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普遍的な価値と一過性のブームと…

もう10月も終わりに差し掛かり、今年も残りわずか2ヵ月となりました。
この時期になると、
日本でも定着しつつある秋のイベント「ハロウィン」が話題になります。

元々ハロウィンはヨーロッパ発祥で、秋の収穫をお祝いし、
先祖の霊をお迎えするとともに悪霊を払うお祭りとのことです。
日本で言えばお盆に近い行事であるとされています。
しかし、日本のハロウィンは異なります。
若い方を中心に、お盆~クリスマスの間に行われる、
パーティイベントとして盛り上がっていることがほとんどです。
昔から考えると日本のハロウィンは盛り上がってきていますが、
今後はだいぶ落ち着くのではないかと思っています。

日本のハロウィンの経済効果は2011年の560億円から調べていくと、
2016年には1345億円とすごい勢いで伸びています。
この1300億円という数字は、
バレンタインの平均と同等の数字とのことです。
これにはさすがに驚きました。
ちなみにクリスマスは約7000億円程あるということで他と圧倒的な差があるとのことです。
ハロウィンよりターゲット層が圧倒的に広く、
悪い言い方をすればバレンタインよりお金がかかる傾向にある、
ということが大きく影響していると思います。
さすが王道のイベントです。

さて、話は戻りましてハロウィンですが、
2016年に比べ2017年、そして2018年は経済効果が減少傾向にあるということです。
基本的に主催者がいなくてもお祭り状態であり、
そういった場所では当然ルールがありません。
街中でお酒を飲み、騒ぎ、正直無法地帯レベルです。
逮捕者も出ています。
ルールがないと言っても法外のことをしてしまう人達が出てきているのが実情です。
そういったことがあり、ハロウィンには悪いイメージが広まりやすく、
段々と衰退していくのではないかと思います。
今年はハロウィンの日は渋谷でお酒の販売、飲酒を規制するとのこと。
変わりに今年流行りのタピオカが盛り上がっているらしいです。

また、近年は自然災害による被害も大きく自粛ムードになっています。
2019年も大きな災害があったので、
「ハロウィンどころではない」という方は非常に多くなると思われます。
おそらく2018年より経済効果は減少すると個人的に思っています。

私としてはマイナスなイメージが強いハロウィンでしたので、
地元新潟のハロウィンイベントを調べました。
土日に集中しており、今年は10月26日と27日が多く、
もうすでに終わっているところ多かったです。

「にいつハロウィン仮装まつり」
https://www.niitsu-halloween.com/

写真は、「にいつハロウィン仮装まつり」というイベントです。
こちらはちゃんと主催者がいてのイベントです。
ステージや、ハロウィンならではの仮装コンテスがあるそうです。
こういった写真を見るとクリーンなイメージもあり、
地元の活性化のためにぜひ行って欲しいと感じます。
自分が参加するかは別ですが 笑

ハロウィンについて友人と少し話していましたが、
「日本人は熱しやすく、冷めやすいからねー」と、
友人が言っていました。
それが日本人特有の傾向かはわかりませんが、
そういう人がいることは理解しています。
ハロウィンは定番になったと思っていましたが、
一過性のブームで普遍的なものではないのかもしれないと感じました。

私も様々な商材を販売している中で、
普遍的な価値がある物は大事だなと、
今書きながら思いました。
具体的には機械販売が多いから、「うーん、ボルトナット、パッキン、バルブ・・・」等、
いろいろ思い付きましたが、需要はどこにでもありますが、
どこでも購入することができます。
物が溢れている世の中です。
買う場所、サービスを受けられる場所も増えています。
普遍的な価値にさらに付加価値を付けるか、
他ではできないサービスを提供出来るか、
今の時代で発展をしていくにはこの二択しかないのかもしれません。

[SYUN]
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乳首はダメでしょ。

さて、問題です。
観音さまというのは、男性でしょうか、女性でしょうか。

観音菩薩 図東慶寺 水月観音
https://matome.naver.jp/odai/2145186938605997501/2145187437109584403
https://matome.naver.jp/odai/2125404656728288694/2125430244924357450


観音菩薩というのは、だいたい図像では左の図のような感じで、
なんというか、肉付きの良いお母ちゃんを彷彿とさせますし、
彫刻の場合も、有名な東慶寺の水月観音(右の図)なんて、
ゆったりとした服装や横座りの感じが女性特有の感じがします。
そういうわけで、一般的なイメージとして、
観音菩薩に母性を感じる方も多いようです。

・・・・・・正解は、どちらでもない、中性です。

般若心経に対する注釈書である「大智度論」の第四巻には、
三十二相八十種好という、仏尊の外形的な特徴と宗教的な理想が説かれています。
仏像は、それに基づいて、姿が決められているのですが、
実は、そこには性器のことについても書かれており、
いろいろ勘案すると、
吉祥天とか弁財天とか、特に女性であると指定されている一部の仏は除いて、
基本的に仏像には性器はなく、性別もないということになるのです。

そういうわけで、観音菩薩、
妙に腰をくねらせて、アクセサリーも多くつけていますが、
男性でも女性でもない、性別を超越した存在ということになっています。
ちなみに、観音菩薩だけが性別を超越しているのではなく、
たとえば、大仏に代表される釈迦如来や阿弥陀如来も、
見た感じ、パンチパーマで小太りのおじさんのような造形ですが、
同じ理由で、性別はありません。

とにかく、仏尊に性別はないということです。
そう決められている以上、
たとえば、仮に観音菩薩に母性を感じることがあったとしても、
それは、あくまでも観る者の感じ方であって、
仏像を造像する側に対しては、性別を強調しないことが求められます。

たとえば、十一面観音の立像で国宝指定を受けているものは7体ありますが、
そのどれもが、なんとなく女性を感じさせるものの、
露出している肉体の造形表現が必ずしも女性的ではなく、
性別がどちらかなんて言えないという作りになっていますよね。

法華寺 十一面観音立像渡岸寺 十一面観音立像聖林寺 十一面観音立像
左)法華寺 http://naranouchi.blog.jp/archives/69580282.html
中)渡岸寺 https://www.jisyameguri.com/chiiki/shiga/kougenji/
右)聖林寺 http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-376.html

特に左側の、法華寺の十一面観音なんて、
光明皇后がモデルだと伝わっていますから、
女性に寄せた造形になっていたとしても不思議ではありませんが、
必ずしもそうなってはいません。
くねらせた腰つきで女性性を表現しつつ、
平坦で乳房がない胸板で男性性を表現するという、
いわば、どちらにも見えるようなバランスをとった造形になっているのです。

……ちょっと難しい話を繰り広げていますが、
結局、仏像に父性を感じても母性を感じてもそれは勝手だけれども、
だからと言って、造る側が性別をどちらかに寄せてはいけないという話です。
性別を超越した存在ということになっているのだから、
そういう像にしなくてはいけないというわけです。

それが緩やかなルールなのです。

さて、そこに来てこの像はどうでしょうか。

戦災復興記念像

これは富山城址公園というところにある、復興祈念像なのですが、
なんというか、どう見ても女性に見えますよね。
下手をすると、女性的な例として最初にご紹介した東慶寺の水月観音より、
もう一段、女性的な感じすらします。
どうしてなのでしょうか。
いろいろ考えた末、私がたどり着いた答え、
それは、乳首の存在でした。

いやぁ、乳首を彫っちゃ、いかんでしょ。
百歩譲って、乳房を作ったところまでは許せるとしても、
乳首を彫っちゃ、いかんでしょ。
乳首があるだけで、俄然、艶めかしくなりますからね。
いや、厳密にはこれは復興祈念像であって仏像ではないので、
三十二相八十種好に沿った造像の義務はないのだと言われればその通りなのですが、
いやぁ、それにしても、ねぇ。

ちょっとのことで変な感じになる例ですね、これは。

[SE;KICHI]

神聖な体験

先日葬儀に参加して来たのですが、キリスト教式の葬儀でした。
キリスト教式は初めてで戸惑いましたが、事前に調べて行きました。
キリスト教には大きく分けてカトリックとプロテスタントがあり、
葬儀の流れが違うようです。

カトリックの考えでは、故人は神に委ねられ、
キリストの再臨と死者の復活が願われます。
葬儀は故人が所属していた教会で行われ、葬儀と告別式を別で行うとのこと。
そして聖職者のことを神父と呼びます。
礼拝の歌は聖歌と言います。

プロテスタントでは、故人は神の元で安らかになるという考えで、
祈りは神のために行われます。
ですから葬儀も神への感謝と遺族を慰めるという意味合いがあり、
葬儀と告別式は分けずに行われます。
故人の信仰を大切に考え、儀式は形式にこだわらないようです。
礼拝の歌は賛美歌と言い、聖職者は牧師と言います。

私が出席した葬儀はプロテスタントでした。
教会の入口で事前に葬儀のプログラムのようなものが渡され、
そこに葬儀の流れと歌や祈りの一節が載っています。
それに従って葬儀が行われるので、
それまで慣れない雰囲気に多少緊張していた私は、
そこでようやく安心できました。

いよいよ式が始まり、パイプオルガンの前奏が流れ、
出席者全員で賛美歌を歌います。
聞いたことのある曲でしたので、迷わず歌うことができました。
考えてみると、私は歌手ではないので、
誰かのために歌うということはこれまで無かったかも知れません。
それ自体がとても新鮮でした。
友人からの言葉も、これまでの楽しかった思い出を語り、
ずっと友人でいてくれてありがとうという清々しいものでした。

そして滞りなく式を終え、献花させて頂きました。
私にとっては独特の雰囲気のなかで進行されたのですが、
とても神聖でスッとした気持ちで、
故人とお別れすることができました。


仏教式と違うところは、
賛美歌をみんなで歌ったり、焼香ではなく献花であったりしましたが、
特に大きな違いは、お悔やみの言葉は言わないところです。
キリスト教では、人が亡くなったことは永遠の命の始まりとされています。
悲しいことではあっても不幸なことではないのです。
ですから、お悔やみではなく、安らかな眠りをお祈り致しますとか、
お知らせ頂きありがとうございますと挨拶をします。

今回出席しなければ、
そのようなことはずっと知らないままだったかも知れません。
教会には何度か入ったことはありましたが、
今回教会の知らない一面を経験したことで、
今後入ることがあれば、これまでとはずいぶん違う気持ちであろうと思います。

霊南坂教会https://akasaka.keizai.biz/headline/1817/

何でもそうですが、経験することで変わるものですね。

[M M]

アタマ、おかしくないですか?

いや、スゴかったですね、台風19号。
ここ富山では、私の家の塀が風で飛んで行ってしまったくらいで、
そんなに目立った被害はありませんでしたが、
お隣の長野県では千曲川が決壊して、大きな被害に見舞われました。
自分のことだけを言うなら、北陸新幹線が120輌も水没してしまい、
首都圏と北陸とを結ぶ動線への影響を懸念しています。

そんななか、とても気になるニュースがありましたね。
安倍首相も言及されていましたが、
東京都台東区が避難所を訪れたホームレスの男性2人に対し、
職員がその受け入れを拒否したという話です。

彼らホームレスがTVなどを視聴できる環境だったかどうか知りませんが、
今回の台風では、盛んに「命を守る行動をとりなさい」と呼びかけられていました。
誰に対してかって、全員に対してです。
それが、いざ避難所に行ってみたら、「オマエらはダメだ」と。

アタマ、おかしくないですか?

いや、いろいろ複雑な感情があることは鈍感な私にも分かります。
そういう人を避難所に受け入れて衛生面は大丈夫なのかとか、
彼らが、避難している人の金品に手を付けたりはしまいかとか、
おおよそ非ホームレスの側からの不安があることは理解できなくはありません。

しかし、私を含め、多くの日本人は、学校で習ったと思うのですが。
困っている人を見たら助けましょうと。
今回のニュース、子供たちに聞かれたらなんて答えるんですかね。
「彼らは別なんだよ」とでもいうのでしょうか。
なんで? 納税してないから?
だとすれば、命は平等だなんて、汚れた大人の嘘ですよね。

そして、これら避難拒否の事実以上に私が驚いたのが、
このニュースが報道された後のネット上での〝賛否〟を含めた反応です。
私には、このような「生命は等しく大切か」というテーマのことに対し、
賛否両論が湧き起こること自体、意外に感じました。
時折、誤った義憤に駆られて障害者施設を襲撃する者が現れますが、
その事件が報道された際には「生命は大事」という論調で埋め尽くされるのに、
いざ、今回のように弱者が助けを乞う場面では手を貸さない。
人間の奥底にある意地の悪さを感じ、ゾッとします。

そういえば、今回の台風では多摩川も氾濫し、
人気エリアとして知られる武蔵小杉が大規模な浸水に見舞われ、
タワーマンションが停電したり断水したりしたようですが、
そのことが報道されると、Twitterなどで、
「武蔵小杉、調子に乗ってるから天罰が下った」とか、
「武蔵小杉のタワマン買った人ざまあが見れたからよかった」とか、
他人の被災をあざ笑うという現象が多発しました。

アタマ、おかしくないですか?

武蔵小杉は、私が東京に住んでいたころはそれほどの街ではありませんでしたが、
10年ほど前に横須賀線の駅ができてから激変したようで、
いまでは比較的裕福な子育てファミリーに人気の街と聞いています。
彼らの水害を「ざまあ」と笑う者は、嫉妬しているのでしょうか。

なぜ、ここまで特定の被災者を叩くのでしょう。
結局、ホームレスや武蔵小杉の住人を、
自分たちと同じ人種ではなく「不快な別人種」とみなしているということでしょう。
それって、かつての部落差別のような、選民思想なのではないのでしょうか。

人間、さまざまな比較のなかで生きていると言います。
収入の多寡、ルックスの良し悪し、住んでいる家の価値、自身の学歴や職業、
両親の学歴や職業、持っているクルマの車種、配偶者の社会的地位など、
挙げたらキリがありません。
そもそも、他者と比較して何になるというのでしょうか。
他人と比較して、自分が上位にいると感じることで安心したいのでしょうか。
そして、「他人の不幸は蜜の味」と言いますが、
自分より上位にいた者が、不幸な出来事で下位に落ちることを、
心の底では願っているのでしょうか。

アタマ、おかしくないですか?

仮にそうだとしても、災害時は助け合いたいものです。

私は、年齢、性別、職業、住所から、納税額やローンの有無に至るまで、
国民にもいろいろな人がいるだろうけれども、
守るべき生命は各人にひとつずつで非難する権利があると思うし、
どこの住民でも、自宅が被災したら生活に困ることは一緒だと思うのです。
それは普通の感覚だと思っていたので、
ネット上に、ホームレスの避難受け入れ拒否に肯定的な意見や、
特定の住所の人に対する「ざまあみろ」的な発言が溢れていることに対し、
ちょっと、驚きの念を禁じ得ません。

私は、決して聖人君子というわけではありません。
しかし、目の前に困っている人がいいたら助けるというのが、
本能に近いものではないかと思うのです。
繰り返しますが、子供たちに聞かれたらなんて答えるんですか。
生命は平等ではないんだよって、胸を張って言えるんでしょうか。

甘いでしょうか。

[SE;KICHI]

富山県ものづくり総合見本市2019 出展のご案内

先日来、『にいがたBIZ EXPO 2019』と『とやま夢づくりフェスタ』に出展させていただきましたが、その舌の根の乾かぬうちに、次の展示会のご案内をさせていただきます。

それは、富山県ものづくり総合見本市2019

富山県やら富山商工会議所やら経済同友会やらPTA連絡協議会やら、何やらそうそうたる団体が主催に入っているイベントで、経済交流や技術紹介を目的に、2年に一度行われているイベントです。きたる10月31日(木)~11月2日(土)まで、3日間に渡って開催されます。

ものづくり総合見本市 2019 ①ものづくり総合見本市 2019 ②ものづくり総合見本市 2019 ③

お、梶川さん、なんか写真が若いですね 笑

商材はいつもの自己制御ヒーターですが、開催期間が土曜日まであるので、いつもとは違ったお客様とお会いできるのではないかと、楽しみにしております。

また、2日の土曜日には、全国の中小製造業が自社の誇りをかけて製作したコマを持ち寄り、一対一で戦う『全日本製造業コマ大戦』の“とやま特別場所”も開催される予定です。

ご多忙中のところとは存じますが、ぜひご来場いただけますよう、お願いいたします。

[AKA]

ワールドカップ

K.Kさんのブログで「ラグビーワールドカップ」の話題を書いておられましたが、
ラグビーより少し早く、
「バレーボール ワールドカップ」が開催されております。
こちらは初めてアジアで開催されたとかではないので特別感が無いですが、
それでも4年に一度の大会になります。
このブログがUPする頃には終わっているかもしれませんが(汗)

あとサッカーもワールドカップ二次予選中ですね…

先月9月22日~9月24日に、
富山市総合体育館でも女子ワールドカップが開催されました。
私は警備の係員として22日・23日だけですが参加しておりました。

バレーボール ワールドカップ 2019

日本チームがいないBサイト開催になりますが、
それでも世界トップレベルの試合を間近に観られる機会ですから、
たくさんの方に観ていただきたかったのですが、
希望する程は入っていませんでしたね(涙)
券売、頑張ったのですが…

来ていたチームは、
セルビア・ロシア・韓国・オランダ・アルゼンチン・カメルーンでした。

東京オリンピックの出場権を日本は男女ともに持っていますから、
女子チームは来年のオリンピックのために、
色々試している印象が私的には強く感じます。
今回の順位よりもオリンピックでのメダル的な感じですね。
新メンバーの活躍もあるので楽しみですね。

楽しみといえば韓国チーム(笑)
大エースのキム・ヨンギョンもですが、
私はイ・チェヨン(No17)です。
なんとも言えない雰囲気を持っている美人です。
もちろんバレーの実力も確かで、
高い跳躍からのアタックとレセプションの上手さ、
そして得点をとった時の笑顔と喜び方がかわいいですね。
双子の姉妹イ・ダヨン(No19)も美人で話題です。

김연경이재영이다영
左)キム・ヨンギョン 김연경 https://athlete-fan.com/kaigai/3562.html
中)イ・チェヨン 이재영 https://sinm0209.info/kankoku-bare-bijinsimai-1030/
右)イ・ダヨン 이다영 https://news.livedoor.com/article/detail/17119519/


警備の係員ですからサインや握手などの行動は自粛していましたが、残念です。

少し手伝っているジュニアバレーの小学生もキッズエスコートをしていました。
楽しかったようです。
バレーボールをやっていない子どもの観戦もあり興味をもってもらい、
競技人口の拡大につながればいいなと思います。
私の関与している中学男子バレー部は、
3年生が抜け、6人になってしまいました。
競技人口の拡大は切実な願いです。

[WAKA]

道祖神

朝5時20分、私は出勤のためにクルマで家を出ます。
家を出て5分後くらいに、お地蔵さんが祀られている祠の前を通るのですが、
その時間、毎日、その祠の前で手を合わせているお婆ちゃんを見かけます。
小さくて背中の丸いお婆ちゃんなのですが、
清々しいほどに一心に祈りを捧げている感じで、
毎朝、私はそこを通るたびに気になっていました。
ある日、どうしても気になった私はクルマを停め、お婆ちゃんに声をかけました。
不躾ながら、「何を祈ってらっしゃるんですか」って。
聞けば、このお婆ちゃん、
先に亡くなった夫の追善のためとか、早世した子供の供養のためとか、
そういう個人的な救済を求めてではなく、
その地域の安寧のために祈っているといいます。

原点を思い知らされる思いです。
そもそも、どうして、こんな路傍にお地蔵さんが安置されているかって、
その道を通る者を見守り、禍々しい存在から集落を守るため。
したがって、お婆ちゃんの「地域の安寧」という祈りの理由は、正しいのです。

地域の安寧を願う存在といえば「道祖神」です。
集落の入り口などに置かれている石仏で、沖縄の石敢當みたいなもので、
禍々しい存在が侵入しないよう、集落を護る役割を与えられています。
ビジュアルは一定ではありませんが、
“双体道祖神”と言って、男女一対で彫られていることが多いです。

道祖神(矢下)

これは私が住んでいた村の、矢下という集落の道祖神です。
注目してほしいのは祀られ方。
この写真の道祖神は、舗装された道の脇に置かれ、
屋根を掛けてもらって、木製の玉垣で囲われています。
おそらく、道路を整備した際、どこかから運ばれてきてこの場所に安置され、
こうして丁寧に祀られたのだと思われます。
私から見て、これはかなり大事に祀られた、幸せな道祖神に見えます。

道祖神(切久保)

これは切久保という集落の道祖神です。
農道の脇に置かれた祠の中に安置されていますが、
玉垣はなく、吹きさらしで、矢下よりも過酷な環境であることがうかがわれます。
その証拠に矢下の道祖神よりも風化が進んでいるように見えますが、
注連縄は貼ってあるので、大事にはされているようです。

矢下は新道が整備された際に他所から運ばれてきて、
きちんと祈ってもらえるように覆い屋が懸けられています。
切久保は、それよりも時期的には古いものの、
農道の脇に、いちおう屋根を懸けてもらえました。
では、そこまで手厚く祀られていない道祖神って、どんなのでしょうか。

道祖神(石畳) 道祖神(石畳-拡大)

中央の大木の根元に、何か立てかけてあるのが見えますか。
これは石畳という集落の道祖神です。
車が通れる道から何メートルか奥まったところに置かれています。
車が通れる道といっても、対向車とすれ違えるスペースはないため、
この場所に車を停めて道祖神に祈りを捧げることはできません。
つまり、日常的に祈ってもらえる道祖神ではないわけです。
傾いちゃってるし。

つまり、仏像にしても何にしても、
日常的に祈ってもらえることは幸せだということです。

そうそう。
最近、『ポツンと一軒家』という番組が人気のようですね。
山中の一軒家にスポットを当て、そこの住人に注目する番組で、
その場所の険しさを強調するために、映像では道中の林道などが映るのですが、
私にしてみれば、別に険しくもなんともない光景に見えて、少し呆れます。
だって、私が住んでいた場所からの眺望はこんな感じ(写真左)
そして、そこから小学校までの4kmの通学路は、ずっと未舗装なわけでもないですが、
だいたいこんな感じ(写真中)で、
特に学校近くの100mほどはこんな感じ(写真右)です。

眺望 通学路 通学路(学校上)

これは令和に入ってから行って撮った写真なので、
私が実際に通学していた昭和の頃は、もっと未整備だったかもしれません。

そして、こういう旧道というか林道の場合、道祖神というのはこういう場所にあります。

道祖神(小松尾)

これは、小松尾という集落の道祖神のロケーションです。
何段か上った台地に覆い屋があるのが見えますでしょうか。
もはや道端ではないので、意思がないと拝みにはいかないでしょう。
いま、この小松尾集落には3世帯ほどしか住んでいませんので、
この道祖神は、いずれ、長い年月を経て、やがて土に戻ることになります。

うまく伝わっていますでしょうか。
仏像にしても何にしても、少子高齢化などにより集落が放棄されると、
そのまま山中に取り残されることになります。
矢下や切久保みたいに、
運よく誰かが舗装道路の脇に移設してくれれば祈りは続きますが、
多くの場合、そのまま山中に放棄されます。
この村だけでも、もう道が消滅した場所に取り残されている道祖神があります。
これは、30年ほど前に私が監修した村のパンフレットですが、
当時、調査して存在を確認できた道祖神でも、30年が経って、
おそらく、1/3の道祖神は、もう所在が確認できなくなっていると思われます。

『八坂村の道祖神』

かつては集落の入り口で門番のように立ち、
集落を禍々しい存在から護ってきた道祖神ですが、
誰もいなくなった山中で、この先、おそらく誰からも祈られることはなく、
その役目を失って、傾き、風化しながら、何を思うのでしょうか。

繰り返しますが、
朝5時25分に、お地蔵さんに地域の安寧を一心に祈る老婆を見て、
日常的に祈ってもらえることは幸せだと改めて感じます。
そして、私も、その老婆の願いが叶えばいいと思いますし、
そのお地蔵さんがその拠り所になればいいと心から思います。

[SE;KICHI]

令和の秋

10月2日は、応募していたパラリンピックのチケット抽選の結果連絡の日でした。
4競技応募しましたが全てはずれでした。
令和元年の秋の出来事です。

さて、秋と言えば・・・実りの秋到来です!
毎年このシーズン言っているような気がします(笑)
年中食欲が落ちない私ですが、
若い頃と違って一度にたくさんは食べられなくなりました。
食い意地と消化できるバランスが比例しないジレンマがあります。

昔、まだ若かった頃、食べすぎお腹がいっぱいになったあと、
猛烈に眠くなることがちょくちょくありました。
横になっている私を見て、祖母が、若いって良いな~と。
祖母の年齢になると、食べ過ぎると苦しくなり、逆に眠れなくなる。
と言っていた言葉を、今はしみじみ実感しています。

そんな祖母の言葉でもう一つ実感している事があります。
それは体を洗う石鹸。
固形石鹸で洗う祖母に、ボディソープがあるのにどうして?と聞いたことがあります。
祖母曰く、ボディソープで洗うと肌が痒くなるからと言っていました。
本当にその通りです婆ちゃん!
私もある年齢から固形石鹸に変えました。
変えた途端、肌の痒みが消えました。
言っていた意味が分かる年齢がくるのだな~と、
祖母の言葉に限らず、人生の色々な場面で感じています。

さて、食欲の話に戻りますが、
最近は毎日の食事、主に夕食ですが量に気を付けるようになりました。
調理する鍋の大きさを小さいものにしたり、生鮮食品も買い過ぎないように。
自分で自分のお腹を苦しめないよう、工夫しています。
まあ、家での食事は注意できますが、外食となるとそうはいきません。
もともと食べる事が大好きなうえに、残すのはもったいないし、
調理している人に悪いような気持ちになります。
でも、さすがに食べきれない時もあります。
旅館やお店でのコース料理など。
コースにはコースの魅力がありますが、
どちらかと言えば、食べたいものをアラカルトで頼みたい派です。
残したくないので。

近々、東北へ出かけてきます。
今回は青森まで足を伸ばします。
私に出来る事を少しずつ。
巡る先の土地土地の地場産を味わってきたいと意気込んでいます!
その土地の空気や水も含めてまるごと!
こんな時こそ大食いに戻りたいですけどね。
大食いと言えば、
『孤独のグルメ』の井之頭五郎を演じる松重さんの食べっぷりは見事すぎます(笑)

段々と肌寒さも感じる今日この頃、熱々の汁ものが美味しい季節です。
きのこや野菜をたっぷり入れて秋の味を楽しみたいです♪

[fu~ma]

やめるべき5つの習慣③

『やめるべき5つの習慣』の第3弾。

やめるべき5つの習慣③
「環境や他人のせいにする。」


今回は前回の「他人の目や意見を気にする」と少し似ています。
が、「……のせいにする」という文章に構造からして、
それがあまり好ましくないんだろうなということは察しがつく感じですね。

その実践方法は、「依存心・責め心を捨てる」ことだそうです。

依存心や責め心があると、ついつい他人のせいにしてしまいますから、
努めて依存しないで、すべて自分のせいだと思おうということです。
本当はすべて自分のせいというのは言いすぎだと思うのですが、
自分ができることは何だろうと、自分でしっかり考えて、
自分で行動するということが大事なのでしょう。
もちろん、できもしないことをやれと言っているのではありません。
そうではなくて、自分ができることはいっぱいあるのだから、
そちらに目を向けましょうよという話です。

たとえば、会社の場合。
経営者でなければ、会社の経営の問題を直接解決することはできなくても、
今日一日お客様に一生懸命尽くすことは自分でやれるわけですし、
チームの雰囲気が悪い場合でも、
「社長、なんか言ってやってくださいよ」などと上役に頼まずとも、
自分だけでも元気に屈託なく挨拶をしようとか、
いつもありがとうございますと感謝を伝えようとかはできますから。

私たちができることは腐るほどあるんです。
なのに、ほとんどの人は、この依存心のせいで、
自分ができることを考えずに、他人のことばかり考えているような気がします。

たまに国会前とかで、何かの抗議活動を行っている方などをTVで見ます。
「アベ政治にNO!を」とか、横断幕か何かを持って練り歩いています。
子供に見られて恥ずかしくないんでしょうか。
いや、私は主義主張の話をしているのではないのです。
特定の政策に対して異議を唱えるとか、そういうことは大いに結構だと思うのです。
ただ、私が問題だと思うのは、
友人でも部下でもない人物を呼び捨てて、そのうえ全否定すること。
子供に「ねぇ、“アベにNO!”って、悪口じゃないの?」って聞かれたら、
「違うよ」って言えないですよね。
だいたい、あんなに徒党を組んで集まって、
その中のどれだけが、本当に政策について考えて反論しているのか、
流されてるだけだろうと思うのですが、子供に何て説明しましょうか。
考えることなく雰囲気に流されて思考停止って、
本当はそれはとても怖いことですよね。

私たちができることは腐るほどあるんです。
空気に流されて抗議活動をやっている場合ではないんです。
精一杯働いて税金を納めて国の発展に資するとか、
何かを生み出して国際的な競争力を作り出す努力をするとか、
子供たちの目を意識して信念に基づいた生き方を見せるとか、
真に国を憂えるなら私たちがやれることはたくさんあるんです。

夫婦関係もそうですよね。
「何でうちの旦那、私のこといたわってくれないのかしら」とか、
「ウチの子供たちが勉強しないのは、カミさんが……」とか、
責め心が長じて夫婦げんかになります。
そして、夫婦げんかが起きると子供たちはこう思います。
「ボクのせいだ……」
「ボクさえいなかったらお父さんとお母さんはケンカしなくて済むのに……」
と、こうして自尊心の低い子供が育つわけです。

たぶん、両親が環境や他人のせいにしなかったら、子供たちは自信満々なのです。
自尊心は高めなくても、もともと高いのです。
「あら、かわいいわねぇ」 「そんなことないでちゅよぉ」などという、
自尊心が低い赤ちゃん、見たことないでしょう。
赤ん坊は生後すぐから自尊心の固まりで、
きっと、自分が笑えば世界中の人が笑顔になると、心から信じています。
つまり、私たちはもともと自尊心マックスだったんです。
その自尊心を下げたのは、大人です。
大人が責め心を子供の前で見せ、子供たちを落胆させたからです。

とはいえ、他人のせいにしてはいけないということは分かるけれども、
では、どうしたらいいかということになると分からないですよね。
それについて講師は、『積極性』を身につけなさいと言います。
要するに、積極的に、すべて自分のせいだと思おうということです。
他人のせいにしている場合ではなく、
起こったことすべてを自分の問題だと捉えて解決に向かって邁進せよというのです。

他人のせいにしている場合ではない……
それは他人の言動にかまっている場合ではないという意味です。

いま、日本は他人に批判的な国ですよね。
何かが気に障れば刺し殺したり放火したり、高速道路上で停車させたり、
そこまで根性がない者は SNS などでコソコソ文句言ったり。
YouTube のトラッキングによれば、他人の投稿に批判的な国 No.1 だそうです。
もっと寛容になればいいのに、情けない。

[SE;KICHI]

それどころじゃないんですけど。

ピロリ菌保有者の私は、毎年の健康診断で必ず萎縮性胃炎の診断を受けます。
にもかかわらず、まだピロリ菌退治をしておらず、
今年の健診で、先生にこっぴどく叱られてしまいました。
忙しくてなかなか病院に行けていなかったのですが、
(というのも、以前にピロリ菌除去しようと二つの病院に行ったのですが、
どちらも二時間待っても診察してもらえず、待ち切れずに帰ってきてしまっていたのです。)

健診後、AKAさんに、比較的待ち時間の少ないお医者さんを紹介してもらい、
ようやくピロリ菌除去に行ってきました。
実はまだ完全に除去できたかどうか、調べに行ってないのですが、
(今、これを書きながら、9月末ごろ再検に来て下さいと言われていたのを思い出しました
・・・まずい、完全に忘れてた(;’∀’))

それよりも健診の結果が送られてきて、開封してみるとなんとD判定、
しかも胃ではなく、大腸検査(便潜血) に引っかかってしまったのです。

赤字でD判定、要再検査と書かれてあると、
なんだか必要以上にドキドキしてしまいますね。
まずは前もって内視鏡検査する病院を受診し、
説明を受けたり、薬をもらったりしました。
また、その時は「若いので多分『痔』でしょう。」と言われていたので、
特に不安もありませんでした。
そして、初の大腸内視鏡検査に行ってきたのです。

感想としては、「なかなか大変なものですね」でしょうか。
どこの病院も同じかは分かりませんが、ご参考までにちょっと説明を。

まず、1週間前から薬を服用し、
前日には消化のいい検査食を食べ(病院で購入しました)、お腹の中を整えます。
当日は500mlのペットボトル(お茶かお水)を2本持参するよう言われていました。
その日は6人が一緒に検査を受けました。
6人そろって準備室に通され、
それぞれの椅子の前には半透明の液体の入ったパウチ(点滴をいれている入れ物のようなもの)が、
テーブルに置かれていました。
とりあえずざっくり説明すると、1時間の間にその半透明の液体1㍑と、
持参した水分を半透明の液体の半分の量を飲みます。
つまり1.5Lですよね。
1時間飲んでも一度も便が出なければ、
一度休憩をしなくてはいけないと注意書きに書かれていました。
味は甘味のないスポーツドリンクの様でした。
正直、美味しくはないです。
お隣に座ったおじさまは、とても慣れた手つきでパウチからコップに注ぎ、
ぐびぐび飲んでいましたが、
チャレンジはしてみましたが気持ち悪くなりそうだったので、
私は少しずつ飲みました。
ドキドキしたのは一時間が経とうとしているのに便意が来ないこと。
周りの人は次々をトイレに行くのに、私ひとり、ずっと座ったままで、正直焦りました。
こんなに飲んでるのに、尿意すら感じないなんて、
大丈夫か私!?と思っていたんですが、
もう間もなく一時間というところでようやく便意を感じることができました。

そこからはトイレ争奪戦です。
検査の人が6人、トイレは3つ。
どう考えても数が合いません。
まして、普通の便ならともかく、どんどん水状になるので、
タイミングが合わなければ悲惨なことになるのは容易に想像できますよね。
便意を感じても3つのトイレが埋まっていたら、当然行けるはずもなく、
そわそわしながら空くのを待ち、空いた瞬間にトイレに駆け込まなければいけません。
便意を感じるまではとても時間がかかりましたが、
一旦出始めると、トイレから出て席に着いた瞬間にまたトイレに向かうという、
何ともせわしない状態でした。
なんせ、6人もいるのでトイレにずっと居座ることができませんから。

さて、おかげさまで一番先にお腹の中がきれいになったので、
トップバッターで検査をしてもらう事になりました。
おしりを見られるのかとちょっと恥じらいがあったのですが、
検査用のパンツは紺色で、ハーフパンツの大きさで、
一見するとおしり部分にぱっくりと切れ目が入っているなんてわかりません。
特に恥ずかしくはなかったです。
検査台に上る前にまた便意が有ったので、
そのパンツのままで5人のいる場所を通り過ぎトイレに向かったくらいですから。

序盤、座薬を入れるように潤滑剤を塗られました。
その後、内視鏡を入れ始めたんですが、最初は特に問題なく進みました。
あくまでも私の感じ方ですが、痛みというよりは重い辛さ、といった感じでしょうか。
おしりから内視鏡を入れ進めていきながら、お医者さんはずっと話しておられました。
内容はあまり覚えていないのですが、
(先生)「HPに〇〇のことが書いてあったり、なかったり。」
(助手の方)「ちょっと先生、どっちなんですか~」と楽し気に会話されてました。
こちらとしてはしんどいので、
(あの、それどころじゃないんですけど・・・)と、
聞いちゃいませんでしたが。

途中、お腹の中で自分の意思とは違って動いている様子が、
胎動みたいだな、
とくに脇腹の辺りをぐりんとえぐられる感じが、
おそらく肘か踵を押し付けたなと感じていたあの頃みたいと、
余裕で感じていました。
ところがそれを過ぎたあたりから「ここ辛いですよ~」と言われ、
これが本当につらかったです。
どうやら私の腸がねじれているらしく、なかなか内視鏡が入らないそうです。
そんな状態も余裕なのか、
先生は内視鏡を持った手をあっちへ動かしこっちへ動かしながら、
「ねじり鉢巻き~」とか言っておられたのですが、
これまたそれどころではありません。
重いズドンとした痛みというか辛さが続きます。
結局ガスを入れ、膨らませることで内視鏡を奥まで入れることができました。
ここから、出口に向かってチェックしてもらいます。

しばらくは「なにも異常はないですね~」の連続だったのですが、
そのうちに「病気がないですね~、
あ、病気ですね~、病気がありましたよ~」とさらりと言われました。
あまりにもさらりと言われたもので、この人は冗談を言っているのかと思いましたが、
どうらや本当に病気が見つかったようです。
映像をみると丸いポリープが・・・。

「取っちゃいますね~」とその場で切除が始まりました。
医療の進歩ってすごいですね。
直接触れることなく、映像越しでポリープを切除できるんですもの。
テレビではみたことがありますが、
実際に自分の体で行われるとすごいなあと実感します。

切除した後は、そのあとはホッチキスみたいなもので、
パチンパチンと切った部分を閉じてもらいました。
不思議なもので、お腹の中で切られても全く痛くないですね。
ホッチキスも振動は来るのに痛くない。
有難いことです。
無事、肛門の裏側までチェックしていただき、
見つかったポリープは1個だけでした。
結局便潜血はおそらく硬い便による腸への摩擦で出血したものだろう、とのことでした。
今回の切り取ったポリープからの出血ではないので、
通常なら見つからないポリープだったので、運がよかったですね、と言われました。

こうして無事に終わりました。
まあ、想像以上に堪えました。
腸がねじれていなければ、ここまでのダメージは無かったと思いますが、
終わって自分で車を運転して帰るのは非常につらかったです。

そうそう、おならを出したかったら出していいですからね、
おならを我慢すると具合が悪くなるからね、と何度も言われましたが、
これはとても難しいと感じました。
検査が終わって、先生の説明を聞いているときにおならをしたくなっても、
普段人前でおならをしないから変に意識してできないし、
ましてガスではなく液体が出てきそうでできないし、
その話の途中で、「SNSのコメントで内視鏡検査を勧めて下さい」とか言われるし
(もうこっちはしんどくてそれどころではないのでイラッとしてましたが)
トイレでおならを出そうとしても変に力んで出ないし、
結局自然とできたのは帰宅して横になって休んでいる時でした。

いやあ、お疲れ様でした、私。

[Okei]
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