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民泊について

今年の5月に兄夫婦と会う為、埼玉へ行ってきました。
日帰りではなく泊まりで行ったのですが、みなさんは最近旅行とかされてますか?
今回は旅行に関わる宿泊についてのお話しとなります。

旅行に行ったとき、宿泊先選びは様々だと思います。
ホテル、実家、友人や親戚の家、
最近だとネットカフェに泊まる人も少なくなさそうです。
ちなみに私はホテルばかりです。
ネットカフェは利用はしたことはありますが泊まったことまではありません。
しかし、5月に埼玉へ行く前になかなか面倒なことがありました・・・

「ホテル全然空いてない!どうしよう!!」
そう、予約が埋まっているホテルが多かったのです。
空いてるホテルは高かったり、最寄り駅から少し離れていたり。
結局そのとき予約したのは最寄り駅から少し離れたホテルでした。
しかもそんなに安くない。
今までなんとも思っていませんでしたが、まさか宿泊先に悩み、
時間を使って探すとは思ってもいませんでした。
そんな悩みが少し解消されそうな動きが最近ありました。

「民泊」。
文字通りに民間の住宅の空き部屋や、マンションの空き室、別荘等に泊まることです。
聞いたことのある方がほとんどだと思います。
しかし、実際に利用したことのある人はほぼいないとのことです。
個人的にはホームステイと言い換えた方が馴染み深い気もします。
ホテル、旅館よりも安い価格で泊まることが可能なのでリーズナブルです。
そんなに便利ならホテルが空いてなかったら民泊すればいいじゃんってなりますよね?
確かに一つの選択肢になりますが、デメリットがあるため、泊まったことがありません。

民泊のデメリット(あくまで個人的な意見です)
衛生面などの安全面。
ホテルで泊まるときは、この部分に心配することはほぼありません。
やはり一般の民家となると気にしてしまうところです。
人のこと言える部屋の状態ではないですが・・・
次に、法的な安全面。
もちろん民泊営業をする際には法律や条例に従って、申請をしなければなりません。
しかし、手間やコストの問題から無許可で営業している民泊も非常に多いとのこと。
実際に犯罪も起きています。
今はインターネットの紹介サイトで民泊先を調べることができるのですが、
ルールから隠れ営業しているところも多いと思うと、
怖くて気軽に連絡すらできません。

結局デメリットが大きくて、
というか怖くて民泊に泊まる気にはなりません・・・
最初に言っていた宿泊先が少ない問題は、
解消されてないじゃないか!って思いますよね?
いやいや、ここからが本当のお話しですよ!

今年の6月に民泊新法が施行されました。
こちらは一定の条件を満たし、申請すれば民泊営業が可能です。
今までは旅館業法の許可が必要でしたが、かなりの手間とコストがかかります。
それがなくなり、かなり申請のハードルが下がったとのことです。
そもそも、なぜこのようにハードルを下げて営業できるように認めたかというと、
2020年の東京オリンピックのためです。
日本を訪れる外国人の数が増えることは容易に予想ができます。
しかし、宿泊施設不足が問題になっているとのこと。
私の悩んでいたホテルがないってのと通じています。

いま現在は9月ですので、民泊新法のその後となります。
実際のところは・・・申請している物件が非常に少ないとのこと。
やはり、手間とコストはある程度かかります。
そして年間180日までを営業日とするという部分に不満があり、
辞めてしまうところも多いとのことです。
これでは宿泊施設の増大には逆効果と思われてしまいます。
しかし、申請をせず、撤退する場所も増えるということは、
違法な民泊営業も減るというメリットもあります。

民泊新法が施行されても宿泊施設不足は解消されていない。
しかし、新たな法律になったため、参入した大企業があります。
パナソニックです。正確には子会社となったパナソニックホームズですが。

パナソニックホームズは、土地活用の事業を行っています。
土地所有者に対し、貸賃住宅や店舗用住宅などを提案し、
建設を請け負っています。
また、それを借りたうえで土地所有者に支払うこともできます。
今回の改正に伴い、
「一室から営業が可能、フロントを設ける必要がない、ITによる本人確認が可能」など、
規制が緩和され、そこに目をつけ民泊に参入したのです。

民泊は怖いというイメージをお持ちの人も、
パナソニックが経営しているとなったら安心感がありますよね。
家電設備もきっと綺麗なパナソニックの製品ですよ!笑
なにかが大きく変わるときにビジネスチャンスを捉え、
実行できることは素晴らしいです!


少し私個人の感想を・・・。
2020年、東京オリンピックまでに宿泊先不足が解消されるのかですが、
難しいと思います。
正直2年でどこまでのことができるのかという単純な意見もありますし、
今年は災害も非常に大きかったため、
いま現状としては、
被災地の復興に重点を置くべきだと思っています。

(私も少ないですが募金はさせていただきました)


なんだか少しネガティブな意見になりましたが、
大きな企業が民泊に参入というのは面白いと思います。
それにしても経営者の方は大変です。
こんなに法律が変わったりしてきたら、日々勉強していないと、
「あれ?自分のやっていることっていいのかな?」とか、
なっちゃいそうです 笑
ちょっと極端過ぎましたけど。

自分ももっと勉強しないといけないです。
それでは今回は以上になります。
ありがとうございました。

[SYUN]
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遠離一切顛倒夢想

林修先生が、「無常」の対義語は「常住」だと言っていました。
これは法華経や涅槃経に出てくる言葉で、完全な仏教用語です。
どこかの試験問題らしいのですが、すごい問題ですね。

常住というのは、永遠不変なこと、変化しないで常に存在することです。
仏教的価値観に照らせば、実際には、そのようなものは、世に存在しません。

仏教には、『四顛倒』という迷いの世界があります。

曰く、人間の外見に価値を見出していないか、
自分の外見を磨くことに熱中していないか。(→「浄」)
曰く、五感による感覚作用を重視していないか、
見ることや聞くこと、味わうことを重要視していないか。(→「楽」)
曰く、心の動きは変化しないものだと思っていないか、
愛する2人の関係など、人間関係が永遠だなどと誤解していないか。(→「常」)
曰く、自分の存在や財産は永遠だなどと思っていないか、
両親や自分の肉体でさえ変転しないと思っていないか。(→「我」)

つまり、これらは、この世で自分に起こってくる感覚を重要視する立場で、
仏教ではそれを野蛮な錯覚であると戒めており、
こういう倒錯した考え方に人間の苦しみが発生すると説いています。

最近は、犬猫のような生き方が流行っているのか、
「喜怒哀楽があってこその人間だ」とばかりに、
感情をストレートに吐露することを善きことともてはやす風潮があるようです。
人間関係でも相手の対応が満足なものでなければ「ムカつくっ」と口に出します。
これは仏教でいうところの、野蛮な錯覚です。
人間的というより、動物的な感覚ですね。

古来、日本人は、他人のことをとやかくは言わないものでした。
いろんな人がいるよねという寛容さがありました。

私は、たまに靖国神社へ参拝に出かけます。
遊就館で、有名無名の英霊の事績に触れ、
この国の今日が多くの方のおかげで成り立っていることを考えるとき、
自然と敬虔なというか、謙虚な気持ちが湧き上がってきます。
戦後の焼け野原や食糧不足を乗り越えて復興したこと。
男女問わず広く高等教育を受けられるようになったこと。
商業も発展して、世の中には仕事があり、経済が成長してきたこと。
国民皆保険で医療制度も充実してきたこと。
こういうことの礎になった方がいたからこそ、今日の日本があるわけで、
やや国粋的に聞こえるかもしれませんが、感謝の気持ちが強くなります。

いま、日本は、自分と違う価値観の人が現れると「ムカつくっ」と感情を露わにし、
攻撃し始めるという、なんか動物みたいな感じの国になってしまっています。
だいたい、怒りの気持ちというものは、
日常の些細な誰かからの言動などに起因するものですが、
それを力いっぱい外に放出することは、
仏教でいうところの、肉体・感覚・喜怒哀楽に振り回されている状態でしょう。

心とは無常なものです。
つまり、自分自身にのみ適用される、極めて自己本位なものです。
そういう自己本位な肉体や感覚に起因する心の動きを一旦押しとどめ、
湧いてきた喜怒哀楽をサラリと抑えるのが成熟した日本人のように思います。

自分の感情が何よりも正しく、
普遍的なものであるとは思わないことです。


そういうことって、練習しないとできるようにはなりません。
最近では(といってももう40年くらいは経っていますが)
アンガーマネジメントという、
アンガー(イライラ・怒り)をマネジメントするための心理教育が流行っていますが、
そういうものが流行るのも、
そうやって意図的にマネジメントしなければ、心は野生化してしまうということですよね。

このブログでは、過去に、坐禅を勧めたりヨガを勧めたり
怒り多い人に向けて数息観を勧めたりしてきました。

“坐禅”と聞くと、
「無念無想になることだ」という先入観を持っている人が多いようで、
「坐禅をしてもどうしても無念無想になれません」というような人もいます。
どうしても雑念が起きてしまうというわけですが、
無念無想というのは「何の念も想もないこと」ではありません。

念が起きるのは生きている証拠。
それはそれでいいのです。
雑念が起こるからといって、その「念」を払おうとすれば、
その「払おう」というのがまた一つの「念」となり、念がやむことはありません。
つまり、「念」などいくら起こっても構うことなく、
一切取り合わず相手にしないのが、正しい無念無想です。
それなら誰にだってできるでしょう。

起こってくる感情を忠実に表現しないことです。
それは感情に支配されている状態です。


仏教には、『四念処』といって、
「身念処・・・身体は不浄であると観察する。」
「受念処・・・感受するもの(五感)は苦を生むと観察する。」
「心念処・・・心(喜怒哀楽)は無常であると観察する。」
「法念処・・・法(自分の存在)は実体がないと観察する。」
という、迷いの世界からの脱出法も説かれています。
感情に支配されず、冷静に実態を観察することが大事なのです。

結局、肉体や感覚、喜怒哀楽に振り回されるなということです。

[SE;KICHI]

披露宴模様

先日、甥の結婚式に夫婦で出席してきました。
我が家はここ7年ほどお祝いごとに無縁でしたが、
今年は甥を含め3組の結婚式に招待されました。
1組は家人の知人、もう1組は私の知人で、
それぞれの出席でしたが、こんなに多い年は久しぶりでした。

披露宴でのお祝いのスピーチや余興はつきものですが、
今回このお役目がないのをいいことに、緊張感ゼロで出席してきました。

スピーチでは、会社の上司や同僚、
親戚や友人代表の方達が緊張しつつも二人へ贈る言葉を聞いて、
なんだかとても温かい気持ちになりました。
職場での顔、友達達しか知らない顔、こちらが知らない一面を、
エピソードを交えながら、少しだけ着飾った言葉にのせて聞けるのは楽しいですね。
あと、結婚生活が長い方のお話は、リアルです!
特に男性の方は、ご自身の反省点など織り交ぜながらで、
周りも、うん、うん、と、頷きながら、笑いが漏れます。
とにかく皆さん上手くお話をされ、感心しきりです。

続いて余興ですが、
私の知人の時は、
○○隊に勤務されている方達の集まりだったので、まあー凄かったです!
真っ赤なロングドレスを身にまとい、入場からスポットライトを浴び、
モノマネも交えつつ熱唱♪まるでディナーショーのよう!
衣装はこの日の為に、ネットで購入の自前! 女装メイクもばっちり!
また、日ごろ鍛えた体をいかして、息ぴったりのオタ芸!などなど。
とにかく皆さん余興にめちゃ魂込めていました!

一方、甥夫婦は痛車好き。
出会いも痛車のイベントとか。
共通の知人の方達は痛車で参上! もちろん本人達も痛車で参上!
結婚式場の駐車場にずらりと並んだ痛車! 圧巻です!!
そして写真の撮り方も半端ない!主役の二人を撮って、撮って、撮りまくる!
撮られる二人もポーズ決めまくる!!
余興は体を張って・・とはいきませんが、
こちらはこちら風のコスプレ映像ありの個性的な演出でした。

私の中ではまだまだ子供だと思っていた甥ですが、
披露宴で新婦をエスコートし、
ひな壇に登壇した彼は、りっぱなおっさんでした!
まあ、一番実感しているのは両親でしょうけど、月日を実感しました!笑

こちらの3組は入籍を先に済ませ、新居で結婚生活をスタートさせ、
その後、半年や一年後に結婚式を挙げる形でした。
親友からも自分の子供もこのパターンだと聞きました。
今時はこのスタイルが流行っているのでしょうか。

招待して頂いたお蔭で、久しぶりに披露宴を楽しませてもらいました。
皆さん末永くお幸せに!

お祝い事が多かった年でしたが、今年が終わるまでまだ3ヶ月ちょっとあるので、
年の瀬ギリギリで駆け込みがあるかもしれません。
楽しみにしているね○○君♪

[fu~ma]

富山と長崎の縁

同僚のFさんは長崎の異国情緒が好きだと言います。
みなさんは、長崎といえば何を連想されますでしょうか。

長崎といえば、潜伏キリシタン関連遺産の世界文化遺産登録が決定し、
今年の長崎は祝福ムードでしょう。
これは、弾圧を受けながらも、隠れキリシタンなどの形で信仰を隠し、
必死に守ってきた歴史が世界に求められたことになるわけで、
そりゃ、喜びもひとしおでしょうね。
そうそう、喜びというか慶事といえば、
6月のコンチストーロ(公開枢機卿会議)で、
隠れキリシタンのひ孫にあたる長崎出身の前田万葉大司教が、
日本人として10年ぶりに枢機卿に任命されましたね。
ますます今年の長崎は祝福ムードでしょう。
私も、前田万葉師が大阪の大司教として着座される前、
広島の幟町教会という、ものすごく斬新な外観の教会で、
お話をお聞きする機会があったので、今回の抜擢を嬉しく思いました。

さて、突然ですが、カトリック富山教会。
正式な教会堂名は、“聖母の汚れなきみ心”教会堂だそうです。
(あまり知られていませんが、教会というのは、たいがいこういうネーミングになっているものです。)
聖母マリアの汚れなきみ心というのはカトリック教会における信心業の一つですが、
全人類を思いやる心といったマリアの内的生活を言い表す呼び方ですね。

カトリック富山教会

この教会の前には『浦上キリシタン流配の地』石碑が置かれています。
「明治2年12月、長崎の浦上村のキリシタン三千余名が捕縛され、
富山藩など全国20の藩に流配された」と書かれています。
いやぁ、知らないことというものは、あるものです。
私は、そのようなことがあったことを、この教会を訪れるまで知りませんでした。

「富山藩の預かったキリシタン42名は、浄土真宗の29の寺院に預けられ、
15歳以上の者は、首に犬のように“鉄ののど輪”をかけられ、
改宗するよう迫害を受けた」とのこと。
いや、明治2年って、1869年ですので、わりと最近のことのように感じるのですが、
首に犬のように“鉄ののど輪”って、そんな野蛮な。
こういう非人道的な話題が身近にあったことに衝撃を受けます。
最初は現在の富山市大沢野の温泉に収容されていたようですが、ちっとも改宗の気配がないので、家族をバラバラにして寺院に収容し、首輪をつけたようです。

カトリック富山教会が1994年に刊行した、
創立百周年記念誌というのを取り寄せて読んでみたところ、
あたりまえのことですが、
「重次郎 35歳、妻・キク 33歳、長女・さき 15歳、次女・とめ 4歳」という具合に、
“キリシタン42名”という表現を越えて、それぞれに個性があり、
たとえば、明治3年6月7日に重次郎が迫害の末に棄教したとか、
記録が残されています。
ただ、敬虔な信徒であった重次郎が、迫害されたとはいえ、棄教するのは不自然で、
これは、おそらく懐妊中であった妻・キクの出産予定日が近づくなか、
最愛の妻に寄り添いたいと願う重次郎に、
役人側が「改心したら会わせてやるぞ」と持ち掛けたからに違いないでしょう。
しかし、明治3年6月20日、キクは難産のため赤ちゃんと一緒に絶命してしまい、
6月22日には長沢(富山市婦中町)の焼き場に葬られます。
このように、それぞれのキリシタンの方に焦点を当てると、
それぞれにドラマのあったことが、臨場感を持って迫ってきます。

しかし、そんな非人道的な迫害が諸外国の厳しい非難を受けたため、
キリシタンは富山藩の鈴木家老の屋敷に全員まとめて移され、
1ヶ月間、神道の講義を聴かされたのだそうです。
その屋敷を、1814年に名古屋の宣教師が購入し、教会としたのが、
現在のカトリック富山教会のはじまりなのだそうで、
つまり、現在の富山のカトリックの繁栄は、
浦上キリシタンの尊い犠牲のうえに成り立っているということですね。
いやぁ、知らないことというものは、あるものです。

カトリック富山教会内部

現在の富山教会は、富山の中心部にありながらも、静かで穏やかなものです。
2013年に献堂50周年を迎えていますが、
現在の聖堂の祭壇の彫刻装飾に、旧聖堂で使われていた、
60年ほど前の主任司祭・ワイペルト師の作品がそのまま使われており、
先人の働きを大切にしていることが感じられます。

ところで、使徒パウロがコリントの教会への手紙で、
あなたがたは神の建物なのです。
あなたがたは、自分が神の神殿であり、
神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか

と言っています(Iコリント3・9、16~17)が、
これは、「どんな人でも内面に神(仏)を宿しているのだ、争ってはならぬ」という、
仏教でいうところの“山川草木悉有仏性”の教えだと私は理解しています。
私は別に信徒ではありませんが、綺麗に清められた教会を見ると、
私たち自身が、神の宿る教会であり、
人によっては、寺であり、神社であるのだなぁと、感慨深く思います。
そして、殉教してしまったキクは、人間の一生としては不遇だったかもしれませんが、
神を宿す「器」としては幸せだったかもしれない、
いや、むしろ、そうであってほしいと思うのです。

私たちも、あまり殉教の心配をする必要のない毎日を暮らしていますが、
自分の仏性を尊重する立場から自己卑下はあってはならないし、
相手の仏性を尊重する立場から不誠実な態度もあってはならないと思います。
自他は等しく尊いものと観じ、
それを意識して、自らを戒め、心穏やかに生きていきたいものです。

ところで、カトリックにまつわる動きといえば、
このところ、香港の陳日君枢機卿がすごく怒っていますが、
法王がベネディクト16世からフランシスコに変わってからの、
ここ数年の路線変更はどうしたことでしょうか。
ガバナンスに難があるような気がするのですが……それは別の話ですかね。

[SE;KICHI]

とやま夢づくりフェスタ2018 出展のご案内

秋がやってまいりました。
今年も弊社はいくつかの展示会に出展いたしますのでご案内をさせていただきます。

まずは、とやま夢づくりフェスタ2018
きたる9月29日(土)と30日(日)の両日、開催されます。

とやま夢づくりフェスタ2018 同友会の紹介

大工体験やらプログラミング体験やら、出展各社、様々な趣向のブースを用意しているようですが、それというのも、地域のお子さんたちに正しい職業観を持ってほしいという趣旨のイベントだからです。
地域にこんなお仕事の会社があるということを知ってもらうのが目的です。

私たちの商材はおなじみの自己制御ヒーターと融雪ゴムマットがメインですが、開催期間が土日で、一般のお客様向けの展示会になっているので、いつもとは違ったお客様とお会いできるのではないかと、楽しみにしております。

お休み中のところとは存じますが、ぜひご来場いただけますよう、お願いいたします。

[AKA]

範囲を拡げる

月並みな話ですが、昔は食べられるけども納得できない食べ物が結構ありました。

たとえば、
酢豚に入っているパイナップル、
ポテトサラダに入っているリンゴ、
そうめんに乗せてある缶詰のミカンやサクランボ、
天ぷらのカボチャとサツマイモ、
甘い味付けの煮豆など。
これらは私がご飯のおかずとして甘いものが合わないと思っていたからです。

炊き込みご飯や混ぜご飯もおかずの味とぶつかるので、
白いご飯を好んで食べていました。
それが大人になるにつれ徐々に抵抗感が薄れ、
出されたものは何でも食べるようにしてからは、
組み合わせの妙というものが少しずつわかるようになりました。
甘いものとしょっぱいものや、ちょっとした酸味の絶妙な関係が昔からあったんだなと。
今では、あれとこれを合わせれば美味しくなるんじゃないかと、
想像するくらいになりました。

少し前から中国産の松茸をスーパーで見かけるようになりましたね。
合わせるということで言うと、今アメリカと中国の貿易摩擦が大変ですが、
アメリカ産の牛肉と中国産の松茸ですき焼きを食べれば安く上がって、
小さな世界平和ということになりませんかね。

昔から猫舌でもありました。
小さい頃は冷めた物しか食べられず、
麺類なんかは麺を持ち上げてから散々フーフーして麺が乾いてから食べるので、
引っかかって上手くすすれませんでした。
カレーも熱い上に辛いので、
自分一人の時は温めていない冷たいカレーを温かいご飯にかけて食べていました。
その方が熱くないのですぐに食べられるし、辛さもやわらぐのです。

社会に出てからも、仕事の同僚とお店でお昼を食べる時などは、
熱い物を頼むと人より食べるのに時間がかかり、
すごく焦って食べるのであまり食べた物の味を覚えていないことがよくありました。
そんなある時、そば屋で冷たいざるそばを食べるのに、
いつもの癖で無意識のうちにそばにフーフーしていたのです。
割と早く気が付いてやめたのですが、人が見ていなかったかすぐに確認しました。
幸いだれも見ていなかったようなのですが、
それでも自分ではすごく恥ずかしかったです。

そんなことがあり、さすがにこれではいけないと思い、
猫舌を治そうと、意識して熱い物を食べるようにしました。
フーフーする回数を最小限に抑え、
口の中に入れてから熱くて我慢できない時は水を飲み、
最初のうちはやけどをして口の中や舌がヒリヒリすることが何度もありましたが、
徐々に慣れてきて他の人のスピードに近づいていきました。
今では人よりも少し遅いぐらいまでにはなっていると自分では思います。
そして熱い物は熱いうちに食べた方がいいとまで思うようになりました。

おかげで食べ物に関しては、昔に比べるとずいぶん許容範囲が拡がりました。
いろんな食べ物が好き嫌いなく美味しく食べられて、
楽しいし幸せだと感じます。


食べ物以外のことでも、
変えた方がいいと思うことは積極的に取組みたいと思います。
失敗もあるとは思いますが、
克服できたときにはそれまでとは違うことが体験できると思います。

[KAZSOU]

Шапоклякを笑えるか。

Шапоклякと書くと誰のことだかいまいち分かりませんが、
日本語で“シャパクリャク”と言えば、皆さんご存知ですね、
『チェブラーシカ(Чебурашка)』に出てくるキャラクターです。

シャパクリャクは主人公のチェブラーシカに意地悪ばかりするおばあさんです。

いいことしちゃダ~メ、まったくのム~ダ と、
そんなことを堂々と歌って大丈夫かと思うような歌を歌いながら登場します。
とはいえ、そこまで邪悪なキャラクターではなく、
昔の青島幸男の『いじわるばあさん』のような、
いたずらが大好きの、単なる人騒がせなおばあさんで、
平たく言えばコメディパートを担うキャラクターです。

視聴者は小悪党のシャパクリャクを見て笑うわけですが、
さて、彼女を笑う資格が自分にあるのかと考えたとき、
私は、一抹の居心地の悪さを覚えます。

戦前の日本は、“向こう三軒両隣”と言われるように、
みんなが助け合って、お互い様だねなどと言いながら生きてきたわけですが、
戦後、おそらく戦勝国の介入によって宗教心や道徳心が剥奪され、
代わりに「自分の身は自分で守る」という価値観を押し付けられてしまったため、
ある時期以降、両親から「お人好しは損をする」と戒められた人が増えました。
そのせいか、自分や自分の家族と社会との間に線を引いて、
一定の警戒心というか距離感をとって生活する人が増えたと言われます。

私は不満です。
「お人好しは損をする」なんて、聖書にも仏典にも書かれていないのに。

イエスは『あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない』と言い、(マタイ22)
使徒パウロも『あなたの敵が飢えているなら食べさせなさい』と言います。(ローマ12)
つまり、聖書では、相手がいい人であるとか悪い人であるとか関係なく、
自分から周囲に愛を与えよということです。
仏教だって、忘己利他といって、
自分のことはいいから他人の利益のために生きなさいと説いており、
キリスト教と仏教は共通して、他者への愛を推奨しています。

この教えは、
相手がいい人であるとか悪い人であるとか関係なく、というところがポイントで、
その判断を人間が行うことを戒めている面があります。
つまり、相手がいい人であるか悪い人であるか、
考えるな、レッテルを貼るな、ということです。

そして、やってみたら分かるのですが、
相手がいい人であるか悪い人であるか考えないようにすると、
基本的にはみんないい人のように思えてくるものです。
いいですか、繰り返しますが、
レッテルを貼らなければ、たいていの人はいい人なのです。

私は、この、周囲に対する信頼感というのが意外と大事だと思っているのです。
かつての“向こう三軒両隣”なんて、相互に信頼感がなければ成立しません。
しかし、その信頼感があったからこそ日本は強かったわけです。
その信頼感は、相手に関係なく各自が「隗より始めよ」的な気概を持っていたから、
つまり、武士道というか、騎士道というか、陋規というか、
独立不羈の精神を持っていたからこそ、ユニットとしても強かったのだと思うのです。

それなのに、いま、「お人好しは損をする」などといって、
いま自分ができることを回避する人の多いこと
町内の環境整備しかり、学校のPTAしかり、身近でできるボランティアしかり。
最近では「コーヒー1杯分の募金で○人分のワクチンになる」という、
途上国支援の募金の依頼もよく目にしますが、みなさん、参加していますか。
自分ができることなんていくらでもあるのに、
損得で考えて参画を回避するエゴイスティックな自分ではありませんか。

いや、私とて、“お人好し”を手放しで良いとは思っていません。
ただ気弱なだけの「弱き善人」ではダメだと、森信三先生もおっしゃっておられます。
優しさだけが愛ではなく、相手のために厳しく叱責せねばならない愛もあるでしょう。
しかし、いま私が言っているのはそういうことではありません。

果たして、自分以外は敵なのかということです。
・・・キレイごとかもしれません。
でも、私には、損得を優先して身を守りながら生きるということは、
周囲を疑いながら生きているように見え、貧しいことのように思えます。
それに、損得を重視するのだとすれば、
「人を殺してはいけません」、「人のものを盗ってはいけません」という話も、
なぜそれがいけないのか、説明できなくなってしまいます。
自分さえよければいいと本気で思うなら、
銃の乱射などのニュースを見ても驚きはしませんよね。

私は、人生は解釈だと思っています。
どんな出来事が起こったかで人生の幸不幸が決まるわけではなく、
その出来事をどう解釈するかで、人生はまったく違うものになると思っています。
誰かに何かをして差し上げたとして、
「あぁ、お人好しだなぁ、損したなぁ」と思うのか、
「あぁ、喜んでもらってよかったなぁ、得したなぁ」と思うのか、
それは本人の解釈の問題ですが、
人生の態度として大きな差がつくのではないかと、信じてやみません。

Шапокляк
https://ja.gluons.link/subjects/relations/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%82%AF

[SE;KICHI]

ボルダリング

先々月、以前より興味のあったボルダリングに行ってきました。
主人にボルダリングをやってみたいと言うと、
懸垂もできない私に出来るはずがないと言われていたのですが、
そう言われると俄然やる気のでる(要するに負けず嫌いの)私は、
とうとう行ってきました。

結論から言うと、それなりに、できちゃったんじゃないでしょうか。
ちなみに私は美術部に書道部、帰宅部といった超インドア派。
体型は中肉小背? 
抜群な運動神経の持ち主なわけでも、超運動音痴でもありません。
ただ筋肉には少しは自信がありました。
だって、二人の子供を両腕に抱え、階段を上り下りしていた母ですもの。
学生時代は握力と背筋と立位体前屈だけはそこそこいい結果でした。
そんな私にできないはずがない、そんな思いで挑んだわけです。

私が行ったところは、自分が勝手に想像していたジム、という感じではなく、
私の印象では倉庫を改良された感じでした。
仕切りがなく、入ってすぐボルダリングの壁が目に飛び込んできます。
会社帰りに事務服のまま行ったので、多少のためらいを覚えつつ中に入ると、
優しそうなお姉さんがおられてちょっと安心しました。
このお姉さんが見るからに華奢で、
これまた、たくましい系のスタッフの方を想像していた私を裏切りました。
中はボルダリングの壁が2壁面に作られていました。
更衣室で着替えをし、いざ出陣。

まず初めにシューズを貸してもらいました。
お店のお姉さんから、サイズはきつめです、と言われたそのシューズは、
本当にきつい。
「指先が曲がるくらいです」と言われましたが、
強制的に足をグーにさせられている感じ。
これ、私的に超痛かったです。
どうしても痛ければサイズ交換しますよ、と言ってもらえましたが、
多分きついのには理由があるはずだと、結局履き替えることなく、
最初に出してもらったシューズを履いていましたが、
正直、終わるころには限界でした。
痛さって個人差があると思うので、
自分の感じる痛さが果たしてこれはやばい痛さなのか、
妥当な痛さなのかが分かりづらく、難しいものだなと感じました。

さて、説明をしてもらい、ちょっとお姉さんにお手本をみせてもらい、いざ実践。
初めてなので軽く向う側に傾斜がある壁面(80度スラブ)で。

80度スラブ・垂壁http://www.ridgeline1.jp/516070265

(ホールド)の下にコース(ボルダリングでは課題というらしい)ごとに、
色分けのシールが貼られています。
初心者の課題では、手は決められたホールドにしか触れてはいけないけれど、
足はどのホールドにおいて登っても大丈夫。
例えば白の課題をこなすときは白のスタート位置からスタートし、
手は白のテープが貼ってあるホールドのみをつかみ、
ゴールのホールドに3秒ほど両手でつかめば課題達成。

アスレチックが好きな私は、一番簡単な課題は難なくクリア。
二番目も三番目も問題なくクリア。
ここでお姉さんに「なにか運動されてました??」と聞かれました。
私をうまく乗せるため?? かどうかの真意は分かりませんが、
そう声をかけてもらえると、
いい感じなのかと嬉しくなり、やる気が出てきました。
なかには足をホールドからホールドに移動できない方もおられるそうなので、
その方から見ると多分順調に進んでいるほうなのでしょう。

ですが、徐々に難問に。
どう考えても届くはずのないところに次のホールドが。
エイッと手を伸ばしても掴めず。
結局降りて悩んでいるとお姉さんが、「足の向きを変えてみるといいですよ」と。
半信半疑で言われる通りにしたら、不思議ですね、届くものなんですね。
おかげで課題達成。
ある程度できるようになった後で、今度は垂直の壁に挑戦。
角度がちょっと違うだけでこうもきつくなるんだと実感させられました。
それでもいくつかの課題をこなしている内に腕がプルプルし始めました。
おまけに汗で手が滑る。
(・・・これは危険だ)
垂直の壁でつかむ手に力が入らなくてつるっと手が外れたら落ちる!
ここで、最初に話が合った滑り止めの粉を思い出しました。
実は受付で滑り止めの粉はどうしますかと聞かれていたんですが、
ボルダリングをできるかどうかも分からない時点で粉は必要ないと思い、
即お断りしていたのですが、ここで必要になるのかあ!!とちょっと後悔しました。
ですが時すでに遅し。
下にトランポリンのようなマットが引いてあるとはいえ、痛いに違いない。
落ちるときに壁についている石にあたっても痛い。
この後予定もあるし、今日はここまでにしよう。
決断は早かったです。

二時間のコースにしたものの、一時間もしないうちに初回は終了しました。
それでも大量の汗をかき、筋肉の心地よい疲労を感じた私は大満足でした。
身体を動かしたこともよかったのですが、
何よりも余計なことを考えずに集中できたことが、
脳のリフレッシュになりました。


私の初体験から10日間ほど経過したころ、
テレビでアナウンサーが同じく初体験をした映像が放送されました。
彼女も私に負けずのインドア派、らしいのですが、
コツをつかむと一時間ほどで、手前に傾斜した壁をすいすい上っていました。
負けず嫌いの私は、何故か彼女に対抗心を燃やし、
次回へのチャレンジを心に決めたのでした。

[Okei]

先日、自宅の真裏で火事がありました。
放火です。 20時頃でした。
外がサイレンの音で騒々しくなってきて、
どうせスピード違反車を追っているんだろうと思っていましたが、
どんどん近づいてくるのです。
そしてその音が止まった時、妙に焦げ臭い・・・。

その時私は二階の部屋に居て窓を開放していたので、
異臭が漂ってきたことへ気づくのにそう時間はかかりませんでした。
え!?っと思って外を眺めたら、
隣家の大木の下にある草木がボーボーと燃えているのです。
付近には灯油用ポリタンクを携え、立ち尽くす隣人。
うわっ!と思ったその刹那、
「何やってるんだ!危ないからどいてっ!」と颯爽と消防士が飛び込み、
ものすごい水圧ですぐに消火をしました。
その後、ミスト状の水に変え、重ねて消火をしているうちに、
今度は警察官達がぞろぞろと。
「お前がやったのか!?」と、隣人に問い詰め、
そのまま連行していきました。
現場は、緊迫した状況の中で、
後から次々と駆け付けた消防士達で溢れかえり、
マスコミ関係者、近所の野次馬なども出てきて大騒ぎになりました。

放火現場

その一端を見ていた私は不安になり、
付近へ外出中であった両親へ直ぐ電話をして呼び戻し、状況を説明。
口うるさい父は、自宅に被害が無いか確認、母は動揺を隠せず狼狽しておりました。
近くに住み友人達からもひっきりなしに連絡が来て、安否の確認がありました。
自身と自宅の安全は確保できたと、まず安堵はでき、一旦落ち着くことはできましたが、
この後どうなるのかが、全く想像つきませんでした。

ほどなく、警察官の1人が自宅に訪ねてきました。
事情聴取とのことで、「発生当時を知る方はおられますか?」と、私に質問が。
こんな状況です。
警察官と話すのが嫌とか言っていられません。
緊張しておりましたが、自分の知る限りの情報を伝えました。
すると警察官から
「犯人は、お宅のお祖母ちゃんに言われたから、やったと言っている。」と。
両親はどうやら心当たりがあり、事の展開を理解したようです。
家の裏にある隣人宅の古いもみじの木が巨大化し、自宅に迫っている。
その落ち葉が風によって飛び、雨樋に詰まって腐らせるから、
早く撤去するように言いつけてきたと、祖母から聞いたと話しました。
(実際は詰まったりなどしていませんが。)

再度警察官に促され、母は青ざめた表情で祖母を呼びに行きました。
間もなく祖母が出てきて警察官から状況の説明と質問を受けると、
赫々たる物言いで話し始めました。
祖母曰く、
「今までも何度か行ったが会えず、昨日やっと会えた。
うちがとても迷惑しているから、早く撤去するように!と、
今まで我慢していた思いをぶつけるように言ってやった。」と。

それを聞いた瞬間、私は強烈な違和感と不快感を覚えました。
「え、はあ!?」とした表情で、開いた口が塞がらない両親を横目に、
祖母は質問内容とずれた自宅の保身と利益が大事と言わんばかりの、
自己最優先した持論を展開。
家の為にやってやったんだと得意げな顔で喋り続けました。
そして「隣人は前から変で、頭が狂っているからやったんだ!」と侮辱する始末・・・。
実は祖母は少し認知症が入っており、感情の起伏があったり、
訪ねた時間を問われても実際の時間とのずれがある証言をしたりと、
会話も成り立ってはいませんでした。
それゆえ個人的感情ばかり入った情報とみて、これ以上は無意味と判断してか、
警察官は足早に帰っていきました。

終わった後、両親は憔悴したのか、早めに休みましたが、
私はこの出来事についてずっと考えていてなかなか寝れませんでした。
そして思いました。
“この事件は、犯人は隣人だが、そうする助長をしたのはうちの祖母ではないのか?”
また、”うちの祖母が、その隣人の人生を狂わせてしまったのではないか?”と。

聞いたところによれば、その隣人は知的障がいをお持ちの方で、
ご両親には先立たれ、一人暮らしだったそうです。
定職にも就けず、いろいろとご苦労も多かったのではないかとお察します。
終わってからはどうとでも言えますが、
もっと相手を労り、手紙を書くとか対話をするなど、
他にもやり方があっただろうにと思うと、残念でなりません。
そう考えたとき、その隣人はある意味被害者なんだと思います。

やったことは紛れもない事実であり、
この国は法治国家ですから、健常者障がい者共に平等に裁かれるべきであり、
結果として現行犯逮捕をされました。
しかしそれは表面的なもので、
自分の都合ばかり押し通し、
根底に相手のことを思いやる心が無かった祖母の言動が、
今回の悲しい事件に繋がったのではないかと思うと、
この祖母の言動こそが、
私は本当に裁かれなければいけない”悪”である
と、
断じたいと思います。

それは祖母だけではなく、私たち一人一人の心の中にあるものでもあります。
よく「自分のことばかり言うな。」とも言いますが、
本当にその通りですね。
場合によっては、こんな事態になってしまうのだと思うと、
改めて自らの振る舞い、考えを見直さねばいけないですね。

騒ぎの後、心配して訪ねてくれた町内会長は、
隣人の残された親族と協議して、問題のもみじの木を伐採するそうです。
他の家の方もそのような木と、火を付けかねない人間がいたら、
それは誰であろうと嫌がるのは当然かもしれません。
しかし、この教訓を活かすならば、
自分の都合ばかりを押し付けるのではなく、
相手に寄り添って解決していかないことには、
本当の問題は解決しないでしょう。

この問題の本質は人間の心の中にあると思いますので。

不快に思われた方や、重たく感じられる方もおられると思いますが、
この体験から何か教訓が得られるのでは?と、じっくり考えさせて頂きました。

[K.K]

恒性皇子の痕跡

先日、弊社の K.K さんと、彼の運転で出かけたのですが、
途中で寄り道するように連れていかれたのが、恒性皇子御墓

恒性皇子御墓遠景

この恒性皇子御墓は、富山県内で唯一の宮内庁治定陵墓なので、
富山県民なら、聞いたことくらいはあるだろう(←本当か。)と思っているのですが、
仕事中に同僚の運転で連れてこられるとは・・・・・・。

K.K さんは、墓にしろ城にしろ、それを造営した人の心情に興味があるみたいで、
たとえば、恒性皇子御墓の場合であれば、被葬者である恒性皇子というよりは、
遺された人々がどんな気持ちで墓を作ったのか、
そういう、人々の心情のほうに思いを馳せるのだと言います。
私はといえば、遺された人々の心情にも少しは関心はあるのですが、
基本的に、以前紹介したとおり被葬者に感情移入するタイプなので、、
恒性皇子御墓の場合、私は700年近くここで眠る恒性皇子になりきって、
周囲の情景の変化に栄枯盛衰というか、
諸行無常を感じるのです。

恒性皇子は、第96代後醍醐天皇の皇子です。
当時は北条氏が権勢をふるっていた時代で、
父の後醍醐天皇は、天皇という立場ではありましたが、
何から何まで北条氏の支配を受けなければいけない状況でした。
天皇家の皇位継承すら思うようにできないことに憤った彼は、
政治を朝廷に取り戻そうと考えた末、幕府に反旗を翻したのです。(元弘の変)
しかし、圧倒的な武力を持つ幕府軍に勝てるはずもなく、
あっさり捕らえられた後醍醐天皇は隠岐の島に流されました。
そのころ、息子である恒性皇子は、僧として修行をしていたようで、
この騒ぎにはいっこうに関係はなかったようなのですが、
連座というか、“父が憎けりゃ子も憎い”ということで、還俗させられ、
越中国射水郡二塚(現在の富山県高岡市二塚)に流されました。

この親子、そのままおとなしくしていれば何事も起こらなかったものを、
なんと、隠岐の島に流された後醍醐天皇は、1年後に脱出し、
鳥取県の船上山で倒幕の兵を挙げます。
これを追討するために幕府から派遣されたのが、みなさんご存知の足利尊氏ですが、
この足利尊氏は、どういうわけか寝返って後醍醐天皇に味方し、
幕府側の拠点である六波羅探題を攻め始めます。
それに危機感を抱いた執権・北条高時は、
北陸にいる恒性皇子が挙兵して足利尊氏に合流しないように、
越中守護・名越時有に恒性皇子の殺害を命じます。
こうして、恒性皇子は28年の生涯を閉じたわけです。

いや、その時代にはありがちなことではあるのですが、
なんとなく、つまらない人生のような気がします。


さて、越中国射水郡二塚に流刑になった恒性皇子は、
悪皇子宮という屋敷を立ててもらって、そこに幽閉されました。
皇子の死後、村人らが皇子を偲び、
悪皇子宮のあった場所に神社を建てたということで、
それが、現在も気多社として残っています。
ちなみに、“悪皇子”ってなんというネーミングか…と思うかもしれませんが、
“悪皇子”というのは「悪い皇子」という意味ではなく、
当時の言葉で「特別な力を持った皇子」という意味です。
このネーミングや、死後に神社を建立してもらえたことを考え併せると、
この恒性皇子、中央から流刑でやってきた罪人でありながら、
流刑地の地元では、尊敬され、慕われていたのではないかと想像できます。

気多社 悪皇子宮(気多社)

幽閉とはいうものの、別に牢屋に閉じ込められているわけではないので、
恒性皇子は称名寺というお寺で写経などの静かな日を送っていたそうです。
することがないとはいえ、
還俗させられたのに、なお、写経に励んでいたということですから、
本心は、やはり仏の道に進みたいという意志があったのでしょう。
この称名寺は、現在、称名山浄誓寺として残っており、
山門前に、恒性皇子と同時に殺害された侍従3人(日野直道、勧修寺家重、近江宗康)を慰霊する、
「扈従三朝臣慰霊碑(こしょうさんあそんいれいひ)」というのが建っています。
もちろん、これも恒性皇子が建てたものではなく、
地域住民の手によるものでしょうから、
やはり、慕われていたことが伺われます。

三朝臣慰霊碑

他には、「皇子三昧(みこざんまい)」という碑が、
恒性皇子御墓の2キロちょっと南にあります。
古く、“三昧”という言葉には火葬場という意味がありますが、
この場所は、さきほどの悪王子宮(気多社)からも離れていて、
集落のはずれ、田園に囲まれた川に近いところで、
一般家庭の墓が15基ほど並んでいる墓地の一角です。
おそらく、ここがこの地域の火葬場所だったのでしょうが、
一国の皇子である人物が庶民のように火葬されたということに、
衝撃を禁じえません。
火葬されるほうも火葬するほうも、どんな気持ちだったのでしょうか。
ただ、火葬した場所とは別に陵墓が用意された点からは、
被葬者への一定の敬意が感じられます。

皇子三昧

ちなみに、さきほど、恒性皇子と同時に殺害された3人の侍従について触れましたが、
死後、その首を晒された、恒性皇子御墓の近くの太刀城跡にも、
「三ケ首」という碑が建てられています。

三ケ首

どうでしょうか。
被葬者に感情移入するタイプといいながら、
K.K さんばりに、本人死後に遺されたものばかり紹介してしまいましたが、
考えてみたら、本人の生前の人望が、そのような建造物につながるわけで、
被葬者の人柄と、祀る側の心情は不離一体なのかもしれません。

さて、、隠岐の島から脱出した後醍醐天皇の挙兵・倒幕は成功します。
恒性皇子が殺害された一週間後に鎌倉幕府は滅亡し、
殺害した越中守護・名越氏の一族も滅びました。
そして、死んだ恒性皇子の弟にあたる護良親王が、新たに征夷大将軍となりました。
歴史に if はないのですが、
恒性皇子があと一週間生きていたら・・・。
征夷大将軍にはならなかったとしても、流刑になったこの地で、
村人に慕われ、愛されながら一生を過ごせたいのはないかと思い、
私は切ない、寂しい気持ちになるのです。

恒性皇子御墓

[SE;KICHI]
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