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本質

いまだ半人前の私は参加したことがないのですが、
成人式というのは、どういう行事なのでしょうか。

いや、今年の成人の日に、着付け屋が夜逃げしたという事件がありました。
経営が悪化していたとはいえ、
当日いきなり姿をくらますというのは実に無責任であり、
もし私が、当事者か、当事者の親の立場であったなら、
まぁ、腹は立てないかもしれませんが、
ちょっと釈然としない気分になってしまうような気もします。

この事件の詳細は、その発生からワイドショーなどで拡散されました。
ニュースを知った世間は、被害に遭った新成人に非常に同情的で、
同業他社がボランティアで衣装を貸したり、着付けを代行したりしました。
これを聞いた私は、日本人の優しさや助け合いの精神に感じ入ったものです。
みんな優しいですね。

しかし、私は違和感を覚えました。

そもそも、成人式というのは、成人になったことを感謝したり、
決意を新たにするような会ではなかったのでしょうか。
ちょっと冷徹な言い方になりますが、このニュースを見ていると、
成人式の主な目的が“晴れ着を着ること”にあったお嬢さんが、
日本にはたくさんいたのだなぁと、少し切なく感じるのです。

式に参列できなかった新成人がかわいそう・・・・・・って、
七五三じゃないんですから、
晴れ着じゃないと出席できないわけでもないでしょう。
もちろん、晴れ着のほうが見栄えがするのは確かですが、
衣装が本質ではないので、今回のような緊急事態では、
別に晴れ着でなくても、成人としての決意を新たにする目的で参加可能でしょう。

だいたい、沖縄あたりの成人式を見るとよく分かりますが、
新成人は歩きながらタバコをふかし、泡盛などをラッパ飲みしながら、
狼藉の限りを尽くして、毎年、幾人かが検挙されていますよね。
それを見ると、成人式というのは、
成人としての決意を新たにするような会ではなく、
晴れ着を着てどんちゃん騒ぎをする日になっていると思わざるを得ません。

本質を見よと言いたいのです。
ジーンズとトレーナーで充分ではないかとは言いませんが、
もう一段、何のために集まっているのかを考えてみましょうよ。
そしたら、衣装にそこまでこだわる必要もなく、
衣装屋に狙われることもなかったと思うのです。
そう、今回の事件は、もちろん騙した貸衣装屋が一番悪いのですが、
一方で、新成人が、揃いもそろって晴れ着に執念を燃やしていたことが、
かえって、世の中に交じっている“悪い大人”に、
「これはイケるぜ」と気づかせてしまったのではないかと思うのです。
晴れの日に着飾りたい気持ちも、分からなくはありませんが、
本質ではない部分を追えば追うほどリスクも負う
ということを知るべきです。

成人するということは大人になるということで、
大人になるということは自分の人生を自分で創っていくということ、
すなわち自立するということですよね。
どうしても晴れ着が欲しかったら、コツコツとアルバイトでもして買えばいいのです。
そんなことよりも成人の日にすべきなのは、
この先どう生きていくのかを明確にして、一歩を踏み出すことでしょう。

実際に社会を回しているのは大人です。
しかし、ここ20年くらい、大人らしからぬ社会人が増えているとも言われます。
本質を見ることをせず、主体的であることを苦手とし、
自分の好き嫌いや、誰かからの指示が行動の指針になっている人です。
まぁ、個人レベルであればそれでも構わないのかもしれませんが、
社会全体にそういう人が増えてきているのは確かな実情だそうで、
日本は緩やかに自殺していると評されています。

何を着るかではなく、どう生きるかが大事で、
それは個人レベルではなく、国家に影響を与えることなのだと、
知ってほしいものです。

[SE;KICHI]
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邪道を超えた美味 【和のスイーツ3部作②】

警視庁・捜査一課長』といえば、内藤剛志さんが大活躍のドラマですが、
やたらと大福を食べる、洞察力の鋭い女性刑事が登場し、
上司や同僚から「ダイフク」というニックネームで呼ばれていますね。
スキャンダルで息の根を止められた感のある斉藤由貴さん演じるキャラクターですが、
曰く、あんこを餅でくるんだその形状が、「黒を白で包み込んでいる」ということで、
大福は、捜査の際の験担ぎとして、警察関係では好まれているのだそうです。

私は、大福に対しては、一抹の警戒心を抱いています。
というのも、あんこは店によってかなり味が違うものですし、
餅の周りにつけてある餅取り粉の量など、自分好みとは限らないので。
私はあんこは嫌いではないのですが、
粒あんは苦手だったり、甘さは控えめのほうがよかったりと、
やはり、それなりの好みはあるので、自分好みの大福かどうか、
究極、食べてみるまで分からないという、一抹の警戒心です。

ところで、だいぶ前に、私は花びら餅が好きだと書いたように、
私は、味噌餡というのが意外と好きなんです。
粒あんよりこしあん、こしあんより味噌餡のほうが好き。
味噌餡って、大福としては王道ではないかもしれませんが、
上品な和菓子としては、味噌餡とか黄身餡というのは王道と言えるでしょう。

その延長でしょうか、
最近の私は、昔ながらのボッテリした大福ではなく、
“季節のフルーツ大福”というのにハマっています。

すずらん本舗

“フルーツ大福”などと急に邪道な感じの話になりましたが、
そういうフルーツ系の大福は、
どうしても、上にフルーツが載っているところに目が行きがちです。
しかし、たとえばこの写真のフルーツ大福は、
中のあんこも、フルーツのフレーバーになっていて爽やかなので、
最後まで飽きずに食べることができ、私は気に入っているのです。

写真の大福は、宇都宮にあるすずらん本舗さんという和菓子屋さんのフルーツ大福で、
左がマスカット、右がキンカンです。
載っている果実がエキセントリックな感じというか、邪道感を演出していますが、
薄っすらとした餅の色からも分かるように、
餅にもマスカットやキンカンが練り込まれている、爽やかな逸品です。
廃業したガソリンスタンドを改造した、変な店舗なのですが、
作っている大福やお団子が私好みなので、ちょくちょく利用しています。
これは、騙されたと思って、一度はご賞味いただくことをオススメ致します。

それから、フルーツ大福といえば、堺にある一心堂さんも有名ですよね。
タイミングにもよりますが、連日、長い列がついているので、買うのも大変です。
時期によるものの、このお店では常時5種類以上のフルーツ大福を揃えていますが、
これって、単一商材で勝負しがちな「フルーツ大福の世界」ではすごいことなんです。

一心堂パイナップル大福

この写真は、4種類のフルーツ大福を箱に詰めてもらったところです。
左上がパイナップル、右上がミカンですね。
下の2つは2種類のイチゴ(普通のイチゴと練乳イチゴだったか。。。)です。
右は、そのうちのパイナップル大福を割ったところです。
実は、パイナップル大福というのは、
「フルーツ大福の世界」ではそう珍しいものではないのですが、
このお店のパイナップル大福は、酸味と甘みのバランスが絶妙だと、
私は思っています。
ほかに、メロンやら柿やらマンゴーやら、かなりマニアックなラインナップがあります。

それから、弊社は新潟にも営業所を擁しているので、
いちおう新潟のお店も紹介しておくと、新潟では菜菓亭さんが有名です。
御進物を手軽に用意するのに便利なお店ですが、
時期によってフルーツ大福を展開しています。

菜菓亭みかん大福

写真はミカン大福。
本来は糸などを使って横に割るのが正式なのですが、
今回は、分かりやすいように縦に割ってみたのが右の写真です。
このお店のミカン大福は酸味が強いように感じますが、
求肥の感じがちょうどいいので、酸っぱすぎず甘すぎず、
「ミカンを楽しんでいる」という感じがします。

ちなみに、このミカン大福、というかフルーツ大福、
フルーツを求肥でくるんだだけで簡単に作れると思いがちで、
先日の夜中、思い立って自宅にあったミカンで作ってみましたが、
バカにしてはいけません。
求肥は餅粉と水と砂糖で作るのですが、
私が参考にした cookpad のページに書かれていた水の量が多かったようで、
写真ではわかりにくいですが、なんだかちょっと緩めの求肥になってしまい、
ミカンを包むのに苦労しました。

自作ミカン大福

というわけで、前回のどら焼きに続いて、今回はフルーツ大福。
次回に続きます。

[SE;KICHI]

野人な二人

この冬は予想通り大雪となりました。
予想したのは知人ですが、
カマキリの卵が高いところにあるからだと言っていました。
信憑性は?ですが当たりました。
年末にお歳暮を買いに行った酒屋さん曰く、
12月に雪が早い年は、師走の準備も皆さん早くなるんですよ!と、おしゃっていました。
雪によって気持ちがせかされるんでしょうかね。
カマキリ同様備える習性があるのかもしれません。

さて、Okeiさんも雪かきの話題を載せていましたが、
皆さんもこの冬はさんざん雪かきをされた事でしょう。
私の場合は一軒家ではないので、
借りている駐車場と会社の敷地が対象となりますが、
朝出勤時、久しぶりに駐車場ではまりました。
四苦八苦していると、同じように駐車場で雪かきをしていた方々が、
自然と寄って来て手を貸して下さいました。
前、後ろどっち押しましょうか?とか、
空回りしているタイヤの状態をみて的確な箇所の雪を取り除いてくれたりと、
雪国育ちならではの手助けを受けました。
状況を見て動けるって素敵な事ですね。
この時受けた恩は先日同じ形でお返しすることができました。
会社でも隣の社長さんに大変お世話になりました。
今年こういった人の暖かさに触れた方は全国で多かったのではないでしょうか。

話はこの大雪の第一弾となった日の出来事です。
お昼前からしんしんと降り始め、お昼過ぎにはかなり積もりました。
あまりの積雪にこのままでは帰りに車が出せなくなると思い、スコップを手にしました。
その日の雪はとても軽くて除雪しやすく、
スコップからスノーダンプに変え1時間程で駐車場はきれいになり一安心。

その後営業から戻ったWAKAさんが、なんで気が付いたのかは不明ですが、
一言、あれ?もしかしてサンダルで除雪した?と。
そう、私サンダルで雪かきをしました!
その日の朝はまったく降っていなかったのでショートブーツで出勤していたんです。
けど、どう見ても雪の量はあきらかにその靴より高く、無理だろうと判断しまた。
で、どのみち濡れるならサンダルと足なら乾かせば良いかと思い、
あと雪も軽かったのでつま先が覆われているサンダルをひっかけ雪かきしました。

そんな事の経緯をWAKAさんに説明したら、信じられん。と一言。
まあ、常識的な人間ならそうですよね(笑)。

そんなWAKAさんもその日出先で車がはまり、素手で雪を掘ったとか。

結局二人は野人なんですよ! WAKAさん!

[fu~ma]

おかずのクッキング

1年ほど前に土井善晴さんの記事がありましたが、
土井善晴さんといえば、『おかずのクッキング』ですよね。
お父上の土井勝さんの番組を引き継いで、40年以上続いている料理番組ですが、
この番組の土井さんとアシスタントの久冨慶子さんとの掛け合いが斬新というか、
土井さんの一貫して自由な感じが面白いんです。

たとえば、先日は納豆を挟み込んだオムレツのようなものを作っており、
まぁ、私は納豆などに少しも興味はないのですが、いちおう見ておりました。
まず、納豆をかき混ぜて粘りを出し、これを火にかけて少し温め、
それを火から降ろして粗熱を取り、その間に生地となる部分を用意する、と。
(いや、うろ覚えですよ。なにしろ私は納豆などに少しも興味はないので。)
料理番組とは、無言で淡々と進行するものでもないので、
久冨アナウンサーが、何気なく、
「どうして、ここで一度火から降ろしたほうがいいんですか」と質問します。
普通は、「あんまり火を通しすぎると風味が落ちるから」とか、
そんな答えを予想しますわね。
しかし、その質問に対する土井さんの答えは、
「え? そのほうがいいと思ったから。」

・・・・・・コレ、よく考えたら、かなり斬新な切り返しじゃないでしょうかね。
だって、「どうして?」って聞かれて、「そう思ったから」って、
質問に対する答えになってないですもん。
小学生みたいな切り返しです。

その後も、慌てて何かそれっぽいことを言い繕うでもなく、
「いや、そんなんでいいですよ。ダメ?」と、
料理初心者(という役)の久冨アナウンサーに、逆に聞く始末。
自由ですよね。

私はこの放送を見て、とてもいいな、見習いたいなと思いました。

人間を含む動物は、いろいろな行動の積み重ねで毎日が成り立っています。
その行動というのは、もともとは何かの思考に立脚して起こるものですが、
とはいえ、多くの場合は、その行動は習慣化され、無意識に行われるはずです。
たとえば、“歩く”という行為をとってみても、
「右足を出す」「左足を出す」「右足を出す」「左足を出す」・・・
のように意識することは、ない、でしょう、軍隊の行進ならいざ知らず。
つまり、人間の行動はほとんど自動運転ってことですよね。

自動運転といえば、飛行機の自動操縦とか、クルマの自動運転とか、
安全を担保するための高度なプログラムというイメージがありますが、
こと生物の自動運転というのは、無意識の行動パターンということで、
きわめて動物的な機能であるような気がするのです。
意識して右、左、右、左と歩むヒトはまれでしょうが、
たぶん、キリンもチーターも、カエルもカマキリも、同じでしょう。
普通は無意識に歩いたり走ったりしているわけです。

カッコよく言うと「心の赴くままに」という、
放浪の画家みたいな言い方になるのかもしれませんが、
それは結局、野放図というか、野生の勘に従うということでしょう。

土井善晴さんの「え? そのほうがいいと思ったから。」は、
理由なんてないよ、感性に従ったまでさ という意味でしょうが、
しかし、なかなか自分の感性に自信が持てるものではありません。
私も、たまに地元でラジオに出させてもらうことがあるのですが、
自分が話す内容に盤石の自信を持つというのは、意外と難しいものです。
そんななかで、「いや、そんなんでいいですよ。」という自信。
私はここに、信念の強さを感じます。

「そのほうがいいと思ったから。」

信念さえしっかり確立できていれば、自動運転の精度は上がるわけで、
そうなってしまえば理由なんていらないということなんでしょうね。
自分に自信がないとかいう人が多いご時世、
自己肯定感とか、いろいろな意味で勉強になる一言でした。

[SE;KICHI]

改革?

2年振りにスキーをしました。
腕が落ちていないか心配でしたが、
それよりも運動不足で体力が落ちていました。

朝から滑り、いつもなら夕方まで滑るのですが、
お昼を食べて数回滑ったところでギブアップしてしまいました。
次の日はひどい筋肉痛で階段を下りるのがつらくて大変で、
まるで旧式のロボットの様な動きでした。

ここのところ体力の低下だけではなく体重も増えております。
秋から冬にかけて美味しいものを食べ過ぎてお腹まわりがパンパンです。
どう見てもお腹がポッコリしています。
カッコ悪いですね。

2人いる息子は私以上に食べていますがいっこうに太りませんし、
ポッコリお腹どころか腹筋が割れています。
学校の運動部に所属していますので、しっかりカロリーを消費しているのでしょう。

昨今働き方改革とよく聞きますが、
学校教員の長時間労働解消の一環として、
部活動の時間を減らそうという動きが出てきました。
公立の中学や高校に対し教育委員会から、
部活動について原則、土日1日を含む週2日以上の休みを設けるよう通達が出ました。
通達が出てしばらくして息子が所属する部から保護者会の案内が届き、
学校へ行ってきました。

話の内容は、
これまで週末は土日とも練習や試合をしていましたが、
どちらか1日休まなければいけません。
それで部の生徒に確認すると、
これまで通り練習や試合をしたいと言っているとのことでした。
それでどうするのかと思っていましたら、
部活動が休みの日は、部ではなくクラブチームとして活動すると。
その際は学校の顧問の先生ではなく、
外部の指導者が主体となり活動しますという話です。
先生はその場にいてもあくまでもプライベートだそうです。
元々外部のコーチはいましたので、結局何も変わらない状態です。

休まなければいけないのに、休めないのか休まないのか。

働き方改革も、業種によって色々課題があるようですね。
私の運動不足よりよっぽど深刻です。

[M M]

ご来場ありがとうございました。

先日、富山市の富山県民会館で行われました「ゆきみらい 2018 in 富山」は、
盛会のうちに閉幕いたしました。

会場は県庁の隣の、富山の“メイン催事場”のような施設で、
弊社ブースにもたくさんの方にお越しいただきました。
ありがとうございました。

ゆきみらい 2018

なかでも、「ソーヒーター」という、融雪ゴムマットに関心が集まっていたように感じました。
やっぱり、展示品に通電していたため、インパクトがあったのかもしれません。

この「ゆきみらい」、雪の降る地域で毎年持ち回りで開催しています。
次回開催地は山形県新庄市。
ご期待ください。

[AKA]

悩むことの罪

昨年末、徳島に隠遁している恩師にお会いした際に聞いた言葉。

悩みは持ち越してはいけない。

私たちは、現状の厳しさや展望の暗さなどから、
ついつい、まだ来ぬ未来について思い悩み、
やれ不眠に陥ったり、やれ胃に穴が開いたりするものですが、
その恩師は、悩みは持ち越してはいけないと、強く言います。

その理由は、悩んでも解決できることは少ないから。
いや、むしろ、悩んで解決できることなど、ほとんどないような気すらします。
だって、悩んでみても急に道が開けるわけでもないでしょうし、
ちょっと悩んでみたところで解決がつかないことなんていくらでもあるでしょうから。
だとすれば、悩むことは、それ自体が時間のムダ、悩み損というものです。

では、いくら考えても結論が出ないことは、どう考えたらよいのでしょう。
渦中の浅薄な私たちは、結論が出ないことに思い悩んだりするわけですが、
その恩師曰く、そういうときは「結論が出ない」ということを結論にすればいい、と。

なるほど。
ちょっと禅問答的ではありますが、確かに素敵な考え方です。
少し考えてみて結論が出ないなと思ったなら、
「今日は結論が出ませんでした」という結論にしてしまって、
もう考えるのをやめてしまう。
明日以降、適切なタイミングでまた考えればいいのですから、
これは、精神衛生上、かなり良い考え方だと思います。

“少し考えてみて”というのがミソかもしれません。
もちろん、少しも考えずに結論を出さないのは論外でしょうが、
少し考えてみたんだけど、どうも結論は出なそうだという状況では、
それでもウンウン唸りながら考え続けても時間のムダであり、
どうせたいしたことは思い浮かびませんよね。
逆に、今日はこれ以上考えないと決めると、
意外と、急にひょっこり何かを思いついて、突如として解決するかもしれません。
自力で精進を重ねるところに他力が臨むという、仏教の教えのようです。

ところで、冒頭の恩師の言葉にある「悩みを持ち越す」というのは、
どういう状態を指しているのでしょうか。
たとえば、寝ても覚めてもそのことを考えこんでしまう状態などがそうかもしれません。
人間というのは単純なもので、2つのことを同時には考えられぬと言いますから、
寝ても覚めても・・・ということは、頭がそれでいっぱいということです。
1つしか考えられないというのに、そんなくだらぬ悩みに頭が支配されているなんて、
こんなムダなことはないでしょう。

確かに危機に備えることはとても大切ですが、
まだ起こっていない危機を思い煩うというのも、
思えばムダなことのような気がします。

結局、悩みというのはプレイなのかもしれません。
つい考えてしまうんだよという主張もあるかもしれませんが、
それ自体が、心を自分でコントロールできていない証拠です。

別に、悩んだところで何がどうなるわけではないし、
そのことで誰かが幸せになったりすることもありません。
そうであるなら、悩むのをやめてしまえばいいし、
前述のように「結論は出ぬ」と、棚上げしてしまえばいいのですが、
それでも悶々とするというのは、それはもはや性癖というか、
そういうのが好きなのでしょうか。
つまり、心がそのように動いてしまって止められない状態ですね。

昨夏、このブログでも、心の動きを停めたほうがいいと書きましたが、
その記事で紹介したとおり、仏教においては、
日々、何かを感じたり気にしたりする心を静め、
反射的に心が動かないようにすることをかなり重視します。
再録、『考えない練習』の32ページに、
無駄なことを考えている、ということすら気づいていないと、
当然、無駄な思考の克服はできません。
と書かれていますが、
そもそも、私たちはムダなことを考えがちなのですし、
自然に立ち上がってくる思考のほとんどはムダなのでしょう、たぶん。

そう教えている仏教とは厳しいものだと思うかもしれませんが、
ノーマン・ビンセント・ピール博士は、
世界中に影響を与えた著書『The Power of Positive Thinking』のなかで、
「Please keep your mind in an unshaken state.」と述べています。
この方は牧師さんなので、キリスト教でも教えは然りということです。
そして、心が同時に2つのことを考えられない以上、
悩みや怒りに振り回され続けることは、
時間を浪費しているというであると、ピール博士は言います。

何度か言っていますが、心は統御したいものです。
動物じゃないんですから、湧き上がってくる悩みや怒りに振り回されないで、
自分の心で何を考えるのか、自分でコントロールしたいものです。

ちなみに、私が心に刻んでいるピール博士の言葉は、
「You must fight against fear-ness through brave activity.」とか、
「Please change the focusing point to your strong point.」です。
意訳すると、「勇気ある行動で恐怖心と戦え」、
「自分の強みに焦点を絞れ」という感じでしょうか。
何かに悩みそうなとき、悩むのは時間のムダであると見切り、
ピール博士のような Positive Thinking で行動していく、
肝に銘じたいところですね。

[SE;KICHI]

『最善最幸の能力発揮を引き出す 人財育成法』

北陸示道塾特別公開講座

損得や条件で判断するという価値観、
いまが良ければよいという風潮、
自分の都合が叫ばれる社会、
他人を陥れることで自分の価値を確かめる大人・・・
明治維新から150年経った今、現実の社会を見ると、
このような大人たちでいっぱいになっています。

このような時代に生まれ育つ子供たちが、自らの存在に誇りを持てるように。
日々変容するこの社会において、
たくましく、しなやかに生きる力、『人間力』が育まれるために。
私たち大人一人ひとりが、変化し続けなければいけないと思います。

仲間を信じ、力を合わせ、人間性を尊重し合い、
人の能力を最大発揮するという、
日本人が本来得意としていた和の経営。
それを実践する企業が一社でも多くなりますように。
そして、その企業にかかわる一人ひとりが、
立派な人間として成長し、幸福な人生を歩むことで、
家族や地域、未来を担う子供たちや、
そのまた子供たちに、脈々と良い影響を与えますように。

さぁ。
無闇に敵と競争するのではなく、
あらゆる顧客や地域社会から尊敬されるような経営を目指す時です。
この機会に 『無敵の経営』について考えて参りましょう。

北陸示道塾 特別公開講座 『最善最幸の能力発揮を引き出す 人財育成法』
日時:平成30年2月15日(木) 開場 13:30/開演 14:00/終了 18:00
場所:ボルファート富山 琥珀の間 〒930-0857 富山県富山市奥田新町8−1 
講師:大原光秦 氏 株式会社ビスタワークス研究所代表取締役
会費:3,000円-(お一人)
定員:100名
対象:経営者から新入社員まで全ての方にご参加頂けます。

[AKA]

年が明けてから、大きい寒波が2度やってきました。
いやあ、寒かったですね。
富山もしっかりと雪が積もりました。
ここ最近なかったような寒波で、大変な思いをした人が沢山おられたことでしょう。
かくいう私も先日タイヤがスタックし、悪戦苦闘しました。
朝早くのゴミ集積場でのことだったので、誰もおらず、
一人でスコップ片手に20分頑張りました。
いや、無事に脱出できて本当、良かったですよ。
色々な不都合を考えると確かに憂鬱だし、体力的にも精神的にも相当疲れますが、
実は私、雪、好きなんですよね。

シーンと静まり返った戸外で、ただひたすらにしんしんと静かに降り続ける雪。
積もった雪を踏みしめたときに、キュッとなる感覚。
スコップで除雪しているときのサクッサクッとなる音。
除雪車の音。
そして除雪。

寒いのが超嫌いなのと、雪道や凍った路面の運転が得意ではないのが、
雪が降って困るところなんですが、
『好き』が多いように思います。

子供の頃、どんなに積もろうが、ふぶこうが、
道路が圧雪でツルンツルンになっていようが、
雪が嫌だなって思ったことがありませんでした。
自分が乗せてもらっている車が半回転しようが、坂道で登れなかろうが、
ちっとも怖いと感じた事がなく、ただ楽しかったように思います。
我が家の子供たちも雪がふると大はしゃぎで、いそいそと雪遊びの支度をし、
雪ダルマやら滑り台を作って雪遊びを満喫しています。
デコンボコンの雪道の車中も、まるで遊園地のようなはしゃぎっぷりです。

そういえば昔は(今はほぼ出来ていないように思いますが)、前日に積もった雪が少し溶け、
その翌日のすごく寒い晴れの朝、うまい具合に雪が凍るのでしょう、
田んぼに積もった雪の上に乗って歩くことができたので、
朝の登校時、道路を歩かず田んぼの真ん中を横切って友達と合流したものでした。
これをソラに乗ると言っていました。
なつかしいなあ。

また、昔から雪かきが好きで、よく父親と一緒に雪かきをしていました。
当時自分は力持ちだと思い込んでいたので、張り切ってお手伝いしていたわけです。
自宅前に大きな用水路(幅2メートル程、深さ1メートル以上)があったので、
そこへ積もった屋根雪などの雪を投げていたのですが、
小学生のころ、えいやっとスコップで雪を投げる際に、
スコップごと放り投げてしまったことがあります。
それを拾うために川に入り(考えればわかるものを、やはり子供ですね・・・)
当然ながら川から上がれなくなり、
近所の人が用水に雪を投げ入れてくれてそこから這い上がったものです。
いやぁ、なつかしい。

黙々と何も考えずにただ淡々と作業をするのが好きなので、
しんしんと降り続け、やってもやってもきりがない時ほど、
雪かきをしたくて仕方がありません。
自らきれいに除雪したところに1㎝、2㎝と雪が積もっていく様子がなんとも好きで、
せっかく除雪したのに、というような気持ちは一切おきません。
積もったらまたよかす、それだけです。
それと、除雪し終わった後の身体の倦怠感が、これまた、たまりません。
ですので主婦となった今、家の中でご飯の支度をしつつ積もっていく雪を眺めていると、
ごはんの準備をしなくてもいいなら除雪したい!と、
うずうずしてしまいます。

今年は久々にたくさん積もり、うきうきした日が沢山あったのと同時に、
道路がひどい状態で、ツルツルでブレーキが効かず怖い思いをしたり、
凸凹がひどくて車体が傾いたりスタックしたりと大変なこともたくさんありました。
除雪後の体の疲れはいいのですが、
雪道運転の後のあの何とも言えない疲労感は、もうお腹いっぱいかな。

暦の上ではもう春。
雪が好きな私としては少々寂しい気もしますが、
寒さが苦手な私としては暖かい日差しが待ち遠しくもあります。

[Okei]

私はプロのギックラー

と、ミネソタの卵売り(©暁テル子)みたいなタイトルにしましたが、(古っ!)
この「プロのギックラー」というのは、
私が通う整体院で、先生が私を冗談めかして呼んでいる呼び方です。
なぜなら、
私が、年に1回はギックリ腰になるから。
私がギックリ腰の治療に行くと、「毎度!」みたいな感じで、慣れっこです。

ギックリ腰というのは、なったことのある人はよく分かると思うのですが、
突然激しい痛みに襲われ、その姿勢から動けなくなるもので、
寝返りも打てなければトイレも行けないという、0歳児のようになってしまうもの。
とにかく、非常に痛いのです。

・・・・・・そうそう、痛みといえば、
風俗店で絶頂を迎えた瞬間にくも膜下出血を発症した男性を描いた、
「くも漫。」という映画がありましたね。
あれは原作者・中川学さんの実話だそうで、
発症は後頭部をバットで殴られたような痛み、なんだそうです。
予後の深刻さは全然違いますが、
痛みという意味ではギックリ腰とどちらが痛いんでしょうね。

https://www.youtube.com/watch?v=iNpixo2tuBY

話が大きく脱線してしまいましたね。
とにかくギックリ腰って、
欧米で魔女の一撃と言われているように、超痛いって話です。

さて、それをギックリ腰と呼ぶのであれば、
私のギックリ腰は、立てなくなるほどの重篤な状態にまで陥ることはあまりなく、
「プロのギックラー」という称号をいただくのは恐れ多いというのが私の主張。

それは、いつも突然やってくるのですが、
梨狩りに行った時の梨を入れたコンテナとか、
バーベキューで焼きそばを焼く時の鉄板とか、
そこそこの重さのものを、そこそこの距離を運んだりすると発症します。
しかし、私の場合、前述の通り、立てなくなるほどではありません。
腰に違和感というか、重さとか引き攣れを感じる程度であり、
魔女の一撃も、たいしたダメージではないのです。

ところが、たとえばそれが日曜のことだとして、
その違和感が火曜か水曜ぐらいまで続くと、私も焦れてくるのです。
私は我慢できない……「絹の靴下」状態です。(分からない人はお母さんに聞いてみよう)
で、結局、いけないと思いつつ、マッサージチェアに座ってしまうのです。
しかも、よく揉んでおいたほうが腰もほぐれるだろうと、小一時間。
そう、良かれと思って。

その結果、翌朝には、かなりの確率で腰は悪化しており、
歩けなくなるか、歩けたとしても、能楽師のような奇妙な歩き方になるのです。

こうなると、この症状は、完全に快癒するまで4ヶ月くらいかかります。
一般的に、ギックリ腰の全治は2週間程度とされていますから、
これは、完全なる悪化、こじれちゃった状態です。
つまり、最初に魔女から与えられた軽い一撃を、
本人が要らぬことをして悪化させてしまっているわけで、
魔女にしてみれば、こんなに騒ぎが大きくなるとは思わず、うろたえていることでしょう。

どうやら、私には、
ちょっと快方に向かっただけで、
「少し動いた方が良いのではないか」とエアロビクスに復帰するとか、
ちょっと、迎え酒的な荒療治を好む傾向があるようですね。
マッサージチェアも、ギックリ腰悪化の罠だと薄々は気づきつつ、
それでも良かれと思って、性懲りもなく座ってしまう私。

周囲は、毎年のように無様な姿を晒す私を笑い、
学ぶということを知らぬのかと、相当に呆れられているのですが、
私にも分らないのです、
なぜ繰り返すのか。


マッサージチェアのタイマーは、だいたい15分1セットで、
15分が経つと自動的に停止するようになってますし、
マッサージチェア本体にも、15分でやめておくように注意書きがあります。
書いてあるのに、繰り返して利用してしまい、小一時間。

もしかしたら、自分はバカなのではないかと感じる瞬間です。

[SE;KICHI]
プロフィール

kkseishin

Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
富山県富山市飯野16番地の5
TEL:(076)451-0541
FAX:(076)451-0543

■新潟営業所/
〒950-1142
新潟県新潟市江南区楚川甲619番地6号
TEL:(025)283-5311
FAX:(025)283-7469



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