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ガラパゴス富山

よく言われることなんですが、富山って、ヨソ者に対して閉鎖的な土地柄です。
それを肌で感じることって、そんなに多くはないのですが、
こと、学校教育に関してはかなりガラパゴスな環境だなぁと思います。

富山は、極端に国公立偏重の価値観が根付いています。
多くの子供は、その住所を学区内に抱える近所の公立小学校に通い、
そのままクラス全員で近くの公立中学校に進みます。
そのあとは、地域内の公立高校のうち合格できそうなところを選んで受験し、
レベルに合わせて進学するというのが、
まぁ、富山ではわりとスタンダードな“教育の受け方”です。

この方式では、ある程度までの進路は住所地によって決まりますから、
基本的に競争は発生しません。
高校受験では少し波立ちますが、高校もほとんどが公立なので、
自分のレベルさえ見誤らなければ、どこかには入れるということで、
富山では、基本的に競争は発生しないのです。

よく、富山は教育県だとか言われていますが、
公立しか選択肢がないわけですから、教育機会という意味では恵まれていません。
ただ、それしかない公立学校の教育のクオリティが、
それなりに高いということなのでしょう。
おそらく、これが、教育県と言われている真意です。

一方、他県の場合、公立学校では数学や英語のような受験科目の授業を削って、
同和教育とか平和教育とかにあててしまうケースが多いため、
授業時間が足りず、公立学校の学力が低いことが公然と言われています。

だから、そこそこの大学に進学しようとするなら、
授業コマ数の少ない公立高校に進学していては不利ですので、
できるだけハイレベルの授業を受けられるよう、私立高校を狙うのだそうですし、
私立高校に進学するためには、
小学生のうちから受験勉強をして、私立の中学校を狙わねばならないそうです。

そういう社会では、小学4年生くらいから、クラスメイトは基本的にライバルであり、
悪い言い方をすれば、出し抜かねばならない存在なので、
学校でもそのへんの学年から、そういう意識づけが盛んにされているようです。
それは、なかなか厳しい環境ですね。

闘争心による切磋琢磨には好影響もあるでしょうから、
どちらが良いかは、私にはわかりません。

ただ、富山の人は、なんだか呑気です。

たとえが良いかどうかはわかりませんが、
外敵の来ない島でゆっくり草を食んでいる牛やロバのような呑気さがあります。

これは、意外と不思議です。
呑気といえば、カメハメハ大王の国のように、南国の暖かい国のイメージがあります。
ここ富山は、冬は災害に近い量の降雪に悩まされ、
夏も湿度が日本一という、“カメハメハ感”のほとんどない土地です。
それなのに、富山の人は、間違いなく呑気です。

まぁ、実際のところ、富山の人って、
人を出し抜くようなことは思いつかない県民性を持っており、
どうしても、“生き馬の目を抜く”環境で育った他県の子供たちに比べると、
戦略眼に欠けるというか、気概に欠けるところがあるという感じがします。

昔は、その社会に不満に思っていた私ですが、
それもこれも、競争を経験することが少ないためであれば仕方ないことで、
それはそれで長所ではないかと、最近参加したシンポジウムで考えた次第です。
街おこしに使えるといいのですが。

受験シーズンです。
みんなガンバレ!

[SE;KICHI]
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銭湯の話

寒い日が続きます。
こう寒いと、お風呂が恋しいものです。

私はわりと銭湯が好きです。
極楽湯とかの、いわゆるスーパー銭湯も悪くはないのですが、
私はどちらかといえば、昔ながらの古臭い銭湯のほうが好きです。

ここ富山は、人口10万人あたりの銭湯の数が10.78軒だそうで、
それはダントツの日本一です。(一般公衆浴場業 - 2009年)

そういえば、東京とか大阪とか、大都市の銭湯の経営者って、
大半が富山県・石川県などの北陸出身者なんだそうですね。
実家の跡継ぎになれない農家の次男・三男が都会へ出て、
長い下積みを経て、独立して自分の店を持つようになったからだそうです。

そうそう、昔の銭湯には三助さんという、背中を流してくれるおじさんがいましたね。
橘さんとおっしゃったでしょうか、東京の「斉藤湯」にいらっしゃる三助さんで、
この方が「最後の三助さん」なのだそうです。
私も、初めて背中を洗ってもらった時に何となく話したのですが、
この橘さんも富山県氷見市の出身なんだそうで、びっくりしたのを覚えています。

私は、なにか大事なことを考える際に、銭湯に行くことが多いです。
思えば、父が亡くなった日には富山市の「島倉の湯」で故人を偲びましたし、
いまの仕事への転職を決めたのも豪徳寺の「鶴の湯」でした。
大学受験で訪れた熊本では試験の前日に旧遊郭に残る「泉湯」で明日に備えたり、
ほかにも新潟は米山の「みどり湯」とか、福岡は博多の「大春湯」とか、
なにか大事なことを決めるとか、どうすればよいかを考えるような時、
私の人生の節目には、銭湯がありました。

よく、魚釣りのことを“釣禅”と呼ぶ方がいらっしゃいます。
釣りは坐禅にも似てどっしりとした平静心が大事であり、
気が散りやすい人は魚釣りに向かないというような意味でしょうが、
それに似た感じで、造語なのでしょうけど“湯禅”という言葉も、あるそうですよ。

湯に浸かっている状態というのはリラックスした状態なので、
そういうときこそ自分を見つめてみようということなんだそうです。
世の中には、入浴が苦手で、
5分もすると湯から出たくなる“カラスの行水”派の方もいらっしゃいますが、
そうではなくて、ゆっくりと湯に浸かって明日のことを考えようと、
“湯禅”とはそういうものなんだそうです。

ところで、私は20年ほど前、富山県内の銭湯巡りをしていたことがあります。
自宅に浴室があるので、それまではほとんど銭湯には縁がなかったのですが、
ある日、『とやまいい湯ガイド』(現在は絶版)という銭湯紹介本を読んだ私は、
突然、銭湯に行きたくて行きたくてたまらなくなり、
早速、富山県公衆浴場業生活衛生同業組合というところが出している回数券を買い、
半年ほどかけて、100店ほどの銭湯を巡ったものです。

銭湯というのは水道水にしろ井戸水にしろ、基本的には沸かし湯なのですが、
面白いことに、たくさん回ると、
おがくずで沸かしているのか、重油で沸かしているのか、分かるようになってきます。
どうでもいいことですが、場数は踏んでおくものです。

さて、『とやまいい湯ガイド』は20年ほど前の本ですが、
いま、その本に収載されている銭湯の1/3くらいは廃業しちゃっています。
奥田用水沿いの「ちんまの湯」とか、しののめ通りから少し入る「天福湯」とか、
赤江川沿いにあったその名も「赤江川の湯」とか、
私はわりと渋めの銭湯が好きだったのですが、今はもうありません。

燃料の高騰や後継者難が理由なのかなと思ったりもしますが、
スーパー銭湯が百花繚乱なので、
古い銭湯はきっとそれに押されているのでしょう。

先日といっても昨年3月の話ですが、またしても古い銭湯が“殉職”しました。
富山市の中心部にあった観音湯です。
観音湯
http://sky.geocities.jp/station70blazer/toyama-kannonyu.html

観音湯は昔ながらの、脱衣所側に番台が設置された銭湯で、創業は1930年だそうです。
その名の通り、番台の真上に観音様を祀っている銭湯で、
繁華街の真ん中にあるのに、実に静かな銭湯でした。
“貫”とか“瓩”という度量衡の目盛がついた古い体重計とか、
動かなくなった大きな古時計とか、地元の商店の広告が書かれた鏡とか、
私は、そういう歴史ある民具に囲まれ、じっくり入浴するのが好きでした。
現在は解体され、この写真の建物すら残っていません・・・。

銭湯って、もとより時代に淘汰される職種だとは思うのですが、
若いお客さんがスーパー銭湯に流れてしまって、減っていくのはさみしい限り。
私に言わせれば・・・
スーパー銭湯って、なんか、どこも一緒だし、
人情味がなくて、つまんないんですよっ!

あぁ、悔しいなぁ。

銭湯がこれ以上減らないよう、祈るばかりです。

[SE;KICHI]

将軍様到来

冬という名の将軍様。
発表の予想では今年は暖冬だったハズじゃぁ・・・・
新潟の冬と言えば雪のイメージがついておりますが、市内は比較的少ないです。
というより、田舎から出てきた私にとっては。という話なわけで。
南方の方から見れば多いのでしょうね。

12月6日の朝起きたら家の前がえらい状態になっておりました。

新潟には雪消し用に道路から水の出るシステムがございます。
いわゆる消雪パイプと呼ばれる物です。
市町村道程度ならかなりの確率でありますが、無い所もしばしば。

消雪パイプがあるからこそ、民家前の雪はここぞとばかりに道路へ出されます。
消雪パイプが無くても、除雪車が来る前であれば道路へ出されます。
除雪車来るのは早朝4~5時くらいが一般的ですので、
かなり早くに出さねばなりません。

道路へ出された雪は徐々には解けるのですが、
なかなかどうしてコレがやっかい。
多いと車のハンドルは取られるし、
歩行者は歩く場所が無いので車道中央側を歩かねばなりません。
私は自宅の駐車場が奥まった場所にあり、
消雪パイプまでの距離が長いので例年一か所に雪を集めます。
集めた雪で子供達の遊び場を作るのが目的でもありますが。

高低差1.5m程度の即席ゲレンデの出来上がりです。
近所の子供も遊びに来てミニスキーやらそりやらで大騒ぎ。
普段はゲームがメインの遊びですが、雪山のある日は朝から晩まで雪遊び。
ウエアも手袋もぐしょぐしょになっても、
遊びで熱くなっているせいか湯気が上がる始末。
結構なことじゃぁないですか。

ゲーム遊びもいいですが、外で遊ぶのも大切な事。
家に遊びに来る子供達の大半がそれを知っていて、
自分たちでゲームの時間を決めて、その後は外で遊ぶ。
繰り返しております。
本当に助かります。

ただ・・・・

ただねぇ。

熱くなりすぎて汗の始末もせず、TV見てたりするんです。

大体は翌日に咳してたりするんですよね。何度言ってもコレは変わらない。

男の子の宿命なんですかねぇ。
私もそうだったし。。。。。

[Y2K2]

『ゆきみらい 2015 in 長岡』

日本の豪雪地帯は、国土面積の51%を占め、
総人口の16%が居住しています。

雪国においては、
酷雪とさえ言われる大雪が降ることもありますが、
雪が降ること自体はどうすることもできません。
したがって、雪国の豊かな自然を活かし、
雪をはじめとする厳しい環境と共存することが重要です。

そのため、雪国では長年、
雪国の未来を展望し、地域の活性化を図ることを目的として、
雪のある生活についての試みが展開されています。

ゆきみらい2015

この「ゆきみらい」というイベントは、北海道や東北、北陸など、
雪の降る地区を中心に、毎年、リレーで開催されているもので、
今年は新潟県長岡市での開催です。

http://www.hrr.mlit.go.jp/yuki/2015/index.html

弊社も、主力商材の Raychem 自己制御ヒーターを引っ提げ、出展します。
実は、この自己制御ヒーター自体は必ずしも雪とは関係ないのですが、
そのへんは、まぁ、ご愛敬ってことで。
ほかにも、融雪ゴムマットや水道凍結防止帯などの雪関連商材から、
蓄熱式ホット座布団やパネルヒーターなど、
“親戚”と都合よく解釈し、各種ヒーター全般を出展します。

新潟県長岡市での開催ですが、駅前の素晴らしい会場ですので、
お近くにお寄りの際は、どうぞ、よろしくお願いいたします。

[AKA]

それは甘えです。

私は、基本的に、自分の心は自分で完全に統御できると考えています。

これは前提です。

人間ですから、他人の言動によって心が乱されることもあるかもしれませんが、
そもそも、同じ言動を食らっても平気な人と、平静を失って取り乱す人がいるように、
自分の心がどのように反応するかは、自分の裁量、
もっと言えば自分の器の問題であると言えます。
ということは、その、自分の器を大きくする努力を重ねていけば、
他人の言動に動揺しない自分になれる、というわけです。
なにしろ、相手に攻撃の意図はなかったかもしれませんから、
勝手に心が乱れてしまった時点で、こちらの負け、自滅です。

ここ数年、ちょっとした集まりに、たまに講師として呼ばれることがあるのですが、
そこで質疑応答などを受け付けると、
「ワタシは○○な性格なので」とか、
「ボクって△△みたいに考えちゃうタイプなんで」とか、
そういうことを前置きしながら質問してくる方が多くて、
なんというか、うんざりします。

どうやら、心で思うことは止められないと思っているようです。
心で思うことは止められない、
なぜなら、自分は○○な性格で、△△のような考え方をするタイプだからだ、
という理屈です。

そういう自己分析的な言い方をされちゃうと、なるほどという感じもします。

しかし、私に言わせれば、というか、古今東西の哲学者などに言わせれば、
それは甘えです。
単に自分の心をコントロールできていないだけです。


厳しいでしょうか。
厳しいですよね。

たとえば、「あいつ、許せねぇ」という気持ちが沸いてきたとします。
思うことは止められないということであれば、
各人がそう思うことによって、この世の中は憎しみに満ちたものになるでしょう。
基本的には内心の問題かもしれませんが、
人によっては、実際に凶器を手にして刃傷沙汰に及ぶケースもあるでしょう。

いやいや、実際に危害を加えたら犯罪だけど、
思ってるだけなら別にいいじゃんと思われますでしょうか。
ただ消極的に、ひたすら相手の死や不幸を願うとか、
そういうのは別に問題ないだろうと思われますでしょうか。

心のコントロールという観点からすれば、まぁ、ダメでしょうね。
聖書では、実際に殺さなくても、
心のなかで思っただけで同罪だと言われています。(マタイ 6:22)

「そんな、宗教のことを言われたら、ちょっと・・・」と思いますか。
それでは、宗教ではない観点として
“思いが現実を引き寄せる”という、いわゆる「引き寄せの法則」を考えてみてください。
相手の死や不幸を願う思いは、そういう現実を引き寄せるかもしれません。
つまり、呪いです。
人を呪うことが、良いことであるはずがないでしょう。

では、自分の心をコントロールするというのはどういうことでしょうか。
それは、以前にも書いたことですが、
生かされている自分というものを認識することです。

イエス様でもお釈迦様でも天照大神様でも池田先生でもなんでもいいですし、
特にはっきりした信仰を持っていないなら、
お天道様に誓ってでも、ジッチャンの名に懸けてでも、なんだっていいのですが、
自分は、人智を超えた存在から生かされていると考えるべきです。
そして、自分の言動や考え方、思いが、
そういう、人智を超えた存在に許されるかどうか、点検することです。

簡単に言えば、自分の思いが、
神様からのジャッジを受けて合格かどうか
考えなさいということです。
神様から見て誉められそうな思いは、努力してそれを伸ばし、
逆に、神様から見てたしなめられそうな思いは、努力してそれを慎めと、
そういうことです。

他人の不幸を願うなど、神様がお許しになるはずがないので、
実際に罪を犯さなくても、心のなかで思っただけで同罪になるのです。

内心の問題なので、基本的に黙っていれば分からないことではあります。
しかし、たとえば、裁判員裁判で、被害者感情に寄り添った結果、
量刑判断が重くなりがちというニュースがありました。
本来、罪状に対して量刑が決められているはずですが、
被害者を憐れに思った裁判員が感情的になって判決を下すため、
まるで、目には目をとか、加害者に復讐するかのような感覚で量刑が決まっています。
これなんかは、内心のことが形になって出た例でしょう。

昨年は、「ありのままで」などという曲が流行りました。
悪くはないのですが、この“ありのまま”を、
「何を考えようが、自分の勝手さ」と解釈している人が存外に多いようです。

良い心も悪い心も、ありのままにさらけ出していいということではありません。
お天道様に顔向けできないことは、思わないことです。

[SE;KICHI]

出会い

いきなりですが「飲み友達」が存在します。
知り合ったきっかけは一軒のお店。
年齢は20~60代、
職業もさまざま、中には不明な人も・・多分私が一番不明ですね(笑)
男女あわせて10人位になります。

旅行に行ったり、持ち寄り宅飲みしたり、なにかのイベントやらと、
かれこれ10年近くのお付き合いです。
知り合った頃は20代だった人が今では30代、もう数年で40代に突入だとか。
自分の年齢も同様にUPしているのはさて置き、
会えば幾つになった?と確認して年月のスピードを感じています。

メンバーは増えたり、減ったり、参加したり、しなかったりと気楽な感じ。
面倒臭がりで出不精な私に声を掛けてくれ、
刺激をくれる貴重な人達です。

2015年もスタートし、新年会からの始まりか、一人飲みで鉢合わせて楽しむか、
今年もゆるい感じで顔をあわせるのが楽しみです。

縁とは不思議ですが繋がりを大切にしたいと思います。
この先にも想像もしてみなった出会いがあるかもしれませんしね。

そして、出会いがあれば別れも訪れます。

 前所長へ
 退職後も会社に遊びに来てもらえるのを待っていました。
 お酒の席もご一緒できると疑わずにいました。
 図々しいですが、飲み友達でお付き合いをさせてもらおうと楽しみにしていました。
 その機会がもう訪れないのがいまだ信じられずにいます。
 残念です。


ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 合掌

[fu~ma]

ホンガラホーイホイホイ

リフレインしやすい曲というのは、ありますよね。

私は、『ラジャ・マハラジャー』が、もうダメです。
「インドで一番大金持ちは、ラジャー、ラジャー、マハラジャー」などという、
本当にくだらない歌詞で、内容なんてほぼないのですが、
メロディーがキャッチーなので、フレーズを思い浮かべてしまうとダメです。

いちおう動画をつけますが、呪われても自己責任ということでどうぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=4ZfHi3zayY4

それから、『青柳ういろうのCM』も危ないです。
今も放映中かどうかは分からないのですが、名古屋の老舗ういろう屋さんのCMです。
We are ういろう~ という脱力系のフレーズもさることながら、
画面に出てくるういろうのクネクネした動きがかわいらしく、
ういろうなんて買わないくせに、リフレインしはじめたら止まりません。

We are ういろう~、テレッ、テレッ、ジャンッ がたまりません。


他にはビューティ・ペアの『かけめぐる青春』の、
イントロの、♪ビューティビューティ~、ビューティ・ペア~ のところとか、
松山恵子の『だから言ったじゃないの』の一節が出たりします。

ちなみに、私と席が近い WAKA さんは、
私の携帯電話が鳴り、
着信音に設定しているばんばひろふみの『SACHIKO』を聞いてしまうと、
その日、もう脳内が SACHIKO 一色になってしまうらしく、困るんだそうです。

さて、ここまでは前ふり。
それに、もうひとつ、
私にとっては最強のリフレインソングがあります。

♪ 一にこ、二にこ、三にこ桜~
 柳の枝に鳥や三羽とまった。
 追っても発たぬ、叩いても発たぬ、
 ホンガラホーイホイホイ
 西の方から来る鳥も、東の方から来る鳥も、
 おんどりめんどり13羽、
 ホンガラホーイホイホイ


探したのですが、動画がなくて申し訳ありません。

これは、私が小学生の頃にホームステイしていた長野県八坂村の、
とある集落で行われていた鳥追いという行事の時に歌う歌です。うろ覚えですが。

この鳥追いは、秋の収穫時にスズメなどの鳥に田畑を荒らされないよう、
害鳥を追い払うまじないのようなものだそうです。

1月の小正月の頃、夜も明けきらない朝の4時に子供たちが集まって、
木槌で板を叩いてこの歌を歌いながら、集落内を歩き回って各家庭を巡り、
お菓子やお小遣いをもらうのです。
当時は「寒いなぁ」とか「眠いなぁ」とか、その程度の感想でしたが、
大人になった今、冷静に振り返ってみると、なにしろ朝4時ですから、
なんだか、横溝正史の世界のような異様さがあります。

とはいえ、私がその村にホームステイしていたのは2年間だけ。
しかも、2年目にはホームステイ先が別の集落に変わったので、
この集落に私がいたのは1年間だけです。
だから、この『鳥追い』参加したのはたった1回。
もう何十年も前の、たった1回だけです。

何度も歌わせられた小学校の校歌すら覚えていないのに、
私は、たった1回しか歌っていない『鳥追い』の歌を、
現在もかなり鮮明に覚えていて、
ある程度高度に知的な考え事をするときなど、頭の中でリフレインします。

不思議です。

[SE;KICHI]

女子力・・・?

先にお伝えいたしますが、これはあくまで私の価値観であり、
ジェンダー云々とかそういうご批判は何卒ご容赦願います。
踊らされるな!といいたいだけです…。


私は女子力という言葉がとても嫌いです。

女子力というのはかっこいい女性に女性が憧れて言い始めたんだとは思いますが、
こと恋愛においては女子力なんてものは必要ないです。
断言します。

別に太っていようが可愛かろうが不細工だろうが結婚できる人は結婚できるし、
そもそも男目線から言って女子力なんてものは無用の長物。
ヨガに通っていたり、自分磨きしたり、無意味な女子会開いたり、
ネイルも綺麗にしたり、パワースポットに行ったり、刹那的な流行に乗ってみたり…。

だって、男からしたら興味無いし、自分は金がかかると言っているようなもんです。
ヨガに一回行く度に、結婚できる確率が1%下がるというくらいに思った方が良いです。

怪しげな宗教
幸せになれません。→
貴方の信心が足りないせいです。お布施をしたら幸せになれます。→
まだ幸せになれません。→
あなたの前世がなんやらでこの壺を買わなければ幸せになれません。→
未だダメです。→
それではあなたのすべての財産を…

女子力
結婚したい、幸せになりたい!→
何とかメイクで女子力アップ!→
まだ結婚できません。→
あなたの女子力はまだまだです、次はお料理教室に通いましょう。→
未だダメです。→
パワースポットで癒されてネイルで女子力を磨きましょう!

とまあ、多少強引なとこはありますが、精神的な仕組みは一緒だと思います。

こんな女、喜ぶのは本当、
一部の女性を装飾品とお考えになられる経済的余裕のある方のみです。
一般的な99%男性はこんな女、イヤです。
勿論、女子力を磨いて結婚できた人もいるのでは無いかと思いますが、
それはレアケースだよと。

そんなことに労力使うくらいであれば、
掃除洗濯などの基本的な家事がふつうくらいにできるようになって、
自分と価値観の合う男を見つけて高望みしなければ、
いくらで相手はいますよ!


不細工だろうが太っていようが結婚したら慣れます。
うちの嫁さんは慣れたと言ってます!

女子力を磨くのは結婚してからにしましょう!
結婚して余裕ができたら、
旦那の小遣いを削ってパワースポットに行き、
ママ会に行き美魔女を目指しましょう。

パパはおうちで子供の面倒を見ててね!

っていう未来が自分にも待っているんだろうなー…。

[ハク]

うっすら信仰

戦後、GHQは、日本人が二度と戦争をしないよう、日本人から宗教を奪いました。
「天皇陛下万歳!」などと叫びながら散華した戦いぶりを考えれば、
再び立ち上がらせないよう、国家神道という精神的支柱を奪っておくことは、
GHQにとって必須なことだったことでしょう。

おかげで、日本人は宗教を奪われ、GHQの思惑どおり、わりと脆弱な国になりました。
世界では、個人が各々、自分の意思で何かの宗教を信じているのが普通です。
日本人は、わりと簡単に「オレって、無宗教だからさぁ」などと得意げに言いますが、
それって、世界標準では、
「オレって、自分の中に軸がないからさぁ」と言っているようなもの。
善悪が判断できない、信用ならぬ人物との評価を受けるのは以前紹介したとおりです。
それもGHQのせいではあるのですが、アメリカ人の友人に聞いてみたところ、
そうだとしても、いつまでもそれに甘んじているのは、
日本人の気概の問題とのこと。
なるほど。

このように、特定の宗教に肩入れせず、世界の潮流に逆行している日本人ですが、
こと、この時期だけは特別のようで、みんな一斉に神社に殺到します。
これって、信仰心ではないのでしょうかというのが私の疑問。

たとえば弊社のKAZSOUさんは、例年、初詣は越中稲荷神社に出かけるそうです。
例年そうしていて変えないということは、少なからず信じているということでしょう。
江戸時代を中心に、全国で稲荷神社の勧請が流行り、
越中稲荷もたぶんその一社なのだと思いますが、
稲荷神社の祭神は宇迦之御魂神で、この神は農業・商工業の神なので、
おそらく、KAZSOUさんは御利益を信じ、家運の隆昌を祈念しているはずです。
ここ数年、なんだか羽振りがよさそうなので、初詣の甲斐もあったのでしょう。

同じく弊社のWAKAさんは、例年、初詣には自宅近くの神社に参拝するそうです。
この神社は少し離れた場所にある大きな神社から勧請されたものだそうですが、
もとの神社の祭神は、確か淤母陀琉神・訶志古泥神だったと思います。
これは古事記に出てくる神世七世の第6代で、いわゆる天地開闢の神であって、
はっきり言って御利益とかそういう次元の神ではないと思うのですが、
WAKAさんはどういう……あぁ、きっと選挙にでも出馬するつもりなのでしょう*①

また、同じくkomeさんは、例年、能登半島の付け根にある気多大社に出かけるそうです。
祭神は大己貴命、つまり縁結びの神として有名な大国主命ですが、
農業神、商業神、医療神でもあるので、つまり福の神であり、なかなかのチョイスです。
このkomeさんは信仰深いのか、気多大社とは別にもう1社、
例年、武素盞嗚尊と櫛稲田姫命を祀った神社にも参拝しているそうです。
この2神は夫婦ですので、夫婦円満・縁結び・家庭和合などのご利益がありそうです*②

私は、これらの話を聞いて、なかなか微笑ましいと思いました。

毎年同じ神社に行くというのは、確かに習慣が思考を奪うという面もあるでしょうが、
積極的に否定するような理由もないから、同じ神社に行っているわけだし、
その神様をそれなりに信じているということでしょう。
これって、信仰心ではないのでしょうか。
「いやいや、初詣はみんな行くものだから」と言われるかもしれませんが、
初詣なんて、イヤなら行かなければいいぐらいのものですよ。
毎年同じ神社へ初詣に行くなんて、なかなか意志の伴う行為だと思うし、
私は、これらの感覚を、
一種の信仰なのだろうなと思うのです。

七五三も葬式も宗教の儀式であり、やる・やらないは自由であって、
「無宗教だ」と言うならやらなければいいのですが、やるでしょう。
右へ倣えという日本的心情はあるでしょうが、
うっすらとでも、その儀式の意味に対する肯定感がベースにあるはずです。

もちろん、当人が無自覚であるという、世界的には珍しいケースではあるので、
諸外国のような、積極的な信仰とは言えないかもしれないけれど、
日本人は、このように薄く広い信仰を持った民族なのだと、私は思います。

日本人は「自分は無宗教だ」などと、
世界で理解されないことを、なぜか堂々と口にしながら、
正月には神社へ行き、結婚式は教会で挙げ、死人が出たら寺院に駆け込むという、
なんとも節操のない行動をとっている民族であると指摘されがちです。

もし、その指摘が妥当なら、私は日本人の民族性を少し不快に思うのですが、
私は、この指摘は必ずしも当たっていないと思っています。
すべてのイベントは、イヤならやらなければいいのですが、
神社も教会も寺院も、わざわざ自分の意思で選び、
敢えて生活に取り入れているわけなので、
無神というわけではないでしょう。
イベントごとに宗旨が変わるところが節操なく見えるけれど、
それぞれの宗旨に対しては、薄い信仰を持っているのだと思うのです。

なかなか懐の深いことです。
私はそのことに、少し安堵し、微笑ましいと思うのです。

さて。
オチをつけるようで申し訳ないのですが、弊社のTOTSUさんは、いけません。
毎年、初詣の神社を気分で決めちゃっているそうなんです。
なので、初詣で訪れる神社は正月ごとにバラバラで、
ある年は大山咋神に参り、またある年は伊邪那岐神に祈るという一貫性の無さ*③
頼む相手をそうコロコロ変えて、
願いは聞き届けられるんでしょうかね。

私は、やはり、何の神様でもいいから、
主治医のような感じで、「自分はこの神様に祈るのだ!」という軸を一本立て、
祈る対象を決めておいたほうがいいのではないかと思うのですが*④

このTOTSUさんは、
「ある年、成田山に初詣に行ったら、神社じゃなくてお寺で、がっかりした」と、
お寺全般に対して失礼なことも言っていました。
ま、先入観の男なので、『初詣は神社でしょ』と思ってるんでしょうが、
別にお寺でも初詣はやっていますし、教会でもやっていたりしますよ。
あたりまえでしょう、どの宗教でも新年を祝う文化はあるのですから。

ちなみに、私は、月に何度も神社や寺や教会に行くタイプなので、
あえて正月に初詣に出かけることはしません。
寒いし、混むから。


 *① 淤母陀琉神・訶志古泥神については、一部で足病平癒や交通安全の信仰もあります。WAKAさんはそれを狙ってるのかな?
 *② 素戔嗚尊単独の場合には武運の御利益があるとされています。大国主命の祖先にあたる神です。
 *③ ただ、TOTSUさん自身が持っている一族のルーツから考えると、伊邪那岐神というのはなかなか縁がある神様で、選択としてはアリな気もします。
 *④ 昨年、ご長男が生まれた彼は、この地方の風習に従い、床の間に天神様を祀っているそうです。形よりも、まず信じないことには始まらないと思うのですがねぇ。


[SE;KICHI]

ちはやふる

ちはやふる

あけましておめでとうございます。
皆さん、お正月休みはどのように過ごされましたでしょうか。

お正月・・・といえば百人一首ですよね。(←強引)

福井県の芦原温泉という駅に、とある大きな看板が設置されています。
『ちはやふる』と書かれています。

私は、ハクさんのようにアニメに詳しくはないですし、
WAKAさんのように二次元を愛しているわけでもないので、
このアニメキャラクターのことは知らなかったのですが、
そういうアニメがあるのですね。
「綿谷新の出身地」と書かれていますから、
たぶん、芦原温泉はゆかりの地のひとつということなのでしょう。

どんなアニメなのでしょうか。

『ちはやふる』と聞いてまず連想されるのは、
六歌仙のひとり、伊勢物語で有名な在原業平の歌ですよね。
歌のほうは「ちはやぶる」ですが、百人一首に出てきますので、有名ですよね。

在原業平 http://www.geocities.jp/fusimiin/waka1/aki30.htm

要するに、川を紅葉が流れている屏風絵をながめて詠んだ、
「あぁ、見たこともないほどきれいだなぁ」という歌です。

芦原温泉の『ちはやふる』の大看板も、
中央に描かれた女の子が読み札のようなものを持っているので、
たぶん、百人一首かかるたを題材にしたアニメなのでしょう。

ちなみに、わが社の TOTSU さんは自称・落語通なんだそうですが、
古典落語にも「千早振る」というのがありますよね。
分かりやすい落語として有名だと思うのですが、
この落語は、この在原業平の和歌に隠居がテキトーな解釈を加える話です。
笑点で有名な三遊亭小遊三さんなどが得意としています。

また、最近、WAKAさんは能に興味があるようですが、
まさに今、主として、この正月の時季に限って演じられる、
能にして能にあらずと崇められる能の演目「翁」に出てくる神歌、
“とうとうたらりたらりら”で始まる有名な呪文も、
途中に「千早振。神のひこさの昔より。」というフレーズが出てきますね。

実は、この「ちはやぶる」という単語には、たいした意味はありません。

私は、古典は嫌いではないんだけれど、
高校には通っておらず、正式に古典の授業を受けたことがないために、
ここからは独学になってしまって申し訳ないのですが、
こういう、特定の語の前に置いて語調を整えたりする言葉を枕詞と言うそうです。
例えば「白妙の」とくれば次は「衣」とか「袖」がくるとか、
「空蝉の」とくれば「命」とか「世」が続くとか、そういう約束です。
ここ重要。
百人一首などではたくさん出てきます。

つまり、「ちはやぶる」は、「神」を導く枕詞であって、
次の「神代も聞かず」につなぐためだけの、それだけの単語なんです。

さて、芦原温泉の『ちはやふる』の大看板。
この看板が視界に入ったところで、
同じ車両に乗っていた親子連れが、この看板について話し始めました。

子「ねぇ、『ちはやふる』って変な看板~」
母「ん? 枕詞って言ってねぇ、次に来る単語を表す言葉よ」

おおっ、そうそう。
お母さん、よく知ってらっしゃる。
私は、薄々、自分のことを、妙なことを知っている変なヤツかと思っていましたが、
いやいや、普通のお母さんだって枕詞を知っているんだから、
私が変なヤツということはないですよねと、ちょっと安心。

子「じゃあさぁ、『ちはやふる』って、何を表してるの?」
母「ん~と、“お母さん”とか“おっぱい”を表してるのよ、確か」

・・・ん~、惜しいっ!
お母さん、それは「たらちねの(垂乳根の)」ですっ!
枕詞違いですっ!
あぁ、「お母さん、違いますよ」って、言いたいっ!

古典への関心って、普通、そんなもんなのかぁと落胆しつつ、
見知らぬ親子への声掛けをグッと我慢した特急しらさぎの車内だったのでした。

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