『プラテーロとわたし』
頭が悪いのか何なのか、いや、頭が悪いことに疑いはないのですが、
どういうわけか、手元に3冊も『プラテーロとわたし』という、
スペインの詩人 J.R.ヒメネスの詩集があります。
しかも、手前の、同じ表紙の2冊は、伊藤さんというご夫妻が訳した、
中身はまるで同じの2冊です。
どうして買ったのでしょうか、バカですねぇ。

J.R.ヒメネスというと、ノーベル文学賞も受賞しているので、
ことによると、知らぬ方のほうが少ないかもしれません。
この、『プラテーロとわたし』という詩集は、
ヒメネスが30歳ごろに住んだ、モゲ-ルという故郷の町での日常を描いたもので、
138編の詩が収録されています。
タイトルにある「プラテーロ」というのは、ロバです。
小さくてふんわりとした銀色のロバなのだそうです。
「プラテーロ、この小川はすっかり干上がってしまい、
今では、そこを通ってカバーリョスの農園に行けるのだが、
その昔の姿は、色あせた私の古い記憶の中にも残っているんだよ」(『小川』)とか、
「私にとって、秋のはじまりはね、プラテーロ、
日暮れとともに、さむざむとわびしくなる裏庭や中庭や畑の人気もないところで、
ながくよくとおる声でほえている、
くさりにつながれた一匹の犬のように思われるんだよ」(『つながれた犬』)のように、
“私(=ヒメネス)”がプラテーロに語りかけるという体裁で、この作品は進みますが、
印象的なのは、その、プラテーロに対する語りの優しさです。
この時期のヒメネス、
病気療養のために故郷に滞在していたというのもあるでしょうが、
その間、常にそばにいるプラテーロへの視線が柔らかく、温かいのです。
とてもほっこりした気持ちになります。
また、この詩集の秀逸だと思う点は、情景の描写だと思います。
「通りでは、ためらいがちな夕方の太陽が、真っ白い低い軒にさしこみ、
うすももいろのリボンとなって消えて行った。
やがて私たちは、リヤーノスの街道がすっかり見渡せる、
オルノスの柵のところに着いた。
出車は、もう坂を上がってきていた。
濃いむらさき色の雲が、ロシーオスの農園を通り過ぎると、
みどり色のブドウ畑に、やわらかなこぬか雨が降り注がれた」(『ロシーオの祭り』)なんて、
リヤーノスとかオルノスとか、固有名詞はさっぱり分からないのに、
なんだか情緒的な街並みが目に浮かぶ気がします。
「空の方まで赤く照らし出された祭りの町から、
なつかしい素朴なワルツの調べが、やわらかい風にのって流れてくる。
教会の塔は、スミレ色や青や黄色にゆらめく光を背にして扉を閉め、
青白くかたくなに沈黙している。
そして、村はずれにたち並ぶ暗い酒倉のはるかかなたでは、
黄色く眠たげな月が、ひとりぼっちで川の上に落ちかかっている。」(『夜想曲』)など、
私の行ったことのないアンダルシアの光景が目に浮かんで、
もしかしたら、風や音などの、自然の小さな音まで感じられるような気すらします。
私がこの本を初めて読んだのは小学校4年生くらいだったと思います。
当時通っていた小学校には、全校児童が一緒に給食を食べるためのランチルームがあり、
そこが都合よく畳敷きになっていたため、
図書館から持ち出したこの本を、ゴロゴロしながら読んだ記憶があります。
しかし、小学校4年生で散文詩なんて読んで面白いはずもなく、
せっかく読み始めたのに、正直がっかりしたものですが、
年齢を重ね、30歳を過ぎてから再読した私は、その美しさにいたく感動し、
そして、ラストの深さに息を飲みました。
その、問題のラスト。
病気でしょうか、老衰でしょうか、プラテーロはついに死んでしまいます。
ショックを受けたヒメネスは、
彼の死をもって、この詩集を書くのをやめてしまうのですが、
1年後、なぜか詩を書き足します。
その内容というのが、
「プラテーロが死んだあと、あんまり悲しみに暮れているヒメネスを慰めるため、
友人がボール紙でプラテーロに似せた張りぼてを作ってくれました」という話。
第一印象は「しょうもない話だな」と思った私です。
しかし、よくよく読んでみると、
ヒメネスがその張りぼてを書斎に飾っていたところ、
なんと、そのうち、記憶の中のプラテーロよりも、
ボール紙のほうが、プラテーロらしく見えてきた……と書かれています。
一読、私は、“そんなことってあるかしら”と思いましたが、
しかし、なんだか切ないけれど、これは、たぶん事実です。
いや、正確に言うならば、
小学4年生で読んだ時の印象はそんなことってあるかしらでしたが、
人生でいろいろ体験した後、再読したときの印象は、
まぁ、そういうこともあるかもなというものでした。
愛するロバとの愛別離苦のみならず、
人生で、悲しいこと、寂しいこと、泣きたくなるようなことは、いくらでも起きます。
そのときは、この世の終わりのように嘆き悲しみますが、
あんなに悲しかったのに、あんなに泣いたのに、
それをいつまでも記憶できないのが普通です。
しかし、この記憶の頼りなさが、
切なくもあるけれど、人間の記憶の良いところだと思うのです。
記憶がいつまでも残っていると苦しいと言われます。
忘れる能力は、人間が延々と苦しまずに済むよう、
神様から愛ゆえに人間に与えられた性質なのだろうという哲学者もいます。
そう思うと、この作品は人間の深淵を描いていると言えなくもありません。
[SE;KICHI]
どういうわけか、手元に3冊も『プラテーロとわたし』という、
スペインの詩人 J.R.ヒメネスの詩集があります。
しかも、手前の、同じ表紙の2冊は、伊藤さんというご夫妻が訳した、
中身はまるで同じの2冊です。
どうして買ったのでしょうか、バカですねぇ。

J.R.ヒメネスというと、ノーベル文学賞も受賞しているので、
ことによると、知らぬ方のほうが少ないかもしれません。
この、『プラテーロとわたし』という詩集は、
ヒメネスが30歳ごろに住んだ、モゲ-ルという故郷の町での日常を描いたもので、
138編の詩が収録されています。
タイトルにある「プラテーロ」というのは、ロバです。
小さくてふんわりとした銀色のロバなのだそうです。
「プラテーロ、この小川はすっかり干上がってしまい、
今では、そこを通ってカバーリョスの農園に行けるのだが、
その昔の姿は、色あせた私の古い記憶の中にも残っているんだよ」(『小川』)とか、
「私にとって、秋のはじまりはね、プラテーロ、
日暮れとともに、さむざむとわびしくなる裏庭や中庭や畑の人気もないところで、
ながくよくとおる声でほえている、
くさりにつながれた一匹の犬のように思われるんだよ」(『つながれた犬』)のように、
“私(=ヒメネス)”がプラテーロに語りかけるという体裁で、この作品は進みますが、
印象的なのは、その、プラテーロに対する語りの優しさです。
この時期のヒメネス、
病気療養のために故郷に滞在していたというのもあるでしょうが、
その間、常にそばにいるプラテーロへの視線が柔らかく、温かいのです。
とてもほっこりした気持ちになります。
また、この詩集の秀逸だと思う点は、情景の描写だと思います。
「通りでは、ためらいがちな夕方の太陽が、真っ白い低い軒にさしこみ、
うすももいろのリボンとなって消えて行った。
やがて私たちは、リヤーノスの街道がすっかり見渡せる、
オルノスの柵のところに着いた。
出車は、もう坂を上がってきていた。
濃いむらさき色の雲が、ロシーオスの農園を通り過ぎると、
みどり色のブドウ畑に、やわらかなこぬか雨が降り注がれた」(『ロシーオの祭り』)なんて、
リヤーノスとかオルノスとか、固有名詞はさっぱり分からないのに、
なんだか情緒的な街並みが目に浮かぶ気がします。
「空の方まで赤く照らし出された祭りの町から、
なつかしい素朴なワルツの調べが、やわらかい風にのって流れてくる。
教会の塔は、スミレ色や青や黄色にゆらめく光を背にして扉を閉め、
青白くかたくなに沈黙している。
そして、村はずれにたち並ぶ暗い酒倉のはるかかなたでは、
黄色く眠たげな月が、ひとりぼっちで川の上に落ちかかっている。」(『夜想曲』)など、
私の行ったことのないアンダルシアの光景が目に浮かんで、
もしかしたら、風や音などの、自然の小さな音まで感じられるような気すらします。
私がこの本を初めて読んだのは小学校4年生くらいだったと思います。
当時通っていた小学校には、全校児童が一緒に給食を食べるためのランチルームがあり、
そこが都合よく畳敷きになっていたため、
図書館から持ち出したこの本を、ゴロゴロしながら読んだ記憶があります。
しかし、小学校4年生で散文詩なんて読んで面白いはずもなく、
せっかく読み始めたのに、正直がっかりしたものですが、
年齢を重ね、30歳を過ぎてから再読した私は、その美しさにいたく感動し、
そして、ラストの深さに息を飲みました。
その、問題のラスト。
病気でしょうか、老衰でしょうか、プラテーロはついに死んでしまいます。
ショックを受けたヒメネスは、
彼の死をもって、この詩集を書くのをやめてしまうのですが、
1年後、なぜか詩を書き足します。
その内容というのが、
「プラテーロが死んだあと、あんまり悲しみに暮れているヒメネスを慰めるため、
友人がボール紙でプラテーロに似せた張りぼてを作ってくれました」という話。
第一印象は「しょうもない話だな」と思った私です。
しかし、よくよく読んでみると、
ヒメネスがその張りぼてを書斎に飾っていたところ、
なんと、そのうち、記憶の中のプラテーロよりも、
ボール紙のほうが、プラテーロらしく見えてきた……と書かれています。
一読、私は、“そんなことってあるかしら”と思いましたが、
しかし、なんだか切ないけれど、これは、たぶん事実です。
いや、正確に言うならば、
小学4年生で読んだ時の印象はそんなことってあるかしらでしたが、
人生でいろいろ体験した後、再読したときの印象は、
まぁ、そういうこともあるかもなというものでした。
愛するロバとの愛別離苦のみならず、
人生で、悲しいこと、寂しいこと、泣きたくなるようなことは、いくらでも起きます。
そのときは、この世の終わりのように嘆き悲しみますが、
あんなに悲しかったのに、あんなに泣いたのに、
それをいつまでも記憶できないのが普通です。
しかし、この記憶の頼りなさが、
切なくもあるけれど、人間の記憶の良いところだと思うのです。
記憶がいつまでも残っていると苦しいと言われます。
忘れる能力は、人間が延々と苦しまずに済むよう、
神様から愛ゆえに人間に与えられた性質なのだろうという哲学者もいます。
そう思うと、この作品は人間の深淵を描いていると言えなくもありません。
[SE;KICHI]
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