それは、そういうもんでしょうよ。
むかし、ある小さな国にゴータマという王子様がおりました。
ゴータマは、生後すぐに母・マーヤーを亡くし、
叔母のプラジャパティーに育てられたせいか、
少年の頃から多感なタイプだったようで、
常に人間の苦しみについて悩んでいたようです。
父のシュッドーダナ王は、いずれ自分の後を継ぐ息子の、
その思い悩んでいる様子に不安を感じ、
心を満たすために欲しいものは何でも与え、周りに女性をはべらせるなど、
王族であればこその贅沢三昧を与えます。
しかし、ゴータマは酒池肉林を与えられながらも浮かぬ顔だったため、
ついに、業を煮やした父王は、ゴータマが16歳になった時、
半ば強引に、ヤショーダラーという娘と結婚させます。
その結果、ラーフラという息子が誕生するのですが、
そのような妻子の存在すら彼を満たすものではなく、
ゴータマは29歳のとき、夜中に王宮を抜け出し、
念願だった出家を果たしてしまいます。
このゴータマが、修行して悟りを開くわけです。
朝になって出家を知った父のシュッドーダナ王や妻ヤショーダラーは落胆しますが、
出家されてしまったものはどうすることもできません。
しかし、何年か後、修行を重ねて悟りを開いたゴータマに対し、
父シュッドーダナ王も妻ヤショーダラーも弟子入りし、
息子のラーフラに至っては父の教団に出家しています。
これが仏教の始まりで、つまりゴータマはのちのお釈迦さま、
彼がそのまま王様に収まっていたら、仏教はなかったかもしれません。
何の話か、お分かりになりますか。
少し前、某女優さんが突如として出家したというニュースが流れました。
突然のことでセンセーショナルに見えたためか、
契約の途中で無責任だろうとか、公開を控えた映画があるのにどうするんだとか、
本人に対して、わりと批判的な論調が展開されました。
確かに、普通の仕事の感覚で考えれば、
急に仕事を放り出して去るなんて、非常識に見えるとは思います。
そっちをフォーカスすると、そこの部分の社会的な奇異さが際立つでしょう。
しかし、私には特定の宗教法人の世間的な信用度は分かりませんが、
冒頭で紹介したゴータマの出家から考えれば、
出家ってそんなものだと思うのです。
ゴータマは、夜中に王宮を抜け出して出家しました。
一部の者は薄々気づいていただろうとは思いますが、
朝になって、
シュッドーダナは後継者が出奔したことを、
ヤショーダラーは夫が逃亡したことを、
ラーフラは自分が父に置き去られたことを知り、
呆然としたはずです。
出家とは、やむにやまれず、突如としてするものです。
私たちは、そういう衝動に駆られた経験がないから分からないだけで、
人類救済への使命感が湧き起こって止められなければ、
王座が約束されていても、妻子との円満な家庭があったとしても、
それらを捨てて出奔することはあり得るでしょう。
だとすれば、契約とか映画の公開予定とかを
顧みずに出家した彼女の行為も、
平仄は合っていますよね。
ちょっと世界は違いますが、たとえば私たちの仕事も、
「ここまで終わったら出家しよう」とか思ったとしても、
いつも、なにか進行中の案件があるもので、
途中終了を許されるタイミングなど、なかなかないものです。
そうなってくると、崇高な使命に目覚めてしまったとき、
社会通念としてはダメかもしれないけど、
いまやっていることは放棄するしかないけれど、
大義の前には仕方ないよねという、善悪の相克はありえると思うのです。
他人の心中は、常識などで測れるものではありません。
だから私は、他人を殺傷したとか、そういうことでないならば、
他人には他人の、深い心境の変化と、強い意志があったのだろうから、
他人のことをとやかく言わなくて良い
のではないかと思うのです。
もちろん、金銭的に損害を被った方はいるのでしょうが、
所詮は金銭の話に過ぎないし、
人類救済を決意した者にとっては瑣末な話でしょう。
本人は崇高な使命に目覚めたわけだし、
それを理解できない者から批判されても、たぶん、もう聞こえないでしょう。
そもそも、
何があったのかなんて本人にしか分からないことなのに、
何故、関係のない者がコメントするのかという、
やや辟易とする感じは、最近、いつものことです。
[SE;KICHI]
ゴータマは、生後すぐに母・マーヤーを亡くし、
叔母のプラジャパティーに育てられたせいか、
少年の頃から多感なタイプだったようで、
常に人間の苦しみについて悩んでいたようです。
父のシュッドーダナ王は、いずれ自分の後を継ぐ息子の、
その思い悩んでいる様子に不安を感じ、
心を満たすために欲しいものは何でも与え、周りに女性をはべらせるなど、
王族であればこその贅沢三昧を与えます。
しかし、ゴータマは酒池肉林を与えられながらも浮かぬ顔だったため、
ついに、業を煮やした父王は、ゴータマが16歳になった時、
半ば強引に、ヤショーダラーという娘と結婚させます。
その結果、ラーフラという息子が誕生するのですが、
そのような妻子の存在すら彼を満たすものではなく、
ゴータマは29歳のとき、夜中に王宮を抜け出し、
念願だった出家を果たしてしまいます。
このゴータマが、修行して悟りを開くわけです。
朝になって出家を知った父のシュッドーダナ王や妻ヤショーダラーは落胆しますが、
出家されてしまったものはどうすることもできません。
しかし、何年か後、修行を重ねて悟りを開いたゴータマに対し、
父シュッドーダナ王も妻ヤショーダラーも弟子入りし、
息子のラーフラに至っては父の教団に出家しています。
これが仏教の始まりで、つまりゴータマはのちのお釈迦さま、
彼がそのまま王様に収まっていたら、仏教はなかったかもしれません。
何の話か、お分かりになりますか。
少し前、某女優さんが突如として出家したというニュースが流れました。
突然のことでセンセーショナルに見えたためか、
契約の途中で無責任だろうとか、公開を控えた映画があるのにどうするんだとか、
本人に対して、わりと批判的な論調が展開されました。
確かに、普通の仕事の感覚で考えれば、
急に仕事を放り出して去るなんて、非常識に見えるとは思います。
そっちをフォーカスすると、そこの部分の社会的な奇異さが際立つでしょう。
しかし、私には特定の宗教法人の世間的な信用度は分かりませんが、
冒頭で紹介したゴータマの出家から考えれば、
出家ってそんなものだと思うのです。
ゴータマは、夜中に王宮を抜け出して出家しました。
一部の者は薄々気づいていただろうとは思いますが、
朝になって、
シュッドーダナは後継者が出奔したことを、
ヤショーダラーは夫が逃亡したことを、
ラーフラは自分が父に置き去られたことを知り、
呆然としたはずです。
出家とは、やむにやまれず、突如としてするものです。
私たちは、そういう衝動に駆られた経験がないから分からないだけで、
人類救済への使命感が湧き起こって止められなければ、
王座が約束されていても、妻子との円満な家庭があったとしても、
それらを捨てて出奔することはあり得るでしょう。
だとすれば、契約とか映画の公開予定とかを
顧みずに出家した彼女の行為も、
平仄は合っていますよね。
ちょっと世界は違いますが、たとえば私たちの仕事も、
「ここまで終わったら出家しよう」とか思ったとしても、
いつも、なにか進行中の案件があるもので、
途中終了を許されるタイミングなど、なかなかないものです。
そうなってくると、崇高な使命に目覚めてしまったとき、
社会通念としてはダメかもしれないけど、
いまやっていることは放棄するしかないけれど、
大義の前には仕方ないよねという、善悪の相克はありえると思うのです。
他人の心中は、常識などで測れるものではありません。
だから私は、他人を殺傷したとか、そういうことでないならば、
他人には他人の、深い心境の変化と、強い意志があったのだろうから、
他人のことをとやかく言わなくて良い
のではないかと思うのです。
もちろん、金銭的に損害を被った方はいるのでしょうが、
所詮は金銭の話に過ぎないし、
人類救済を決意した者にとっては瑣末な話でしょう。
本人は崇高な使命に目覚めたわけだし、
それを理解できない者から批判されても、たぶん、もう聞こえないでしょう。
そもそも、
何があったのかなんて本人にしか分からないことなのに、
何故、関係のない者がコメントするのかという、
やや辟易とする感じは、最近、いつものことです。
[SE;KICHI]
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