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『語彙力がないまま社会人になってしまった人へ』

最近はセンセーショナルなタイトルの書籍がヒットするもんです。

『語彙力がないまま社会人になってしまった人へ』

「語彙力がないまま社会人になってしまった人へ」。
そういわれると、それは自分に向けて言われているような気になるものです。

この本は、前提として、
社会人としてのレベルは語彙力で測られるという立場に立っていて、
つまり、どんなに能力がある人でも、表現が稚拙だったりすれば、
社会人としてのレベルを低く見られて、軽く扱われてしまうのだから、
そうならないように語彙力を身につけましょうという話です。

たとえば、第一章の手前、“はじめに”に挙げられている例では、
代替案を考えます」というのを「だいがえあんを考えます」と誤読してしまえば、
知性を疑われますし、仕事相手は不安になってしまいます…と書かれていて、
なかなか手厳しい感じです。
また、人を褒めるときの言葉にしても、
「頭がいいですね」では、やや上から目線の印象を与えてしまいますので、
「頭がいい」などという幼稚な表現を避けて、
「どう頭がいいのか」、つまり、「機知に富んでいる」のか、「含蓄がある」のか、
知性と教養を兼ね備えた言葉を選び、うまく使う必要があると言います。

はぁぁ、なるほどねぇ。
いや、実は私、この手の本は苦手だったのです。
最近、「雑学王」とか「東大王」のようなクイズ番組が多いですが、
たとえば、「“がむしゃら”という単語はもともとどんな意味?」のような、
ある特定の単語について、
「昔は別の意味で使われていた」とか「もともとの語源はコレ」というエピソードは、
どうも、使い道のない情報のような感じがして現実感がないというか、
聞いた後に「ふぅ~ん……それで?」という気分になりやすいため、
私は、そういうクイズ番組が好きではないですし、
同じ感覚で、この手の本も苦手だったのです。

私自身はそういうスタンスなので、この本についても、
言葉の「なりたち」や「語源」に関するエピソードを知って、
おもしろく言葉を身につけようではありませんか、という、
著者の姿勢に対して、私は必ずしも好意的ではありません。
なので、全編まるまる詠嘆したというようなことはないのですが、
その、社会人としてのレベルは語彙力で測られるという著者の確信は、
確かにそういう面もあると実感しているので、納得しました。

たとえば、些末な話で恐縮ですが、
最近、メールやLINEなどで用件を送信すると、
「了解です」という返信が返ってきたりすることが多くなりました。
まぁ、別にそんなことで腹を立てるような導火線の短い私ではありませんが、
私自身は、最初に就職した会社の上司・K次長から、
「失礼だから、ビジネスで『了解』という単語は使ってはいけないよ」と教わっており、
その理由は知らないながらも、後生大事に守っていましたので、
最近の社会の「了解です」の多用は、実に不思議な感じです。

この本によれば、「了」には、垂れ下がるとか、もつれるという意味があって、
あまり良い字ではないため、少なくとも目上の方には使うべきではないとのこと。
目上に対する正解は「承知いたしました」なのだそうで、
これは私がかつてK次長から教わったとおりでした。
K次長は、初対面の私をジャズダンスに誘ったワケの分からない男でしたが、
語彙力という面では、それなりに的確だったということでしょうか。

「その言葉遣いはおかしい」と、
30歳を過ぎた大人にダメ出ししてくれる先輩や上司は、なかなかいません。
なぜなら、語彙力の不足を指摘することは、
その人の家庭環境や知的レベルを否定する行為のような感じがして、
パワハラのように取られてはたまらないというわけで、なかなか指摘できないもの。
つまり、注意を受けないのは、己に問題がないからではなく、
妙な逆恨みが怖いだけのことで、問題はあるのかもしれません。

そのことに気が付かぬまま、ネットニュースだけを読んで、
仲間同士でテキトーに『エモい』『スノる』『tkmk』みたいな、
空気を読むだけの上っ面会話を積み重ねていくと、
まぁ、そりゃ、語彙力は退化するに違いないでしょう。

私は、最近は気が滅入るので、新聞なんて読まなくていいと思っているほうですが、
美文に触れるというほどのことではないけれど、
「よみうり寸評」とか「産経抄」のような短文は勉強になるなと思っています。
結局のところ、スマホばっかり見てないで、
徒然草とか、読んでみればいいのにと思う今日この頃です。

[SE;KICHI]
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苦悩を突き抜けて歓喜へ!

「ルートヴィヒ・ヴァン・べートーヴェン」

おそらくこの人の名を知らない人はいないでしょう。
音楽界にして楽聖と呼ばれ、バッハとともに史上極めて重要な音楽家です。
古典派音楽からロマン派音楽の時代に活躍し、
その分野の世界に留まらず、
芸術の分野全体においても多大な影響を残しました。
彼は特に交響曲第9番の二短調(合唱付き)という作品で世に知られていますね。

ベートーヴェン肖像
http://ja.cantorion.org/composers/117/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3

今年も年末が近づいてきました。

富山では北日本新聞社の主催で、
年末に約500名超えでその第九を合唱するイベントを毎年開催していますが、
実は私、かつて第九の合唱に出たことがあります。
そこらの少人数のものではなく、500名超です。
毎年大阪城ホールで行われる1万人の第九ほどではないですが、
この人数です。
やはり普通の合唱とは次元が違います。

第九交響曲 歓喜の夕べ2014

週2回、富山市市民芸術創造センターで、男女に分かれて2時間みっちり練習しました。
アレグロアッサイ、メゾフォルテ、フォルテシモ・・・
合唱だけの4楽章だけでも20分を超えますが、有名な冒頭部、
マーチ調の男声混成部、ソリストたちとの掛け合い、
そしてラストフィナーレの感動的なクライマックスに、
合唱の素晴らしさを感じたのです。
当日はプロのソリストの方々もこられて、感動の本番となりました。

15年連続で出演しておられる一般の方など、
それぞれ仕事をしながらも、練習に真剣に取り組んでいました。
自分も全ての練習に出ようと時間を作り、
例え別用があっても5分でも出た気がします。。
そのおかげかなんと皆勤賞で、
かの楽聖の現存する生家で作っているワインをもらいました。
全てを含めて、なかなかできない、本当に素晴らしい経験をさせて頂きました。

ワイン

ところでこの交響曲には、ドイツのシラーという大詩人が書いた詩がつけられています。

略して説明すると、もともとフランス革命時、
詩が最初に作られ、ある時それを目にしたヴェートーベンが、
この詩に感動し、これを基に作曲したものであります。

大変メッセージ性の強いものです。

この詩は、キリスト教などの特定の神への崇拝概念とは違い、
もっと普遍的な、
創造主、自然への感謝などがの意味が込められているものです。
創造主や神とよく出てくるので、
宗教的と言われたりもしますが、決してそうでもないのです。
(当方精通しているわけではないので、詳細はお調べいただければと思います。)

話は変わりますが、自分は映画や歌などを見る時、
どうしてもそれが何かの抽象作品であり、
何か意味があるのではないかと、哲学的見方を必ずしてしまいます。
これには何かの意味が込められているんだ、
何のメッセージがあるのか?など。(あくまで個人的ですが。)

そしてそれは歌にも強いメッセージがあるはずと考えます。

以前も書きましたが、昔の歌に名曲が多いと感じるのは、
意味の深い、強いメッセージがあるからだと思います。
愛だの恋だの、最近のリズムやノリだけの、
イタズラに刺激と快楽を求めた、軽薄な音楽は、
その瞬間のノリは満たせても、後になって心には響かないし、
残らないと感じてしまうのです。

名曲とは単に歌いやすい、歌い継がれてきたという物理的な一面だけではなく、
作り手側の思い、その心、思想哲学なりがあり、
それに音楽がついて来たと言っても過言ではないかと思っています。

「歌の心を知れ!
どんなに素晴らしい歌もその心が分からなければ、
その歌を知ったことにはならない、歌ったことにはならない。」
と、ある先哲の言葉です。

またある大詩人は、
「音楽には国境が存在しない。
音楽は誰人も欲して止まぬ文化の華であり、芸術であり、
しかも世界共通の語(ことば)であるからである。
何処の国も何処の民族も、民衆が活き活きと立ち上がって行くときには、
その根底に必ず偉大な思想哲学があった。
そしてその偉大な哲学の実践は、とうとうと流れる大河の如く、
民衆の息吹となり、躍動となって、必ず偉大なる音楽と現れ、
その民族の大いなる前進のエネルギーとなってきたのである。」
と。

振り返ってみれば、歴史の中の数多の革命や変動期などにおいても、
この点は確かに歴然としていることがあります。

時代を変え、大きく転換させてきた音楽。
このことを考えるに、音楽界、芸術界等、
多くの人々に衝撃と感動を今なお与え続けるこの第九。

「あらゆる芸術は人に喜悦を与えるためのものである。
しかも、人間を幸福ならしめることこそ、
最高のそして最も厳粛な仕事なのである。」
まさにこのシラーの思想哲学と、音楽芸術とが融合して昇華した、
これこそが第九だと思います。

そしてこうやって現在も、後世に生きる我々に、
力強い希望と勇気を与えてくれている。

それは彼自身、全聾の苦悩に打ち勝ち、乗り越え、
それを更なるエネルギーとして突き抜けた勝利者であったから、
言えることだと思います。

楽聖、ヴェートーベンはこのようなメッセージを残してくれました。
「苦悩を突き抜けて歓喜へ!」
この交響詩最大のテーマです。

私は会社に入る前、大学進学で滑って様々アルバイトを経験しました。
決して楽しいだけではなく、目標や人生に悩み苦しんだことも多いですが、
知り合いの方から誘われて参加したこの第九に、
「諦めれば労苦は後悔になるが、諦めず貫いて戦い、
最後に勝てば、一切の労苦は皆宝になる。」と教えてもらったと思います。
どのような苦しみも悩みも突き抜けて、最後は歓喜!!
今の悩みも全て小さく見えたし、
自らにとって、また悩める友にとって財産になるのだと思うと、
素敵なことだなと思いませんか!!

怒涛の荒波の如き、現代社会を生き抜く我々にとって、
人生をより価値的に、そして幸せに生きる為の、
とても大切な要諦のひとつであると思います。

第九を歌いつつ、心に勇気を奮い起こし、またひとつ決意を新たに出発する毎日を。

[K.K]

緊縛プレイ

そろそろ12月になります。
毎年のことなのですが、
私は、4月に新社会人としてスタートを切った各社の新入社員に対し、
定期的に研修をさせていただく機会があり、
それが、12月になると、今年度分はいちおう修了となります。
例年、私は「ちょっとでも彼らの人生の役に立つ話ができますように」と、
祈りにも似た気持ちでお話しさせてもらっているのですが、
実際のところ、なかなか難しいもので、
3年後・5年後・10年後の彼らに、クオリティの差は生じてしまうのが実情です。

その差は何でしょうか。

よく、マネジメントの話で使われる『レンガ積み職人の譬え』というのがありますね。
ある所に、レンガを積んでいる職人達がおりました。
1人目の職人さんに「何をしているのですか?」と尋ねると、
「見て分からないのか。レンガを積んでいるんだ。」 と答えました。
次の2人目の職人さんに尋ねると「時給を稼いでいるんだ。」 と答えました。
最後に3人目の職人さんに尋ねると
「立派な大聖堂を作っているんだ。ここは、いつか人々の聖地になるんだぜ。」と、
胸を張って言いました
……という話です。

私は、働く姿勢というのは、おおまかに言うと3種類あると思っています。
“義務感で働く人”と“責任感で働く人”と“使命感で働く人”の3種類です。
“義務感で働く人”とは、さきほどの1人目のレンガ積み職人のような、
つまり、「それが仕事だから黙々とレンガを積んでいる人」ですね。
“責任感で働く人”というのは、さきほどの2人目のレンガ積み職人と同じ、
「家族の生活費を稼ぐためにレンガを積んでいる人」です。
“使命感で働く人”は、3人目のレンガ積み職人のように、
「立派な聖地を作るためにレンガを積んでいる人」でしょう。

さて、どの人が楽しそうでしょうか。
私自身は、3人目の職人でありたいと思います。
だって、自分の積んだレンガが大聖堂になってみんなに喜ばれるなんて、
なんか想像しただけでワクワクしませんか。
作業そのものは、どの職人も「レンガを積む」仕事で、違いはありません。
しかし、どういう気持ちで働くかで、その作業に対する見方が、
奴隷の苦役のようにも思えるし、崇高な創造のようにも思えるということです。
つまり、解釈ひとつで、自分の人生を明るくも暗くもできる
ということです。

老若男女問わず、真面目な方に、顕著に表れる傾向なのですが、
多くの方が無自覚に「義務感」や「責任感」に囚われているようで、驚きます。
それは、つまり、仕事をするうえでの、
いや、人生を生きるうえでの「~せねばならぬ」という発想です。

これは自説ですが、「責任感は自分を追いつめ、委縮させます」
「営業成績をあげなければならぬ」、
「毎日コツコツと取り組まねばならぬ」、
「上司の意見には従わねばならぬ」……など、
ならぬ、ならぬと、字面を見るだけでも楽しそうではありません。

なぜ、ちっとも楽しそうではないのに、みんなそういう仕事をするのでしょうか。
それは、「仕事とは、生活のために我慢してするものだ」という価値観に、
みんな、知らず知らずのうちに毒されてしまったから。
「本当はやりたくないけど、家族の生活もあるし・・・」という責任感に縛られ、
どんどん追い詰められて、ストレスが溜まっていくようになると思います。
そして、焦りや不安が襲ってくるようになるでしょう。
こうなってくると、たぶん仕事はつまらなくなってしまいます。
新入社員たちも、親たちがそういう愚痴を言いながら奴隷のように働くさまを見て育ち、
仕事とは、足に鉄球をはめられ、ムチ打たれて働かされるイメージを持っています。
これは、悲しいことですね。

一方で、好きなことを想像するとワクワクしてくるはずです。
大聖堂のためのレンガを積む職人も然りですが、
自分が本当にやりたいことに取り組んでいたり、
お客さんが喜んでくれている場面を想像すると、楽しくなりませんか。
たとえば、自分は楽しく過ごしているが他人は喜ばない場合だと、
それではビジネスにならないので、それは単なる趣味ということになりますが、
そうではなくて、
自分は楽しく過ごしており、かつ他人も喜んでくれる……というパターンだって、
組み合わせとしては作れるはずです。
古今東西の成功者を観察すると、
自分が楽しいのと同時に、他人も喜ばせていることが分かります。
決して、ムチ打たれて働かされてなどいません。

私は、古今東西の成功者と比較するのもおこがましいですし、
大聖堂を作っているわけでもありませんが、
自分の仕事を通じて社会に貢献しているんだという自負を持って、
それなりに、ワクワクしながら働いています。

アンタは陽気でいいね……という声が聞こえてきそうですね。
こっちはアンタと違って余裕がないんだから……と。

いやいや、私も同じですよ。
人間とはある意味では弱いもので、崇高な目標もすぐに忘れてしまうし、
ついつい生活に目を奪われてしまい、
「~せねばならぬ」というマインドに戻ってしまいがちなもの。
それは私も一緒です。
しかし、私はそういうダメな自分を知っているので、
そうなってしまった時、そんな自分にいち早く気づいて、
そこに、ワクワクを上書きしていくことにしています。
朝起きたら、今日、どんなに素晴らしいことが起こるのか、
夜寝る前に一日を振り返り、明日はどんな素晴らしい未来がやってくるのか、
いちいち想像して、自分をワクワクさせていくのです。

結局、普通の人間は、義務感だけでは苦痛なのではないかと思うのです。
もちろん、仕事に義務感を持つことは当然だとは思います。
必要なことでもあるでしょう。 
しかし、私は、そればかりだと苦痛を感じるということを言いたいのです。
社会人生活は長く、苦痛を感じることは継続できませんから、
ワクワクがないと長い人生を完投することは難しいのではないかと思います。
人工知能の進歩が目覚ましい昨今、
そういうワクワクしないことは、機械にやらせておけばよいと私は思います。

このほど、研修をコンプリートする新入社員たちを含め、
みなさん、義務感や責任感に囚われてはいませんか。
毎日、「~すべき」と考えてはいませんか。
そんな緊縛プレイはやめて、
自由に「自分はどうありたいか」を考えてみましょうよ。
そのほうが絶対に楽しいですよ。

ちなみに、近年、ワークアンドライフバランスなどというバカな思想が流行っていますが、前述の古今東西の成功者を見れば、成功者に「仕事とプライベートに明確な境目がない状態」の人が多いこともわかってきました。私はこれも見習うことにしています。

[SE;KICHI]

鉄の失敗談②

以前にもちょっとだけ触れたことがありますが、
北陸から出張や旅行で名古屋へ行こうとするとき、
“特急しらさぎ”と乗り換えの東海道新幹線がセットになった、
「名古屋往復割引切符」というのがあります。
この切符では、特急は指定席ですが、途中の米原より先、
名古屋までの東海道新幹線は自由席になります。
帰りも然りで、米原から北陸方面の特急は指定席ですが、
米原までの、名古屋からの東海道新幹線は自由席を利用することになります。

さて、何しに行ったのかははっきり覚えていないのですが、
仕事で名古屋に出かけた際の話。
その日は、思っていたよりも効率的に予定が消化でき、
名古屋駅に戻った時点で、当初の想定時間より1時間も早かったので、
そこは自由席の気安さ、
予定より早い新幹線に乗って、早めに帰ろうと思ったわけです。

私は、行動しました。
いま思えば、米原までは新幹線自由席ですが、その先の特急は指定席なので、
まずは、みどりの窓口に向かい、乗車可能な乗り換えを提示してもらい、
乗車変更の手続きをしてもらうべきでした。

しかし、その時の私には、そのようなことは露ほども思い浮かばず、
早い新幹線に乗るため、とりあえずホームへ急ぎました。
歩きながらスマホで乗り換え案内を検索すると、
14:19発のひかり513号に乗れと教えてくれます。
その時点で時刻は 14:08 頃なので、余裕で乗れそうです。
穏やかな心境で、エスカレーターでホームに上がります。
ホームに「ルルルルル……」と発車ベルが鳴り響いています。
徐々に視界に入ってきた電光掲示板によれば
いま、発車しようとしているのは 14:09 発のひかり471号のようです。
「おおっ、ラッキー! 10分早いひかりに乗れるじゃん!」と、慌てて飛び乗り、
「ふふふ、だいぶ早い新幹線に乗れたぞ。これは早く帰れるなぁ」と、
密かにほくそ笑む私。

車内アナウンス。
「今日も新幹線をご利用くださいまして、ありがとうございます。
この電車は、ひかり号新大阪行きです。
途中の停車駅は、京都、です。
この電車は全席禁煙となっておりま……」
・・・・・・んっ!? 米原は?

敗因は、ひかりの停車駅が全便共通だと思い込んでいたことです。
つまり、米原に停車しないひかりがあることを知らなかったのです。
というわけで、後ろに飛び去って行く米原駅ホームを車窓に眺め、
次に私が新幹線を降りたのは、古都・京都。

スマホの指示通りに乗っていれば 14:52 には米原に着いていたはずで、
14:56の特急しらさぎに乗れたのですが、
10分早いひかりに乗ったばっかりに、京都に到着してしまった私。
現在時刻 14:46 から、戻らねばなりません。
14:56発、のぞみ28号、米原に停まらない。
14:58発、ひかり472号、米原に停まらない。
15:02発、のぞみ372号、米原に停まらない。
15:05発、のぞみ232号、米原に停まらない。
15:08発、こだま666号、米原に……あぁ、やっと停まる新幹線だ。
それに乗って米原駅まで戻り、米原駅に着いたのは15:30。
当然、14:56 の特急しらさぎには乗れませんで、
乗れたのは 15:56 の特急しらさぎ。
当初の想定時間より1時間も早く名古屋駅を出た私でしたが、
意味なく米原⇔京都を往復したせいで、乗れた特急は、当初の予定通りでした。
・・・・・・乗車変更しなくてよかったぁ。。。

教訓は何でしょうかね。
慌てて飛び乗ってはいけません、か。

とまぁ、これは何年も前の話なのですが、最近、ちょーっとだけ似た話が。
東京などに出張する際、
私は、基本的に自宅にクルマを置き、
最寄りの駅まで歩いて、そこから出張に出かけるのですが、
仕事が立て込んでいるときなどは、その次の仕事を想定して、
あらかじめ必要な場所にクルマを停めておくことがあります。

その日は、夜に富山駅から出発する出張でしたが、戻った後の仕事を見越して、
富山駅からトラムで20分ほどの蓮町駅というところにクルマを停めました。
蓮町駅からトラムで富山駅に向かい、新幹線に乗るという寸法です。
私は駐車場にクルマを入れ、駅手前の踏切で富山駅行きを1本見送ったのち、
蓮町駅のホームに入りました。
スマホの乗り換え案内は何事か指図してきますが、
早朝や深夜じゃあるまいし、本数も多いはずなので問題ないでしょう、
蓮町駅の時刻表を確認します。

なるほど、毎時6分、21分、36分、51分……15分間隔のようです。
しばし、おとなしくベンチでトラムの到着を待ちます……来ない!
現在時刻は20時06分。
毎時6分に来るはずじゃなかったのか、
さては遅延かと時刻表を再度確認。

蓮町駅時刻表

……おおっと。
……20時台から、まさかの間引き運転でした。
次に蓮町駅にトラムが来るのは20時21分。
乗る予定の新幹線の富山駅発は20時41分。
蓮町駅から富山駅まで20分……あぁ、もう、ダメだな。
つまり、さっき駅手前の踏切で見送った富山駅行きが私的終電。

大急ぎで駐車場に戻り、富山駅まで車で移動した私。
どうも、もうひとつ思慮が足りないというか、綿密さに欠ける私。
西村京太郎ばりの完全犯罪には向いていないタイプなのでしょう。

[SE;KICHI]

ご来場に感謝いたします。

先日ご紹介しましたが、この週末は、
富山商業高校の模擬株式会社「TOMI SHOP」の本番でした。

3年生の武田社長以下、社員である全校生徒を巻き込んで、
春から準備を重ね、ここまで作り上げてきました。
社外取締役として関わってきた私たちにとっては、
なんだか我が子の集大成を見るようで、ほほえましいです。

この模擬株式会社では、
「社会貢献 幸福追求」を理念に掲げています。
提携企業と商品開発を進め、ただ売るだけではダメです。
それだと、仮に売れなかったとき、
商品が悪かったって、提携企業のせいにできますから。
商品開発から営業から接客・会計まで、すべてを我が責任ととらえ、
接客までを商品と考えて、いかにお客様に幸福になってもらうか、
そういう考え方を大切にしています。

とはいえ、最初から一枚岩でそのように思っていたわけではなく、
昨年を経験している上級生が、
今年から入った1年生にその経営理念を教え込む、ということを連綿と繰り返し、
そしてようやく今があります。
私たち社外取締役も含め、教え込む側の上級生にしてみれば、
最初は荒れ果てた荒野に水を撒くような途方もない作業でしたが、
考えてみたら、普通の会社というか、
社会というのも、実はそういう構造を持っていますよね。
高校生たちにとっては、将来のための、良い経験になったことでしょう。

毎年、「TOMI SHOP」の日は土砂降りの雨なのですが、
晴れ女だという武田社長のおかげで、今日は好天に恵まれ、客足も上々でした。

2018 TOMI SHOP①2018 TOMI SHOP②
2018 TOMI SHOP③2018 TOMI SHOP④

ただ、欲を言うなら・・・・・・みんな品行方正でしたね。
ふざけたり、「やってられねーぜ」と怠けている生徒はいませんでした。
まぁ、指導する立場としては思惑通りで結構なことなのですが、
高校生というのはふざけてナンボみたいな気もしますので、
最近の高校生はおとなしいなぁと、少し寂しい感じがしたのも事実です。
大人が、ふざけるな!と言い過ぎなのかもしれませんね。

いずれにせよ、ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。
ご来場いただいた皆様のおかげで、この「TOMI SHOP」が、
単なる地元企業を巻き込んだイベントから、
生徒たちにとって素晴らしい経験へと昇華するのだと思います。
ぜひ、彼らには、これからの人生に役立てていって欲しいです。

[AKA]

『武士道』

新渡戸稲造さんの有名な著書ですが、
今までのブログで書いたように、
読書をしてこなかった私は知りませんでした(汗)。

武士道と聞いて思うことは、
封建時代の武士の生き方・考え方と思うことと、
騎士道との違いについてくらいでしたが、
今の日本があることなど、なるほど考えさせられました。

もちろん現代語訳されたものですが(汗)

私の先祖は武士ではなかったと思うのですが、
長く武士の世が続き、
その中で日本人の考え方の基になっていったものが、
広がっていったのではないかと思います。
藩校や寺子屋などで論語などの教育をして、
知識だけのものはかえって馬鹿にされるなど時代的なものも感じましたが、
この教育に対する姿勢のお陰だと思います。

誠について、二枚舌を使うなどを恥と考える
二言についても命を懸け誇りを持って守ったことも教育のお陰だと感じました。

自己表現が下手だったり、妻のことを愚妻と言ったりとか、
その関係性について今の若い世代には理解しにくいかもしれませんが、
半分は自分のこと、半身として考えるとすれば私には理解できるし、
言葉として納得できました。
だって奥さんの事を愚か者だとは思っていませんもの。
これは日本人らしいと言ってもいいのではないかと思います。
愚妻とか言うのが正しいという訳ではありませんが。

東日本震災の時に物資が不足している中、
暴動・略奪などが起こらず、
整然と並び順番を待っていることが海外でも評価された話がありましたが、
それも他の人との調和や思いやることが、
しっかりと日本人には入っているのだと思います。

いや、評価されることだとは思っていなく、
やることが素晴らしいのだと本を見て思いました。
テレビを見ると自分のことだけを言ったり、
それを面白おかしく取り上げて、
個人の権利だと正当化するような意見だったり、
言わないと損をする、目立つ為に考えられない意見を言う、
何でも有りなのかと何とも言えない不快な感じを受けます。


中学校の部活動に関わっているので、
ダメなものはダメだと、
日本人の良識を話せるようになりたいと思いました。

『武士道』
https://bookwalker.jp/dee887a6a5-632d-4448-a7d2-1fc72197cd4e/

[WAKA]

熱闘、甲子園!

枕草子に「有馬温泉」「玉造温泉」と並んで登場するのが「渋温泉」です。
猿が入浴することで有名ですね。
先日、渋温泉は春蘭の宿 さかえやさんにお邪魔しました。
こちらは豪華な高級旅館というわけではありませんが、
私は充分に満足するサービスを受けることができました。

ロビー ご案内
絵手紙コーナー 夕食

旅館業界には、『旅館甲子園』というのがあります。
自館の魅力や取り組み、仕事への思いを従業員がプレゼンテーションする大会です。
私は、その映像を見て、その旅館に泊まってみたいと思い、訪れたわけです。

私たちが来館した際、客室まで案内してくれた仲居さん。
着物につけた名札によれば梅沢有里さんという若くてかわいらしいお嬢さんで、
ご挨拶などもしっかりされていて、すこぶる好印象でした。
しかし、旅館甲子園の映像に登場する彼女は、
大勢の前で声を張り上げ、「私は不登校で、自傷行為を繰り返していましたが、
さかえやの就労体験のおかげで立ち直ることができました!」と言い、
「今度は私がみんなを支えます」と誓っていました。
いまでは、お客様のために太鼓のパフォーマンスを発案し、
傷を気にせず二の腕丸出しで太鼓をたたいている元気娘になりました。

また、渋温泉は外湯めぐりが有名なのですが、
私たちが外湯から戻った際、サッと新しい浴衣を用意してくれた番頭さん。
名札によれば堀内勇斗さんという爽やかな青年で、
実に細やかなところに気遣いをしていただけて、これまた好印象。
しかし、旅館甲子園の映像でのプレゼンによれば、
彼は漢字が読めず、食事の献立すら読めないため、
小学5年生の漢字ドリルで勉強しているんだとのこと。
そんな彼でも、番頭として館内を整備したいと、
コツコツ積み立てて、駐車場の舗装などを実現したんだそうです。

それから、私たちの夕食の給仕を担当してくれた菅原麻弥さん。
秋田出身で、大学からこちらに来たという彼女も、
よく話し、よく笑う、実に感じの良い方で、つい日本酒を追加注文してしまいました。
彼女も、映像によれば、さきほどの堀内さんなどの頑張りを見て、
接客部門の自分にも何かできないだろうかと考えた末、
オリジナルのプリンなどのメニュー開発に取り組み、
それが館内で思うように売れないと分かると、
近隣のコンビニに交渉して置かせてもらうなど、
目を見張る行動力を見せています。

ちょっとワケアリふうの社員さんが多いことにお気づきになったかもしれません。
そうなのです。
この旅館は、素泊まりでも一泊ひとり 10,000円くらいするのですが、
その分、付加価値を高めるということに注力しておいでです。
付加価値とは何でしょうか。
さかえやさんが考える付加価値は“人”なんだそうです。
コンサルタント出身の湯本社長は、旅館で働く「人」にスポットを当て、
スタッフ教育や目標共有のみならず、
不登校や引きこもり等の学生を受け入れるフリースクールを開校したり、
犯罪を犯した人の矯正に取り組んだりという地域貢献にも力を入れておられ、
これら、さまざまな取り組みが評価され、旅館甲子園では2連覇を達成されています。

湯本社長は、豪華な調度品とか、そんなものよりも、
社員を見てほしいと、しきりにおっしゃいます。

私は最初、そういうプロフィールだけを聞いて、
湯本社長という人物は、さそや強い信念を持って、
強いリーダーシップで社員を牽引していらっしゃる経営者なのかと思っていたのですが、
膝詰めで話をお聞きすると、ここまで決して順風満帆だったわけではなく、
事業承継がうまくできずにリーダーを退職に追い込み、
そのことによって労働裁判が巻き起こったり、
それを知った他のリーダーたちが一斉に退社したり、
社内のクーデターで突然団体交渉が始まったりと苦難が続き、
そんななか、唯一の頼りと思って意気投合していた料理長も通勤中に急死するなど、
様々な苦難が映画のように襲いかかってきていたそうです。

そんな湯本社長が、どん底で気づいたのが、
自分は従業員を見ていなかったのではないかという反省。
売り上げばかりを気にして、
従業員に寄り添った経営をしていなかったのではないかと気づいた湯本社長は、
部下を成功させることが上司の役目だと悟り、
全員で、お客様に喜んでもらえる旅館づくりに力を入れました。
いまは、どんな人でもみんなで一緒に働ける職場を作りたいという、
その思いだけで経営しておられます。

「ウチだって人は大事にしているよ」という会社は、数多くあるでしょう。
しかし、さかえやさんでは、お客様にご満足いただけているかどうかはもちろん、
どうやったらお客様に喜んでもらえる旅館づくりができるか、
社員の呼びかけで自発的に学習会が始まり、
経営者のビジョンや経営方針を全社員で共有する風土が生まれ、
現在では全社員が決算書を作れるようになっているんだそうです。
全社員が決算書を作れるようになっている会社が、日本にどれだけあるでしょうか。

企業の存続と発展には、
経営者と社員が心をひとつにすることが不可欠だと言います。
そのために、経営者は勘に頼った経営から脱却し、
日頃から真摯に学び、人格の陶冶に努めなくてはいけないと湯本社長は言います。
私は、ここに、その真髄を見た気がします。

さて、ところで、途中で少し触れましたオリジナルプリン。
味噌が隠し味になっていて、すごくおいしいです。

オリジナルプリン

1個 300円ですが、ついつい大量に買ってしまった私、
気づけばさかえやさんの目論見にまんまとやられている、
そんな感じです。

[SE;KICHI]

TOMI SHOP の時季ですね。

“働く”とはどういうことでしょうか。

そういうのは、学校ではあまり教えてくれないことかもしれません。
また、なんだか疲れ切った大人が多いなか、
子供たちにそれを伝えるのも、難しいことなのかもしれません。

ちょっと前のテレビ番組で、
「守るべきものがある人と失うものがない人では、どちらが強いか」というテーマの、
検証のような内容を放送していました。
僧侶や精神科医などの有識者の見解は、
「失うものがない人のほうが強い」で、私も同意見でしたが、
それとは別に街頭インタビューを敢行したところ、
68%の人が「守るべきものがある人のほうが強い」という意見で、
「失うものがない人のほうが強い」と答えたのは33%にとどまりました。

この結果に、私は密かに衝撃を受けました。
というのも、その理屈でいくと、
働く意味付けが「守るべきものを守るため」ということになってしまい、
つまり、「生活を守るために資金を稼ぐ手段が仕事である」というような、
矮小化された仕事観を肯定しなくてはいけなくなるからですが、
68%もの人が、そのほうが仕事を頑張れる……と思っているということで、
それって、なんか、食べるために狩りをする動物のようだと思った私。

果たして、“働く”とはどういうことでしょうか。

ところで、富山県立富山商業高等学校では、
「TOMI SHOP」という模擬株式会社を作っています。
“模擬”ではありますが、企業理念もはっきりと成文化されており、
組織もきちっと作られているので、そこらの中小企業よりも立派なものです。
まぁ、830人の全校生徒が社員なので、もはや中小企業とは言えない規模ですが。

TOMI SHOP 2018 武田社長

この方は今年の模擬株式会社の武田社長。
隣に掲げられているのが、この模擬株式会社の企業理念です。
立派な企業理念ではないでしょうか。
この写真は方針演説ときの写真で、赤字で書かれた「幸せの追求」について、
「お客様の幸せを追求することが大切だよ」と語っているところです。
そして、この後、「それが社会貢献につながるんだよ」という話につながります。
どうでしょうか、立派な企業理念ではないでしょうか。
「生活のために働かなきゃいけない」なんて、
そんな義務めいたことは言わないのです。

TOMI SHOP は社長以下、いくつもの部署に分かれています。

TOMI SHOP 組織図

私は今年、総務部の指導を担当しました。
なかなか大きな部で、私一人で指導するのは大変でしたが、
3年の巻端部長以下、よく頑張っていると思います。

当初の部署目標は「お釣りを間違えない」というものでした。
……いやいや、「~ない」って、それ、目標じゃないから。
それは遵守事項でしょう。

「~ない」のような否定語を目標に据えてしまうと、
俄然、仕事が義務になってしまって楽しくなくなってしまうでしょうよ。


総務部は、直接お客様に接触しない部署であるがために、
自分たちにできることは「正確なレジ打ち」ぐらいだと思っていて、
しかし、それだとお客様に感動は与えられないから、
社長方針が全然ピンと来ないという葛藤があったようです。
仕事というのは、愛の発露というか、愛情表現だと思うので、
企業理念のとおり、「お客様の幸せを追求することが大切だ」と、私も思います。
「お釣りを間違えない」が追求できたとしても、
お客様にとっては当然の事で、別に「お客様の幸せ」にはつながりませんから。
もっと積極的で建設的に、仕事を通じた愛情表現を考えてほしいものです。

しかし、むしろ、義務のような気持ちで働いているのは、
すでに社会に出てしまった大人たちのほうかもしれません。
私たちは、少しでも、学生のうちから望ましい仕事観を持てるよう、
大学や高校に出向いてキャリアガイダンスを行うなどの活動をしていますが、
周囲の大人に疲弊した感じを目にした学生たちは、
仕事に希望を持てなくなるのも致し方ない部分もあるのかもしれません。

さぁ、武田社長以下、商品開発から仕入れまでを生徒自身が行い、
ついに今年も、11月17日(土)-18日(日)に SHOP をオープンします。
応援する気持ちのある方は、見にきてやってください。

TOMI SHOP 2018

与えられた場所で、お客さんのことを思い、できるだけのことをしなさい……って、
言うのは簡単ですが、でも、これって、私たちの会社でも同じですよね。
単なる会社ごっこに見えるかもしれませんが、経営に携わっている彼らは真剣ですし、
商品化で関わっている各企業や、監修している私たちも真剣です。
みんな真剣にやってます。
そして、こうやって真剣に悩みながら会社運営した経験が、
将来の彼らの糧になれば、私たちも望外の喜びです。

[AKA]

少年時代を再び・・・

小学生の頃からの付き合いで、今でも遊んでいる友人がいます。
現在は東京に住んでいる友人なのですが、
新潟に帰ってきたときには一緒に食事などに行きます。
今年の9月にその友人が帰ってきたとき、少しいつもと違うことが・・・

「ミニ四駆やろうぜ!」

私が小学生の頃にブームとなったものです(最初のブームは私の世代より少し前ですが)
有名な玩具なので説明は不要かもしれませんが、
レーシングカーのような模型を組み立て、電池を入れて走らせるものです。
モーターや、タイヤ等のパーツを変更し、自分仕様に改造することも可能です。
彼がなぜ再びミニ四駆を買ったのかは不明ですが、
ミニ四駆を試走させたいとの要望があったので、
ホビーロードという模型店に行きました。

お店に着くと、入り口にはジブリ作品のぬいぐるみやフィギュア等のグッズが。
模型店というとちょっとマニアックなイメージを持たれるかもしれませんが、
こういったものも豊富に扱っています。
個人的にホビーロードの看板であると思っているRCカーも相変わらず置いてあり、
コースもありました。
ガンダムの模型等も懐かしく、友人達と盛り上がっていました。

そんな感じで店内を歩き回り、ついに発見。
ミニ四駆コーナー!
ちゃんと走らせるコースもありました。
売り場を見ると、昔買ったことのあるマシンが復刻で売られていたりしていました。
もう見ているだけでみんな興奮していました!
その瞬間は少年時代に戻った感覚。
親子で来ている方もいらっしゃたのですが、
パーツ等を見ている姿はお父さんのほうが真剣でした 笑

無事にコースも見つけたので友人のマシンを試走させることに。
パーツはモーターだけを変更し、
タイヤやローラー等はデフォルト状態(本体を買ったら付属されているもの)でした。
いざ試走・・・

「速い!!」
友人の買ったミニ四駆は新型のものでした。
モーターを変更しただけで、かなりのスピードでみんな驚き!しかし・・・

「コースアウト!」
モーターを高性能なものにしたのに、他のパーツが平凡的なものでしたので、
スピードについていけなかったのです。
昔の経験上ですが、ミニ四駆は全体のバランスがとても重要です。
モーターを速いタイプのものにしたら、
高性能なローラーや安定性のあるタイヤにカスタマイズしなくてはいけないのです。
それを実感した友人はその場でパーツを買っていました 笑
私ともう一人の友人もミニ四駆を買うことに。
次回集まるときは3人でミニ四駆を走らせることになりました。
コースアウトは私もしたくなかったので、パーツは買っておきました 笑

最後になりますが、ブームの火付け役となった漫画と、私の買ったミニ四駆の紹介です。

「爆走兄弟レッツ&ゴー」

爆走兄弟 レッツ&ゴー!! WGP
https://www.videomarket.jp/title/131021/gZ131021001999H01

小学生の頃にこの漫画でミニ四駆にハマりました。
「いっけー!マグナム」と声を出すとマシンが加速したり、
服のボタンを走っているマシンのタイヤに当てて軌道修正させ、
壁走りで他のマシンを抜いたりと、まさに少年心をくすぐる漫画でした。

そして私の買ったマシンの、「バスターソニック」とこれから付ける予定のパーツ。

BUSTER-SONIC パーツ

パーツはまた買い足すかもしれません。

今この記事を書いているのは、11月6日(火)なのですが、
実は今週末に友人が帰ってきてミニ四駆を走らせる予定なのです。
全然作ってない・・・
おそらく土曜日に会うので、それまでになんとか完成させないと!笑

以前、K.K君がウルトラマンの記事を書いたときに、
もう一度アツくならないか、というのを書いていましたが、
少年時代にハマったものは思い出がありアツくなれます!
たまに振り返ってみると、新しい発見があったり、
私のように心が洗われるかもしれません 笑  

皆様がアツくなったものは何ですか?
アツくなったものが人生に大きい影響を与えていると個人的に思っています。
スポーツ選手はその代表的な例だと思います。
私は小学生の頃にギターを始めたのですが、今でも弾いています。
さすがに学生の頃のように毎日は弾けませんが、
弾いてるときは他の面倒なこと考えずに熱中できます。
このフレーズ難しいーとか、上手く弾けたー!とか・・・

この記事を読んでる方で、
日々忙しかったり、ストレスを抱えていたりする方がいらっしゃたら、
ぜひアツくなれるものを見つけていただきたいです。
その時間は、あなただけの特別な時間だと思います。

アツくなれるものなんてないよ、という方は私と一緒にミニ四駆しましょ 笑

今回も長くなってしまったー。読んでいただきありがとうございました。

[SYUN]

ちゃんと教えろよ。

先日、中学校の公民の教科書を見る機会がありました。
その公民の教科書によれば、
天皇陛下とは、
法律を公布したり、衆議院を解散したり、総理大臣を任命したり、
いわゆる“国事行為”を行うことが仕事なのだと書かれていました。
バカなことを教えるな!と思います。

本質を見よと言いたいのです。
ちょうど一年前くらいに書いたとおり、
天皇陛下の本務は祭祀のはずです。
もっと言えば、11月23日の新嘗祭が、もっとも大事な祭祀でしょう。
これは、天皇が五穀を天神地祇に勧め、また、自らもこれを食して、
その年の収穫に感謝するという、収穫祭にあたるものですが、
この新嘗祭のことを、どれくらいの人が知っているでしょうか。
その日は、「勤労感謝の日」などという、
ワケの分からない名前の祝日になっていますが、
本当は大切な新嘗祭の日だと、どれくらいの人が知っているでしょうか。

もともとの天皇陛下の仕事というのは、
国家の安寧のために祈ることであり、祭祀を主催することであり、
言ってみれば“大神官”とでも呼ぶべき役目です。
日本が平和なのはそのおかげ・・・・・・かどうかは知りませんが。

しかし、残念ながら、認知度は高くないでしょう。
だって、学校で教えてくれないから。
なぜ、学校で教えないのでしょうか。
日教組とか、いろいろあって、天皇制について肯定的でないのかもしれませんが、
喜ぶのは誰かと言えば、日本をろくでなし呼ばわりする隣国でしょう。

古来、神官としての天皇が、
国民の、ある種の誇りのようなものになってきたことは事実で、
そして、この誇りが、日本人の精神性の高さにつながってきたはずです。
それが、天皇を、中学校の公民の教科書に書かれているような、
国事行為という、必要かどうかも分からぬような行為をしている人であるとした場合、
とりもなおさず、強烈な自虐史観につながるわけです。
学校には、ぜひとも、
憲法とは関係ない視点で、天皇とは何者なのか、
本質を教えてあげてほしいと思うのです。

天皇陛下のことも、単なる老人と思えば、
日本が自虐史観から脱するのが難しくなることでしょう。
結局、本質ではない部分を追えば追うほどリスクも負うという話です。

ところで、今上天皇は来年の4月に退位され、上皇という立場になられるわけですが、
最終的に、歴史の流れにおいてはなんと呼ばれることになるのでしょうか。
大正期の天皇が崩御後に大正天皇と呼ばれ、
昭和期の天皇が崩御後に昭和天皇と呼ばれた先例からすれば、
おそらく、平成期の天皇ということで、いずれ崩御された後には、
歴史のなかで「平成天皇」と呼ばれることになるのだろうなと予想はするのですが、
すでに「平城天皇(へいぜいてんのう)」という方がいらっしゃいますので、
今後、紛らわしいことになるなと思っています。
というか、桓武天皇に関心があった私、
実は、いまから30年前、新元号が「平成」に決まったと聞いた際、
すかさず平城天皇を思い浮かべ、
「どうして諡号(死後の呼称)を考えずに元号を決めたんだろう」と、
不思議に思ったものです。(平城天皇は桓武天皇の第一皇子)
聞けば「平成」は、
「修文(しゅうぶん)」と「正化(せいか)」とを合わせた3案から選考されたそうで、
ますます、なんでそれを選んだのかと、ちょっと不審に思ったものです。
まぁ、宣化天皇(せんかてんのう)という方もいらっしゃるので、「正化」も厳しいかもしれませんけど。

ともあれ、平成は31年で終わり、新元号に移行するわけですが、
新しい元号は何になるのでしょうか。
「昭和」は、四書五経の一つ書経堯典の「百姓昭明、協和萬邦」によるのだそうですし、
「平成」は、大禹謨の「地平天成」から採られていると言います。

少しだけ希望を言わせてもらえれば、
できれば、
漢籍の古典から採るのもほどほどにしてもらいたいなぁ、なんて。
先にも書いた通り、天皇陛下というのは、国家の安寧のために祈る存在であり、
日本の神職の総帥にあたる方です。
江戸時代の禁中並公家諸法度により元号が中国由来なのは承知していますが、
日本の神職の総帥の治世というか、その方の即位を示す元号が、
どうして隣国の古典に依拠したものなのかと、ちょっと疑問に思うのです。

浅学な私には、具体的にどんな元号がいいとか、そういうことは言えませんが、
日本が自虐史観から脱するためにも、
我が国に伝わる伝統的な価値観から選定してくださればいいのにと、
私なんかのあずかり知らぬことながらも、願ってやみません。

[SE;KICHI]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
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■富山本社/〒930-0821
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■新潟営業所/
〒950-1142
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FAX:(025)283-7469



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