそうです。

ハイブリッドって、まぁ、野菜に限った話でもないのですが、
ざっくり言うと消費者向けの極端な品種改良のことです。
昨今は、極度に糖度が高いとか、極端に辛さを抑えたとか、
味を変えてしまうような改良が多くなってきており、
そういうのは邪道ではないかと、植村さんは言います。
生産者の「オンリーワンを求める気持ち」が改良を流行らせているのでしょうが、
植村さん曰く、そんなのは農業に全然貢献していないと。
だって、「オンリーワン」ということは、その生産者にしか作れないわけで、
生産量は少なく、コストもかかり、ほとんど流通しないわけですからね。
そんなものより、在来種を積極的に復活したほうが良いのではないか、
一周回ってやっぱり原点回帰だよねと、植村さんは言います。

それを聞いた私は感心しました。

いや、害虫に強いとか、日照りに耐えるとか、
そういう生産上のメリットのための品種改良は構わないと思うのです。
しかし、私は古いタイプの人間なのか、
トマトは酸味のあるものだし、ピーマンは辛いものだと思っていますので、
それを、たとえば子供が食べやすいようにとか、そういう理由で、
極度に糖度が高いとか、極端に辛さを抑えたとか、
味の要素にまで手を突っ込んでしまうと、
それは果たしてトマトなのか、ピーマンなのかと、
確かに、かねがね、釈然としない感じはありました。

そう思うと、野菜の味に感動するって、どういう感じでしょうか。
たとえば、トマトって、食べたことない人はいませんよね。
ほぼ全員、味の想像がつくはずです。
そこに、極度に糖度が高いトマトを出現させたとして、どうでしょうか。
まぁ、賛否はあるかもしれませんが、
私は、食べやすくはなるとしても、感動はしないと思うのです。
「へぇ~」と思うとは思いますが。
一方、別に、糖度が高くはないけれど、妙においしいトマトって、ありますよね。
「〇〇農園のトマトって、どういうわけか、驚くほど旨い」ってやつで、
この場合、味に感動することはあり得ますよね。

私は、この両者の戦いは、
“糖度が高くはないけれど、妙においしいトマト”の勝ちだと思うのです。
それは、糖度が高くはないが、「トマトとしておいしい」という状態だからです。
トマトなんだから、「トマトとしておいしい」というのは、とても大切な要素でしょう。

やはり、スタンダードに栽培して、肥料をちゃんと与えて肥沃な土地を作り、
適切な気候管理をしながら、ちゃんと忘れずに水やりをし、
毎日、愛情をかけながら育てた野菜がおいしいに決まっています。
工場のような場所で、光をあてながら作っている葉物野菜も、労力や経費など、競争力的な面を考えれば、それはそれでいいとは思っていますが。

そういえば、スーパーなどに並んでいる野菜は形が見事に揃っていますが、
見慣れているだけで、考えてみたら不思議だなと思うのです。
野菜だって生き物なのだから、揃っていなくても当然なはずなのに、
まるで工業製品であるかのように揃っていますね。
そんな量産型の野菜は、昔ながらのエグ味のある野菜よりも、
栄養価が低い、ような気がします。

最近流通している野菜の多くは、
異なる品種の種を人工的に掛け合わせた F1 という種なんだそうです。
これは、各地域で何世代も自家採種を繰り返して環境適応した種ではなく、
見た目重視、大量生産、大量流通に向いた改良種で、
いわば、品質は均一かもしれないけれど、味や栄養価は二の次というわけです。
きっと、極度に糖度が高いトマトか、極端に辛さを抑えたピーマンというのは、
こっち側(F1 種)のグループですよね。

ところで、F1 種の多くは、雄性不稔といって、
子孫を作れないのだそうです。
つまり、私たちは、毎日、子供を作れない野菜を食べているということです。
人間の精子が劣化し、濃度も薄くなっていると指摘されて久しい昨今、
なんでも成人男性の20%が不妊で、さらに40%が予備軍になっているそうですが、
それって、このような野菜を食べていることと、本当に関係はないのでしょうかね。

冒頭の植村良輔さんの言葉を借りるまでもなく、
薄い精子のような F1 種ではなく、
昔ながらのエグ味のある野菜が懐かしい私です。

大量消費への迎合やオンリーワンへの異常な執着などを見直し、
地元の食文化を復活させたいと、私は思うのでした。

[SE;KICHI]

いまから次回の心配

すっかり寒くなり、雪の情報もちらほら。
じきに本格的な冬到来です。
暑かった夏の日々も随分昔のように感じます。
1年過ぎるのがあっというまですね。

この夏、10年ぶりに車を購入しました。
前触れもなくその日の朝、唐突に家人から誘われて展示会場へ出かけて行きました。
我が家の車は2台とも同じ年式なので、
そろそろ考えないとねぇーとは思っていましたが、
気になっている車種もなく、購入の気持ちも全くないまま出かけました。

ずらっと展示されている新車に中古車を眺め歩いていると、気になる車種を発見。
聞けば、いま乗っている車と同じ排気量。
かなり気持ちが傾きました。
この時点では自分の車ではなく、家人用として。
取り敢えず試乗をさせてもらうことにしました。
私は助手席に乗り込み出発。

買ってしまいました、私。

数週間後、購入した車の引取りに販売店へ。
手続きが終わり、いざ車へ。
えっと・・・?
エンジンの掛け方が分かりません!?
サイドブレーキはどれ? 外し方に掛け方に???

うわ~、初めて車を運転します的状態(汗)
その後販売店の方から、ザックリと教わり、恐る恐る公道を運転して帰りました。

ザックリな中にも今までなかった操作の説明に頭がついていきませんでした。
これまで何台か乗り換えて来ましたが、初めて感じた戸惑いでした。

ドアの開閉やエンジンの始動に鍵を差し込む必要が無いのは知っていましたし、
何度も助手席に乗せてもらったこともありましたが、
自分で運転するとなると話は違いました。
ここ数年は代車やレンタカーも運転していなかったので、今の車に驚きの連続です。

商談中販売店の方に、車高くなりましたよね~。と言ったところ、
安全な機能が増えていますから!とおっしゃいました。

数カ月たち、ようやく操作に慣れてきましたが、
運転中、様々な場面で車から指示を頂戴しております。
もっとブレーキを踏み込めとか、
車線の両サイドに幅寄せぎみになれば警鐘を鳴らされたりと、
様々な角度から(苦笑)
安全機能・・・徐々に納得しています。

この次に購入する時はどうなっているのか、
進化する安全機能や操作についていけるのか。
自動運転に苦労しそうな予感。
今から一抹の不安を感じています。
対策としては、毎年車を入れ替える!
なんて無理ですから、
今後は購入しなくても販売店を覗きにいくようにします。
次回はもっと覚えられない自信がありますからね。

[fu~ma]

やっちまった! ~抑えきれない欲望~

押しボタンを見ると押したくてたまらなくなってしまうという話をすると、
途中までは「分かるよ、押したくなるよね」と好意的に聞いていただけるのですが、
最終的に我慢できずに押してしまうと話すと、高確率で危ないヤツ扱いされます。
いや、でも、それって、最終的に我慢できずに…って意味では、
「お酒を飲んだ後にはラーメンが食べたくなって、食べちゃう」とか、
「風呂上がりにはビールが飲みたくなって、飲んじゃう」というのと同じですよね。
そんなに私ばっかり変人扱いされるのは……と、ちょっと不満です。

さて、先日、押してしまいました、中央線の駅で。
いや、もちろん、私も、それなりに大人として生活していますので、
押しボタンを見て、押したくてたまらなくなってしまったとしても、
「ダメよ」と言われているボタンを押すようなことはありません。

押たのはコレ。
正確には、「ダメ!」と言われているわけではない、
でも、普通の人は押さないであろうボタンです。

東京駅発車ベル釦 東京駅発車ベル釦-アップ

コレ、何のボタンか分かりますでしょうか。
各ホームに設置されている「発車ベル」ボタンで、
これを押すと、そのホームに発車ベルが鳴るというボタンです。
発車ベルというのは、たとえば中央線だったら、こういうメロディーです。



このボタンは、各ホームの通常は両端、
電車が入線した時に車掌室前にくるような場所に設置されています。
到着した電車のドアを開けた車掌さんは、車掌室から出てホームのこのボタンを押し、
30秒ほど発車メロディーを鳴らしてから車掌室に戻って、
指さし確認などして、ドアを閉めて発車していくのです。
つまり、ホームにいる人に「ドアが閉まりますよ」という合図を送る、
まぁ、車掌さん専用のボタンなのです。

コレがそういうボタンだということは、観察の結果、以前から知っていました。
当然、押してみたいなぁと思っていたわけです。
しかし、たとえば、不用意に押すと列車転覆の恐れがあるとか、
そういう重大なインシデントが起こるようなボタンを押すわけにはいきません。
そこで、よくよく自制しつつ、注意深く観察を重ね、
押しても大丈夫な、安全なボタンと悟ったところで、
押してみたいなぁという欲求は大きく膨らんで破裂したわけです。

そして、これが一番大切なのですが、
このボタンには「押してはいけません」とは書いてないのです。
上の左の写真を見てくださると分かると思いますが、
「発車ベル」のボタンの上のほうにある、異変を知らせる系のボタンのところには、
「むやみに押すと罰せられますよ」的なことが書かれているのですが、
下の「発車ベル」のボタンには何も書かれていません。
まるで小学生のような理屈ですが、何か言われたとしても、
「だって、ダメって書いてなかったじゃん」とか、言えそうな感じがします。

これは、押しても大丈夫だな  ( *´艸`) フフッ

はい、押しましたとも。
軽やかな発車メロディーがホームに流れ、私はとても満足しました。

ところで、これは、特に意味なく、押したくなったから押しただけの話なんですが、
いちおう、押す前にビビった私はちょっと保険を掛けておりまして、
ホームに電車も何もいない、発車メロディーが鳴るはずのないタイミングではなく、
まさに、到着した電車が発車しようとするタイミング、
本来であれば車掌さんが「発車ベル」ボタンを押すべきタイミングで、
物陰からスッと現われて、車掌さんよりも数歩早く押すという手法をとりました。
要するに、「どうせ押すボタン、代わりに押してあげます」作戦です。

そのうち電車が入線してきました。
車掌さんがホームの「発車ベル」ボタンに向かって歩きはじめたところ、
ぬるりと私が物陰から現れてきて、代わりに「発車ベル」ボタンを押したわけです。
車掌さんにしてみれば、物陰から出てきた者に先手を奪われる格好になりましたが、
その車掌さんは怒ることなく「あっ、ええぇ~」と言いながら半笑いで、
私が鳴らした発車ベルを20秒ほど聞いた後、「切」ボタンを押して去っていきました。
また、近くにいた駅員さんからも、
「あははは、も~、ダメですよ~」って笑われただけで済みました。
いやぁ、日本、寛大ですね。
って、外国でそういうことをやってみたことはないですけど。

こうして、私の欲求は満たされました。
「あははは、も~、ダメですよ~」って笑われただけなので、
これって、たいした話ではないんですが、
しかし、「押しボタンを見ると押したくてたまらなくなってしまう」というのは、
“そうしたいと思ったら、それをしちゃう”と言う意味で、
「カッとするとつい相手を刺しちゃうんですよね」というのと思考構造が同じです。
そう考えると、大丈夫なんでしょうか、私。

[SE;KICHI]

家族の一員?

小学6年の娘は生け花クラブに入っています。
ひと月に1~2回、クラブで活けたお花を持ち帰ってくるのですが、
そのお花を飾るのが私の密かな楽しみです。

残念なことに私は植物を長く育てることができません。
植木も枯らし、お世話(水やり)しなくても大丈夫という植物を買ってみても腐らし、
お花を活けてもほったらかしにしてしまうので、自分では買いません。
かろうじてお正月に活けるくらいなのですが、
はらりはらりと花弁が散っていき、
そうなったら片づける、という女子力の低い私です。

でもやはり、お花がある生活は素敵だし、
せっかくもらってきたお花は飾りたいので、花瓶に飾ります。
とは言っても、もらってくるのは2本。
センスがある人が飾ればまた違うのかもしれませんが、
あくまでも自分の楽しみとして飾ります。

さて、いつもは葉物とお花の2本なのですが、先日は枝物とお花でした。
いつものように花瓶に活け、毎日眺めては素敵💛とほほ笑んでいたのですが、
ある時から枝にぶつぶつが出来始めました。

『何これ・・・気持ち悪い』
と感じ、子供たちにも見てもらい、
やはり「なにこれ~」とその場を去られてしまったのですが、
そのうちにそのぶつぶつの数か所が伸び始めました。
そうです、成長していたのです。
驚いたことに、(花瓶は透明なので見えるのですが)枝からは根っこも生え出し、
根っこからさらに枝分かれもし始めました。
花は早々に枯れて処分してしまったのですが、
花瓶の外に出ている枝の芽は日に日に成長し、
今では私の足のサイズを超えました。

セッカヤナギセッカヤナギ 部分

もらってきたときは単なる枝で、
枯れている(←失礼ですよね、ごめんなさい)枝だとばかり思っていたのに、
緑の葉っぱが出てくるなんて夢にも思いませんでした。
と同時に、草木の生命力の強さも感じました。
そして不思議と可愛く感じるんですよね。

すくすくと水のみで成長している枝に、
主人も「太陽にあててあげたら」とか「庭に植えてあげたら」と言い、
それもそうだなと思いつつ、
「どこに植えるの?」とか「寒さに弱いかもしれないし」とか思い、
いまだに花瓶の中にいます。
いやでも、またお花を持ち帰ってくるころだから、
そろそろ植えてみようかな。と思っていた昨日、
娘が持ち帰ってきたのはお花のリース。

またしても植え替えのタイミングを逃した私は、
外に出してもいいものか調べるために娘に枝の名前を聞くと、
「セッカヤナギ」だそう。
調べてみると、
『水はけ・水もちのよい土に植え、日当たりのよい場所で栽培する』
と書いてあったので、
この週末にでも庭に植えてみようと思います。

これから冬になるというのに、大丈夫かしら?

[Okei]

文化の維持費

いやいや、首里城、燃えてしまいましたね。
弊社は、守礼門が描かれた2000円札の普及に努める団体なので、
首里城にもいくらかの思い入れがあり、消失は残念です。

さて、私が国内の美術館などを訪れたときにいつも感じることなのですが、
入場料、安すぎません?
実は、私は、行きたいと感じたところに行くという嗅覚を重視しており、
そういうわけで、これまでに10回は沖縄を訪れているにもかかわらず、
いまだに首里城には一度も足を踏み入れたこともないのでした。
そんな私がコメントする資格があるのかどうかは微妙ですが、
今回、首里城の入場料金が 810円であると報道で知り、驚きました。
首里城。
琉球の文化や歴史を知るために大切な存在であると力説しておきながら、
スーパー銭湯よりも安い値段。
いやいや、大切なわりに、入場料、安すぎません?

なんでもかんでも外国と比較すればいいというものでもありませんが、
世界では、その国の文化や歴史を反映した価値ある建築物は、
高い入場料を徴収するのがスタンダードとなっています。
なぜなら、一度燃えたらあっという間に延焼してパーになるのですから、
防火設備に金をかけるのはあたりまえで、
そのコストが入場料に反映されるという仕組みなのです。
たとえば、ノルウェーの民族博物館。
昨年、私が訪問した際の入場料は150クローネほどだったと思います。
日本円だと2500円くらいですが、高いと思いますか?
しかし、『アナと雪の女王』に登場するゴル・スターヴ教会など、
そうそうたる伝統建築群が展示されている施設ですから、
管理や防火にそれなりのコストがかかると言われれば、納得はするでしょう。

一方で首里城。
琉球王国の宮殿を再現し、文化を継承するために大切とされる首里城ですが、
入場料で比較すれば、ノルウェーの民族博物館の1/3という安さで、
もはや、自ら価値がないと言っているかのような価格設定なわけです。

この首里城、焼失してみて、防火体制が万全でなかったことが露呈しました。
どうしてでしょうか。
管理者が整備を怠っていた……ってことはないでしょう。
燃えたって構わない文化財なんてないわけですから。
防火に費やす充分な予算がなかったということなのでしょう。

入場料収入がもっと潤沢にあれば、管理や保全に費用を投入でき、
お粗末な防火設備も、もうちょっとマシになっていたかもしれません。
そういう意味で、私は、
スーパー銭湯レベルの“安すぎる入場料”が、
今回の被害を拡大させた側面もある
と思っています。

先日、この話をラジオで話したところ、
「これは文化の話であって、カネの話ではない!」と、
局にお叱りのメッセージが届いたそうですが、
仏像等の文化財に多少の関心を持っている私としては、これは切実な話です。
もちろん文化財保護はカネだけの話ではありませんが、
保存や修理、防火・耐震など、
カネさえあれば解決できる問題は多いのです。

そもそも、首里城は復元された公園であって、別に文化財ですらありませんから、
厳密にいえば、それほどシビアな防災を求められてはいません。
しかし、単なる公園だとしても、首里城公園は年間280万人が訪れ、
今回焼失した有料エリアに限っても年間180万人が入場する観光施設です。
180万人というと三重県の人口とほぼ同じで、富山県の人口の1.7倍。
そんな、多くの人が集まる観光施設にスプリンクラーを設置することは、
文化財云々ではなく、安全のために必要なことですよね。

ワイドショーなどでは、「木造建築にスプリンクラーは難しい」とか、
文化財特有の難しさを指摘する“有識者”もいますが、
難しいからといって、何も対策しなくてよいはずはありませんよね、
人が多く集まっている観光地なのですから。
文化財が好きな私ですら、
文化財を水浸しにするリスクと出火によって人命を危険にさらすリスクなら、
どちらが重いか分かります。
それに、首里城と違って文化財として国宝に指定されている姫路城では、
火災報知機をはじめとした防火施設を完備し、
スプリンクラーも天守群だけでなんと1000カ所以上設置されてます。
木造で、国宝や世界遺産に指定されていても防火はできるということです。
スプリンクラー設置の法的義務がないとかそういう問題以前に、
それだけ多くの観光客が訪れる施設の管理者として、
防火・防災対策は必須だと思うのです。

しかし、昨今の少子高齢化による人口減少で、
たぶん、今後、入場料収入は年を追うごとに減っていくはずです。
国に頼ろうにも、人口減少で税収は減るでしょうし、
国としては、年金や医療・福祉のような社会保障や、
または老朽化したインフラの整備に予算を投入せざるを得ません。
文化財というのは、表現に賛否あるかもしれませんが、
必需品ではなく“ぜいたく品”ですから、
そこに対する投資はついつい後回しになるはずです。
すると、当然、設備が陳腐化するわけで、
歴史的な建造物であっても、維持管理が厳しくなり、
最後は、安全対策がガッツリと削られるというわけです。

ほら、昨年も、リオデジャネイロで国立博物館の火災がありましたよね。
2000万点の貴重な収蔵品が焼失してしまったわけですが、
あれも、リオ五輪で無理につぎ込んだインフラ投資が引き起こした不況で、
国家財政がボロボロになってしまっていて、
博物館の消火設備のメンテナンスにカネが回らなかったからだそうです。
まぁ、お金がないのに、
いつ発生するか分からない災害に備えれませんよという話です。

とにかく、私は入場料が安すぎると思います。
安い入場料のおかげで、
私たちは国宝や文化財も気軽に拝観することができるようになりました。
誰でも気軽に文化を学べて素晴らしいという気もしますが、
長い目で見れば、その維持管理に対する適正な価格になっていないため、
私は、その設定が文化や歴史をガタガタにしてしまっているとすら思います。

結果、今回の首里城消失については、
ある程度の国費を投入して再建する運びとなるでしょう。
熊本城とかもそうですが、
国全体の税金を使って一地域の城を再建することが正しいのか、
税制上の観点から必ず議論が起きます。
そういう面倒なことになる前に、
それなりの入場料を徴収し、
コツコツ備えておけばよかったのです。


とにかく、「安くて質のいいものを提供すれば間違いなし!」という、
日本特有の、呪いのような思考から脱却しない限り、
全国の文化財は、首里城のように崩壊していくでしょう。
私は、首里城への思い入れは強くないですし、
今後の再建にもそんなに注目はしていませんが、
一般的に、文化財というのは、
先人たちが遺した貴重な英知であり、その文化における誇りなのですから、
それを護ろうとするなら、それを大切だと思う人たちが気概を持って、
普段から、朽ちないための努力をしていてほしいと思うのです。

繰りかえしますが、「高い入場料」が必要です。
観光客を受け入れる以上、防火対策は必要。
しかし、国はこの分野に費やせる予算を多く確保できません。
と、なれば、自前で「高い入場料」を徴収して、
それを原資に安全を調達するしかないではないですか。


[SE;KICHI]

National Anthem 2

最高に日本中が盛り上がりましたね、
ラグビーワールドカップ、日本代表我らのジャパン!
桜の戦士達、あの大激闘をよく闘ってくれました!

特に2戦目のアイルランド戦からあげた大金星は、
私自身現地で観戦し、歴史が変わった瞬間の目撃者となりました。
間違いなく、大会のフレーズにもある、
一生に一度の感動を味わいました。
あれはスポーツ枠を超えたエンターテインメントです!
(これに至るまで、支えてくれた全ての人に感謝です。)

第2戦アイルランド戦

その後も勝ち続け、日本中に一大ムーブメントを巻き起こしてくれました。
元ラガーマンとして、これほどの空気感と熱量、大躍進は嬉しい限りです。
かつての時代を知っているだけに、信じられません。

それだけに、やはり結果を出していかなければ、
人から評価もしてもらえない厳しさも感じました。
仕事においてもそうですが、頑張ったね、だけでは通じない。
(人気も出なかったのは、勝てなかったから。)
スポーツは勝敗がはっきりするものですから尚更、現実世界も同じだと。
(誰かを蹴落とすといった話ではなく、弱い自分と向き合い、自らの目標を目指して挑戦し、殻を破って成長していくことです。)

「勝利は幸福であり、敗北は不幸である。だからこそ正義は勝たねばならない。
勝ってこその正義であり、正義を満天下に示す為には勝たなければいけない。」
インドの革命家の言葉にもあります。
善悪の話ではありませんが、要旨は間違ってはいないと思います。
だからこそ勝つ為の努力と志を高く持ち、
立ち向かっていくことが大事だと思います。

初のベスト8進出
https://www.google.com/amp/s/www.tv-tokyo.co.jp/sports/smp/articles/2019/10/006702_amp.html

確かに試合には負けてしまったかもしれない。
けれども、彼らはその目標の為に努力を続け、目標達成という結果を出した。
彼らは彼らの目標に対して勝利したのです。
多くの人が、結果もそうですが、その姿に感動をしたというのではないでしょうか。


さらに進んで一考してみると、
それは勝ち負けだけではない。

共に観戦した知人が漏らしてましたが、
「単にワールドカップの良い試合を楽しむだけというのは三流かなあ?
踏みこんで、そらに至るプロセスや精神性、
メンバーの裏話やドラマなどに感動し、心動いたというのは二流だろうね。
更に掘り下げ、彼らが見せてくれた勇気ある姿から、
次は自分の舞台でどう戦うのか!?と奮起するのことが一流なのでは?
大切なことは、自らの壁や目標に向かって挑み続けること。
彼らが見せてくれたように、次は私達の番。
それぞれの舞台で、戦い、そして乗り越え勝利を掴むことではないだろうか?」
全くその通りだと感じます。

南アとの終戦から、どこか落ち着いた気もしてましたが、
まだ終わってなかったのです!笑
そこからが本番、世界最強の超人類達が凌ぎを削り、
頂点を決める大事な大事な大一番だったんです。

ウェブ・エリス・カップ
https://www.google.com/amp/s/s.cyclestyle.net/article/img/2018/08/28/66737/302370.amp.html

準決勝のイングランド対ニュージーランドは、
かのエディージョーンズ率いるイングランドが終始黒衣軍団を圧倒し決勝に進出。
驚きの連続と共に、ラグビー発祥の地である北半球に、
ウェブ・エリス・カップを持ち帰って欲しかった私にとっては楽しみな展開でした。
日本をやっつけた南アフリカ対ウェールズは、ワールドカップらしい、
何が起きるか分からない死闘を見せてくれました。
本当に素晴らしかった!
そして決勝は皆さまも知っての通り、
その南アフリカが12年ぶり3度目の優勝を果たしました。
試合以上に、選手、監督、観戦者ほか全ての関係者が互いに感謝し称えあえる、
記録や記憶にも残る素晴らしい大会となりました。

南アフリカの3度目の優勝
https://spread-sports.jp/archives/35867

この日本で、これが行われたことこそ、一生に一度。
世界40億人以上が一度にこの試合、そしてこの日本を見たんですから、
様々な意味で素晴らしい機会だったのです。

次は2023年のフランス大会で、既に大会は動いています。
日本もまだまだこれからです、今からとても楽しみです。

話は変わりますが、そのイングランドとニュージーランドの試合で、
試合前のハカに対してイングランドがV字で体系をとり、
罰金処分とされたと話題になっておりましたが、
やはり試合前の精神的世界における戦いは、国歌にあると言えます。
先述のように、国歌は選手たちが、
それぞれの思いを持って臨む大切な時間であります。
ここで私の好きな国歌をいくつかご紹介したいと思います。

① ニュージーランド国歌
この国の国歌は、
“神よ、ニュージーランドを守り給え”「God Defend New Zealand」です。
イギリス統治の英語と、原住民族マオリ族のマオリ語が混ざった歌詞です。
とても美しい讃美歌のような歌であり、激しいハカのそれとは対を為します。
これは歴史的にも融和の象徴であり、
オランダや大英帝国時代の侵略の歴史などを感じさせない、
国民が一体となる曲のひとつでしょう。


https://www.youtube.com/watch?v=mhCgcZ0efAA&feature=youtu.be

坂本龍一にプロデュースされ、
日本でも有名になった、同国出身のヘイリーが歌うこの2011年大会決勝、
高校生の頃リアルタイムで観ていた私は、とても深い感動を受け、
ニュージーランドに行って短期のラグビー留学をしたい。とさえ思うほどでした。
(ただの夢物語でしたが。)
一度聴くと忘れられない曲です。
国民全員が気持ちよく歌っている姿、羨ましいと思うほどです。
ハカも大事ですが、これを歌うことも気持ちを高める為に大切なのです。

②南アフリカ国歌
既に多くの方が聴かれている曲ですね。
映画「インビクタス/負けざるものたち」にも詳しく出ていました、
「Nkosi Sikelel' iAfrika」、”神よ、アフリカに祝福を”です。
5つもの言語(コサ語・ズールー語・ソト語・アフリカーンス語・英語)からなる国歌で、
説明不要の大偉人ネルソン・マンデラ大統領が、
かのアパルトヘイトからの民族和解や協調の象徴として、新しく作り直したものです。


https://www.youtube.com/watch?v=Dtg_KtjrIV8

これは南アフリカ国内で行われたテストマッチでのものですが、
日本でもおなじみの選手や監督が、驚くほど真剣に心から歌っています。
皆涙をこらえていますが、
国を背負って大舞台に立つ重圧と誇り、様々なことを感じてだと思います。
見てるこっちまで、アツく胸に迫るものがあります。
日本ではそういったものがあまりないため、
これを見た時はそこまでか!と衝撃を受けました。
言葉人種は違えども、ひとつになれるものだと教えてくれます。
南アフリカの歴史を知っているだけに、
今大会の活躍も相まって、涙なしでは見れません。
この歌に関して少し気になる方はぜひこれも見てみてください。

https://www.mag2.com/p/news/420466

③ウェールズ国歌
私の中では一番素敵な国歌であると思っているものです。
グレートブリテンを構成するこの国の国歌は、
“我が父祖の土地”、「Land of My Fathers」です。
美しい自然やアーサー王にまつわる古城や文化、
綺麗な水から作られるウイスキーなど、ウェールズは歴史ある国です。
しかしイギリスに統一されてからも独自の民族意識が強く、
ケルト文化を色濃く残している国ですので、歌詞はウェールズ語です。
国歌自体出来たのは歴史が浅いのですが、
その讃美歌のような音色から流れる壮大な曲調は、
永く旧いウェールズの歴史を表現するのに十分なものだと思います。


https://www.youtube.com/watch?v=NBpQqQ87JOg

この映像は世界的に有名な選手で、
日本でも活躍したシェーン・ウィリアムズの代表引退戦での一幕です。
ウェールズの伝説的存在である彼の引退試合には、多くの人が駆け付け、
この最後の国歌で涙をこらえきれなかったのでしょう、感極まっていますね。
なんというか、このメロディーとこのシーン、
もうずるいです。笑
まあ、どれをみても、ウェールズ国歌だけはウルっときます。
自分もこの国で生まれていたら、きっと思いっきり歌っただろうに!と思っています。

日本は”君が代”ひとつで、様々物議を醸していますが、どうでしょう。
捉え方は様々あるとして、それはそれでいいと思いますが、
海外の国歌は日本ほど暗いイメージの曲(歌詞は別)は少なく、
どちらかと言うと明るいのが多い気もします。
またそのように捉えて、
誇りをもって気持ちよく歌っていることが分かります。

今大会も試合のみならず、ここでも沸かせてくれました。
ホント、一生に一度でした。
感動の数々をありがとうございました。

[K.K]

やめるべき5つの習慣④

『やめるべき5つの習慣』の第4弾。
私は全5箇条のうち、実は、これに一番感銘を受けました。

やめるべき5つの習慣④「自分との約束を守れない。」

みなさんどうでしょうか。
他人との約束は守ろうとするが、自分との約束は守れないことがあるタイプなのか、
他人との約束はどうでもいいが、自分との約束はバッチリ守るタイプなのか、
2択だとしたら、みなさんどちらでしょうか。

多分ほとんどの人が、他人との約束を守ろうとするのではないでしょうか。
それをやめなさいということです。

つまり、自分との約束を大切にしなさいということです。
もちろん、他人との約束も守ったほうがいいですよね。
他人との約束は破りなさいと言っているわけではありません。
ただ、他人との約束を優先的に守ろうとする、
その傾向が危険だと気付きなさいということです。


なぜならば、すごく浅はかだからだと講師は言います。
ほとんどの人が他人との約束を守ろうとするのは、
おそらく、他人との約束を破ると、怒られたり、評価を下げられたりと、
直接的な損害が予想できるからではないでしょうか。
これは、目に見える利益を追っているということです。

でも、他人との約束ばかりを守って他人からの協力を得たとしても、
あなたが自分との約束を守れなければ、
本当に自分の思った通りの人生なんて歩めませんよね。
他人との約束を守っていても、自分との約束を破りまくっていたら、
それって、自分で考えたことをやっていないということじゃないですか。
それでは、他人に操られた人生を歩んでいることになりますよね。

そもそも、「幸せに生きる」というのは、目に見える利益を追うことだけでしょうか。
意外と、「私は本当に思った通りの人生を送っている」という充実感のほうが、
幸せな人生にとってウエイトが大きいのではないかと思えるのです。
事実、古今東西、生き生きと働く高名な経営者などは、
「自分との約束を守る」ことを自分に課していて、
目に見える利益(=他人の評価)なんて気にしていませんよね。
他人からどう見られているかを気にすると、ブレてしまいますから、
そこを断ち切ることこそ肝心と述べていますよね。

もちろん、他人からの約束も守れるように努力はしましょう。
しかし、究極の選択、どちらか選べと言われれば、
自分との約束を守る人のほうが信頼できますよね。
なぜなら、ブレない人だという意味ですから。


試しに、「自分との約束を守る」ことを自分に課してみましょう。

つまり、他人の評価を気にせず、自分との約束を守ると決めるわけです。
私の場合、軽くそれを意識するくらいの取り組みでしたが、
「今、自分は自分との約束を守ってるな!」と自分で実感できるので、
それ自体が、なかなか爽快な感じでした。
もはや感覚的な話で申し訳ないのですが、
他人からの目や評価を気にして何事かを成し遂げても、
「オレ、やったぜ!」という充実感なんて、得られないのではないでしょうか。
充実感の根源は、自分との約束を守り、考え、
成し遂げたことによる達成感なのではないかと思うのです。
他人との約束を守ることは、マナーとしては必要だし、
目に見える利益が必要なときはそれでいいとは思うのですが、
充実感とは別のような気がするのです。

そして、昨今の日本人、この充実感の不足が、
つまり、自分との約束を破り、他人との約束ばかりを気にする習性が、
生きている実感を失わせ、自己肯定感を下げ、
先進国ではぶっちぎりの、自信のない国民になっているのでしょう。

その実践方法は、「共に学ぶ仲間を持つ」ことだそうです。

人間、一人だと弱いので退転しやすいもの。
そもそも、自分との約束を重視していない状態では、
自分の人生が、他人の目を気にしたダメな状態であるということに、
なかなか気づけないものです。
だって、そんなの誰も指摘してくれませんもん。
他人との約束を破ると指摘というか、苦言を頂戴しますが、
自分との約束を守らなくても、指摘してくれる人がいないので、
自分ではなかなか気づけないんですよね。

だったら、「自分との約束を守ろうね」という価値観を共有できる仲間を見つけて、
互いに鼓舞しながら生活することが大事なのではないでしょうか。
彼が生き生きしている秘訣、彼女が楽しそうにしている秘訣を、
仲間として学び合うことが大切のように思うのです。

人間、会社などの組織に所属してしまうと完璧を求めがちです。
会社も含め、社会なんて未熟な人しかいないはずなのに、
やれ、部下は上司に「あの人、上司なのに、なんでちゃんとやらないんだ!」と、
完璧な上司なんているわけないのに、完璧を求め、
やれ、上司は上司で、能力的に劣るから部下になっている者に対し、
「なんでやれねーんだよ!」なんて怒ってみたり。
会社では利害関係があってなかなか厳しいのかもしれませんが、
仮に、「自分との約束を守ろう」という一点でコンセンサスがとれれば、
その場は、どんなに素っ頓狂な未来図を宣言しても肯定されるでしょう。

学校では「お友達との約束は守ろう」などと教えていますが、
お友達よりも大切な、約束を守るべき相手は自分であると、
まずは大人が実践し、
子供たちの将来のために喧伝しなくてはいけないと思うのです。

[SE;KICHI]

ご来場ありがとうございました。

先日、富山市の富山産業展示館で行われました、
「富山県ものづくり総合見本市」は、盛会のうちに閉幕いたしました。
弊社ブースにもたくさんの方にお越しいただきました。
ありがとうございました。

この見本市は、事実上の主催が富山県で、熱の入りようが違うので、
当社ブースにも多くの方にお立ち寄りいただき、
Auto-Trace や Trace Tek の実演に関心を持っていただきました。

今年、私が印象的だと思ったのが学生たちの企業見学ツアー。
ものづくりが盛んな富山県の企業を、
まずは学生たちに知ってもらおうという企画で、ナイスアイデアです。
弊社が展示している商材にも関心を持ってくれました。

富山県ものづくり総合見本市2019①富山県ものづくり総合見本市2019②
富山県ものづくり総合見本市2019③富山県ものづくり総合見本市2019④

今年の展示会はこれで最後でしたが、
来年以降、またみなさまにお会いできる機会を楽しみにしております。

[AKA]
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kkseishin

Author:kkseishin
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