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レジリエンスの不足

レジリエンス【resilience】は大事だと言われます。

日本語では「再起力」などと言われていますが、
逆境に直面しようとも、諦めずに打開策を考え、現状を打破する力のことです。

“VUCAワールド”と呼ばれる、未来の予測が難しい現代においては、
状況を正しく認識し、迷わずに即応できる能力は不可欠であり、
仮に現状が逆境であるならば、考えを巡らしてそこから脱出する必要があるわけで、
これからの時代はレジリエンスが重要になってくるという話です。
私も、心底それはそのとおりだと思っていて、
たとえば同僚など、周囲にもレジリエンスは大事だと説いていたものですが、
机上の話と実践は違うのだと痛感する出来事がありました。

先日の平成の武者修行

大汝山
https://www.facebook.com/hokuriku.sidoujyuku/?hc_ref=ART9jN8de5HPpeYAwdiw5va150YHJstAdlARpyb7nH9m3aoRYV1v3N-1t5QL35HgyMk&pnref=story

当初は私も子供たちと一緒に山を縦走するつもりでいたのですが、
企画の途中段階で、山にキャンプ道具などを運ぶスタッフが足りないということで、
途中からそちらを担当することになったものの、
呼吸器に持病のある私はそれすらも医師から禁止されてしまい、
つまり、ドクターストップで山には登れませんでした。
ただ、前途ある子供たちに登山を体験させてやりたいという気持ち自体はあったので、
いろいろ考えた結果、食事や寝具の手配から講話まで、
地上のコーディネートを一手に担当することにしました。
実際に山に登る部隊の人たちはそっちに専念してください、と、
後方支援に徹する気持ちです。

今回の立山登山の旅では、
悪天候のために予定変更を余儀なくされる場面がかなりありました。
当然、実際に山に登る部隊のスタッフたちは、
状況を見ながら臨機応変の判断をしているはずです。
一方、地上担当としては、その判断について連絡を受け、
どこかに連絡をしたり、何かを手配しなおしたりというのが任務になるのですが、
受け身な“職場”ではありながら、実はこれが意外と忙しいのです。
しかも、なにぶん山ですので、電波状態も悪いため、
山上の判断がタイムリーに地上に伝わってこず、
たとえば、スタンバイして待ってるのに数時間待たされたり、
逆になんの準備もしていないのに突然何かを要求されたりと、
下界では想像がつかない山上の判断により、
下界の行動が刻一刻と変動する状態。


冷静に考えてみれば、
そもそも大切な子供を預かっているイベントなので、
山上での判断は高度であり、おそらく大変なプレッシャーであったと思います。
それは、山を知らない私にできることでは到底ありません。
それに引き換え、こちらの用件はといえば、
せいぜい「今晩、何食べたい?」レベルの、緊急性の低い話です。
冷静に考えればそうなのですが、
その渦中、振り回されていると感じた私は密かに苛立ち、
「もうヤダ!」と帰宅してしまおうかと、何度か思ったものです。

いや、子供たちのためという大義を思い出し、
かろうじて職場放棄は思いとどまりましたが、
これはとっても自分勝手な感覚です。

敗因は私の無知です。
そもそも、山というのは予想外のことが起こるもので、
山好きの人にしてみれば、
“そういうところも含めての山の魅力よ”などという感覚になるのでしょうが、
私自身は公家のようなタイプで、
たとえば「キャンプの醍醐味は不自由を楽しむことさ」みたいな話は、
実はほとんど理解できません。
山についても同様で、これまで山には少しも興味を持たずに生きてきましたので、
イレギュラーなことが起こるのが普通だという「山あるある」が、
少しも共感できていませんでした。

しかし、そのような私の経緯は、この際関係ありませんよね。
レジリエンスには、信念に基づき、
あるものでなんとかするという即興力が求められます。

最初、私は、自分に山に関する知識がないことを理由に、
いちいち座長の意見や指示を仰ごうとしていましたが、座長は山の上。
電波が悪い上に、高度な判断の連続で地上の手配関係までは頭が回らない状態。
そのような、誰も指示をくれない状況のなかで、
たまに「ポイズンリムーバー、買っといて」とか、短い指図が来るのです。
何だよ、ポイズンリムーバーって、聞いたことないよと舌打ちしつつ、
もはや、知識はないとしてもそんなことは言っていられないと腹をくくりました。
乾坤一擲、自分でやるしかないと。
結果、なんとか、ない知識を総動員して、駆けずり回って必要なものを買い揃え、
下山した子供たちに温かい食事や有益なワークを提供することができましたが、
それで正解なのか、最後まで肝を冷やしました。

結局、山に登っている者は下界のことなど考える余裕はなく、
また一方で、下界の者は山での状況が分かるはずもない。
つまりは、どうせ互いに分からないのだから、
無理して連絡を取り合って共有しようなどとは思わず、
自分の与えられた職掌で全力を尽くせばよいということです。
私に山の知識が不足しているとして、
そこから切り抜ける力がレジリエンスだったというわけです。
そこを悟るのに丸1日くらいかかってしまいました。

いやぁ、常々、レジリエンスは大事だと喧伝しており、
自分自身についてはそれなりにできているようなつもりでいましたが、
もう全然、自分にはそれが備わっていなかったことがよく分かりました。

その状況に置かれないと分からないことはあるといいますが、
まだまだですね。

[AKA]
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新婚旅行

いきなり私事ではございますが、
先月、親族のみの結婚式を挙げ、
新婚旅行で北海道に行ってまいりました。

ということで今回は北海道旅行につきまして。
初北海道!!でした。
4泊5日の日程で、トマム→富良野→美瑛→旭川→小樽辺りを。
(旭川→小樽間の移動が長めだったので、もっと近い範囲内で回る日程でも楽しめたかとも思いましたが、観光地を歩き回るのも疲れますし、いろいろ行けたので、結果としてはよかったかな~と思います。)

富山から羽田、そして帯広へ。
空港からはレンタカーに乗り、いざ!
車を走らせると、だだっ広い畑、遠く続く大地と、まさしくな風景が広がり、
2人で「北海道っぽい!」と、すでにちょっとテンションあがりました。

まずはトマムリゾート。
いくつかのホテルを中心に、飲食街や浴場などがあるリゾート地です。

新婚旅行1

泊ったホテルは右後方のビルです。

中でも人気なのは雲海テラス。
ゴンドラで山に上ると、雲海を見られるテラスがある、というものです。
見られる時間は早朝。出現する確率は40%。
ただ、私が行った日は条件が良く、確率はなんと70%!
トマムの最大の目当てだったので期待を膨らませつつ向かいました。
そこに向かう最も早い時間のバスは4:10発でしたが、
少し遅らせて4:20頃ホテル発のバスでゴンドラ乗り場へ。
平日の早朝、そんなに混んでいないだろうと思いきや…
すっごい人!!!ゴンドラに乗るのに30分待ち。

その間に空が明るくなり…。
さらに、予報では曇りでしたが、かなり晴れていて、
頂上から見た雲海は、綿が地面にへばりついているような感じで、
遠く下の方になんとなくある程度でした。
仕事で高山から富山に車で帰る途中に見た、
川の上に発生した雲海の方が感動的でした。

新婚旅行2

寒かったのもあり、結果、写真を何枚か撮り、数分でそこを後にすることに。。
まあ、それでも景色はよかったです。朝日に輝く山々が幻想的でした。

雲海は残念でしたが、ホテルがよかったです。
大きな窓があるバスルームで、
ジャグジーバスに入っているときにちょうど花火が!
部屋の位置がラッキーだったことによる、なんとも贅沢なひと時でした。

はい、すべての日についてこのボリュームで書くと冗長になるので、
3つ抜粋します。

1つ目、富良野で印象的だった、
『北の国から』の脚本家倉本聰の作品にちなんだ「ニングルテラス」。
小さな手作り工房が森の中にたくさん並んでいるようなところです。
私は倉本さんにはあまりなじみはないのですが、そこの雰囲気は好きでした。
ただ、妻がサクサク進んでいくので、
雰囲気に浸る間もなくサクッと回ってしまいました。
行かれる方は、じっくり回った感想をお聞かせください。。
夜に食べた回転寿司がおいしかった。
さすが北海道!
ちなみに旅行中は海鮮丼を3回くらい食べ、
ほぼ毎日海鮮を食べていたような期間でした。

2つ目、美瑛の「青い池」。
本当に青い池でした。
外国人観光客がたくさん来ていました。
不思議な場所で、興味をそそられます。
アルミニウムを含んだ水が、
美瑛川の河川水と混じることで生成されるコロイドによって青く見えるそうです。
写真を見てから行くより、
どんな池だろうと想像しながら行く方が感動が大きいと思います。
私は写真を見てから行ったので。

3つ目、小樽運河のナイトクルーズ。
解説がおもしろく、街灯の灯りに風情があり、楽しい時間でした。

新婚旅行3

大正~2次大戦辺りの時代に興味のある方は特に楽しめると思います。
後半、少し飽きて星を見ていましたが、晴れていて星もきれいでした。

さて、旅行の期間は雨が降ったり、飛翔体が上空を通過したりすることはなく、
天候が良い日が続き、車で走るだけでも気持ちのいい旅でした。

この時間はさまざまな方のおかげで実現できたものですので、
感謝してこれからの人生に励んでまいります。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

[Monsieur]

今頃どうしているのやら・・・

8月も後半に差し掛かったころ、
玄関の壁にへばりついているヤモリを発見しました。
見つけたのは屋内です。
よそのお宅ではどれくらいの割合でヤモリがいるのかは知りませんが、
我が家では毎年、外灯の付近に出没します。
よって、屋内に入る際には、
一緒に侵入しないように細心の注意を払う必要があります。
それなのに、どうやって忍び込んだのか、家の中の壁にピトッと張り付いていました。

これはどうしたものかしら。
私、カエルとか、イモリ・ヤモリとか、超苦手なんです。
虫もそうなんですけど、
いきなり動き出してその動きが読めないところが(いつ自分に向かってくるか分からないから)
嫌なんです。
早速主人に報告を。
ですが、主人も得意ではありません。
「ほっとけ」とだけ言って、特に何もしてくれません。
これは困りました。
次は義父に頼ります。
ヤモリは家を守るというから、むやみやたらに殺すわけにはいきません。
義父はほうきを持ち出し、なんとかしてくれようとしましたが、
ご存知の通りの素早い動きであっという間に姿が見えなくなりました。
しばらくの間は靴の中に潜んでいやしないかと用心していましたが、
ヤモリも家が恋しくてねぐらに帰るだろうと無理やり思い込んでいるうちに、
すっかりとその存在を忘れ去っていました。

ところが9月の半ば頃、お風呂に入っている時に娘が顔を出し、
部屋にヤモリがいたからどうしようと訴えてきました。
(いやあ、まだ入ったばかりだし、しかもパパがいるのになぜ私に??) 
「パパに言って」と伝えると「ほっとけ」って言われたと。
あ・・・、そうですか。
発見場所を聞いたら窓の近くとのこと。
(窓の近くならうまくいけば外に追いやれるかもしれない・・・)
お風呂からでたら何とかしよう!といよいよ覚悟を決めました。

さて、お風呂から上がり子供部屋に行くともう子供たちは寝静まった後でした。
どうなったのか主人に聞くと、子供たちがまた祖父に頼んで、
何とかしようとはしてくれたもののまた失敗に終わり、
棚の陰に逃げ込んでいったとのこと。
怖くて寝られないと訴えていた子供たちに、
「ヤモリにとって人は大きな敵。むやみに敵に近づかない。」と言ったところ、
納得して寝ていったらしいです。

まあ、確かに近づいてきはしないでしょうけど、
ある日突然かばんや服の中からにゅっと出て来たりなんかしたら嫌だなあと、
母は密かに思っていました。
子供たちにそんなことは口が裂けても言えませんが・・・。

それにしても、てっきりお家に帰っていたかと思っていたのに、
まさか二階に移動してきていたなんて。
もしかしたらそんなことがあるかもしれないと覚悟はしていたものの、
ちょっとショックでした。
多分まだどこかの陰にひっそりと隠れていることでしょう。
死骸で発見するのもそれを処理するのも、私は嫌です。

ねえ、もう秋ですよ。早くお家に帰って下さいな。

[Okei]

“おきばり”やす。

(すいません、タイトルは京都と関係なく、単なるダジャレです。)

会社でのプライベートな身づくろいはどこまで許されるでしょうか。
同僚の Okei さんはよく目薬を差していますが、
もちろんそれぐらいは許されるでしょう。
ドラマなどでは爪を切ったりヒゲを剃ったりしている場面も見かけます。
他にも耳掻きとか化粧直しとか、いろいろあると思いますが、
会社でのプライベートな身づくろいはどこまで許されるのでしょうか。

私は、自席で手の甲にお灸を据えるということをすることがあるのですが、
果たしてそれはどうなのでしょうか。
オフィス禁煙が主流になっている昨今、煙が出る行為はアウトかもしれません。
そこで点温膏が便利なのですが、これがすこぶる臭いので、
スメルハラスメントが話題になっている昨今、匂いが出る行為もアウトかもしれません。

というわけで次の手を考えるわけですが、それが置き鍼です。
ふつう、鍼治療は鍼灸院で鍼灸師によって施術してもらうものですが、
鍼を打ったことがある人は分かると思いますが、効果があまり持続しません。
仕方なく何度も通うことになるわけですが、面倒ですよね。
そこで、自宅でも鍼の効果が持続できるよう、
鍼を打ったままで平常通りの生活を送れるようにしたものが置き鍼です。
正確には円皮鍼といって、シールで覆われた画鋲みたいなもので、
それを皮膚に刺した状態で生活します。

画鋲を皮膚に刺すって聞くと大日本プロレスかよって思うかもしれませんが、
最近ではフィギュアスケートの羽生結弦選手が愛用しているということで、
それなりに知られてきているようです。

円皮鍼
http://k-kori.com/zatugaku/203.html

見て分かると思いますが、エレキバンに針がついているようなもので、
刺したまんまでスポーツをしても大丈夫なくらいのものです。

私は、もう20年以上前のケガの後遺症で、足が悪く、
コンクリートやアスファルトのような固い路面を歩くと、
ものの30分で、足がパンパンになり、引きずって歩く感じになってしまいます。

そこで、足が痛くなってきたら円皮鍼。
指でちょっと押してみて痛みを感じる箇所に、
貼るというか、刺すというか、プスッと。

よく効きます。
いや、通常の鍼治療の持続力のなさに落胆している方や、
そもそも、鍼治療に恐怖心のある方には信じられないかもしれませんが、
コレ、よく効きます。
だいたい、指でちょっと押してみて痛みを感じる箇所に刺したはずなのに、
刺してからその箇所を押してみても、痛みを感じなくなっています。
え、治った?と思うくらい。

いや、分かってますよ。
これは飛燕の鳥人拳・鶴嘴千本みたいなもので、
鍼の刺激で神経が麻痺して、なんだか治ったような気になってるだけだって。
本当は、こんな時、
鍼で痛みが抑えられている隙に足を休ませ、
本当の治癒につなげるべきなんですが、
痛みがなくなったのをいいことに、ついつい無理してしまいます。

しかし、無理しないことを肝に銘じてさえおけば、
円皮鍼、意外と使えるんじゃないかと思うんですが。
私の足は、実は障害者手帳が交付されるくらいの障害なのですが、
働くにあたって、円皮鍼でサポートすることで、それなりに働けています。
私の場合は足ですが、世の中には、足ではなく、
腰に手首に肩に膝にと、どこか痛くて働くのがつらい人なんて、山ほどいますよね。
CS放送とかではグルコサミンとかコンドロイチンとか、
サプリメントのCMをガンガンやっていて、鍼のCMなんて見たことありませんが、
円皮鍼、おすすめです。
ちなみに、私が愛用している円皮鍼は太さ0.18で、長さ1.35mmのもので、
100本入りで1000円くらいのものです。
安さも魅力ですね。

ちなみに、何年も前、仕事で東京に出張した際、
羽田空港がえらく混んでいることがあり、
何かあったのかなと思ってアテンダントさんに尋ねたら、
温家宝だったか胡錦濤だったか、
当時の中国の偉い人が来日する日だったということがありました。
まぁ、来るのは勝手に来てくれればいいのですが、
その日のセキュリティは尋常でない厳しさで、
私が自分の足のために持っていた円皮鍼も没収されたのでした。
………いやいや、ドラクエじゃあるまいし、
長さ1.35mmの針で中国要人を倒せるわけないだろう。
中国伝来の鍼が、中国要人のせいで没収という、
なんだか釈然としない思い出もある円皮鍼です。

[SE;KICHI]

辛抱たまらん

先日、県の労働関係部署の方と懇談する機会がありました。
静かな割烹で行われたそれは10人ほどの非公式な席だったのですが、
その席に、地元の有力地方紙である北日本新聞の方が同席されていたため、
話題は自然と“働き方改革”から県内の採用状況へと向かいました。

県などでは、毎年、学生向けの企業説明会などを主催しているそうですが、
ここ数年、親を同伴して参加する学生が増えているそうです。
それも、学生本人がイヤだと言っているのにムリに親がついてきたという感じではなく、
友達同士がウインドーショッピングでもするかのように、
仲睦まじく説明会に参加しているのだそうです。
日本酒片手にその話を聞いていた私は、
姉妹のような母と娘を勝手に想像していたのですが、
よくよく聞いてみれば、男子学生と母親という組み合わせも珍しくないそうで、
呆れるというか、驚くというか、自分自身の価値観との差を感じると同時に、
なんだか近親相姦モノのAVを見たような気味の悪さを感じたものです。

まぁ、しかし、いくら気味悪がってみたところで、現状はそうなのであり、
したがって、未来を担う若者世代はそういうものなのだという話です。
もちろん、昨今の学生のみんながみんな、そこまでではないにしても、
どの企業の説明会に参加するかを親と相談して決めたり、
内定された企業に対して入社するか辞退するか親に決めてもらったり、
はたまた入社後に続けられるかどうかも親に判断してもらったり、
とにかく、多かれ少なかれ、
そういうことは、2017年においてはそう珍しいことではないのだそうです。

隔世の感は感じつつも、
未来を担う若者というのは、地方にとっては地域振興の宝なのであり、
私たち“古い”世代は、そのクオリティを受け入れるしかありません。
県としても、内心、釈然としない気持ちを抱いてはいるようですが、
地元に残ってくれるなら、少々のことには目を瞑ろうというスタンスだそうです。
結局、県側からは、実際問題としてそのような状況であるから、
この際、親向けの就職活動セミナーの開催を企画しているという話でした。

なるほど。
確かに、親の反対を理由に内定辞退してくる学生の話はよく聞きます。
いくら学生がその気になっても、親が賛成しなければ白紙に戻るというわけで、
学生の就職活動に親の決裁が必要な現状では、
まずは親に対する就職活動セミナーをという案は、検討の価値はあるでしょう。
まぁ、なんだかおもねっている感じがしなくもないですが。

結局、現状がこうなんだから、現状に合わせて企画しようという話なのですが、
これって、親が悪いですよね。
もちろん、親に依存している学生側にも問題はありますが、
圧倒的に、辛抱できずに手や口を出してしまう親の側が悪いですよね。

たとえば、8月のお盆明けくらいから月末にかけて、
小中学生の子を持つ父親などと話すと、なんだかやけに忙しそうです。
曰く、子供の宿題を手伝わなきゃいけないから忙しいのだと。
特に、自由研究や読書感想文、木工作品の制作などは親の担当領域なんだそうです。

私たちの当時は、そんなことはありえませんでした。
子供が、自由研究にあからさまにくだらないテーマを選ぼうが、
ほとんどあらすじを語っただけのしょうもない読書感想文を書こうが、
うまいこと自立しないような歪んだ木工作品を作ろうが、
そんなことに、親は無関心で、それが普通でした。
たまに親が介入しているケースも、あることはありましたが、
それはスネオみたいな、一部のいけ好かない子の話で、
ふつうは子供の自主性に任せているものでしたよね。

それは、制作物自体には意味はほとんどなくて、
制作の企画立案から実際の制作までの過程に意味があるのだと、
おそらく、当時の大人は知っていたのでしょう。
ゆえに、大人が不用意に手を貸してはならぬと、
歯がゆい気持ちをグッと抑えて辛抱していたんでしょう。
グッと我慢、それが子供のためだったわけです。

2017年現在。
夏休み明けには、明らかに親の手が入った宿題が提出されることになりますが、
まるで売り物のようにきれいに面取りされた書棚が制作物として提出されても、
学校としては、それを子供の作品であると黙認しているそうなのです。
曰く、「親子が協力して課題に取り組むことも学びになるから」だそうです。
・・・・・・バカか。
親子の協力は確かに大事ですが、
宿題は親兄弟と協力するもんではなく、自分でやるもんだと思うのですが、
これも時代の流れなのでしょうか。

つくづく、今の親は辛抱ができないのだなと思います。
親の価値観でこっちのほうがいいと思えば、子供にそれを押し付けています。
それは、子供から判断する機会を奪うことです。
“自由研究のテーマを決める”なんて、そうたいした場面ではありませんが、
子供は、そういう経験を通して、自分で決める力を養うのです。

その機会を奪うことは、自分で決める力のない子供を生産する方法です。
そして、その自分で決める力のない子供が大人になった時、
どの企業の説明会に参加するかを親と相談して決めたり、
内定された企業に対して入社するか辞退するか親に決めてもらったり、
はたまた入社後に続けられるかどうかも親に判断してもらったり、
自分で決められない学生として、完成してしまうのでしょう。
余談ですが、最近では結婚相談所に母親同伴で訪れる人もいると聞きます。
自分で決められない大人は、人生の決断も自分で決められないのでしょう。

私は、現代のニーズだけを検討するのであれば、
親向けの就職活動セミナーの開催はアリだと思っています。
ただ、それは、目先の利益のために甘やかす施策であり、
社会全体としては、そんなことでいいのかなぁと思ったりもしています。
自分で決められない大人をこんなに量産して、
果たして大丈夫なのでしょうか。

不安ですね。

[SE;KICHI]

ごちそうサーモン

イオンに「ごちそうサーモン」というのが売られていますよね。

ごちそうサーモン https://www.topvalu.net/tv-atlanticsalmon/

先日、宵の口みたいな時間にイオンに行ってみたところ、
コイツに半額くらいの値札が付いていました。
それを手にとって、鮮魚コーナーのお兄さんと話し込んでいると、
きっぷのいいお兄さんで、さらに安くしてくれると言います。
2パック購入しても1パック分の定価よりも安いというので、
まぁ、相当安価に、2パックの「ごちそうサーモン」を手に入れました。

塩麹漬けを作ることにします。

塩麹に漬けこんで放置するだけなので、誰でも作れますし、
麹の拮抗性により、食材に付いていた雑菌や病原菌が排除され、
外部から侵入しようとする雑菌も排斥されますから腐ることがないという、
なんとも夢のような調理法、塩麴漬け。

少し発酵させて、ちょっとだけトロッとなったころが食べごろで、
完成品を想像しただけでヨダレが出そうな感じですね。

2パックの「ごちそうサーモン」を塩麴に漬け、常温に放置します。

しかし、誰でも作れるとは書きましたが、発酵のサジ加減は難しいものです。
ここ富山の地は湿度が尋常ではないので、
この時期の発酵はコントロールが難しいのです。
日中は危ないので冷蔵庫にしまっておき、
夜はいくらか涼しいので冷蔵庫から出し、常温に放置しておきます。
で、朝になったらまた冷蔵庫に戻すという作業です。

ここ何年も、この方法で間違いはなかったのですが、
・・・やってしまいました。

誤算は、今年の夜の急激な夏化。
つまり、季節がこんなに急に夏になるとは思わず、
いくらか涼しいと思っていた夜がちっとも涼しくなく、
冷蔵庫から出し、常温に放置していた夜間のうちに昇天した模様。
不謹慎ながら、炎天下の車内に幼児を残してパチンコに興じるバカ親みたいなもので、
まさかダメになるとは思わず油断して放置した結果でした。

さよなら「ごちそうサーモン」。
といっても、塩麴ですから、腐敗するわけではなく、単なる過発酵です。
生の塩麴漬けとしては発酵しすぎて食べられませんが、焼けばおいしく食べられます。
というわけで、発酵しすぎた2パックの「ごちそうサーモン」は、
1パックがいわゆる塩麴漬け焼きに、
もう1パックは、半分は利休煮になり、
もう半分はグリュイエールと重ねてクロックムッシュになりました。

もちろん、それはそれでおいしかったですよ。
おいしかったんですが、
別に利休煮やクロックムッシュが食べたくて買ってきたサーモンではないので、
おいしかったのに不完全燃焼感が残るという、ちょっと欲求不満気味の結末。
・・・・・・悔しいです。

みなさんも夏場の過発酵にはくれぐれもお気を付けください。

[SE;KICHI]

おわら風の盆

季節の中で、夏は日も長く開放的になれるので好きなのですが、
今年の夏は晴れ間が少なくジメジメしていましたね。
そのまま8月が終わりとても残念です。
気が付くと朝晩の気温もずいぶんと涼しくなり、過ごしやすい気候になりました。

毎年、地元である富山の八尾という町で、
9月1日から3日の立春から数えて二百十日の初秋の風が吹く頃に、
「おわら風の盆」というお祭りがあります。
この頃は台風が発生する時期なので、
風神鎮魂を願い三日三晩踊り明かすという行事です。
網笠で顔を隠した男女が、
哀愁漂う胡弓の音色に合わせて、ほのかな灯りに照らされた坂の町を優雅に踊り歩く、
大変風情豊かなお祭りです。

最近ではずいぶん知られるようになり、
人口約5000人の町に全国からこの3日間だけで約25万人が訪れます。
私も、去年人に誘われて見に行って大変感動したのですが、
今年も誘って頂き、喜んで行ってきました。
今年は週末も重なり、いつにも増してたくさんの人出で賑わっていました。
目の前で見る踊りは、
300年もの間大事に受け継がれたものかと思えば、また格別です。


https://www.youtube.com/watch?v=keQgRk5daJc

誘ってくれる人が、
いつも踊り手が町流しをする通り沿いのお店にお座敷を取っていて、
そこで食事をするのですが、そのお店の家族が有名な民謡一家だそうで、
座敷の床の間には、
数々の民謡コンクールで優勝した際のトロフィーが所狭しと並んでいます。

去年一番感動したのは、お店の一家が私達に対し、
目の前で「越中おわら節」を披露してくれたことでしたので、
またそれを期待して行った今年も、一家にお願いをして快く披露して頂きました。

三人姉妹が母親の奏でる三味線に合わせ、
豊かな声量で哀愁に満ちたおわら節を感情を込めて唄いあげます。
間近で聞いている私達は圧倒されて鳥肌ものです。
何回聞いても素晴らしいです。
今年も聞けて本当によかったです。

帰りには既に来年のお座敷を予約していたのを横目で見ましたので、
私もまんまと便乗しようとたくらんでいます。

さて、秋のお祭りシーズンです。
全国各地で色んな催しが開かれると思います。
それぞれの地元で盛り上がって存分に楽しんでもらいたいと思います。

[M M]

体重は変わってないのに

私、セール品に弱いです。
日用品も割引の文字が目に入ると、ついつい覗いてしまいます。
洋服や靴などはほぼバーゲンセールでしか買いません。
最近はネットで購入することも多くなりましたので、
セール時期にお店へ足を運ぶことも少なくなりました。
が、靴だけはやっぱり履いて試してみないとダメですね。

この夏お気に入りの靴を1足捨てました。

買ったのは20年も前だったのですが、
普段履きではなく、休日出かける時や途中何年も履かなかった時期もあり、
傷みも少なかったので、通勤の春先から夏前の短い数カ月だけの靴として、
ここ10年程重宝していました。
途中、かかとや底を直しながらも履きたくなるくらい、
とっても履き心地が良く好きな靴だったのですが、
さすがに限界を感じたのでこの夏で終わりにしました。

なかなかここまで履きつぶした靴もないのですが、
よくよく考えてみたら、
今着回ししている洋服も20年位着ている物が何着かありました。
さすがに肩パット入りのジャケットやミニスカートなどは着る勇気もないし、
残してもいなかったですけど、色や形が無難な洋服に限りますが、
衣替えの時期に見つけたりすると久しぶりに着てみようかと、
出してみたりします。

今年はスカートを何着か取り出してみました。
今着ても大丈夫か鏡の前でチェックし試着。
いざ穿いてみると、うっ、きつい、最後のウエストに違和感。
体重はそんなに変わってないのに、
体型はがっつりと変わってるんですよね~。

スカートは正直でした。

先日、社内でWAKAさんが、
同僚のKさんのワイシャツのボタンが外れていたのを発見した時の話で、
お腹が出るとボタンが外れやすいのかね?と。
以前テレビに出ていた男性もボタンが外れており、
その人はかなり恰幅がよかったんだと、話ていたのを横で聞いていました。
私は会話には参加しなかったものの、心の中ではそうだよ!と呟いていました。

実は少し前に友人3人で会った時のこと、中の1人が、
同僚でバストがFカップの女性がいるんだけど、
気が付くとブラウスの胸のボタンが外れていることがよくあって、と話を始めました。
私ともう1人の友人は、あーそれは胸が大きいからだよね!と。
同意見の友人と私は、仕事中着ている制服が胸のボタンは外れないけど、
ベストのお腹まわりのボタンは外れることがあるから~と、実体験をもとに推測しました。
だから胸の大きな同僚もわざとじゃなく気が付いたら自然に外れているんだよと、
別な意味で擁護しました。

因みにベストのボタンが外れる友人は太ってはいません。
昔っから細くて、今も細いです。
そんな彼女が同じような体験をしているのは正直驚きました。
彼女はきっとその一部分だけなんでしょうけどね。
あっ、同僚のKさんも太ってないですよ。
ボタンが外れていたのはたんにはめていなかっただけじゃないでしょうか。

さてさて、きつかったスカートですが洗濯しアイロンまでかけてはみたものの、
出番があるのか・・・。
靴も新しい物を探さないといけないのですが、素敵な出会いがあると良いですが。
でも、一回くらいは自分の足ぴったりに作って貰った靴を履きたい願望はあります。
思い切って作って貰うのも、ウエストがきついスカートを穿ける体型に戻すのも自分次第
なんですけどね。

[fu~ma]

なぜ、そうするのか。

自殺はいけないことです。
それは、残された者たちが悲しむからとか、そういうくだらない理由ではありません。
私は、これまでにも何度か書いたことがあるように、
神様がお許しにならないからだと思っています。
残された者たちが悲しむからとかではなく、「ダメなものはダメ」ということです。

私がよく行く肉屋に、地域の小学生のポスターが飾られていることがあります。
納税とか、地産地消とか、時期によってテーマは変わりますが、
折に触れて、近くの小学校の子供たちが描いたポスターのうち、
優秀作品が20枚ほど、展示されるのです。

先日、「万引きはダメ!」というようなテーマのポスター展示を見ました。
そういうテーマですから、
ほぼ全員の絵に、「万引きはダメ!」とレタリングされた文字が入っているのですが、
デザインというか絵柄の部分を見て私は驚きました。
ほぼ全員が全員、絵の要素として防犯カメラが入っているのです。
つまり、チョコレートか何かをバッグの中に隠す人物とそれを見つめる防犯カメラ、
それにキャプションのように「万引きはダメ!」という文字、という構図。

これでは、まるで、
カメラに見られているから万引きはダメということになります。
もちろん、防犯カメラには抑止力としての働きもあるのでしょうが、
万引きがダメなのは、監視されているからではないでしょう。
しかも、これは近くの小学校の子供たちが描いたポスターなので、
小学生がそのように認識しているということですよね。
周りの大人は何を教えているのかと、ちょっと嘆息してしまいます。

そうなってくると、なぜ人を殺してはいけないのかという設問に対しては、
もしかしたら、「捕まっちゃうから」ということになるのかもしれません。
もしそうなら、逆に言えば、
逃げ切る自信があるなら殺しても良いということになりますが、
大丈夫ですか、そんな倫理観で。

このところ、ふるさと納税の返礼品が豪華すぎると話題ですが、
確かに、2000円でもらい放題なので、さもありなんという感じはします。
この制度の趣旨は、
居住地以外の、思い入れのある自治体に寄付をしようということだったはず。
私も、思い入れのある岡山県某市とか、栃木県某町に寄付したことはありますが、
純粋に、思い入れのある自治体の財政支援の目的で、
つまり、「あげるから使って」感覚だったので、
返礼品などの見返りを期待しての寄付だと思われるのは心外です。

本来、寄付とは、見返りを求めない“喜捨”です。
強いていうなら、幸田露伴が『努力論』で説いている幸福三説、
すなわち、分福・植福・惜福のうちの分福や植福にあたるもので、
キリスト教的な、「持てるものは持たぬものに分け与えよ」に近く、
広義にはノブレス・オブリージュの考え方です。

しかし、昨今は、寄付に対して、豪華な返礼品が届くばかりか、
税法上の特定寄付の形で、所得税などの控除対象として認められ、
そのために領収証が発行されたりもするようです。
しかし、私は、寄付とはノブレス・オブリージュだと思っているので、
何か豪華な返礼品がもらえるかどうかとか、税法上有利になるかどうかとか、
そういうことを考慮した寄付は純粋ではないような気がして、
もちろん税法上の優遇措置を設定することで寄付の間口が広がる効果はあるとしても、
どうも納得のいかないところがあります。

何かがもらえるから寄付するとか、税法上有利だから寄付するということでは、
それは、まるで売買契約というか、ギブアンドテイクの考え方であり、
とても、ノブレス・オブリージュとは言えませんよね。

私は、神様の眼を持つことを提唱している者です。
自殺や万引きや殺人は、神様がお許しにならないからいけないことだし、
寄付やボランティアや社会貢献は、神様がお喜びになるから良いことだと思うのです。
防犯カメラや周囲の人の目に監視されているからいけないとか、
豪華な返礼品や税法上の控除が受けられるから良いとか、
そういう低次元のことではないと思うのです。

冒頭のポスターの話に戻りますが、ちょっと教育のレベルが低いのではないでしょうか。
学校の先生も、普通の学校で神様まで登場させる訓示が適切かは分かりませんが、
せめて、「万引きの善悪は、防犯カメラの有無では決まらないんだよ」、
「防犯カメラなんてなくても、ダメなものはダメなんだよ」と、
子供たちを積極的に教え導いてほしいものです。

ところで、子供たちのポスターに出てくる防犯カメラは、
どういうわけか、たいてい擬人化されていて、
それも、よく映画を観に行くと本編の前に見せられる“No more 映画泥棒”に出てくる、
いわゆるカメラ男のような意匠の防犯カメラになっています。
どうしてこう、みんなして諮ったように似た構図なのか、不思議です。

NO MORE 映画泥棒
https://matome.naver.jp/odai/2140075557842227101

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