キャンディーズじゃないんだから
もう、だいたい決まったことらしいので、
あんまり言うのも好ましくないのかもしれませんが、
今上天皇が近々に譲位なさるそうで、
私は、密かに、しかし深く、残念に思っています。
その理由は、前天皇と現天皇の二重構造になって混乱するとか、
仮に恒久法で譲位を認めると政治利用される可能性があるとか、
そういうテクニカルな話ではありません。
私は、天皇の最も重要な仕事は、祭祀だと思っています。
新嘗祭とか、宮中三殿で行われている神事ですね。
なぜ、天皇がこの祭祀を執り行っているのかというと、
初代の神武天皇(神倭伊波礼毘古命)が天照大神の五世孫とされていて、
すなわち、現在の今上天皇も天照大神の子孫にあたるからです。
いわば、神様の家系ゆえに、祭祀を行う使命を帯びているわけで、
すなわち、家系ゆえのその役目は、「余人を以て代えがたい」、そういう役目です。
天皇というお立場は、もちろん私のような者には計り知れないものではありますが、
年間約1000件の書類に目を通して署名・押印し、約200回も出席行事があると聞けば、
確かに80歳を過ぎた御身では厳しかろうと、私でも思います。
しかし、上記の祭祀については「余人を以て代えがたい」としても、
それ以外の書類業務や行事への臨席等は、
別に天照大神の子孫でなくても構わないような気もします。
刺されたりしないように、すごく気を遣って書いているので、
まどろっこしい文章になっていますが、
結局のところ、戦後の憲法にどう書いてあるかなど関係なく、
天皇陛下の本業はあくまでも、
国家と国民の安寧と繁栄を祈ることを目的とした祭祀だと思うのです。
憲法で“象徴天皇”みたいな、みょうちきりんな規定をしてしまったから、
各地に行幸に出かけたり、儀典でお言葉を述べられるなど、
やたら体力を使う仕事が発生しただけで、
それって、結局のところ「ファン感謝祭」みたいなものであり、
まぁ、それが今上天皇の慈悲深いところでもあるのですが、
本来は、国家のためにお祈りをすることこそが仕事のはずです。
だとすれば、仮に年老いて身体が動かなくなり、
被災地の慰問や国事行為ができなくなったとしても、
それは、そもそも本務ではないのだから、
皇太子か秋篠宮かに代行してもらうので一向に構わないと思うのです。
そういう意味では、摂政を置くということでよろしいのではないでしょうか。
また、百歩譲って、この70年ほど、
天皇は“日本国の象徴であり日本国民統合の象徴”になったのだとしても、
たとえば、熊本のシンボル『くまモン』のような物理的象徴であるはずはなく、
日本国民の心に訴えかける意味での象徴なんだと思うのです。
日本とは、今上天皇が在世中に老いて動けなくなれば、
逆に日本国民が陛下をそっと心配し、健康を祈る、
そういう国ではなかったかと思うのです。
事実、先帝も病床にありながら象徴であられたでしょう。
結論として、私は、
「余人を以て代えがたい」祭祀以外は、どんどん皇太子に代行させて構わないし、
かつての大正帝がそうであったように、
よほど体調が悪ければ祭祀すら代行してもらっても仕方ないけれど、
あくまでも、天照大神の子孫として、生涯、
寝たきりだろうがなんだろうが、
国家の安寧を祈る祭祀を主宰する立場ではいてもらいたいのです。
それゆえに、今上天皇が来年末をめどに譲位なさることは、
私は、密かに、しかし深く、残念に思っています。
しかし、そう言うと、昨今のブラック企業云々と絡めて、
「皇室ですら死ぬまでこき使おうなんて、残酷だ」と批判されたりします。
私は「こき使おう」などと言っているのではなく、
“祈り”以外の仕事はどんどん減らそう、
最終的にしんどければ“祈り”も代わってもらっていい、
でも、あくまでも施主は今上天皇であるべきだと言っているだけなのですが。
ただ、世論というのは、往々にして感情的なものなので、
今回の、譲位を認める世論にしても、おおむね譲位に好意的なようです。
しかし、これはキャンディーズの引退とは違うのです。
私に言わせれば、祭祀の重要性を度外視し、
「おじいちゃん、大変そう」みたいな、感情に立脚した賛成にすぎないように感じます。
もう一度だけ言いますが、天皇は単なる老人ではないのです。
神さまだとは言いませんが、神さま(天照大神)の子孫であり、
国家の安寧を祈るという、とんでもなく重要な仕事をしている、
日本中で最も特殊な立場の方なので、
あるところに、125代続いている名家がありました。
しかし、当主の明仁さんは高齢で、疲れてしまったので、
ここらで長男の徳仁さんに当主の座を譲ることになさいました。
というわけにはいかないのです。
作り酒屋とか、靴屋とか、時計職人とか、そういうのではないので、
ただ、老いたから譲るというわけにはいかないと思うのです。
もうすぐ「昭和の日」、ちょっと前の天皇誕生日です。
呼び名をどうするとか以前に、本当にこれでいいのでしょうか。
[SE;KICHI]
あんまり言うのも好ましくないのかもしれませんが、
今上天皇が近々に譲位なさるそうで、
私は、密かに、しかし深く、残念に思っています。
その理由は、前天皇と現天皇の二重構造になって混乱するとか、
仮に恒久法で譲位を認めると政治利用される可能性があるとか、
そういうテクニカルな話ではありません。
私は、天皇の最も重要な仕事は、祭祀だと思っています。
新嘗祭とか、宮中三殿で行われている神事ですね。
なぜ、天皇がこの祭祀を執り行っているのかというと、
初代の神武天皇(神倭伊波礼毘古命)が天照大神の五世孫とされていて、
すなわち、現在の今上天皇も天照大神の子孫にあたるからです。
いわば、神様の家系ゆえに、祭祀を行う使命を帯びているわけで、
すなわち、家系ゆえのその役目は、「余人を以て代えがたい」、そういう役目です。
天皇というお立場は、もちろん私のような者には計り知れないものではありますが、
年間約1000件の書類に目を通して署名・押印し、約200回も出席行事があると聞けば、
確かに80歳を過ぎた御身では厳しかろうと、私でも思います。
しかし、上記の祭祀については「余人を以て代えがたい」としても、
それ以外の書類業務や行事への臨席等は、
別に天照大神の子孫でなくても構わないような気もします。
刺されたりしないように、すごく気を遣って書いているので、
まどろっこしい文章になっていますが、
結局のところ、戦後の憲法にどう書いてあるかなど関係なく、
天皇陛下の本業はあくまでも、
国家と国民の安寧と繁栄を祈ることを目的とした祭祀だと思うのです。
憲法で“象徴天皇”みたいな、みょうちきりんな規定をしてしまったから、
各地に行幸に出かけたり、儀典でお言葉を述べられるなど、
やたら体力を使う仕事が発生しただけで、
それって、結局のところ「ファン感謝祭」みたいなものであり、
まぁ、それが今上天皇の慈悲深いところでもあるのですが、
本来は、国家のためにお祈りをすることこそが仕事のはずです。
だとすれば、仮に年老いて身体が動かなくなり、
被災地の慰問や国事行為ができなくなったとしても、
それは、そもそも本務ではないのだから、
皇太子か秋篠宮かに代行してもらうので一向に構わないと思うのです。
そういう意味では、摂政を置くということでよろしいのではないでしょうか。
また、百歩譲って、この70年ほど、
天皇は“日本国の象徴であり日本国民統合の象徴”になったのだとしても、
たとえば、熊本のシンボル『くまモン』のような物理的象徴であるはずはなく、
日本国民の心に訴えかける意味での象徴なんだと思うのです。
日本とは、今上天皇が在世中に老いて動けなくなれば、
逆に日本国民が陛下をそっと心配し、健康を祈る、
そういう国ではなかったかと思うのです。
事実、先帝も病床にありながら象徴であられたでしょう。
結論として、私は、
「余人を以て代えがたい」祭祀以外は、どんどん皇太子に代行させて構わないし、
かつての大正帝がそうであったように、
よほど体調が悪ければ祭祀すら代行してもらっても仕方ないけれど、
あくまでも、天照大神の子孫として、生涯、
寝たきりだろうがなんだろうが、
国家の安寧を祈る祭祀を主宰する立場ではいてもらいたいのです。
それゆえに、今上天皇が来年末をめどに譲位なさることは、
私は、密かに、しかし深く、残念に思っています。
しかし、そう言うと、昨今のブラック企業云々と絡めて、
「皇室ですら死ぬまでこき使おうなんて、残酷だ」と批判されたりします。
私は「こき使おう」などと言っているのではなく、
“祈り”以外の仕事はどんどん減らそう、
最終的にしんどければ“祈り”も代わってもらっていい、
でも、あくまでも施主は今上天皇であるべきだと言っているだけなのですが。
ただ、世論というのは、往々にして感情的なものなので、
今回の、譲位を認める世論にしても、おおむね譲位に好意的なようです。
しかし、これはキャンディーズの引退とは違うのです。
私に言わせれば、祭祀の重要性を度外視し、
「おじいちゃん、大変そう」みたいな、感情に立脚した賛成にすぎないように感じます。
もう一度だけ言いますが、天皇は単なる老人ではないのです。
神さまだとは言いませんが、神さま(天照大神)の子孫であり、
国家の安寧を祈るという、とんでもなく重要な仕事をしている、
日本中で最も特殊な立場の方なので、
あるところに、125代続いている名家がありました。
しかし、当主の明仁さんは高齢で、疲れてしまったので、
ここらで長男の徳仁さんに当主の座を譲ることになさいました。
というわけにはいかないのです。
作り酒屋とか、靴屋とか、時計職人とか、そういうのではないので、
ただ、老いたから譲るというわけにはいかないと思うのです。
もうすぐ「昭和の日」、ちょっと前の天皇誕生日です。
呼び名をどうするとか以前に、本当にこれでいいのでしょうか。
[SE;KICHI]
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