司馬懿と家康の羼提波羅蜜
司馬懿仲達というと、宿敵の諸葛亮孔明と、
五丈原で長期にわたって対峙した持久戦の印象が強いので、
どうしても、持久戦を好む「静の人」というイメージがありますよね。
本当は機動力が高く、電撃戦が得意だった気配もあるのですが、
戦場で敵からどんなに挑発されても守りを固め、自分からは攻撃をしかけないという、
良く言えば慎重で思慮深い人物といったイメージを持たれがちです。
実際、自分を取り立ててくれた曹操にすら警戒されるほどの人物だったようです。
司馬懿は曹操以降、曹操・曹丕・曹叡・曹芳ら、
何代もの魏帝から重用されていましたが、
曹芳の代になって、後輩の曹爽によって実権を奪われてしまいます。
そのときはおとなしく我慢していた司馬懿ですが、
そのうち、曹爽の専横を見逃せなくなったのか、
最終的にクーデターを起こし、曹爽らを誅殺してしまいます。(正始の変)
このクーデターはなかなか老獪で、それもひとつの能力だと思っていますが、
司馬懿が曹爽一派から国の実権を簒奪することによって、
結果的に、司馬一族が魏王朝の乗っ取りに成功しているわけですから、
特に道半ばで病没した諸葛亮びいきの人からは、司馬懿は嫌われています。
もう一人取り上げたいのは徳川家康。
“泣かぬなら泣くまで待とうホトトギス”ということで、
こちらも「静の人」というか、慎重居士のようなイメージがあります。
実際、今川の人質として耐え、織田への潔白を証明するために妻子を殺し、
天下を目前にしながら豊臣に先を越され、耐えて耐えての人生です。
今年の大河ドラマに登場している家康は、些事に翻弄されてばかりで、
本多正信らに頼りっぱなしのへなちょこに描かれています。
まぁ、実際の史実もそれに近かったのだろうとは思いますが、
仮にほとんどが本多正信らによる献策によるものであったとしても、
やはり最終的に天下を手中に収めたのですから、
いくらかの老獪さはあったとしても、忍耐強い男だったと思われます。
さきほど司馬懿を例に挙げ、晩年のクーデターに触れましたが、
家康が天下を手中に収めた関ヶ原の戦いも、
見方によっては豊臣系から実権を簒奪するクーデターだし、
歴史ファンのなかには家康が嫌いという人はそこそこ多いようです。
さて、ところで、羼提波羅蜜という言葉をご存じでしょうか。
以前、『正語』という記事でちょっとだけ八正道について触れましたが、
八正道が個人的な、思想的な修行の部分に着眼点を置いているのに対し、
実践のほうを重視している六波羅蜜という、
6つの、いわゆる“実践の指針”のようなものもあって、
その3つ目が羼提波羅蜜です。
聞きなれない単語ですが、羼提というのは忍辱のことで、
要するに耐えよということです。
耐えるというと、痛いのに我慢するとか、苦しいのに歯を食いしばるというような、
ちょっと精神論っぽいことを連想しがちですが、
ここでいう“耐える”というのは、
時間を耐えるとか、投げ出すのを耐えるとか、そういう意味合いです。
すぐに諦めず、機が熟すのをじっと耐え、機会をうかがうということで、
羼提波羅蜜は忍耐というよりは、雌伏に近いイメージです。
私は、この羼提波羅蜜を思うとき、
司馬懿仲達と徳川家康の雌伏を思い起こします。
現代でも、常にイライラしている人がいますが、それは漏電です。
機が熟すのをじっと耐え、陰日向なく努力を続けながら、
真摯に時期が来るのをじっと待つことができれば、
誰かがその努力・精進を見てくれていて、助けてくれる人物も現れると思うのです。
しかし、機が熟すのを待てず、努力を続けることができない人は、
自暴自棄になったり、大声でわめいたり、周囲に当たり散らしたりしがちです。
そうなると、自分を評価してくれる人物も現れなくなってしまい、
結局のところ、ジャンプアップできなくなってしまうわけで、
それは漏電です。
心を調えること、心を調和させることがどれほど大事か
という教えです。
現代社会には、怒り、恨み、妬み、嫉みなど、
他人を害する思いや言葉があふれています。
そういう悪しき思いを抑え、心を調和させること。
耐え忍びとは非常に大事なことではないかと思うのです。
[SE;KICHI]
五丈原で長期にわたって対峙した持久戦の印象が強いので、
どうしても、持久戦を好む「静の人」というイメージがありますよね。
本当は機動力が高く、電撃戦が得意だった気配もあるのですが、
戦場で敵からどんなに挑発されても守りを固め、自分からは攻撃をしかけないという、
良く言えば慎重で思慮深い人物といったイメージを持たれがちです。
実際、自分を取り立ててくれた曹操にすら警戒されるほどの人物だったようです。
司馬懿は曹操以降、曹操・曹丕・曹叡・曹芳ら、
何代もの魏帝から重用されていましたが、
曹芳の代になって、後輩の曹爽によって実権を奪われてしまいます。
そのときはおとなしく我慢していた司馬懿ですが、
そのうち、曹爽の専横を見逃せなくなったのか、
最終的にクーデターを起こし、曹爽らを誅殺してしまいます。(正始の変)
このクーデターはなかなか老獪で、それもひとつの能力だと思っていますが、
司馬懿が曹爽一派から国の実権を簒奪することによって、
結果的に、司馬一族が魏王朝の乗っ取りに成功しているわけですから、
特に道半ばで病没した諸葛亮びいきの人からは、司馬懿は嫌われています。
もう一人取り上げたいのは徳川家康。
“泣かぬなら泣くまで待とうホトトギス”ということで、
こちらも「静の人」というか、慎重居士のようなイメージがあります。
実際、今川の人質として耐え、織田への潔白を証明するために妻子を殺し、
天下を目前にしながら豊臣に先を越され、耐えて耐えての人生です。
今年の大河ドラマに登場している家康は、些事に翻弄されてばかりで、
本多正信らに頼りっぱなしのへなちょこに描かれています。
まぁ、実際の史実もそれに近かったのだろうとは思いますが、
仮にほとんどが本多正信らによる献策によるものであったとしても、
やはり最終的に天下を手中に収めたのですから、
いくらかの老獪さはあったとしても、忍耐強い男だったと思われます。
さきほど司馬懿を例に挙げ、晩年のクーデターに触れましたが、
家康が天下を手中に収めた関ヶ原の戦いも、
見方によっては豊臣系から実権を簒奪するクーデターだし、
歴史ファンのなかには家康が嫌いという人はそこそこ多いようです。
さて、ところで、羼提波羅蜜という言葉をご存じでしょうか。
以前、『正語』という記事でちょっとだけ八正道について触れましたが、
八正道が個人的な、思想的な修行の部分に着眼点を置いているのに対し、
実践のほうを重視している六波羅蜜という、
6つの、いわゆる“実践の指針”のようなものもあって、
その3つ目が羼提波羅蜜です。
聞きなれない単語ですが、羼提というのは忍辱のことで、
要するに耐えよということです。
耐えるというと、痛いのに我慢するとか、苦しいのに歯を食いしばるというような、
ちょっと精神論っぽいことを連想しがちですが、
ここでいう“耐える”というのは、
時間を耐えるとか、投げ出すのを耐えるとか、そういう意味合いです。
すぐに諦めず、機が熟すのをじっと耐え、機会をうかがうということで、
羼提波羅蜜は忍耐というよりは、雌伏に近いイメージです。
私は、この羼提波羅蜜を思うとき、
司馬懿仲達と徳川家康の雌伏を思い起こします。
現代でも、常にイライラしている人がいますが、それは漏電です。
機が熟すのをじっと耐え、陰日向なく努力を続けながら、
真摯に時期が来るのをじっと待つことができれば、
誰かがその努力・精進を見てくれていて、助けてくれる人物も現れると思うのです。
しかし、機が熟すのを待てず、努力を続けることができない人は、
自暴自棄になったり、大声でわめいたり、周囲に当たり散らしたりしがちです。
そうなると、自分を評価してくれる人物も現れなくなってしまい、
結局のところ、ジャンプアップできなくなってしまうわけで、
それは漏電です。
心を調えること、心を調和させることがどれほど大事か
という教えです。
現代社会には、怒り、恨み、妬み、嫉みなど、
他人を害する思いや言葉があふれています。
そういう悪しき思いを抑え、心を調和させること。
耐え忍びとは非常に大事なことではないかと思うのです。
[SE;KICHI]
スポンサーサイト