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困ったことなんて起こらない。

困ったことなんて起こらない。
これまでも、そんなに困ったことなど起きなかったし、
これからも起こらない。

と、これは、私がいつも自分に言い聞かせている言葉です。

いまどきは、新聞を開けば悲壮な事件が目に飛び込んでくるし、
テレビでも気が滅入るようなニュースばかり流しています。
仕事のこと、子供のこと、健康のことなど、
自分や家族の将来がどうなってしまうのか、心配事は尽きませんよね。

しかし、実際に困ったことが自分に起こる確率は、
冷静に考えて多くはないはずです。

集団登校の列にクルマが突っ込んでくるというニュースに接すると、
確かに衝撃的で、なんだか心配になってはくるのですが、
それでは、今日の自分にクルマが突っ込んでくる確率はどうかというと、
その確率は、本当は皆無に近いはずです。
他にも、たとえば、3人に一人はガンに罹患するなどと脅されると、
そのことに怯え、もしそうなったらどうしようとか思い悩むものですが、
実際には毎年のガンによる死亡者数は10万人あたり250人らしいので、
ほとんどの人は、ガンでは死なないのです。

結局、何を言いたいのかというと、
確かに犠牲になる人は一定数いるのでしょうが、
統計学的に見れば、それが自分に起こる確率はかなり低いはずで、
つまり、困ったことは起こらないと考えてよいでしょう。
それなのに、何の心配があるというのでしょうか。

確かに、心配事が一切起きないというのは楽天的に過ぎるでしょうが、
それでも、だいたいは起こらないと思って大丈夫なはず。
それよりも「暴走するクルマが突っ込んできたらイヤだわ」とか、
「ガンになって治らなかったらどうしよう」とか、いらぬ心配をして、
結果として気苦労が絶えなくて健康を害するほうが現実味があります。

別の言い方をするなら、内なる批判者に反論せよということです。
心の中の内なる批判者は、
「どうせダメだ」とか「自分は能力が足りない」とか、
できない理由を挙げて、自分に様々なことを諦めさせようとします。
「暴走するクルマが突っ込んできたらイヤだわ」とか、
「ガンになって治らなかったらどうしよう」のような、
真実味のない心配事も、その一種でしょう。
内なる批判者の正体は、親や先生などから言われたネガティブな言葉や、
マスコミなどが不用意にあおる将来への不安による、結局は洗脳です。

自分の人生なのですから、
くだらない説得に応じるなんてナンセンスだと、
私は思います。

『無門関』の第12則に、
「瑞巌の師彦和尚、毎日自らを主人公と喚ぶ」という公案があります。
これは、毎日、自分自身に向かって「主人公!」と呼びかけ、
自ら「ハーイ」と返事をする和尚さんの話です。
「おい、眼をさませ。ボンヤリするな」と言っては自分で「ハイ」と答え、
「世間の評価や人情などにくらまされないよう気をつけろ」と言っては、
自ら「ハイ」と答えていた、という話です。
自分自身が人生の主人公だから、しっかりせい
ということを常に自問自答していた、立派な和尚さんです。

私は、細かいことも含めて、今まで何度も成功しています。
私に限らず、みんなそうです。
一度も成功したことがないという人はいませんよね。
あたりまえです。
実績多数というヤツです。
その豊富な実績を無視し、失敗するに違いないと思い込むことは、
ちょっとフェアな判断とは言えませんよね。

私は、細かいことも含めて、今まで何度も成功しています。
自分自身が人生の主人公なのだから、どう思うかは私の勝手。
というわけで、困ったことなんて起こらない。
これまでも、そんなに困ったことなど起きなかったし、
これからも起こらない。
私はそう思うことに決めているのです。

[SE;KICHI]
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おそ松さんてすごいね

平成も28年となり、
元年生まれでももうアラサ―となっている現代において、
少し前になりますが、アニメで不思議なことが起こりました。

赤塚不二夫生誕80周年を記念し、製作されたおそ松さんが、
異様なブレイクを果たしたのです。
おそ松さんはある程度の年齢から上の人はわかるとおり、
赤塚不二夫が大昔に描いた「おそ松くん」の現代版というか、
アフターストーリー的な話です。

おそ松6兄弟が成長し、ニートとなり日々を怠惰に過ごすという、
何とも救いようのない設定ですが、これがなぜか大ヒット。

オンエアー前から、
豪華声優陣をそろえているということで話題になっていましたが、
驚くべきはその内容でした。

まず、ギャグアニメです。

現在においてギャグアニメというものがそもそも少ないので、
そもそも異質なのですが、単なるギャグでなく、
いわゆる下ネタも辞さないかなり最低な内容です。
見る人が見たら抗議を入れるレベルです。

しかも、1話目からパクリまくりです。
進撃の○○○○ペダルなどの人気アニメパクリ、
あげくに○○パンマンまでパクっていました。

話も支離滅裂で、
これ作っている人楽しいだろーなーという感じでした。

でもまあ、普通に考えたらこんなの売れるわけねーだろ?と思える内容でしたが、
今や社会現象と呼べるレベルにまで達しました。
もちろん僕も大好きです。

このハチャメチャなアニメが売れた理由を自分なりに分析すると、

①異様なまでに女性や大人に媚びた

おそ松くんは少年漫画でした。
そして私が小学生の時にやっていた新おそ松くんは、
イヤミとちび太が主役の、やはり子供向けの内容だったと記憶しています。
ところがこのおそ松さんはあくまで大人向けに作られています。
(そりゃ、夢も希望も将来も今の職すらない六つ子が主役ならば当然のことですね。)
子供の支持は少しもいらないとばかりに。

そして、女性に媚びまくっています。
具体的に言うと六つ子の声優を人気イケメン声優で揃えるとか、
ボーイズラブ的な内容を盛り込むとか、
そして、六つ子にキャラを与えたこととか。

第2作新おそ松くんではわき役にすぎなかった六つ子を主役に置き、
さらに一人一人に明確なキャラが与えられ、
いわゆる現代の「推し」文化と融合を目指したことが、
成果となっていると思います。

そして、何となくおそ松さんが好きっていうと、
おしゃれな感じがするというのもあるのかな?と思います。

おそ松さんのBLは真正のBLでなく、
むしろその層を取り込むための演出であるわけなのですが、
がちがちのBLが好きだと言えば周りがひきますが、
おそ松さんは何となくみんな好きでしょ?みたいな感じでしょうか。
非常にカジュアルでかつおしゃれなアイテムになったのです。

この女性を取り込んだこと製作側の素晴らしい戦略だったと思います。

しかし、女性だけでなく幅広い層に受けたもう一つの理由が

②とにかく好き勝手やっている

だと思います。

コンプライアンスでがんじがらめな世の中で、
「何それおいしいの?」って感じの内容。

放送コードギリギリのギャグ、パクリ、軽妙な下ネタ。
いやけっこうきつい下ネタもあるな。

この好き勝手やっている感が、
女性だけでなく男性ファンを獲得できた要因で、
幅広い指示につながったと思います。

そもそも深夜番組というのは夜に疲れて帰ってきた社会人が見るもので、
(あ!おそ松さんは深夜番組でした)
実際人気のある深夜番組ってその層が指示しているんですよね。
ゴッドタンとかぷっすまとか、
過去に人気のあった内Pとかくりぃむナントカとか。
見ることで疲れない、見逃しても痛くない、
真剣に見なくてもいい、そしてくだらない。

自分では社会的地位や生活を考えるとバカできないけど、
代わりにバカやっている人達がいてくれる。
これが深夜番組の価値であり、
バカをやっている人たちを見ることが一種のカタルシスでもあるわけです。
おそ松さんはまさにその典型でした。

大きく分析するとこの2つですが、
結局のところ赤塚不二夫はこういう型にはまらない、
めちゃくちゃな表現をしてきた人で、
その精神を製作者が現代的に表現をしたことが一番だと思います。

賛否はあるかと思いますが、
やはり僕にはアニメ製作者には、
赤塚不二夫への愛だったり尊敬があったように思います。

結局何が言いたいかというと、
おそ松さんおもしろかったなということと、
今の世の中、何が売れるかわからんね?
(あ、次回は何が売れるわからん繋がりで「このすば」書こう。)
ということです。

でも一番の謎はカラ松が一番人気ということ。

てっきり十四松が一番かと思っていたんだけどな。

かくいう僕もカラマツガールならぬカラマツボーイです。

なんかキャラ的に他人と思えないところから好きになりました。

[ハク]

連れ去られたい願望

何度か、京阪電車の思い出弁天町の交通科学館の話をしており、
挙句の果てには阪急電車を舐めてみた話まで披露しているせいで、
私のことを“鉄道好き”だと思っていらっしゃる方も多いようです。
しかし、それは心外です。

私が最も好きな乗り物、それはバスです。

バスの何が好きかって、
自分でクルマを運転するときには得られない、
受け身の、「連れ去られる」ような感覚がいいですね。

そんなの、公共の交通機関ならどれも一緒だろと思われるかもしれません。
確かに、大雑把にはそうなのですが、
たとえば地下鉄など都市の鉄道の場合は、車窓の風景がないため、
どういうルートを通って目的地に至っているのか、乗っていてもよく分かりません。
その点、バスは、「えっ、こんな道に入るの?」と思うような道を辿ることも多く、
車窓から、得体の知れない場所へ連れて行かれている感覚が味わえるのです。

そもそも、バスは、生活に密着した利用を想定しているため、
タクシーのように目的地へ一直線ではなく、
わざわざワケの分からない小路に入り込んでは出てを繰り返す、
自分の意思に反する動きをします。
その、「連れて行かれる」ような、受け身の感覚がとても心地いいのです。
ほら、『♪岬めぐり』でも、傷心の主人公はバスで受け身の旅をしているでしょう。

この、目的地へ至るプロセスが楽しめる、というのは、そもそものどかな観点です。
前述の都市鉄道の乗客は、ビジネスマンやOLが多いので、
疲れてイライラしているというか、ちょっと荒めの波動を発しているものです。
一方、バスの場合、需要が生活に密着しているせいで、
病院に通う老婆とか、学校帰りの高校生とか、小汚い作業服のオヤジとか、
いかにも“地元の足”という雰囲気が漂っていて、のんびりしています。
私はバスに、どことなくのどかな印象を持っているのです。

ところで、鉄道マニアに車両好きやら路線好きやら、
いろいろなタイプが存在するように、
バス好きにも、いろいろなタイプが存在しています。
日野やいすゞなどのメーカーごとの車両の違いを探求するタイプとか、
エンジンなどの装備品性能をつぶさに見ることに情熱を注ぐタイプとか、
いろいろなタイプが存在しているようですが、
私は、実はハードへの興味は薄いほうで、興味があるのはむしろバス路線、
なかんずくバス停に興味あり。
私がたまに買って読んでいる上毛新聞でも、
この4月から『路線バス 終点を行く』という連載がスタートしましたので、
まぁ、そんなに奇妙な嗜好ではないでしょう。

そもそも私は、地名に関心があるほうで、
バス停でも、「〇〇病院前」とか「××小学校前」のような、
そこにあるランドマークを引き合いにしたネーミングのバス停より、
地名を名乗っているバス停のほうが好みです。
そして、そのような“地名型バス停”の場合、
わざわざ行政上の町名からは消えた古い地名を引っ張り出して命名したり、
厳密な意味での町名より、慣例的に使っている名前を大切にする場合があり、
これが、すこぶる私の琴線に触れるわけです。

たとえば、極ローカルな話で恐縮ですが、
富山駅前から八尾鏡町行きというバスに乗った場合、
途中で「小泉定(こいずみじょう)」というバス停を通過します。
別に何もない農村のバス停ですが、
小泉定という行政上の町名はなく、所在地は富山市八尾町杉田。
「杉田」というバス停はほかにあるため、こういうことになったのでしょうが、
私などは「じゃ、小泉定って、何?」と興奮するわけです。

もうひとつ例を挙げると、
姫路駅から宍粟市に向かう山崎行きというバスに乗った場合、
途中で「かまはな」というバス停を通ります。
もう、平仮名である時点で町名ではないことは明らかです。
そして、やはり私は、「かまはなって、どういう意味かしら?」と興奮し、
ついつい用もないのに下車してみたりするわけです。
一時間に一本しか来ないバス停で、酷い目に遭いましたけどね。

私は、そうやって路線を観察するのが好きなんですね。
座席の位置の高いバスに乗っていると、
同じ道を自分で運転しているときには気づかなかった商店の看板なんかが、
妙に目に入ってきたりしますし、
運転手さんに注目していると、狭隘な箇所なんかで、
いったん逆方向にハンドルを切るようなハンドルさばきも見所です。
なにしろ受け身が心地よいのです。

最近は、ちょっとしたバス旅ブームなのか、
路線バスのルートを表示した地図本が出ているので、
こういうので興味深いバス停の当たりをつけて、旅に出ることができ、
それもまた楽しいものです。

ちなみにこれは、新潟駅前のバスターミナル。(夜ですいません。)
バス乗り場が並列に並んでいるプラットホーム型とか、
直列に連なっているロータリー型とかではなく、いわゆるクシ形。
こういうタイプは、新潟などの大都市にしては、最近かなり珍しいです。
もう、東南アジア感があります。
東南アジア感維持のため、LEDとかじゃなく、方向幕にこだわって欲しいくらい。

新潟駅前

しかも、手前の道路は駅前大通りなわけで、
じっと見ていると、バスは、手前の大通りで切り返して、
バックでバスターミナルに入ってくるのです。
これはかなり効率が悪く、いまどき、あまり見かけないものですが、
バスの動線マニアとしては、すこぶる興奮します。

さらに、ちなみに。
当社の新潟営業所前にあるバス停は、祖父興野東
そふこうの? そふ…おきの?
正解はおじごや ひがしです。



もう、この、訳の分からなさ加減がたまりませんよね。
乗ってみると、意外と不思議な経路で、新潟駅まで私を運んでくれます。

バスの魅力、
分っかるかなぁ、分っかんねぇだろうなぁ。©松鶴家千とせ(←古い)

[SE;KICHI]

意識・習慣

今年になり様々な勉強会に参加させて頂いております。
先日参加した勉強会で、個人的に参考になったことが多々ありました。
こんな考えもあるんだなと読んで頂ければ幸いです。

皆様は普段どのようなことを意識してますか?
そしてどのような習慣で日々過ごしておられますか?
おそらくですが、意識して何かをするというのは難しく、
なんとなく日常を過ごしている方も多いのではないでしょうか。

朝起きて、顔を洗って、朝食を食べ、歯を磨いて出かける。
このような方も多いと思いますが、意識せずに習慣となっていると思います。
この習慣を、いつもより30分早く起きて勉強したり、
少しジョギングする等を取り入れるとどうなりますか?
私の場合、少ししんどいです。
これって意識してやってるからしんどいんですよね。

この前の講習会では、人間は意識して出来ることは10%、
無意識でやっていることは90%という内容がありました。
意識してやることを10%以上にすると、
ストレス溜まったりして病んじゃうみたいです。
ただ、意識して何かをやらなければ、
今とまるで変わることはないです。

意識して何かをやり続けて、それが習慣になったらこっちのもんです。

いつもより30分早く起きて勉強した場合は、
新しいことを覚えていたり、いつか何か資格を取得してるかもしれません。
ジョギングした場合は、運動不足が解消されて健康的になるかもしれません。
これは意識したことを続け、習慣に出来た方のみです。
意識してやったけど三日坊主じゃダメってことですね。

意識して何かをするということは、
自分に新しい何かを得ることに繋がると、改めて感じました。
無理はしちゃいけないですけどね。
やはり詰め込め過ぎるとストレスになってきちゃうので。
私個人の提案としては、
なにか一つを意識して取り入れる。
それが習慣となり、他にもやりたいことがあれば意識してやってみる。
もし最初に意識してやったことが習慣にならなければ、
それは自分の今のキャパでは無理なので一度やめ、
別にしたいことがあればやってみる。
こんな感じですかね。
人により方法は様々だと思いますので、あくまでも私個人の方法となりますが。
意識して素晴らしい習慣を、
新たに取り入れたいですね!


あー、暑くなってきた。ビアガーデン行きたいな!
これも立派な私の意識・・・ではなく意思ですね。

[SYUN]

好き嫌いの別れる場所

今回は好き嫌いの分かれそうな記事です。
気分が悪くなりそうな方は、読み飛ばしてください。


以前、富山の珍スポットとして、東山円筒分水をご紹介しました。
用水の水を分けているだけなので、そうたいした施設でもないですが、
これだけ立派なのってなかなか見ないよねというのが紹介したポイント。
つまり、テキトーに紹介したわけではなくて、
どこにでもありそうだけど、ここのはスゴイというのが選考基準。

それを踏まえまして、
これ、なんの施設だと思います?

納骨堂

派手な雰囲気ではないので、公民館などのようにも見えますし、
ちょっと洒落た感じがしなくもないので、介護施設のようにも見えます。

正解は、富山市納骨堂。

納骨堂というのは、何かの事情で遺骨をお墓に入れられない場合など、
従来のお墓の代わりとなる施設です。
ぶしつけな言い方が許されるなら、ロッカーという言い方が近いでしょうか。
この施設の場合は、上段が祭壇で下段が納骨棚ということになっています。

納骨堂-納骨壇

墓地用地の確保が容易ではない都会のほうでは特に需要が多いようで、
新しい納骨堂ができると希望者が殺到し、抽選となることもあるようです。
そういう意味では、これから注目のビジネスかもしれません。

ね、納骨堂、どこにでもありそうでしょ?
でも、ちょっとここのはスゴイんですよ。
何がスゴイって、通常、納骨堂は仏教寺院の敷地内にあるもので、
なかなか公営の納骨堂って、全国的に少なく、実はかなり珍しいのです。

先ほどの外観写真、
私が写真を撮った日は薄曇りだったので、あんまり印象はよくありませんが、
行ってみると、明るくて開放的な施設だというのが分かるはずです。

内部のメイン祭壇はこんな感じです。

納骨堂-祭壇

ここに骨壺や位牌などを置いて、納骨の法要などを簡単に執り行うのですが、
私は、この意匠が、わりと好きです。
富山はガラス工芸の市ということで、これはガラス工房の方が作ったモニュメントで、
「宇宙山が天に向かって聳え立つ姿を三角形と虹色で構成しました」と説明書きが。
写真では分かりにくいですが、いくつかある円柱状のものは実は円筒で、
それぞれの円筒には数万個の透明なガラスレンズが詰まっており、
このガラスレンズが御霊に見立てられているということです。
場所柄、なかなかゆっくりと腰を落ち着けるわけにはいきませんが、
2年ほど前に紹介した東京カテドラルにも似て、(→『聖なる空間』)
私は、この特色ある造形が意外と気に入っています。

ところで、この納骨堂の待合室に飾られているコレ、何だと思います?

ナポレオンの図

まぁ、ナポレオンの絵、なんですが、
近くに寄ってみてビックリ、なんと、絵柄は使用済み切手でできています。
それはそれで、技術的にすごいなと思うのですが、
このような使用済み切手による貼り絵は待合室に3枚飾られており、
なぜこのようなものが納骨堂の待合室に飾られているのか、
なにか郵便局と癒着でもあるのだろうかと、何とも不思議な気分になります。

どうでしょうか、富山市納骨堂。
最初にも言いましたが、公営の納骨堂って、全国的にかなり珍しいのです。
そういう意味では富山名物と言っても過言ではなかろうと思うのです。
ダミーとはいえ、骨壺まで載せたので、今回は好き嫌いの分かれそうな記事ですが、
施設の入り口に「見学自由」と書かれているように、広く公開されているので、
私としては、近くにお立ち寄りの際には、ぜひご覧になることをお勧めします。
もちろん、見学の際には御霊に対する敬意を忘れずに。

[SE;KICHI]

GW

ゴールデンウイーク中に帰省される方は多々いるかと思います。

関東へ行ったきり・・・・なんて友人もおります。
GW中に帰省するよ。と連絡があったので十数年ぶりに会ってきました。

当然の如くお酒が入りますが。
久しぶりに見る友人。
頭部にかなり疲労感が漂っておりました。

共通の友人が「田植えしたんか?ついでに頭も・・・・」なんて、
笑えない発言してましたが、まぁ昔から日常の事だったので。
本人はいたって気にもせずネタに使っておりました。

一種の開き直りですかね。

昔話に花が咲き、品性の欠片もない会話が延々続く中、
ふと健康診断の話へ。
えぇまぁ私も例外なく色々と引っ掛かる訳で・・・

皆同じような状態でしたね。
体があちこち悲鳴上げてました。

40過ぎのおっさんが複数名集まると、
だいたい話題は頭髪と健康。

どこかのラジオCMだったかで同窓会で最初に見るのは名刺の肩書と頭髪。
なんてCMがあった気がします。

健康については・・・・ね。

そろそろお腹周りが気になりだしますが、既に手遅れ感満載。

食事の好みも変化が大体同じで油っこい物が苦手になる。
焼肉行けば肉よりホルモン、鳥等々・・・・

お酒も昔よりは量が少なくなり、23:00過ぎた頃からもう眠い。

年齢よりも老化が早い感じがする。

まきで人生歩んでいるような気がします。

一人の友人に至ってはすでに孫持ち。

思いっきり笑いましたが。

人生早送りで生きているようです。
あまり早送りし過ぎて、早くに土に還るのは勘弁して欲しいですがね。
久しぶりに会う友人も、頻繁に会う友人も、中身は昔のままでした。
もう少し大人になってもいいかも。と思ったのは内緒。

[y2k2]

疑似神様体験(←不遜)

揺れたら負け。』という記事で、
どんなに嬉しいことがあっても、どんなに感動しても、
所詮は本人の心の動きにしか過ぎないのだから、
興奮してはならぬ、心を揺らしてはならぬという、
ひとつの禅の教えを紹介しましたが、
些細なことで動揺してはならぬという趣旨は分かるが、
心を揺らさない人生など、つまらないのではないか
というご指摘をいただきました。
四季の移ろいや人との触れ合いの中で、感動しないというのは損ではないかと、
そういう主張です。

まぁ、それは、半分正解で、半分不正解です。

半分正解というのは、
たとえば、美しい景色を目にするとか、感動的な映画を見るとか、
そういう、視覚的に得た情報が大事な人にとっては、
それを見たところで心を動かさないということは、
人生はつまらなくなるかもしれないという意味です。

半分不正解というのは、
視覚以外に感動の種を持っている人にとっては、
より高次の、感性的な世界に入っていくことができるので、
人生がつまらなくなることはないだろうという意味です。

ちょっと精神世界っぽい話ですが。

キーワードは視覚です。
人間の五感のうち、一番大きいのは視覚なんだそうです。
それはそうかもしれません。
私たちは、奇妙な音が聞こえたり、素敵な香りに包まれた時でも、
それをどうにか目で確認し、理解しようとしますもんね。
人々が、四季折々に花見に興じたり紅葉を愛でるのも、
単に視覚的な刺激が強いからという理由なんだそうで、
逆に、花見などと比べて音楽や香道がそこまで盛んではないのも、
視覚ほど、聴覚や嗅覚が鍛錬されていないからなのだそうです。

それでは、その視覚を遮断するとどうなるでしょうか。
目をつむると、視覚からの情報がなくなる分、
聴覚や嗅覚、つまり音やにおいに敏感になります。
盲目の天才ピアニストなどの例を挙げるまでもなく、
ここまでは考えてみたら分かりますよね。

では、座禅や瞑想のときのような“半眼”ではどうでしょう。
目をつむっているわけではないので、視覚は遮断されていないが、
焦点を結べていないから、意味のある光景が見えているのでもない、
つまり、目を開けてはいるものの、見えるものにこだわらず、
視覚から意識を逸らしているような状態です。

もちろん、禅定に慣れないうちは、身体のどこが痛いとか、
暑いとか寒いといった感覚に関心が行きがちなので、
前提として、ある程度、禅定の経験値は必要なのですが、
コツを掴んでくると、“半眼”で心が凪いできます。

そして、その次の段階は、
ちょっと気味の悪い話だと思われるかもしれませんが、
結論から言うと、幽体離脱っぽい領域です。
少し上空から、自分自身や世界のことを俯瞰できるようになります。
それは、単純に客観視ということかもしれませんが、
そうすると、四季折々の花見や紅葉に限らず、
仏教でいうところの一切衆生悉有仏性、
神様がお造りになったすべてのものを、
いとおしいと思えるようになります。

調子さえ乗れば、「いつも気に食わないアイツ」などだけでなく、
そのへんの雑草とか、シミだらけの絨毯とか、ヨレヨレのタオルとか、
そういうものですら、なんだかありがたいように感じるものです。

少し上空から、自分自身や世界のことを俯瞰できるということは、
ちょっと不遜ですが、神様の視点に少し近づいているということで、
その視点で下界を見ると何にでも感動できるという、
これは一種の疑似神様体験です。本当に不遜ですが。

というわけで、理解不能であることを承知で書きましたが、
心を揺らさない人生がつまらないかどうか、
その答えは、
視覚的な刺激が欲しい人にとっては確かにつまらなくなるけれど、
心を静かにして瞑想できる人にとっては、
心を揺らさないで得られるメリットのほうが大きいので、
飛躍的に豊かになる、という話です。

もちろん、単純な「不感症のすゝめ」ではないので、
お間違えなきよう。

[SE;KICHI]

なにか、分からない

リオデジャネイロや東京オリンピックの話題がいろいろ出ておりますが、
その競技に詳しくないせいか、よく分からないことがあります。

代表選手の選考についてです。
マラソンや柔道などで、
オリンピック選考大会と銘打って行われているにもかかわらず、
大会で優勝したにもかかわらず(マラソンであれば基準タイムもあると思いますが)
代表決定ではなく候補でしかない。

柔道で優勝していない選手が過去の実績の理由で選ばれた記憶があります。
テレビの見間違いや誤った記憶ならすいません。

応援している選手がいるとかではないのですが、
仮に予想外の選手が優勝してしまったので、
いろいろな経験実績を鑑み決めましたと言われれば、
内情を知らない私は納得するしかないのですが、
実績の無い選手は実績を積むために参加した大会になるのだなと。
勝っても君は行けないけどねってことですもんね。

協会の役員や大人の事情で決まっているのではないと、
信じています。


マラソンは候補者が一堂に集まり予選をしていない感じがしますし、
幾つかの選考レースがあります。
コースセッティングや気温の違いで変わるのでしょうし、
実績のある選手で選考レースに優勝したのに決定ではないのが、
可哀そうに映ります。

オリンピック直前まで決めず、決定的にするために、
オリンピックで勝つためには出たくない大会まで参加しようと考えるとか、
よく分かりません。
参加することのみが目標ならそうなりますか。

日本人選手がオリンピックで活躍するのは嬉しいですし応援したいです。
でも参加する事に意義があり、
単純に楽しみますって人には、行ってほしくないです。
試合を頑張って望んだ結果でなかったとしても、
今後につながる経験を得て、楽しかったと言われれば良かったねと映りますが、
その前の予選でボロボロになったり、
遊び感覚で参加されたりすると残念です。

なんかいろいろ言ったけど、俺もオリンピック出てー

水泳の高い基準記録と、2位までってスッキリしていて、
頑張ってほしいと思います。

これからバレーボールも最終予選です。頑張れ。

[WAKA]

何が流行るか分からない

突然ですが、スキレット、流行ってますよねぇ。
あんな使いにくいものが流行るなんて、思ってもみませんでした。
確かに、キャンプとかでは重宝するかもしれないけど、
自宅ではスパニッシュオムレツを作る時ぐらいしか出番はないし、
それより、洗剤で洗えない、油を塗っておかなくてはいけない、
使う前にはお湯をかけないといけないなど、制約が多いうえに、
それらを怠ると簡単に錆びてしまうという、
メンテナンスに手間がかかりすぎる古いバイクみたいな代物なのですが、
現在では、キッシュやフリッタータはもちろんのこと、
煮込み料理からパイやパンケーキに至るまで、何にでも使うようで、驚きます。
何が流行るかって、分からないものだなと思います。
ちょっとした洋食屋のオシャレな感じに触発されたのだとは思うのですが、
カワイイもの好きの女子に人気ってことでしょうか。

流行と言えば、招き猫が流行ってるらしいですよ。
と言っても、スキレットみたいに女子に人気ということではなくて、
日本を訪れた外国人からの人気らしいです。
あんなものは、日本人にとっては流行るとか流行らないの次元のものではなく、
小料理屋のカウンターとか、定食屋のテレビの横とかで、
ごく普通に目にするものであって、特に意識するものではありません。
外国人にとっては東京の豪徳寺が“その筋”のメッカだそうです。
井伊直孝が猫によって招き入れられ、雷を避けることができたという故事から、
彦根藩井伊家の菩提寺となり、招き猫が祀られるようになったという寺で、
ちなみに彦根の「ひこにゃん」は、この縁によるデザインだそうです。
豪徳寺駅から徒歩10分のこの寺、行ってみると分かりますが、
境内にはお礼参りで納められたおびただしい数の招き猫が並び、
霊験あらたかというよりは、少しゾクッとするような光景です。
つくづく何が流行るかって、分からないものだなと思います。
私が初めて訪れたのは10年以上前でしたが、外国人どころか参拝者などおらず、
現在の人気ぶりとは隔世の感があります。

外国人が殺到ということでは、カプセルホテルもそうみたいです。
私は、意外にもカプセルホテルという雑駁な場所が嫌いではないので、
機会は多くないけれど、昔からちょくちょく利用するわけですが、
以前と比べて予約が取りにくくなったと感じます。
聞けばカプセルホテルはヨーロッパからの旅行者に人気だそうで、
最近では満室であることもザラです。
カプセルホテルは“寝床”こそ1畳ほどの狭いスペースですが、
それ以外はガウンで利用できるパブリックスペースになっていて、
何かを食べたり、テレビを見て寛いだり、パソコンで仕事をしたり、
そういう自由な空間が、海外のドミトリーなどの安宿に似ていて、
外国人にとって使いやすいのだと、今年出会ったドイツ人が言っていました。
ちょっと前まで、カプセルホテルといえば、ある種のハッテンバか、
終電を逃したオヤジの指定席みたいな印象がありましたが、変わったものです。
本当に何が流行るかって、分からないものだなと思います。
最近は、女性専用とか、既存のカプセルホテルもいろいろ工夫を凝らし、
また、新たな開業もブームになっているとかで、ここにきて不思議な感じです。

しかし、何が流行るかって分からないものだとは思うのですが、
こういうのを細かくリサーチして、次に何が来るのかを予測したり、
さらには積極的に仕掛けていく業界の方がいらっしゃるのも事実であり、
そういう方たちの探求心には感心します。
トレンド予測とか、そういうのは私たちにそれほど関係はないけれど、
何が流行るか、興味を持ち続ける目は大事ですよね。
肝に銘じておきたいところです。

ちなみに下の写真は「カンタロープメロン&クリームフラペチーノ」、
スタバの今春の季節フラペチーノです。
フラペチーノって、つまりフラッペですが、
フラッペなんて、祭りのヤシでしか見かけない毒々しい色合いのもので、
いい大人が群がるようなものではありませんでしたよね。
それが、いまやスタバの定番はフラペチーノで、
毎春の発売と同時に味わいたいと楽しみにしている人も多いそうです。
もう何が流行るかって、分からないものです。

フラペチーノ

[SE;KICHI]

臨時休業のお知らせ

平素より格別のご高配に預かり、厚く御礼申し上げます。
さて、弊社は、勝手ながら5月6日(金)を臨時休業とさせていただきます。
なお、大型連休につきましてはカレンダー通りとさせていただきます。
ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。
猶、今後とも倍旧のご厚情を賜りますよう、切にお願い申し上げます。

[AKA]
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Author:kkseishin
株式会社セイシン
私たちは工場設備機器を中心に、お客様にご提案・販売をしている総合商社です。

■富山本社/〒930-0821
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■新潟営業所/
〒950-1142
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FAX:(025)283-7469



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