鈴木さんと西田さん
えぇ、賛否両論はあるかもしれませんが、『鈴木』といえば「大拙」ですね。
あのスティーブ・ジョブズが、禅の思想に影響を受けていたことは有名な話ですが、
この、インドから中国を経て日本に伝えられた「禅(ZEN)」を、
分かりやすく海外に伝え広めたのが、鈴木大拙(1870-1966)です。
“近代日本最大の仏教者”との呼び声も高く、
私にとっては『鈴木』といえば、迷いなく「大拙」ですね。
あのユングやハイデガーなどとも親交があったという、恐るべき人物ですが、
そんな彼は石川県金沢市出身だそうで、
そういうスケールの大きな方が北陸出身であることを誇らしくも思います。
さて、その故地である金沢に、鈴木大拙館という文化施設があります。
金沢といえば兼六園とか茶屋街とか、見るべき場所は他にもあるので、
この鈴木大拙館がメディアで大きく取り上げられることは少ないものの、
実は「日本で人気の美術館・博物館ランキング」で第8位を受賞したほど、
隠れた人気スポットになっています。
館内へは、胎内くぐりのような薄暗くて細長い回廊を抜けて入ります。
この鈴木大拙館では、先入観に囚われず自由に感じよという大拙の思想に基づき、
展示品に解説どころかタイトルすら表示されていないので、
館内を一瞥して、普通の美術館とは違うということが随所に感じられます。
奥まで進むと、「水鏡の庭」という、
浅く水をたたえた大きな水盤のような池があります。
凪いだ水面には、空や樹木や建物が映し出されているのですが、
時折、一陣の風が吹いてくれば水面は細かく波立って音を立て、
周囲の木の葉がそよぐ音と合わさって、ほんの少しざわめきます。
目に見えているのは、ほぼ静止しているような光景なのに、
実は一つとして留まるものがない、不思議な光景。
この庭について、行ったことのあるという私の上司は、
「何時間でもボーっとできるね」と言っていましたが、
ずっと眺めていても、何かのアトラクションが始まったりはしません。
ただ、時間が経っていくだけです。
何も起きないこの庭園を眺めていると、
視覚だけでなく、耳で聞き、皮膚で風を感じ、
時間が曲がり、自分の存在が溶けていくような錯覚すら覚えます。
観念的で伝わらないかもしれませんが、
やがては大拙がいうところの「全宇宙が感じた」という感覚も、
ほんの少しかもしれませんが、分かる気がしてきます。
一方、『西田』といえば「ひかる」を僅差で抑え、「幾多郎」でしょう。
哲学の世界では、主観と客観は別ものとして捉えられるのが普通ですが、
感覚によって得た認識は主観(感覚的)と客観(理性的)に分離はできないと、
これまでになかった主張をしたのが、西田幾多郎(1870-1945)です。
彼の哲学は「西田哲学」と呼ばれますが、日本人の名を冠した哲学など他になく、
私にとって『西田』といえば、多少は迷いつつも「幾多郎」です。
この思想の根本には朱子学における“知行合一”の考え方があります。
“知行合一”とは、「思うことと行いとは同じことである」という概念で、
たとえば、
「悪いことを考えても、実際にしなければ悪にはならない」という考えに対し、
「悪いことを考えた時点でその人は悪を行ったのだ」とする考え方です。
やや厳しい感じもしますが、要は、「こうあるべきだ」という、
実践されていない主張だけでは意味がなく、ないのと同じであり、
思考は、実際に実践してみてこそ意味がある、というようなことです。
この人も石川県出身で、金沢から20分ほどの宇ノ気というところに、
石川県西田幾多郎記念哲学館という文化施設があります。
打ちっ放しコンクリートにガラス張りの哲学館は、
長閑な丘陵地には異質に思えますが、それもそのはず、安藤忠雄の設計でした。
安藤忠雄といえば茨木の光の教会とか、愛媛の坂の上の雲ミュージアムが有名な、
コンクリートや迷路のような内部が特徴だと思っているのですが、
この哲学館も然りで、迷路のような順路を辿っていきます。
先ほどの鈴木大拙館と違って、こちらの哲学館では、
iPadなどで展示物などの説明が見ることができ、
見学者を、哲学というか、まずは「考えること」に誘います。
順路は2階から地下へ降り、「空の庭」につながります。
この庭は、コンクリートの壁に囲まれた天井のない空間で、
前後左右を見てもコンクリート壁で、上を見ると四角く切り取られた空という、
安部譲二を彷彿とさせる、端的に言えばシュールな空間です。
ただ、実際に行って空を見上げてみればわかりますが、
この閉塞した空間では、倒錯というか、多少の精神的な圧迫を感じるもので、
自動的に思索にふけらざるを得ないという、不思議な感覚になります。
鈴木大拙館の水鏡の庭もそうですが、人は何の刺激もない空間に置かれると、
何がしかのことを考え始めるものだということでしょう。
隣の研修棟の地下にはホワイエがあります。
ここのホワイエも、「空の庭」と同じで周囲はコンクリート壁ですが、
上に凸の擂鉢状の吹き抜けになっており、
天窓から丸く切り取られた空を見ることができます。
透明なイスが用意されていて、ここでも自分と対話できる形になっています。
鈴木大拙館と西田幾多郎記念哲学館、
どちらも、そこに身を置くと時間を忘れて呆けてしまいます。
が、やおらゴールデンウィークに差し掛かり、
特に今年は曜日の配置で休みが長いので、時間ばっかり余る時期です。
テーマパークへ行くのも良いですが、
ときには喧騒を避け、自分と対話するのも実りある時間になるでしょう。
あんまり混んじゃうと私が迷惑なので、ちょっとだけ、
ちょっとだけ、オススメしておきます。

左 鈴木大拙館「水鏡の庭」http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/parking/park_sp_suzukitaisetu.html
右 西田幾多郎記念哲学館「ホワイエ」http://malnote.jp/archives/1306
[SE;KICHI]
あのスティーブ・ジョブズが、禅の思想に影響を受けていたことは有名な話ですが、
この、インドから中国を経て日本に伝えられた「禅(ZEN)」を、
分かりやすく海外に伝え広めたのが、鈴木大拙(1870-1966)です。
“近代日本最大の仏教者”との呼び声も高く、
私にとっては『鈴木』といえば、迷いなく「大拙」ですね。
あのユングやハイデガーなどとも親交があったという、恐るべき人物ですが、
そんな彼は石川県金沢市出身だそうで、
そういうスケールの大きな方が北陸出身であることを誇らしくも思います。
さて、その故地である金沢に、鈴木大拙館という文化施設があります。
金沢といえば兼六園とか茶屋街とか、見るべき場所は他にもあるので、
この鈴木大拙館がメディアで大きく取り上げられることは少ないものの、
実は「日本で人気の美術館・博物館ランキング」で第8位を受賞したほど、
隠れた人気スポットになっています。
館内へは、胎内くぐりのような薄暗くて細長い回廊を抜けて入ります。
この鈴木大拙館では、先入観に囚われず自由に感じよという大拙の思想に基づき、
展示品に解説どころかタイトルすら表示されていないので、
館内を一瞥して、普通の美術館とは違うということが随所に感じられます。
奥まで進むと、「水鏡の庭」という、
浅く水をたたえた大きな水盤のような池があります。
凪いだ水面には、空や樹木や建物が映し出されているのですが、
時折、一陣の風が吹いてくれば水面は細かく波立って音を立て、
周囲の木の葉がそよぐ音と合わさって、ほんの少しざわめきます。
目に見えているのは、ほぼ静止しているような光景なのに、
実は一つとして留まるものがない、不思議な光景。
この庭について、行ったことのあるという私の上司は、
「何時間でもボーっとできるね」と言っていましたが、
ずっと眺めていても、何かのアトラクションが始まったりはしません。
ただ、時間が経っていくだけです。
何も起きないこの庭園を眺めていると、
視覚だけでなく、耳で聞き、皮膚で風を感じ、
時間が曲がり、自分の存在が溶けていくような錯覚すら覚えます。
観念的で伝わらないかもしれませんが、
やがては大拙がいうところの「全宇宙が感じた」という感覚も、
ほんの少しかもしれませんが、分かる気がしてきます。
一方、『西田』といえば「ひかる」を僅差で抑え、「幾多郎」でしょう。
哲学の世界では、主観と客観は別ものとして捉えられるのが普通ですが、
感覚によって得た認識は主観(感覚的)と客観(理性的)に分離はできないと、
これまでになかった主張をしたのが、西田幾多郎(1870-1945)です。
彼の哲学は「西田哲学」と呼ばれますが、日本人の名を冠した哲学など他になく、
私にとって『西田』といえば、多少は迷いつつも「幾多郎」です。
この思想の根本には朱子学における“知行合一”の考え方があります。
“知行合一”とは、「思うことと行いとは同じことである」という概念で、
たとえば、
「悪いことを考えても、実際にしなければ悪にはならない」という考えに対し、
「悪いことを考えた時点でその人は悪を行ったのだ」とする考え方です。
やや厳しい感じもしますが、要は、「こうあるべきだ」という、
実践されていない主張だけでは意味がなく、ないのと同じであり、
思考は、実際に実践してみてこそ意味がある、というようなことです。
この人も石川県出身で、金沢から20分ほどの宇ノ気というところに、
石川県西田幾多郎記念哲学館という文化施設があります。
打ちっ放しコンクリートにガラス張りの哲学館は、
長閑な丘陵地には異質に思えますが、それもそのはず、安藤忠雄の設計でした。
安藤忠雄といえば茨木の光の教会とか、愛媛の坂の上の雲ミュージアムが有名な、
コンクリートや迷路のような内部が特徴だと思っているのですが、
この哲学館も然りで、迷路のような順路を辿っていきます。
先ほどの鈴木大拙館と違って、こちらの哲学館では、
iPadなどで展示物などの説明が見ることができ、
見学者を、哲学というか、まずは「考えること」に誘います。
順路は2階から地下へ降り、「空の庭」につながります。
この庭は、コンクリートの壁に囲まれた天井のない空間で、
前後左右を見てもコンクリート壁で、上を見ると四角く切り取られた空という、
安部譲二を彷彿とさせる、端的に言えばシュールな空間です。
ただ、実際に行って空を見上げてみればわかりますが、
この閉塞した空間では、倒錯というか、多少の精神的な圧迫を感じるもので、
自動的に思索にふけらざるを得ないという、不思議な感覚になります。
鈴木大拙館の水鏡の庭もそうですが、人は何の刺激もない空間に置かれると、
何がしかのことを考え始めるものだということでしょう。
隣の研修棟の地下にはホワイエがあります。
ここのホワイエも、「空の庭」と同じで周囲はコンクリート壁ですが、
上に凸の擂鉢状の吹き抜けになっており、
天窓から丸く切り取られた空を見ることができます。
透明なイスが用意されていて、ここでも自分と対話できる形になっています。
鈴木大拙館と西田幾多郎記念哲学館、
どちらも、そこに身を置くと時間を忘れて呆けてしまいます。
が、やおらゴールデンウィークに差し掛かり、
特に今年は曜日の配置で休みが長いので、時間ばっかり余る時期です。
テーマパークへ行くのも良いですが、
ときには喧騒を避け、自分と対話するのも実りある時間になるでしょう。
あんまり混んじゃうと私が迷惑なので、ちょっとだけ、
ちょっとだけ、オススメしておきます。


左 鈴木大拙館「水鏡の庭」http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/parking/park_sp_suzukitaisetu.html
右 西田幾多郎記念哲学館「ホワイエ」http://malnote.jp/archives/1306
[SE;KICHI]
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