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夏が近づいております。

もう雪は降らないだろう。
そんな事を何度か思ったころ。
やはり降ります。
人の心を読んだかの如く降ります。
今年に至っては3月の後半に5センチ近く積もりました。
我が家は少し上がった場所にあるので、5センチ近く。
会社へつく頃には全く無くなりますが。
もうスタッドレスタイヤからノーマルへ。
と思いつつ、油断の出来ない昨今。

徐々に気温も上がり、春から初夏へ向かいますが、地域の行事にも季節を感じます。
昨日から地元の春祭り。
これから夏へ向かい地域行事が盛んになって行くと共に・・・・
親御さんの仕事が増えて行きます。

本日も神輿の練り歩きに我が家の坊ちゃま参加。
もうそろそろ親が居なくても大丈夫なので友達と飛んでいきました。
先ほど家の前を神輿が通過して行きましたが、
我が子見当たらず。

別の町内の神輿に参加している模様。。。。
知り合いのお父さんへ聞きました。
友達の方へ参加したのかと思われます。
まぁ、ね。。。
楽しければそれで。

夏場は行事が少なくなるのですが、これから夏に向けて。
夏から秋に向けて。
地元行事の目白押し。
町内の運動会にBBQ、祭りにあれこれ。

今年は役員じゃないから・・・・
そんな言い訳はできません。
できる時にできる人がやらないと楽しめませんし、
何より本当にできない時に頼めません。

そんなこんなで今年も一年楽しませてもらいましょうか。

[y2k2]
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藤原義孝も喜んでますね、きっと。

朝の連続テレビ小説って、昔はどの家庭でも見ていたものですが、
2000年頃からは視聴率が20%を切り、年々低迷の一途だったそうです。
ところが、2012年の『梅ちゃん先生』か2013年の『あまちゃん』あたりから、
再び注目を浴び始め、ここ数年はかなり話題を集めているようです。
ひとつ前の、広岡浅子さんをモデルにした『あさが来た』では、
主演の波瑠さんのチャーミングさやディーン・フジオカさんの爽やかさ、
主人公の口癖の「びっくりぽん」と「なんでどす?」が話題になりましたが、
現在放映中の『とと姉ちゃん』も面白いと評判ですね。

まぁ、そんなことはどうだっていいのですが、
私が趣き深く感じているのは百人一首です。

『とと姉ちゃん』の主人公の小橋常子と、その母君子は、
名前が百人一首から採られているという設定になっています。
たとえば“常子”という名前は、
「世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟の 綱手かなしも」という、
鎌倉右大臣(源実朝)の歌から採っていると、そういうようなことです。

一方、その母君子の名前なのですが、ドラマの前半、
「君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ」という、
光孝天皇の歌から採っているのだと述べられていました。

実は、私は少し不思議な気がしたのです。
“常子”の、鎌倉右大臣の歌は、
「世の中は常に変わらずにあってほしいなあ」みたいな意味であり、
まぁ、子供のネーミングとしては、
それなりに願いが込められたチョイスのような気もするのですが、
“君子”の、光孝天皇の歌は、
「あなたのことを思いながら、こうして若菜を摘んでいるのです」という、
なんともしょうもない一首であり、
わざわざ子供の名前に使うようなものかねぇと。
変な設定だなぁと思っていたものです。

ところが、ドラマ中盤で、事実の誤認が突如明かされるのです。
君子の名前は、光孝天皇のしょうもない歌ではなく、
「君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな」という、
もう一首の“君がため”の歌によって命名されたものであると。
意味も、「あなたのためなら、捨てても惜しくはないと思っていた命だけど、
あなたと会えた今となっては、長く生きていたいと思うようになりました。」という、
基本的には恋愛がテーマだけれど、親子関係にも通用しそうな歌です。
実際、ドラマでは、
母体が病弱で、無事に生まれさえしてくれれば自分は死んでも構わぬと思っていたが、
いざ生まれてみたら可愛らしく、成長を見ずに死ぬわけにいかないと、
生きることへの執着が出てきたということで、
出産時の、この歌めいた心境が命名の由来であったと語られます。

んふふふ。そうだろう、そうだろう。
わが意を得たりというところ。

ところで、この百人一首にあやかって名づけをするというのは、
どんなものでしょうか。
私は、このドラマを見て、それもなかなか素敵だなと思いはじめています。
そもそも百人一首というのは、歌人の思いを載せた和歌を収載したものですから、
子供に対する思いを表現するツールとしては好適な気もします。
昔の宝塚女優は百人一首ゆかりの名前をつけたものだと聞いていますし、
読めない名前が増えた昨今、逆に悪くないと思います。

百人一首と言えば、一年以上前、『ちはやふる』という記事で、
アニメの『ちはやふる』を紹介したことがありますが、
その後、実写映画化され、『ちはやふる』は大人気になったようです。
私は、映画は見ないのですが、この映画の登場人物は、
フィクションとはいえ、百人一首から命名されているそうです。

広瀬すずさん演じる主人公“綾瀬千早”が、
「ちはやふる 神代も聞かず 竜田川 からくれないに 水くくるとは」
から命名されているのは一目瞭然ですが、
真剣佑さんの演じる“綿谷新”も、
参議篁の「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ あまの釣り舟」、
松岡茉優さん演じるライバル“若宮詩暢”も、
平兼盛の「忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで 」など、
他にも、もう大変なので割愛しますが、
潘めぐみさん演じる“花野菫”も小野小町の歌から、
上白石萌音演じる“大江奏”も小式部内侍の歌から、
もう、登場人物のネーミングのほとんどが百人一首由来なのです。
いやん、なんか素敵♡
それにしても平兼盛の「忍ぶれど~」って、色っぽい歌ですよね。中学生みたいで可愛いですよね。うふふ。 

何が素敵って、百人一首がこんなに脚光を浴びたこと、ありましたかね。
2016年、いったいどうしたというのでしょうか。
私は、競技かるたはしませんが、百人一首を愛する者として、嬉しいです。
そして、タイトルにも据えましたが藤原義孝です。
この人は、冒頭のとと姉ちゃんのくだりで紹介した、
「君がため 惜しからざりし 命さへ…」の歌の詠み人です。
確かこの人は夭折していたはずなので、当時から影は薄かったはず。
この800年ほどの間、彼がこんなに脚光を浴びたこと、ありましたかね。

私は本当に嬉しいです。
百人一首を楽しまない人が増えつつある現代、
ドラマなどの設定に使われ、そうなることで再び注目を浴び、
夭折した歌人にもかつてない注目が集まり、本当に喜ばしいことです。

[SE;KICHI]

複雑な思い

私が現在住んでいる地区は、毎年春祭りに獅子舞があります。

主人も長男も長女もその獅子舞に携わっていて、
そのころになると家でDVDを見ながら練習をしているため、
春になると毎日、我が家から笛と太鼓の御囃子が聞こえてきます。

主人は獅子を回す人、長男は獅子の前で踊る「獅子討ち」、
長女は笛を吹いているのですが、
男2人は一度ハマるとどっぷりと浸かってしまうタイプ。
汗だくになりながら、長男お手製の段ボールの獅子頭(これがまた結構出来が良い)と、
おもちゃの剣を手に踊る踊る・・・。
あまりにも真剣に楽しそうにやっているため、長女も私も何故か一緒に練習し、
6~7種類ほどある一通りの踊りは踊れるようになりました。


そんな環境の中で育った現在5歳の次男は当然のごとく(?)、
2歳くらいから獅子討ちや獅子を回すまねごとをするようになりました。
最初のうちは「真似してる、かわいい♪」レベルだったのが、
今となっては感心させられるくらいの、それはそれは軽やかなステップを踏みます。

ここまで聞くと、「ほのぼのとした良いお話」だと思いますが、
懸命に練習をしている次男を見ている私は、
実は切ない気持ちを抱えているのです。

こちらの獅子は割と古くからある獅子で、
「獅子討ち」は誰でも出来るというわけではなく、
ある一定の条件があり、それを満たした子しかできません。
どんなにやりたいと思っていても、
人数も決まっているし、できない場合があります。

その条件の中に、同時期の獅子討ちは一家族から一人だけ、というものがあります。
獅子討ちは、やり始めてから(たいていは小1~)中1までやり続けなければならず、
長男は現在小5で残り2年はやります。
次男は現在年長で、来年小学生になりますが、
長男がいるため、たとえどんなにやりたくても出来ないのです。
(逆に言えば、長男が中2、次男が小3の年になら出来る可能性があるということです。)

本人がやりたいと言っているものを、
(しかもこんなにノリノリでやっているものを)
伝統の決まり事でできないというのは本当に切ないものです。

ところがです。
その切なさの端っこの方で実は安堵感も身を潜めています。

実は、獅子討ちをやっている家庭はその年、必ず獅子の休憩場所となります。
その休憩も軽いものから割としっかりとした休憩があり、
我が家は毎年がっつりの休憩場所となっています。

もともと実家の方でも獅子舞があったので、
獅子が休憩にくるときの振る舞いはなんとなく知っていました。
獅子方にはもちろんですが見に来てくれたギャラリーの方にも、
オードブルやらうどんやらフルーツやらを振る舞います。
こんな感じに・・・ということは想像できていましたが、
嫁いできたこの地は規模が違いました。
多い時で100人ほどの料理を数種類準備します。
そんな量なので、準備の手が足りず、
親戚やら近所の方に手伝いに来ていただいての大騒動です。

今となっては段々と手を加えない方向にシフトしてきていますが、
それでも買い出しなど前もっての準備が必要です。
その上に、最初の時は全ての物を手作りしていたので、
手伝いに来てもらってもぎりぎりまで準備がかかっていました。

そしてここが大事なポイント。
・・・すべて自腹なんですよ。
かなりの負担です。

ええ、かなりの負担なんです。
もちろん我が家だけではありませんが、毎年のこの時期が苦痛で苦痛で・・・。

大きな声では言えませんが、正直、大変です。
毎年、残りあと何年・・・とカウントダウンしています。
ですから、次男がどんなにやりたかろうと、
出来ないというちゃんとした理由があってよかったと、
ちょっと思ってしまってる自分がいます。

つい先日も次男は言ってました。
「俺、小学校に入ったら獅子討ちやるもんね」と。

できないのよ、次男君。
そのことを伝えると「なんで?」と聞かれました。
そうだよね。
大好きなお兄ちゃんがやっているんだもの、自分もやるって思って当然だよね。

こんなにも練習して、上手になって、やらせてあげたいのは本心。
でも出来ないのも本当だし、出来なくて安堵しているのも本心。

時々考えます。
万が一、次男が小3になるときにやって欲しいと申し出があったら・・・、
やりたいと本人が言ったら・・・、やっぱり私、やらせるよね、と。

その時はもう、腹をくくるしかないですね。

[Okei]

比べてみれば……縣廳

もう何新聞だったか忘れてしまいましたし、
どういう話だったか、詳しい内容も忘れてしまいましたが、
“県庁巡り”を推奨する記事を読んだことがありました。

“県庁巡り”というは、読んで字の如く、県庁を巡ることです。

もともと前職の関係で富山県庁には頻繁に出入りしていたのですが、
考えてみたら、普通の人は県庁に行く機会はあまりないかも。
ましてや、他県の県庁に行く機会なんて、ほぼ皆無ですよね。

それでも私自身、
県庁にそれほどの興味があったわけではなかったのですが、
先日、仕事で初めて石川県庁に行く用事があり、
行ったことのあった富山県庁との違いに驚いたので、
あぁ、そういえばそういう記事があったなぁと、
いっちょやってみるかと、“県庁巡り”に目覚めたわけです。

それでは、北陸三県の県庁比べ、やってみましょう。

県庁外観

左端は石川県庁舎。
緑地に囲まれた地上19階・地下2階の立派なもので、
平成14年竣工ということなので、まだまだ新しい庁舎です。
一方、中央はわれらが富山県庁です。
戦時中は焼夷弾の直撃を受けながら焼け残ったという、
昭和10年竣工の、豪壮で風格のある近代建築です。
竣工80周年を迎えた昨年、国の登録有形文化財に登録されました。
右端の福井県庁は、1981年竣工なので今年で35歳、
地上11階・地下3階建てで、THE行政ビルって感じですね。
ここは、堀に囲まれた福井城址に建っていて、実に行きにくいです。

では、偉そうに正面から入ってみます。

県庁エントランス

左端の石川県庁舎は、外からだと単なる四角い建物に見えましたが、
中は、エントランスホールを挟んだツインタワーの構造になっていて、
2階のホワイエみたいな空間からエントランスを俯瞰することができました。
新しいだけに内部は開放的に作られていると言えましょう。
中央の富山県庁舎、外観では立派な車寄せがついていますが、
案の定、内部に吹き抜けなどはなく、中に入るといきなり階段です。
左右に視線を振ると、大理石の廊下に木製の扉、
大正か昭和を舞台にした映画のロケ地のようですね。
そして、右端の福井県庁舎。
趣旨の分からないオープンスペースに意味の分からない彫刻が据えられ、
またしても THE行政ビルって感じですね。

さて、せっかく来たので食堂に行ってみましょう。

県庁レストラン

左端の石川県庁のレストランは、学食などと同じような、カフェテリア方式で、
たくさんの中から、好きなおかず、小鉢を選ぶシステムです。
私は、日替わりの麺類に小鉢を2品ほどつけてみましたが、
しめて500円ちょっとと、コスパはかなりいいですね。
ところで、精算なのですが、食後、食堂の出口に番人がいて、
平らげたお皿を見せて、そこで払う方式。
これってかなり独特じゃないでしょうかね。
この方式だと、申し訳なくて残せません。
中央の富山県庁のレストランは、
庁舎が古くて空間も狭いためか、カフェテリア方式ではありません。
食堂の入り口に食券を売っている自販機があるので、
食堂に入る前にこれを買います。
食券はプラスチック製のプレートになっていて、
これをカウンターの規定のマス目に順番に置いて、待つのです。
メニューは日替わり定食と、麺類が10種類くらい。
まぁ、そんなもんだとは思うのですが、
先に石川県庁のレストランに行っていたので、
ちょっと貧弱に感じてしまいました。
右端の福井県庁のレストランは、やっぱり THE行政。
しかし、システムは富山県庁と同じようなものですが、
コンセプトがはっきりとしていて、食材から箸に至るまで地産地消。
越前そばからソースカツ丼、若狭牛ステーキ丼まで、
ちっともオシャレな雰囲気ではないけれど、コスパは北陸随一かも。

と、意外と個性がある県庁舎と役所のレストラン。
みなさんにも興味を持ってもらえたら嬉しいのですが。

ところで、タイトルには「縣廳」と、昔の表記を使ってみました。
これは、この記事を書くにあたって神奈川県庁を思い出したからです。
馬車道から大桟橋の方向にぶらぶら歩いていると、
重厚な神奈川県庁の門柱が目に入ってきます。
おそらく昭和3年の創建当時より『神奈川縣廳』と彫られていて、
私は前を通るたびに気になっていました。

神奈川県廳 http://blogs.yahoo.co.jp/kake0613/35379755.html

調べてみたら“キングの塔”と呼ばれる有名な建物だそうじゃないですか。
火がついた以上、近々、その内部も見学せねばなりませんね。

[SE;KICHI]

なんか好きです。

地元の後輩から富山市八尾地区の豆腐の話を聞きました。

その彼は土建屋さんで、仕事が空いた日の朝に醤油を持ってお店に行き、
店の前で食べると言うのです。
話を聞いた時はお酒を飲んでいたので、話は正確ではないのですが、
温かい豆腐を店の前で食べるというのは、
なんとも美味しそうに感じました。

でも朝イチに会社とは逆方向の山間にある店には行き難いですし、
会社でも知っていますか?と聞く程度に話していました。

そんな時に近所の訃報があり、葬儀のためにお休みの届けを出したところ、
豆腐食べに行けるんじゃない?とのアドバイスが。
亡くなった知人はまだ若く仲も良かったので、葬儀お手伝いがあったのですが、
朝一なら大丈夫かと思い食べることに。
(田舎なので近所や関係者が受付を手伝ったりしています。都市部では無いのかもしれませんが)

お店は生活用品やお菓子なんかも置いてある商店で、ちょっと意外だったのですが、
店内の陳列棚に木綿豆腐、絹ごし豆腐がパックに入り並んでいます。
確か温かい豆腐ではなかったかな?
勝手な思い込みで冷奴の温かい版と思っていました。

でもそうですよね。
正確な製法はわかりませんが、
豆腐って冷たい水の中にあるイメージがあります。
じゃあどうすればいいの?

陳列されてない油揚げを食べよう。
お願いするとお店の方が奥の方に行かれ、
しばらくすると袋に入れた揚げを持ってこられた。
温かい。これのことだったんだ。

醤油とお箸は持っていったのですが、お皿があればよかった。
2個ずつビニール袋にいれてあるのを強引に1個を他に移して、
袋の中に醤油を垂らして食べることに。

外は香ばしく中はトロトロでプリンのようです。
農道に車を止めて袋に顔を突っ込んで食べているのは異様だったと思いますが、
大きめな1個をむさぼる様に食べました。
柔らかいのと袋で食べにくいのとで大変でしたが、
これはかなり美味い。

もとは、ご飯を食べるのに濃い味付けが好きだった私は、
素麺や豆腐といったものを好まず、
真夏のお昼に素麺と冷奴だけを出されるとスルーして外食をするようなやつでした。
今はちゃんと食べますし、むしろ好きな方ですけどね。
これが年齢とともに変わる好みの変化なのでしょうか(笑)

厚揚げもそうですが、わざわざ食べに行くようなことをしなかった、
私の行動の変化も含め何か好きになりました。
また興味があるものが出れば行ってみたいですね。

[WAKA]

コミュニケーション能力と洞察力

職務上、各社の採用担当者の方々とお会いして、
“どういう人材を採用したいか”などというテーマで懇談する機会があります。
すると、『コミュニケーション能力の高い人が欲しい』という意見が出ます。
私は、「ふ~ん、そういうもんかねぇ」と思います。

また、職務上、新卒予定の学生さんとお会いして、
“自分の課題はなんだと思うか”などというテーマで懇談する機会もあります。
すると、『コミュニケーション能力を高めることが課題です』という意見が出ます。
私は、「ふ~ん、そういうもんかねぇ」と思います。

採用する側もされる側も、口をそろえて言うのですが、
しかし、なんでしょうか、コミュニケーション能力って。
話すのが苦手とか、他人との会話が続かない人のことを、
最近では『コミュ障(コミュニケーション障害)』と呼んだりするらしいので、
主に会話することがコミュニケーションということになるのでしょうか。
もしそういうことであれば、私は思います。
コミュニケーション能力なんて、本当に必要?って。

古来、日本人は、コミュニケーションなんて必要としていませんでした。
その証拠に、この外来語に代わる日本語の単語は、ありません。
では、日本社会にコミュニケーションという単語が輸入されるまで、
コミュニケーション的なものがなかったかと言えば、そんなはずはないでしょう。
ただ、日本人は、会話という方法以外に意思疎通の手段を持っていたのです。
それは、“阿吽の呼吸”というやつ。
つまり、古来、島国で文化的に閉塞していた日本では、
わざわざ言葉にしなくても、相互理解ができたということです。

“阿吽の呼吸”などと言うと難しいことのように思いますが、
具体的には思いやりの心のことです。
筋の通った確固とした信念を持ちつつも、
相手の潜在的なニーズを含め、自分に何が求めているのかを察し、
各人が少しずつ、自分ができる範囲での貢献をしていく。
日本とは、そういう思いやりを尊重する社会だったと思うのです。

『逝きし世の面影』という本をご存知でしょうか。
明治の初めごろに日本を訪れた欧米人たちの手紙や論文などを渉猟し、
当時の欧米人から見た日本の姿をまとめた本ですが、
それを読むと、日本というのは個人主義の国ではなかったのだな、
互いの思いやりを大事にした成熟した社会だったのだなと、
改めて、気づかされます。

たとえば子育てにしても、昔は地域全体で子供を育てていましたよね。
自分の両親だけでなく、
いつも着流しで仁丹臭い爺さんとか、いつも忌々しそうにしている婆さんとか、
軽口ばかりで鬱陶しいオッチャンとか、夕方におやつをくれるオバチャンとか、
そういう地域オールスターズで子供を育てていました。
悪いことをすれば遠慮なくゲンコツを食らったし、
良いことをすれば他意なく褒められたものです。
個々の家庭の教育方針なんて関係ありませんでした。
それぞれの大人の信念に基づいて、怒られたり褒められたりしていました。

それって、方針が定まっていないと言えば、その通りなのですが、
実際には、周囲の大人が根底に信念を持っており、
「地域の子供たちを、立派な大人にしてやろう」というコンセンサスがありました。
かつての子供たちは地域社会で揉まれ、社会における自分というものを学び、
その空気のなかで、周囲と意思疎通する術を学んでいたわけで、
子供にとって、こんな幸せな環境はなかっただろうと思います。

現在はどうでしょうか。
個人主義が進んで、地域全体で子供を育てるという雰囲気は失われました。
わざわざ言わないと分からない世の中に成り下がったということです。

言葉によるコミュニケーションが必要だなんて、ここ最近の価値観です。
日本人には、本当は、言葉によるコミュニケーションなどなくても、
以心伝心的な能力が備わっているのだと私は思っています。
それは、要は、思いやりに基づいた洞察力だと思いますが、
企業が学生にコミュニケーション能力を求めたり、
学生がその指摘を刷り込まれ、呼応するように自ら言及することは、
そもそもの思いやりや洞察力を放棄し、言葉に頼ろうとしている、
退化の結果だと思うのです。

みなさん、コミュニケーション能力や協調性が高い人が優秀だなんて、
そんなのウソだから無視したほうがいいですよ。
本当に優秀なのは、
洞察力が高く、周囲のために自分の能力を発揮できる人だし、
協調性などと言って周囲に妥協することなく、
周囲のために信念を持って行動できる人が優秀なのです。
コミュニケーション能力なんて、必須ではないのです。

[SE;KICHI]

最近の身近な危険

ネットやSNSで有名人に対してのバッシングが、
当たり前のように横行しているように感じられます。
大概は本人も思いがけないことで、批判にさらされているように見えます。
中には軽率な発言もありますが、
こんなことがバッシングの対象にされるのかといったことが、
最近は非常に多く感じられます。

本来は当人の問題であることでも、
何の関係もない他人がなぜそこまで誹謗中傷に走るのかが理解できません。

数年前にテレビドラマで、土下座を強要するシ-ンが話題となり、
その後一般人にも広がり、
客が気に入らない店員に対してや、
親が子供の教諭に土下座を強要するといったことが起きましたが、
そのときと同じような空気を感じます。

ただし、土下座を強要するときは、
お互いに姿をさらしている一般人同士ですが、
ネットではバッシングされる有名人に対して、
する側の正体がわかりませんので、より嫌なものを感じます。
いい加減なところで、
“まぁこのへんにしといてやるか”といった穏便さもなく、
大変しつこい陰湿さがあります。
全体からすれば少数なのだと思いますが、
そこに振り回されているように見えます。

バッシングだけにとどまらず、
女性アイドルに対しての刺傷事件も起きました。
このことから、有名人がネットで自らのさまざまな情報を発信して、
そのことで支持者を広く得ようとするのであれば、
バッシングだけではなく、身の回りの警護など、
相当の覚悟と注意を払わなければいけないことがうかがえます。

が、今や一般人も気を使わなくてはなりません。
無防備に私生活をさらけ出すことで、
習慣や位置情報がつかまれてしまいますので、
悪意をもった人間には、格好の餌食になります。

ネットのブログやSNSを見ていると、
情報を発信する側は、警戒心が薄く、
私的なことをさらけだしすぎている気がします。
それを好意的に見てくれる人ばかりではなく、
悪意がある人も混ざっている可能性を考慮しなければ危険です。

気軽に情報発信できる便利な道具でありますが、
一方では危害を加える、
もしくは加えられる武器にもなる道具でもあります。

私もSNSで自分の顔や身分を一部さらけだしておりますが、
発信する際には、自覚と節度をもって行いたいと思います。

[KAZSOU]

テーマパーク

当社の WAKA さんは、今年、やけに茨城県に出張したがります。
茨城に何があるのか、はたまた、誰かがシナを作って待っているのか、
なにしろ、WAKA さんは、毎月のように茨城県にイソイソと出かけます。

さて、そんな他人のことはどうでもいいのですが、
私も、前職で特許に関する仕事していた時期があり、
知的財産を集積している国の機関が茨城県つくば市にあった関係で、
そこによく通ったものです。
当時はつくばエクスプレスなどまだなかったうえ、
つくば市は学園都市で宿泊施設も充実していなかったので、
シナを作った誰かとナントカというようなことはなく、
東京からバスで毎日つくばに出勤するという、
なかなか面白みに欠ける日々を送っておりました。

仕事は、自社開発案件が他者の権利を侵害しないかを調べるため、
図書館のような場所で特許公報を縦覧するというもので、
毎日、一日中、目から血が出るかと思うほど、細かい字を読む仕事でした。

まぁ、その話もどうでもいいのですが、
とにかく、そういう細かい仕事をしていると、たまに発狂しそうになるものです。
時折、ストレスが溜まって「んがぁ」などと奇声を上げたかと思えば、
何もかもイヤになって、突如として半日ぐらい仕事をボイコットしたものです。
そういう時、私が遊びに行く場所がありました。
それは、ガマランド
筑波山といえばガマの油売りということで、
読んで字のごとく、ガマを題材としたテーマパークです。

テーマパークとは言いましたが、
結局のところ、場末のレストランと土産物売り場のことであり、
山頂へ向かすロープウェー乗り場の近くに鎮座ましましています。
遠目にも廃墟感が漂っており、立ち寄る人は少なめなのですが、
その雑駁とした感じから、B級スポット好きには人気の物件です。

ガマランド全景
http://portal.nifty.com/kiji/111114150613_1.htm

ね? なんか雑でしょう。
こういう施設には手書きの看板がよく似合いますね。
それと、かれこれ3年ほど前に、
シュールな場所』という記事でハニベ岩窟院を紹介しましたが、
そこと一緒で、こういう施設は、何でも鳥居を立てて祀ろうとします。
何なのでしょうか、この中央のガマ明神さまの歌舞伎のような口元は。
鳥居に「家内安全」と書かれていますが、ご利益はあるのでしょうか。

写真では2階の柵に「モノレール乗り場」と書かれていますが、
行ってみてもモノレールなんてありません。
それどころか、子供用の遊具はありません。
いや、あるにはあるのですが、壊れていて乗れません。
壊れているのにそのまま放置され、ガラクタ展示のようになっています。
それから、ジャンボ滑り台とのいうのもありますが、
滑る面がコンクリート製なので全く滑らず、
こんなのを滑って帰ったら、きっとお母さんに怒られます。
あとは、青いペンキで筋が描かれ、「神秘・ガマの滝」とか。
とにかく、なぜこのようなものを設置しているのか、不思議な空間です。

ガマランド
サムネイルです。クリックで拡大します。
http://4travel.jp/travelogue/11074963 / http://kankousan.com/photo/ibaraki/tsukubasan/13 / http://mummymummy.blog.fc2.com/blog-entry-89.html

そして、ここのメインアトラクションはガマ洞窟です。
実は私、洞窟系アトラクションに目がないタイプでして、
遊具がしょうもなかっただけに、この洞窟に期待をしておった次第。
そもそも、ここはガマランドであり、洞窟もガマを名乗っている以上、
ガマガエルに関係のあるアトラクションなのだろうなと思ったのですが、
全然ガマと関係のない、単なるお化け屋敷的な洞窟でした。

しかも、そのつくりが、手作り感が満載。
古くて気味の悪い人形が壁に釘で打ち付けてあるとかね。
さらには色を塗った木の枝を転がしてヘビだ~とか。
恐怖というか、悪趣味の館です。

ガマ洞窟
サムネイルです。クリックで拡大します。
http://mummymummy.blog.fc2.com/blog-entry-89.html / http://rocketnews24.com/2014/08/06/469960/ / http://minkara.carview.co.jp/en/userid/188330/car/80710/1570912/photo.aspx

まぁ、場所によっては足下がまったく見えないくらい暗いのに、
突然に段差があったり、ブーブークッションが置かれていたりするので、
そういう意味での恐怖は確かに感じますが。
しかし、基本的には特にトラップなども仕込まれておらず、
順路のところどころに気味の悪いものが立っているという、
なんでこれを作ったか、人間の業が怖いという洞窟です。

このガマ洞窟、入場料は500円です。
高っと一瞬は思いましたし、
券を売ってくれる、おばさんですら、「500円もするのよ、ごめんなさいね」と、
申しわけなさそうに声をかけてくれたのですが、
前述のハニベ岩窟院では1000円も払いましたので、そう高くもないでしょう。

さあさあ、みなさん、どうでしょうか、行きたくなりませんでしたか。
ちなみに私は3回行きました。
まぁ、仕事で行き詰まっていただけの話ですけどね。
なんというか、見るべきものは特にないのだけれど、
あまりに退廃的な空間であり、
自分が目を赤くしながら特許公報を読み続けることが、
なんだかちっぽけに思えてくる、そんな感じでした。

ただ、出た後に微妙な空気になってしまいますので、
シナを作った誰かと行くようなところではないような気もします。
そのあとのしっぽりした成り行きは期待できませんので、あしからず。

[SE;KICHI]

その後の経過報告 ~家族が増えました♡ ④

無事手術も成功し、我が家へ戻って来た娘たち。
 前回までのあらすじ ⇒ 『年齢詐称疑惑。。。。

お疲れ様でした。
しばらくはエリザベスカラー装着の日が続きます。

エリザベスカラーってアレね。
首の回りに巻き、頭の方へ円錐状に広がるヤツ。
傷口舐めて開いてしまわないための装具。

似合いすぎる。

三毛猫のほうは舐めてお腹の毛が抜けてしまう、
所謂舐め壊し状態だったため、以前より時々は着けておりました。
2人とも装着し、めちゃめちゃ大人しい。
それが手術による影響なのか、カラーによる影響なのかは不明です。
カラー外した時に以前と変わらないようであれば、カラーの影響ってところでしょうか。
実際、1~2週間でカラー外れたのですが、
大人しいままなので手術による影響だった、という事で。

マーキングやら夜鳴きやらで少々苦労しましたが、
ものすごく飼いやすい子たちへと変身。

下の子が上の子の所へ近づくとかなりの確率で「激おこ」だったのですが、
どうなったか。と言うと・・・・
長時間一緒にいると「おこ」ぐらいで済みます。
少しの時間であれば、共に行動しています。
成猫になってからの同居なので少々は縄張りがあるのでしょうね。
こちらも少しづつ慣らす方向で。

まぁ、気になると言えば・・・・
お互いにお尻のにおい(猫の習性のようです)嗅ごうと、
互いのお尻追いかけまわすのが気になるかな・・・・
女の子同士やろ。。。。

上の子の膀胱炎もしっかりと完治し、
病巣摘出した事により食欲も回復し、一安心です。

下の子は・・・・食欲は以前から旺盛でしたが、
さらに食欲が増したのか、
台所からちょいちょい失敬するように。。。。
オイオイ 野良猫の本領発揮か!
それどころか、自分のご飯は残しておいて、
上の子のご飯にまで手を出す始末。
病院で買ってくる年齢別の食事だから高いのよ(涙)
躾として人間の食事には手を出さない、
もちろん上の子の食事にも手を出さない、を学ばせねばなりません。
難しいですね。

犬について詳しくは知らないのですが、イメージとして
犬は人の言葉を単語で理解しているイメージがあります。
お手、おかわり、ふせ等々。
猫は人の話している言葉を理解しているようです。
よく話しかけているのですが、
「今日はどこで寝るの?いつもの部屋?お兄ちゃんたちの部屋?押入れ?ケージ?」
と聞くと自分の寝たい場所へ歩いて向かいます。

上の子が一時夜鳴きしていた時は、眠れないので
「にゃおんダメだよ。」
と言っておいたらその日の夜から
「うーっ、うーっ」と唸りながら練り歩くようになりました。
唸り声が大きいので結局眠れないのですが。
いまだに時折夜中に唸ってます。

下の子も言葉は理解しているようですが、やんちゃ盛り。
まるでいう事を聞きません。
こちらが怒ってるときはいうことを聞くので、理解はしていると思います。

上の子は理解しすぎてて少し怖いくらいです。
どちらの子も甘えん坊で気紛れで少々いたずら好きで、
かわいい我が家の娘たちです。

[y2k2]

魅惑の・・・(6)

私は、この『魅惑の・・・』シリーズの記事を、
年に1回くらいと決めているのですが、
少し前、習っているヨガの途中でハッと感じるところがありまして、
先日『魅惑の・・・(5)』で薬師如来について書いたばかりだというのに、
また書いてしまいました。
鬱陶しかったらごめんなさいね。

蔵王権現というのをご存知でしょうか。

現在では天台宗あたりに包含されている感じもしますが、
もともと日本独自に発展した修験道の本尊で、
つまり、インドや中国と関係のない日本独自の仏です。
現在の仏教の、如来・菩薩・明王・天というヒエラルキーに属さないので、
仏像としては王道とは言えないのですが、
なんというか、明王系のちょっとカッコいい容貌で、
マニアにはわりと人気の仏像です。

蔵王権現 http://f.hatena.ne.jp/banriman/20080413224212

なかなか躍動感のある像ですよね。
右足を高く上げ、手刀のような指先。蔵王権現特有のモノです。
私がヨガの途中でハッと感じたのも、理由はここにあります。

いや、立っとれんだろう、コレ。

やってみたら分かるのですが、
これだけ傾いていると、この態勢で静止するのは困難です。
たとえば、ヨガで言えば、
ブルックシャアーサナ(立ち木のポーズ)は、
実際は大したポーズではないのですが、バランスが難しいですよね。
かなりヨガに慣れていてもグラグラ揺れるものです。
この蔵王権現のポーズでグラつかずに静止するには、
相当の筋力が必要なのではないでしょうか。
特に左の臀部から太腿にかけて。
しかも右手を挙げているので、ポーズの難易度がさらに上がっています。

私の予想では、全国の仏像マニアは、
一度は蔵王権現ごっこで、
ポーズを真似てみたことがあるのではないでしょうか。

さて、オススメをご紹介しておきます。

金峯山寺(奈良)三佛寺(鳥取)

特に、蔵王権現は、役小角という修験者が、
吉野(奈良県)の金峯山で修行中に体得したという伝承があるため、
8mの巨像(極彩色)が3体並ぶ
吉野・金峯山寺の蔵王権現像は圧巻です。

ところで、東北新幹線に白石蔵王という駅がありますが、
宮城県と山形県の県境あたりの蔵王山(蔵王連峰)は、
もともと別の名前の山でしたが、
吉野から蔵王権現が勧請され、修験者が修行するようになったため、
平安時代あたりに蔵王山という名前になったと伝えられています。
そういうことで、現地には蔵王刈田嶺神社というのがあり、
蔵王権現を祀っています。(拝観はできませんが。)
 
吉野・金峯山寺の蔵王権現像、
一生に一度くらいは
見ておいて損はないと思いますよ。


[SE;KICHI]
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