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羅怙羅さん

宇治の手前に黄檗というところがあります。
そこにあるのが黄檗山萬福寺、黄檗宗の本山です。
黄檗宗は、隠元という中国僧によって伝えられた宗派で、
読経は、たとえばオーソドックスな般若心経ひとつとっても、
「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空 …」を、
クァンツサイプサ ヘンシンポゼポロミトス チャウケンウインキャイクン …と、
古い中国語の発音で詠まれるなど、
なんというか、異国感が満載なお寺です。
安置されている仏像も、明朝の彫刻家 范道生による造像で、
日本にはないエキゾチックな魅力を放っています。

まぁ、そのように、そもそも、このお寺の仏像は特徴的なのですが、
なかでも、仏像マニアにとって、このお寺を有名にしているのが、
十六羅漢像です。

羅漢というのは、仏教における最高の悟りを得た聖者のことです。
この萬福寺の場合、御本尊は釈迦如来ですが、
その周囲を囲むように、16体の羅漢像が配置されています。
このお寺は、仏像などの写真撮影が許可されている珍しいお寺なので、写真でご紹介しましょう。

大雄寶殿 本尊 十六羅漢像

羅漢というのは悟っちゃった存在ですから、
細かいことを思い悩んだりはしません。
そういうわけで、羅漢像は無邪気で、ヘラヘラ笑った像が多いです。

羅漢①羅漢②羅漢③

そんな、無邪気なオヤジのような像の中にあって、
ひときわ異彩を放っているのが、畢利颺瞿洲第十一羅怙羅尊者です。
コレです。

畢利颺瞿洲第十一羅怙羅尊者

手ブラ……でしょうか……
もう少し近寄ってみましょう。

羅怙羅 アップ 羅怙羅 接写

!!!
胸の裂け目から仏様が覗いてます!
なかなかシュールなビジュアルですね。

実はコレ、以前にご紹介した『衣裏繋珠のたとえ』を表しています。
それは、どんな人間も、尊い仏性を持っているというたとえで、
ここでいう仏性というのは、仏様のような穏やかな心という意味です。
結局、自他ともに、どんな人間でも、
仏様のような穏やかな心を持っていると言いたいわけです。
実に深遠な仏性の教えなのですが、
その、仏様のような穏やかな心を表現しようとして、
つまり、“心の中の仏”を表現しようとして、
勢いあまって、胸の裂け目から覗く仏の顔を彫っちゃったというわけです。
なんというか、斬新なセンスですが、
体内に仏が住んでいるということを表現したかったということはよく伝わります。

実は、この羅怙羅尊者という人物はお釈迦さまが出家前にもうけた実の子です。
この名は、
サンスクリット語の、「障害 / 悪魔」を意味する「ラーフ」を語源としていて、
つまり、妻の懐妊を知った当時16歳のお釈迦さまは、
誕生を喜ぶどころか「障害である」と捉え、この名を与えたということです。
人生について深く考えていたお釈迦さまにとり、子は出家の障害だったのでしょう。
しかし、羅怙羅尊者は、父からそのように思われていることや、
周囲から仏陀の子として特別視されていることを深く意識し、
決して驕ることなく、人一倍の精進を重ねたと伝えられています。
その結果、自己の仏性を体現する存在となったというわけです。

それにしても、体内に仏が住んでいるというイメージは、
よく考えてみれば、とても合理的だと思うのです。
だって、自分に自信が持てずに苦しんでいる方に対しては、
あなたの中にも尊い価値があるのだからねというエールになるし、
一方で、他人に対する責めの気持ちが止められない人には、
相手の中にだって尊い価値があるのだよという戒めになるわけです。

さて、冒頭にも述べましたが、仏像マニアにとって、
この萬福寺を有名にしているのが十六羅漢像です。
なかでもこの羅怙羅尊者は不動のセンターです。
それはいいのですが、
顔出しパネルまで作っちゃうのは、ちょっとどうなんでしょうか 笑

顔出しパネル

[SE;KICHI]
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自分を素敵に。

最近何かと耳にする人もいるのではないでしょうか。
『骨格診断』『パーソナルカラー』

骨格診断とは、身体の「質感」「ラインの特徴」から、
自分自身の体型を最もキレイに見せてくれる、
ファンションアイテムを導き出すメソッドです。
パーソナルカラーとは、持って生まれたボディカラーを元に、
個人に似合う色を診断する手法です。

先日その両方を簡易的に診断してくれるセミナーに参加してきました。
参加者は10名ほど。
みんな若いのでちょっと気後れしてしまいました。
しかも、『当日は出来ればノーメイクでお越しください』と、
注意書きがあったにもかかわらず、みんなちゃんとメイクしていて、
素直にドスッピンのまま行った40歳はちょっと場違いな感じがしました。
ま、いいんですけどね。

軽くこれらの診断についての説明があり、まずはパーソナルカラー診断から。
一人ずつ目の色や髪の色、質を確認していただいた後に、
壁一面の鏡の前に座り、3人ずつ診断をしていただきます。
パーソナルカラーは大きくイエローベースとブルーベースに分かれます。
診断方法として二種類(イエローベースとブルーベース)の色のクロスを顔の下にあてて、
顔の映りを見て判断します。
面白いことにそれぞれの人がそれぞれのクロスの色で顔色が変わって見えるのです。
素人の私には似合う方の色はよくわかりませんでしたが、
その人に合わない方のクロスの色だと顔色がくすんで見えたので、
こういうことかと納得できました。

問題は自分のことだなと思いました。
実は自宅でも本を買ってセルフ診断していたのです、
が、判断できなかったのです。
(家ではクロスではなく色紙を顔に当ててみてました。)
実際にその場でクロスを当ててみてもらっても、
やっぱり自分ではどちらのタイプなのか分かりませんでした。
でも、周りの受講者の方は、
分かりやすく「あ~⤴^-^」とか「あー⤵((+_+))」とを、
声にだして教えてくれました。
交互に比較すると分かりやすいようです。

次に骨格診断です。
骨格診断は大きく3つのタイプ(ストレート・ウェーブ・ナチュラル)に分かれます。
こちらは見た目と骨部に触れての診断です。
一人ずつ講師の方の前に立ち、触診してもらいます。
後頭部の形や手首、鎖骨などです。
素人目にもわかりやすい方もおられるし、
実際に触ってみないと分からない人もいるそうです。
こちらもセルフ診断済みでした。
でもセルフ診断では質問事項は今一つはっきりと答えが出せないものばかり
(身長に対し手や足が大きい?普通?小さい?とか、何を基準に判断すればいいのか私には難しい・・・)で、
そんな中ででた結果はどれほどの信憑性があるのか、
分かったものではありませんでした。

納得いかないために今回このセミナーに参加したのですが、
見事にパーソナルカラーも骨格診断も、
自己診断とは異なるものを伝えられました。
自分の診断があっていることの確認のために申し込んだようなものなのに、
まさかの大どんでん返し。
客観的な判断をしてもらい、受講してよかったなと思いましたが、
それでも骨格診断に至ってはまだ納得していない部分があります。
だって、私が診断してもらったタイプに該当する芸能人は、
戸田恵梨香さん、壇蜜さん、綾瀬はるかさんなんですって。

私を知る人にとってはオチでしかない・・・(苦笑)。

今回大まかに診断してもらいましたが、
一人ひとり顔が違うように骨格もミックスタイプであったり、
そのベースの色であっても似合わない色もあるそうなので、
これだという型にぴったりとハマるわけではないようです。
自分を素敵に見せるアイテムが、
これだとわかったわけではありません(まだ納得していない私・・・)が、
今後洋服を着る際、買う際には、
ちょっと意識を変えるだけでも素敵な私になるかもしれません
自分で判断できないです私ですけどね。

[Okei]

退任の御挨拶

謹啓 
 春暖の候、皆様におかれましてはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。また、平素は格別のご厚情を賜り厚く御礼申し上げます。
 さて、私儀、このたびの取締役会をもちまして、弊社取締役会長を退任することとなりました。在任中大過なくその任を果たせましたのも、皆様方のひとかたならぬご厚誼の賜物と存じ、謹んで深謝申し上げます。
 末筆ながら一段のご健勝をお祈りいたし、ご挨拶とさせていただきます。
                                          謹白
平成31年4月18日                   安井 寛光

流行りに乗ったとかじゃなくて、昔から好きだったんだってば。

PayPay とか AmazonPay とかの利用が急拡大していて、
最近では、現金決済できない場所も出てきましたね。
経済産業省はキャッシュレス決済を推進していて、
2025年までに40~50%の決裁をキャッシュレスにする目標を打ち出しています。
もはや、キャッシュレス決済は世界の潮流といえるわけですが、
そんなときに飛び込んできたのが、5年後に新紙幣を発行する話。
このキャッシュレスの時代に新紙幣発行って、なんだか不思議な政策です。

それはそうと、新10000円札の肖像画は渋沢栄一に決まったそうです。
このブログでも、以前、ちょっとだけ名前が出たことがありますが、
近代日本経済の父・渋沢栄一は、紙幣の肖像にぴったりのような気がします。
しかし、世の中の渋沢栄一の知名度の低さときたらどうでしょうか。
失礼ながら、農業や漁業などの一次産業に携わる方に聞いたのならともかく、
経済の中枢といってもいい新橋駅前でビジネスマンに聞いたにもかかわらず、
渋沢栄一の知名度はほとんど皆無で、私は本当に驚きました。
ちなみに、弊社の Okei さんに「渋沢栄一って知ってる」と尋ねたところ、
「え? 私物は禁止? 何ですか、それ?」と言っていました。
うふふ、Okei さんの期待を裏切らない回答には恐れ入ります。

さて、決まったといえば、4月に発表された新元号「令和」です。
「令和」は、その出典が万葉集だったということで、
にわかに万葉集ブームが巻き起こりました。
20年ほど前から万葉集に興味を持って学んでいる私としても、
万葉集ブームが起こる日が来るとは思ってもいなかったので、嬉しいことです。

しかし、地味ながらも確実に起きているこのブーム、弊害もあるようで、
4月以降、富山が万葉集の故地であると聞きつけた“にわか万葉集ファン”が、
大勢で押し寄せ、歌碑などが荒らされるということが頻発するようになり、
万葉集仲間でも、手放しでは喜べないねという雰囲気になっています。
私の師匠のT先生も激怒して、自費で看板を作って設置していました。

歌碑。
繰り返しますが、富山は万葉集の故地ということもあって、
歌碑はたくさんあって、県民に親しまれています(と私は思っています)。

歌番号4017 歌番号4022

たとえば、左側の歌碑。
これは富山県射水市の放生津八幡宮というところにある歌碑です。
八幡宮ですから祭神は誉田別尊で、天皇家には関係の深い神社ですが、
746年に、越中守大伴家持が宇佐神宮から勧請したと伝えられています。
歌碑には、万葉仮名で、
安由乃風以多久吹久良志奈呉能海人農釣春流小舟己機隠留見遊」と書かれています。
万葉仮名はひらがなが発明される前の公式表記で、字自体に意味はありません。
1文字1音として、これを読み下すと、
「東風 いたく吹くらし 奈呉の海人の 釣りする小舟 漕ぎ隠る見ゆ」、
つまり、「東風が強く吹いているらしい
奈呉の海人の、釣りをする小舟が漕ぎ進んでいるのが波間に見える」という、
なんというか、荒涼とした水墨画的な風景が浮かび上がってきます。
美しいですよね。

たとえば、右側の歌碑。
これは富山県富山市の鵜坂神社の裏手にある歌碑です。
宇佐可河泊和多流瀬於保美許乃安我馬乃安我枳乃美豆爾伎奴奴礼爾家里
と読めますね。
「鵜坂河 渡る瀬多み この我が馬の 足掻きの水に 衣濡れにけり」ということで、
「鵜坂川には渡る瀬がいくつもあって、
この私の馬の掻き上げる水しぶきに、着物がすっかり濡れてしまった」という、
こちらは躍動感あふれる情景が思い浮かびます。

詠んだ大伴家持は奈良時代の貴族で、国司として富山に赴任していました。
つまり、単身赴任というわけで、
基本的に、任地である富山の風景の美しさを詠んだ歌が多いわけですが、
単身赴任ゆえに…という感情を詠んだ歌もあります。

歌番号4020 歌番号4002

故之能宇美能信濃乃波麻乎由伎久良之奈我伎波流比毛和須礼弖於毛倍也」。→写真左
この歌は「越の海の 信濃の浜を 行き暮らし 長き春日も 忘れて思へや」ということで、
つまり、「越の海に沿った信濃の浜を一日歩き暮らしたが、
この長い春の日、片時も都の家族を思わずにはいない」という意味です。
風景の描写は抑えられ、都に残してきた家族への思いが詠まれています。
それにしても、この歌碑は魚津市の海岸にあるのですが、
これを揮毫した高瀬重雄という方は実に親切で、
同じ歌碑に書き下し文も彫ってくださっています。
高瀬さんは、歌番号4002の、大徳寺にある歌碑も揮毫されていて、
そちらも、やはり書き下し文も彫ってくださっています。→写真右

どう思われますでしょうか。
私は、実は、強風で揺さぶられる釣り船を見ても、
水しぶきで着物を濡らしている様子を目にしても、
あまり心が動かされるタイプではありません。
しかし、もともとメディテーションのようなことは得意な私、
必ずしも感性が腐っているということではなく、
単なる、関心領域の傾向性ということだろうと自負しています。
つまり、光景そのものではなく、それを見た人がどう感じるのか、
人の心情に興味があるのですが、
そんな私からしてみれば、家持の情景を詠むセンスは秀逸と感じます。
もちろん、父(大伴旅人)や叔母(大伴坂上郎女)の影響もあるでしょうが、
都から遠く離れた赴任地で伸びやかな感性が花開いたのだなと、
鵜坂の川とか越の海とか、
同じ景色を見ながら感慨深く感じます。

ところで、富山は万葉集の故地ということで、
もともと、図書館などに万葉集コーナーなどが常設されていることも多く、
私たち万葉集マニアは普段からそういうのを重宝しているのですが、
最近は、そういうコーナーを利用すると、
「あぁ、元号のアレで、万葉集、流行ってますからね ニヤリ」と、
司書の方から声を掛けられることが多くなりました。
本当は20年モノのマニアなのですが、
ブームに乗ったと思われているようで、少し恥ずかしいです。

[SE;KICHI]

孫子の兵法

こんにちは、先日再び胃腸系の疾患で入院を余儀なくされた、器官弱兵野郎です。
2年前にも虫垂炎、昨年はインフルエンザにかかってしまったものですから、
私にとって3月は毎度警戒すべき呪われた月になっています。
入院中時間があったものですから、以前よりYouTubeなどで鑑賞していた、
2007年の大河ドラマ「風林火山」のいくつかのシーンを観ていました。
これについてはどこかのタイミングで触れたいとも思っている、
好きな大河ドラマの1つでありますが、それは置いておいて、
ドラマ中で登場する武将や軍師たちが度々兵法について語り、
これ見よがしにお披露するもので、テロップまで付いてくるもんですから、
耳に残ったりしてしまいます。

風林火山
http://blog.livedoor.jp/umiyamaniji/archives/71976228.html

その中でもやはり印象的なのは、
古代中国の戦略家孫武による「孫子の兵法」でしょうか。
まあタイトルそのものが、それに由来するのは皆さんご周知の通りでありますし、
有名な軍学書であることは古今東西、言わずもがなであります。
(まあ読んだわけではないので、全く偉そうなことは言えませんが・・・。)
ドラマの中でもやはり多用されていましたが、これが特に残りましたね。

「勝兵は先ず勝ちて而(しか)る後に戦いを求め
敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む」


【現代訳】
「勝つ者は、先に勝ってから戦い
負ける者は戦ってから勝つ方法を模索する
勝敗は戦う前から決まっている」

とても有名な文言ですね。
1度は聞かれたことがあるかと思いますが、
これはつまり何を言いたいかと言いますと、
「事前にしっかりと準備を整え、
勝てると思える戦いに無理なく自然に勝つ事、これが肝要である」ということです。

しっかり調べ、備え、ともすれば剣を交えることなく戦に勝つ。
これは古来より、
様々な戦国大名(謀将甘子経久、武田信玄の軍師山本勘助、宇佐美定満、竹中半兵衛、黒田官兵衛等)らにも、
調略や実戦での作戦といった形で用いられてきました。
(全員がこれを用いたかは別として、共通する目的感といったとこです。)
また現代社会においても、
人気漫画「キングダム」、啓発本や哲学書でも様々多用されている気がします。

さらにこれは、現実生活にまで落として考えると、
仕事の段取りと捉えることができると思います。
仕事の段取り次第で、
やる前から9割は終わったようなものだと言われたりします。

まさに兵法で言うところの“無理なく勝つ為の事前の準備”といったところでしょうか。

世の中多様に仕事はありますが、
何かしかのゴールがあって、その為にどのようにして進め、
何を目的としているのかを考えながら、計画的に進めていく。
目的目標を明確にし、期日を設け、
優先順位の高い事柄を優先しながら然るべき手を打っていくことが大事だ
と、
若者向けのコラムにもありました。

またこれは天性ではなく、しっかりと訓練を行えば身についていくとも。

私はこの段取りが下手です。
以前の職場でも同じことを言われました。
また弊社においても、仕事の段取りはとても大切であると説かれます。
特に現場で工事なんかしてると、
てきぱきと段取りを組んで作業するM.MさんやWAKAさんは仕事が早い為、
余裕ができ、他の物事にもよく耳や目が届き、さらに良い仕事をされています。

鏡であり、凄いな~と思っているだけでは駄目ですし、
それと比べたら自分にはできないと卑屈になるのも違いますが、
そう簡単にも真似はできません。
ただ、訓練で先輩たちも身に着けてきたならば、自分にもできると信じ、
目や動きで盗んで、実践し続けていこうと思います。
思えば先日入院した原因である胃腸系の疾患は、
2週間無休で働き続けたことによるものが遠因になっていると言われましたが、
突発的なお客様への対応は仕方ないとしても、
段取り良く準備して行っておけば避けることができたのではないかと、
今更ながら反省しているところがあります。

孫子の兵法
http://www.g-rexjapan.co.jp/ishikawahironobu/archives/1754

ともあれ、冒頭の文脈とはズレてきましたが、
先人や先輩たちの”兵法”から学んで、身に着けていきたいと思います。
時には競争にもなるかもしれません。
戦国時代と違った形で戦うことになる社会において、
事前に準備を整え、無理なく勝つ為=結果を出す為にも、
大事な実践学として、気付かせ教えてくれます。
勉強になります。

[K.K]

にくきもの

枕草子の第28段は有名な「にくきもの」という段で、
そこには、「にくきもの(=憎たらしいもの)」がいろいろ挙げてありますが、
物うらやみし、身の上嘆き、人の上言い、
つゆ塵のこともゆかしがり聞かまほしうして、言ひ知らせぬをば怨じそしり、
また、わづかに聞き得たる事をば、われもとより知りたる事のやうに、
こと人にも語りしらぶるもいとにくし。

と書かれています。
これはつまり、他人を羨んで自分の身の上を嘆き、
人の噂話をし、根掘り葉掘り聞きたがって、教えてもらえなければ逆恨みまでする。
また、ちょっと耳にしたことを、知ったふうに他人に話して聞かせる。
こういうのは、たいそう憎たらしいものだ
……ということですね。
枕草子といえば平安時代中期の成立ですが、
作者の清少納言の視点には感心させられます。
だって、この「にくきもの」に挙げられているようなバカ者、現代にもいますもんね。

さて、先日、知人が家族旅行で台湾に行ったそうです。
それも秘密裏に。
なぜ秘密裏なのかというと、嫉妬を受けるかもしれぬからとのこと。

う~ん。
秘密で行くなんて水臭いなぁと思う反面、
嫉妬を気にして発言に気をつけねばならない社会って、どうなんでしょうか。

私は、幼いころに聖書の『第一コリント13章』に触れ、
そこで説かれている「寛容で親切であれ。人をねたむな。自慢せず、高慢になるな。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、
怒らず、人のした悪を思うな」という教えを、わりと大切にして育ってきました。
そして、それは、濃淡はあっても、みんなそう思ってるだろうと思っているため、
実は、嫉妬という感覚がよく理解できません。
私自身も含め、人間、嫉妬はないとは言いませんが、
そもそもポジティブな感情ではないので、各自が自制するものであって、
不用意に嫉妬を撒き散らすことはないだろうと思っているのです。
だから私も、誰かに嫉妬することは少ないし、
逆に、自分が嫉妬されることもないだろうと思っています。

私が長く教わり、肝に銘じてきたのは、
もし、誰かの行為(旅行など)に対して、自分が「いいなぁ」と感じたとしても、
その人は、何かズルをして労なくして実りを手に入れたわけではなく、
相応の努力(旅行であればせっせと資金を積み立てたとか、
仕事を融通して休める日を捻出したとか)を重ね、
その結果を手に入れたのだということです。
だいたい、経済状況から名誉や健康に至るまで、
すべての結果は、当人の努力によって成り立っているのであって、
努力して手に入れたものへの嫉妬はお門違いというもので、
むしろ、その努力に対して「よかったね」と『祝福』を与えるべきでしょう。

また、嫉妬というか、羨ましいという感覚は、それが自分の理想像でもあるということですよね。
先を越されて悔しいとか、そういう感情でしょう。
そうであれば、自分も、その理想に向かって努力精進しよう!と決意するべきであって、
妬んだり、嫌味を言ったりすることは、自己の理想像の否定することになります。
それって、自分にとっても損なことであると言われています。

ちょっと理屈っぽくなってしまいましたが、
だいたい、嫉妬って、なんのためにするんでしょうか。
嫉妬している本人は、嫉妬している状態が楽しいんでしょうか。
嫌味を言っている人は、誰のためにそれを言っているんでしょうか。
誰もハッピーにならないなら嫉妬なんてやめたらいいし、
誰も喜ばないなら嫌味なんて言わなかったらいいんです。

「あらあら、ご家族で海外旅行だなんて、優雅ねぇ」と言うとき、
そのあとに続くのは、「ウチなんて、とてもとても無理ですわ」という言葉。
これは、一見謙遜のようにも聞こえますが、
結局、相手をハッピーにしない言葉だし、
自分には無理だという自己暗示をかける言葉です。
昔から「つぶやく者の恋は成就しない」というでしょう、
意図もないのに「とても無理ですわ」とか言っていると、
本人の望み通り、ハッピーは遠ざかっていくに違いありません。

しかし、私自身はよく理解できていない嫉妬ですが、
体感的に、世の中には嫉妬の気持ちを持っている人が多いことは知っています。
冒頭の家族旅行の彼も、嫉妬を警戒して発言の抑制を強いられているわけですから、
事実、その潜在的な影響はかなり大きいようです。

軽く想像してみましょう。
いま、旅行者が、嫉妬を気にして旅行したことを公言しにくいとします。
それでは、何だったら公言しても大丈夫なのでしょうか。
おそらく、家もクルマも家電も、何か高額の買い物をしたことは秘密でしょう。
相撲や歌舞伎を観に出かけたり、有名な美術展を鑑賞に行ったり、
被災地に寄付したようなことも公言してはいけないことになります。
そうすると、人に公言できるようなことはほとんどなくなり、
昨日、コンビニでパンを買って食べましたくらいの、
意味のない体験談しか言えなくなります。
結果、努力によって手に入れたものについて、話すことができなくなります。

努力によって手に入れたものについて、話すことができない社会とはなんでしょうか。
それは、昔ならソビエト、今なら北のアノ国みたいな感じでしょう。

だいたい、私自身の感覚に従えば、
“スペイン周遊8日間”などであれば、いま調べたら 1人38万円ほどらしいので、
それは、もしかしたら嫉妬を受けるかもしれないとは思うのですが、
台湾なんて、下手な国内旅行よりも安く行けるというのに、
それでも、聞いた側が嫉妬することがあるとすれば、
それは内容と関係なく、もはや、嫉妬すること自体が目的化しているということでしょう。
果たして、それのどこが楽しいのでしょうか。

誰かの話を聞いて羨ましいと思うことは自然ですが、
次のステップとしては「アタシも頑張ろうっと」などと決意するのが上策であり、
本当に、そう決意した人が努力すれば、同じ結果を手に入れることができるわけです。

寝言みたいな話ですが、みんながみんなそのように行動すれば、
社会はもっと良くなり、豊かになると思うのです。
一方で、みんながみんな嫉妬して、努力した人の嫌味を言うようになれば、
成功者になりたいと思う人はいなくなってしまいますし、
成功者になりたいと思う人がいなくなってしまえば、
全員一律、突出するものがいない社会になってしまいます。
一億総中流などと言って、日本人はそういう環境を好みそうですが、
牽引する者が不在の社会は、早晩、停滞します。
つまり、嫉妬は社会を停滞させると思うのです。
そう思えば、嫉妬というのはかなりの害悪ですよね。
その害悪を目的にしている心の動きが自分にあるとすれば、
日本の未来や子供たちの未来を思った時、厳に慎むべきです。

いいですか、日本の未来をダメにするのは嫉妬です。
人の成功話を聞いて、嫉妬の気持ちが沸く人は、
自分が日本の未来をダメにする活動をしていると自覚しましょう。

『ヘブル人への手紙』によれば、
私達が嫉妬心を抱くのは、
神様が下さったものに満足していないときであると言います。
なるほど、自分に与えられたものではなく、他人に与えられたものばかり見て、
「神様はなんだか不公平だなぁ」とか思っていれば、
そりゃ、嫉妬するようになりますよねぇ。

嫉妬の反対は祝福です。
みんなが祝福のマインドで他者を肯定し、
家族で旅行に行った話や念願のクルマを買った話を気兼ねなくできる社会こそ、
日本の繁栄のためには不可欠だと思います。

[SE;KICHI]

『七つの習慣』 後編 ~道のりは長いようです。

私にはかなりの文字・ページ数で、読むのに時間がかかってしまいました。
そうすると、また最初のほうを見たりして、
また時間がかかってしまいました(汗)

第4の習慣のところで信頼の上でWin-Winの人間関係を築いていく。
信頼しあっていれば心を開けるとあり、
自分では心を開き話しているつもりでいたので、
単純に納得して読み進めていると、
第5の習慣のところで「共感による傾聴」があり、
私は話を聞いているふりをして、
自分の思い・意図を押し付けているのではないかと感じました。
聞きながら次に言おうとすることを考えているし、
ネガティブな発言にはすぐに反応して遮っていたようにも思います。

話を聞くのではなくコントロールしようとしていたのだと、
気付かされました。
これでは本心から語ることはできないでしょうし、
言い含めようとしていると感じ、
上面の話だけになってしまうかもしれませんね。

「まず理解に徹する」そこが私には足りていなかったと。
ショックでした。


第6の習慣では「シナジーを創り出す」ことについてでした。
私はその前の習慣ができていないのでしょうから、
道のりは長いと感じましたが、
私はみんなで一緒に少しでも高い目標に対し、
協力しあいワッとなるようなものを勝手に理想としているのだと思います。

上手く表現ができませんが、
前職の製造業やスポーツでも感じた、壁を乗り越える感じですかね。
そうすることで会社の目標に対してもですが、
各個人のやる気とか達成感とか色々な変化があり、
充実した感じになるのではと勝手に考えていたのですね。

今は営業職であり、各々がお客様担当を持っています。
わからないことがあれば協力しあいますが、
一緒に行動するわけではありませんから、
一体感というのは表現的には少し違うかもしれません。

でも、先にも書いたように、
向かう先が同じであればそれで全体的に良い方に向かうものだと。
やる気スイッチ的なものも押してないのに思っていました。

そこを改めながら良い方向に話ができるようになり、
組織の刃も研げるようになれればと思います。

道のりは長いようですね。

[WAKA]

6度目のピンチ

いよいよ平成が終わり、次は「令和」だと発表されましたね。
昨秋にも、漢籍の古典から採るのもほどほどにしてもらいたいと訴えていましたが、
今回の出典は万葉集とのことで、実は密かに喜んでいる私です。

日本という国の特徴は、天皇が宗教の主宰者であるということです。
以前にも触れましたが、
ボーっと生きていると、
天皇って、たまに姿を現して手を振る人だよねと思うかもしれませんが、
本来の天皇とは、国家の安寧を願う祈りの主体であり、
そのことこそ、皇室が別格の権威を保持している理由です。
つまり、代々続いていることは間違いないことですが、
当主自身が宗教を主宰しているという点において、
老舗の旅館とか造り酒屋などとは明らかに違うのです。

さて。
あと数週間で、皇太子さまが新天皇として即位され、
秋篠宮さまさまが皇嗣殿下となられますが、
その後の展望はどうなっているんでしょうか。
単なる老舗旅館の跡継ぎ問題であれば私には関係ないことですが、
日本全体の祈りをつかさどっている家の後継問題ですから、
私にもいくらかの関係があるわけで、注目しています。
現在12歳の悠仁親王が成人される頃、日本と皇室はどうなっているのでしょうか。

8年後ですから、愛子内親王も眞子内親王も佳子内親王も、
女性皇族は結婚なさって皇籍を離れていらっしゃるかもしれません。
さすがにそれまでに誰かが何か手は打つだろうとは思いますが、
下手をすると、悠仁親王の周辺に、同世代の皇族が誰もいないという事態もありえます。
しかも、それは、遠い未来のことではなく、
たった8年後くらいには現実味を帯びてくることです。

もっと言えば、そのまま、現状のまま手を打たずに推移すれば、
悠仁親王が天皇として即位する頃、
ご自身の結婚相手を除いて、皇族が誰もいなくなるかもしれません。
仮に、その結婚相手が多くのお子を産んでくだされば安心ですが、
その間、皇統は細い糸一本で繋がれているような、心細い状況です。
つまり、いま、私たちは譲位を慶事として寿ぎ、なんだか浮かれていますが、
本当は皇統の危機なのです。

この危機は、皇統マニアのあいだで、密かに「6度目の危機」と呼ばれています。
すなわち、歴史上、直系の継嗣がいないなかで皇位継承した、
継体(第26代)光仁(第49代)、光孝(第58代)、後花園(第102代)、光格(第119代)の、
各天皇に続く6回目のピンチというわけです。

前回のピンチは光格天皇の即位時だったわけですが、
この天皇は、皇統マニア(というか、皇室儀式マニア)において、ピンチ以外の点で、
特に重視されている天皇です。

というのも、私が、天皇の役目として最も重要だと思っている新嘗祭は、
実は300年ほど断絶されていたものを、
光格天皇が、天皇自身の親祭も含めて本格的に再興したものなのです。
また、昨年、秋篠宮の発言によって注目された大嘗祭は、
新天皇の最初の新嘗祭のことで、これは皇室最大の祭祀なのですが、
これも、200年ちょっと断絶していたものを光格天皇が再興したものです。
つまり、いまある祭祀を古式にのっとり正統に復活させたのが光格天皇なのです。

彼は、皇室の責務は宗教の主宰者であることと心得、
天皇としての人格の陶冶に努めつつ、儀式の再興に尽力したという人物です。
そんな彼が、前述の通り、皇統断絶のピンチの中から生まれたというのが、
私には、とても興味深いのです。

光格天皇の先代・後桃園天皇は、生後10ヶ月の女児だけを遺して崩御し、
後継者探しで浮上したのが、傍流・閑院宮家の第6皇子である祐宮でした。
まだ9歳ながら、背に腹はかえられず、
彼が光格天皇として即位したわけですが、
その後の活躍は前述のとおり。
傍流出身であるがゆえに、より理念的な天皇像を追い求めたに違いないと思うのです。

日本の皇室は、この先どうなるのでしょうか。
それは、日本の祈りはどうなるのでしょうかという意味です。
細い糸でかろうじて繋いでいる皇統ですから、
何代か後、もしかしたら、傍流からの皇位継承が現実化するかもしれません。
そのことは致し方ないことですが、
この機会に、日本人全員、祈りとしての皇室の存在意義や、
来し方行く末を考えたいものだと思います。

テレビなどでも、「平成最後の!」とか言って、浮かれまくっていますが、
そんな呼び名の問題なんかより、今後どうするか、もっと考えないといけません。

[SE;KICHI]

理想のリーダー、リーダーシップについて。

先日、プロ野球選手であるイチロー選手が第一線から引退することを表明しました。
野球に関心のない私ですが、この方は別格に凄い人物であると感じております。
今までに何度もイチロー選手の活躍・実績というものをニュース等で見てきました。
野球に詳しくない私にとっては、
イチローは野球界のリーダーという存在に感じております。
レジェンドに近いかもしれませんが。
もちろん長嶋 茂雄さん、王 貞治さん等、様々なリーダーがいると思います。
人によって、「リーダーといえば」という部分は違ってくると思います。
今回はそれぞれのリーダーに必要なリーダーシップについてのお話をします。

まず、リーダーシップの定義についてですが、
「指導力・統率力」などと表現され、
ある一定の目標達成のために個人やチームに対して行動を促す力のことです。
具体的なポイントを言いますと、
・目標達成のためのビジョンを示す
・ビジョンが実現するように、メンバーのモチベーションを維持しながら励ます
・ビジョンを実現するにあたって問題となる部分を解消する
この3つが挙げられます。

皆様の周囲にもリーダーはいると思います。
会社・学校・クラブ活動・町内会・友人関係、
リーダーが存在するカテゴリを挙げたら他にも多く思い浮かぶことでしょう。
皆様が思い浮かんだリーダーの方は、
上記の3つを実行できているでしょうか。

シンプルに見えて実は簡単ではないことだと思います。
この3つについて個人的に感じていることを書いてみたいと思います。

・目標達成のためのビジョンを示す
まず目標を定めることから始まります。
それぞれのチームによってこの目標は異なると思いますが、
これは個人の目標ではなくチーム全体の目標となります。
目標は立てるだけなら簡単かもしれませんが、
それを実行できるように具体的なビジョンをチームメンバーに示す必要があります。
それぞれのメンバーに理解してもらう必要が出てきます。

・ビジョンが実現するように、メンバーのモチベーションを維持しながら励ます
目標は立てた、ビジョンも示した、となれば、
あとは目標達成のために実践していきます。
チーム目標達成に至るまでに、
全てが順調にいくということはほぼないと思いますので、
人によってはモチベーションが低下すると思います。
これを維持するのもリーダーの大事な役割です。
そんなの個人のやる気の問題、という意見もありそうですが、
この場合は違います。
リーダーの示したビジョンを基準として努めているからです。
チーム全員を見ていく必要があるので、
単純に褒めればいい、叱ればいいということではありません。
何も教えないリーダーも実際に多くいるとのことです。

・ビジョンを実現するにあたって問題となる部分を解消する
先程、目標達成に至るまでに順調にいくことはほぼないと書きましたが、
その部分をリーダー自らが解消するということです。
策を見出してチームを支えていく働きをします。
私個人としてもそんな風になりたいですし、
そういうリーダーについていきたいと感じます。

簡単にリーダーの資質を書かせていただきました。
皆様のリーダー、もしくは実際にリーダーである方は、
実行できておりますでしょうか。

リーダーシップ理論は時代によって変化し、非常に多くの考え方がある為、
リーダーの方は大変悩まれることでしょう。
まずは、「自分だったらどんなリーダーならついていきたくなるか」を考えると、
新しい考え方も生まれるかもしれません。
上から目線で申し訳ございませんが 笑

最後になりますが、
「マネジメント」と「リーダーシップ」は違うと思います。
マネジメントは目標達成の為に、立案・調整・管理することであり、
リーダーシップは自らが導くことであると思います。
私が調べた中で、マネージャーとリーダーの違いで分かりやすいものがありました。

「マネージャー」
理性、データ、分析、クール、冷静、システム、論理学、ルール

「リーダー」
感性、感情、直感、熱い、強烈な価値観、カリスマ、人間的魅力・愛情

少し挙げただけでもこれほどの違いがありました。
個人的にはWAKAさんがリーダーの項目に当てはまる部分が多いと感じました。
感情、直感、熱さとか本当にその通りって思いました。
もちろんいい意味ですよ 笑 
それでは今回はここまでとなります。
WAKAさんオチに使ってすみません。
また次回も読んでいただければ幸いです。

[SYUN]
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