困ったことなんて起こらない。
困ったことなんて起こらない。
これまでも、そんなに困ったことなど起きなかったし、
これからも起こらない。
と、これは、私がいつも自分に言い聞かせている言葉です。
いまどきは、新聞を開けば悲壮な事件が目に飛び込んでくるし、
テレビでも気が滅入るようなニュースばかり流しています。
仕事のこと、子供のこと、健康のことなど、
自分や家族の将来がどうなってしまうのか、心配事は尽きませんよね。
しかし、実際に困ったことが自分に起こる確率は、
冷静に考えて多くはないはずです。
集団登校の列にクルマが突っ込んでくるというニュースに接すると、
確かに衝撃的で、なんだか心配になってはくるのですが、
それでは、今日の自分にクルマが突っ込んでくる確率はどうかというと、
その確率は、本当は皆無に近いはずです。
他にも、たとえば、3人に一人はガンに罹患するなどと脅されると、
そのことに怯え、もしそうなったらどうしようとか思い悩むものですが、
実際には毎年のガンによる死亡者数は10万人あたり250人らしいので、
ほとんどの人は、ガンでは死なないのです。
結局、何を言いたいのかというと、
確かに犠牲になる人は一定数いるのでしょうが、
統計学的に見れば、それが自分に起こる確率はかなり低いはずで、
つまり、困ったことは起こらないと考えてよいでしょう。
それなのに、何の心配があるというのでしょうか。
確かに、心配事が一切起きないというのは楽天的に過ぎるでしょうが、
それでも、だいたいは起こらないと思って大丈夫なはず。
それよりも「暴走するクルマが突っ込んできたらイヤだわ」とか、
「ガンになって治らなかったらどうしよう」とか、いらぬ心配をして、
結果として気苦労が絶えなくて健康を害するほうが現実味があります。
別の言い方をするなら、内なる批判者に反論せよということです。
心の中の内なる批判者は、
「どうせダメだ」とか「自分は能力が足りない」とか、
できない理由を挙げて、自分に様々なことを諦めさせようとします。
「暴走するクルマが突っ込んできたらイヤだわ」とか、
「ガンになって治らなかったらどうしよう」のような、
真実味のない心配事も、その一種でしょう。
内なる批判者の正体は、親や先生などから言われたネガティブな言葉や、
マスコミなどが不用意にあおる将来への不安による、結局は洗脳です。
自分の人生なのですから、
くだらない説得に応じるなんてナンセンスだと、
私は思います。
『無門関』の第12則に、
「瑞巌の師彦和尚、毎日自らを主人公と喚ぶ」という公案があります。
これは、毎日、自分自身に向かって「主人公!」と呼びかけ、
自ら「ハーイ」と返事をする和尚さんの話です。
「おい、眼をさませ。ボンヤリするな」と言っては自分で「ハイ」と答え、
「世間の評価や人情などにくらまされないよう気をつけろ」と言っては、
自ら「ハイ」と答えていた、という話です。
自分自身が人生の主人公だから、しっかりせい、
ということを常に自問自答していた、立派な和尚さんです。
私は、細かいことも含めて、今まで何度も成功しています。
私に限らず、みんなそうです。
一度も成功したことがないという人はいませんよね。
あたりまえです。
実績多数というヤツです。
その豊富な実績を無視し、失敗するに違いないと思い込むことは、
ちょっとフェアな判断とは言えませんよね。
私は、細かいことも含めて、今まで何度も成功しています。
自分自身が人生の主人公なのだから、どう思うかは私の勝手。
というわけで、困ったことなんて起こらない。
これまでも、そんなに困ったことなど起きなかったし、
これからも起こらない。
私はそう思うことに決めているのです。
[SE;KICHI]
これまでも、そんなに困ったことなど起きなかったし、
これからも起こらない。
と、これは、私がいつも自分に言い聞かせている言葉です。
いまどきは、新聞を開けば悲壮な事件が目に飛び込んでくるし、
テレビでも気が滅入るようなニュースばかり流しています。
仕事のこと、子供のこと、健康のことなど、
自分や家族の将来がどうなってしまうのか、心配事は尽きませんよね。
しかし、実際に困ったことが自分に起こる確率は、
冷静に考えて多くはないはずです。
集団登校の列にクルマが突っ込んでくるというニュースに接すると、
確かに衝撃的で、なんだか心配になってはくるのですが、
それでは、今日の自分にクルマが突っ込んでくる確率はどうかというと、
その確率は、本当は皆無に近いはずです。
他にも、たとえば、3人に一人はガンに罹患するなどと脅されると、
そのことに怯え、もしそうなったらどうしようとか思い悩むものですが、
実際には毎年のガンによる死亡者数は10万人あたり250人らしいので、
ほとんどの人は、ガンでは死なないのです。
結局、何を言いたいのかというと、
確かに犠牲になる人は一定数いるのでしょうが、
統計学的に見れば、それが自分に起こる確率はかなり低いはずで、
つまり、困ったことは起こらないと考えてよいでしょう。
それなのに、何の心配があるというのでしょうか。
確かに、心配事が一切起きないというのは楽天的に過ぎるでしょうが、
それでも、だいたいは起こらないと思って大丈夫なはず。
それよりも「暴走するクルマが突っ込んできたらイヤだわ」とか、
「ガンになって治らなかったらどうしよう」とか、いらぬ心配をして、
結果として気苦労が絶えなくて健康を害するほうが現実味があります。
別の言い方をするなら、内なる批判者に反論せよということです。
心の中の内なる批判者は、
「どうせダメだ」とか「自分は能力が足りない」とか、
できない理由を挙げて、自分に様々なことを諦めさせようとします。
「暴走するクルマが突っ込んできたらイヤだわ」とか、
「ガンになって治らなかったらどうしよう」のような、
真実味のない心配事も、その一種でしょう。
内なる批判者の正体は、親や先生などから言われたネガティブな言葉や、
マスコミなどが不用意にあおる将来への不安による、結局は洗脳です。
自分の人生なのですから、
くだらない説得に応じるなんてナンセンスだと、
私は思います。
『無門関』の第12則に、
「瑞巌の師彦和尚、毎日自らを主人公と喚ぶ」という公案があります。
これは、毎日、自分自身に向かって「主人公!」と呼びかけ、
自ら「ハーイ」と返事をする和尚さんの話です。
「おい、眼をさませ。ボンヤリするな」と言っては自分で「ハイ」と答え、
「世間の評価や人情などにくらまされないよう気をつけろ」と言っては、
自ら「ハイ」と答えていた、という話です。
自分自身が人生の主人公だから、しっかりせい、
ということを常に自問自答していた、立派な和尚さんです。
私は、細かいことも含めて、今まで何度も成功しています。
私に限らず、みんなそうです。
一度も成功したことがないという人はいませんよね。
あたりまえです。
実績多数というヤツです。
その豊富な実績を無視し、失敗するに違いないと思い込むことは、
ちょっとフェアな判断とは言えませんよね。
私は、細かいことも含めて、今まで何度も成功しています。
自分自身が人生の主人公なのだから、どう思うかは私の勝手。
というわけで、困ったことなんて起こらない。
これまでも、そんなに困ったことなど起きなかったし、
これからも起こらない。
私はそう思うことに決めているのです。
[SE;KICHI]
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