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鈴木さんと西田さん

えぇ、賛否両論はあるかもしれませんが、『鈴木』といえば「大拙」ですね。

あのスティーブ・ジョブズが、禅の思想に影響を受けていたことは有名な話ですが、
この、インドから中国を経て日本に伝えられた「禅(ZEN)」を、
分かりやすく海外に伝え広めたのが、鈴木大拙(1870-1966)です。
“近代日本最大の仏教者”との呼び声も高く、
私にとっては『鈴木』といえば、迷いなく「大拙」ですね。

あのユングやハイデガーなどとも親交があったという、恐るべき人物ですが、
そんな彼は石川県金沢市出身だそうで、
そういうスケールの大きな方が北陸出身であることを誇らしくも思います。

さて、その故地である金沢に、鈴木大拙館という文化施設があります。
金沢といえば兼六園とか茶屋街とか、見るべき場所は他にもあるので、
この鈴木大拙館がメディアで大きく取り上げられることは少ないものの、
実は「日本で人気の美術館・博物館ランキング」で第8位を受賞したほど、
隠れた人気スポットになっています。

館内へは、胎内くぐりのような薄暗くて細長い回廊を抜けて入ります。
この鈴木大拙館では、先入観に囚われず自由に感じよという大拙の思想に基づき、
展示品に解説どころかタイトルすら表示されていないので、
館内を一瞥して、普通の美術館とは違うということが随所に感じられます。

奥まで進むと、「水鏡の庭」という、
浅く水をたたえた大きな水盤のような池があります。
凪いだ水面には、空や樹木や建物が映し出されているのですが、
時折、一陣の風が吹いてくれば水面は細かく波立って音を立て、
周囲の木の葉がそよぐ音と合わさって、ほんの少しざわめきます。
目に見えているのは、ほぼ静止しているような光景なのに、
実は一つとして留まるものがない、不思議な光景。

この庭について、行ったことのあるという私の上司は、
「何時間でもボーっとできるね」と言っていましたが、
ずっと眺めていても、何かのアトラクションが始まったりはしません。
ただ、時間が経っていくだけです。
何も起きないこの庭園を眺めていると、
視覚だけでなく、耳で聞き、皮膚で風を感じ、
時間が曲がり、自分の存在が溶けていくような錯覚すら覚えます。
観念的で伝わらないかもしれませんが、
やがては大拙がいうところの「全宇宙が感じた」という感覚も、
ほんの少しかもしれませんが、分かる気がしてきます。

一方、『西田』といえば「ひかる」を僅差で抑え、「幾多郎」でしょう。

哲学の世界では、主観と客観は別ものとして捉えられるのが普通ですが、
感覚によって得た認識は主観(感覚的)と客観(理性的)に分離はできないと、
これまでになかった主張をしたのが、西田幾多郎(1870-1945)です。
彼の哲学は「西田哲学」と呼ばれますが、日本人の名を冠した哲学など他になく、
私にとって『西田』といえば、多少は迷いつつも「幾多郎」です。

この思想の根本には朱子学における“知行合一”の考え方があります。
“知行合一”とは、「思うことと行いとは同じことである」という概念で、
たとえば、
「悪いことを考えても、実際にしなければ悪にはならない」という考えに対し、
「悪いことを考えた時点でその人は悪を行ったのだ」とする考え方です。
やや厳しい感じもしますが、要は、「こうあるべきだ」という、
実践されていない主張だけでは意味がなく、ないのと同じであり、
思考は、実際に実践してみてこそ意味がある、というようなことです。

この人も石川県出身で、金沢から20分ほどの宇ノ気というところに、
石川県西田幾多郎記念哲学館という文化施設があります。
打ちっ放しコンクリートにガラス張りの哲学館は、
長閑な丘陵地には異質に思えますが、それもそのはず、安藤忠雄の設計でした。
安藤忠雄といえば茨木の光の教会とか、愛媛の坂の上の雲ミュージアムが有名な、
コンクリートや迷路のような内部が特徴だと思っているのですが、
この哲学館も然りで、迷路のような順路を辿っていきます。

先ほどの鈴木大拙館と違って、こちらの哲学館では、
iPadなどで展示物などの説明が見ることができ、
見学者を、哲学というか、まずは「考えること」に誘います。

順路は2階から地下へ降り、「空の庭」につながります。
この庭は、コンクリートの壁に囲まれた天井のない空間で、
前後左右を見てもコンクリート壁で、上を見ると四角く切り取られた空という、
安部譲二を彷彿とさせる、端的に言えばシュールな空間です。
ただ、実際に行って空を見上げてみればわかりますが、
この閉塞した空間では、倒錯というか、多少の精神的な圧迫を感じるもので、
自動的に思索にふけらざるを得ないという、不思議な感覚になります。
鈴木大拙館の水鏡の庭もそうですが、人は何の刺激もない空間に置かれると、
何がしかのことを考え始めるものだということでしょう。

隣の研修棟の地下にはホワイエがあります。
ここのホワイエも、「空の庭」と同じで周囲はコンクリート壁ですが、
上に凸の擂鉢状の吹き抜けになっており、
天窓から丸く切り取られた空を見ることができます。
透明なイスが用意されていて、ここでも自分と対話できる形になっています。

鈴木大拙館と西田幾多郎記念哲学館、
どちらも、そこに身を置くと時間を忘れて呆けてしまいます。
が、やおらゴールデンウィークに差し掛かり、
特に今年は曜日の配置で休みが長いので、時間ばっかり余る時期です。
テーマパークへ行くのも良いですが、
ときには喧騒を避け、自分と対話するのも実りある時間になるでしょう。
あんまり混んじゃうと私が迷惑なので、ちょっとだけ、
ちょっとだけ、オススメしておきます。

鈴木大拙館 西田幾多郎記念哲学館
左 鈴木大拙館「水鏡の庭」http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/parking/park_sp_suzukitaisetu.html
右 西田幾多郎記念哲学館「ホワイエ」http://malnote.jp/archives/1306

[SE;KICHI]
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弱き善人の強すぎる言葉

定期的に、母親の交際相手の男性に暴行・虐待され、
乳幼児が殺されるという事件が起こります。

加害男性はだいたい、
「言うことを聞かないので叩いた」とか、そういうことを言うものです。
私も昭和に育った者ですので、しつけとして叩くことも少しは理解しますが、
死ぬまで叩き続けるなんて、さすがに昭和の時代でもありません。

私は、スタンスとして子供は尊いと思っている者です。

前提として、私は、
人間は、それぞれ社会に貢献すべきだ
という哲学を持っているのですが、
その哲学に照らせば、
現在の子供たちは、たくさん勉強やら運動やらに取り組んで、
これから、いかようにも貢献できる存在へと成長している段階であり、
陳腐な言い方ですが「可能性は無限大!」なわけで、うらやましく思えます。
また、社会制度の観点からしても、少子化の進む昨今、
子供とは、社会の宝であり、国家を担う救世主であるとさえ思っています。

その、これから、いくらでも立派になれる、
そういう無限の可能性を秘めている子供を何度も打擲し、
あろうことか、感情に任せて命を奪ってしまうなど、
個人的には「許せないっ!」とは思います。

しかし、私は裁判官ではないので、そこまでです。
「許せないっ!」と書いては見ましたが、
許すも何も、私が主体的に関わる事案ではありませんから、
加害者を裁ける立場にはありません。

私が言いたいのは、たとえば、そういう痛ましい事件を耳にした時、
「許せないっ!」というか、「けしからん!」というような気持ちになったとしても、
せいぜい「きっと犯人は、ロクな死に方しないねっ」と悪態ついてみるくらいが、
たぶん門外漢として許されている範疇であり、
適切な距離感ではないかと思うのです。
「そんなヤツ、死刑にしてしまえ」とか、
実際の判決に関わることに言及するのは、
ちょっと、門外漢としての範疇を超えているように思うのです。
百歩譲って、「死刑にしてしまえ」と思うのは勝手だとしても、
そういうことを口に出さないのが日本人の美徳だったのではないでしょうか。

ところが現実はどうでしょうか。
Yahoo!ニュースの下のほうにはコメント欄があり、
耳目を集めるニュースには盛んにコメントが寄せられます。
前述の乳幼児殺しの事件の場合では、
「死刑にしろ」とか「アタマおかしいんじゃないのか」とか、
それはそれは攻撃的な言葉が躍っています。

私は、攻撃が強すぎませんかと思うのです。

いや、しつこいですが、私は、スタンスとして子供は尊いと思っている者です。
なので、「死刑にしろ」とか「アタマおかしいんじゃないのか」とか、
犯人に憤る気持ちが湧き上がってこないわけでもないのです。
しかし、加害者はこれから法にのっとって粛々と裁かれるのでしょうから、
そもそも法定刑が軽すぎる云々の意見はあるにせよ、
私なんぞの外野が何か言うことではなかろうと思うのです。

このところ、この手の乳幼児殺しを含め、
他人の不倫や不正に対して、リンチのような攻撃が加えられます。
確かに、殺人は言うに及ばず、不倫や不正は悪いことではあるのですが、
実質的に被害が及ばないような相手からも非難されるほどなのでしょうか。

なぜこんなに外野の攻撃が強いのかといえば、
やはり匿名によって守られているからこその強気
というのがあると思うのです。
Yahoo!ニュースの下のコメント欄は匿名になっており、
コメントを投稿する側にしてみれば、
どんなに強気の持論を展開しても、自分自身は守られます。

自分は安全なところに身を隠したうえで、
非のある相手に対して徹底的に攻撃を加えるって、
卑怯だなと思います。
もちろん、悪気はないのだと思いますし、悪人でもないのでしょう。
正体は、匿名を盾に強気になっている、単なる弱々しい善人だと思うのです。
大上段から天誅でも加えるつもりで攻撃しているのかもしれませんが、
オマエは何者なのか、オマエの正義は何なのか、
オマエはどの立場でコメントしているのか、
名乗りもなく斬りかかるのは、やはり正しいとは、私には思えないのです。

私は、会社の紐づけになっているこのブログを含め、
講演などでわりと強めに発信しているほうですが、
素性を隠したうえで攻撃的に発信することはありません。

弱っている人に、遠くから石を投げるようなことは、
厳に慎むべきと、私は心得ております
が、
みなさん、どうお考えでしょうか。

[SE;KICHI]

碓氷線について

私は幼いころより鉄道が好きで、プラレールというおもちゃで遊び、
線路の近くに行ってはその走行を眺め、図書館で本を借りてきて読み込むなど、
どっぷりハマっていました。

碓氷線を知ったきっかけは、
ディアゴスティーニ社から毎週連載され、
集めたら図鑑になる雑誌で鉄道が取り上げられ、早速読み始めたのですが、
その目次の中に鉄道探訪という廃線についての項目があり、
その第1回目が碓氷線についてでした。

現在は廃線になっていますが、
1997年に北陸新幹線(長野行新幹線)ができる前、
鉄道で東京に行くには、信越本線という路線があり、
その中でも軽井沢駅~横川駅の間は特に有名な急所とされ、
碓氷線と呼ばれていました。
碓氷線が通る碓氷峠は、長野県と群馬県の境にあり、
旧道中山道の時代から、天下に名高い難所としていわれ、
たびたび交通の要衝としての役割を果たしてきたのです。
直線距離では10Kmしかないのに、
1Km進むごとに66.7m上る急勾配(66.7パーミル)で、
落差は500m以上。
軽井沢から横川までいっきに下る片勾配で、まさに難所中の難所です。

それでも鉄道が全国に敷かれ始めた明治の時代に、
早くからその峠を越える技術が開発され、
アプト式鉄道というものが採用されました。
これは通常のレールの間に車両側のギアをかませるためのラックレールを敷き、
急な勾配で滑落暴走や登れなくなるのを防止するためです。
確実に走行できるのは良かったのですが、
輸送量が限定されることや時間があまりにもかかりすぎるため、
方式の改善と複線化が施されました。
結果、粘着(協調)運転といわれる、
補助機関車を用いて上り下りする方式になりました。

アプト式 http://shizuoka.mytabi.net/shizuoka/archives/abt-system-railway.php

これは麓に当たる横川駅側に、
重連(2両)の電気機関車を客車なり電車なりに連結させて、
上りの際には押し上げ、
下りの際には速度超過になるのを防ぐブレーキ役として用いる方式です。
列車が単独で上り下りするにはこの急勾配に対応できないので、
強力なパワーを持った専用の電気機関車「EF63」(ロクサン)が開発されました。

http://www2.biglobe.ne.jp/~enry/gallery/usui/usui.htm

重量が国産の電気機関車の中で最も重い108tもあり、
他の路線では走れないと言われるほど、
ハイテク制動装置類を贅沢に使った機関車であったため、
25両までしか生産されていません。

なお、話は前後しますが、
押し上げまたは引っ張られる電車はこのロクサンに走行を全て丸投げするのではなく、
あくまで自走できる限界の力を使ったうえで、
補助を受けるという意味での協調運転です。
それだけ難所だったということなんですね。

このロクサン、峠のシェルパの愛称でも親しまれ、
碓氷線を走る全ての列車がお世話になりました。
上る際の最高速度は60k/m、下る際の最高速度は35k/mと厳しい制限。

ブレーキ時には発電ブレーキを使うため、
そこで発生した熱をブロアーを通して大気に解放するのですが、
その際の独特なブロアー音が「ブォォォォン」と鳴り響くので、
その音に魅了されたファンも多いと思います。

また、列車側も協調運転用に改良されました。
長野駅~上野駅間を走行する特急「あさま」号用に使用された189系、
金沢駅~上野駅間を走行した特急「白山」号に使用された485系の、
発展型489系などがあります。

189系あさまと489系白山
http://www.geocities.jp/akanouda/183/189kei.htm
http://www.kanorail.com/485/489kei.htm


前説が長くなりましたが、このように個性的で独特な碓氷線と、
そこを走った鉄道車両たちの虜になった私は、
小学生の頃、廃線後の横川駅の構内跡地にできた、
鉄道娯楽施設碓氷峠鉄道文化むらという、
鉄道博物館のような所に連れていってもらいました。

そこには碓氷線で活躍したEF63や189系はもとより、
全国の他の区間で活躍した往年の名車両たちなど、
実際に使用されていたものがずらりと並び、
乗車体験や運転シュミレーター、トロッコや、
資料館等鉄道ファンにとっては感涙の要素に満ち溢れていました。

そこにある何から何まで全てに感動し、興奮しっぱなしの私は、
閉館ぎりぎりまで一日中歩きまわり、
手持ちのカメラで100枚近く写真を撮っていた覚えがあります。

「碓氷峠鉄道文化むら」やその界隈は、
鉄道ファンはもちろんのこと、そうじゃない人も、
トロッコ乗車ができたり、旧線路跡が遊歩道として整備されているので、
野鳥や植物を眺めながらトレッキングができるから、
別の角度からも楽しめるのではないかと思います。
鉄道に興味がある方はもちろんのこと、
電車が好きな家族連れの方、自然が好きな方など、
皆さんもぜひ一度ここの自然と雰囲気に触れてみられることをお勧めします。
とてもいいとこですよ!

またここ横川発祥の有名な「おぎのや 峠の釜めし」も食べられます。
本場横川駅からの景色を見ながらの釜めしは最高に美味しいですね!

さらに旧国道18号を軽井沢の方へ自動車で上って行くと、
レンガ状の橋としては日本最大級となる碓氷第三橋梁(めがね橋)があります。
これはかつてアプト式鉄道時代に使用されていた重要文化財の橋で、
現在は先述の遊歩道になっています。
実際足を止めて、上って行かれる方が多いです。

春夏秋冬様々な景色を見せてくれるし、
碓氷線の歴史を語るには外せない重要なスポットでもありますので、
こちらに行かれるのもぜひともお勧めです。

峠の釜めしと碓氷第三橋梁
http://yukemuri-manpuku.at.webry.info/201205/article_23.html
http://ni-lupan50.at.webry.info/201009/article_1.html


結局何が言いたかったのかと言いますと、私は鉄道が好きで、
特にこの碓氷線に関わる車両や環境などはもっと好きだということです。

好きすぎて、
何でもっと早く生まれなかったんだろうと思ったこともありました。
記憶にある間に一度でいいから乗ってみたかったし、
走っている勇姿を見たかった・・・

廃線20周年の来年に復活させるという噂もありましたが、あり得ないでしょう。
もうそんなこと叶うわけないのですが、
せめてかつての繁栄に思いを馳せることはできると思います。
なので今年もまた秋頃には碓氷峠界隈に行きたいなと思っています。
もう自分の足で行けるので、計画を立てて、思い切り楽しんできます。

また、皆さんにもぜひお勧めです!
富山から高速で4時間半ほどでしょうか。
機会があればぜひ!!
余談ですが、この碓氷峠旧国道18号線は私の好きなカーアクション漫画「頭文字D」の有名な舞台でもありますので、多くの走り屋が集まってくる聖地です。こちらにも楽しみがありますので、ワクワクしています!

[K.K]

イタリア大使館別荘記念公園

日光が好きで、ここ数年、年に一度は訪れます。

と言っても、何度も日光に行っているにもかかわらず、
日光東照宮などのいわゆる“二社一寺”には一度しか行ったことがありません。

私自身が、特に旅先では、
「心を見つめる」という、瞑想的な思索を大切にしているため、
日光に限らず、観光客でザワついている場所には行きたがらないのです。
行くのは、以前『こころの風景』でご紹介した「王子が岳の岩の上」とか、
自分と対話ができそうな場所に限ります。

そういう場所は、実は観光地のすぐ近くにあることが多いような気がします。
たとえば、京都の大原。
デューク・エイセスが「〽京都 大原 三千院」なんて歌っていたので、
大原といえば三千院という感じもしますし、
実際、観光客は三千院に殺到しています。
しかし、私のお気に入りは、
三千院から、人込みを避け、後鳥羽天皇陵を挟んでさらに奥の、勝林院。
みんな、手前の三千院だけ拝観して帰っていくので、誰も来ません。
誰も来ない、嘘のように静かな勝林院の濡れ縁からは、
賑わっている三千院前の参道が見えますが、音までは聞こえません。
無音のなか、視界には雑踏という、ある種の倒錯した感覚が味わえるのです。
そういう無声映画的な光景をぼんやり眺めていると、
自分の来し方行く末にゆっくり思いをはせることができ、私は好きです。
「恋に破れた女」の方には、本当は三千院よりもこっちのほうがよろしいかと。

日光もしかりです。
日光東照宮は、
もはや心静かに思索にふけりながら散策できる場所ではないのですが、
やはり、そのすぐ近くには、静かにゆったりと思慧できるスポットはあります。

ひとつは、大正天皇の静養地であった『田母沢御用邸』です。
なにしろ御用邸、終戦まで皇室の別荘になっていた施設なので、
その豪華さは尋常ではありません。
ただ、それは“豪華絢爛”という感じではなく、
空間の使い方とか、使用している木材などのグレードなど、
そういう部分で「贅沢な」感じがします。
私を含め、古建築が好きな人にはオススメの場所なのですが、
それ以上に、私は、コケの美しい庭に魅了されます。

もうひとつは、というか、田母沢御用邸を抑えての私のイチオシは、
『イタリア大使館別荘記念公園』です。
場所は中禅寺湖畔で、いわゆる奥日光、
湖の名前の由来となった中禅寺というお寺のもっと奥にあります。
中禅寺湖畔は明治以降、外国大使館の別荘が立ち並んで、
欧米各国の外交官たちの避暑地として賑わいました。
駐車場から少し歩く、奥まった場所にあるこの公園は、
かつてイタリア大使が利用していた別荘を栃木県が買い取って、
修理と復元を行ったうえで一般公開されたものです。

イタリア大使館別荘

そもそも別荘ですからリビングやベッドルームもあって、
現代の眼で見たら、そう豪勢でもない感じもしますが、
湖畔に立っているというロケーションや、
檜皮葺の壁や天井などの凝った意匠が目を引いて、
豪勢でもないのにそこはかとなく贅沢という、
不思議な感じがします。

避暑中とはいえ、多少は大使としての業務もあるのでしょう、
別荘にもちゃんと執務机が置かれており、
窓から凪いだ湖を眺めながら、働いたのでしょうか。
「あぁ、こんな環境で働けたら幸せだろうなぁ」とうらやましく思う私です。
私が行ったときは小雨降る悪天候だったので、写真もイマイチですが。

日光は今年、東照宮が鎮座400年を迎えるメモリアルイヤーなのですが、
そんな記念の年でありながら、あろうことか、
日光のメインディッシュと言っても過言ではない国宝・陽明門が修理中であり、
まさかの拝観停止(2019年まで)という状況なので、
勇んで出かけると肩透かしを食らうはず。

しかし、東照宮だけが日光なわけでもなし、
ここは奥日光まで足を延ばされてはどうでしょうか。
写真を見ての通り、ほとんど観光客はおらず、穏やかに過ごすにはもってこいです。
イタリア大使館別荘記念公園、オススメです。

[SE;KICHI]]

The 毛

私には他人とお風呂に入るとき、必ず見るところがあります。
ズバリ『毛』です。
どの『毛』かはご想像にお任せします・・・が、
お風呂と言ったら、もうそこしかないですよね。

別にいやらしい意味で見るわけではありません。
ただただ、気になるんです。
そして気づかれないようにガン見します。
強く言っておきますが変態ではありません。
ちょっと人と興味がずれているだけのことです。

そもそもこの話題を書くきっかけとなったのが、上司にムダ毛はどうしているのかと聞かれたことでした。
私の中では他人からそんなことを問われるなんて夢にも思っていなかったことなので、かなりの動揺っぷりでした。
そんなあたふたぶりが面白かったらしく、なぜそこまで反応するのか、ブログに書くように指令が下りたのです。


私は、髪ではない“毛”に関して、異常なまでに羞恥心があります。
<無駄な毛>と<人から見えないところにある毛>は、
『秘められた毛』と認識しているので、見せるのも話題にするのも恥ずかしいんです。
私の中では秘密にしておかなければいけない部分となっており、
お風呂でガン見するソレも、
こんな遠回しに言わなくても漢字二文字で示せるのに、
私はブログ上でその二文字を明記することにも頑なに拒絶反応を示し、
こんな回りくどい文面となっておりますので、ご了承ください。

それなのにいきなりどう処理しているかなんて聞かれたら、それは戸惑いますよ。

以前、同性の知り合いからムダ毛の話題を提供され、
彼女が平然とその話をすることにかなりのカルチャーショックを受けました。
CMや番組内でも、平気で処理の仕方の紹介などしていますよね。
私にはちょっと理解できません。
そんな恥ずかしいこと公共の電波に乗せて・・・という感覚です。

そんな秘められた毛の話題に触れることができない私は、
処理の仕方も分かりません。

みんなの毛ってどんなの? どう処理してるの?
でもそんな恥ずかしいこと訊けないし・・・。


からの~

あ、そうだ! 観察しよう!!
 

そこから私の観察は始まりました。
でもさすがにムダ毛なんてそうそう観察できるものではないですよね。
「ねえ、わきの下見せてくれる?」なんて口が裂けても言えません。
そうなると、見せてと言わなくても見せてもらえる秘められた毛を求めます
・・・となると限られますね。

観察の結果・・・

残念なことにいくら観察しても満足できていません。
ご存知の方も多いとは思いますが、それぞれに多少の差はあっても、
そう大して変わり映えのするものではありません。
結局のところ、どう処理しているのか、どんな状態なのか、
私の求めていることではないという事みたいです。

じゃあなぜ見るのか・・・。

ただ見たい、それに尽きるようです。

私と一緒にお風呂に入る方、熱い視線にご注意ください・・・。

[co-K]

くだらないけど、なんで?

つまらないことながら、私にも気になることというのはあります。
しかし、『気になるどうでもいい話』というタイトルで書こうとすると、
弊社の M M さんの特許に抵触して怒られてしまいますので、
別のタイトルにしてみました。(このタイトルなら怒られないのか。)

ひとつ目。
これ、見てください。
私がたまに立ち寄るスポーツジムのシャワールームです。

シャワーブース

シャンプーとかボディーソープが足元に置いてあります。
どうってことない風景に見えますが、よく考えたら、
なんで?
曇っていて見にくいですが、カランの左上にボトルを置いておく定位置があるのに、
どうして足元に置いてあるのでしょうか。
だいたい、足元に置くと、使うときに腰を曲げたり伸ばしたり、しんどいでしょう。
私の前にこのブースに入った人、どう使ったのでしょうか。
それとも、床に座って頭を洗ったりしたとでも言うのでしょうか。

ふたつ目。
これは、風呂つながりということで、私の自宅のバスタブです。
手前の、「入/切」と書かれているのがジェットバスのスイッチです。

お風呂のボタン

奥のは、バスタブの栓です。
今度はバスタブの製造会社(ヤマハさん)に言いたいのですが、
なんで?
ジェットバスのスイッチを押すとジェットバスが作動するわけで、
それはそれは効果が派手で、子供がついつい押したくなる魅惑のボタンです。
しかし、なぜ、その隣に、バスタブの生命線である栓を配置してしまうのでしょうか。
設計の方、子供が遊びながら押しちゃうかもとか、思わなかったんでしょうか。
我が家ではジェットバスで遊んでいるうちに栓を抜いてしまう件が多発中です。

みっつ目。
ここまで風呂つながりで来ておきながら、急に話は変わりますが、
これは、西天満の公園で見かけた遊具です。

謎の遊具

隣のベンチと比較してみれば分かりますが、この遊具の小ささ。
なんで?
というか、何コレ。
近寄ってみると分かるのですが、あの肌色の板のところって、
伸縮したり弾んだりするようになっているわけではなく、単なる硬い板です。
子供を連れて行ったところで、あの板のところに立て掛けるくらいしかできない。
そうなってくると、これはもはや遊具かどうかも怪しいですが、
いったいどういうニーズがあるというのでしょうか、不思議です。

以上、特に意味はありませんが、
私にとって気になる、どうでもいい話がたまってきたのでご報告した次第です。

[AKA]

年齢詐称疑惑。。。。 家族が増えました♡ ③

新しい環境に馴染み始めたこともあって、
我が家の娘たちは手術へ。
注)猫の話です。 c.f.『家族が増えました♡
繁殖力をなくす手術なので、
う~ん。と悩んではいたものの、お医者様の勧めもあり決断。

もともと雌猫は年齢を重ねるにつれ下半身の病気が増える傾向にあるようで。
完全室内飼いなので、不要と言われると不要とも思えるのですがね。
なるべくなら自然の状態で飼いたいと希望はしているものの、
病気にさせてしまうよりは早い段階で予防しておくのも一つの手ですね。

繁殖期になると独特の鳴き声で鳴いてみたり、マーキングしてみたり。
こちらも予防できるので早目で。

定期健診と予防接種の合間に、手術に向けての検査。
人間ドックみたいなものですね。
驚きの検査結果がそこに。

下の子はともかく、推定年齢通りの綺麗な数値が。
肝臓に少し炎症があるものの、食生活の改善で良くなるそうです。
そんなところは私に似ないでも・・・・ね。

上の子も肝臓に炎症があるものの、それ以外は・・・・
下の子と似たような数値が勢揃い。
ううん?

推定年齢13歳
人間で言う70歳近く。

10代の子と似た数値ってどうよ?
確かに、13歳の割には毛艶が良く、
撫で心地は下の子には及ばないものの、かなりの艶々感。
先生も驚きの数値だそうで。

私  「先生。この子はもしかして・・・・」
先生 「この子は推定は13歳ですが、もしかすると。ね」
先生 「世間一般で言われる化け猫になる可能性は十分あります」
先生 「実年齢が8歳くらいだとすると、およそ10年生きたとして。
    推定13+10歳ですので、これは立派な化け猫クラスです。」
私  「先生! 良い事じゃぁないですか。」

寿命迎えるまで我が家で。と引き取って来た子ですので、
長生きしてくれるならそれはそれで結構な事です。
なおさらしっかりと病気の予防はせねば。

が、しかし・・・・
検査の頃から少しおしっこの出が悪いと思っていたら、
予定日前日についにおしっこしなくなり、手術延期の入院へ。。。

膀胱炎気味だったものが完全に膀胱炎へ。
やはり、新しい環境に馴染むまでストレスだったのかい。
少しずつ時間をかけて馴染んでいってもらう他ないですね。
水をたくさん飲んでもらってしっかり治してから手術しましょ。

代わりに下の子が少々早めて手術ですわ。
上の子も下の子も居ない、以前の我が家へ戻るのですが・・・・

居なくなる前から涙出てる妻。

オイオイ。
居なくなる前からそんなんで大丈夫かい。。。。

[Y2K2]

箱の中身はナンだろな ♪

なにかものを頼んだり、仕事を任せようとすると、
自分の能力不足を理由に辞退しようとする人がいます。
曰く「ワタシ、そういうの昔から苦手なんです。」とか、
「ボク、それ、上手くできないんですよ。」というような。

謙譲を美徳とするこの国では、それでもいいのかもしれません。
いちおうは謙虚に見えますので。
でも、私は、その、作られた自己像に違和感を覚えるのです。

「昔から苦手」とか「上手くできない」と言うからには、
過去、おそらくは幼少の頃に、
苦手意識が身に付くような具体的エピソードがあったのでしょう。
実際にやってみてダメだったから、
「あぁ、私は苦手なんだ」「私は上手くできぬのだ」と、
ひとつの結論として自分で確定させたということです。

それは無理からぬことだとは思うのです。

私は、半ばライフワークのような形で、
不登校児の就学支援活動に関わっていますが、
不登校に陥った生徒というのは、だいたい、
過去の、たった一度のつまずきにより、立てなくなっています。

何かが上手くできなくて、友達の前で恥をかいたとか、
頑張ったのに、親や先生が認めてくれなかったとか、
なんでもそつなくこなす兄弟の影で、悔しい思いをしたとか、
幼少期に抱いた心の傷は深いものです。
そのインパクトが強すぎて、大人になっても劣等感となっている。
それは無理からぬことだとは思います。

しかし、その人物に対する評価は、
周囲から理解を得られたかどうかとは、
あまり関係がないと、私は思っています。
平たく言えば、
友人の前で恥をかいたり、親や先生が認めてくれなかったり、
出来の良い兄弟と比べられて苦しかったり、
まぁ、色々あったけど、関係ないよねと、そういうこと。
逆上がりとか、二重跳びとか、国語の読解とか、笛のテストとか、給食のレバーとか、
苦手なことは山ほどあったけど、
立派に毛も生え揃ったいい大人になったいま、
過去の色々なことはもうチャラだよねと、
幼少期の呪縛から自由になることが大切です。

だいたい、自分の能力が低いと思うのは勝手ですが、
それを確定させたのは自分なので客観的じゃないし、
しかも、その確定の理由は“記憶”に過ぎないのです。
記憶なんて不確かなものを根拠に、
現在の自分の能力を限定するなんて、
私はナンセンスだと思うのです。


そしてもう一段、逆を考えてみてください。

その過去の、客観的ではないエピソードに、任意で縛られることにより、
現在の、上手くやれない自分の理由付けに使っていないかということです。

繰り返しますが、人間を苦しめているのは、往々にして過去の記憶です。
人間の記憶が入っている『箱』があるとして、
その箱には、嬉しかった記憶や楽しかった記憶も、
たくさん入っているはずなのですが、
どうも、苦しかった記憶や悔しかった記憶ばかりを取り出して、
それを丹念に眺めている人が多いように思うのです。

そういう人は、過去の失敗や、悔しい思いをしたことを原因として、
現在の自分の不幸や能力不足を証明しようとしている感じがします。

「私は、お姉ちゃんと比べて出来が悪かった。
だから、いま、私が上手く○○できないのも仕方ない。」と、
結局は、私は上手くできなくても仕方ないという、
逃げ口上、言い訳です。

もっと、現在の自分に自信を持ったらどうでしょうか。
現在の自分に自信を持てていないから、
箱からネガティブな記憶ばかり取り出し、
現在の自分がダメである源流を探るようなことをして、
そのダメさを正当化しようとするのです。

そんなことでは能力は伸びません。
まず、私はできると宣言しませんか。
過去、色々あったけど、私はできる。
私はできると思っていれば、
箱からネガティブを取り出す趣味もなくなるはずです。

要は、現在の自分に幸福感を持っていれば、
過去のネガティブな記憶すら修正できるという話です。
過去の色々は、もう本当はチャラになっているはずで、
みんなそんなエピソードは忘れているのに、
それを箱から出して眺めているのは自分の趣味です。
もはやプレイ、性癖です。

新年度、いろいろスタートの時期です。
現在の自分を肯定し、もっと見ていて楽しい記憶を箱から取り出し、
前向きな人生を送りたいものです。

[SE;KICHI]

怒らない一日

1月下旬に中学バレーボール部の外部コーチとして、
北信越大会予選会に参加してきました。
毎年のことではあるのですが、
何とか上位大会に出場させてあげたいと思ってはいるのですが、
そこは子ども相手のことですし、
自分が頑張れば行けるものではないのでなかなか難しいです。

昨年は、自分の息子も所属していたこともあり、
私が気張っていたところも、振り返るとあったように思います。
そんなことを思い出して余計な負荷をかけないでいこうと、
怒らない1日にしようと決めて臨みました。

初日はグループリーグでの予選会を行い、
上位2チームが決勝トーナメントに行ける流れです。
1位通過すると翌日のトーナメントの組み合わせが、
少し有利になりますから、それが目標です。

6チーム総当り1セットマッチをするのですが、
全然サーブが入らない(汗) 3セット目までの合計で30本以上のミスです。
怒らない怒らない。
昨年は息子が同じようにミスを繰り返し怒ってしまい、萎縮していたのを思い出し、
原因を話すように務め、合間に練習をさせリラックス。

当の本人がなぜミスをするのかわかっていないのに、
怒ってもしょうがないことに気付かされ、
昨年のメンバーへの申し訳ない思いと、
成長させてくれる子どもたちに感謝です。
どうにか調整ができたのか、何とか予選を1位通過しました。
昨年は2位通過でしたし、
今年のほうが可能性は低いくらいかと思っていましたから、ちょっと意外でした。
これは怒らない1日の効果か(笑)

自分が頑張ったから勝てるということではない。
これが今年最初に気付かされたことですし、
なぜもっと早く気付かなかったのだろう。
ある程度経験を積んだ成人であれば気持ちのコントロールもできるでしょうが、
小学校からバレーボールを始めている子どももいない地区ですから、
試合の緊張感も知りませんし、
横で怒鳴っている大人がいればテンパるのは当たり前ですもんね。
同じように勝たせてやりたいと思っていても、
自分の感情をぶつけてもだめなんですね。

ある中学校の監督さんで毎回怒鳴っている方がいます。
ポイントを取っても取られても声を出すので、
子どもは毎回ベンチを見ます。
それを見ていたわが校の子がロボットみたいとボソリ。
子どもは見ていますね。
人の振り見て我が振り直せ、思い出しました。
私も成長させてもらってます。

[WAKA]
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