本質
いまだ半人前の私は参加したことがないのですが、
成人式というのは、どういう行事なのでしょうか。
いや、今年の成人の日に、着付け屋が夜逃げしたという事件がありました。
経営が悪化していたとはいえ、
当日いきなり姿をくらますというのは実に無責任であり、
もし私が、当事者か、当事者の親の立場であったなら、
まぁ、腹は立てないかもしれませんが、
ちょっと釈然としない気分になってしまうような気もします。
この事件の詳細は、その発生からワイドショーなどで拡散されました。
ニュースを知った世間は、被害に遭った新成人に非常に同情的で、
同業他社がボランティアで衣装を貸したり、着付けを代行したりしました。
これを聞いた私は、日本人の優しさや助け合いの精神に感じ入ったものです。
みんな優しいですね。
しかし、私は違和感を覚えました。
そもそも、成人式というのは、成人になったことを感謝したり、
決意を新たにするような会ではなかったのでしょうか。
ちょっと冷徹な言い方になりますが、このニュースを見ていると、
成人式の主な目的が“晴れ着を着ること”にあったお嬢さんが、
日本にはたくさんいたのだなぁと、少し切なく感じるのです。
式に参列できなかった新成人がかわいそう・・・・・・って、
七五三じゃないんですから、
晴れ着じゃないと出席できないわけでもないでしょう。
もちろん、晴れ着のほうが見栄えがするのは確かですが、
衣装が本質ではないので、今回のような緊急事態では、
別に晴れ着でなくても、成人としての決意を新たにする目的で参加可能でしょう。
だいたい、沖縄あたりの成人式を見るとよく分かりますが、
新成人は歩きながらタバコをふかし、泡盛などをラッパ飲みしながら、
狼藉の限りを尽くして、毎年、幾人かが検挙されていますよね。
それを見ると、成人式というのは、
成人としての決意を新たにするような会ではなく、
晴れ着を着てどんちゃん騒ぎをする日になっていると思わざるを得ません。
本質を見よと言いたいのです。
ジーンズとトレーナーで充分ではないかとは言いませんが、
もう一段、何のために集まっているのかを考えてみましょうよ。
そしたら、衣装にそこまでこだわる必要もなく、
衣装屋に狙われることもなかったと思うのです。
そう、今回の事件は、もちろん騙した貸衣装屋が一番悪いのですが、
一方で、新成人が、揃いもそろって晴れ着に執念を燃やしていたことが、
かえって、世の中に交じっている“悪い大人”に、
「これはイケるぜ」と気づかせてしまったのではないかと思うのです。
晴れの日に着飾りたい気持ちも、分からなくはありませんが、
本質ではない部分を追えば追うほどリスクも負う、
ということを知るべきです。
成人するということは大人になるということで、
大人になるということは自分の人生を自分で創っていくということ、
すなわち自立するということですよね。
どうしても晴れ着が欲しかったら、コツコツとアルバイトでもして買えばいいのです。
そんなことよりも成人の日にすべきなのは、
この先どう生きていくのかを明確にして、一歩を踏み出すことでしょう。
実際に社会を回しているのは大人です。
しかし、ここ20年くらい、大人らしからぬ社会人が増えているとも言われます。
本質を見ることをせず、主体的であることを苦手とし、
自分の好き嫌いや、誰かからの指示が行動の指針になっている人です。
まぁ、個人レベルであればそれでも構わないのかもしれませんが、
社会全体にそういう人が増えてきているのは確かな実情だそうで、
日本は緩やかに自殺していると評されています。
何を着るかではなく、どう生きるかが大事で、
それは個人レベルではなく、国家に影響を与えることなのだと、
知ってほしいものです。
[SE;KICHI]
成人式というのは、どういう行事なのでしょうか。
いや、今年の成人の日に、着付け屋が夜逃げしたという事件がありました。
経営が悪化していたとはいえ、
当日いきなり姿をくらますというのは実に無責任であり、
もし私が、当事者か、当事者の親の立場であったなら、
まぁ、腹は立てないかもしれませんが、
ちょっと釈然としない気分になってしまうような気もします。
この事件の詳細は、その発生からワイドショーなどで拡散されました。
ニュースを知った世間は、被害に遭った新成人に非常に同情的で、
同業他社がボランティアで衣装を貸したり、着付けを代行したりしました。
これを聞いた私は、日本人の優しさや助け合いの精神に感じ入ったものです。
みんな優しいですね。
しかし、私は違和感を覚えました。
そもそも、成人式というのは、成人になったことを感謝したり、
決意を新たにするような会ではなかったのでしょうか。
ちょっと冷徹な言い方になりますが、このニュースを見ていると、
成人式の主な目的が“晴れ着を着ること”にあったお嬢さんが、
日本にはたくさんいたのだなぁと、少し切なく感じるのです。
式に参列できなかった新成人がかわいそう・・・・・・って、
七五三じゃないんですから、
晴れ着じゃないと出席できないわけでもないでしょう。
もちろん、晴れ着のほうが見栄えがするのは確かですが、
衣装が本質ではないので、今回のような緊急事態では、
別に晴れ着でなくても、成人としての決意を新たにする目的で参加可能でしょう。
だいたい、沖縄あたりの成人式を見るとよく分かりますが、
新成人は歩きながらタバコをふかし、泡盛などをラッパ飲みしながら、
狼藉の限りを尽くして、毎年、幾人かが検挙されていますよね。
それを見ると、成人式というのは、
成人としての決意を新たにするような会ではなく、
晴れ着を着てどんちゃん騒ぎをする日になっていると思わざるを得ません。
本質を見よと言いたいのです。
ジーンズとトレーナーで充分ではないかとは言いませんが、
もう一段、何のために集まっているのかを考えてみましょうよ。
そしたら、衣装にそこまでこだわる必要もなく、
衣装屋に狙われることもなかったと思うのです。
そう、今回の事件は、もちろん騙した貸衣装屋が一番悪いのですが、
一方で、新成人が、揃いもそろって晴れ着に執念を燃やしていたことが、
かえって、世の中に交じっている“悪い大人”に、
「これはイケるぜ」と気づかせてしまったのではないかと思うのです。
晴れの日に着飾りたい気持ちも、分からなくはありませんが、
本質ではない部分を追えば追うほどリスクも負う、
ということを知るべきです。
成人するということは大人になるということで、
大人になるということは自分の人生を自分で創っていくということ、
すなわち自立するということですよね。
どうしても晴れ着が欲しかったら、コツコツとアルバイトでもして買えばいいのです。
そんなことよりも成人の日にすべきなのは、
この先どう生きていくのかを明確にして、一歩を踏み出すことでしょう。
実際に社会を回しているのは大人です。
しかし、ここ20年くらい、大人らしからぬ社会人が増えているとも言われます。
本質を見ることをせず、主体的であることを苦手とし、
自分の好き嫌いや、誰かからの指示が行動の指針になっている人です。
まぁ、個人レベルであればそれでも構わないのかもしれませんが、
社会全体にそういう人が増えてきているのは確かな実情だそうで、
日本は緩やかに自殺していると評されています。
何を着るかではなく、どう生きるかが大事で、
それは個人レベルではなく、国家に影響を与えることなのだと、
知ってほしいものです。
[SE;KICHI]
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