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年末です。

11月頃からもっぱら来年の話題が多くなり、
自分自身でも来年はこうしよう、ああしようと考えていますと、
気が早いもので、もう今年が終わったような気分になりますが、
油断せずに最後まで気を引き締めて行こうと思います。

先日「黄金のアデーレ 名画の帰還」という映画を見ました。
戦時中にナチスに奪われ、戦後オーストリア政府所蔵となった、
叔母がモデルとして描かれた叔父の絵画を取り戻すため、
一人の82歳の女性と新米弁護士がオーストリア政府を相手に訴訟を起こすという、
実話に基づいたお話です。
ナチスによるユダヤ人の迫害が背景になっています。

同じくユダヤ人迫害が題材になっている映画というと、
「シンドラーのリスト」
「ライフ・イズ・ビューティフル」
「戦場のピアニスト」
とアカデミー賞を受賞している名作ばかりですが、
どの作品も見終わった後は強烈なやるせなさが残ります。

特に「ライフ・イズ・ビューティフル」は、
小さなお子様がいらっしゃる方が見たら大変なことになると思います。


https://www.youtube.com/watch?v=w5RyZ9qAEKs

私はまだ子供が生まれる前に見ましたが、
子供がいる今、もう一度見る勇気はありません。
見れば涙が枯れることでしょう。
思いきり泣きたい方にはお勧めの作品です。

今回見た作品は、
泣けるというよりも人としての誇りを取り戻すという内容ですから、
お子様がいらっしゃる方でも大丈夫です。

さて、今年もいろんな方々にお世話になりました。
ご支援下さったすべての方々に心から感謝申し上げます。
来年は、皆様にとってさらに明るく希望に満ちた年になることを強く願っております。

来年もどうかよろしくお願い申し上げます。

[M M]
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命を何に使うか

わざわざクリスマスイブに言うようなことかどうかは分かりませんが、
今年は戦後70年ということで、
首相談話だけでなく、記念ドラマなど、かまびすしく報道されていました。
私も、「風化させてはならぬ」と感情に訴えることはどうなのかと、
お盆の頃に、やや攻めた記事を書きました。(『風化させないこと』)

あの記事で、私が言いたかったのは、
いつまでも悲惨な戦争の話ばっかりしてるんじゃないよということでは、
もちろんなかったのですが、ちょっと誤解されたか、
多少の反駁を受けた部分もありました。

私が言いたかったのは、
悲惨さに目を向けた戦争の話は問題があるのではないか
ということです。
もちろん、戦争が悲惨であることは否定しませんが、
主眼をそこに置き、当事者の嘆息というか、悲壮な諦念とか、無念さとか、
そういった感情的なところばかり見せ、憐れみを乞うような演出は、
結果、同情以外の何も生まないのではないか、ということです。

しばしば、戦後教育によって植え付けられた自虐史観をなぞり、
戦時中の日本人、とりわけ軍の幹部について、気が触れていたというか、
正常な判断力を失っていたかのように語られることがあります。
それに振り回され、強制的に出征させられた市井の青年たちは、
反論することも許されず、ただ命令に従い、黙々と死んでいったわけで、
それはそれは不幸であった、かわいそうだと、そういう論点です。

しかし私は、
どのような時代にも、どのような国にも、
立派な人というのは、いたはずだ
と思うのです。

例えば、名のあるところでは、
陸軍中将の今村均はインドネシアを間接的にオランダから独立させたし、
陸軍少佐の藤原岩市もインドをイギリスから開放したことで知られていますよね。
すべての将校は、しょせん中間管理職であり、
上層部に逆らえなかったのは一兵卒と同じ。
その環境下で、何に使命感を感じ、何を成したか。
自国の利害を超えて、その地域の自立に貢献する視座を持つなど、
当時の軍人が決して上層部のイエスマンばかりだったわけではなく、
名を遺された方にはそれなりの気概があったのだと感じられます。

また、名のない若い兵士だって、
故郷に残した父母や兄弟、嫁とか生まれたての子供とか、
大切な人というのがいたはずです。

しつこいですが、その大切な人との別離にスポットを当てると、
お涙頂戴の話にしかなりません。
しかし、たとえば特攻隊として出撃すること自体は避けられないとしても、
それならそうと、自分の大切な存在や、それらが住まう国を護るため、
一人一人、飛び立ったはずです。
自分が出撃することによって、
自分の愛する家族が暮らす日本への敵の侵攻を食い止めることができるかもしれない。
個々の苦悩や葛藤はあっても、日本を護らないと、結果、家族を守れない。
年端もいかぬ少年たちを国家の捨て石にしたこと自体は反省すべきですが、
苦悩や葛藤を乗り越えた彼らは、
公のためにすべてを投げ出した英雄だと思うのです。

当時は軍部が強く、自由な言論が制限されており、
自分の行動を自分で決められる環境下になかったという反論もありましょう。
確かにそうかもしれません。
いや、確かにそういう人も多かったことでしょう。
しかし、靖国の遊就館とか知覧の特攻平和会館などに展示されている、
出撃する隊員が遺した遺書や手紙を見ると、
天皇万歳などではなく、自分が去った後の日本の繁栄と、
遺すことになる家族の安寧を心から願っていたことが分かります。
遺言は、その人がどのような信念を持って生き、
どのように大切な人に接してきたかが如実に分かります。

当時、軍人を含め、国民が、ただ悲しい悲しいと、
総白痴化していたはずはないでしょう。
しかし、現代はどうでしょうか。
戦時下でもないのに、いや、戦時下でないからこそ、
平和ボケして総白痴化と言っても過言ではないほどに呆けています。
公のために死ねるか、日本の繁栄のための人柱になれるか、
いま、「なれる!」と言い切れる大人物がどれほどいるでしょうか。
自分や、自分の家族のことしか考えていない人ばかりではないでしょうか。
もちろん自戒も含めて、ですが。

私は、名が遺っているかどうかにかかわらず、
気概に満ちた先人にこそ現代人は学ぶべきである
と思っています。

ニュアンスの問題で伝わりにくい面がありますが、
私は、そういうことが言いたかったのです。

[SE;KICHI]

芸術はいつでも素晴らしい

皆様こんにちは。前回のブログで趣味やらやりたいことを書いたSYUNです。
やりたいことの一つの掃除は実行できました。
友達が家に遊びに来る機会があって、当日に急遽ですけどね!

皆様はドラマ見ますか?
私は月9を2クール連続で見て、
他に「サイレーン」というドラマを見ていました。
「恋仲」は違いますが、今期は原作が漫画でした。
最近のドラマや映画って、
漫画の実写化で話題性を集めているのが多いですよね。
個人的にはあんまり好きじゃないんですよね。
いろんな事情があるとは思いますが、
そうでもしないと視聴率取れないのかなぁとか思ってしまったりします。

かと言って、私が見ていた「サイレーン」というドラマ。
内容も個人的には好きだったのですが、
見る一番の理由は、
前髪ザク切りにした木村文乃ちゃん可愛い!
という理由でした。
実写化に文句言える立場じゃないですね、はい・・・

なんだかんだ言っても、
実写化でドラマになったというのは過去にも多くあり、
私も楽しく見ているんですけど、
映像って迫力にどうしても乏しくなりますよね。
3DやらCGやら進化しても迫力に乏しく感じます。

私の友人で俳優を目指して東京に行った人がいます。
狭き門だとは思いますが、
夢をひたすら追い続けているその人をかっこいいと思ってます。

新潟でもたまに舞台をやっていて、
以前「オセロ」という物語をやったので見に行きました。
有名なシェイクスピアの四大悲劇の一つです。
ちなみに、皆様がおそらく一度はやったことのあるボードゲームのオセロは、
この物語が由来になっているみたいです。
黒人の将軍と白人の妻を中心に敵味方の寝返りが起き、
状況が変わっていくので、たしかにオセロですね。

実際、舞台を見るまでは乗り気ではなかったんですけど、
見始めたら迫力に魅了されて2時間丸々と食いつきました。
それと舞台上で友人が声を発声する度に、
こいつこんなに大きい声出るんか、と驚きました(笑)

音楽のライブなんかは行ったことあるんですが、
生の演技はおそらく見たことはあるんでしょうが、記憶にないので・・・
こんなに素晴らしいものだとは思いませんでした。
このブログを書く前に新潟の芸術会館のホームページを見ましたが、
12月はほとんど音楽のコンサートでした。

コンサートもいいけど、舞台が見たいー!
芸術の秋を過ぎて、もう年越し前ですが、
私同様にドラマや映画好きな方々。
舞台おすすめです!
生の演技は本当に目を奪われますよ!

それでは皆様、よいお年を。来年も宜しくお願い致します。

[SYUN]

ブリ大根の季節

寒くなってくると、ブリ大根の季節だなと思います。
ブリ大根というのは、現在では全国的にポピュラーな料理ですが、
農林水産省の「農山漁村の郷土料理百選」に富山の料理として選定されている、
まぁ、もとは富山の郷土料理です。

ブリ大根は、いわゆる家庭料理なので、家庭によって味が違うものですが、
私が、自宅で料理をするようになってみて感じたことは、
納得のいくブリ大根を作るのは、かなり難しいということ。

私は、初期の試行錯誤の段階で、
まず、骨を多く含む部位のほうが、骨から油が染み出て美味しくなると聞いたため、
ブリは切り身を使うのをやめ、頭部を含んだアラを入手するようにしました。
もちろん、熱湯にくぐらせたうえで水洗いしないと、生臭くて使えませんが、
そこは美味しいブリ大根のため、丹念に下処理します

しかし、骨の多いアラを使うとなると、どうしても、
骨まで食べれられる状態にまで持っていかねばなりません。
そこで、以前『劇的時間短縮っ!』でご紹介した、ゼロ活力鍋を動員。
この鍋は、豚の角煮など、落し蓋系の煮込み料理に絶大な威力を発揮します。
圧力をかけること15分ほどで完成。

ところが、最初は失敗でした。
ものすごく軟らかく煮付けることには成功したのですが、
ブリに醤油の味が強く入りすぎて、醤油の苦手な私には、ちょっと塩辛い感じ。
そこで、考えついたのは、二段階で煮込む方法。
先に、醤油以外の調味料と、ブリと大根を合わせて、加圧0分で煮て、
常圧に戻ったら蓋を開けて醤油を足し、
再び加圧して15分ほど煮て、それが常圧に戻ったらできあがり。
加圧時間は同じ15分でも、グッと美味しくなります。

というわけで、自分が満足できる仕上がりのブリ大根を作るため、
少しずつ作り方に工夫を重ね、ちょっとずつ美味しくはなってきたものの、
現在、まぁまぁってところ。
まぁ、まだまだなんですけどね。
今年は、お歳暮に大量のブリをいただきましたので、
それを使って、まるで小料理屋の如く、ブリ大根の生産に励んでいます。

ちなみに、私が目標としているブリ大根は、まさに小料理屋、
富山県は魚津市にある小政寿司さんのもの。
このお店は、魚津で呑む人ならだいたい知っているような有名なお店で、
私はこのお店の「カニ味噌の炙り」が心から好きなのですが、
ブリ大根はこの店のが絶品だと私は思っています。

ブリ大根
http://yappi.cocolog-nifty.com/konosora/2013/11/post-3494.html

かなりぶ厚い大根の輪切りが1個と、
小さめのブリの頭部を半分に割ったものが煮付けてあるのですが、
驚くのは、ものすごく軟らかく煮込まれ、味がしっかり染みているので、
眼球以外はすべて残さず食べられるという点です。
チェーン居酒屋などでブリ大根を注文すると、
ダイス状のブリの切り身と大根をあっさり煮たようなものが供されたりして、
そういうブリ大根では、ブリの身を噛むとき、
固い身がきしむような、歯触りの悪さがあったりするものですが、
この小政寿司さんのブリ大根は、そういうことはありません。
ブルンブルンに軟らかく煮つけてあり、骨まで食べられます。
というか、持ち上げると崩れるほどです。

私はこの小政寿司さんのブリ大根を目標に、
週に一度はブリ大根を仕込みますが、
手放しで納得のいく仕上がりと思えるのは容易ではないなぁと感じます。
しかして、ブリ大根、なかなか奥の深い料理です。

[SE;KICHI]

宇宙の果てまで連れてって

3年前ですかねぇ、ある夏祭りに出かけました。
お目当ては何と言っても締めくくりの花火。
夜空に上がるきれいで大きな花火に大歓声。
私も歓声を上げつつ、花火の横に何とも輝いた光に気付きました。
「やけに、目立つ星だな。」
と、その瞬間、その光が上にキューンと移動。
そして次の瞬間、今度は横にキューンと移動。
「星じゃない。UFOだ!」
今度は、近づいてきます。
そして、また上昇。
「明らかに変だ、間違いない!」

ところがです。
あんなに目立っているのに周りの誰一人それを口にしません。
そのうち、大騒ぎになるだろうと思っていましたが、何もなく…。
花火がきれいだとか、大きいだとか、まるであの光に気付いていないようです。
「自分にしか、見えていないのか?」
自分はドキドキもんでした。
結局、一緒に行った家族にも、この光のことは言わずじまい。

そして、翌年も同じ夏祭りにいそいそ出かけました。
そしたらなんと、同じ夜空に同じく光る物体があるじゃありませんか。
上へ横へ、更にはグーッと近づいてきたり、遠ざかったり…。
またまた、今度も誰も口にしません。
花火が上がる前ですよ。
目立つも目だつ、この状況で。
「やはり、自分にしか見えていない。」

そして、本年。
いそいそ、いそいそ…と同会場へ。
我ながら好きですねぇ(笑)
別にこの事件があるから、出かける訳ではないんです。
単純に、好きな祭りなのかな。
そして、またまた、夜空に動く光る物体。
全くもって同じです。
周りは誰も口にしません。
遠くで動いていた光る物体がググーッと近くまで迫ってきました。
まさに会場上空です。

「あっ!」
やっと気づきました、その正体。
UFOじゃない、ドローンだということに。
何か情けなくなりましたよ。
切なさと愛しさと心強さと~♪という歌がありましたけど、
切なさだけですよ(泣)
正しく一人芝居。
ドローンを最近まで知らなかった自分も自分ですけど、
3年前にみんな既にドローンを知っていたのかなぁ~?
あの周囲の無反応は何だったの、と今でも疑問。

とは言え、ドローン。
今年、ドローンは流行語大賞にもノミネートされる程話題になりましたね。
「ナイト・ドローン」(勝手に命名)を見たければ、この祭りにご参加を。
立山山麓近辺で毎年やっています。

さて、前ふりが長くなりましたが、本題は違うのですよ。
私はオカルト好きなんです。
たまに、夜空を見上げてUFOを探してしまいます。

でも、見つかったためしはないですけどね。
ただ一度、学生の頃、下宿先で強烈な体験がありまして。
あれは夢か幻か…。

いやいや、今でもはっきりと覚えています。
部屋の窓から夜空を眺めると、正に頭上をゆっくりと進む母船。
丸いUFOではなくて、
とてつもなく巨大で全体像がつかめない程の物体でした。
ところどころ窓なのか何なのかいくつも光ってまして、
当時は何だこりゃという感じ。
後になってUFOだったのかなと。
それにしても巨大でした。

「未確認飛行物体」
いい響きですねぇ。

子供の頃、矢追純一のUFO特番好きでしたねぇ。
雑誌「ムー」も読んでましたよ。

それから、幽霊話も好きですね。
いくつか体験もありますが、まともに見たっていう体験はないです。
昼寝をしている時に、両足を引っ張られてクローゼットの方へ引っ張られたとか、
夜景がきれいな場所でデート中、只ならぬ気配を感じて逃げるほかなかったとか、
私一人のはずの旅館の風呂場で、鏡にうつった人の背中を見たとか…。
だからこそ、一度はっきりと見たいのですが、うまくいきませんねぇ。
心霊スポットもいくつか行きましたけど何ともねぇ。
ただ、行くこと自体が楽しいんですけどね。
稲川淳二の怪談ツアーにも参加したり、もちろん、DVDを借りて見たり。
ホント好きなんですよね。

結局、未知なるものに魅せられてきた私の人生。
広く浅くですけど、本や舞台や実際に体感したりなどなど。
子供の頃からずっと。
何故なのかはわかりません。
私の祖母が霊感のあった人で、色々な話をよく聞いていましたから、
それは一因なのかな。
心霊番組を布団にもぐったり、親の背中に隠れ隠れ、
怖いながらに観てました。
魂とは未知の素粒子ではないかと、
あの美輪明宏が言っていますけど、どうなんでしょう?
ニュートリノにしたって、
今現在も人の体を一秒間に何万兆個もすりぬけているらしい。
ニュートリノが体の原子にぶつかる可能性が人生で1、2回だなんて、
どれほど小さいんだ!
ええ加減にせぇ(笑)
また、この素粒子には重さがあるんだって。
どんな重さ?
重さなんていらないよねぇ、ニュートリノさん。
質量があることを証明した梶田さんには大拍手です。

話が脱線してますかねぇ。
私の悪い癖。
それから、直したいことがありまして…。
何かちょっと不思議なことがあるとすぐ霊だ何だと思ってしまうところがあって、
それは良くないですね。
ちょっと体調が悪くなると、きっと霊障だとか考えてしまう。
40歳を越えると、単純に老化が原因でしょう(笑)
家族に迷惑かなってこともありますよ。

最近、宇宙人や幽霊の番組を拝見すると、明らかに作り物が多い。
CGとか映像技術が進んで、違う意味でインパクトは大きいんですが、
リアルを求める私は観ていられません。
娘はそれを怖がっていますが、
横で「これ、作りやん!」って叫んでいる私を妻はどう見ているのでしょう。
作り物でも何でも楽しめる器の広さが必要なのかもしれません。

そんなこんなで、オカルト好きな一面を持つ私です。
この手の話を真顔で語ることは控えています。
その場の空気を違う意味で凍りつかせることにもなりかねません。
オカルト好きな人が集まる場で、思いっきり語りたいですね。
そんな場、ありません?

[TOTSU]

いろいろは、ない。

世の中ではダイバーシティとかいう言葉が流行っているようです。

ダイバーシティというのは、端的に言えば「多様性」くらいの意味で、
社会にはいろいろなの人がいるから、互いを尊重して、認めあって生きていこうね、
と、そういう趣旨の言葉のようです。

多様性が大切ということに関して、異論を挟む余地はありません。
閉塞感の漂うこの社会においては、
多角的な視点こそ活路を見いだすものであり、
個性の発露がその突破口となることは明らかでしょう。

さて、それでは、個性とはどのようなものでしょうか。

私は、個性とは、考え方のクセのようなものだと考えています。
ポジティブなのかネガティブなのか、利己的なのか利他的なのか、
新しいことに対して貪欲なのか慎重なのか。
「イヌ派? ネコ派?」とか「目玉焼きに何かける?」のような、
一見くだらない嗜好に対しても、本人にそれを肯定する理屈があるなら、
それは個性なのだろうと思うのです。
当社内にも“アニメ好き”とか“ヘビ好き”とかいるわけで、
まぁ、それぞれ本人なりの行動哲学があるということです。

それは、それで構わないのです。
繰り返しますが、個性が閉塞感打破の糸口となるのです。

しかし、各人が何を考えても自由かといえば、
それは違うだろうと、私は思うのです。

高度成長期の日本、会社には出世を夢見る“モーレツ社員”が溢れ、
社員たちは互いに切磋琢磨しながら働いていました。
もちろん、彼らも人間なので、それぞれ個性はあったはずですが、
自分の手で何事か大きな仕事を成し遂げて会社に貢献したい、
ライバルを押しのけて上司に認められて出世したいというような、
一定の方向性が存在しました。
この、方向性に沿った推進力が、会社の、社会の、日本の成長を支え、
結果的に大きな成果を上げてきました。

いま、かつて社会を支えた“モーレツ社員”はすっかり影を潜めました。
規則さえ守っていればあとは自由だと考えるのが今の主流のようで、
きちんと勤務開始時間までには出社してくるし、挨拶もできるものの、
会社の将来を自分が担っているのだという気概までは持っていないので、
たとえば、悪意を持って同僚の邪魔をするような悪さはしない代わりに、
積極的に会社の繁栄のために貢献するような行動もとらないなど、
去勢されたかのような、衰弱した社員が増えています。
彼らは出世や昇進を求めないので、“ほどほど族”と揶揄されています。

これを個性と呼ぶかどうかという話で、
こんなもん、個性とは言わぬと、私は思うのです。

“アニメ好き”でも“ヘビ好き”でも、そんなことは好きにすればいいけれど、
会社の、社会の、日本の発展・繁栄を願うという、ベースとなる態度は、
会社の、社会の、日本の全員が共有しておくべきであって、
仮にそうではない考え方があるとすれば、それは個性ではなく、
発展・繁栄を阻害する、緩やかなテロみたいなものだと思うのです。

ちょっと言葉が過ぎたかもしれませんが、卑近な言い方をすれば、
「人を殺傷するのが好き」というのが個性として社会で成立しえないように、
無自覚だったとしても「社会が衰退するのが好き」という姿勢は、
社会では個性として認められないだろうと、そういうことです。

それなのに、ダイバーシティとかいう言葉が人口に膾炙し、
まぁ、人それぞれ、いろいろあるよねと、
表面的に、互いを理解するような、許容するような風潮があります。

私は、いろいろは、ないと思っています。
それは、向き合わずに逃げを打つ時の常套句だと思います。
たとえば、会社の、社会の、日本の発展・繁栄という話で言えば、
発展・繁栄を望むか、望まないか、二択です。
いろいろなんか、ない。

“モーレツ社員”は、この二択を乗り越え、自分の立場を定めていたので、
たとえば客先で罵倒されようと、理不尽な扱いを受けようと、
家族のため、会社のため、社会のため、日本のために難なく働けたのです。
だいたい、人間、誰かのためにでなければ働けません。

“モーレツ社員”の消えたこの現代、若い社員を中心に、
「モチベーションが保てなくて」とか「イマイチ仕事が楽しくなくて」とか、
そういう理由で離職するケースが増えてきているようです。
まぁ、いろいろあるよねと、安易に寄り添ってみることはできますが、
私は、いろいろは、ないと思っています。

人間、誰かのためにでなければ働けません。
どの大人も、誰かのために、モチベーションを奮い立たせて、
できるだけ楽しく働けるように工夫しているのです。
自分のモチベーションを保つか、保たないか、二択です。
仕事を楽しいと感じられるように工夫するか、しないか、二択です。

結局は、自分の心の問題。
そして、それは、だいたい二択です。
ダイバーシティとか言って、惑わされてはいけません。
自らを奮い立たせて頑張るか、頑張らぬか、
二択なのです。

[SE;KICHI]

年末年始休業のお知らせ

平素より格別のご高配に預かり、厚く御礼申し上げます。
さて、弊社は年末年始につきまして、勝手ながら2015年12月29日(火)~2016年1月4日(月)を休業とさせていただきます。
新年は2016年1月5日(火)より通常営業させていただきます。
ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。
猶、今後とも倍旧のご厚情を賜りますよう、切にお願い申し上げます。

[AKA]

家族が増えました♡

現在の家に住み数年。
以前はアパート暮らしでしたが、子供の成長と共に引越。
さすがに男の子2人だと凄まじい。
ご近所へ迷惑をかけるのもアレなんで一軒家へ。

当然賃貸なのでペット不可。
実家で猫を飼っていたのもあるし、生来無類の猫好き。
生まれ変わるのなら猫がいい。くらい。
生まれ変われるのかどうかは不明ですが。

下のほうに落っこちて上がってこれない可能性に心当たりが多々あり。
冬前に隣の家に引っ越しされてくる方があるらしく、
大家さんと立ち話してときにふと思う。
一軒家なのでペット(特に猫)は不可だと思い込んでいたが、聞いた事なかったな。
ダメ元で聞いてみるとOKの返事が。
爪とぎ防止用のシートなんか使ってくれれば問題なし。
古いからね~。と笑って言ってくれる大家さんがまるで神様。

ちなみに家族の中で犬派なのはお兄ちゃんのみ。
それも柴犬限定で。
妻も生まれ変わるなら派。
弟君に至っては近所の猫飼っている家へわざわざ猫触りに行くくらい。
これは緊急家族会議せねば。
会議結果は賛成多数で猫決定。
昼間は誰も居ないのでトイレなどある程度出来る子。
爪とぎは習性なので防止シートでフォロー。
等々複数の条件を突き詰めて、成猫を飼う事に。

愛護センターHPより譲渡会の情報と写真より選び譲渡会へ。
講習者多数により抽選での選択・・・だと?
センター職員談によると通常の講習会をはるかに超える人数。
およそで2倍強。
ま・・・・アレだ。
犬の希望の人も居るだろうし・・・・
妻に「猫の譲渡会だから。」の一言で一刀両断。
お見合いしている時に既に家が目をつけている子へ、
「べっぴんさんだね~」などとアプローチの声。
あかんか。

いよいよ抽選会の開始。
我が家は8番目の選択。
手に汗握りながら1~6番目までで、成猫は1匹選ばれただけ!
なんだよ!
ハラハラさせやがって。
みんな子猫じゃねーか。
妻が選んだ猫は人気ありそうだったが、子猫希望の人が中心で無事に我が家へ。
HPの写真から選んでいた13歳(人間で言うと70歳くらい)の子は、
初めから我が家へ来る気がしていた私。
13歳で殺処分待ちとか。
涙出るわ。


全ての子を引き取るわけにもいかず、泣く泣く2匹に絞って家族へ迎え入れ。
我が家で穏やかな老後を過ごしてもらいましょ。
子供達の、最初の家族との別れはその子になるでしょう。

とりあえず、希望通りの2匹を引き取り、我が家で暮らしていただいております。
成猫人気無いようですが、そんな事はないですよ。
なれると13歳でもしっかり甘えます。
抱かれるのは嫌がりますが、撫でられるのとブラッシングは大好きです。
トイレも完璧。
非常におとなしく、
家の中のパトロール回数もそれほど多くありません。(高齢のせいか?)
2匹とも爪とぎは爪とぎ用の道具でしかせず、爪とぎ防止シートが無意味に。

ああ・・・
扶養家族が増える=仕事頑張る
養わねばなりませんからね。
お父さん頑張りますよ。

[Y2K2]

春へのいざない

去年の今時分に、教会に関する記事(『聖なる空間』)を書きまして、
その中で、椿山荘の向かいにあるカトリック関口教会を紹介しましたが、
その椿山荘の脇、野間記念館の建っている路地を入っていくと、
そこに永青文庫という、旧熊本藩主細川家伝来の美術品を収蔵している、
小さな美術館のような施設があります。

そこで開催中なのが、日本初の春画展
話題沸騰で、押すな押すなの超満員です。

“春画”とは、江戸時代に発展した絵画の1ジャンルで、
性描写がテーマにはなっていますが、芸術性の高い“浮世絵”です。
主に、異性がさまざまな体位で愛を交わす場面を描いています。
というと、ポルノのようなものかと思われるかもしれませんが、
実際はそのような下品なものではなく、
春画の表現は「エロス」はあるけれど「いやらしさ」がない感じです。

北斎 春画 北斎作。サムネイルで拡大可ですが、当然加工しています。
http://大川博.jp/article/391696740.html

私はもともと春画好きだったわけでもないのですが、
美術系のものに関心の高かった祖父が孤独死した際、
遺品を整理していると、複数の春画の専門書が出てきまして、
それをパラパラ眺め、興味を持ったのでした。

第一印象は「エロス」でも、もちろん「いやらしさ」でもなく、
「楽しげだな~」というものでした。
そこに描かれている人たちは、
一様に楽しそうで、また真剣に性を謳歌しているように見えたのです。
これは、性の快楽を禁忌としてきたキリスト教とは対極の描写で、
当時の日本のおおらかさが感じられます。

春画は享保の改革で禁止されたのですが、
市民の楽しみというか、需要自体はなくならなかったので、
幕府の眼を盗んでどんどん制作されました。
次第に眼が肥えてくる消費者を喜ばせるため、
制作する絵師たちは構図に工夫を凝らし、
着物の柄や髪形など、細部に独創性を発揮した春画を出しました。
おそらく、反権力というか、幕府の眼を盗んでというところが、
描かれている男女の躍動感につながっているのだと、私は思っています。

非合法なので、ふつうの浮世絵のように、絵師のクレジットはありません。
しかし、社会科の教科書で大真面目に習った、葛飾北斎とか歌川國盛などが、
春画では「鉄棒ぬらぬら」とか「淫水亭開好」などという、
わりとふざけたペンネームを使って、春画に取り組んでいたようです。
なにしろ非合法なので、なんでもありで、
ときに男女に限らず、同性間や、「蛸と海女」(葛飾北斎)のようなモチーフもあって、
エロスというよりは、洒脱な「遊び心」を多く含んだ美術です。

蛸と海女 これもサムネイルで拡大可ですが、当然加工しています。
http://matome.naver.jp/odai/2132789438250354201

浮世絵が、海外の印象派の画家たちに影響を与え、
日本以上に海外で評価されていることはよく知られたことですが、
春画も浮世絵の一種なわけで、
昨年、ロンドンの大英博物館で開催された史上最大の春画展は、
のべ9万人が訪れるほどの大盛況だったそうです。

しかし、情けないのは、芸術性が高く、以前から人気があったにも関わらず、
これまで、日本国内の美術館で春画展が開催されてこなかったこと。

企画自体はあったのかもしれませんが、
春画という内容が内容だけに美術館が企画に二の足を踏み、
イメージを大切にするためにスポンサー企業も集まらないという、
まぁ、いわゆる日本的な理由で、長らく国内開催ができませんでした。
当時の日本に比べ、おおらかでないというか。
はあぁ、情けない。
日本文化を紹介する場が国内になく、ロンドンのそれは大盛況だなんて。

思えば、私は「魅惑の・・・」という仏像紹介のシリーズを書いていますが、
明治初期に、廃仏毀釈といって仏像が次々に破壊された時期がありました。
それから一転、いま、私たちが仏像を拝むことができるのは、
アーネスト・フェノロサという、仏像愛好家なら誰でも知っている哲学者が、
日本美術の芸術性を称賛してくれたおかげです。
はあぁ、情けない。
日本文化を評価してくれるのが、いつの時代も外国人だなんて。

余談ですが、この記事を書くにあたり、どれくらい説明的なスタンスが必要なものか、
春画というものの知名度は一般的にどんなものかしらと、
同僚の co-K さんに「春画って知ってる?」聞いてみましたが、
彼女は春画を知らず、春画という字面から、
チューリップなどの花が咲いた、「春の絵」を連想したようでした。
しかし、その後、彼女は素早くネットで検索したようで、
数秒後には「おおっ!これはっ!」と声を上げ、
「急に興味が出てきましたっ!」とのこと。
ふふふ、またひとり、春画を知る方が増えました。
この人は、もともと無類の猥談好きだったとはいえ、
春画の魅力をお伝えする活動に微力ながら貢献でき、私も光栄です。

永青文庫の『SHUNGA 春画展』は12月23日まで。
大きな施設ではないうえ、そこそこ混んでいるので、
あんまりゆっくりは鑑賞できないかもしれませんが、
個人蔵が多い春画の本物を見られる機会は稀有です。
私が行ったときはカップルも多くいましたので、そういうのもオススメです。

 永青文庫 『SHUNGA 春画展』 ⇒ 特設サイト

[SE;KICHI]

気になるどうでもいい話⑧

エビフライや魚フライにかかっているタルタルソースが、
足りたためしがありません。

[KAZSOU]
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