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『プラテーロとわたし』

頭が悪いのか何なのか、いや、頭が悪いことに疑いはないのですが、
どういうわけか、手元に3冊も『プラテーロとわたし』という、
スペインの詩人 J.R.ヒメネスの詩集があります。
しかも、手前の、同じ表紙の2冊は、伊藤さんというご夫妻が訳した、
中身はまるで同じの2冊です。
どうして買ったのでしょうか、バカですねぇ。

『プラテーロとわたし』

J.R.ヒメネスというと、ノーベル文学賞も受賞しているので、
ことによると、知らぬ方のほうが少ないかもしれません。

この、『プラテーロとわたし』という詩集は、
ヒメネスが30歳ごろに住んだ、モゲ-ルという故郷の町での日常を描いたもので、
138編の詩が収録されています。
タイトルにある「プラテーロ」というのは、ロバです。
小さくてふんわりとした銀色のロバなのだそうです。
「プラテーロ、この小川はすっかり干上がってしまい、
今では、そこを通ってカバーリョスの農園に行けるのだが、
その昔の姿は、色あせた私の古い記憶の中にも残っているんだよ」
(『小川』)とか、
「私にとって、秋のはじまりはね、プラテーロ、
日暮れとともに、さむざむとわびしくなる裏庭や中庭や畑の人気もないところで、
ながくよくとおる声でほえている、
くさりにつながれた一匹の犬のように思われるんだよ」
(『つながれた犬』)のように、
“私(=ヒメネス)”がプラテーロに語りかけるという体裁で、この作品は進みますが、
印象的なのは、その、プラテーロに対する語りの優しさです。
この時期のヒメネス、
病気療養のために故郷に滞在していたというのもあるでしょうが、
その間、常にそばにいるプラテーロへの視線が柔らかく、温かいのです。
とてもほっこりした気持ちになります。

また、この詩集の秀逸だと思う点は、情景の描写だと思います。

「通りでは、ためらいがちな夕方の太陽が、真っ白い低い軒にさしこみ、
うすももいろのリボンとなって消えて行った。
やがて私たちは、リヤーノスの街道がすっかり見渡せる、
オルノスの柵のところに着いた。
出車は、もう坂を上がってきていた。
濃いむらさき色の雲が、ロシーオスの農園を通り過ぎると、
みどり色のブドウ畑に、やわらかなこぬか雨が降り注がれた」
(『ロシーオの祭り』)なんて、
リヤーノスとかオルノスとか、固有名詞はさっぱり分からないのに、
なんだか情緒的な街並みが目に浮かぶ気がします。
「空の方まで赤く照らし出された祭りの町から、
なつかしい素朴なワルツの調べが、やわらかい風にのって流れてくる。
教会の塔は、スミレ色や青や黄色にゆらめく光を背にして扉を閉め、
青白くかたくなに沈黙している。
そして、村はずれにたち並ぶ暗い酒倉のはるかかなたでは、
黄色く眠たげな月が、ひとりぼっちで川の上に落ちかかっている。」
(『夜想曲』)など、
私の行ったことのないアンダルシアの光景が目に浮かんで、
もしかしたら、風や音などの、自然の小さな音まで感じられるような気すらします。

私がこの本を初めて読んだのは小学校4年生くらいだったと思います。
当時通っていた小学校には、全校児童が一緒に給食を食べるためのランチルームがあり、
そこが都合よく畳敷きになっていたため、
図書館から持ち出したこの本を、ゴロゴロしながら読んだ記憶があります。
しかし、小学校4年生で散文詩なんて読んで面白いはずもなく、
せっかく読み始めたのに、正直がっかりしたものですが、
年齢を重ね、30歳を過ぎてから再読した私は、その美しさにいたく感動し、
そして、ラストの深さに息を飲みました。

その、問題のラスト。
病気でしょうか、老衰でしょうか、プラテーロはついに死んでしまいます。
ショックを受けたヒメネスは、
彼の死をもって、この詩集を書くのをやめてしまうのですが、
1年後、なぜか詩を書き足します。
その内容というのが、
「プラテーロが死んだあと、あんまり悲しみに暮れているヒメネスを慰めるため、
友人がボール紙でプラテーロに似せた張りぼてを作ってくれました」という話。
第一印象は「しょうもない話だな」と思った私です。
しかし、よくよく読んでみると、
ヒメネスがその張りぼてを書斎に飾っていたところ、
なんと、そのうち、記憶の中のプラテーロよりも、
ボール紙のほうが、プラテーロらしく見えてきた……と書かれています。

一読、私は、“そんなことってあるかしら”と思いましたが、
しかし、なんだか切ないけれど、これは、たぶん事実です。
いや、正確に言うならば、
小学4年生で読んだ時の印象はそんなことってあるかしらでしたが、
人生でいろいろ体験した後、再読したときの印象は、
まぁ、そういうこともあるかもなというものでした。

愛するロバとの愛別離苦のみならず、
人生で、悲しいこと、寂しいこと、泣きたくなるようなことは、いくらでも起きます。
そのときは、この世の終わりのように嘆き悲しみますが、
あんなに悲しかったのに、あんなに泣いたのに、
それをいつまでも記憶できないのが普通です。
しかし、この記憶の頼りなさが、
切なくもあるけれど、人間の記憶の良いところだと思うのです。
記憶がいつまでも残っていると苦しいと言われます。
忘れる能力は、人間が延々と苦しまずに済むよう、
神様から愛ゆえに人間に与えられた性質なのだろうという哲学者もいます。

そう思うと、この作品は人間の深淵を描いていると言えなくもありません。

[SE;KICHI]
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健康な身体

私は今年で50歳になります。
抜け毛や白髪や老眼といった健康や老化が友人との間で話題になります。
私が調子を悪くして思うのは、目と腰は大事だよねって私はよく思います。
(不要なところはないのですが肩を痛めても通常生活はできたので)

近視の私に老眼が入ってくると、
字を読んだり手元の細かい作業をしたりが辛くなります。
ぎっくり腰になったことがある人はわかると思いますが、
何をするにも腰は大事です。
他のブログにもありましたが、油断してクシャミも出来ない(汗)

そんな私がなんと
変形性膝関節症と診断されました。
元々右膝の前十字靭帯を切っているので万全ではなかったのですが、
ある時から急に歩くのが辛くなり、足を引きながらしか歩けませんでした。
激しめの運動をしたりして水がたまり、抜いたりもしていたのですが、
歩けないのでは困ってしまい医者に行き診断を受けました。
私の目には右膝の皿の部分が大きくなっているように見えます。
今は内側の筋が張っている感じで痛いのですが、
変形してきているのであれば一生ものなのでしょう。
ネットで見ても痩せることと筋力をつけることが大事なようです。
大盛り禁止ですね。

そんな身体の不都合を嘆いている私にとんでもない話を聞きました。
友人が胃ガンと診断されたと聞きました。
彼は酒も飲まないしタバコも吸いません。
割と体を鍛えるのも好きな感じで、スタイルも良いし、
健康で元気な人のイメージだったのにびっくりしました。
正確な診断情報を聞いたわけではありませんが、
3ヶ月早く分かれば…と。
たまたま会う機会があり話していると痩せて少し辛そうにも感じました。
彼は小学生にバレーボールを教えていて、
今は指導には行けないとのことだったので私にできることは、
時間があるときに手伝いに行くことと思い手伝っています。
彼から、楽しみな子どもも多いと聞いていたので、
心配事を少しでも減らせたらと思っています。
万全でなくてもいいので元気に復活してほしいと心から願っています。

[WAKA]

左と右

私は子供の頃から国語辞典を“読む”のが好きでして、
ヒマがあれば「あ」から順番に読んでいったものです。
いま、ヒマ潰しといえばスマホが定番で、
地下鉄に乗ったりすると、何か新種のウイルスにでもやられたかと思うほど、
ほぼ全員がスマホを見つめ、ゲームに興じたりしてヒマを潰していますが、
国語辞典を読むというのも、
なかなか、ヒマ潰しとしては、かなりのヒマを潰すことが可能です。

私の自宅にある時点で、最も愛用しているのが広辞苑(岩波書店)です。
国語辞典といえばコレって感じでしょうか。

試しに何か引いてみましょう。
こういう時に私が面白いと思うのが、相対的に意味が変わりそうな単語。
たとえば“右”とか。
試しに考えてみてくだされば分かりますが、
“右”って何でしょうか、
意外と説明が難しいことに気づくと思います。

広辞苑の場合は、「南を向いたときに西にあたる側」だそうです。
これを初めて見たとき、私はなるほどなぁと感心したものです。
いや、なるほどなぁとか、そんな浅いものではなく、
編者の新村出さんに対して敬服の念を抱いたといってよいほどの感心です。
新村出さんには、「雲」という単語1つについても、語源や意味、用法など、
ノートを4冊も使って意味を調べあげたというエピソードがあります。
おそらく、“右”などというくだらない単語でも然りでしょう、
プロの仕事だなと感じ入るのです。

さて、こうなってくると、他の辞典ではどう書かれているのか、気になりますよね。
広辞苑のほかに、現在自宅にある国語辞典ということで、
明鏡国語辞典(大修館)を引っ張り出してきました。
大修館といえば、普段から大漢語林という漢和辞典をよく使うのですが、
国語辞典については、普段は広辞苑があるので、
明鏡は奥にしまってあったのですが・・・・・・、
気になってしまったものは仕方がありません。

明鏡では、“右”とは、
「人体を対称線に沿って二分したとき、心臓のないほう」だそうです。
なんかこう、人体を二分したときという表現が、
理科室に展示されている人体標本なんかを思い出させたりして、
シュールというか、不思議な気分にさせられます。

それより明鏡の特徴的なのは、“右”ごときで例文が載っていることです。
例文:「[X線写真を見て医者が] ―の肺に陰があります。」
・・・・・・わざわざ注釈付きで例文に挙げるような用例でしょうか、コレ。
徹底的に人体にこだわる姿勢も特異な明鏡国語辞典です。

いずれにしても、“右”という単語は、
広辞苑と明鏡国語辞典とで説明が違うということが分かりましたね。

さらにほかの辞典ではどうなっているのでしょうか。
気になり出したら止まりません。
図書館に行ってみることにしましょう。

日本国語大辞典(小学館)は、私は初めて見た辞典でしたが、
“右”という単語については、
「正面を南に向けたときの西側にあたる側」という広辞苑型の説明と、
「人体で通常、心臓のあるほうと反対の側」という明鏡型の説明が併記。
むむっ、両方書いておくなんて、なんだか卑怯……と思いませんか。

それから、大辞林(三省堂)によれば、“右”とは、
「大部分の人が、食事のとき箸を持つ側」だそうです。
これは大辞泉(小学館)もそうでした。
ちょっと、そう言い切ってしまうのは大丈夫なのか、
意外と時代がかった表現のような気もしてきますね。

さて、図書館から戻り、自宅で一番古い国語辞典を引っ張り出してきました。
それは大言海(冨山房)
60年も前に刊行された古い国語辞典が説明する“右”とは・・・。
まさかの……「左の反対」。
ちなみに“左”の項目には、みなさんの予想通り、「右の反対」。
まるで子供をからかう婆さんのような答えです。

ところで、最後に豆知識ですが、
“右”という漢字の1画目は上から左下への払いです。
一方、“左”という字は、左から右への横一文字が1画目です。
“右”は右手、“左”は左手を表していて、
“右”は横棒が腕、払いが掌、“左”は横棒が掌、払いが腕だそうで、
掌を書いてから腕を書くので、“右”は左払いから、“左”は横棒から書くのだそうです。
面白いですね。

[SE;KICHI]

出るわ出るわ

うちでのこづちを振って、ほしい物が出るわ出るわの話ではありません。
欲しくない物が出るわ出るわの話です。
それは体のあちこちに出てきた症状。
今回はその中の3つほど。

まずは口の中。
10年も前になりますが、
ある日、何気なく口の中の上顎を舌で触ったら、コロっとした突起物を発見。
あれ? 何このでっぱり? いつ頃から? やばい病気?
ネットで検索しました。
載っているものですね~、骨隆起(こつりゅうき)なる物が該当するよう。
上顎にできるものを「口蓋隆起」、
下顎にできるものを「下顎隆起」というようです。
ある日突然できるのではなく、何年もかけてゆっくりゆっくりできるようです。
原因ははっきりしないようですが、
遺伝によるものや、噛み合わせる力によって、
骨が反応して膨らんだりするケース等があるようですが、病気ではない模様。
以前、身内が集まった場で、この症状の話を出したら、
姉も同じことになっていました。
うーん、遺伝のようです。

次は目です。
これは5年程前になりますが、自宅を掃除中に低い姿勢から立ち上がった瞬間、
クラっとした立ちくらみと同時に、
目からチカチカと星が出るような状態になりました。
目をつむり症状が治まるのを待って目を開けると、
黒い点のような物が視界に入ってきました。
飛蚊症です。
その後も同じように目がチカチカとなった後は、飛蚊症の数が増えています。
今では、点だけではなく、縦に長くてゆらゆらとした物まで。
症状が出た当初は、視界に入る黒い点に物凄く違和感があり、
気になって気になってしょうがなかったのですが、
今ではそこまで気にならなくなりました。
慣れって怖いです。
先日、友人のお兄さんが、
網膜剥離で片目の視力を失いつつあると、告白されました。
目に異変を感じてから、見えなくなりはじめるまで数日だったそうです。
その異変が、飛蚊症だったそうです。
縦にゆらゆらとした飛蚊症が出るようになった3日後には、
視野が狭くなり、物が見えにくくなったそうです。
その話の流れで「飛蚊症なら私もあるよ「」と言ったら、物凄く心配されました。
このブログを書きながらふと気になり、網膜剥離について検索してみました。
 前兆症状として飛蚊症や光視症を認めます。
 網膜剥離が生じると、
 本来は透明度の高いことが求められる硝子体の中に、
 血液や細胞の一部が不純物として紛れ込むことになります。
 こうした物質の影響で光の透過性が障害を受け、
 物質に対応した影を認識するようになり、
 まるで蚊が飛んでいるように見えることから、
 飛蚊症の症状を認めることになります。
 また光視症とはチカチカとした光の点滅を感じたり、
 暗い部屋で突然稲妻のような光が見えたりする症状を指します。
 飛蚊症や光視症は生理的にも見られる可能性のある症状であるため、
 こうした症状がでたら網膜剥離というわけではありません。
 しかし、突然飛蚊症の症状が強くなった、
 飛蚊症と光視症が同時にみられるようになったなどの場合には注意が必要です。
 メディカルノートより)
えっ、なんだか凄く当てはまる症状。
友人が心配する訳です。
何度か眼底検査などを受けていましたが、
引き続き検査の必要性を感じました。

最後は額のコブです。
これも数年前になりますが、
額にポツっとした吹出物のような大きさから始まりました。
いずれ治るだろうと軽く考えていましたが、
徐々に大きくなり、今では直径1㎝近くまでになりました。
他の治療で皮膚科に行った際、先生に聞いてみました。
触ると動くコブなので切れますよ、今日切っていきますか?
と言われてから1年程経過しています。
この症状も書きながら調べてみると
「痛くない次第に大きくなるコブ(しこり)は要注意です。」
と載っているところもありました。
うっ、やはり放っておくのは良くないようです。
このコブ、見る角度によってはツノのようにも見えます。
鬼という名の嫁が、嫁という名の鬼になるのはまずいです。
病院でしっかり診察してもらわないと。

他にも出ているものはありますが、自分なりに実験中なものも。
うまくいったらまた別の機会にでも。

[fu~ma]

「水増す雨の」

梅雨ですね。
花粉で辛かった春も終わり、暮らしやすい時季になりました。

先日、最近知り合った20歳の女の子とメールのやり取りをしていて、
何度かメールを往復させたあと、
そのことを「なんか、文通みたいだね」と表現したところ、
「文通だなんて、年齢を感じますね」と返信されてしまいました。
あ、もう、文通なんて言うのは古いのかと、ショックを受けた27歳の私です 笑

さて、文通といえば。

その昔、平安時代の結婚というのが、
夜になると男性が好きな女性のところに通っていく、
いわゆる「通い婚」というスタイルだったというのは、それなりに有名な話ですよね。

その「通い婚」、
女性の家で一夜を過ごした男性は、
裸のまま朝までダラダラ寝ていてはいけません。
夜が明けきらぬうちに女性の家を出て帰宅するのがマナーで、
女性の家から帰った男性は、
夜が明け切ってからできるだけ早い時刻に、
「後朝の文(きぬぎぬのふみ)といって、
その女性に手紙を贈る必要がありました。

もちろん、郵便屋さんはいませんから、お手伝いさんに届けてもらうのですが、
当時、女性にとって、この手紙が届かないことは、別れを意味したので、
女性側は、ドキドキしながら手紙が届くのを待ったわけです。
『大和物語』には、「後朝の文」も届かず、数日連絡がなかったため、
捨てられたと悲観した女が出家してしまったという話が出ています。
実際には、男性は急な出張で連絡できなかっただけだったのですが、
出家されてしまっては、残念ながら、もはや後の祭り。
「後朝の文」を贈らないと大変なことになるというエピソードです。

ところで、枕草子の二七五段には、
いつも愛し合った翌朝には「後朝の文」をくれる男性が、
ある晩、何かの弾みに怒って帰ってしまったという話が書かれています。
翌朝の「後朝の文」もなかったので、
なんだか寂しいなと思いつつ、それなりに過ごしたものの、
さらに翌日の大雨の日、朝になっても昼になっても何も届かなかったので、
「あぁ、これは捨てられた」と縁側で脱力していると、
夕方になって手紙が届いて、はしゃいじゃったわというような話です。

なんか、女性の気持ちの変化が手に取るように描かれていて、
読んでいてウキウキしませんか。
いまでも、男女問わず、恋愛のハウツー本なんかでは、
「意図的に距離を置くことで惚れ直させましょう」なんていう、
ちょっとしたテクニックが指南されているそうですから、
これは現代にも通用する駆け引きと言えるでしょう。

ところで、夕方になって届いたその手紙には、
「水増す雨の」とだけ書かれていたようです。
清少納言はこの一言だけの手紙にキュンとして、
「長々と詠まれているよりステキ!」と言っていますが、
当時は、これだけで相手にどんな歌か伝わったのです。
たぶん、これは、当時の有名な歌の一節なのでしょう。
当時の教養として、有名な歌は暗記しているのが普通でしたから、
いまで言う“イントロ・ドン”みたいなもので、
「水増す雨の」と言われただけで、どの歌か相手に分かったのです。
それも、なんだか風雅で素敵だなと思いませんか。

現在、すべての歌が残っているわけではないので、
実は、この「水増す雨の」がどの歌を指すのか、分かってはいないのですが、
この分野の専門家の間では、
古今和歌集収載の紀貫之の歌を指しているのではないかと言われています。
雨が降ると水が増すように、あなたへの思いも増すよという歌で、
清少納言は、相手の気持ちを察してキュンとしているというのです。

つまり、この文通には、有名な歌は暗記していることを前提としたうえで、
その知識を駆使して、相手が何を語りかけているかまで察知しないと、
最終的にキュンとはできないわけです。
現代はLINEなどで瞬時に連絡が取れるので、
察するとか推し量るということが必要なくなりましたが、
当時は連絡手段も限られていたので、教養と感受性が大事だったのでしょう。

ところで、本当に蛇足ですが、私は、
このケースでは、雨の日に男性本人が来たのではなく、
手紙だけが届いたというのが良かったのだろうと考えています。
というのも、清少納言の雨嫌いは有名ですよね。

一般的に、当時、雨の夜に男性が女性宅を訪れるということは、
足元も悪いのにわざわざ愛情深いことだと好感を持たれていたので、
だからこそ、その好印象を狙って雨の日に女性宅を訪ねる男性も多かったのですが、
清少納言は二七四段で、雨の夜に訪れる男性はイヤと明言しています。
なぜなら、愛情が深いんじゃなくて単なる雨宿りなんじゃないの?と、
彼女は、どうも相手の好意を疑ってしまうらしいのです。
雨でずぶ濡れになってやってきて「は〜、参った参った」とかいう男、
恩着せがましくて超イヤだと言っています。
なかなかメンドクセーオンナですね、清少納言。

なので、このエピソードの男性、
雨の中を訪問することなく、手紙だけを届けたところが、
おそらく彼女の琴線に触れたのだと、私は推察しています。

しつこいですが、読んでいてウキウキしませんか。
荒天時にわざわざ通ってポイントを稼ごうとするオトコと、
まんまとそれにキュンキュンするオンナ、
一方で、そんな小技には引っかからないメンドクセーオンナと、
そんなメンドクセーオンナに絶妙な手紙を出すオトコ。
私は、毎年、大雨が降りがちなこの梅雨の時期、
当時に想いを馳せて、ほっこりするのです。

清少納言 百人一首
https://zh.m.wikipedia.org/wiki/清少納言

[SE;KICHI]

かっこいい生き方

昨年の9月に女優の樹木希林さんがお亡くなりになりました。
私はそれほどファンではなかったし、
出ておられる映画などは特に見ていませんでしたが、
郷ひろみさんとのデュエットや、某メーカーのプリンターのCMでの姿に、
変わった人だなあとの思いは抱いていました。

彼女に少し興味を持ち始めたのは、
ガンだと公表されたあたりだったかなと記憶しています。
芸能界の方にせよ、一般の方にせよ、多くの方がそうであろうと思いますが、
通常は重い話題であるにも関わらず、
樹木さんはとてもさっぱりとされていました。

なぜこの人はこんなにもあっけらかんと、
自分の置かれた状況を受け入れているのだろう、楽しそうにも見える、
きっとこの人は死ぬのが本当に怖くないのだろうと思ったとき、
この力の抜けた姿勢がうらやましく感じました。

誰に媚びることもなく、自分の思うように発言し、そして誰も傷つけない。
それでもまだファンになったわけではなく、
まだお元気で活躍されているなあと、テレビなどを通して知り、
そのうちに段々と、気になる存在になってきました。

ここ数年あたりでしょうか。
老いを受け入れることや、
物に執着しないほうがいいなどという彼女の意見が、メディアから聞こえてきました。
言うのは容易いけれど、なかなか実践できないことをさらりとやっておられます。
人前に出る仕事の人は一般の人よりも、より難しいでしょう。
それを他人に見せつけるでもなく、押し付けるでもなく、
自分がそれを良いとして自然とやっている。
失礼かもしれませんが、”芸能人らしい”振る舞いをされていない樹木さんが、
すごく身近に感じられ、あくまでも自然体でいる姿がかっこいいと思っていました。

樹木さんの告別式での内田也哉子さんのあいさつが話題になったのは、
記憶に新しいところです。
あまりに素敵な文面すぎて、(頭が良くないので)
自分の中に入るまで何度か読み返しが必要でしたが、
その中に、也哉子さんが紹介してくれた、
心にとどめておきたい樹木さんの言葉がありました。

『おごらず、人と比べず、
面白がって、平気に生きればいい』


この言葉の中で特に大事なのは「面白がること」だと思います。
いろいろ起こることを「楽しむ」のではなく「面白がる」。
これは自分なりに納得のいく解釈をしていくことかなと思います(もちろん前向きに)

起こり得ることにはすべて意味があると私は思っているので、
仮につらいことがあった場合も、
時間がかかっても受け入れることはできるはずです。
ただそれを、面白がり、平気に生きるとなると、なかなか難しいことのように感じます。
そこをあえて「俯瞰的に見る」ことで、見えていない色々なことが見え、
平気に生きていけるのでしょう。

多くの人が、樹木さんの言葉に勇気をもらったり、
生き方のヒントをもらったりしているようです。
樹木さんのように、それを難なくこなせるようになれば、
きっと、自分だけにとらわれず、
もっと人の為にさらりと楽しく自由に生きて行けるような気がします。

なんて格好つけて言ってはみたものの、やっぱり白髪もほうれい線も気になるわ~。

まだまだだなと、思い知らされます。

[Okei]

死にたいヤツは独りで死ねよという暴言

川崎市登戸の路上で児童ら19人が相次いで殺傷された事件。

この事件は、朝、子供がスクールバスを待っているところに、
突然、包丁を持った男が現れて、児童ら19人を切り付けたというもので、
前途ある外務省職員と女子児童が犠牲になった実に痛ましい事件でした。
また、その凶行は30秒ほどの短時間で行われたことから、
その、吹き矢の如く、避けようのない感じも世間を震撼させました。

この事件では、犯行後に犯人も自ら首を切って絶命しており、
犯行が、いわば、「自殺の道連れ」のように見えることから、
ネット上では早い段階から犯人への非難が殺到しました。
曰く、「死にたいなら人を巻き込まずに自分だけで死ね」とか、
「死ぬなら迷惑かけずに死ね」とか、
なかなかに強い表現も見受けられました。

私はげんなりしています。
日本人って、こんな感じだったかと。


もちろん、この事件は痛ましい事件で、
犠牲になった方には何の落ち度もなかったわけですから、
犯人側にどのような事情があったにせよ、
凶行に及んだ事実は許されるものではありませんし、
その理不尽に憤る気持ちは私にだってあります。

しかし、です。
「死ぬなら迷惑かけずに死ね」というのは、どうなのでしょうか。

少なくとも私は、学校では「命は大事だよ」と教えられ、
通夜や葬儀では「生かされている大切な命」と諭されてきました。
そうやって育てられてきた私には、
「死ぬなら……死ね」という価値観は、ありません。
生かされている命であるとするなら、
「死ぬなら……死ね」という発言は、
神様のみに許されているのではないのでしょうか。

私には、神様のみに許されている発言を人間がすることに、
「何? みんな、神様のつもりなわけ?」と、違和感を持ちますし、
もっと強い言い方が許されるなら、
「命は大事」と「死ぬなら……死ね」が、同じ口から語られることに、
違和感というか、大人に対する欺瞞を感じるのです。

古今東西、このような凶行を行う犯人は、
「こんな生きにくい社会は間違っている」というような、
社会に対する一方的な義憤に駆られている場合が多いようで、
彼らは、“必殺仕事人”よろしく、
社会に天誅を下すような気分で犯行に及ぶケースが多いのだそうです。
だとすれば、この手の事件をこれ以上発生させないために必要なことは、
「死ぬなら……死ね」という冷たいメッセージではなく、
「困っていたり、辛いことがあるのなら、社会は助けてくれるよ」という、
温かいメッセージだと思うのです。
いや、実際に社会が助けてくれるかどうかは問題ではありません。
しかし、追い詰められて凶行に及ぼうとしている彼らに、
それを思いとどまらせる程度の温かさがあれば、それでいいのです。

川崎市登戸の事件の犯人は、
なにも、世界で唯一の、特殊な攻撃性を持った人物ではありません。
あのような人物は、世界に唯一の存在ではなく、
それなりの確率で存在して、社会生活を営んでいます。

そういう人物に対して、もしかしたら社会に憤ったりしている彼らに対して、
「死にたいなら人を巻き込まずに自分だけで死ね」という言葉は、どう響くでしょうか。
やはり社会は何もしてくれない、自分を責め続けるこんな社会は間違っている、と、
より、“必殺仕事人”気分を募らせるかもしれません。
仮に、犯人に向けられた「死ぬなら……死ね」という冷たい言葉だったとしても、
当人のほかにも、犯人と同様の想いを持つ別の人物にも届くでしょう。
そうすると、やはり社会は何もしてくれない……と、
寝た子を起こすようなことにもなりかねないわけです。

言うまでもなく、彼らの“必殺仕事人”気分は間違っています。
なぜ、そんな間違っている者に配慮せねばならぬのか、と思うかもしれません。
しかし、彼らの主張がいかに理不尽で一方的な理由であったとしても、、
そう思ってしまう人々がいることは事実だし、
その一部が凶行に及ぶのであれば、阻止しなければなりません。

この事件の犯人は50代の引きこもりの男でしたが、
その少し後に、元農林水産事務次官の父親に刺殺された息子も、
50代の引きこもりの男でした。
50代の引きこもり、怖っ!と思いますが、
そもそも、昔は50代の引きこもりなんていませんでした。
近所付き合いとか親戚付き合いとか、社会が許さなかったですから。
いま、どのような価値観も自由ですという世の中になりましたが、
そうやって、引きこもるも自由、自殺するも自由ということになってきた結果、
鬱屈した人物が社会に潜在するリスクは高まってきていると言えます。
そういう鬱屈した人物が、負の感情をぬぐえず、
最終的に猟奇的な事件を起こすケースが後を絶たぬのですから、
挫折して引きこもりやすい社会になっていることが問題でしょう。

そこを何とかするほうが大事なのではないでしょうか。

もともと犯人の目的が自殺であったとして、
関係のない人を道連れにしたことは正当化はできませんし、
その部分を糾弾されることは当然の報いだとは思います。
ただ、50代の犯人の、もともとの目的が自殺であったのであれば、
そのような目的を抱いたプロセスに注目し、
悩みや憤りなどを解消してあげないと、事件は防げないでしょう。
そのことが、「死ぬなら……死ね」という神の如くの批判を加えるよりも、
ずっとずっと大事なのではないかと思うのですが。

[SE;KICHI]

和歌山ラーメン

先日、出張で和歌山県に行ってきました。
ほぼ1週間滞在し、工事に従事してきましたが、なんといっても楽しみなのは食事です。
和歌山県と言えば、みんな、
有田みかんや南高梅、醤油を思い出されることが多いかと思います。
しかし、私が真っ先に思いつくのは、
ご当地ラーメンのはしりである和歌山ラーメンです。
出張に行く前から、どのお店に行こうかと楽しみで仕方がありませんでしたね。

私、出張先(遠いところ)では特に地元のご当地グルメを食べたくなる性質でありますが、
特にラーメンは格別無常な好物と捉えておりますので、
今回の出張は”最高の組み合わせである楽しみ”があったわけです。
(ちゃんと仕事もしてますよ!)

〈地元富山県ではラーメン雑誌に載るお店は網羅しましたし、
B級グルメや食堂にも興味が尽きず、
調査するように日々新しい店に入ってみています。
ラーメン好きなんです。〉

泊まったホテルに「和歌山ラーメン味めぐりマップ」なる、
主要店を網羅した地図と写真の入った、楽しそうな冊子を見つけました。
それを片手に街へ繰り出したわけですが、
今回はその中から美味しかったものの、一部書いてみました。

『和歌山ラーメン味めぐりまっぷ』

まず大前提として、和歌山ラーメンは和歌山県北部の大衆食堂などで提供される、
豚骨醤油味がメインの”中華そば”です。
小ぶりなどんぶりに細めんストレート、
薄小さいチャーシューにメンマ青ネギ、ピンクと白のかまぼこが鉄板具材です。
(戦前戦後、駅前などで多数出店していたのがルーツだとか。)

そこからさらに細分化すると、大きく二つに分けて、
あっさりの【しょうゆメイン】と濃厚な【とんこつメイン】に分けられます。

しょうゆは黒めの醤油に豚骨をじっくり煮込んでいくスタイルで、
かつて路面電車の車庫前で営業していた”丸高”というお店が発祥の系統です。
ので、大半が“丸〇”と名乗ってのれん分けした、この系統の味になっています。
対してとんこつはドロドロになるまで豚骨を煮込んで、
後から醤油を足していくスタイルで、煮込みすぎの失敗から生まれた偶然の産物です。
臭みがあり、獣臭いのが苦手な人はダメでしょう。
(筆者は刺激臭がきつすぎて泣いている人を見ました。)
しかしながら、
今日の和歌山ラーメンを全国区に押し上げた系統のラーメンであることは確実で、
和歌山に来たなら一度は食べておくべき味と言えるでしょう。

井出商店・・・【とんこつメイン】

今日における、おそらく和歌山ラーメン中最も有名なラーメン店です。
このラーメン店が、先述の偶然の産物から生まれた源流の店であり、
和歌山に来たならと、
多くの行列を作っている最大人気店と言っても過言ではありません。
お土産コラボ商品もたくさんありますし、芸能人も多く来ています。
(L'Arc〜en〜CielのHydeも地元とあってよく来ているみたいです。)

井出商店
井出商店 メニュー 井出商店 外観

見た目ほど重くなく、量もちょうど良い感じであり、
意外にもあっさり食べれました。
臭みが少しありますが、気になりません。
開店前から並んで入りましたが、
狭い店内があっという間にいっぱいになるほど盛況しています。
初見の方には、一度は行って頂きたいと思います。
美味しいですよ!

まるき・・・【しょうゆメイン】

まるき
まるき メニュー

最終日前の夜に、弊社社長と一緒に行ってみました。
実は前回和歌山に来た時にも、同系統の店には行ってきましたが、
ここのしょうゆは特に美味しかったです。
臭みはなく、あっさりでいて濃すぎることもない、バランスの取れた味です。
麺も先述の井出商店よりしっかりとしていて食べ答えがあり、
かつ多すぎることもないので、夜ながらスッキリ食べることができました。
丸〇という暖簾分けしたシリーズのお店であり、
ほとんどはこういった味の店であります。
これはおすすめですよ!

お気づきの方もおられると思いますが、
和歌山のラーメン屋には、
もれなく早寿司という笹で包んである、小さな笹寿司があります。(中身は様々です。)
ゆで卵に加えて、置いてあるメニューはこれらだけのシンプルなもので、
欲しい人がセルフで取って食べ、精算時に自己申告するというものです。
これも和歌山ラーメン文化の特色で、他県にはないものと言われております。

私は食事に行った際、外食でそれも初訪問の際は、
必ず料理の写真を携帯に収めています。
何かに載せるのか?と笑われますが、
別にインスタグラムなどSNSへ積極的に投稿しているわけではありませんので、
単なる記憶と記録の為です。
(知り合いから聞かれたときに見せたり、前回来た時食べたものと被らないように等。)
しかし食べログのレビューのように、
とても印象に残りましたのでついつい書かせて頂きました。

和歌山の人は美味しいラーメンがあって羨ましいです。。
ごちそうさまでした!

こんなんだから、胃腸を痛めるのです。バカモノです。
それでもラーメンマップにチェックを付けて、
さあ、次に和歌山へ行った際は、どこの店にいこうかな?!
と、既に目標店を定めてしまっている私です。

[K.K]

豊田綱領にシビれるっ!

3年前の実にくだらない記事でしたが、
例年、夏は暑いから静岡の別荘地で過ごすことが多いのだと書いたところ、
思いがけず、その部分の反響が大きく、
「なんで静岡なのか」と、そこそこの件数のお問い合わせをいただきました。

まぁ、ひとつは気候がいいから、です。
ここまで酷暑になってしまうと、もうどこでもいっしょですが、
湖畔などでは涼しく、過ごしやすい感じがします。

もう一つはですね、
私が、この地区出身の豊田佐吉さんのファンだからです。
ご生家なども遺されていて、感慨深いのです。

豊田佐吉翁

握手券が手に入るなら、20枚くらいはCDを買うかもしれません。
まぁ、それくらいのファンです。

さて、豊田佐吉さんを敬愛する私は、
ときどき、名古屋駅近くにあるトヨタ産業技術記念館を訪問します。
そこは、1918年に豊田紡織株式会社の創立総会が開かれた地、
つまりトヨタグループ発祥の地で、今年は発祥から100年ということになります。

トヨタ産業技術記念館

豊田佐吉先生は、貧しい大工の生まれなのですが、
本をたくさん読み、周りをよく観察してニーズを探り、
23歳でトヨタ式木製人力織機を発明して以降、
生涯において84件もの発明特許、13件の外国特許、
35件の実用新案を生み出した偉大な発明家です。
私は、この、貧しい大工から、智慧を蓄えて形にするところが特に好きですね。
果たして自分は、考えに考えを重ねて、
世界一の価値を生み出そうとしているだろうか

考えさせられます。

佐吉先生の作った自動織機は実に優れていて、
世界中からその特許を買う交渉が持ちかけられます。
普通は売り惜しみそうなもんですが、
佐吉先生は、これからは自動車の時代が来ると踏んでおり、
あっさり売却して、その売却益を自動車の開発にあてます。
これが、現在まで続いているトヨタ自動車ですね。

自動車開発を受け継いだ息子の喜一郎氏も、
外国からエンジンを買ったのでは世界一にはなれぬと、
エンジンの自作にこだわりました。
こうした善なる執念が、現在の強いトヨタ自動車を生んだのでしょう。
私は織物屋でも自動車屋でもありませんが、学ぶところは多いですね。

それにしても、この記念館の規模というか、充実度ったらないです。
展示されているほとんどの機械は動き、実演して見せてくれます。
入館料は500円なのですが、そんな廉価でこれだけ見せてくれるのも、
先人から受け継がれた誇りの賜物でしょう。

トヨタ-繊維機械館 トヨタ-綿から糸を作る実演
トヨタ-ジャカード織機 トヨタ-蒸気機関
トヨタ-自動塗装ロボット

もちろん、自動塗装ロボットの稼働もカッコよくて見入ってしまうのですが、
豊田綱領も私好みでシビれますよね!

豊田綱領

分かりやすくすると、
一、全員で協力し、誠実に働き、国のため社会のために貢献しよう。
一、常に時代を先取りした研究をしよう。
一、派手にせず質実剛健であろう。
一、思いやりを大切にし、家庭的な気風を高めていこう。
一、神仏を尊び、恩に報い感謝で生活しよう。
ってところでしょうか。

説明書きによれば、
この綱領は、1935年に豊田利三郎(佐吉の娘婿)や豊田喜一郎(佐吉の息子)が、
トヨタグループの創始者である豊田佐吉の遺訓をまとめたものです。
どうでしょうか。
すでにもう80年が経過しているものですが、色褪せていないと感じます。

企業は、その存続のために利益を生み続けることが宿命づけられていますが、
その宿命ゆえ、ともすれば利益のことばかり考え、ニーズを忘れがちです。
本当は、ニーズに沿ったサービスを提供できれば、
利益はイヤでも創出されるもの
なのですが、私たちはついそれを忘れます。
少し立ち止まって、自身の事業が正しいのかどうか、
客観的に見る目が欲しいものです。

[SE;KICHI]
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Author:kkseishin
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