fc2ブログ

安田さんに学ぶ蓄財のポイント

富山が生んだ偉人って、誰を思い浮かべますでしょうか。
浅野財閥を作った浅野総一郎でしょうか。
それとも、ホテルニューオータニ創業者の大谷米太郎か、
「国の誉れ」という願いを社名に託したコクヨ創業の黒田善太郎か。
丸井を創業した青井忠治とか、清水建設を創業した清水喜助も捨てがたいし、
私個人としては、インパール作戦の牟田口廉也陸軍中将の上官で、
後世に愚将だなんだと悪評芬々な河辺正三陸軍大将も挙げたいところ。

まぁ、いろいろ挙げてはみましたが、富山が生んだ偉人の筆頭は、
やはり安田財閥創業者で金融王と言われた安田善次郎でしょう。
富山駅前には安田善次郎翁の資料館のようなものがあって、
時折、といっても半年に一度ほどですが、私も見学に出かけます。

安田善次郎記念室

安田善次郎翁といえば、なんといっても『今日一日の事』ですよね。
この記念室には、その、『今日一日の事』が展示されています。

「今日一日之事」

『今日一日の事』

一 今日一日三ツ(君父師)の御恩をわすれず不足いふまじき事
一 今日一日決して腹を立つましき事
一 今日一日虚言をいはず無理なる事をすまじき事
一 今日一日人のあしきをいはず我がよきをいふまじき事
一 今日一日の存命をよろこび家業を大切につとむべき事

右は今日一日の慎みにて候

翌日ありと油断をなさず 
忠孝も今日一日とはげみつとめよ

********

これは、安田善次郎翁の考える“重要なこと”ということですから、
おそらく、生前、自らにも課されていた人生訓みたいなものでしょう。
繰り返しますが、安田善次郎といえば、
安田財閥創業者で金融王で、東大安田講堂を寄付した人物です。
その安田善次郎翁が自分に課していた戒が、
たったの5点だったということに、まず衝撃を受けます。
しかも、内容も、そんなに難しいものではなく、
愚痴を言うな、怒るな、ウソつくな、悪口言うな、仕事がんばれ……くらいの、
小学生でも理解できそうなレベルであることに、再び衝撃を受けます。

結局、これほど平易なことが、
いかに難しいかということでしょう。


「一日一生」などと、古今東西、人口に膾炙して久しいですが、
本当に、今日一日に全力で立ち向かえているか、
その大事な一日を毎日積み重ねていけているか、
未来は今の積み重ねだと分かっていても、
その自問自答には実に厳しいものがあります。

さて、安田家があったのは、この資料館から徒歩で10分もかからない場所で、
農家や下級武士が多く住んだ貧しいエリアだったそうです。
家の跡地は富山市に寄贈され、安田記念公園になっているのですが、
そこにある「松翁安田善次郎翁誕生地」の石碑が、
なんと高橋是清の揮毫によるものだそうで、
え、こんな田舎に高橋是清?と興奮します。

高橋是清 揮毫

ところで、安田善次郎翁の蓄財の秘訣は何でしょうか。
安田善次郎翁は、偕楽会という富豪同好会のようなものを作っていて、
そこには高橋是清のみならず、渋沢栄一とか浅野総一郎とか、
それはそれは、そうそうたるメンバーが集っていたようですが、
明治37年に、そのメンバー内で「偕楽帖」という、会内誌を作っています。
安田善次郎翁はその序文を書いているのですが、そこには、
「其楽むや、豪奢を衒はず、貧素を旨とし、清遊を期す」
と書かれています。
……たぶん、これが、具体的な蓄財の秘訣でしょう。

さて、2019年は、
5月には譲位関連の10連休があり、お盆も曜日の配置から9連休もあるなど、
やたら休みが多いので、空前の好景気が予想されていて、
旅行業界など、笑いが止まらない状態だと聞きます。
世間の景気予測や消費動向はそうだとして、
さあ、私たちは、安田善次郎翁の蓄財の秘訣、果たして実践できるでしょうか。

[SE;KICHI]
スポンサーサイト



『七つの習慣』 前編 ~私は変われるのだろうか。

スティーブン・R・コヴィーの「7つの習慣」は、
私でも目にしたことがある有名な一冊です。
会社の勉強会などでも引用されたりしていたので、
部分的ではありますが解説本の内容を見知っていました。
今回も完訳本を読み始めましたが、
自分の事を考え振り返ったりしているとなかなか進まず、
まだ途中での感想になるのですが(汗)

前のブログでも指摘をいただきましたが、
私は人の違いを認めず、
普通はこう考えるよねという思いが強い
ほうだと思います。
講習や中学生と接する機会も多いので、
これでも違いを認識して個々に考えるようになってきたとは思います。
しかし自分の在り方を変える所まではいっていません。

いろいろな話を聞いてもそれは良いねとは思います。
知識として知っただけでも良かったとも思います。
もちろんすぐ変えることもできる内容については実行しているつもりですが、
普通こうだよねっというか、
子どもにはこうあって欲しいが強いように思います。

個性主義と人格主義のことが最初に書かれており、
人格主義のところを読むとそうだよねと思うのですが、
先に書いたようなことを考えると、
個性主義で凝り固まっているのだと思います。
お客様に接する態度・気持ちで、
スタッフに接しているか?
とありました。
衝撃的で反省しながら読みました。
内輪には違う態度言動だったと思うので変えたいと思います。

変えることについても、自覚をして想像と意思を働かせること、
何かを約束して守ること、
目標をたて実行することとありました。
だいたいの目標が、そうなれたらいいな的な、
ぼわっとしたイメージでスタートしているのだと思いますが、
自分に言い訳できるように始めているのだと思います。

自分自身のことについては特に甘いと思いますので、
小さなことからでも実行して自信を付けていきたいと思います。
決意を固められるように読み進めたいと思います。

[WAKA]

ヤコビアン

って、なんなんでしょうか。
葛城ユキ?(←それはボヘミアン)

さて、人間の脳の仕組みがどうなっているのか、私には分かりませんが、
すこぶるリラックスしてボーっとしているとき、
不意に何かのフレーズが頭に浮かぶこと、ありますよね。
それも、「おなかすいたなぁ」とか「仕事がつらいなぁ」のようなものではなく、
まったく意味のない単語が不意に頭に浮かぶ場面です。
私は、かつて短距離走の選手だったためか、
意味なく「陸上競技」という単語がフワッと思い浮かぶことがあります。

それから、“微分積分学Ⅱ”という、20年以上前に受講していた数学系の講義で、
毎週、小川教授が演算中に、それは楽しげに、
「忘れちゃいけないヤコビアン♪」と言っていました。
要は「ヤコビアンを最後に忘れずに掛けなさいね」という注意喚起なのですが、
それを、どういうわけか今でもよく覚えていて、フレーズとして出てきます。

しかし、そもそも、ヤコビアンとは何なのでしょうか。

確か、重積分を解く際に、変数変換を行った方が簡単な場合があって、
そのときに (x, y) の式を (u, v) の式に変換した、
次のような公式を習ったような気がします。

重積分の変数変換

この J(u, v) がヤコビアンで、
小川教授の前の年に数学を教えてくれた松田助教授によれば、
積分における変数変換というのは、別空間へ写像を行い、
写像した後の領域において積分を行う……というイメージだそうで、
その際、写像の前後では空間が伸び縮みするので、
その伸び縮み分を打ち消すためにくっついているのがヤコビアンだという説明でしたが、
しかし私は、なぜ、変数変換でヤコビアンを使うのか、
なぜ、ヤコビアンの行列式を積分の式にかけたのかが理解できず、
松田助教授の“微分積分学Ⅰ”の試験は8点しか取れませんでした。
「レポートを出したら加点してあげよう」というのでレポートを出したものの、
最終的に、加点後の点数は12点で、見事、再履修となったのでした。

つまり、私は、“微分積分学Ⅰ”の再履修を食らいながら、
同時進行で“微分積分学Ⅱ”も履修するというありさまでしたので、
なかなかついていけずに苦労しました。
小川教授は、面積分の重積分の変数変換はヤコビアンを使わないと言いますが、
それだって、変数変換でヤコビアンを使う理由を理解してない私には意味不明。
20歳前後の新鮮な脳を使ったって、そんな説明で分かるかよ
と思っていました。

そこで、業を煮やした小川教授が私にしたのは、
「重積分の、空間調整のための J(u, v) をヤコビアンと呼び、
それは、こういう行列式によるのだ」と、
つまり、「そういうもんだと思え」という、やや乱暴な指導。

ヤコビアン

でもね、今になって思うのですが、
数学において「暗記するだけ」というのは、やっぱりダメですよね。
だいたい、数学は他の学問と違い、答えに必ず理由が存在するので、
順を追って理解すれば、絶対に辿り着くようになっているはずです。
従って、自分で一度は本質的に考えてみないと、理解したといえない感じがします。

あれから20年。
悔しいと思った私は、数学の先生に習いに行くことにしました。
が、当時の小川教授は、当時からおじいちゃんだったため、とっくに退官されており、
当時は中堅だった松田助教授もすでにおらず。
……つい先日まで学生だと思っていた私、意外と歳を取っておりました。
そこで、数学も物理も似たようなもんだろうと思いつき、
先日、かろうじて現在も教授をなさっている物理のY教授に習いに行きました。

仏のY先生は、優しく教えてくださいました。
ヤコビアンとは、置換積分∫f(y(x))dy=∫(f・y)(x)(dy/dx)dxの際の、
(dy/dx)を一般化したもの、つまり、変数を変換する際の倍率だそうです。
ふつう、積分の最後に書く dxdydz というのは、
変分ΔxΔyΔz の極限を示したものですよね。
そして、例えば変分の大きさを Δ=10^(-10) としたとき、
それは、(x+Δx)-x=10^(-10) ということになり、
体積ΔxΔyΔzと球座標の体積ΔγΔθΔφは一致しなくなります。
これを補正する役割を持つのがヤコビアンだという説明でした。

なるほど、分かりやすい。
いや、当時の松田助教授も小川教授も同じ説明しをしてくれていたのでしょうけど、
私の側の問題で、少しも頭に入りませんでしたね、それ。
何を言っているのか分からんジジィ呼ばわりして、申し訳ないことでした。

ちなみに、面積分でヤコビアンを使わない理由ですが、
面積分の定義が「(面積要素)・(関数値)の積分」だからだそうです。
これが定義なので、面積要素と関数値の積をとるときには、
何も補正を加えなくていいのだという説明でした。
この説明は、当時、聞いた覚えがないのですが……どうなんでしょう。

しかし、まぁ、高校で習うレベルの置換積分の公式にも、
x'(t)というのが出てくるので、
重積分になった分だけ、それが複雑になったのだろうという気もします。
私は高校に行かなかったので、みなさんがどう教わっているのか、イマイチ分からないんですが。

置換積分の変数変換

というわけで、しょっちゅうヤコビアンについて思い浮かぶことが謎でしたが、
その理由は、たぶん、それがどういう意味を持つ行列式なのか、
当時、充分に理解できずに不完全燃焼だったからに違いありません。
おそらく、当時から現在に至るまで、
潜在意識化で「気持ち悪い」と思っていたからではないでしょうか。

頻繁に思い浮かぶのに、何の事だか分からぬという、
気味の悪い感じのある方は、
意外と、大昔の他人の説明に違和感が残っているからかもしれません。
たまには、探しに行く旅も面白いかもしれませんよ。

[SE;KICHI]

仕事って難しい

私の近頃の悩みですが、「話を聞く力」が足りないと感じています。
今の仕事をしている中で話を聞く力が足りないというのは、
業務に結構な影響が出ます。
実際に会ってお話しをするばかりでなく、
電話のやりとりだけのお客様もいらっしゃいます。
聞く力、そして相手にわかりやすく伝えることは大事だと感じています。

私は仕事をするうえで、
口頭でのやりとりは好きではありません。
以前に口頭でのやりとりでお客様とトラブルになったからです。
その当時はお客様、そして同僚にもご迷惑をお掛けしました。
口頭でのやりとりは証拠に残るものがなく(録音していれば別ですが・・・)
後で何かがあっても結論に至るまでが非常に長いです。
そして、口頭のみのやりとりは忘れてしまう部分も出てきます。

営業なのに口頭でのやりとりが好きじゃないと言ったら、
批判的な意見もあるかと思います。
しかし、私は基本的にメールやFAXでのやりとりが多いです。
お会いして打ち合わせができないときは、資料を作りメールで連絡します。
実際に口頭で説明するより冷静になれるので、
自分の伝えたいことを明確に表現できていると思います。
基本的にメールを好みますが、謝罪をしなければいけない場合や、
急ぎの用件などは電話を使います。

このように自分の仕事のやり方を変えたら、
以前より上手くできるようになったと感じました。
それならよかったじゃん、と思う方もいらっしゃると思います。
しかし、私の聞く力、理解する力が不足していたため、
またも上手くいかない仕事が出てきました。

お客様と実際にお打ち合わせし、案件の確認をしたうえで「はい」と納得しました。
後日に改めてそのお客様へご連絡。
お客様からは、「話が違うよ」というご指摘がありました。
この部分は口頭でのやりとりでしたので、私の聞く力が不足していました。
さらに致命的だったのが、今回の案件の中でとても重要な部分でした・・・

学校のテスト等であれば、いくつか間違いがあっても70点位は取れたりもします。
しかし、仕事ではそうはいきません。
今回の私の仕事で、仮に私が正解である回答を9割出していたとします。
しかし、重要な部分が間違っていたため、点数で言えば0点となってしまいます・・・。
お客様に製品を買っていただいてからアフターもありますが、
納入の段階では中途半端な評価はなく、0か100かしかないと私は思っています。

仕事をするうえで自分のやりやすいようにする、ということは非常に効果的です。
先程書いたように私もやり方を変えました。
しかし、自分のやりやすいようにばかりはできないのです。
年齢も違ったり、性格も違えば仕事のやり方は異なります。
自分は変えられても他の人を変えることはできません。
あるお客様が、「私はメールは嫌い」と言っていました。
私がメールがいいと思っていてもそのお客様にはメールができないです。
自分のやり方を強要することになります。
当然のことではありますが・・・。

でも、皆さんの中でも、
「なんであの人は、こうなんだろう」みたいに思ったことってありませんか?
そう思っても自分とは違う考えを持っている人なので、
根本的な解決にはならないかもしれません。
このようなことを書くと、
指導や教育をされている方から批判されそうではありますが・・・。

生きていくうえ、仕事をするうえで人間関係はつきものです。
あの人が~とか他人のせいにしても辛くなっていくだけかもしれません。
他人は変えられないので、
自分の考え方を変える必要があります。

今回の私の仕事の失敗、
以前の私であれば、「そんなこと聞いてないのに」と思っているかもしれません。
しかし、聞く力が不足していたのが事実なのです。

ここまで書いてやはり思いますが、私は口頭でのやりとりが好きではありません。
それでも、様々な方と付き合っていく中で、
自分の口で伝える力と、
耳で聞く力を磨かなければいけないのです。

0点を100点に持っていくように悩んでいる最中なので、
このような内容になりました。
最後までありがとうございました。

[SYUN]

まんぷく

憲兵に何度も逮捕され、一時はどうなることかと思いましたが、
いやぁ、やっと形になってきましたね、即席ラーメン。
ちょっと、感動しながら見守っている、そんな感じです。
NHK朝の連続テレビ小説『まんぷく』の話です。
今さらドラマの説明は不要かもしれませんが、
チキンラーメンを発明し日清食品を創業した安藤百福さんをモデルとした、
インスタントラーメンの発明を成し遂げる夫婦の物語です。

私はこのドラマ、なかなか示唆に富んだ話だなと思うのです。

だいたい、これまで、朝の連続テレビ小説といえば、
現実感がないほどに元気いっぱいな女の子が主人公で、
紆余曲折ありながら、長じてはキャリアウーマンとなり、
持ち前の明るさとバイタリティで人生を切り拓いていくという話が多いものでした。
今回の『まんぷく』の主人公である福子も元気いっぱいですが、
従来と違うのは、夫を補佐する妻という役割で、これまであまりなかったタイプです。
では、この福子という人物は、昔ながらの内助の功型の主婦なのかといえば、
私には、そのように描かれているようには見えず、
それよりも、補佐役としての能力が非常に高い人のように思うのです。

発明家である夫・萬平の仕事は、当然、一朝一夕では成果を生まず、
萬平は、たびたびネガティブな思考に取り憑かれたりするのですが、
夫の才能を信じる福子は、彼が見たことがない発明をするのを、
「ワクワクする」と応援し、彼が余計なことに気を取られないよう、
家事から金策までを一手に引き受け、夫を支えるだけでなく、
「萬平さんなら絶対にできます」とか「私は信じてますよ」とか、
そんな夫に頻繁に声を掛け、夫を鼓舞し続けます。
挙句の果てには、遠い目をして、
「萬平さんの作ったラーメンでみんなが笑顔になっているのが見えます」などと、
ポジティブな予言者のようなことを言って夫を励まし続けます。

補佐役というのは、
まずはリーダーの信奉者でなくてはいけません。

その点、この福子は、妻としてではなく、補佐役として優れていると思います。

特に感心するのは、その励ましも単調なものではなく、
必要に応じて叱咤するところです。
研究過程で、ボソボソだった生地をなんとか麺の形にしたものの、
勢い込んで試食してみたところ、コシがなくて食べれたものではなかったため、
落ち込んだ萬平が酒に溺れるシーンがあったのですが、
そんな彼に福子は「麺になっただけでも一歩前に進みましたね」、
「ダメやて分かったんやから。それはええことやありませんか。ネッ」と、
ちょっとドスの利いた声で、夫の再起を促します。

私は、このシーンに、ちょっと感動すらしました。

昨今、“褒めて育てる”というバカな教育論が跋扈していますが、
その結果、人間としてデフォルトが劣化したことは明らかです。
ちょっと妙な運転のクルマを見かけたら幅寄せしてみたり、
魚をゴミ箱に放り込んだ動画をSNSにアップしたりと、
バカな教育論は、自分が満足なら何をしても良い、
何よりも自分の感情の動きが大事だ!という、
自己本位なバカを量産することになったわけです。

私は常々、“褒めて育てる”を「バカな教育論」と思っていますが、
そうすると、「では、あなたは、“叱って育てればいい”と思っているんですか」と、
薄っすら批判を含んだ質問をされることがあります。

カウンセリングの専門用語で『承認』と言いますが、
人は「気に掛けてもらっている」という安心感によって、
モチベーションが湧き、発言や行動ができると言われています。
しかし、この『承認』という和訳された単語が、
「褒めること」と混同されやすくなっているのではないかと思うのです。

もちろん、相手が幼児のうちなど、「すごいね」と褒めることも『承認』ですが、
褒美を多用すると、くれる人がいないとアクションを起こさなくなったり、
その褒美が駆け引きの材料となってエスカレートしたり、
褒美ばかりに目が向いて、事物に対する関心が失われたりする弊害があります。
また、褒めることでもっと成果をあげてもらおうとする意図もある場合には、
相手の反発心を生む可能性だってあります。

人は、「誰かが見てくれている」という感覚だけで、
くじけずに行動することができるそうです。

これは、もはやセオリーであると言われています。

だとすれば、正しい『承認』は、ただ「そうだね」と、
善悪を判断せずに、起きたことを確認することでしょう。
ここに、個人が抱いた恣意的な善悪を持ち込むから、
腹が立ったり、許せない気持ちが起きたりするのでしょう。
これが、社会を殺伐とさせる秘訣のようにも思います。

福子のように、ほんの少しでも進歩していることに気付き、
それを「よかったね」「ダメだったね」などではなく、
「進歩がしたね」と事実を指摘するだけというやり方は、
本当に、私はちょっと感動しました。
実は、これはいつもその人のことを見ていないとできないことです。

信奉者であるだけでなく、補佐役というのは、
リーダーに対する参謀役でなくてはいけません。

福子は、ここでも妻としてではなく、参謀として優れていると思います。

フィクションというか、架空の人物の話ですが、とても勉強になります。
あと、半年見続けているうちに錯乱したのか、
なんだか安藤サクラさんがいい女なんじゃないかと思い始めていて、
そういう自分に驚いたりもしています。

『まんぷく』
https://www.nhk.or.jp/mampuku/

[AKA]

え? 手作り? ほおお。

バレンタインデーのチョコレートにしてもなんにしても、
手作りのものには価値があるといいます。

さて、5, 6年前にもご紹介したことですが、
私が神社仏閣の御朱印を集めるようになってから、かれこれ30年くらいになります。
当然、自宅には収納に困るほどの、大量の御朱印帖があります。

御朱印帖(御朱印をいただく帳面のほう)というのは、
寺社の納経(御朱印)窓口で頂くのがスタンダードです。
最近は、寺社オリジナルのカラフルな御朱印帖も増え、
かわいらしさから御朱印を集め出した「御朱印ガール」も増えていると聞きます。
以前は、御朱印帖といえば、紫や紺など年配の方を意識したデザインが主流で、
買えるのも仏具屋や大きめの画材屋さんなど、
武骨で、ちょっと間口の狭いイメージでしたから、
広く認知されてきたことは嬉しい限りです。

と、そんな先日、自宅に届く生協の注文カタログにこんなページが。

オリジナル朱印帖

はぁぁぁぁ! こういうものを手作りするキットが発売されましたか!
自宅に数十冊の御朱印帖がある私ですが、自作なんて考えたこともなかったです。
考えてみたら、蛇腹の和紙に表紙をつけただけなので、
自分でも簡単に作れそうなものですが、自作なんて思いつきもしませんでした。

手作りキットを生協で売っていることに驚くと同時に、
……高っ!
まぁ、西陣の緞子らしいですから、どうしても高くなるんでしょうけど、
だいたい御朱印帖というのは、寺社オリジナルでも相場は1500円ほど、
表紙を金襴の緞子にしたとしても、せいぜい2000円くらいのものなので、
2500円というのは、なかなか強気の価格設定です。
まぁ、私は、御朱印帳の肝は表紙ではなく、中の和紙だと思っているので、
西陣の緞子に魅入られたりはしません。
和紙が薄いと、御朱印の墨痕が裏移りするのです。上の写真だと、もし和紙が薄ければ、左の三千院の御朱印は大丈夫だとしても、右の高台寺の御朱印は、たとえば「佛心」の“にんべん”部分などが裏ににじんでいるかもしれません。厚手の和紙の御朱印帳を選びたいものです。

というわけで、高すぎて手が出ないうえ、なんだか不遜な感じもすることもあって、
この、手作り御朱印帳キットは買いませんでしたが、
そんな時に突如として思い出したのが、
30年以上前、私が生まれて初めて自分で買った本、『奈良の寺寺』

『奈良の寺寺』

タイトルのとおり、奈良の古刹を紹介している紀行文みたいな本で、
なんだか、読み込みすぎてシミまでついていて恥ずかしい限りなのですが、
なぜ、この本を思い出したかというと、和綴じだったから。

作ってみましょう。

材料はこれだけです。
和紙と、表紙に使う化粧紙、今回は浅縹色(水色)にしました。
あとは角を保護する角裂(かどぎれ)に使う薄い画用紙、こちらは菖蒲色(紫)。

和綴じ-材料一式

まず和紙を、艶面を外にして半分に折り、
全部折ったら、それを重ねて、
ズレないように折った側をクリップで留めます。

和綴じ-① 和綴じ-②

次に、綴じ糸を通す穴を開けていきます。
いきなり針で糸を通そうとすると、紙に力がかかるので、
あらかじめ印をつけ、千枚通しで穴を開けておくわけです。
両端から1.5cmのところに印をつけ、さらに、その2点間を3等分して印をつけます。
今回は、2点間が15.3cmだったので、5.1cm間隔で印をつけました。
こうしてできた5点に、千枚通しを垂直に立て、紙をめくりながら穴を開けます。
この段階では、穴は大きくしておいたほうがあとでラクです。

和綴じ-③ 和綴じ-④

次に、綴じた後に冊子の端がほつれたりめくれたりしないように、
小さな紙片(角裂 かどぎれ)でまとめます。
こういう感じの小さな紙片を作り、裏面から背表紙を経て表面に糊で貼り、
上は潰して、うさぎの垂れ耳みたいな感じに折ります。
(そのため、この部分を「耳」と呼んだりします。)
反対側の角も同様に処理します。

和綴じ-⑤ 和綴じ-⑥
和綴じ-⑦ 和綴じ-⑧
和綴じ-⑨ 和綴じ-⑩

次に表紙を作って、いよいよ綴じます。
今回は、和紙と同じサイズの化粧紙を切り出して表紙にします。
表と裏をこの化粧紙で挟み、和紙に開けた穴に合わせて軽く穴を開けておきます。

和綴じ-⑪ 和綴じ-⑫

綴りは上から2番目の穴の背後からスタートです。
2番目の穴の表に出てきた針を1番目の穴の表側に通し、
裏から出して横を回して表へ、また裏から出して上を回して表へ。
それから1番目の裏から2番目の裏に入れ、
2番目の表から3番目の表に進め、3番目の裏から横を回して表へ。
……あとは省略しますが、4番目の角を回して、最後は2番目の裏で終わりです。
コツは、糸を多めに繰り出しておくことです。

和綴じ-⑬ 和綴じ-⑭
和綴じ-⑮ 和綴じ-⑯

最後に、そこで玉結びにして、
表紙にタイトルを書く「題箋」という和紙を貼り付けて完成です。

和綴じ-⑰ 和綴じ-完成

どうでしょうか。
このブログ用に、手順を写真で記録しながらの作業でしたが、
30分もかからずに完成させることができました。
雰囲気を出すためにわざわざ畳の上で作ったので、少し腰が痛くなりましたが。
もう少し穴位置などを正確にできれば、『奈良の寺寺』みたいなのを作るのも、
おそらく、そう難しくはなさそうです。
原価は、そうですね、和紙を10枚使ったとして、せいぜい300円くらいでしょうか。
……安っ!
まぁ、もちろん表紙は西陣の緞子とかではありませんので、単純な比較はできませんが。
友人に、ピザ窯やら燻製の装置やら、アウトドアの用品を自作する人がいて、
私は「おうおう、面倒なことをよくするなぁ」と思っていましたが、
和綴じの帳面、この手間と材料費だったら、自作もアリなような気がしますよね。

[SE;KICHI]

商業捕鯨再開

皆さん、クジラをどのくらいの頻度で食べますか。
私は年に2、3回粕汁で食べるくらいです。
学校給食でクジラの竜田揚げを食べていた~の時代からは少し後なので、
給食での思い出は無いのですが、
実家では夏になると夏野菜を入れたクジラ汁や、
缶詰の大和煮なんかは食べていた記憶があります。
粕汁は家人の実家の味で、
私は結婚するまでその食べ方を知りませんでした。

リクエストがあるので見よう見まねで作っていますが、最初は半信半疑でした。
食べてみたらクジラの粕汁美味い!と、新たな発見でした。
周りの人に話すと、えっ粕汁?と驚かれるので、やはり地域性があるようで、
それならと粕汁で食べてみてと勧めています。
そんな話をしたからか、
友人が高知の方から頂いたというクジラのお刺身(冷凍)を持参してくれ、
ご相伴にあずかりました。
初めて食べる味でした。
まだまだ知らない鯨料理はたくさんあるのでしょうね。

地域によって鯨の流通や消費は異なるとは思いますが、
現在日本人でどの位の人が鯨を食べたことがないのでしょうかね。
30代前半のSYUN君は食べたことはあると思うけど、
何時どこでの記憶はないそうです。
またとある日、たまたま隣に座った方が、
鯨を食べていた年代かな~と思われたので、話を向けてみると、
食べたくなったら料理店へ予約し入荷の連絡を待ってから足を運んでいると、
おっしゃっていました。
今は特別な食べ物ですよね。

お手頃な価格で市場に出回ったら皆さん食べますか?
私は買って食べてみると思いますが、
それにはまず、食べ方や料理方法を調べるところから始めないといけません。
毎回皮クジラの粕汁だけではねぇ。
野菜でもそうですが、馴染みがない食材を目にしてもすぐには買えません。
簡単な食べ方など一緒に表示してあれば手を伸ばし易くなるのになぁ、と
常々思います。
どんな食材も調理法を宣伝した方が消費に繋がると思います。

私にはそれほど身近な食べ物ではなくなっている鯨ですが、
今年の6月30日で国際捕鯨委員会(IWC)から脱退し、
約30年ぶりに7月から日本近海で商業捕鯨が再開される、と、
昨年12月に発表されました。
脱退に伴い、IWC加盟が条件となる南極海で調査捕鯨ができなくなるので、
今後、南極海産の鯨は市場から消えるようです。
そんな中で先日、和歌山県 太地町や宮城県 石巻市などの捕鯨業者でつくる、
日本小型捕鯨協会では、
今年7月1日から一週間商業捕鯨を再開するとの発表もありました。
捕鯨を取り巻く現状は厳しいと思いますが、
その生業の先には営みがあり暮らしがあるのは事実です。
捕鯨反対側からの目、賛成側からの目。
どちら側の目線かによって見え方や考え方は違いますよね。
対象は違いますが、「あらしの夜に」の物語のような展開は難しいです。

商業捕鯨が再開されたら、特別な食べ物ではなくなるのか、
特別なままなのか。
学校給食で復活とか、社員食堂でメニューに加えてもらうとか、
身近に食べる機会を増やしていかなければ特別なままだと思います。
いずれにせよ余さず消費することが大切ですね。
廃棄するほうが多ければ再開する必要はないと思います。
これは鯨に限ったことではないですけどね。

[fu~ma]

流通の秘訣

弊社は、2000円札の流通に意欲的な団体です。
もはや、世間では、その存在さえ忘れられ、
「今も使えるんですか?」と、まるで板垣退助や伊藤博文のお札の扱いですが、
弊社では、常に数十枚のストックを持ち、流通に努めています。

その理由は、何度もお伝えしてきましたとおり
印刷されているのが、沖縄の守礼門だから、です。
弊社には大の沖縄好きである KAZSOU さんや、
親戚が恩納村に住んでいるという K.K. さんなど、
沖縄に特別な思いを持つ方が何人かいますが、
いま、沖縄は、隣国の軍事拡大に脅かされている状態です。
もともと、沖縄にはセンシティブな問題があって、
選挙の結果によって大きく左右に振れやすい土地柄で、
知事が代わっただけで方針がガラッと変わる恐ろしさがあるわけですが、
紙幣は、行政が変わっても不変のもの。
2000円札は、紙幣に沖縄の風景をデザインすることで、
また、そのデザイン決定を沖縄ではなく日本政府主導で行うことで、
沖縄は日本に所属するのだという主張を内外に示しているというわけです。

とかく、2000円札には使いにくいイメージがあって、
積極的に使おうとすると、拒否感もあり、悔しい思いもするのですが、
2000円札を嫌う人は、沖縄が隣国に盗られても平気なのでしょうか。

2000円札

さて、先日、たまたま日銀の方と酒席をご一緒する機会があって、
その席で、弊社の2000円札流通の取り組みを披露させていただいたところ、
それはそれは感謝されまして、涙を流しながら手を取ってくださいました。
実のところ、なかなか普及しないうえ、冷ややかな視線まで感じる現状に、
あきらめムードというか、ちょっとへこたれていたところだったのですが、
日銀マンの涙に、ますます普及に努めねばと決意を新たにした所存です。

ところで、やってみると分かるのですが、
この、2000円札の普及促進は、意外と難しいプロジェクトなのです。

たとえば、手元に2000円札があったとして、
仮に、コンビニでの支払いにそれを使ったとしましょう。
レジに2000円札用の収納場所などないでしょうから、
邪険にされつつ、小銭入れの下などの妙ちきりんな場所にしまわれ、
きっと、お釣りとしては使われません。
おそらくはそのまま銀行に戻っていくことになるのでしょう。
私たちの目的は「世の中に広く流通させること」なわけですから、
すぐにまた銀行に帰ってしまうような使い方では意味がないのです。
つまり、仮にコンビニで2000円札を大量に使用したとしても、
使った分をそのままごっそり銀行に届けられてしまっては、
「世の中に広く流通させる」という目的は達することができないのです。
従って、次の人が釣銭などに使えるような形で使わないといけません。

前述の日銀マンは、ささやかな取り組みとして、
電車の切符を2000円札で購入しているそうです。
わざわざ2000円札を使うことによって、券売機の中に2000円札を仕込むことができ、
高額紙幣で切符を買った人の手元に、
お釣りとして2000円札が出てくるようになるという寸法です。
ただし、彼曰く、オムロン製の券売機は2000円札を受け付けはするものの、
貯め込むだけでお釣りとして出さない構造になっているので流通にならないそう。
入手した紙幣をそのままお釣りとして使う仕様になっている、
高見沢サイバネティックス製の券売機を使ってくださいとのこと。
もちろん、彼もSuicaやPASMOくらい持っていないわけではありませんが、
地道にせっせとそうしているというのですから、筋金入りというか、変態です。

ところで、どうしてこうも2000円札が流通しないのでしょうか。
私はときどきイタリアとかバチカンとか、あのへんに出かけるのですが、
いちおう、紙幣は€5・€10・€20・€50・€100・€200・€500 の7種類ですよね。
いちおう、というのは、€200 や €500 のような高額紙幣もあるけれど、
偽札予防という観点から、だいたいのお店で利用を断られてしまうので、
実質的に使える紙幣は、せいぜい €5・€10・€20・€50 です。
つまり、ざっくり日本円でいうと、500円~5000円しか使えないってことです。

このとき、紙幣の中では €20 が一番使い勝手がいいのは間違いないでしょう。
ヨーロッパの紙幣は、額が大きくなるほど寸法も大きくなるので、
€500 なんて、昔の航空券くらいの大きさで、実にうっとうしい。
その点、€20 は幅13cmほどで、財布に入れて持ち歩くのに大きすぎませんし、
現金でちょっとしたものを買う際にもお店側にも嫌がらませんから。
最初に訪れたときは勝手が分からず、€100 ばかり持っていて、ほとんど使えず、本当に困りました。

ちなみに、じゃ、大きな金額の買い物はどうするのさと思われたかもしれませんが、
そういう買い物は、電子マネーで銀行口座から引き落とすのが一般的です。

何が言いたいかというと、
ヨーロッパは電子決済が進んでいて、
紙の紙幣が一般的ではなくなってきているという話です。
日本も、このところ、PayPay など、電子決済の流れが拡大しつつありますが、
近い将来、必ず、
「少額の現金支払い」と「高額の電子決済」の形式になっていくと思われます。
そうなると、上記の €20 紙幣のように、
中額紙幣である2000札は使い勝手が抜群なはず。
というより、外国人観光客が増えているいま、
中額紙幣がなくて不便な思いをしている外国人も多いに違いない。

ちなみに、弊社の K.K さんは、昨年、沖縄に行ったそうですが、
その沖縄県では2000円札は普通に流通しています。
ローソンで現金を下ろすと2000円札が出てきますし、
そのへんの店で支払いをするとお釣りに2000円札が入っているくらいに普通です。

というわけで、電子決済化が進むと10000円札に取って代わるかもしれない、
次世代の主流紙幣・2000円札。
弊社は、涙を流す日銀マンに免じて、今後も流通に努めて参りますが、
いや、普通に、
もっと見直されるべきではないでしょうか、2000円札。

[SE;KICHI]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
富山県富山市飯野16番地の5
TEL:(076)451-0541
FAX:(076)451-0543

■新潟営業所/
〒950-1142
新潟県新潟市江南区楚川甲619番地6号
TEL:(025)283-5311
FAX:(025)283-7469



URL:http://www.kk-seishin.com/

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR