レジリエンスの不足
レジリエンス【resilience】は大事だと言われます。
日本語では「再起力」などと言われていますが、
逆境に直面しようとも、諦めずに打開策を考え、現状を打破する力のことです。
“VUCAワールド”と呼ばれる、未来の予測が難しい現代においては、
状況を正しく認識し、迷わずに即応できる能力は不可欠であり、
仮に現状が逆境であるならば、考えを巡らしてそこから脱出する必要があるわけで、
これからの時代はレジリエンスが重要になってくるという話です。
私も、心底それはそのとおりだと思っていて、
たとえば同僚など、周囲にもレジリエンスは大事だと説いていたものですが、
机上の話と実践は違うのだと痛感する出来事がありました。
先日の平成の武者修行。

https://www.facebook.com/hokuriku.sidoujyuku/?hc_ref=ART9jN8de5HPpeYAwdiw5va150YHJstAdlARpyb7nH9m3aoRYV1v3N-1t5QL35HgyMk&pnref=story
当初は私も子供たちと一緒に山を縦走するつもりでいたのですが、
企画の途中段階で、山にキャンプ道具などを運ぶスタッフが足りないということで、
途中からそちらを担当することになったものの、
呼吸器に持病のある私はそれすらも医師から禁止されてしまい、
つまり、ドクターストップで山には登れませんでした。
ただ、前途ある子供たちに登山を体験させてやりたいという気持ち自体はあったので、
いろいろ考えた結果、食事や寝具の手配から講話まで、
地上のコーディネートを一手に担当することにしました。
実際に山に登る部隊の人たちはそっちに専念してください、と、
後方支援に徹する気持ちです。
今回の立山登山の旅では、
悪天候のために予定変更を余儀なくされる場面がかなりありました。
当然、実際に山に登る部隊のスタッフたちは、
状況を見ながら臨機応変の判断をしているはずです。
一方、地上担当としては、その判断について連絡を受け、
どこかに連絡をしたり、何かを手配しなおしたりというのが任務になるのですが、
受け身な“職場”ではありながら、実はこれが意外と忙しいのです。
しかも、なにぶん山ですので、電波状態も悪いため、
山上の判断がタイムリーに地上に伝わってこず、
たとえば、スタンバイして待ってるのに数時間待たされたり、
逆になんの準備もしていないのに突然何かを要求されたりと、
下界では想像がつかない山上の判断により、
下界の行動が刻一刻と変動する状態。
冷静に考えてみれば、
そもそも大切な子供を預かっているイベントなので、
山上での判断は高度であり、おそらく大変なプレッシャーであったと思います。
それは、山を知らない私にできることでは到底ありません。
それに引き換え、こちらの用件はといえば、
せいぜい「今晩、何食べたい?」レベルの、緊急性の低い話です。
冷静に考えればそうなのですが、
その渦中、振り回されていると感じた私は密かに苛立ち、
「もうヤダ!」と帰宅してしまおうかと、何度か思ったものです。
いや、子供たちのためという大義を思い出し、
かろうじて職場放棄は思いとどまりましたが、
これはとっても自分勝手な感覚です。
敗因は私の無知です。
そもそも、山というのは予想外のことが起こるもので、
山好きの人にしてみれば、
“そういうところも含めての山の魅力よ”などという感覚になるのでしょうが、
私自身は公家のようなタイプで、
たとえば「キャンプの醍醐味は不自由を楽しむことさ」みたいな話は、
実はほとんど理解できません。
山についても同様で、これまで山には少しも興味を持たずに生きてきましたので、
イレギュラーなことが起こるのが普通だという「山あるある」が、
少しも共感できていませんでした。
しかし、そのような私の経緯は、この際関係ありませんよね。
レジリエンスには、信念に基づき、
あるものでなんとかするという即興力が求められます。
最初、私は、自分に山に関する知識がないことを理由に、
いちいち座長の意見や指示を仰ごうとしていましたが、座長は山の上。
電波が悪い上に、高度な判断の連続で地上の手配関係までは頭が回らない状態。
そのような、誰も指示をくれない状況のなかで、
たまに「ポイズンリムーバー、買っといて」とか、短い指図が来るのです。
何だよ、ポイズンリムーバーって、聞いたことないよと舌打ちしつつ、
もはや、知識はないとしてもそんなことは言っていられないと腹をくくりました。
乾坤一擲、自分でやるしかないと。
結果、なんとか、ない知識を総動員して、駆けずり回って必要なものを買い揃え、
下山した子供たちに温かい食事や有益なワークを提供することができましたが、
それで正解なのか、最後まで肝を冷やしました。
結局、山に登っている者は下界のことなど考える余裕はなく、
また一方で、下界の者は山での状況が分かるはずもない。
つまりは、どうせ互いに分からないのだから、
無理して連絡を取り合って共有しようなどとは思わず、
自分の与えられた職掌で全力を尽くせばよいということです。
私に山の知識が不足しているとして、
そこから切り抜ける力がレジリエンスだったというわけです。
そこを悟るのに丸1日くらいかかってしまいました。
いやぁ、常々、レジリエンスは大事だと喧伝しており、
自分自身についてはそれなりにできているようなつもりでいましたが、
もう全然、自分にはそれが備わっていなかったことがよく分かりました。
その状況に置かれないと分からないことはあるといいますが、
まだまだですね。
[AKA]
日本語では「再起力」などと言われていますが、
逆境に直面しようとも、諦めずに打開策を考え、現状を打破する力のことです。
“VUCAワールド”と呼ばれる、未来の予測が難しい現代においては、
状況を正しく認識し、迷わずに即応できる能力は不可欠であり、
仮に現状が逆境であるならば、考えを巡らしてそこから脱出する必要があるわけで、
これからの時代はレジリエンスが重要になってくるという話です。
私も、心底それはそのとおりだと思っていて、
たとえば同僚など、周囲にもレジリエンスは大事だと説いていたものですが、
机上の話と実践は違うのだと痛感する出来事がありました。
先日の平成の武者修行。

https://www.facebook.com/hokuriku.sidoujyuku/?hc_ref=ART9jN8de5HPpeYAwdiw5va150YHJstAdlARpyb7nH9m3aoRYV1v3N-1t5QL35HgyMk&pnref=story
当初は私も子供たちと一緒に山を縦走するつもりでいたのですが、
企画の途中段階で、山にキャンプ道具などを運ぶスタッフが足りないということで、
途中からそちらを担当することになったものの、
呼吸器に持病のある私はそれすらも医師から禁止されてしまい、
つまり、ドクターストップで山には登れませんでした。
ただ、前途ある子供たちに登山を体験させてやりたいという気持ち自体はあったので、
いろいろ考えた結果、食事や寝具の手配から講話まで、
地上のコーディネートを一手に担当することにしました。
実際に山に登る部隊の人たちはそっちに専念してください、と、
後方支援に徹する気持ちです。
今回の立山登山の旅では、
悪天候のために予定変更を余儀なくされる場面がかなりありました。
当然、実際に山に登る部隊のスタッフたちは、
状況を見ながら臨機応変の判断をしているはずです。
一方、地上担当としては、その判断について連絡を受け、
どこかに連絡をしたり、何かを手配しなおしたりというのが任務になるのですが、
受け身な“職場”ではありながら、実はこれが意外と忙しいのです。
しかも、なにぶん山ですので、電波状態も悪いため、
山上の判断がタイムリーに地上に伝わってこず、
たとえば、スタンバイして待ってるのに数時間待たされたり、
逆になんの準備もしていないのに突然何かを要求されたりと、
下界では想像がつかない山上の判断により、
下界の行動が刻一刻と変動する状態。
冷静に考えてみれば、
そもそも大切な子供を預かっているイベントなので、
山上での判断は高度であり、おそらく大変なプレッシャーであったと思います。
それは、山を知らない私にできることでは到底ありません。
それに引き換え、こちらの用件はといえば、
せいぜい「今晩、何食べたい?」レベルの、緊急性の低い話です。
冷静に考えればそうなのですが、
その渦中、振り回されていると感じた私は密かに苛立ち、
「もうヤダ!」と帰宅してしまおうかと、何度か思ったものです。
いや、子供たちのためという大義を思い出し、
かろうじて職場放棄は思いとどまりましたが、
これはとっても自分勝手な感覚です。
敗因は私の無知です。
そもそも、山というのは予想外のことが起こるもので、
山好きの人にしてみれば、
“そういうところも含めての山の魅力よ”などという感覚になるのでしょうが、
私自身は公家のようなタイプで、
たとえば「キャンプの醍醐味は不自由を楽しむことさ」みたいな話は、
実はほとんど理解できません。
山についても同様で、これまで山には少しも興味を持たずに生きてきましたので、
イレギュラーなことが起こるのが普通だという「山あるある」が、
少しも共感できていませんでした。
しかし、そのような私の経緯は、この際関係ありませんよね。
レジリエンスには、信念に基づき、
あるものでなんとかするという即興力が求められます。
最初、私は、自分に山に関する知識がないことを理由に、
いちいち座長の意見や指示を仰ごうとしていましたが、座長は山の上。
電波が悪い上に、高度な判断の連続で地上の手配関係までは頭が回らない状態。
そのような、誰も指示をくれない状況のなかで、
たまに「ポイズンリムーバー、買っといて」とか、短い指図が来るのです。
何だよ、ポイズンリムーバーって、聞いたことないよと舌打ちしつつ、
もはや、知識はないとしてもそんなことは言っていられないと腹をくくりました。
乾坤一擲、自分でやるしかないと。
結果、なんとか、ない知識を総動員して、駆けずり回って必要なものを買い揃え、
下山した子供たちに温かい食事や有益なワークを提供することができましたが、
それで正解なのか、最後まで肝を冷やしました。
結局、山に登っている者は下界のことなど考える余裕はなく、
また一方で、下界の者は山での状況が分かるはずもない。
つまりは、どうせ互いに分からないのだから、
無理して連絡を取り合って共有しようなどとは思わず、
自分の与えられた職掌で全力を尽くせばよいということです。
私に山の知識が不足しているとして、
そこから切り抜ける力がレジリエンスだったというわけです。
そこを悟るのに丸1日くらいかかってしまいました。
いやぁ、常々、レジリエンスは大事だと喧伝しており、
自分自身についてはそれなりにできているようなつもりでいましたが、
もう全然、自分にはそれが備わっていなかったことがよく分かりました。
その状況に置かれないと分からないことはあるといいますが、
まだまだですね。
[AKA]
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