はじめの一歩

もともと、いま自分にとって大事なことは何なのか、自分なりに優先順位をつけ、
その優先順位の低いことには取り組みもしない、断捨離タイプの私です。
今年は、富山市内の小学校と高校の卒業式で祝辞を述べるという大役を引き受けたのに、
私の中での優先順位が高くなかったのか、
他の仕事に没頭していた結果、すっかり・・・・・・してしまい、
気が付いたのは当日が2日後に迫った夜でした。
こういうことにあんまりプレッシャーを感じない私ですが、
当日まで中1日に迫っていると気づいたときには、さすがに慌てました。

まず、アレを買わないと。
祝辞を書く、パタパタ折りたたんで使う目録みたいな封書みたいなやつ。
だいたいアレは何という名前なのか。
いま思えば、ネットで検索すれば即座に解決しそうなことですが、
普段からネット検索を多用しない私は、窮地に陥ってもネットを思いつかず、
とりあえず遅くまで開いている文房具屋さんに駆け込んで相談。
しかし、夜の文房具屋にいたのはバイトの青年で、
名前どころか「パタパタ折りたたんで使う・・・」イメージすら共有できず。
結局、深夜の文房具屋で、
そのバイト青年のスマホで調べて分かった名前は「奉書紙」
しかし、そんなに苦労して名前を調べたところで、
そんな用途の限定されたものはその文房具店には置いておらず、
もう深夜だしどうしようもないということで、すごすご帰ったのでした。
翌日は午前中から何軒もの文房具店に行くも、ちっとも見当たらず、
最終的に文房具店でヒントをもらい、仏具屋で見つけて購入。
はぁ、焦った。

手に入ってしまえば、文章を書くのはわりと得意なので、さらさらっと書いて、完成。
卒業という節目を迎えた小学生と高校生に、心を込めたメッセージを送りました。
それにしても、私は来賓として参列しているわけで、
その学校に自分の子供が通っているというわけでもないのですが、
式典中に披露される歌やら言葉やらは、
知らぬ子だというのに、なかなか染み入るものがあります。

そして、悲喜こもごもあるのでしょうが、
卒業に続いては、新たな門出というものもあります。

当社が加盟している地場の企業連合では、
この4月も、参加企業合算で総勢65名ほどの新入社員を迎えます。
本日、富山市内のホテルで合同入社式が執り行われました。
ちょっと前にこのブログで『ましろの恋』という映画の話が出ましたが、
入社式の記念講演は、その映画の坂本欣弘監督でした。
映画業界のウラ話的な話も交えながら、映画監督という夢を掴んだ話を熱弁されました。
その後、場所を移して新入社員研修に取り組みました。

入社式・新入社員研修

今年は「感謝」をテーマにした研修の組み立てでしたが、
どういう星の巡り合わせか、
3時間ほどの講義を担当するよう仰せつかりましたので、
少しでも新入社員のみなさんのお役に立てればと、頑張って話しました。
とはいえ、そんなに何時間もは話せませんので、
メッセージを書いたカードを眺めながら、心を穏やかにして思いを集中するという、
禅の修行でよくやる「参究」という手法を取り入れてみました。
普段、ひとつのことをゆっくり考える機会というのは、なかなか持てませんので、
考える練習になったでしょうか。

さあ、今日からは社会人です。
仕事は愛情表現であるというメッセージ、
少しでも伝わりましたでしょうか。
頼まれた祝辞を失念してしまう私に言われたくないかもしれませんが、
新入社員のみなさんが各会社で大活躍してくれることを心からお祈りしております。

[AKA]
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食への興味

まず私は、なんだかんだで県外出張が多いのですが、
そのことによって気づいたことがあります。

自分は基本的に食に興味がないんだなということ。

人によるかもしれませんが、出張したら地の物を食べたくなるのだろう。
食べる以外にも名産を買って帰るとか、地酒をとか。

しかし、私はなーんも興味がないんですよね。
自分一人ならコンビニ弁当でOKです。

京都に泊ったらファミレス、奈良に泊ったら王将、東京に泊ったらコンビニ。
お土産もよほどのことがなければ興味がないので見ないです。
お酒も下戸で飲めないので居酒屋に行くわけでもバーに行くでもなく。
さらに言えば観光も興味がないので、珍しい土地にいてもホテルに缶詰めです。
(あ、コンビニにはいくかな。)

で、なぜ自分はこんなにも興味がないのだろうと思って気づいたのですが、
これは私の性格ですが、基本的に他人と共有できないことに興味がないんだろうと。

簡単に言えば、誰かと一緒に飯を食べるのでなければ、
食はどうでもいいんです。

誰かと一緒に食べるご飯が一番おいしいという、
何ともいい人アピールみたいな話ですが、
同じ理由で観光も一人じゃ楽しくないんです。

SNSで発信する人もいらっしゃいますが、
私はその場で同じ空間にいる人と同じ感動を共有したいのだと思います。

だから、誰かと一緒にご飯に行くとか、ライブとかクラブとか飲み会とか、
そういうのは興味あります。
でも一人で食べに行っても全然楽しくないので行かないのです。

一人遊びが上手な人は羨ましいです。

ヒキタニ君にプロボッチの過ごし方指導を願いたいです。

そんなことに気付いたってだけの話です。

[ハク]

梅は咲いたか

『世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし』と、
昔から、桜の花が好きという人は多いようですが、
私は、もともとそれほど自然物に興味をひかれないというのもありますが、
なかでも、とりわけ、桜の花が苦手です。
まぁ、幼いころ、春が来て、
実家に生えていた桜に花が咲くのは確かに綺麗でしたが、
雨が降るたびに花びらが散ってそこらじゅうにくっつくのが汚らしかったし、
白かピンクか分からない中途半端な色にも釈然としない気分でした。
時季をずらして葉桜になると嫌いでもないですが、
今度は毛虫の発生が忌々しい時期に入るので、
いつだったか、かわいい孫である私が毛虫に刺されたことに激怒した祖父が、
もったいなくもその桜の木を切り倒してしまったことを覚えています。

いずれいせよ、桜の花の時季に限れば、
吉野の千本桜とか、遠くから眺めるぐらいじゃないときれいとは思えなくて、
まぁ、要するに至近距離の桜は苦手だということです。

じゃ、何が好きなんだという話ですが、実は、わりと梅は好きです。
それも、緋梅といって、花色が明るい紅色をしているものが好みです。
わりと色味がはっきりしていて、中途半端な色ではないですからね。
私は、最近はあんまりやりませんが、昔から色鉛筆で絵を描く趣味があり、
子供のころは、よく、スケッチブックを持って京都御苑に出かけ、
丸太町駅から京都御所に向かってぶらぶら歩いたところの、
ちょうど皇宮警察の前あたりの梅林で絵を描いていたものです。

それに、以前ご紹介した私の別の趣味から見ても、
桜より梅のほうが魅力的な感じがしませんか。
ほら、桜紋桜紋よりも、梅紋梅紋のほうが、ね。
梅紋 http://kamondb.com/plant/ume.html 桜紋 http://kamondb.com/plant/sakura.html

さて、梅の花を見るのが好きという話をしましたが、
実は、梅を味わうのも好きです。
・・・・・・といっても、梅干しは酸っぱいので苦手で、あまり食べません。
私が好きなのは、梅の和菓子です。

正確に言うと、まず、大宰府の梅ヶ枝餅とか、金沢の福梅とか、
意匠(形状)が梅なだけで、梅の味がしないものは除外します。
それから、これは単純な好みの問題ですが、
若い梅の実を丸ごと蜜漬けして、求肥かなにかでくるんだようなものも除外です。
私が好きな梅の和菓子は、梅の形ではない、梅味の和菓子ということです。

マイベスト梅和菓子は、ダントツで『田むらの梅』です。
岩手県の一関の老舗・松榮堂の代表銘菓です。
梅肉が練り込まれた白餡を餅生地でくるみ、
これをさらに青紫蘇の葉で包んだ和菓子です。
最初に青紫蘇の茎や葉脈の部分が歯が当たり、
やや酸味を感じた後、白餡の甘みに酸味が包み込まれます。
この手の和菓子では『水戸の梅』も有名ですが、
ほぼ同じ構成でありながら、白餡に梅肉が練りこまれている分、
こちらのほうが梅の味が強いような気がします。
この『田むらの梅』、
最近、古い伝承に基づいて白砂糖をまぶしたものも発売されていますが、
私は、砂糖をまぶさないタイプのほうが好みです。
しかし、例によって、富山のような辺鄙なところに住んでいると、
『田むらの梅』どころか、『水戸の梅』すら手に入りにくいので、
近場で売える似た商品ということで、
日常は、『越路の旅まくら』を買っていますが、これはちょっと甘さ控えめです。

次にご紹介するのは、『梅不し』です。
これで“うめぼし”と読み、高知県の老舗・西川屋の菓子です。
「不」って、ネガティブな文字で、なかなか付けませんよね。
しかし、このネーミングは、老僧が手作りのこの菓子を献上した際、
土御門上皇から賜った名前らしく、そうなると拒絶することは不可能ですね。
『田むらの梅』が“餡餅を紫蘇でくるんだ”という構造であるのに対し、
この『梅不し』は、やわらかい求肥の中に刻んだ紫蘇の葉を詰めたものです。
甘酸っぱくておいしいお菓子です。
最大の特徴は一口大というその大きさで、
それが、たとえば茶席などに好適で、上品さを醸し出しています。
ちなみに、『梅不し』という謎のネーミングセンスを発揮した土御門上皇は、
承久の乱に失敗した弟・順徳天皇と父・後鳥羽上皇が流罪になった際、
全然関与してないのに、ドMなのか、「ボクも行く!」と言い、
自ら望んで土佐へ配流になったという、すこぶる変わった人です。
私は、こういうところにそういう人名がチラチラ出てくるところが、
古くからある和菓子の伝承を楽しむ醍醐味だと思っています。

それからもう一品、『乃し梅』も外せません。
完熟した梅をすり潰して寒天に練りこみ、それを薄くのして乾燥した、
山形県村山市あたりに伝わるお菓子です。
まぁ、要するに「のした梅」と言うことで『乃し梅』というわけです。
そもそも、梅という果実は、酸味と甘みのバランスが難しく、
お菓子の素材としては扱いやすいものではないと思うのですが、
このように寒天状にしたことで、直接的な刺激を抑えることができ、
酸っぱさの中にもほんのりした甘さを感じることができ、
さっぱりとした風味に仕上げられています。
藩医だった小林玄瑞が長崎で遊学中、
中国人から梅を原料とした秘薬の製法を伝授されたのが始まりだそうで、
スタートが“秘薬”だったってところが、またおかしさを感じます。
まぁ、『田むらの梅』とか『梅不し』のような“餅系”に比べると、
ヘルシーと言うか、ローカロリーなところも評価ポイントのひとつかもしれません。

梅スイーツ サムネイル、拡大可。
 上段左「田むらの梅」http://kerokko.jp/user/php/review.php?sid=58
 上段中「水戸の梅」http://www.okashi-net.com/meika/kk/mitonoume.html
 上段右「越路の旅まくら」http://www.fukutaya.jp/index.html
 下段左「梅不し」http://ameblo.jp/2011-life/entry-12227889498.html
 下段右「乃し梅」http://www.s-pal.jp/yamagata/floormap/%E4%B9%83%E3%81%97%E6%A2%85%E6%9C%AC%E8%88%97%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%B1%8B/ 


いかがでしたでしょうか。

風物詩というのはだいたいそういうものなのかもしれませんが、
春といえば桜、桜の和菓子といえば桜餅なんて、
ステレオタイプすぎて面白みに欠ける感じがしませんか。

たまには、春といえば梅、梅の和菓子といえば……って、
梅についても考えてみてあげてほしいものです。

[SE;KICHI]

言葉は人を傷つけるためのものではないです。

自分の発言がきついと認識しています。

職人の中で育てられ、きっつ~い言葉と行動で育って来ました。
小さなころからそうだった訳じゃなく、
仕事をする中で一番長く過ごした時間がそういった環境でした。
当然の如く、できないと怒られ、できて当然と言った世界です。
できなきゃ明日から仕事が無いので当然って言えば当然ですが。

最初の数年はそれこそ陰で必死に追いつこうと努力しました。
できないことよりもできることが増え、できることに喜びを感じました。

そんな中で育てられれば、当然そういったようにしか育てられないのもまた事実。
それしか知らないのだから。
叱る、褒めるでしか人は育たないと思っていました。

最近になって、それらはあまり重要じゃないんだな~。と感じます。
落ち込んでいる時に叱っても逆効果。
落ち込んでいる時に褒めるのもね・・・なんか違う。

一緒に落ち込むのも違うし、励ます。が正解かな。なんて。
テストの結果が思っていたより悪くて落ち込んでいる息子を見て、そんな風に思います。
(塾での目標としていた点数に届いていたらしく、塾の先生からジュース買ってもらった。と言ってその部分は喜んでおりました。)
当人の受け取り方なんだな。と思います。
本人が努力し、自分の中で持っていた目標に届かなかった。
これが悔しかったらしいです。
ちょっぴり息子の成長を嬉しく感じたりします。

別件ですが、人の感情とは良くも悪くも激しく変動します。
叱っちゃいけないと思いつつ、ヒートアップしてしまったりして。
後で盛大に自己嫌悪に陥るのが分かってながらです。

そんなヒートアップしている最中、下の子だけが私に食って掛かります。
その下の子見て余計に自己嫌悪。
あげく後から妻に「あんたは鬼か!」とまで・・・・

言葉は人傷つける為のものではないと思っていても、
なにか、どこかで選択肢を間違えているのだな。と思います。
それは言葉だけでなく、自分の捉え方、感情の変化等々それはもう色々。
しかし言葉にそれほどこだわりがないので、発せる言葉が少ないのでしょうね。
つい否定的にとられる発言をしてしまったり、嫌味と捉えられる発言になってしまったり。

言葉の言い回しか~。
極力やわらか~く言うと絶対にやらないのが息子。
叱ると効果覿面だけど、息子との溝は広がるばかり。

なんかこう上手く伝えられるといいですよね。

言葉で柔らかく、行動で厳しく。
これ言うと罰を与えるみたいだな。

やっぱり寄り添う気持ち。が大事なんですかね~。
言葉でも行動でも柔らかく、かつ相手が真剣に捉えてくれるもんね。これ。

息子には効くんだけどね~。

嫌味な言葉や否定的な言葉って相手も嫌な気持ちにさせるけど、
言ってるほうも気分は良くはないもんね。

あぁ・・・・それ分かっていながら、出来ない俺ってなんかもう・・・・サイアク~。

[y2k2]

こりゃ、たまらんです。~魅惑の・・・(番外編)

このところ、聖徳太子について、実在したのかしなかったのか、
ちょっと、本人にとっては切ない議論があったりしますが、
仏教の観点からいえば、もともと外国の宗教であった仏教の、
日本への布教を強力に推し進めたという点で、聖徳太子は重要な人物です。

たとえば、推古31年(623年)造立の法隆寺金堂釈迦三尊像は、
聖徳太子の病気平癒を祈念し、渡来人・鞍作止利によって作られたもので、
この仏像は、止利様式と呼ばれ、大胆と簡潔かつ、規則正しさが特徴です。
飛鳥時代(530年頃~645年頃)の仏像って、実は、私はあまり好きではないのですが、
この仏像に関していえば、好きとか嫌いとかいうことを超越した、
仏像を好む者にとっては“必修科目”みたいな仏像です。

法隆寺金堂というのは、法隆寺の中心と言ってよいお堂ですが、
釈迦三尊像はその中央に安置されています。
この像の特徴は、上下の瞼を対称にした「杏仁形」と呼ばれる目と、
「仰月形」と呼ばれる口角の上がった三日月形の唇、
それから、全体が遠目に二等辺三角形のように見える規則正しい裳懸座でしょう。

しかし、いまから思い起こしてみるに、金堂内は薄暗いのです。
釈迦三尊像は金銅仏なので、制作当初は全体が鍍金され、
まばゆいばかりの黄金の光で堂内を満たしていたはずですが、
なにしろ1400年も経っている仏像ですから、
長い歳月の間に、鍍金が剥がれて銅青が顔を出し、
全体がもわっと深緑色を帯びています。
また、仏像の手前に竹でバリケードが築かれているため、
釈迦三尊は少し遠目に眺めることしかできません。
したがって、遠目からでも分かる裳懸座は別にしても、
暗い堂内では、その場で表情まで読み取ることは難しいものです。

本来の堂内の様子 こういう感じですね。
http://www.shikoku-np.co.jp/national/culture_entertainment/photo.aspx?id=20080212000235&no=1

まぁ、要するに、国宝ともなれば、近くでは見られないということです。

さて、ところがですね、政府の地方創生事業の支援を受けて産官学が連携し、
最新技術によって、門外不出の法隆寺金堂釈迦三尊像を再現したといいます。
まず、東京藝術大学が法隆寺や文化庁の許可を取って実物を計測し、
その解析データを基に3Dプリンタで原型を作って、
それを使い、富山の伝統工芸である高岡銅器や井波彫刻の職人が、
鋳物や彫刻の技術で国宝を再現したという、えらく挑戦的な取り組みです。
興奮しますよね。

その完成品が、富山県高岡市に展示されるというので、行ってきました。(なんと、無料です。)

いや、こりゃ、たまらんです。

再現釈迦三尊 近くまで行けちゃう

こんな近くまで行けちゃいます。
ちなみに、この写っている人々は、内陣に入って直下まで近づいている人。
私は外陣からそれを写真に撮っています。
つまり、私のいる外陣でもこんなに近くまで寄ることができます。

私も靴を脱いで、内陣に入ってみます。(なんと、無料です。)
私が行ったのは休日で、わりと人出は多かったのですが、
数人ずつ内陣に入れるよう誘導されていて、混乱はありません。

再現釈迦三尊 触れちゃう

ちょっと見てください! 触れます!
いやいや、こりゃ、本当にたまらんです。
もちろん法隆寺で仏像を触ったら、すぐに警備員が飛んできて、
良くて摘まみ出されるか、悪くしたら逮捕されますが、ここでは触れます。

まぁ、レプリカといえばそれはそうなのですが、
そもそも、レプリカにしても何にしても、
仏像というものは離れた場所から見上げるように拝む対象であり、
仏像の至近距離まで近づけるばかりか、
触って質感を知ることができるなんて、
そうそうできる経験ではありません。

また、本物の釈迦三尊像は、
光背という、いわゆる後光の裏面に文字が書いてあって、
その内容から、製作年とか、あぁ病気平癒のためなのねとか、
いろいろなことが分かるのですが、
前述のとおり、正面の離れたところからしか拝観できないので、
光背などというものは一般の拝観者が観ることのできるものではありません。
しかし、この再現像では、後ろに回り込めるばかりか、
書かれている文章までも再現されていて、
再現の細かさに感嘆してしまいます。
これも、マジでたまらんです。

再現釈迦三尊背面

そして、今回の展示のなかで、とりわけの白眉は、
ちょっと邪道かもしれませんが、3Dの鋳造原型です。
たとえば、奈良の大仏とか、大きな仏像を作るときなど、
通常は、先に、少し小さなモデルを作ってみるもので、
今回も、そのような位置付けで、
3Dプリンタで出力した樹脂製の鋳造原型展示されており、
これが内面からライトアップされていていました。
飛鳥時代にライトアップなどないので、
このような演出は現代の技術ならではのことでしょう。
私は、このようなものを観たのは初めてでしたが、
その一点においてだけでも、現代の人間で得したなぁと思いました。
それはそれは美しく、幻想的に輝いていました。
しつこいようですが、たまらんです。

釈迦三尊像 3D原型

また、もうひとつの注目は、飛鳥時代のそれでは絶対にありえないけど、
今回のバージョンでは鋳型が展示されている点です。
古式の鋳型は砂で、脆いうえに別に使い道はないので、
そのようなものが遺されていることは稀ですが、
今回の場合はそこの技術を誇っているため、ゴム製の鋳型が展示されています。
これも、普段、なかなか見ることのできないもので、
ちょっと見惚れます。

中尊石膏型 ゴム型
(実際にはメイン本尊の手前に鋳型の展示があるので、これから観る本尊への期待を煽られます。)

どうでしょうか。
もはや、私が興奮していることしか伝わらないかもしれませんが、
それも本望です。
20日まで展示されているらしいので、
遠からん方はぜひ拝観されることを、強くお勧めいたします。

詳しくはこちら ⇒ http://www.info-toyama.com/db_img/cl_img/80394/document.pdf

[SE;KICHI]

意外と知らなかったこと

最近のことです。
「痛っ!」と足を踏み込んだ瞬間、激痛が走ったんです。
足の指が痛くて歩きたくありません。
前から似たようなことが何度かあったので、
いつもの痛みだなとは分かったのですが、なんとなく気になったので見てみることに。

ひょうそう http://www.maguchann.com/650.html

親指の内側の爪と皮膚のくぼみがパンパンに腫れています。
少し血色も悪く青ざめていました、触ると痛い。
間違いなくこいつが原因だと確信、ただこれは何なのか?
周囲に聞いても分からなかったので、ネットで調べてみると・・・

これは「ひょうそう」というものらしい!※爪囲炎症とも。

あんまりなじみがなかったものの、
割と悩まされていたので調べてみると、
爪の間に雑菌などが入り、1.5倍ほどに腫れあがって激痛を伴うと。
指をしゃぶる赤ちゃんや水回りの仕事が多い主婦の方々がなりやすいのだとか。。。
まさにこれやないか!!

ただ、なぜ自分は足にできたのか?
考えてみることに。

自分は足が蒸れやすいので清潔にしているつもりでした。
家に帰ったらまず風呂場で足を洗いに行ってるので、自信はありました。
ん~と考えているうちにひらめきました。
私はよく足を清潔に保つためよく爪切りをするのですが、
毎度深爪にするくらい切っている、それで少し血が出たりしていた。
そこから雑菌が入ったのか!?
原因が分かりました、納得です。

よく爪のすき間まで爪切りで切っているので、若干巻き爪になりつつあり、
それが伸びてくると皮膚に爪が当たり血が出て、
そこから雑菌が入ってくるんだと分かりました。

深爪はダメだな、
これは自分の爪切りの方法を改めなければならんと反省しました。
清潔にしたつもりがかえって身体を痛めつけてると思うと、
本末転倒な気がしますね。

念のため治療はどうするのかとみてみると、
爪と皮膚を動かすと膿が出てくると書いてありましたので、
実践してみると出てきません。

ならばと、針の先に消毒液を塗り、恐る恐る患部に刺すと・・・

痛い!あとぐちょ~とした黄色い膿が大量に出てきた!

汚っ!

すぐにふいて消毒をし、絆創膏で傷口を塞ぎました。
ただ、膿を出した後はさっきまでの痛みが嘘のように無くなり、
自然と治癒していきました。

要は膿さえ出してしまえば良かったわけです。
意外と知らないことだけど、
知っておけば解決できることはあるんだな
とつくづく思い、
得をした気分になりました。

とにかく今は痛みがなくなって良好です。
爪切りに関しては清潔にしすぎもかえってよくないことが分かりました。
皆さんもほどほどにお気をつけて~
自分も今回のことを後々に活かしていきたいものですね。

[K.K]

続・被災地より

3月といえば、確定申告ですよね。
締め切りまであと5日あまり、みなさん、大丈夫でしょうか。

さて、もう4年半ほど前になりますか。
被災地より』という記事を書きまして、
その時点で震災発生から1年半が経過していた被災地の様子について、
「自分たちが住んでいた場所が破壊されて更地になった後、
気を取り直して再び住めるようにする人々の営み、
私は、それを本当に美しいと思いました。」と書きました。

昨年末、私は再び被災地を訪問しました。
大船渡駅前は、こんな感じでした。
もう6年もたった駅前なのに、まだ、工事中でした。

大船渡駅前

そして、目を左の海側に向けると、防潮堤建設中で、高い壁が作られつつありました。

防潮堤

なんか、城塞都市・メキルドみたいで、悲しいですね。
あれが完成すると、海を眺めることはできなくなるので、
その建設の有無に賛否があることは理解できます。
しかし、津波も怖いし、葛藤のあるところでしょう。

ところで、前述の駅前の工事ですが、何を作っているのかというと、
何かを作っているのではなく、単なる盛り土だそうです。
立ち寄ったスナックの渡辺真知子似のママは、「この店もそろそろ閉店」と言います。
聞けば、被災後、営業を再開するために、
水浸しになった店を何百万もかけて修理したというのに、
今になって、盛り土のために店を立ち退くよう言われているのだとか。
私は、さきほどの防潮堤で街を護るのかと思っていましたが、
防潮堤の内側は、さらに盛り土するのだそうです。
まぁ、津波への備えは盤石になるのかもしれませんが、
せっかく意欲的に立ち上がっている人をどけてまで、
何をしているのでしょうか。


大船渡とか気仙沼とか、街中をつぶさに見れば、
こういう建物は、まだ残っています。

被災建築物①被災建築物②

右の写真の中学校はもう廃墟ですが、
左の写真の民家は、表に回ればバイク屋として営業しています。
修理するにも転居するにもお金が必要で、営業しないと食べられぬということでしょう。
まぁ、あまり文句を言うのも“アレ”かもしれませんが、
駅前を盛大に掘り起こしている場合ではないと思うのですが。

さて、その、掘り起こしている大船渡駅ですが、電車は来ません。

大船渡駅

これはバス停ではなく、JR大船渡駅です。
もはや鉄道としての復興は不可能だと判断され、
流された線路の跡地にバス専用道が整備されました。
在りし日には60分くらいだった気仙沼までの所要時間が、現在は90分弱。
本数も大幅に削減され、見かけは復興していますが、衰退でしょう、これは。

車窓から見えるのは、こういう風景です。

工事中

被災地は、確かに復興しつつあるのだと思います。
工事に携わっている人や、商売を頑張って再開している人もたくさんいました。
しかし、どのレベルの話かは分かりませんが、
施策が、住民の人々が望んでいる方向ではない部分もあるように思えます。

生き死にのドラマとか、「あの時の赤ん坊がもう年長さん」みたいな、
感情に訴えやすい部分ばかりが報道されたりしますが、
実際の被災地はそんなものではないようです。
実際は、復興しつつある人々の生活と、裏腹な政策との間で翻弄されているようです。
そういうことは、知っておいてよいと思います。

[SE;KICHI]

長い友達

少し前になりますが、息子から、
お父さんハゲてきたんじゃない?やめてよね、俺もハゲる」
とちょっとショックな言い方。
その日はヘルメットを被り仕事をしていたので、
髪型が乱れていたのもあるのですが、
それでもそんな冷たく言わなくても(涙)

息子には、君もハゲたくないなら今からケアした方がいいよと。
ドラッグストアで育毛剤を買い、
少しくだらない話をできたのは良かったんですがね(笑)

生え際が上がってきているのは10年前くらいから気付いてはいたのですが、
結婚しているし子どももいるし、
年相応に上がってくるのは仕方ないよねってくらいで、
そんなに深刻にも考えていなかったです。
もしハゲたら坊主頭にするわって感じで思っていました。

ところが頭頂部が薄くなってきているのでは?と思った時から、
気になって仕方ありません。
長髪の髪型は面倒で好きではなく、
短めで髪の毛がたつので抑えるようにしているのですが、
濡れたりヘルメットを被ったりすると、
頭頂部に穴が開いたようになっているような気がして、
チョー気になります。

頭皮に良くないのはわかっていますが隠そうとする気持ちから、
20数年ぶりにパーマをかけたりして、ちょっと自分に驚いています。
ちょっと恥ずかしいが正しいかな(笑)

隠そうとする髪型や被り物など昔は否定的でしたが、
こうなると気持ちがわかりますね。

薄くなって困るのは視力と髪の毛ですね。
怪我とか病気とかは別ですが、
見えて当たり前、あって当たり前と思っていましたから寂しいですね。
視力も子どもの頃は当たり前に2.0とかでしたから、
あんなに大きいCマーク分からないなんてって思っていましたが、
今では目を細めないと見えません。
困ったものです。

うちの息子も携帯いじってばかりなので、
私の後を追って視力が低下しないか心配です。
部屋を明るくしたり注意助言したりはしているのですが、
本人の意識はまだ低いようです。
後で困るのは自分なのに。
あと自分で気付いていない低下や老化はなんだろう?
健康に過ごしたい。
ケアや注意して過ごしたいものです。

[WAKA]

老後の心配と飛躍

齢を重ねることは自然の摂理なので、老いは必ずやってきます。

WAKAさんのように、どんどん髪が抜けるとか、下半身が致命的に衰えたとか、
その程度のことであれば別に他人に迷惑をかけるわけではないので、
ひとりで悩んでいればいいと思うのですが、怖いのは認知症ですね。

私は、幸いまだ認知症にはなっていない(と思う)のですが、
昨今の、認知症の高齢者が自動車を暴走させる事故を見ると、
齢を重ねて肉体的に衰えることは、つくづく恐ろしいことだなぁと思います。

つい数週間前の話、
センターラインのある2車線の道路をクルマで走行中、
右手の農道から一時停止を無視した軽トラが飛び出し、
私のクルマの右側面スライドドアに衝突。
軽トラは減速していなかったので、こちらは自走不能なほど大破しました。
脇道から一時停止無視で出てきた相手に脇腹をえぐられるなんて、
こんなのは、はっきり言って予測不能ですが、
このような事故でも、過失割合が 10:0 ということはありえないので、
理不尽だなぁとは思いつつ、こちらも過失をとられました。
なんだか、自宅にピンポイントで隕石が落ちたような不条理さですが、
クルマは廃車になったものの、家族にケガもなかったので、まずは一安心。
一方、飛び出してきた軽トラのドライバーは高齢の女性で意識が朦朧としており、
特に外傷はなかったものの、動転して自分の名前すら言えなかったため、
救急車で搬送されていきました。
回復してから聞いたところによると、
ぶつかる500m手前ぐらいからの記憶がないそうです。
ニュースでよく見る高齢者暴走事故に自分も巻き込まれるとは、
なかなかミーハーな私です。

さて、心身が衰えることは恐ろしいことだなぁと思っている私は、
イレギュラーも含めて、自分の人生がこの後どう展開していくのか、
そして、最終的にどのように終焉を迎えるのか、
私はそのようなことに大変強い関心を持っています。
それは、実は、すでに自分用の墓を栃木の高原に用意しているほどで、
私は、自分が思うように、自分の人生を閉じていきたいと念じています。

その一環ではあるのですが、私は老人ホームにも入居してみたいタイプなので、
最近、その手の施設への視察の仕事が続いたこともありますが、
墓以前の問題として、「自分が入るならば」という観点で、
老人ホームを物色し始めている状態です。

老人ホームに入りたいと口走ると、下の世話をされたいのかと邪推されますが、
そういう寝たきりで、他人に依存する自分をイメージしているわけではなくて、
私がイメージする老人ホームというのは、
入居者同士が相互に関わっていく、シェアハウスのイメージです。
もちろん、ある程度は“かくしゃく”としていることを条件としていますが、
自宅に一人で住むより、そういうコミュニティのある場が好みだという話です。

そして何より、そういうところに入居するとどんなメリットがあるかというと、
私にとっては運転をしなくて済むことが大きいですね。
施設に入居すると、自分でクルマを駆って出掛ける必要はなくなるでしょう。
私は、自動車の運転が大嫌いなので、このメリットはプライスレスです。
そして、私は、その日が来るのを密かに楽しみにしており、
その日には万歳三唱でもしてやろうかと今からワクワクしているのです。

繰り返しますが、私は、幸いまだ認知症にはなっていない(と思う)のですが、
昨今の、認知症の高齢者が自動車を暴走させる事故を見ると、
肉体的に衰えながらも運転を続けることは、つくづく罪深いことだなと思います。
暴走する自動車が集団登校の列に突っ込むという事故の感じは、
不謹慎ながら、こう頻発すると、何かの意図をもった自爆テロのようにも思えます。
こうした様相を見ての、私自身の素直な感覚としては、
自動車の運転にも年齢制限をもうけたらいいと思えます。

もちろん、反論は多いことでしょう。
確かに、運転免許証を持っていないと不都合なこともあります。
田舎でも都会でも、足腰の弱ってきた人ほど、
自動車で移動するほうが効率的でしょう。
高齢者が、運転免許証の返納に抵抗するのは、
どうやって暮らせというのかという、不便さへの抵抗です。

その気持ちは、分かります。
しかし、現実に高齢者の事故は多発しているじゃないですか。
折衷案として、高齢者は更新の際に適性検査を受け、
能力的に危ないと判断されれば免許証を交付しないとか、
年齢で一律に切るのではなく、能力によって判定するという案もあります。
まぁ、それでもいいなと思ったりもするのですが、
そんな検査を、更新に来た全高齢者に課していたら、
おそらく運営にかかる費用が膨張して手数料が高くなるか、
そうでなければ、またじゃんじゃん税金が投入されることでしょうから、
私は、やっぱり、「お酒とタバコは二十歳から」みたいなもんで、
何歳にするかは別にしても、
一定年齢での自動車運転を禁止するのが合理的だと思うのですが。

いや、そういう制度的な話はどうでもいいのです。
私は、そうすればいいと思っている、というくらいの話です。
しかし、このような話のときに、
「運転免許の剥奪は、高齢者の生きる意欲を奪ってしまう」という意見が出ますが、
しょうもない意見だなぁと思います。
高齢者の生きる意欲を守るためであれば、
善良な若者が轢かれるのは致し方なしということでしょうか。

考えてみてください。
どこかの施設に入居するなり、単純に運転免許証を返納するなりして、
なにしろ、自動車の運転から卒業するということは、
少なくとも自動車で他人を殺傷しなくて済むということなわけで、
喜んでいいことです。
それは、移動の際の便利さを失うとか、生きる意欲がどうしたとか、
いくつかのデメリットと比較しても、
それでも補って余りある、充分なメリットだろうと、私には思えます。
あながち、万歳三唱も大袈裟ではないでしょう。

私なんて、これまでの人生、ロクでもないことばかりしてきましたし、
心無い言葉で他人を傷つけたり、誰かに迷惑をかけたりしてきました。
そして、それは今後も続くんだと思うのですが、
それでも、運転免許証を返納した瞬間に、
少なくとも自分が、クルマを凶器にした人殺しだけはしなくて済むわけで、
その心理的解放感は相当なものでしょう。
あんまり語られませんが、そういうアプローチはダメでしょうか。

まぁ、実際は、
そう決めたら現実は後からついてくるはずです。
たとえば、一定年齢以上での自動車運転禁止という世の中にすると決めてしまえば、
移動の際の便利さの低下を補う商売を考える人が必ず出てきますし、
高齢者の足になるようなボランティアみたいなことをする人も現れるでしょう。
本人の生きる意欲がどうのこうの言いますが、
歩くようになって関心領域が広がったり、地下鉄の乗り換えにやたら詳しくなったり、
ほかに生き甲斐が出てくるものです。
私が老人ホームに入居する日は、私が気力を失った日では決してないのです。

その気になったら社会は変えられるのです。
要は、現状の延長で考えるから、失われる部分ばかりに目が行くわけで、
なくなるのであれば、なくなるものとして、
そのうえで、どう豊かになっていこうかしらという創造力の問題ですよね。

ま、それより早く自動運転技術とか、運転技術が危うい人ではエンジンがかからない技術とか、
そういう技術の開発を加速してもらうのが早道なんでしょうけど。


さよならVoxy

[SE;KICHI]

言うだけタダ?

時折耳にするこの言葉。
違和感のあるこの言葉。
私だけ?
そんなことはないと思います。

言うだけタダ?
タダほど怖い物はないでしょう?
ならば、言うだけタダってどれほど怖い言葉なの?

環境にも依ると思いますが、
言うだけタダ。先に言ったもの勝ち。
こんな空気のはびこった環境を知っています。
全体的に停滞感と言うか、無責任な発言が繰り返され、
最終的に言ったほうではなく、立場の弱い者が全責任を負う世界。
ありゃ?無茶苦茶?

そんな空気がはびこっている場所に長くいると感覚がマヒするのでしょうね。
そんな環境を知っているからこその大切さが身に染みる、
「わかりました。」の返事。

息子の話ばかりで恐縮ですが、
「わかった」の返事はしますが、できていないことが多い。
靴下の話然りです。

極論かも知れませんが、
わからなければ「わからない」、疑問があるのなら「なぜ?」、
よしやろう!で「わかりました」じゃないのかな?
「こうやってね。」「わかりました」でやらないのは、イコールではないですよね?

「やってみましたが出来ませんでした」ならまだ話は分かるし、
対策のしようもあるというもの。
まったくやらず。は対策云々の前の話。

「カラ返事も大概にしないといずれ人から信用されなくなるよ?」は毎度の話。
本人にも少しは自覚があるようで、色々と考えてはみるものの、
まったくやらないでは少しお粗末すぎる。

結果、靴下の話に行きつくのかな。

「わかりました」の返事はタダではないです。

人には発した言葉に責任が伴う。と息子には何度も説いています。

簡単に人を傷つけてしまう言葉を発する私が言えた義理ではないのですが、
せめて息子には発した言葉に責任を持って欲しい。
そう願わずにはいられないのです。

出来る。出来ない。は別として、
出来ないのであれば、どうして?なぜ?から始まり、
一人でなく家族で考える事により、
幾つかの解決策が見いだせると思っています。

その場から逃れたい為だけの「わかった」は、なし。
逃れるための「わかった」は所詮その場限り。
疑問があるのならなぜ?から始めてもいいのだよ。
発した言葉に対して受け止めている。と言う証でもあるのだから。
こうして欲しい。と言うからには、そこには理由があるのだから。

簡単に聞き流して「わかった」の返事だけで済ますのは、理由如何に関わらず、
俺はやらない。と言っているのと同じだから。
やらない理由を話す前に、やって欲しい理由を聞いて欲しい。

そこにはきっと自分勝手な理由ではなく、
家族全員、そして貴方を思うための理由があると思います。

息子よ!
最近ちょっと反抗期で俺と遊んでくれないし、
勉強に部活に忙しく家に居ないことのほうが多いけど、
家族は全員貴方を常に気にかけて考えています。

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