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故障回避

今年の高校野球選手で注目を集めている選手の1人、
大船渡高校の佐々木朗希選手。

高校野球について詳しくはないのですが、
最高速163km/hのピッチャーはニュースで見て注目したというか、
凄い高校生がいるなーと感じました。
ただテレビで観た感じでは、思ったより体の線が細いなとは思いましたが、
実物はゴツイのでしょうか?

話題になっているのは、
県予選決勝において故障回避のために登板させなかったことが、
注目されています。

優秀なピッチャーがいるだけで勝ち進むことがあると思いますし、
それによって大会で優勝したりすると忘れがちになってしまう、
怪我故障を予測して試合に出さないというのは、
大変な決断だったろうと思うし、
注目の選手であればなおさらだと思います。
私は支持します。

予選の何回戦かで200球近く投げているとかを指摘する声もあるようですが、
迷いはありますよと私は言いたい。
私がかかわっている中学校の部活動でも、
大会前に捻挫したとかオスグット病だとかいろいろ問題が出ます。
その時々によって状況の違いはありますが、
試合に出そうかどうかと迷います。

本人が出たくないのであれば迷わないのですが、
大概の場合は出たいと言うので、
先を考えて状態が悪化しないような判断になっています。
1人でも多く高校でも続けて欲しいと思っているし、
まだ身体の成長途中である中学生ですから、
障害が残る恐れのあることは怖くて判断できません。

予選3,800校ほどが参加する夏の甲子園。
出場するために大変な努力をして県予選決勝まで来たのですから、
いくら故障の知識があったとしてもブレてしまう気がします。
小さな子どもが擦り傷程度の怪我をしてしまうからと、
何もさせないバカな考えとは全く違う、
素晴らしい判断であったと皆さんの評価になればいいなと思います。

そういえば弊社のM・Mさん。
手術もされましたが、違う箇所?でまたぎっくり腰になられたとのこと。
いろいろ気をつけておられたと思いますが、
先日見た時に思わず笑ってしまい申し訳なかったです。
それこそ故障回避できればよかったですね。

私もギックリ持ちです。
なってしまう動作や行動は避けたいものです。
お体ご自愛下さい。

[WAKA]
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変態ちゃん

弊社の Okei さんにとっては、名前だけは聞いたことがあるレベルらしいのですが、
いま、「マリーゴールド」とか「ハルノヒ」とかを歌っている、
あいみょんという 24歳のアーティストが大人気ですよね。

私は、特にあいみょんのファンというわけではないけれど、
彼女の楽曲では「○○ちゃん」という曲が一番好きです。

彼女のメジャーデビューは2016年だそうですが、
その前の2015年に、『tamago』というアルバムをインディーズで発表していて、
「○○ちゃん」というのは、そこに収録されている楽曲です。


https://www.youtube.com/watch?v=OXYxa7UM4_g

歌詞は、
 お酒は大好きで悪酔いも少々 好きでもない男と寝たこともある  とか、
 早くに覚えすぎたタバコも 何度もやめようとは思ってる  とか、
 口癖はいいことないかな 幸せのレベルはもう下げた  とか、
 得意なことも趣味もない おまけに勉強もできないけど  なんて、
総じて、なんというか、そこらによくいる女の子を表現している感じです。
だいたい「○○ちゃん」というタイトル自体、
○○にどんな人名を入れてもそれなりに成立するような、
ごくごく普通の女の子の歌です。

ところで、この曲で、私が衝撃を受けたのはサビの歌詞で、
私のどこがダメですか?と繰り返されるところ。
つまり、この曲は、どこにでもいるようなごくごく普通の女の子が、
「私のどこがダメですか?」と訴えかけるという構図。

いやいや、ダメじゃないですよ!

実は、若手の多く、特に就職などの社会生活に支援が必要な若者たちと話すと、
この、「ボクのどこがダメなんでしょうか」というフレーズはよく出てきます。
そういうとき、私は、「そんな質問するところがダメだね」とか答えたりしますが、
焼け石に水、そういう人が多すぎて、ラチがあきません。

私は、これが、引きこもり(もしかしたら自殺者も)を生む要因だと思うのです。
彼らは言います。
「ボク、特に何にもできないんで」とか、
「ワタシ、なんかトロいらしくて」とか、
「オレ、どの仕事も長く続かなくて」とか。
そして、彼らは「一生懸命やってるんですけどね」とため息をつき、
「ボクのどこがダメなんですかね」と下を向くのです。

結局、、彼らはただ社会に順応できていないだけなのですが、
彼らは度重なる不適合の場面で傷ついて、自己肯定感を下げています。
場合によっては、なんらかの診断を受けているケースもあります。
そうすると、「ワタシ、発達障害って言われてて……」というのも加わります。

ところで、障害とは何なのでしょうか。
世の中には、雑多に運ばれてきた金属部品を、向きを揃えて重ね、
決められた数ずつ束にして箱に詰めるという仕事があります。

バラバラの部品をひとつひとつ揃えてキレイに積み重ねて
数も整えて箱に詰める

そんなの、誰にでもできる仕事だと思うでしょう。
でも、少なくとも私は、そういう、コツコツ同じことを繰り返す仕事は苦手です。
先日、視察させていただいた作業場では、
働いているほとんどの方が何らかの障害をお持ちの方だと聞きましたが、
実に淡々と、作業に従事しておいででした。
淡々と手を動かして部品を揃える彼らと、そういうのが苦手な私。
果たして障害があるのはどっちなんでしょうか。
そう思うと、障害って、案外、単なる得意不得意なのかもしれないし、
個性に過ぎないのかもしれないと思うのです。

そして、私は思うのです。
これからは「変態」の時代だと。
自分がいかに周囲と違って特定の分野に偏った知識を持っているか、
自分がいかに手先が器用で特殊な技術を持っているか、など、
人間はロボットではないので、
いかに突出した個性を備えているかで勝負するしかないと思うんです。
雑多に運ばれてきた金属部品を、向きを揃えて重ね、
決められた数ずつ束にして箱に詰めることができる……とか。

そうなってくると、周囲から浮くほどの個性を持っていても、
それは誇るべき武器になると思うんです。
実際、彼らは趣味の話だと、私が置いていかれるほど饒舌に語るのです。
つまり、彼らは、「何もできない」わけではなく、
それは、本人の幻想に過ぎぬのです。

私は、引きこもりや自殺を撲滅する運動家の人ではないので、
そこに特化してなんらかの考えを持っているわけではありませんが、
「私のどこがダメですか」などという、
そもそも「自分はダメである」ということを前提とした、
否定的な自己認識を持つ若者の蔓延は、
社会として健全ではないと思うのです。

自分も個性的な「変態」だと認識して、
それのどこがダメかではなく、
それを使って社会に参画するんだという、
たくましさを持って欲しいと思います。


あなたのどこも、ダメじゃないですよ。

[SE;KICHI]

同じ釜の飯を食う

NHKで放送している番組の「サラメシ」好きです。
木曜日のお昼休みに再放送を観ています。
ちょうど私もサラメシタイムです。

中でも好きなのが、賄い飯。
作り手が、経営者やその家族だったり、従業員だったり、
ランチを作る為に雇われている人だったり、様々ですが、
共通しているのは、相手を想って作っているということ。
小さい会社であれば、
従業員とのコミュニケーションや健康を気遣っていたり、
大企業であれば、健康プラス違う部署との交流の場として、
メールや電話だけのやり取りだけではなく、実際に対面し、
話をすることで人間関係を円滑にする目的だったりするようです。
同僚や上司の知らなかった一面を垣間見ることができる時間でしょうか。
根底には仕事に良い結果を生む為のお昼ご飯ですよね。

ある雑誌で、女優の渡辺えりさんが、
新人の劇団員をご飯に連れていくと、かなりの確率でその新人さん達が辞めて行くので、
連れて行くのを辞めました、とおっしゃっていました。
えりさん自身は、若いときに先輩に誘われたら嬉しかったそうです。
大好きな演劇の話を聞かせてもらえる時間なので、
嬉しくて、嬉しくてしょうがない時間だったそうです。
それゆえ、人と関わりたくないのであれば、
何故劇団に入ってきたのかを疑問にも思っているそうです。
確かにこの疑問には一理ありますが、時間の価値観は人それぞれで、
もし誘われたのが夜ではなく、
ランチの時間帯だったらOKだったのかしらとも思ってしまいました。
辞めた新人さんは自分の時間を拘束されるといった感覚でしょうか。
私の勝手な憶測ですが。

さて、同じ釜の飯を食う最初のコミュニティで言えば、家族でしょうか。
実家では、長らく祖母がご飯を作ってくれていました。
料理上手な祖母だったので、時々、祖母のあの料理が食べたいな~と、
今でも思い出し、懐かしむことがあります。
義理の兄は、私の母の「なます」が大好きで、
その息子の甥は「のっぺ」が大好きで、それぞれに思い出の味があるようです。
祖母が亡くなり、母も亡くなり、二人の手料理は食べる事ができなくなりましたが、
作ってくれたご飯を、
泣きながら食べたこと、笑いながら食べたこと、
無理して食べたこと、たくさんの思い出は蘇ります。

いまさらながら、毎日毎日食事を作って食べさせてくれた家族に感謝です。

家族・ファミリーも様々ですが、最近、巷を賑わせている吉本興業の一連で、
経営陣と芸人との間では想いが違っているようですね。
岡本社長が記者会見で、
今後、同じテーブルに座りじっくり話をしていきたい。とおっしゃっていました。
最初から、同じテーブルにつける人であれば、
恫喝も冗談と受け止められていたかもしれませんね。
私的に一番残念だったのが、
自分が社長でなければできないものは何か?と言う質問に対し、
しばらく考えた後、明確な言葉として発言されなかったことです。

同じ目線で同じ釜の飯を食うことを心掛ける事は大切だと思います。
価値観も大事ですが、無理に付き合うこともたまには必要です。
もっとも大切なのがハラスメントを感じない場であること。
私自身もハラスメントしている可能性はありますので、
気をつけないといけません。

[fu~ma]

バカなんでしょうね、きっと。

革靴などを履いて過ごしていますと、
足の指なんかが蒸れて痒くなったりすることがあります。

と、書きますと、アブラ足か水虫かみたいに聞こえますが、
私の場合、その原因は乾燥のようです。
私は乾燥肌で、特に冬なんかは身体中が痒くなって困るんですが、
どうも足も然りのようで、土踏まずや足の指の間などが痒くなります。
焦って皮膚科で何度か検査してもらったのですが、
結果、アブラ足でも水虫でもなく、実際は蒸れているわけですらなく、
ただ単に乾燥して痒くなる体質のようです。

しかし、痒いものは痒いので、盛大に掻きむしっていると、皮膚に傷がつきます。
単なる乾燥が原因でなので、ただ痒いだけで、もともと傷などなかったのに、
掻きまくっているうちに、その箇所は潰瘍のようになり、
ワケの分からない汁が出てきます。

ところで、私は、理系の学部出身で、卒業研究は有機合成の分野でした。
つまり、日夜、実験をして過ごしていたわけですが、
この実験というのは“反応熱”と言って熱が発生することが多いため、
実験中は火災にならないようにずっと番をしていることが原則でした。
長い反応実験であれば三日三晩ほどかかることもありましたので、
時期によっては自宅に帰ったり食事に出かける間もないほど忙しく、
仮に、足が痒くて掻きむしった結果、そこが膿んだとしても、
皮膚科にかかるような時間がないこともありました。

そういうときどうするか、という話です。

皮膚科を受診した想像をしてみましょう。
膿んだ患部は、まず、アルコールで消毒してくれるでしょう。
実験室を見渡してみると・・・・・・アルコール、あるじゃん。
早速、エチルアルコールを患部にかけてみます。
病院では、おそらく脱脂綿に含ませて患部をポンポンしてくれるはずですが、
なにしろここは実験室、面倒なので、ジャアと掛けます。
どうなったと思います?

・・・・・・別に、特に何も起きませんでした。
いや、消毒にはなったのかもしれませんが、刺激はありませんでした。
ここで、ちょっと専門家っぽい話をしますが、
アルコールが構造中に持っているヒドロキシ基(-OH)の酸素-水素結合は、
酸素原子の電気陰性度が大きいために、強く分極しています。
この分極によって、水素原子は部分的に陽電荷を持ち、
別の分子が持つ電気的に陰性な原子と強く引き合うようになります。

まぁ、何を言っているのか分からなかったかもしれませんが、
とにかく、アルコールは -OH のせいで、そこそこ反応性が高いのだという話です。
しかし、そんな反応性の高いはずのアルコールでも、
膿んだ患部にそれほどの刺激を与えなかったのです。
そこで、私は思いました。
もっと反応性の高い液体じゃないと足りないなって。

実験室を見渡してみると・・・・・・酢エチ、あるじゃん。
早速、酢酸エチルを患部にかけてみます。
酢酸エチルは、シンナーとかでおなじみの溶剤で、
カルボキシル基(-COOH)のおかげで、極性は高そうです。
きっと、私に満足な刺激を与えてくれるに違いありません。

・・・・・・結果、「クッ」と、ほんのり声が出ちゃうような、
ちょっとした刺激を得ることができました。

このくらいまで来ると、本来の目的を見失い始めます。
当初は、皮膚科に行く時間がないから、
手近なもので消毒っぽいことをしてみようという趣旨だったのに、
もはや、江戸っ子が熱すぎる銭湯を喜ぶみたいな、
身体に刺激を与えることこそが目的化してきます。
どうやら、強い刺激で痒みを根こそぎ撃退!式の、
刺激が強いほうが効いているのではないかという感覚が、
私の根底にあるっぽいのです。
その昔、赤チンよりも、やけにしみるヨーチンのほうが効いている気がしたように。

そして、私は思いました。
もっと反応性の高い液体はないのかって。

実験室を見渡してみると・・・・・・クロロホルム、あるじゃん。
早速、クロロホルムを患部に・・・・・・と言いたいところですが、
これまでで初めて、私は躊躇しました。
だって、クロロホルムの危険性はエタノールや酢エチの比ではなく、
肌に触れると、状況によっては火傷したりする溶剤です。
いや、職業上、手指に掛かってしまうことは、それなりに頻繁にありましたが、
指のサカムケに掛かっただけでも「ヒィッ」ってなるくらいの刺激です。
そんなものを、膿んで傷になっている箇所に掛けて、本当に大丈夫なのか、
私は躊躇しました・・・・・・まぁ、20秒ほどのことですが。

そして、ついに、
夏のある日、私は一線を越えてしまいました

結果は・・・・・・ぎゃぁぁぁぁぁぁ!・・・・・・でした。
刺激は、サカムケからの予想を超えて凄まじきものでした。
そして、問題は、クロロホルムを患部にかけた瞬間の刺激よりも、
その刺激によって、後日、患部がパンパンに腫れあがってしまい、
痛みで靴が履けないどころか、
足を接地するのもやっとの状態に陥ったことです。

以前、良かれと思って要らぬことをしてギックリ腰を悪化させるという、
私の困ったクセを披露しました
が、
バカなんでしょうね、きっと。
私とお知り合いの方、そう思って優しく接してあげてください。

[SE;KICHI]

密かな楽しみ

みなさんそれぞれ、『趣味』と言えるものだったり、
趣味とは言えないまでも『楽しみ』があったりすると思いますが、
私にも『密かな楽しみ』あります。
ただ、少なくとも、夫や子供たちにはその良さが伝わらず、
いそいそと「それ」に取り組む私を冷ややかな目で見ています。

「それ」とは、『数独』です。
『数独』とは3×3のブロックに区切られた9×9の正方形の枠内に、
1~9までの数字を入れるペンシルパズルの一つである。Wikipediaです。

数独の問題例
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E7%8B%AC

かの有名な「平匡さん」もやっていた『数独』です!(by 『逃げ恥』

数独をやる平匡さん
https://www.google.com/url?sa=i&source=images&cd=&ved=0ahUKEwjI_Pvw8r3jAhX_yIsBHRQ5AbMQMwhJKAcwBw&url=https%3A%2F%2Ftwitter.com%2Fim___milk%2Fstatus%2F810070932567965696&psig=AOvVaw3FRvmAfudajiFduXJQlu6a&ust=1563519694407664&ictx=3&uact=3

実は結構前から数独好きだった私ですが、
あまり、というか誰にも言ったことが無かったのですが
(・・・だってなんだかおたっきーみたくて恥ずかしくて・・・)
逃げ恥の“あの”平匡さんがやっているのをみて、
ものすごく仲間意識を感じ、
たちまち平匡さんファンになってしまったのはいうまでもありません。

まあ、それはいいとして、平匡さんに少しだけ勇気をもらうことができたので、
夫と子供たちにカミングアウトし、ちょっとお勧めしてみることにしました。

子供には、今は本当に何でも100均で手に入りますね、
100均で購入した問題集を、
「忍耐力つくから! 頭の体操になっていいから!! やってみられ!!!」と、
半ば強引に渡しました。
一応開いて挑戦はしてくれたようですが、あまり好みではなかったらしく、
早々に投げ出されていました。

私的に、数独は本当にいいと思うんです。
簡単なものは別として、難易度があがってくるとものすごく頭を使うんです。
頭を使うゲームや問題は世の中にたくさんあるのでしょうが、
数独のいいところは難しい数式を覚える必要がなく、
使うのは1~9の九つの数字だけで、出てくる答えが明確であること。

記憶する能力がそんなに長けていないので、
たくさんのことを覚えていないと解けない問題(歴史とか、地理とか、化学とか)は、
とても苦手でした。
どんなに頑張って勉強しても興味もない為覚えることができず、
テストの点数は散々なものでした。
そんな私にとって、
ただ単純に数字を埋めていく、
しかも頭を使わなければならず、
かつ確実に正解をだせる数独は、
本当にやりがいのあるパズルなんです。

考えて考えた上で完成したときの達成感とやり切った感がたまりません!!!

割と興奮しながらこの文章を書いているんですが、伝わってますか?
みなさん、
私の夫や子供たちのように冷ややかな目線を投げかけているのでしょうか。
それでもいいです。
私の数独への愛はまだまだ続きそうです。

[Okei]

Tatsuko

『したきりすずめ』にしろ『こぶとりじいさん』にしろ『おむすびころりん』にしろ、
だいたい善良な主人公の隣には強欲な夫婦が住んでいるもので、
善良な主人公には善きことがある一方で、
真似をした欲張り者はひどい目に遭わされると相場が決まっています。

同じような構成の説話が多いのは、
おそらく趣旨というか、意図が似ているからでしょう。
つまり、大人たちは、こういう説話を通じて、
子供たちに「善良に生きねばならぬ」という教訓を与えているわけで、
説話は、教育効果を狙った装置であると言えるでしょう。

さて、そこにきて、最近の私が興味を持っているのが、
田沢湖に伝わっている辰子姫の伝説です。
まぁ、「たつこ像」で有名ですよね。

たつこ像

 むかしむかし、田沢湖の近くに、まれにみる美しい娘、辰子がいた。
 辰子はその美しさと若さを永久に保ちたいと願い、
 密かに大蔵観音に百日百夜の願いをかけた。
 満願の夜、観音菩薩が現れ、
 「北に湧く泉の水を飲めば願いがかなうであろう」とお告げがあった。
 辰子が山を越え、深い森の道を北に向かうと、清い泉があった。
 辰子は喜び、手にすくって飲むと、何故か飲んでも飲んでも喉が渇き、
 ついには腹ばいになって、泉が枯れるほど飲み続けた。
 時が過ぎ、気がつくと辰子は大きな龍になっていた。
 龍になった辰子は、田沢潟の主となって湖底深くに沈んでいった。


……この話、どういう意味なのでしょうか。

不思議ではありませんか。
泉の水をガブガブ飲み続けた挙句、姿を変えられるという描写は、
印象として「バチを当てられた」感がありますが、
仮にそうだとして、彼女は別に誰かを陥れたわけでもなく、
ただ、自分の問題というか、若い娘特有の執着として、
いつの日か衰えていくであろうその美貌を、
どうにか保ちたいと願っただけなのに、
それが、バチを当てられるほど悪いことなのでしょうか。

たとえば、同じように水をがぶ飲みして龍になった人は他にもいて、
十和田湖から八郎潟に移った八郎太郎なんかも有名ですが、
彼は、仲間内の掟を破って、他人の分までイワナを食べたため、
33夜に渡って水を飲み続けて龍になったと言われています。
イワナの独り占めがどれほどの重罪なのか私には分かりませんが、
まぁ、自分勝手な振る舞いだったことは間違いないので、
百歩譲って、バチが当たっても致し方ないかもしれませんが、
色褪せない美貌を願っただけで処罰されるというのは、
なかなか厳しいものです。

そして、そのバチを当てたと思われるのが、
観音菩薩であるというのも興味深いですね。
百日百夜、観音菩薩に美貌の維持をお願いし、
百夜目に回答があったと思ったら、期待と違う結末。
辰子も龍になった瞬間、
「えっ、いや、龍にして欲しかったわけじゃなくて!」と、
観音菩薩の納品ミスを恨んだに違いありません。

観音菩薩が勘違いしたのか、
それとも何か、私には分からない深遠な意図があるのか、
どうなのでしょうか。

ちなみに、前述の、イワナの独り占めで龍にされてしまった青年・八郎太郎は、
同じく龍となってしまった田沢湖の辰子姫の噂を聞きつけ、
毎冬に田沢湖に通っているうち、
冬だけ一緒に過ごす、通い婚の夫婦となったそうです。
また、辰子姫は田沢湖畔にある御座石神社の祭神にもなっています。

御座石神社

たつこ、思い通りに生きてごらん……と、
これはたつこではなくて Sachiko(by ばんばひろふみ)ですが、
辰子姫も、バチが当たったとはいえ、夫にも恵まれ、神様としても祀られ、
存外に幸せかもしれませんねぇ。

ところで、関係のない話ですが、
田沢湖近辺の道路標識なんですが、
この、外国人観光客をどんどん増やそうという時代に、
「たつこ像」を「Tatsukozo」って、どういうつもりなんでしょうか、ね。

交通標識

[SE;KICHI]

こんなに素晴らしいと

最近筋トレを3日に1度しています。
珍しく長続きしたおかげなのか、はたまたその為の食事制限の賜物か、
体重が6kgも減ったことには我ながら流石に驚きです。

そんな筋トレ中、無音も寂しいので、
YouTubeで「筋トレ 曲」と検索したところ、
あの有名な映画、ロッキーのテーマ曲と、
苦しみながらもトレーニングに励むロッキーの姿が候補に映し出されてきました。
そういえばロッキーって見たことないな〜と思って、
さくさく関連動画を見ながらトレーニング。
すると、ロッキーの動画見てると、なんとやる気が漲ってきて
こんなにも捗るのか!とニヤつきながら励んでいる自分がいました。


https://www.youtube.com/watch?v=ioE_O7Lm0I4

それからほぼ毎日続け、
そうしているうちにロッキーそのものが気になって仕方なくなり、
結局、映画を見てみようと思ったわけです。
ハリウッド俳優のシルヴェスター・スタローン主演、脚本のロッキーです。
主人公に、夢を追う自分自身の人生と重ねて、
俳優デビューをかけて必死に書いた作品ですので、
意味合いというか込められているものが深い。

単なるボクシング映画というより、
それを通して投げ出したくなる苦しい環境や状況、
弱い自らに打ち勝ち、勝利を手にしていく人間のドラマです。
彼は中堅の30代手前でしたが、そんなことは関係ありません。
どんな環境でも、いつでも、自分は変わることができるんだと、
この作品を通して伝わってくるんです。

『ROCKY BALBOA』
https://orchidgirl.exblog.jp/5549252/

高利貸業者の手先というゴロツキで、皆からろくに相手にされなかった彼が、
苦難と努力の果てに、
ボクシングヘビー級世界一のタイトルに輝くというサクセスストーリーは、
アメリカン・ドリームそのものですが、
やはり見るものに感じさせるものがあります。

音楽も有名な「gonna fly now 」や「going the distance」など、
気合いが入る素晴らしい曲ばかりで、物語に大きく貢献しています。

1作目の有名なエイドリアーンと叫ぶシーン、
(このシーンはよくネタにされますが、試合の勝ち負け以上に、
初めて自分に打ち勝ち、約束を真っ直ぐに貫いた、感動のシーンです。)

2作目の世界一になるラストでの妻へのメッセージなど、どれも甲乙つけ難いです。
中でもロッキー4はかなりメッセージ性が強い作品で、
かつての東西冷戦の背景の中、融和ムードに押されて折り込んだ、
それを象徴するシーンが多くあります。
ボクシングを通じて、
最後は人間と人間の心の交わりには国境などなく、
信じあえるんだ
というメッセージが込められています。
(イワン・ドラゴ役のドルフ・ラングレン、この肉度と体格差、すごいですよね。)

『ロッキー4 炎の友情』
https://eigaland.com/topics/?p=89442

何でもヒーローのように上手くいくようなものではなく、順風満帆とはいかないけど、
不器用ながらストレートにぶつかり、悩みながらもがいていく人間臭い彼の姿には、
どんな人も親近感が湧くと思います。

正直、こんな素晴らしいとは思いませんでした。
トレーニングシーンばかり見ていましたが、
本編が気になって仕方なく、結局全部見ました。
ロッキーは全6作あり、
ライバルのアポロの息子を弟子として鍛える『クリード』という作品が3年前公開され、
さらに続編が今年の2月に公開された大作シリーズとなりました。

『クリード』
https://eiga.com/movie/82844/special/

ロッキーの最終作、ロッキーザファイナルでの言葉です。
「You, me, or nobody is gonna hit as hard as life.
But it ain't how hard you hit;
It's about how hard you can get hit, and keep moving forward !
How much you can take, and keep moving forward.
That's how winning is done.」

〜人生はどんなパンチよりも、重くお前を
打ちのめす。
だが、人生とはお前が強く殴り返すか
じゃない。
どんなにこっぴどくぶちのめされようと、
どれだけきついパンチを打たれても、
休まず前に進み続けられるかだ!
ひたすら苦痛に耐え、前に進み続けるんだ。
その先に勝利がある。〜


この言葉、
ロッキーが人生を通してその姿を持って示してきた1つの指針であり、
1番伝えたい思いです。
勉強になるし、彼のように闘おうと奮起できますよ、ホント。

まだまだ私のボキャブラリーの範疇では、
到底伝えきれない数多くの感動のドラマと思いがある、
筆舌にし難い素晴らしい作品です。

受け取り方は様々あるとして、
観てない方は絶対観て下さい。
古い映画ですが、今の時代、人間ドラマとしてのロッキーは、
益々輝きを放つ作品として伝わってくると確信します。
本気でオススメします。

[K.K]

まさか牛車だったとは!

田舎に行くと、「山に馬の形が浮き出たら種まきの時季だ」など、
山肌の残雪が作り出す形を動物などに見立て、
農作業の目安にしているという話を聞くことがありますよね。
あれは“雪形”といって、
まぁ、本物の馬がいるわけではなく、単なる模様なのですが、
この、実在しないものをあるように思い描く、
対象を別の物になぞらえるという手法を『見立て』と言います。

古来、日本では、この見立てを暮らしに取り込むことが特に盛んで、
事実よりも、「そう見える」ことが大事な民族だと言われます。

たとえば、日本庭園の様式、枯山水。
白砂や小石が「水の流れ」に見立てられていることは有名ですが、
そもそも日本庭園という造園そのものが、
限られたスペースに配置された各要素を何かに見立てることによって、
雄大な自然の風景を表現しようとする試みですよね。

他にも、赤い隈取を施した人物を怒っている人物に見立てる歌舞伎とか、
扇子を持ってズルズル音を立てて蕎麦をすする人物に見立てる落語とか、
昔から、『見立て』という表現が日本には息づいています。

そうそう、有名な「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ」の図も、広い意味では見立て。
裸のオヤジがたくさん集合しているだけの図ですが、
その集合体を人の顔に見立てているというわけです。
それから、その作者の歌川国芳といえば、「猫の當字」シリーズも有名ですね。
猫がもつれあっている図ですが、それで魚を表現しているわけで、
このように、ある物体のパーツに異質の物体を置き換えて構成していくという、
ひとつのデザイン手法ではありますが、見立てと言えるでしょう。

『みかけハこハゐが とんだいゝ人だ』 「猫の當字」なまず
https://www.musey.net/122 
https://i0.wp.com/artmatome.com/wp-content/uploads/2016/03/1b272f15.jpg


また、そこまで古い話ではなくても、
昨年の今頃やっていた朝ドラ『半分、青い。』でも、
オープニング映像のデザインでは見立てが目白押しでした。

「お皿がケーキ」「目玉焼きがニワトリ」「プチトマトがテントウムシ」
https://shuhu-tamago.hatenablog.com/entry/2018/04/17/125056

これらは、結局、『見立て』です。
重ねたお皿がケーキに見えるよねとか、
崩れた目玉焼きってニワトリのトサカっぽいよねとか、
プチトマトってテントウムシみたいでカワイイ……みたいなことです。
要するに、それは皿だし目玉焼きだしプチトマトなんだけど、
○○みたいに見えるよねという、視点の変化が『見立て』なのです。

さて、ここまで見立ての例を挙げてきましたが、どうでしょうか。
そう見えるから、それを見て面白がるのだというのが見立ての基本。
そういうのは、ほとんどダジャレみたいな感じもするのですが、
古今東西、こういうのが根付いているのをみると、
日本人は、こういう遊びが好きなんだなと思います。

ところで、急に話は変わりますが、
前方後円墳ってなんだか不思議ではないですか。

「百舌鳥・古市古墳群」がユネスコ世界遺産委員会で世界遺産に登録されましたね。
かの有名な大仙陵古墳(仁徳天皇陵)とか誉田御廟山古墳(応神天皇陵)とか、
百舌鳥や古市の古墳群が世界遺産に登録されたわけですが、
それらを構成している古墳群のうち、1/3ほどが前方後円墳です。
というか、各天皇陵は、陪冢を除けば、メインはほとんど前方後円墳です。

前方後円墳、みなさん覚えていますか。

古墳の種類 http://www.mai-ca.net/special/032/index.php

私は、昔から、前方後円墳ってなんだか不思議だなと思ってきました。
だって、だいたい、教科書に書かれている古墳の図って、
前方後円墳は、鍵穴みたいな形の、丸いほうを上にして描かれています。
これだと、見た感じのイメージ的に、「前円後方墳」のような感じがするのですが、
どうして「前方後円墳」という呼び方なんでしょうか。

私はこのことを長年疑問に思ってきましたが、
このたび、世界遺産登録のタイミングで教えてくださる方がいて、膝を打ちました。

 まず、古墳全体を牛車に見立てるでしょ?
 それで、被葬者が埋葬されている円部を人が乗る部分に見立てたのよ。
 そしたら、方部は牛車を牽く牛ってことになるでしょ?
 だから方部が前で円部が後ろなのよ
……と。

はぁぁぁぁ!
前円後方墳ってネーミング、見立てだったのかぁ!

まさか、牛車だったとは!

いや、長々と見立ての例を挙げてきましたが、
この前円後方墳のネーミングを知った感動を伝えたかった次第です。

……私のこの感動と興奮、伝わっていますでしょうか。

[SE;KICHI]

アニバーサリー月間

2019年も半年が経過しました。
私はとても早く感じていますが皆さんはいかがでしょうか。
7月は私にとってはちょうど節目となる月です。
入社日が7月1日なので入社アニバーサリー月間です 笑
今年で(株)セイシンに4年間務めました。
誕生日ではないですが、7月は特別な月であります。
そして、この4年間も本当にあっという間でした。
本当にたくさんの方々と出会い、勉強させていただきました。
皆様には本当に感謝です。


多くの出会いがあれば当然別れもあります。
先日、大切なお客様から定年で退職するとの御連絡をいただきました。
定年なので仕方ないですし、なによりこの上ない円満退職です。
私が担当を持つようになってからのお付き合いで、
定期的にお会いさせていただきました。
私が商品のお話し等をすると興味を持ってくださり、
技術的な質問や見積依頼をいただきました。
技術的なことは入社間もない頃は非常に難しかったですが、
自身の成長に繋がりました。
御見積依頼をいただいたときは本当に嬉しかったです。

しかし、足を運ぶ機会は次第に減っていきました。
他のお客様のところへも行かなくてはとか、
目の前の仕事をこなすことで精一杯という時期がありました。
そんなバタバタも少し落ち着いた頃合い、
久しぶりに訪問し商品の提案をしました。
その方が探していた商品なので、気に入ってくださりました。
御依頼を受けたので後日、御見積を送りました。
反応はというと・・・

「あまりの高さに驚きました。それでは売れないと思います。
というストレートな言葉が返ってきました。
実際に高額な商品でしたので、ああ、やっぱりか・・・という、
どこか納得してしまう気持ちになりました。
その言葉を聞き、これは買っていただけないと、すぐにこの案件に蓋をしました。
そのお客様が退職されると聞いた時に、この時のことを思い出しました。

買っていただけないと思った私は、再び目の前にある別の仕事に没頭しました。
せっかくいただいたお話だったのに、見積を一回出して終わってしまいました。
商品を紹介して興味を持ってもらい見積依頼をいただくことは、
簡単なことではないと感じています。
なぜすぐに終わらせてしまったのだろうと後悔しています。
買っていただけるかは別としても、
同等品を探す、少し安価なグレードで使用ができるかの確認、
実際の希望価格を聞く、今思っただけでもこの程度のことはできたはずです。
その当時の私はやっぱり高いよなぁ~で終わってしまっていました。
見積を一回出しただけのアプローチで諦めているようじゃその先もないですし、
もっと行動を起こしていたら信頼関係も変わっていたと思います。

「高くて売れない」という言葉は、
他のお客様にも売れないよ、というメッセージでもあったと思います。
このようなことを率直に言ってくださる方はそこまで多くはないので、
勉強しなさいというお言葉だったのだと感じています。

そして先日、この大切なお客様に感謝のご挨拶をしに行きました。
その日は少し離れた場所で仕事をしていたのですが、
この日しか行けないと思い夕方にようやく駆け込みました。
突然なのでダメかなとも思いましたが、
御対応いただき後任の方もご紹介いただきました。
Mさん、長い間お疲れ様でした。
お会いできてとても嬉しく思います。

情報発信ではなく、私の日記になってしまい申し訳ございません。
やらなければいけないことと、やるべきことは違うと思います。
やらなければいけないことは重要です。
しかし、それに追われてしまうと自分がやるべきことを見失いがちです。
やるべきことはやりたいことに近いと思います。
私が営業としてやりたいことは、
自分が発信したものをお客様に喜んでいただく、ということです。
やらなければいけないことは自分発信のものが少なく感じ(私の場合は)
それに追われてしまっては本来の目標を見失ってしまいます。

今月はアニバーサリー月間なのでいろいろと想うことがありました。
目標を持って過ごさなければ気持ちが入っていかない。
そして、仕事でもプライベートでもいい出会いをしなければ!笑

今回はここまでとなります。
長くなりましたがありがとうございました。

[SYUN]

優しさというか……。

どうも、私はデリカシーに欠けるタイプらしく、しばしば怒られます。
本人がコンプレックスだと思っている外見上の特徴とか、
場合によっては、本人が隠したいと思っている過去の出来事とか、
そういうものについて言及しがちだからでしょう。

何故、言及するのでしょうか。
それは、事実として厳然とあるからです。
たとえば、目が一重だとか、鼻が大きいとか、あごが長いとか、
外見上の特徴をコンプレックスと感じる方は多いようですが、
そんなものは個性に過ぎず、コンプレックスと感じる必要もないと思うので、
私は気を遣わずに言及します。
すると、
「いや、コンプレックスと感じる必要もないって、それはアナタの考えで、
本人は触れてほしくないって思ってるんだから、わざわざ言わなくてもいいでしょう、
もっと気を遣ってあげてよ」と、
配慮のなさを指摘されます。

しかし、私は思うのです。
触れてほしくないところには触れないというのは、
それは本当に優しいことなのか、と。

2018年に全国で起きた交通事故による死者数は3,532人だったそうです。
一方で、自殺による死者数は20,840人に上るんだそうで、ほぼ6倍です。
それだけでも充分にセンセーショナルなニュースなんですが、
先日の厚生労働省の発表によれば、
戦後初めて日本人の10~14歳の死因として自殺が1位になったそうです。
中学生くらいの子供が、自分の意志でどんどん死を選んでいるということです。

私は悲しくてたまりません。
ちょっと、おかしいと思いませんか。
戦災も飢餓もない平和な日本なのに、
なぜ、こんなにどんどん死んでしまうんでしょうか。

私たちは、死を選ぶ2万の人々を、むざむざ見送るしかないのでしょうか。
なんとか助けてあげたいと思うのは、余計なことでしょうか。
でも、自分の家族がそうなる可能性だってないとは言えないわけですから、
余計なことでもないでしょう。

なぜ、こんなにどんどん死んでしまうんでしょうか。
それは、孤独感でしょう。
「どうせボクの悩みなんて誰もわかってくれないんだ」という孤独感です。

そこで、「そんなことで悩まなくて大丈夫だよ」とか、
「オレも昔経験あるわ。でもなんとかなるぜ」とか言ってあげれれば、
あるいは、死を選ぶ人は減るかもしれません。

しかし、その前提として、悩みを聞いてあげなくてはいけません。
もし、相手が自分の悩みを話すことに躊躇していたとしても、
悩んで思い詰めている相手を救うため、悩みは聞き出してあげなくてはいけません。
だいたい、悩みを“話す”ことは、悩みを“放す”ことになるといいます。
命がかかっているわけですから、
「言いたくないなら、言わなくていいよ」などと言っている場合ではないのです。

だいたい、悩みの渦中にある人というのは、視野が狭くなっています。
聞き出してみると、意外とチンケな悩みだったりするのですが、
本人は「もうダメだ」と思い詰めていますから、
ちょっと慰めたり励ましたくらいでは、悩みから脱出できないものです。
では、どうするのか。
ときには、「ふざけんな、しっかりしろ!」と叱責することもあっていいと思うのです。
私は、これこそが愛だと思うのです。

たとえば、同僚など、自分に縁のあった方が、何やら悩んでいる様子の場面、
どうしたのか聞いても、「放っておいてください」の一点張りだったとします。
そうかそうか、本人の望みなら仕方ないよねと放っておいたとして、
そのうち悩みに悩んだ本人が思い詰めて自殺なんかしたらどうするのですか。
「おや、望みどおり死ねてよかったね」と思いますか。
私だったら、
どうしてあの時、肩をつかみ、頬を張り倒してでも止められなかったのかとか、
自責の念にとらわれることと思います。

愛していたら、ほっとけないはずです。

誰にも触れられたくない過去とか、出生の秘密とか、肉体の欠損とか、
そういうものもあるかもしれません。
私にも、何もないわけではありません。
もし、それを自分で光明転換でき、前向きに生きていけるのであれば、
それは、わざわざ人に言うようなことではありませんし、別にそれでいいのです。
しかし、誰にも触れられたくない過去とか、そういうもので悩み、
それを自力でポジティブに捉えられなくなっているのであれば、
誰かがそれに気づいて、そこに手を突っ込んで腕をつかみ、
そこから引きずり出してあげなければ、
その人は助からないのです。

相手はどんどん悩みを深めているかもしれませんから、
「言いたくないなら、言わなくていいよ」などと言っている場合ではないのです。

これは、ちょうど、アレに似ています。
大震災などの救助活動。
家屋が倒壊して足などが挟まっている人を発見したとき、
その人が「私にかまわないで、行ってください」と言ったとして、
「あ、そうですか」と立ち去ったりはしないでしょう。
「そんなこと言わないで、いま助けます」と、
自分に何ができるかは別にして、なんとかしようとするでしょう。
それが、家族や友人知人であればなおさらです。
それが人間というものです。

“人生、山あり谷あり”などと言いますが、本当にそうです。
「生まれてこの方、順風満帆だ」という人はいないでしょう。
誰の人生にも、苦しいことや辛いことなんて、いくらでも起きるんです。
もっと言えば、過去に誰かから言われた言葉とか、子供のころの苦い体験とか、
そういうのを原因としたトラウマや恐怖心のようなものも、
誰の心の中にも沈殿しているものでしょう。
しかし、それが自分の考え方のクセの原因になっているのですから、
それに触れないというのは、臭いものにフタをしているだけで、
誰のためにもならないでしょう。

どうも最近、「○○ハラスメント」とか言って、
本人の気に障ることには立ち入らない風潮が強いですが、
私たちは、そういうことを超えて、
挫折や理不尽によって意欲を失いつつある人たちに関心を持ち、
一人でも二人でも、死なせないように、
関わっていくべきなのではないでしょうか。

[SE;KICHI]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
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■新潟営業所/
〒950-1142
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